フィールドノート0405

 

5.1(土)

 初夏の高原のような日差しと風の一日を、コンビニにコピーを取りに行った以外は、自宅に籠もって過ごす。いろいろと連休中にやっておかなくてはならないことが山積しているのだ。そもそも、ゴールデンウィークにどこかに出かけるなんて、堅気の人間のすることです。平日の昼間に映画館で映画を観ているようなヤクザな人間が、堅気の方の真似なんかしちゃあいけません。家でじっとしていなくちゃ。

夜、中井貴一主演の映画『梟の城』(1999年)をTVで観る。織田信長に一族を滅ぼされた伊賀忍者の生き残りが、堺の豪商今井宗久(背後に徳川家康)から豊臣秀吉暗殺の依頼を受けて動くのだが、そこに裏切り者やら、甲賀忍者やら、家康に仕える服部半蔵やらがからんできて、人はいっぱい死ぬし、なんとなくヤクザ映画みたいな感じがした。まあ、でも、あれですね、最後は重蔵(中井貴一)と小萩(鶴田真由)は幸せに暮らしましたとさ・・・・となったから、それでよしとしましょう。私としては、誰がどうなろうと、小萩が、いや、鶴田真由がかわいそうなことにならなければ、それでいいのです。

 

5.2(日)

 初秋の高原のような涼しさというか、ちょっと肌寒くさえある。窓を開けたまま寝ていた息子が鼻をグズグズしているので、近所の内科医院からもらって服用しないままでいた鼻水の薬と咳の薬を与える。

夕方、ちょっと散歩に出る。「モスバーガー」の前を通ったとき、ロースカツバーガー(320円)に激しく惹かれたが、「減量中、減量中・・・・」と呪文を唱えて、邪念を振り払う。「ラオックス」で電子辞書(カシオのXD-H9100)を購入。いま使っている電子辞書(ソニーのDD-IC2050)は百科事典(マイペディア)も入っていて重宝しているのだが、いかんせん画面が小さい。鞄に入れて持ち歩くにはこれでいいとして、書斎で机上に置いて使うには、もっと大きな画面のものがほしいと思っていた。カシオのXD-H9100は、英語辞書機能が大変充実していて、英文科に入学した娘にはピッタリだと思って入学祝いに買ってやったのだが、たまたま今日借りて自分でも使ってみて、使い勝手のよさを実感したので、自分用にも購入することにした。帰宅する前にスーパーに寄って、煎餅を買う。減量中、小腹が減ったときには煎餅が一番いい。それも草加煎餅のようにしっかりした煎餅がよい。「かっぱえびせん」のような軽いものはかえって食べ過ぎてしまい(ヤメラレナイ、トマラナイ)、ダメなのである。歯ごたえのある煎餅を一枚、熱いお茶でいただくと、腹持ちがいい。もちろん減量中なのだから、間食はしないに越したことはないのだが、空腹感から読書に必要な集中力が低下してしまっては、元も子もないのである。それにしても、このところ、夕食のなんと美味しいことか。

 

5.3(月)

郵便小包でメグ・ライアン主演の映画『恋人たちの予感』(1989年)のDVDが届く。Amazonのマーケットプレイスに出ていた中古品を購入したものである。これまで古本はインターネットでたくさん購入してきたが、中古DVDは初めてである。価格は1393円(別途送料340円)。安い。DVDはここ数年でどんどん価格が下がってきて、たとえば、この『恋人たちの予感』の場合、2001年6月18日発売のものは4179円、2002年2月8日発売のものは2625円、2004年6月25日発売予定のものは1821円で、それぞれ現在も流通している(Amazon参照)。もちろん映画の内容は同じである。であれば、近年発売の安価なものの方を購入する一手に決まっている。私も1821円の近日発売のものを予約購入しようと思ったのだが、側に「ユースド価格:1393円」という表示があったので、クリックしてみると、Kさんという方が出品しているもので、「一度見ただけで新品同様です」というコメントが書かれていた。送料と合わせても1733円で、来月発売の新品よりも82円安い。ならばこちらにしようと、購入を申し込んだところ、Amazonからの自動送信の注文確認メールがあってからほどなくして、出品者のKさん本人からお礼のメールが届いた。北海道の紋別にお住まいの方である。Kさんからのメールに対して、『恋人たちの予感』はメグ・ライアンとビリー・クリスタルの2人の会話(本当によく喋る)がとにかく楽しい映画なので、DVDが安く手に入り、コレクションに加えることができて嬉しいですと返信したところ、翌日、Kさんから発送を知らせるメールが届いて、同じロブ・ライナー監督の作品で、『恋人たちの予感』の後日談ともいえる『ストーリー・オブ・ラブ』(主演はブルース・ウィルスとミシェル・ファイファー、1999年)も出品していますので、もしよかったらと書いてあった。調べてみると、確かに、こちらは1050円とさらなる安値で出品されていたので、なかなか商売が上手だなと思いつつ、購入した。すると再びKさんからお礼のメールが届き、この映画をみて女性不振(ママ)にならないで下さいねと書かれていた。「女性不信」の誤りであろう。この映画を観たとたんに、女性のことが信じられなくなっても別に構わないが、女性から相手にしてもらえなくなるのは困る(まるで呪いのDVDではないか)。古本屋さんからインターネットで本を購入するときは、めったにメールで無駄話はしないが、素人の出品者が多いマーケットプレイスは街の広場でやっているフリーマーケットのような味わいがある。

 

5.4(火)

 台風のような強風が一日中吹いていた。志賀直哉に「颱風」(昭和9年)という短編があって、その中の何でもない一場面が、こういう日には必ず思い出される。それはこんな場面だ。「学校へやつた子供等の事が少し心配になつた。それを云ひに、妻の部屋へと行くと、幼稚園を休ませた女の兒が一人、縁に坐つて『風、もつと吹け。もつと吹け』と負けずに唄つていた。」・・・・私は想像する。その女の子はおかっぱ頭をしていると思う。両足をブラブラさせていると思う。母親が作ってくれた白地に水玉模様のワンピースを着ていると思う。ここまでは確かだ(自信がある)。しかし、わからないのは、その子が一体どんな節回しで「風、もつと吹け。もつと吹け」と唄っていたのかということだ。私の知るかぎり、そのような歌詞の童謡や唱歌はない。藤井樹郎作詞の「風にきく」も、水谷まさる作詞の「小ちゃな風」も、巽聖歌作詞の「風」も、西条八十訳詩の「風」(クリスティナ・ロゼティ)も、台風のような激しい風を歌ったものではない。日本人が台風を正面から歌ったのはブルーハーツの「台風」(1993年のアルバム「STIC OUT」所収)が最初である(というのは、もちろん、たんなる思いつきです)。ということは、女の子は即興で「風、もつと吹け。もつと吹け」と唄っていたことになる。歌というよりは、叫びに近いものだったのかもしれない。もし、その女の子がいまも生きていたら、70代の半ばになっている。昭和2年生まれの私の母と同年配なのだ。

 

5.5(水)

 われわれは洋画を映画館やレンタルビデオで観るときは、普通、「外国語の音声」+「日本語の字幕」という組み合わせで観ている。そういう組み合わせに馴れてしまっている。ところが、DVDで観るようになると、それ以外に、「外国語の音声」のみ、「外国語の音声」+「外国語の字幕」、「日本語の音声」のみ、といった選択もできる。お望みとあれば、「日本語の音声」+「英語の字幕」や、「日本語の音声」+「日本語の字幕」という組み合わせで観ることもできる(後者は日本語を勉強中の外国人向けだろうか)。聴覚障害者の身になって「外国語の字幕」のみや、「日本語の字幕」のみで観たりもできる。実際、私はいま、『恋人たちの予感』のDVDをそんなふうにして観ている。すでに一度観ている映画で、ストーリーを急いで追いかける必要はないので、1つのチャプター(本編は14のチャプターに分割されている)をいろいろな組み合わせで楽しんでから、次のチャプターに進んでいる。GW中の唯一の娯楽である。

 そんなことをして、一体何が楽しいのかというと、いろいろな発見があるからである。発見といっても、日本語の字幕や吹き替えの仕事をしている方たちには、どれもあたりまえのことで、たんに私がこれまであまり深く考えたことがなかったというだけの話なのだが、そういう個人的発見ではあっても、発見というのは心躍るものである。

 下の表は、『恋人たちの予感』の一場面(DVDではチャプター3)の英語字幕と日本語字幕と日本語音声を並記して比べたものである(英語音声は英語字幕とほとんど同じなので省略)。背景的説明を少ししておくと、シカゴの大学を卒業して車でニューヨークに向かうSally(メグ・ライアン)に、彼女の親友のAmandaが自分の恋人であるHarry(ビリー・クリスタル)をニューヨークまで一緒に乗せていってやって欲しいと頼んだことから、物語は始まる。車中で二人はいろいろと話をすることになるわけだが、この二人、ものの見方や考え方がまるで違う。水と油である。とくに男女関係については、「男と女の間には友情は成立しない」(なぜなら不可避的にセックスが介入するから)と考えるHarryに対して、Sallyは「セックス抜きの男女間の友情は成立する」と主張して一歩も引かない。表の会話は、そうした男女関係についての議論が始まる直前、2人がドライブインでの食事を終えて車に乗り込む場面での会話である。

 

 

英語字幕

日本語字幕(戸田奈津子)

日本語音声(武満真樹)

S1

What? 

Do I have something on my face?

何よ

何か付いてる?

何か付いてる?

H1

Youre a very attractive person.

君はチャーミングだ

君は実に魅力的だ

S2

Thank you.

ありがとう

どうも

H2

Amanda never said how attractive you were.

アマンダは言わなかった

アマンダから聞いてなかった

S3

Maybe she doesnt think Im attractive.

そう思ってないのよ

彼女はそう思ってないのよ

H3

I dont think its a matter of opinion.

Empirically, you are attractive.

 

誰が見たって君はチャーミングだ

 

誰が見たって魅力的な人間だよ

S4

Amanda is my friend.

アマンダは私の親友よ

アマンダは私の親友よ

H4

So?

 

だから?

S5

So youre going with her.

あなたは彼女の恋人よ

あなたは親友の恋人よ

H5

So?

 

だから?

S6

So youre coming on to me.

私をクドく気?

それなのに私をクドく気?

H6

No, I wasnt.

What?

Cant a man say woman is attractive without it being a come-on?

All right, all right.

Lets just say, just for the sake of argument, that it was a come-on.

What do you want me to do about it?

I take it back, okay? 

I take it back.)

違うよ

 

「チャーミングだ」と褒めるとクドきか

 

よし

一つ折れて君をクドいたと仮定しよう

 

その場合僕はどうする

取り消すよ いいだろ?

冗談じゃない

 

「魅力的だ」と褒めるとクドいたことになるのかい?

よしわかった

下らない議論を避けるために百歩譲って僕が君をクドいたと仮定しよう

 

そして前言を撤回する それでいいだろう 前言撤回だ

S7

You cant take it back.

取り消せないわ

そんなの無理だわ

H7

Why not?

 

どうして?

S8

Because its already out there.

耳は聞いたわ

もう既成の事実ですもの

H8

 

Geez, what are we supposed to do?

Call the cops.

Its already out there.

耳は聞いたわか

大変だ どうしよう!

既成の事実

こりゃ大変だ

警察に電話しなきゃ

S9

 

Just let it lie.

okay?)

 

いいわ 無視しましょう

いいわね

茶化さないで

この件は無視するわ

いいわね

H9

Great.

Let it lie.

Thats my policy.

Thats what I already say; Let it lie.

Wanna spend the night in a motel?

See what I did?

I didnt let it lie.

I said I would, and then I didnt.

I went the other way.

 

What?

いいとも

無視しよう

 

何でも無視すればいい

どう? モーテルに泊まらない?

 

 

 

 

すまない無視してくれ

ようし

無視しよう 大賛成だ

僕の哲学だ

何でも無視

モーテルで一泊しないかい?

 

前言撤回の方を無視しよう

撤回の撤回さ

 

 

何だい?

S10

We are just going to be friends, okay?

私達はただの友達よ

あなたと私は永遠にただのお友達

H10

Great.

Friends.

Its the best thing.

 

友達か

最高だな

そりゃあいい

 

それが一番さ

S=Sally, H=Harry

 

 ふう〜、表を作るだけでけっこう時間がかかったな(映画ではわずか1分30秒の場面なのに・・・・)。

Harryに2カ所(H6とH9)のちょっと長めの台詞がある他は、シンプルな会話のやりとりである。けれど、2人とも(とくにHarryは)早口な上に、口語的な表現が多いために、英語音声だけではフォローできない(もちろん私のヒアリング能力の問題もある)。

それで、まず、「英語音声」+「英語字幕」の組み合わせで観たところ、「英語音声」と「英語字幕」は同じではないことに気づいた。映画やTVドラマは、まず脚本があって、俳優は脚本に書かれた台詞を喋り、字幕は台詞そのままであるとすれば、両者は一致するはずなのだが(私はそう思いこんでいた)、実際はそうではないのである。たとえば、H6の最後の(I take it back.)や、S9の最後の(okay?)は字幕には表示されていなかった(表示するまでもないからか。しかし、それなら、ほかにもたくさんあると思うが・・・・)。また、H9の台詞をHarryが喋っている間、Sallyは「やめてちょうだい」という感じで、2度ほど、Harry, Harryと相手の名前を呼んでいるが、これも字幕には表示されていない(字幕がかぶるからだろう。互いの発話のかぶりというのは日常生活ではよくあることで、エスノメソドロジーの会話分析では、その場合の表記法が決まっている)。

 次に、「英語音声」+「日本語字幕」という一番ポピュラーな組み合わせで観た。これは誰でも気づいていることだが、「日本語字幕」はオリジナルの台詞よりも情報量が少ない。S1からS3までのワン・センテンスの台詞では情報量に差はないが、H3のようにツー・センテンスの台詞になると、最初のセンテンス(「見解の問題じゃない」とでも訳すのだろうか)が無視されている。H9に至っては、後半がまったく訳されず、「すまない無視してくれ」というオリジナルにはない台詞でまとめられてしまっている。字幕を読んでいる間は、目が映像から離れる。その非映画的時間をできるだけ短縮するためには字幕は簡潔な方がいいのだろう。それはわかる。だが、量の問題はよいとして、せっかくの面白い表現が無視されてしまうのはもったいないと思う。H9のCall the cops. Its already out there. がまさにそれだ。「警察を呼ぼう。ほら、あそこに、あんなものがあります、って」(映像ではHarryが近くの地面を指し示しながら喋っている)。Its already out there. はS8の字幕では「耳は聞いたわ」と訳されていて、It はHarryがSallyをクドいたときの言葉の意味に解されているが、H9の台詞回しから明らかなように、itは言葉(音声)ではなく、HarryがSallyをクドいたという事実を指すのであって、その事実が、ここでは、あたかも社会学者デュルケイムが言うところの「社会的事実」のように、目で見て、手でさわれるモノとして、個人の外部(out)に個人の意識に先行して(already)客観的に存在している(だから取り消せない)のである。そういうSallyの認識論を、Harryが「警察を呼ぼう。ほら、あそこに、あんなものがあります、って」と茶化しているところが面白いのだ。日本語字幕ではこの面白さを味わうことができない。

 最後に、普段はありえないが、「日本語音声」+「日本語字幕」という組み合わせで観た(暇だなあ)。それで気づいたのだが、「日本語音声」は情報量の点ではオリジナルと「日本語字幕」の中間にある。それまで私は「日本語字幕」を声に出して読めば「日本語音声」になるのだと漠然と考えていた。しかし、そうではなかった。「日本語字幕」の場合は、目が映像から離れる時間が長くならないようにすることが絶対条件だったが、「日本語音声」の場合は、俳優の口の動きに合わせることが絶対条件である。自分で試してみてわかったのだが、ほとんどの場合、「日本語字幕」をそのまま吹き替えの台詞に使ったのでは、俳優の口がまだ動いているのに台詞が終わってしまう(無音の口パク状態が生じる)のである。また、「日本語字幕」では、H4とH5のSo? や、H9のWhy not? を訳さなくても、簡単な言葉なので、観客はオリジナルの音声を耳で拾って字幕の空白を自分で埋めてくれる。しかし、吹き替えの場合は、俳優の口が動いているときの音声の空白は不自然なので、簡単な言葉ではあっても、きちんと埋めなくてはならない。もしかしたら、字幕翻訳よりも吹き替え翻訳の方が仕事としては大変なのではないだろうか(世間の注目度は逆だけれど)。ちなみに、「日本語字幕」では「耳は聞いたわ」と訳されていたH8は、「日本語音声」では「既成の事実ですもの」と訳されている。堅い言い回しだが、目で見て、手でさわれるモノというニュアンスはこちらの方がずっとよく出ていて、後の「警察に電話しなきゃ」というHarryの茶化しが生きてくる。

 調子に乗ってずいぶん長々と書いてしまった。「フィールドノート」を私物化してはいけない・・・・って、元々私物だからいいか。読みたくない人は読まなければいいわけだしね。Just let it lie ! さて、今日で連休も終わった。お仕事、お仕事。

 

5.6(木)

 馬場下の交差点から早稲田通りを高田馬場方面に向かってちょっと上がったところに、「メイプルブックス」という古本屋が新規開店した。2ヶ月ほど前に開店したそうなのだが、「馬場歩き」をしない私は、今日初めて気づいた。さっそく入ってみる。古本屋とリサイクル本屋の中間(よりもややリサイクル本屋寄り)といった感じの品揃い。単行本にはこれといったものが乏しかったが、文庫本で何冊かいいものがあった。7冊購入。締めて1800円。

(1)       安岡章太郎編『私の文章読本』(文春文庫、1983年)

 小島信夫はこう書いている。「一言にいって、私は文章というものを非常に簡単に考えている。つまり、言いたいことが、十分にいえているかどうかということだ。というより、いいたいことがあるかどうか、ということだ。」安岡章太郎はこの小島の言を取り上げて、こんな風に注釈を付けている。

 「この書き出しの一行目は、怒ったような小島の頬をふくらませた顔が目に浮かぶ。これは無論、私がふだんから小島を知っているせいだが、この何となくムッとしたような口振りは、おそらく小島を知らない人だって感じられることだろう。古ぼけた裏町でマンジュウをふかしている菓子屋の頑固おやじが、女子大の家政科の生徒か何かにマンジュウつくりのヒケツをきかれて、『マンジュウというものは非常に簡単だ。つまり皮でアンコを、うまく包んで十分に蒸してあるかどうかだ』と、セイロの湯気の向こうでわざと忙しそうに長い箸などをうごかしながら、俯いてブツブツいっている感じだ。この迷惑げな、不機嫌そうな顔つきなり口振りなりは、おそらく作家に限らず、永年一つのことをやって暮らして人が、おまえのやっていることは何か、ときかれたときにだれもが示す職業的な反応であり、本当はとまどっているのである。」

 本書は17人の作家の文章作法と、それを素材にして展開した安岡の「交友録的文章論」。

(2)       橋本治『よくない文章ドク本』(徳間文庫、1987年)

最近、斉藤美奈子が『文章読本さん江』(筑摩書房、2002年)で小林秀雄賞を受賞したけれど、あれは勉強のよくできる女の子が、エレガントに「おじさん的権威」を批判してみせた本。20年前に、同じ事を、もっと気取らずにやってみせたのが、奇才橋本治のこの本。

(3)       吉村昭『私の文学漂流』(新潮文庫、1995年)

 『星への旅』(1966年)で太宰治賞を受賞するまでの彼の文学的自伝。

(4)       小林信彦『日本人は笑わない』(新潮文庫、1997年)

 「どうして、こういうことになったのか、というのがぼくの思いです。こんなはずではなかった。誰がこんな風にしたのだ・・・・。日本人が笑わなくなったことです。いや、笑えないことです」、と小林が書いたのは、バブル崩壊から間もない1994年のことである。いや、そんなことはない、小劇場の満員の若者達はよく笑っているではないか、という予想される反論に対して、彼は次のように答える。「こういうゲラゲラ笑いは、笑っていないのと同じではないかと僕は思います」。そして彼は、「笑い」の消滅の起源を、1970年代に始まった「笑い」の幼児化(その象徴がドリフターズの登場である)に求めるのである。

(5)       如月小春『都市の遊び方』(新潮文庫、1986年)

 彼女が急逝して3年余りになる。本書は演劇都市「東京」の文化人類学的スナップショット。本日一番の収穫。カバーの折り返しの彼女の写真にはびっくりする。

(6)       高橋英夫『元素としての「私」 私小説作家論』(講談社、1976年)

 私は小沼丹の『椋鳥日記』を読んで彼のファンになったのだが、その『椋鳥日記』について高橋はこう書いている。

「作者自身と考えてよい中老の男が、一足先に滞在していた娘といっしょにロンドン市井の暮らしを経験し、それを心境小説ふうにえがいたのが『椋鳥日記』であるが、日本的私小説がその根生いの土地から離れ、異国の日常の中に置き移されたとき、どのような変化を生むかという私小説の実験としての面白さも加わって、この作品はなかなか捨てがたい味わいを醸し出している。井伏鱒二直系の小沼丹氏には、師ゆずりの抑制された諧謔と、ゆっくりした間合いのとり方の巧妙さが顕著であり、そういう質によって「私」の背後の社会を仄かに暗示するという作風を見せてきたが、外国にそれが移植されても枯れなかったと言えるのも、やはり小沼氏が、社会を『伝統的自然』の含みの中に吸収し、隠すことを知っていたからではないか、と思われるのだ。」

 社会と自然を対立するものとしてではなく、社会を自然の一部として包み込む(ある意味で隠蔽する)ものとして捉える発想は、俳人に典型的であるが(世界は季語という契機なしでは成立しない)、俳句を読まない人でも、日記を付けるときに、「○月×日 晴れ」とまずはその日の天候(自然の有り様)に言及してからでないと、出来事の記述が始まらないというのは、同様の発想の表れであろう。

 (7)和田秀樹『75歳現役社会論』(日本放送出版協会、1997年)

「若さ」に価値を置く社会で高齢化という現象が進行するとどうなるかというと、「高齢期の先送り」という現象が生じるのである。つまり自分のことを老人だと思いたくない老人が増えるから、老人としてみなされる年齢を引き上げることによって、老人たちを相対的に若返らせてしまうわけだ。まあ、一種の心理的トリックですね。本書では、「ヤングオールド」と「オールドオールド」という言葉がトリックとして使われている。75歳までは「ヤングオールド」なのだそうだ。「ヤングオールド」、すなわち「若い老人」・・・・、なんだ、やっぱり老人なんじゃないか。ところで「ヤングオールド」の下限は何歳なのかというと、この言葉の提唱者であるニューガートンによると、55歳である。な、なんですと?! あと5年ではないか(私が)。やだ、やだ、「ヤングオールド」なんて、やだ。絶対に、矢田亜希子(おやじギャグで抵抗するが、引かないでほしい)。55歳は「ミドル」だろ。「オールドヤング」でもいい。なんだったら、「オール阪神巨人」でもかまわない。とにかく、「ヤングオールド」なんてよれよれのアロハシャツみたいな言葉で呼ぶのだけは勘弁してくれ。

 

5.7(金)

 5限の卒論演習は、今回から毎回2名の報告となる。学生は20名なので、6回で一周する。前期で2ラウンドやれる計算だ。以前、毎週ではなく、隔週にして、その代わり毎回4、5名に報告してもらったことがあるが、聞き手の学生たちの集中力が持続しないので、その年度だけで止めた。今日の報告はMさん「言葉の可能性と不可能性」とY君「典型的役割と役割パフォーマンスの違いから見えてくる個性」

 ところで、最近、気づいたのだが、机が口の字型に配置された演習などの授業で、報告者が資料をみんなに配るときに、右回り・左回り両方同時に配ることが多い。たしかに配布資料が1枚のときは、両方向同時に配った方が半分の時間で配り終えることができ、合理的な方式のように思える。しかし、配布資料が2枚のときに、1枚目は右回りに配り、2枚目は左回りに配ると、どちらも一周回るわけだから、同じ方向に2枚回したときと時間は変わらない。いや、実際には、途中で2枚の資料が交差して、若干の混乱をきたす分だけ時間がかかることが多い。配布時間短縮のためには、1枚目、2枚目とも均等に二山に分けて、両方向同時に配らなければ意味がないのである。ただし、均等に二山に分けるという作業はけっこう手間なので、実際には、目分量で二山にわけて配られることが多い。そうすると、1枚目のときと2枚目のときで、最終地点(両方向の流れが出会う地点)が変動することになり、若干の混乱が生じる。とくに配布資料が足りないという事態が生じると、この混乱に拍車がかかる(一方向回りの場合は、資料の残部はブーメランのように常に報告者の手元に戻ってくる)。・・・・要するに何か言いたいのかというと、やっぱり資料の配布はシンプルな一方向回りがよいのではないかということです。思うに、両方向回りの配布方式というのは、時間の短縮のためというよりも、手持ちぶさたの状態(配布資料が自分のところにまでやってこない状態)にある人を少なくしようという発想から来ているのではなかろうか。そして、この発想の背後には、小人閑居して不善をなす、という性悪説的人間観が潜んでいるように思える。たかが資料の配布の仕方で、そこまで言いますか、って話ですけどね。

 

5.8(土)

 日射しは暖かく、空気はサラリとした、さわやかな一日。ベランダに猫を出したら、気持ちがいいのだろう、もうそろそろよかろうと、抱えて室内に入れようとすると、「ウ〜」と抵抗するので、しばらくつきあってベランダにいた。昼過ぎ、自転車を漕いで昼食のサンドイッチを買いに行く。サンカマタ商店街の奥の蒲田文化会館に入っていたヨーカ堂が撤退して、その辺りの人通りが心なしか少なくなったような気がする。家賃が高いのか、後に入る店舗がまだ決まらないらしい。4階の蒲田宝塚とテアトル蒲田は営業を続けていて、今日から『世界の中心で、愛をさけぶ』と『死に花』の上映が始まっている。都心の映画館なら立ち見なのであろうが、こちらは今日も明日も余裕で座って観られるはずで、場末の映画館のよいところだ。鈴木ベーカリーが臨時休業だったので、旧ヨーカ堂前のロアモンドのサンドイッチを購入。店前から推察されるように、大衆的な鈴木ベーカリーのサンドイッチよりも、お洒落な分だけ値段も高めで、大(私の分)が450円、中(娘の分)が360円。言い忘れたが、妻と息子は矯正歯科の予約のある日で、家にいないのである。娘は昨夜、サークルの飲み会とかで、帰宅が門限の11時を過ぎた。当然、叱る。規範が破られた場合、それを黙認すれば、規範は形骸化する。親は規範の代理人(エージェント)である。『マトリクス』で言えば、スミスである。嫌われ役である。それでいいのだ。親が規範の代理人としての役割を演じなくなったら、子供は反抗の仕方を学ぶことができない。以前の「フィールドノート」で、娘はテニス&スキーのお遊びサークルに入ったらしいと書いたが、実は、あれは娘の嘘(あるいは照れ)で、演劇研究会というものに入ったのである。ふ〜ん、生意気そうなものに入ったじゃありませんか。薄汚い部室で、タバコを吸いながら、ベケットが〜とか、野田秀樹が〜とか喋るのだろうか。いや、これは私の学生時代、1970年代的なイメージか。娘はラーメンズのファンで、先日も2回、彼らの同じ公演を観に行った。今日は高校時代の友人を家に呼んで、TSUTAYAで借りてきたバナナマンのビデオを観ながら、「最後の場面はラーメンズならそうはしなかっただろう」と批評家みたいなことを言っていた。ふむふむ、さすが演劇研究会ですな。この先、だんだん手強くなっていきそうな気がする。

 

5.9(日)

 父と妻と三人でおせがき(「施餓鬼」と書くらしい)法要に出席。泰寿院は鶯谷駅から徒歩10分ほどのところにある下町の浄土宗の小さな寺である。11時前に寺に着き、墓参りをすませてから、用意されたお弁当をいただき、本堂で余興の落語を聞いてから、住職の講話、そしてお経と念仏の儀式。住職のA師は、3年前から、浄土宗北米開教区の総監をしていて、普段はこの4月に大正大学を卒業されたご子息が寺を任されているのだが、おせがきとお十夜の法要のときだけは帰国して住職としてのお務めをする。今回の帰国は、ちょうど先日の台風のような強風とぶつかって、これまで経験したことのないくらい機体が激しく揺れたが、念仏を唱えたら気持ちが落ち着きましたという話をされた。「みなさん、手を合わせて、お念仏を10回唱えて下さい」と英語で言ったのはご愛敬であった。終わったのは午後3時。雨が少しばかり降っていたが、傘を差すほどではなかった。下谷は寺の多い町で、そのためか、私が子供の頃と町の風景がそれほど変わっていないように思えた。

 

5.10(月)

 午後、表参道にある「日本広報協会」というところで、全国の都道府県が出している広報紙のコンクールの審査会。普段、自分が住んでいる自治体以外の広報紙を見ることなどないから、なかなか興味深かった(審査結果は5月下旬の読売新聞紙上で発表される)。帰宅の途中で、『文藝春秋』6月号を購入。パラパラとやっていたら、「第35回大宅壮一ノンフィクション賞発表」の記事(渡辺一史『こんな夜更けにバナナかよ』が受賞)が載っていた。自分がさっきまで審査会に出ていたこともあって、6人の選者(猪瀬直樹、藤原作弥、関川夏央、柳田邦男、西木正明、立花隆)の「選評」を興味深く読んだ。中でも関川の「選評」が面白かった。彼は受賞作を、介護体験を通じて作者が成長する過程を描いた「教養ノンフィクション」として評価しながらも、次のような苦言を述べている。「だが、いかんせん長い。『自己客観』の不足も含め、編集者が十分に機能していないためだろう。編集者とは原稿の催促係でも整理係でもない。他者であり批評家である。」関川が一番押したのは日垣隆『そして殺人者は野に放たれる』であった。刑法第39条(心神喪失を量刑減刑ないし免除の理由とする)の削除をテーマとして作品である。法律的概念のとらえ方に弱点があるとする多数意見に彼は抗しきれなかったが、後から、やはり強く押し続けるべきであったと後悔したようである。「だが、一般書に法律論的厳密性を完璧にもとめる必要があるのだろうか。私はいまもこの作品を惜しんでいる。ノンフィクションは『物語』ではない。『物語』ばかりではない。実証的言論こそが、その『文学』としてのありかたの原点であり核心ではないかと、ますます強く思うところがあるからだ。」推察するに、「法律論的厳密性」を持ち出したのは立花隆であろう(立花はかつてロッキード事件裁判をめぐる法律論争で専門家を相手に一歩も引かずに論陣を張ったことがある)。立花は「選評」で、日垣作品について次のように述べている。「切れ味の鋭さにおいては、『そして殺人者は野に放たれる』がいちばんだろうが、ナイフさばきの華麗さは見えても、ノックアウトパンチが相手をとらえたときのズシリとした手ごたえのようなものが感じられない。論争的作品の真骨頂は相手をブチ倒すところにある。ジャブのうまさと手数の多さだけでは相手を倒せない。」立花が自説を強く主張し、藤原、柳田、西木がそれに賛同して多数意見となり、関川はそれに屈したのであろう。銀座「松山」での選考委員会の情景が目に見えるようである。立花隆はノンフィクション界の田中角栄かもしれない。

 

5.11(火)

 暑い。気温が30度を超えている。夏日である。午後、主任会があり、半袖シャツに麻のジャケットを着て、大学へ。いくら外は暑くても、いや、外が暑いときほど、電車の中や会議室は冷房が効いていてシャツだけだと寒いことがある。だからジャケットが欠かせない。それから、ジャケットを着ていないと、スケジュール帳、メモ帳、ペン、財布、定期券、キーホルダー、ハンカチ、ティッシュ、携帯電話を入れるポケットがなくて不便ということがある(もっとも妻からは、ジャケットが型くずれするから、ポケットにそんなに物を入れないで、と言われている)。ポシェットを肩から提げるという手もあるが、散歩のときならまだしも、B4判の書類が入るビジネスバッグを片手に提げながら、ポシェットもというのは、格好が悪い。それ故、本当に暑くなってくると、外ではジャケットを脱いで、肩に担いで歩くことになるのだが、何かの拍子に、ポケットの中身がこぼれ落ちることがある。ほんと、夏の出勤は悩ましい。ところで、丸谷才一のエッセイ集で一番面白いのは、なんと言っても、『男のポケット』だということを、唐突に、言ってみたくなりました。

 

5.12(水)

 3限の社会学研究9の授業で、近代学校と立身出世の思想の関係を説明しているときに、教材として小学唱歌「仰げば尊し」(♪身を立て 名をあげやよ やよ励めよ〜)を流したのだが、一番の歌詞の最後、「いまこそわかれめ いざさらば」の「め」が、意志(〜しよう)を示す助動詞「む」の已然形「め」であることを知らず、「金の切れ目が縁の切れ目」とか「季節の変わり目」などというときの「目」だと思っている学生が少なからずいたことにびっくりした。「こそ+已然形」の係り結びの法則は古典文法の中ではかなりポピュラーなもののはずだが、出席カードの裏に「80へぇ」などと書いてあった。まさか「やよ励めよ」の感動詞「やよ」を「いやよ」(嫌よ)のことだと誤解している学生はいなかっただろうね。もっとも、子供の頃に暗唱した文語体の歌詞というのは、意味がわからないままに音として覚えてしまっているということはよくあることで、私も、つい最近まで、「君が代」の「さざれ石の巌となりて」の部分を「ただれ石の岩音鳴りて」だと思っていた(本気にしちゃいやよ)。

 

5.13(木)

 もう10年前になるだろうか、完成して間もない恵比寿ガーデンプレイスの中の都立写真美術館に、早稲田大学に着任して最初に担当した一文の基礎演習の学生たちを連れて行ったことがある。彼らもそろそろ30歳に手が届く頃だ。それぞれの場所で元気にやっているだろうか。その恵比寿ガーデンプレイスに10年ぶりで出かけていった。恵比寿ガーデンシネマで上映中の『グッバイ、レーニン!』を観るためである。ベルリンの壁が崩壊する一月前の1989年10月7日(東ドイツ建国40周年の式典のあった日)の夜、青年アレックスはベルリンの街頭デモに参加していて、警官ともみ合いになった。たまたま現場を通りかかったアレックスの母親クリスティアーネは、その光景にショックを受けて、心臓発作で倒れる。昏睡状態に陥った母親が意識を回復したのは、8ヶ月後の1990年6月だった。その間に世界は一変していた。しかし、そのことは、10年前に父親が家族を残して西側に亡命して以来、愛国主義者の道を歩んできた母親には、心臓発作の再発の危険もあって、知らせるわけにはいかない、とアレックスは考えた。かくして家族、恋人、友人、知人、そして元宇宙飛行士のタクシードライバーを巻き込んでの茶番劇が始まった・・・・。ジム・キャリー主演の映画『トゥルーマンショー』は、ある男の誕生から現在に至る日々の生活を、その男には内緒で、壮大な街のセットを組んで(つまりその男以外の街の住人は家族も含めて全員役者)、全米に24時間生中継するという荒唐無稽な、ある意味恐ろしい物語であったが、『グッバイ、レーニン!』は笑いと涙の物語である。一つの国家の消滅の物語と、一つの家族の再生の物語が、見事にシンクロナイズしている。

 映画を見終えて、大学へ。「五郎八」で昼食(揚げ餅蕎麦を冷やしで)。4限の時間、研究室で二文の基礎演習のレポート(テキストの『はじめて出会う社会学』の16の章それぞれの「面白度」と「難易度」を5段階で評定した上で、各章についての簡単な感想を書いてもらったもの)に目を通す。「面白度」を集計した上位8章のテーマを前期のグループ研究のテーマとして採用することにした。そのテーマとは、1位「セックスとジェンダー」、2位「メンズ・スタディ」、同2位「在日外国人」、4位「メディアと社会」、5位「エスニシティと人種」、同5位「エイズ」、7位「スポーツ」、8位「音楽とメディア」であった(以下、9位「新宗教」、10位「ファッション」、11位「身体と社会」、同11位「ヴァーチャル・リアリティ」、13位「フェミニズム」、14位「神秘体験」、15位「宗教と科学」、16位「カルチュラル・スタディーズとは何か」であった)。念のために言っておくと、この順位はあくまでも各章の文章の面白さ、わかりやすさを反映しているのであって(筆者は別々)、学生たちがカルチュラル・スタディーズや宗教やフェミニズムに関心がないわけではない。どのようなテーマも、語り口一つで、面白くも退屈にもなるのである。基礎演習の学生は26名なので、1グループ3人ないし4人で8グループを編成し、グループ単位で勉強を進め、6月中旬ごろから順次(毎回2グループ)報告を行う。

 5限の時間、ロシア文学の草野先生と神楽坂の甘味処「花」に出かける。今年度最初の甘味同好会の総会である。神楽坂の駅を出て、商店街を下って、脇道をちょっと左に入ったところに「花」はあった(私はこの店は初めて)。メインストリートにある超有名店「紀の膳」とは違って、いかにも神楽坂の芸者さんたちが好みそうな、こぢんまりとした落ち着いた店構えである。女将さんによると、ついさっきまで満席状態だったらしいが、それが一遍に引けた直後で、客はわれわれだけだった。女将さんお薦めのクリームあんみつを注文する。冷やし汁粉にもかなり惹かれたのだが、初めての店では女将さんの言うとおりにするのが賢明である。事実、しばらくして、われわれが将来の話(文学部の)をしているところに運ばれてきたクリームあんみつは、私がこれまでの人生で出会ったクリームあんみつの中で文句なく最上位に位置するものであった。最初、フルーツパフェが出てきたのかと思ったほど、フルーツの量が半端ではないのである。いや、量だけではない。缶詰のフルーツは一つも使っていない。イチゴも、スイカも、ミカンも、ピーチも、バナナも、チェリーも、すべていましがた冷蔵庫から取り出して、洗って、剥いて、切って、盛りつけたものである。素晴らしい。もちろん、素晴らしいのはフルーツだけではない。アイスクリームも、あんこも、寒天も、豆も、牛皮も、「これぞ本物の味」と言えるものであった。これで750円は安い(と言っては、奢っていただいた草野先生に失礼か)。今度来るときは、もっとお腹が空いている時刻にして、クリームあんみつの他にもう一品、雑炊かなにかを注文してみたいと思った。

 6限の時間が始まる頃に研究室に戻り、ちょっと休憩(居眠りですね)してから、7限の基礎演習の授業に臨む。食べ物と飲み物(もちろんアルコールはなし)を持ち込んで、懇親会をやりながら、グループ研究のグループ決めを行う。今年度のクラスは非常にまとまりがいい。「一週間の授業の中でこの時間を一番楽しみにいます」なんて、ふつうはちょっと気恥ずかしくて言えない(私の感覚では)ような言葉が、みんなの口からポンポン飛び出す。概して男子学生よりも女子学生の方が、一般学生よりも社会人学生の方が、元気がよいものだが、このクラスは男女の比率や、一般学生と社会人学生の比率がちょうどいい具合にいっているのだろう。ただし、本当にいいクラスになるかどうかは、グループ研究が始まってみないとわからない。これから先、大学生活にも慣れ、サークル活動やアルバイトに精を出すようになったり、仕事と勉強の両立に悩むようになったりしたときに、果たしてこのクラスが彼らにとってベースキャンプのような場所でありつづけることができるかどうか、まだまだ未知数の部分が多い。

 

5.14(金)

 3限の大学院の演習では、加藤秀俊が23歳のとき(当時、彼は一橋大学を卒業して、京都大学の人文科学研究所の助手になったばかりだった)に書いた論文「身上相談の内容分析」(思想の科学研究会編『芽』1953年9・10月号に掲載)を採り上げて、ディスカッション。報告者はI君となっていたが、論文のコピーは先週全員に配布してあるから、当然、全員が論文を読んで、内容について何らかのコメントができるように準備してこないとならないのだが、ディスカッションは主として私とI君と修士2年のAさんの3人の間で展開され、修士1年の3人はなかなかディスカッションに加わることができない。縄跳びの大縄の中に入るタイミングを測りかねているようだ。ときどき水を向けてみるのだが、単発的な発言で終わってしまう。雰囲気に慣れていないということはもちろんあるが、やはり論文の読み込みが甘いのだ。自分が報告の担当でない論文でも、いや、それだかこそ、十分に読み込んでこないと報告者と同じ平面に立ってディスカッションをすることはできない。

大学院の演習を終えて、遅い昼食をとりに外出したら、中庭で去年の二文の基礎演習の学生だったIさんに声をかけられる。ゴールデンウィークに花巻の方に旅行に行かれたらしく、「賢治最中」と宮沢賢治幻燈館で買った絵葉書をお土産にいただいた。旅行中、最中と宮沢賢治から私のことを思い出てくれたらしいが、最中の方は分かるけど(私が甘党であることは周知の事実なので)、賢治と私がどうして結びつくのだろう。顔が似ているということは・・・・多分、ないよね。「雨ニモ負ケズ 風ニモ負ケズ」、日々、頑張って授業をやっているということだろうか。『銀河鉄道の夜』はご覧になりましたかと聞かれて、『銀河鉄道999』のことかと勘違いした私に、Iさんは笑いながら、バッグから『銀河鉄道の夜』のビデオを取り出した。レンタルビデオではなく、購入したものだという。かなりのファンのようである。ご覧になっていないのならというので、週末の楽しみに借りることにした。

早稲田軒で昼食(ワンタン麺)をすませてから、本部キャンパスで行われている早稲田青空古本掘り出し市を覗いてみる。以下の4冊を購入。古本市は明日まで。

(1)P.ブラトリンガー『パンとサーカス』(勁草書房、1986年)*3600円2000円

(2)フランソワ・ペルー『疎外と工業社会』(紀伊国屋書店、1971年)*600円300円

(3)山中正剛・石川弘義「戦後メディアの読み方」(勁草書房、2001年)*2800円1500円

(4)尾崎秀樹『大衆文化論』(大和書房、1966年)*440円500円

5限の卒論演習は、Mさん「日本におけるクラシック音楽」と、Iさん「電車内空間での逸脱行為」の報告。6時半までやって、7時から高田馬場の「弁慶」でコンパ。参加者は私を含めて11名で、一人一人改めて自己紹介をしていたら、各人それぞれに面白いエピソードをかかえていて(たとえば、「仮面ライダー」の主役の三次オーディションまで行ったM君や、調査実習の報告書の原稿締め切り間際に失踪事件を起こしたもう一人のM君や、なぜか幸薄そうな男性を好きになってしまうIさんや、実は私もそうなのとIさんに共感するMさんや、幸薄そうな男性っていうのはたとえばいまここにいる男性でいうと誰? と2人に何度も尋ねるY君や・・・・)、自己紹介だけであっという間に2時間が経ってしまった。なかなか楽しい会だった。

 

5.15(土)

 梅雨の走りに入る前の、最後の晴れ間らしい。午後、散歩に出たとき、財布をジャケットの内ポケットに入れるのを忘れてしまい、100円ショップで文房具を購入してようとして、レジに並んでからそのことに気づいた。数百円の金がなくて、品物をすごすごと棚に戻していく気分というのは、切ないものである。たとえ何かを買う予定がないときも、散歩に財布は欠かせない。これ、人生と同じである。

佐藤正午の小説『ジャンプ』(光文社)を読む。最近、ネプチューンの原田泰造主演で映画化された作品だが、だいぶ前に、「『本の雑誌』が選ぶ2000年度ベスト10−第1位」という帯に惹かれて購入して、そのままになっていた。話の舞台(発端)は、『砂の器』と同じく、蒲田である。主人公の彼女のマンションが蒲田にあるのだ。

 「蒲田駅に着いたのは夜十一時から十二時の間だった。それくらい僕の記憶は不確かなものだし、その夜の僕の酔いはすでに脚に来ていた。『だいじょうぶ?』とそばに寄り添ってガールフレンドが囁いてくれた。蒲田駅の寂しい方の出口から外へ出て、第一京浜にかかる歩道橋を渡りながら、南雲はるみは(それが僕のガールフレンドの名前なのだが)、何度も何度もおなじ囁きを繰り返した。」

 一般の読者であれば、別にどうということない文章であろう。しかし、蒲田の住人である私は、「ん?」と立ち止まってしまう。「蒲田駅の寂しい方の出口から外へ出て、第一京浜にかかる歩道橋を渡りながら」という箇所が理解できないのだ。蒲田駅には東口と西口がある(私の家は西口にある)。「寂しい方の出口」とはどちらの出口のことなのだろう。蒲田は東京の場末ではあるが、駅前の情景は東口も西口も「繁華街」という言葉で表現して何ら差し支えないもので、「寂しい方の出口」という表現は馴染まない。この小説の主人公(あるいは著者)は新宿か渋谷の駅前の雑居ビルにでも住んでいるのだろうか。また、「第一京浜にかかる歩道橋を渡りながら」という箇所もわからない。蒲田駅から第一京浜すなわち国道15号線までは普通に歩いても10分以上はかかる。まして主人公は酔っぱらっている。「蒲田駅の寂しい方の出口から外へ出て、第一京浜にかかる歩道橋を渡りながら」という記述には、蒲田駅から第一京浜までに要した時間が消去されてしまっている。これはずいぶんと杜撰な時間の処理、あるいは空間の歪曲ではなかろうか。・・・・しかし、疑問はすぐに解けた。この蒲田駅というのは、JR京浜東北線の蒲田駅のことではなくて、京浜急行の京急蒲田駅のことだったのだ。なんだ、そうだったのか。しかし、蒲田駅といったらJR蒲田駅のことなんですけどね、地元では。いや、地元といってもそれはJR蒲田駅周辺のことで、京急蒲田駅周辺ではそうではないのかもしれない。社会学者たるもの、エスノセントリズム(自民族中心主義)には注意しなければ。

 

5.16(日)

 ♪雨がしとしと日曜日〜、といえばザ・タイガースの『モナリザの微笑』(1967年)であるが、日曜の昼間、ベランダに出て、しとしと降る雨をながめていると、時間がゆっくりと流れていく感覚がある。ヒートアップした都市の日常生活を雨がクールダウンしてくれるせいかもしれない。雨の中を仕事に出かけるのは憂鬱だが、休日の雨は嫌いではない。外出などせず家で休んでいなさいと、神様が言っているような気がする。「アーメン」から「雨」を連想するのは、私だけでしょうか(代田ひかるの口調で)。

 

5.17(月)

 蒸し暑い一日だった。昼食のサンドイッチを「鈴木ベーカリー」に買いに行ったら、また「本日休業」の張り紙が出ていた。家族に体調の悪い人でもいるのだろうか。さて、どうしようと少し考えて、近くのステーキハウスに入った。昼食に肉を食べるのはひさしぶりである。蕎麦やスパゲッティーやピザの昼食と違って、腹持ちがよく、夕食まで間、途中で一度も空腹を感じなかった。980円の薄い肉とはいえ、さすがにステーキだけのことはある。

 雑用の合間に『ジャンプ』を読み終える。うん、面白い話だった。失踪した恋人を探す男の話だが、村上春樹の『ねじまき鳥クロニクル』をどこか彷彿とさせるところがある(あちらは失踪した妻を探す話だった)。佐藤正午も村上春樹に勝るとも劣らないストーリーテラーである。あちこちに張られた伏線が最後に一つの物語として収斂していく手際は実に見事だし、主人公とさまざまな登場人物の間で交わされる会話も洗練されている。ただし、『ジャンプ』には『ねじまき鳥クロニクル』のような、モンゴルの平原で人間の皮を生きたまま剥ぐ場面や、オカルトチックな場面はない。村上春樹の世界をあくまでも世俗的というか、形而下的な世界で展開したら佐藤正午の世界になるのではなかろうか。そんな気がする。

 ところで、映画の方はどうしよう。これまで、先に小説(原作)を読んでから映画を観て、よかったという経験がほとんどないのだ。だから今回も止めておこうかと思う。ちなみに主人公の三谷純之輔は、映画では原田泰造が演じているが、小説を読んでいるときの私の頭の中では、途中からユースケ・サンタマリアに替わっていた。

 

5.18(火)

午前、社会学専修の教室会議。7月21日(水)に3年生を対象に「卒論ガイダンス+懇親会」を実施することが決まる。3年生は夏休みが明けるとすぐに卒論計画書という書類を事務所に提出しなくてはならないのだが、毎回、付け焼き刃なものが多く、事前のガイダンスが必要であろうということになり、今年から実施することになった。ついては、日頃、調査実習のクラス単位で固まってしまっている傾向の強い3年生がせっかく一堂に会する機会なのだから、ガイダンスの終了後、懇親会をやろうということになった(自分の卒論のテーマを教員に相談する機会でもある)。ガイダンスは教室でやるとして、懇親会はどこでやろう。全員参加したら100人規模の懇親会になるから、会場探しは一苦労かもしれない。

 午後、教授会。いつもと同じような顔ぶれが、いつもと同じようなことを喋っている。しかし、「挑発的な発言は、それが似合う人と似合わない人がいる」というK先生の言葉は、本日一番の名言であった。メモ帳に書き留めておこうと思う。

 「社会学研究9」の講義記録(4)をアップロードする。

 

5.19(水)

 3限の「社会学研究9」は、ワイヤレスマイクの電池がなくなりかけていて、交換用の電池もなく、しかたがないので地声を張り上げて講義を行った。いつもの1.5倍くらいの疲労感。

昼食は「メーヤウ」に行く。本日のタイムサービス(750円→600円)のカリーは、ちょうど食べたいと思っていたタイ風レッドカリーだった(ラッキー!)。「メーヤウ」の一番人気はタイ風レッドカリーよりもワンランク辛いインド風ビーフカリーのようだが、私はタイ風レッドカリーが一番味わい深いと思う(ナンプラーを小さじ2杯加えるとさらに味わい深くなる)。

 5限の調査実習は、前期の活動(戦後の身上相談の分析)のためのグループ分け。25人を5班に分けるので、1班5人ずつだが、性別構成も考慮しないとならないので(考察にジェンダー的偏りが生じるのを避けるため)、それが少々やっかい。女子学生16人、男子学生9人と男子の方が稀少なので、男子は1つの班に2人までという制限を設定した上で、各自が所属する班の希望を募る。案の定、人数も性別構成にも偏りが生じたが(定位家族班と結婚家族班に女子学生が集中してしまったのである)、私の巧みな説得(あるいは誘導)と、学生たちの分別ある思慮(あるいは自己主張の弱さ)によって、それほどもめることもなく、おさまるべきところにおさまった。

 疲れていたのであろう、帰りの地下鉄で居眠りをしてしまい、大手町を3つ乗り越して門前仲町まで行ってしまった。やれやれ。日本橋まで戻り、銀座線に乗り換えて新橋まで行き、そこでJRに乗り換えた。いつも思うのだが、東京の地下鉄は地方からやってきたばかりの人の目には迷宮のように見えるのではなかろうか。帰宅すると、妻が私に、「明日、築地に行く用事があるのだけれど、日比谷線の東銀座で降りればいいの?」と聞いてきたので、質問の意図がよくわからず、「隣の駅が築地なのになぜわざわざ1つ手前の駅で降りるの?」と逆に尋ねたら、「えっ、築地っていう駅があるの?!」ときた。これでも彼女、東京の生まれである。

 

5.20(木)

 午前中、自宅に某家庭教師派遣会社のYと名乗る男から電話がかかってきた。私が出ると、「子(娘の名前)さんはいらっしゃいますか」と言う。もう大学に出かけたと答えると、「では、御伝言をお願いできますか」というので、何かと聞くと、「時給2000円の家庭教師のアルバイトがあります」とのことだった。なぜ私の家の電話番号を知っているのかと尋ねると、「子さんご自身が登録用紙に書かれたのです」とのこと。登録用紙? どこで書いたのかと重ねて尋ねると、「大学です」という。大学? はは〜ん、そういうことか・・・・。念のために、そちらは大学と関係のある組織なのかと尋ねたら、「いえ、大学とは関係ありません」と正直に答えた。私の応対が冷たかったためだろうか、そのYと名乗る男は、「また電話します」ではなく、「関心がおありでしたら、この番号にお電話下さるようお伝え下さい。・・・・」とフリーダイヤルの番号を言って、電話を切った。夜、娘に聞くと、授業初日、30代くらいの男女3人組が教室にやってきて、家庭教師や塾の講師や就職セミナーの情報を紹介するから登録用紙に必要事項(氏名、住所、電話番号、メールアドレスなど)を記入して下さいと言って用紙を配って、回収したのだという。彼らのことを何者か疑わなかったのかと尋ねると、「大学の許可を得てやっているのだろうと思った」という。ふ〜む、そんなことがあるわけないではないか。早稲田大学では、今年、同様の行為をやっていた連中が、建造物侵入の現行犯で逮捕されたのである。入学式のときにそういう個人情報を集める連中に注意するよう言われなかったのかと尋ねると、「宗教団体についてはずいぶんうるさく言われたけど、家庭教師派遣業者については何も言われなかった」とのこと。ガードが甘いな。念のため、インターネットで調べたところ、件の家庭教師派遣会社は、たんに家庭教師を派遣するだけでなく、むしろそれはダミーで、家庭教師の派遣先の親に何十万円もする教材(参考書・問題集)を売りつけて利益を得ているらしいことがわかった。要するに、家庭教師に雇われた学生は、そうしたぼったくり商法の片棒を担がされるわけだ。娘には、明日大学に行ったら、学生部の窓口に行って、これこれしかじかのことがあったと報告しておくように言う。もし窓口の対応が事態の重要さに気づいていないようであれば、元学生担当教務主任の私としては、担当者に電話をして、迅速な対処(大学として件の家庭教師派遣会社に強く抗議し、登録用紙をすべて回収するとともに、学生に注意を呼びかける)を求めるつもりだ。

 

5.21(金)

 昨日の話の続編。娘の大学の学生部のN課長と電話で話す。授業初日に某家庭教師派遣会社の3人組が教室に侵入して学生たちの個人情報を収集していた事実は知っていたという。当日、その不審な3人組が構内を歩いているところを捕まえ、持っていた登録用紙を回収したそうだ。そうか、それはよかった。しかし、それならなぜ昨日私の家にその業者から電話がかかってきたのだろう? 何枚回収したのかと尋ねると、「3枚です」とN課長が答えたので、唖然とした。たったの3枚! 彼らは善意のボランティアではないのである。おそらく登録用紙1枚につき100円の歩合制で雇われているアルバイトである(3人のうち1人は正社員である可能性もある)。わざわざやってきて、3人で3枚なんてことがあるわけがない。実際、娘のいた教室だけでも数十人の学生が登録用紙に記入していたという。百枚単位で集めているはずである。私は小さく溜息をついてから、登録用紙を3枚回収して、それからどうしたのかと尋ねた。「二度とこういうことをしないよう、厳重に注意して帰しました」とN課長。・・・・(絶句)。近所の悪ガキが花壇に入ってチューリップを引っこ抜いちゃったという話ではない。学外者が教室に侵入して学生から個人情報を収集したのである。これ、立派な犯罪である。なぜ警察に引き渡さなかったのか。もしや3人の中にそちらの学生がいたのか(だから警察沙汰にしなかったのか)。「いえ、3人とも学外者でした」とN課長。「彼らが言うには、はじめ校門の外の路上で登録用紙を配っていたのだが、なかなか記入してもらえなかったので、ついキャンパスに入ってしまったそうなんです」。・・・・(絶句)。そんな言い訳を真に受けるとは、さすがにキリスト教系の大学の学生課長である。まず人を信じること。すべてはそこから始まるのであろう。たまたま彼らは授業初日にやってきた。そして、つい魔が差してキャンパスに入ってしまった。そしてたまたま入った教室がまだ右も左もわからない1年生が受講生の多数を占める一般教養科目の大教室であった。しかも彼らが教室に入った時間帯というのが、たまたま、学生たちはすでに教室にそろっているが、教員はまだ来ていない、ほんのつかの間の、個人情報を集めるには一番効率のいい時間帯であったと。う〜ん、多摩川のタマちゃんもびっくりの「たまたま」の連続ですな・・・・って、そんなわけないでしょ! 彼らは事前にそちらの大学の大学歴と時間割と教室の配置図を入手した上で、3人一組で、分刻みで行動しているのである。「ミッション・インポッシブル」のトム・クルーズみたいな連中なのである。もちろん大学関係者に捕まった場合の対策も用意してある(収集した登録用紙の一部を返却し、ついキャンパスに入ってしまいました、もう二度といたしません、ごめんなさいと、打ちひしがれてみせればよい)。N課長、あなたはアマチュアで、向こうはプロだ。あの大学はたとえ捕まっても警察沙汰にはしない大学だ、甘ちゃんの大学だ、という情報は彼らの業界に行き渡るであろう。そして来春、新年度の授業初日、今回に倍する便所ハエみたいな連中が群れをなしてキャンパスにやってくるであろう。それを防ぐ方法は一つしかない。いまからでも遅くないから、某家庭教師派遣会社に電話をして、3人組の氏名を言って、おたくの社員が違法な手段で入手したうちの学生たちの登録用紙をすべて返却せよと迫ることである。同時に、学生たちに告示を出して、訳もわからないままに某家庭教師派遣会社の登録用紙に個人情報を書いて渡してしまった者は学生部に名乗り出なさいと呼びかけることである。大切なことは、そういうリアクションをする大学であるということを世間にアピールすることである。そうすれば、あの大学は手強いぞということになり、便所のハエどもは近づき難くなる。ちなみに、今日、娘が学生部に事件の報告に行ったところ、N課長が応対に出てくれたまではよかったが、「ああ、その件ね」と言った後、「で?」と娘に尋ねたそうだ。

 

5.22(土)

 一昨日、昨日の話の続編。N課長の応対に心許なさを感じた私は、今日、都心にある本校舎の学生課に電話を入れ、応対に出たY氏に、事件の経緯を説明し、大学としてしかるべきアクションを起こしてほしい旨を告げた。Y氏はこの件を学生部長に伝えてしかるべく対処したいと答えた。課長レベルから部長レベルに案件が持ち上がるのは前進である。しかし、ここで、よろしくお願いしますと言って電話を切ったのでは、中途半端である。組織を相手にするときには、もう一押しが必要である。「ところで、先日、6月5日の保証人会定期総会のご案内をいただいたのですが・・・・」と私は切り出した。「議題は決算報告、予算審議、役員改選などとありますが、保証人の一人として今回の事件について発言したいのですが、そのような機会は与えていただけますか。」Y氏は、ちょっと困惑気味に、限られた時間ですが、保証人総会ですから出席された保証人の方が発言することはもちろんできます、と答えた。「であれば、ぜひ発言したいと思います。保証人会の役員の方々はおそらく今回の事件についてご存じないでしょうから、事件の経緯についてお話させていただいた上で、大学としてどのように対処したのかを質問したいと思います。いきなりこのようなことを質問して、学生部の面目を潰すようなことになっては申し訳ありませんので、事前に申し上げておきたいと思います。すでにかくかくしかじかの対処をしたのでご安心下さいとお答えいただければ、総会に出席した保証人の皆さんも、驚きはするでしょうが、安堵もされるでしょう。総会まであと2週間あります。どうかよろしくお願いいたします。」・・・・これ、ほとんど脅しである。総会屋の手口である。自分のちょっと芝居がかった言い回しに、思わず苦笑すると、Y氏も電話の向こうで苦笑した。

 

5.23(日)

高橋源一郎『一億三千万人の小説教室』(岩波新書)を読んだ。いわゆる「小説の書き方」という類の本から連想されるようなこと(たとえば、筋の組み立て方とか、会話の書き方とか)についてはまったく触れられていない。ただひたすら文章と戯れる方法(あるいは心まがえ)について論じた本である。小説を書きたいという欲求をもつ人は、たいてい小説を読むことが好きだ。好きが高じて、消費者であることに飽きたらず、生産者を志すのである。私も少年の頃、小説を書いてみたいと思ったことがあった。しかし、書けなかった。いま思うに、私は小説を書きたかったのではなくて、実は、文章を書きたかったのだ。当時読んでいた文章の大部分が小説であったために(それ以外の文章は少年には難解だった)、小説によって文章を代表させてしまっていたに過ぎないのだ。もし子供でも面白く読める社会学の本を読んでいたら、私は10年早く社会学者(社会学的な文章を書く人)を志したかもしれない。面白い文章とは、何か面白いことが書いてある文章ではなく、何かを面白く書いてある文章である。文章の魅力とは文体の魅力にほかならない。『小説教室』の主張は、魅力的な文体とたっぷりと戯れ、その文体を模倣しなさいということにほぼ尽きるが、最後に、「自分のことを書きなさい。ただし、ほんの少しだけ、楽しいウソをついて」というアドバイスが添えられている。

『小説教室』と楽しく戯れた後、もっと彼の文体と戯れたくて、書庫から『文学がこんなにわかっていいかしら』(福武文庫)を取り出してきて、「蓮實先生の大著を論ず」の章を読んだ。「蓮實先生」とは蓮實重彦のことで、「大著」とは『凡庸な芸術家の肖像 マキシム・デュ・カン論』のことである。高橋は、蓮實節をちょっと真似た文体で、「大著」の二重の迂回性(マキシムの人生の迂回性と、蓮實がマキシムの人生を記述する方法の迂回性)や、蓮實の「大著」とマルクスの「大著」(『資本論』)の類似性(「これはわれわれ自身の物語なのである」という著者たちの呟き)を指摘してみせる。舌を巻くしかない芸で、小説と文芸評論という2つのジャンルで一流の域に達している稀有の例である。小説を読まなくても小説は書けるが、文芸評論は書けない。実際、高橋の読書量は凄まじい。

「私はこの四十年ほど、ほとんど毎日、小説を読んできました(小説だけではありませんが)。あらゆる時代のあらゆる小説を。そして、結局、小説を書くことを職業に選んだのですが、ただ小説を書くだけでは満足できなくなったのでした。/小説を書きながら、相変わらず、他の作家の書いた小説をどんどん読み、また、ただ読むだけでは満足できず、この小説はどう書かれているんだろう、と何度も読み返し、古い時計を分解するように細かい部品まで分解して、一つ一つの部品を点検し、それから同種の他の小説とチェックしたりしました。/どうやったら、その小説のような小説が書けるようになるのか、自分でそっくりに書いたりもしました。/そして、その小説家のことがわかったと思うと、また別の小説家の小説を読み、点検し、分解し、それから再び組み立て、また別の小説家に向かいました。/(中略)そんなことをやっていておもしろいのか、あるいは、そんなことをやっている暇があったら、自分の小説を書いたらどうかといわれても、止めることができない。/それは、小説というものがあまりにおもしろいものだからです。」(『小説教室』「少し長いまえがき」より)

 何かを面白いと感じられることも一つの才能である。戯れるという行為にも才能が必要なのだ。その点において、高橋は天才である。福田和也が『作家の値打ち』(飛鳥新社)という本の中で、高橋のことを「現在の日本文学のみならず、文化全体の『疲弊』と『不毛』を象徴する存在である」と酷評しているが(ただしデビュー作『さようなら、ギャングたち』については「文句のつけどころのない現代文学の傑作」と評している)、こうしたものの言い方は、一体、どこから来るのだろうと不思議に思っていたが(まさか私生活でひと悶着あったんじゃないだろうね)、ここに来て、ようやくわかった。この「ひと月百冊読み、三百枚書く」売れっ子の文芸評論家にとっては、書くことはもちろん、読むことも仕事である。しかし、高橋にとっては、読むことも、書くことも、遊びである。楽しくてしかたがないのだ。福田はその高橋の文章と戯れることの才能に嫉妬している。その嫉妬があまりに激しいために、嫉妬の対象そのものを否定して、自分が嫉妬していることを忘れようとしているのだ。おそらく高橋の戯れが小説の範囲にとどまっている間は、福田もそれほど嫉妬せずにすんでいたのであろうが、高橋が『文学がこんなにわかっていいかしら』(1989年)や『文学じゃないかもしれない症候群』(1992年)によって文芸評論でも脚光を浴びるようになったのがいけなかったのだ。論壇という制度の中で江藤淳の後継者をもって自他ともに任じる福田にとっては、高橋の遊び半分の(いや、遊びそのものの)文章がもてはやされるという事態は、「作家・文化人を極度に甘やかし、軽佻さを善しとした時代の科(とが)」として決して許すわけにはいかないのである。

 

5.24(月)

 階下に住む今年81歳になる私の父親は居眠りばかりしている。居間の座椅子に座っているときは無論のこと、劇場や映画館のシートでも眠るし、法事の最中にも眠る。最近では食事中にも眠る。そのうち歩きながら眠れるようになるかもしれない。あまりに居眠りばかりしているので、母親が呆れて、昔懐かしい映画なら眠らないのではないかと考え(やはり眠ると思いますけどね)、書庫にある小津安二郎のビデオで何か適当なものはないかと私に聞いてきたので、『早春』(昭和31年)なんかがいいんじゃないかと(当時の蒲田駅が出てくるので)、ビデオの再生の仕方を教える。昔の映画はたいていそうだが、最初に配役が紹介される。「みんな死んじゃったな・・・・」と父親。「主演の池部良や岸恵子や淡島千景なんかはまだ死んじゃいないよ」と私。「この間、三橋達也が死んだときに、淡島千景がTVに出てたんだけど、すっかり老人になっていたんで驚いた」と母親。「そりゃあ、そうだよ。淡島千景って、お父さんやお母さんと同世代でしょ」と私。死んだとか、年取ったとか、どうも映画の見方が後ろ向きでいけない。後から、『早春』の感想を父親に尋ねたら、「短い映画だったね」と言った。144分の映画だから、決して短くはないはずなのだが、途中で居眠りをしていたに違いない。もっとも私も人のことは言えない。寝不足気味で、昼食の後、居間のソファーで何も掛けずにうたた寝をしていたら、どうも風邪を引いたようである。

 

5.25(火)

 近所の内科医でいつもと同じ抗生物質と消炎剤を処方してもらう。市販の総合感冒薬は効いているのかいないのかわからないが、こちらは効き目がすぐに出る。

 このところ、夕食の後、TVで男子のバレーボールの試合(オリンピック最終予選)を観ることが多い。これは完全な録画放送ではないものの、TVが第三セットをやっている頃には、すでに決着がついていて、インターネットで結果がわかってしまう。手に汗握る試合のときは、結果がわかってしまっては興ざめなので、知らない方がいいのだが、ついついパソコンのスイッチを入れてしまう。そして、2−3のフルセットで敗れたことを知って、がっかりする。TV画面の中の、飛び跳ねる選手たちや、熱狂的な声援を送る観客たちを見ながら、「彼らは自分たちの1時間後を知らないのだ」と思うと、不思議な感じがする。で、ここでTVのスイッチを消したらよさそうなものだが、たいてい私は最後まで観てしまう。どういうふうに負けるのかを見届けたいという一種自虐的な気分になるのであるが、最終セット、4−1といきなり日本がリードしたりすると、もしかして結果が覆るのではないかと(一瞬だが)考えてしまったりするから、不思議である。

 

5.26(水)

 文学部のスロープを上っていくと、去年の調査実習ゼミの学生だったY君とM君がいた。M君はすでにY新聞社から内定をもらっているが、Y君の方はどうなのだろう。今日はラフな服装をしているので、もう内定が出たのかいと聞いたら、「はい、T印刷から内定をもらいました」というので、おめでとうと握手をする。M君が言うには、うちのゼミはもう大体みんな内定をもらっていて、それもいいところばかりですとのこと。ホント? それは優秀だ。もともと優秀な学生が集まったのだろうか、それとも一年間のゼミの活動が優秀な学生を育てたのだろうか・・・・と言ったら、二人とも笑っていた。笑いは私の台詞の後半に生じたから、彼らは前者だと思っているようだ。人は真実になかなか目がいかないものである。

 

5.27(木)

 今日の二文の基礎演習の時間に、デュルケイムのいう「社会的事実」について説明したのだが、そこで「社会的事実」の代表的例として言葉を採り上げた。言葉は個人に対して外在的で(はじめから言葉を知っている人間はいない)、かつ強制力をもっている(「禁煙」の張り紙のある場所ではタバコを吸ってはならない)。言葉を学習することによって、われわれはものを考えられるようになり、他者とコミュニケーションができるようになる。別の言い方をすると、特定の言葉を学習することによって、われわれは特定の仕方で世界を認識するようになる。たとえば、日本人の耳には犬はワンワンと吠え、鶏はコケッコッコーと鳴いているように聞こえるが、アメリカ人の耳には犬はバウバウと吠え、鶏はクックドゥードゥルドゥーと鳴いているように聞こえる。日本人の目には虹は七色に見えるが、アメリカ人の目には虹は六色に見える。これは両者の聴覚や視覚の器官的違いによるものではなく、人間と世界との間に置かれた言葉というフィルターの違いに由来するものである。・・・・・と話を展開しようとしたのであるが、虹の色のところで話が一時停止してしまった。「虹の七色って何?」と学生たちに尋ねたのだが、こちらが期待したような答えが返ってこないのである。「赤、青、黄色・・・・」、「それから?」、「黄緑?」、「黄緑は七色に入ってない。緑だね。それから?」、「紫?」、「そうそう。それから?」、「オレンジ?」、「オレンジね。いいけど、日本語で言おうよ。」、「・・・・」、「橙(だいだい)色って言うんだ。オレンジデイズ、橙色の日々。では、最後の一色は?」、「白?」、「白! 初めて聞いたね。正解は藍(あい)色だ」。・・・・これは一人の学生と私とのやりとりではない。一人でちゃんと答えられる学生がいなかったので、複数の学生とのやりとりをつないだものである。う〜ん、と私は思わず唸ってしまった。「虹の七色」(外側から並べると、赤、橙、黄、緑、青、藍、紫)は、私にとっては「社会的事実」、すなわち一種の制度なのだが、学生たちにとってはそうではないのかもしれない。「藍」が最後まで出てこなかったというのは、たんなる偶然ではないだろう。アメリカ人の目に虹は六色に見えるといったが、それは彼らが「青」と「藍」を別の色として見ないからである。「藍」は「deep blue」あるいは「indigo blue」と言うが、要するに「濃い青」のことであり、「青」に含まれる。おそらく学生たちの視覚もアメリカナイズされているのであろう。もしかしたら彼らの世界では鶏もクックドゥードゥルドゥーと鳴いているのかもしれない。

 

5.28(金)

 大学院を休学して、昨年末からカナダの大学へ留学中のAさんが一時帰国したので、3限の大学院の演習の後、「カフェ・ゴトー」で会う。ほどよく日に焼けて、顔の色つやもよく、元気そうである。グレープフルーツジュース(Aさん)とパイナップルジュース(私)で再会の乾杯。同級生のAさん、I君もやってきたので、それぞれケーキと飲み物を注文する。半年前の歓送会もここでやったのだが、その日はちょうど卒論の提出日であったため、店内は大変な混雑で、ケーキもほとんど残っていなかったのだが、今日はよりどりみどりである。私は焼きたてのアップルパイを注文した。直前までベイクドチーズケーキを注文するつもりだったのだが、店員さんに「いまアップルパイが焼き上がりました」と言われ、「焼きたて」という言葉に弱い私は、瞬時に宗旨替えをしたのである(そのほかに私が弱い言葉に「・・・・始めました」がある)。四方山話で盛り上がっているうちに5限の始まる時刻になったので、3人を残してお先に失礼する。Aさんは8月末まで日本で何かフルタイムの仕事をして学費を稼ぐそうなので、近いうちにまた会えるであろう。

 5限の卒論ゼミで、一つの実験が行われた。われわれのメンバーの一人であるM君は女の子を下の名前で呼ぶことができない(という話をH君から聞いた)。たとえば白鳥麗子さんのことを、「白鳥」とは呼べても、「麗子」、「麗子さん」、「麗子ちゃん」とは呼べないのだという。名前を構成する姓と名のうち、姓は公的で、名は私的なパーツであるから、それほど親しくない女の子を下の名前で呼べないというのは普通の感覚だといえるが、しかし、M君の場合は、親しく付き合っている女の子に対してもそうなのだという。相手のことをずっと「君」と呼んでいたのが原因で(というのはM君の解釈だが)彼女と別れたことがあるらしい。ふ〜む、それはちょっと問題であろう。そこで(何が「そこで」なのか?)、今日のゼミではM君には内緒で一芝居打つことにした(M君が定刻に遅れたので、彼を待っている間に皆で打ち合わせをしたのである)。報告の後のディスカッションのときに、ゼミの女の子(3人いる)のことを下の名前で呼ぶことにしたのである。もちろん私も例外ではなく、普段は「Mさん、あなたの意見は?」と言うところを、今日は「かおり、君はどう考える?」と言うのである(みんな、思わず吹き出しそうになるのを、ぐっと堪えている)。心理学ではこの種のイタズラ、いや、実験はよく行われていて、たとえば、スクリーンに2つの黒点を映して、どちらが大きいかを尋ね、明らかに左側の黒点の方が大きいのに、自分以外の全員が右側の方が大きいと回答するという状況に置かれると、自分の視覚がおかしいのかと疑心暗鬼になり、あるいは左側の方が大きいとは思いながらも、仲間外れになりたくないので、右側の方が大きいと答えてしまうことがある。さて、はたしてM君は集団に同調してゼミの女の子を下の名前で呼んだであろうか。・・・・ディスカッションは30分ほど続いたが、M君は最後まで、一人だけ、ゼミの女の子を姓で呼び通した。ある意味、見事である。ディスカッション終了後、私はいまの実験についてM君に種明かしをした(この種の実験を行う場合には、必ず実験の直後に種明かしをしなければならない)。M君は、「そうだったんですか・・・・そんなに違和感はありませんでした」と言った。「私がMさんのことを『かおり』って呼んだことも?」と尋ねると、「あっ、そのときは、『あれっ?』と思いました。もしかしてお二人はそういう関係なのかなぁと・・・・」と答えたので、一同爆笑。「ところで先生は奥様のことを何と呼んでいるのですか」と別のM君から聞かれたので、「幸子と呼んでいる」と答えた。結婚前からそうであったと記憶している(妻は私のことを「孝治さん」と呼ぶが、付き合い始めた当初は、「先輩」と呼ばれていた)。女の子を下の名前でどうしても呼べないM君は、将来、結婚したときに相手のことを何と呼ぶのであろうか。しかし、その頃には、選択的夫婦別姓制度が実現していて、夫婦が互いを姓で呼び合っても不自然ではなくなっているかもしれない。

 

5.29(土)

 散歩に出て、京急蒲田駅の方まで足を伸ばす。先日読んだ佐藤正午の小説『ジャンプ』の冒頭に書かれている、京急蒲田駅から主人公の彼女のマンションまでの道筋を歩いてみる。すでに地図の上で、小説の記述の正確さについては確認済みであるのだが、それとは別に、私には一つ気になっていることがあった。リンゴのことである。

「蒲田駅の寂しいほうの出口から外へ出て、第一京浜にかかる歩道橋を渡り」、「南蒲田のほうへ歩道橋を渡りきり、パチンコ屋の手前で右に折れて、駅前通り商店街に入」り、「南雲はるみに寄り添われてしばらく歩くと、右手にコンビニの明かりが見えてきた」。このコンビニはファミリーマート南蒲田店である。「ファミリーマートの前を通り過ぎ、またしばらくあるいた。商店街の道幅がやや広くなり、やがて今度は左側にコンビニの明かりが近づいた」。このコンビニはサンクス南蒲田店である。「サンクスを過ぎてまもなく左の脇道に入った。それから呑川(のみがわ)という名の川にかかる橋の手前でまた脇道に入ると、すぐこそが南雲はるみの住む五階建ての白いマンションだった。・・・・南雲はるみの部屋は一番上の階の503号室だった」。そのものずばりのマンションは存在しないが(さすがにそこまではね)、モデルになったマンションはたぶんこれだなというのはわかった。で、ここからが問題の場面である。マンションの入り口まで来て、彼女はリンゴを買うのを忘れたことを思い出し、「先にあがって待ってて。駆け足で行って戻って来るから」と言って、サンクスにリンゴを買いに行くのである。しかし彼女はそのまま戻ってこなかった。失踪したのである。

さて、私が気になっていることとは、「サンクスでリンゴを売っているのか」ということである。小説の中ではそういう設定になっている(一週間後、彼女の当夜の足取りを求めて、主人公と彼女の姉がサンクスを訪れ、彼女がリンゴの二個入りパックを購入したことを確認している)。しかし、実際にはどうなのだろう。私がふだんよく利用する自宅や大学周辺のコンビニ(セブンイレブン、am.pm、スリーエフ、ファミリーマート、ローソン)でリンゴを見たことはない。だからリンゴを買いにコンビニに行くという感覚に違和感があるのだ。リンゴは果物屋ないし八百屋(あるいはスーパー)で買う物である。実際、南蒲田の駅前商店街にも小さいが果物屋(八百屋だったろうか?)があり、ランニングシャツに短パン姿の太った男が店先の椅子に座って、TVを観ていた。しかし「蒲田駅についたのは夜十一時から十二時の間だった」という設定になっているので、一般の商店は閉まっている。だからコンビニなのであろうが、買い忘れたのが牛乳かなんかであれば、何の違和感もないところを、リンゴですからね、リンゴ。『ジャンプ』の単行本の表紙は、路上のマンホールの上に置かれたリンゴの写真である。どうしたって山田太一の名作『ふぞろいの林檎たち』を連想してしまう。佐藤正午は私とは一つ違いの1955年生まれだから、山田太一のTVドラマを20代の頃に観た世代である。小説的世界の出来事としては、彼女がサンクスに買いに行ったものは、やっぱり、牛乳やバターなんかではなく、リンゴでなくてはならなかった、という感覚は理解できないわけではない(毎朝リングをかじるのが主人公の日課である、という設定になっている)。

 そうした複雑な思いを胸に、私はサンクス南蒲田店に入っていった。鍵の字型の店内をゆっくりと見て回る。ない。リンゴは置いてない。リンゴだけでなく、そもそも果物や野菜の類が置かれていない。小説の世界と現実の世界はやはり違うのだ。予想していたこととはいえ、私はちょっと落胆した。そして、せめてもの記念として、デザートのコーナーで見つけた「朝食りんごヨーグルト」を1つ購入して店を出た。帰り道、念のために、サンクス京急蒲田西口店も覗いてみたが、結果は同じだった(ここでは「蕗味噌おにぎり」を1つ購入。呑川の橋の上で、川面を眺めながら食べたが、なかなか美味しかった)。やはりサンクスにはリンゴは置いていないのだ。しかし、と私は思った、『ジャンプ』が雑誌(Gainer)に連載されていた時期(1999年1月〜2000年8月)にはリンゴが置いてあったのかもしれない。現在はないからといって、当時もなかったと考えるのは実証主義的ではない。私は帰宅してから、「朝食りんごヨーグルト」のレシートに印刷されているサンクス南蒲田店の電話番号を回した。電話に出たのはアルバイトの青年であった。「ちょっと伺いますが、そちらには果物は置いてありますか?」と尋ねると、近くにいる別の店員に確かめてから、「バナナならありますが」と答えた。そうか、バナナはあったのか。どこに置いてあったのだろう。「リンゴとかはありますか?」と尋ねると、「いえ、果物はバナナくらいしか置いていなくて」と彼は申し訳なさそうに答えた(道楽に付き合わせて申し訳ないのはこっちである)。「以前は置いてあったような気もするんですが、置かなくなっちゃったんですか?」と、一番聞きたかったことを尋ねた。しかし、青年は「以前のことはよくわからないんです」と至極当然の回答をした。「どうもありがとう」と言って、私は電話を切った。もし私が『漱石とその時代』を執筆中の江藤淳であったら、店のオーナーに尋ねるとか、サンクス本社に問い合せるとか、徹底的に調査をするところであるが、今回はこの辺りが潮時である。そういうエネルギーは『清水幾太郎と彼らの時代』のために温存しておかなくてはならない。それよりも「朝食りんごヨーグルト」を冷たいうちに食べることにしよう。

 

5.30(日)

 学芸大学の山田昌弘さんから新著『家族ペット』(サンマーク出版)が送られてきた。「家族ペット」とは「飼い主によって家族同様に愛されている小動物」のことである。先々週の「社会学研究9」の授業で、近代家族について話をしたのだが、そのとき学生たちに「あなたの家族は誰ですか?」という質問をした。家族とは主観的なものであることを例証したかったのだが、そのとき、ペットをあげた学生が何人かいた。近代家族の特徴の1つは、親密性(愛情)の重視である。実際に親密であるかどうかではなく、親密であるべきだという観念である。そうした観念は、家族の外部、すなわち地域社会が都市化し、人々がお互いの生活に干渉しない「冷たい社会」に変貌していく過程で、その反作用として出現したものである。「冷たい社会」と「暖かな家族」。だから現実の家族が「暖かな家族」ではないとき、それは「本当の家族」ではないと感じられる。われわれは自分の家族が「本当の家族」らしく見えるように一生懸命に演技をしなくてはならなくなった。かつて、模範となるべき「暖かな家族」は、テレビのホームドラマの中にあった。しかし、TVドラマも山田太一の『岸辺のアルバム』(1977年)あたりから現実の家族を描くようになり、いまでは、「暖かな家族」はNHKの朝ドラと家庭向け商品のコマーシャルの中にしか残っていない。そんな状況の中で、異彩を放っているのが、「どうする?アイフル!」のCFである。清水省吾演じる初老の男性とペットのチワワ犬「くぅ〜ちゃん」の関係は、現実のペットと飼い主の関係をデフォルメしてはいるが、大方のペットの飼い主から共感をもって見られているのではなかろうか。そう、ペットと飼い主の関係こそ、乳幼児期の親子関係を別にすれば、「暖かな家族」のほとんど唯一の現実的形態なのである。我が家にも「はる」という3歳になる猫がいるが、「はる」を一番溺愛しているのは階下に住む私の母親である。本当は、孫たちが「おじいちゃん、おばあちゃん」と階下に頻繁に顔を出せばいいのであるが、大学生と高校生となるとそうもいかない。そこで縄張りの巡回とカツオ節を目的に毎日階下に降りていく「はる」が孫の代替物となるのである。山田さんは次のように書いている。

 「人々がペットをかわいがる状況は、私がパラサイト・シングルと呼んだ状況と非常に似ている。夫婦が子どものためにお金をかけつづけ、子どもを楽にさせることが、子どもの自立心をそぎ、子どもをスポイルしている。それが大量のパラサイト・シングルを生んでしまった。(中略)子どもにお金をかえるなら、ペットにかけたほうがはるかにいい。なぜなら、ペットはもともと自立しないことを前提につくられた存在だからである。どうせお金をかけて絆を認識するのなら、未婚の自分の子どもにお金をかけてスポイルするより、ペットにかけてほしい。そのほうが結果的に、自立した大人が増える。もしかしたらそれがペット家族の最大の効用かもしれない。家族ペットが不況で暗い日本社会を救う手立てになる。そう考えるのは楽観的すぎるだろうか。」

 ちなみに山田家には「まり」という名前の猫(チンチラと日本猫のミックス)がいる。山田さんが毎朝6時に起きるのは、「まり」に起こされるからだ。主人(あるいは父親)を6時まで寝かせておいてくれるとは、思いやりのある猫である。我が家の「はる」は、私が書斎を出て寝室に入る頃(午前2時から3時の間)、それが合図であるかのように、寝ている妻を起こして、朝食(!)を要求するのである。

 

5.31(月)

 月曜は授業のない日なのだが、今日までに事務所に提出しなくてはならない書類があり、自宅で昼食をとってから大学へ出る。書類の提出をすませて研究室に戻る途中で、二文のA事務長に声を掛けられる。6月1日付けで、本部の総務課に異動されるとのこと。A事務長は4年前に人科から二文に移ってこられ、私が二文の学生担当教務主任をしていた2年間(2000年9月〜2002年9月)、「戦友」として助けていただいた。いろいろなことがありましたねと、しばし立ち話をする。教員の場合は、大学に就職したときの学部に定年まで所属することがほとんどだが(途中で新設学部に移ることはある)、事務の方の場合は、原則として5年以内に次の部署に異動になる。そうやって学内のいろいろな仕事を覚えていくのである。早稲田大学のような大きな組織になると、部署の異動は、普通の会社員にとっての転職と同じくらい、仕事内容ならびに職場の人間関係の変化を伴う。つまりはストレスフルな出来事なのだ。だから今日のA事務長はメランコリックなムーミンのようなお顔になっている(失礼)。お貸ししてあるコンピューターの将棋ソフトで大いに研鑽を積まれて、また私に挑戦して下さい。いつでも二枚落ちからお相手いたします。今回の異動では、文研事務所のKさん、一文事務所のNさん、二文事務所のSさんなども他箇所に移られることになった。いずれも私が大変お世話になった方々である。自分のことを棚に上げて言うのだが、教員にはわがままな人間、ずぼらな人間が多いから、事務の方のご苦労は並大抵ではないであろう。机の上にいつも栄養剤のビンが並んでいるのを見るにつけ、そう思う。書類の提出期限を守り、試験の採点期日を守り、休講はせず、教室のクーラーが作動しなくても、ワイヤレスマイクの電池が切れかかっていても、ホワイトボードのマーカーのインクの出が悪くても、黙々と授業をする、そういう教員に私はなりたい。

 

 

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