フィールドノート0406

 

6.1(火)

 6月に入った。5月中は極力、夏休みのことは考えないようにしていた。考えたいところをグッと堪えるようにしていた。露文の草野先生や美術史の肥田先生から、「早く夏休みにならないかしら」と話しかけられても、相手にしないようにしていた。5月中から夏休みのことを考えるなんて、マラソンランナーが折り返し地点の手前でゴールのことを考えるようなもので、苦しくなるだけである。しかし、6月に入れば話は別である。解禁である。遠い水平線の彼方に「夏休み」号という名前のヨットのマストの先が微かに見えてきた。まもなく空は重くどんよりした雨雲に覆われるが、やがて梅雨は明け、われわれは手のひらを太陽に透かして見ながら、『僕らはみんな生きている』を唱うだろう。

 夜、明日の「社会学研究9」の授業で教材に使う予定の小津安二郎の『一人息子』(昭和11年)を観る。もう何度も観た作品なので、ストーリーよりもディテールに目が行く。とんかつ屋になった大久保先生(笠智衆)が串に肉を刺しながら「ちゅうちゅうたこかいな」と言っている。「ちゅうちゅうたこかいな」は子供がおはじきを、1個ずつではなく、2個ずつ数えるときなどに使う言葉で、「二の四の六の八の十」の一種である。私が子供の頃(昭和30年代)はよく使われていたが、いまはまったく聞かなくなった。いつ頃まで使われていたのだろう(おはじきと運命を共にしたのだろうか)。大久保先生の次男が外から帰ってきて、ベソをかいている。敬礼のときの手を目の高さまで下げて、両手の甲で両目を押さえ、両方の肘は肩の高さに保ったままの、典型的なベソかきポーズである。確かに昔の子供はこういうポーズで泣いたものである。泣くという行為にもちゃんと型があったのだ。いまでは「サザエさん」の中に残るだけである。

 

6.2(水)

 3限の「社会学研究9」で小津安二郎の『一人息子』を観た(ただし時間の関係で全体の3分の2ほど。残りは来週)。映像を流しているときは教室内が暗くなるわけだが、581という教室は出入り口が前(教壇とホワイトボードがある方)にある。つまり映画館とは逆の構造になっている。そのため遅刻してきた学生が入室するたびに、そこから外の明かりが入ってくる。目障りなことはなはだしい。来週、映画の続きを観るときは、入り口の外に「上映中の入場はご遠慮願います」という張り紙を張ろうと思う。そもそも私はこの授業の講義要項に「講義中の入室は授業の妨げとなるので、遅刻することをなんとも思っていない学生の履修は堅くお断りする」と明記している。だから、遅刻する学生は、それを「何とも思っていない」わけではなくて、おそらく「申し訳なく思っている」はずである。しかし、それにしてはその気持ちが入室のときの身体所作にそれほど表れていない気がする。以下に、こういう場合の正しい身体所作について書き記しておく。第一に、ドアはそっと小さく開ける。第二に、みんなの視線が自分に集まってしまった場合には、「あっ」という口をして(声は出さなくてよい)、思わずドアを閉めてしまう。第三に、一呼吸置いて、再びドアをそっと小さく開けて、「遅刻してごめんなさい。でも、どうしてもこの授業が聞きたいんです」という雰囲気を全身に漂わせながら、一礼してから、入室する。第四に、できるだけ前の方の空席に座り、勉学意欲のあることをアピールする。・・・・こんなところであろうか。どうです、面倒くさいでしょ。ならば遅刻しないことです。

 

6.3(木)

 アメリカのシラキュース大学に留学していた社会学専修4年のAさんが研究室に帰国の挨拶に来た。去年の8月上旬、出発前の挨拶に来たときと同じ手土産(プリン)持参である。プリンで始まり、プリンで終わる。もちろん偶然ではなく、意図されたシンメトリーで、気持ちに余裕のある証拠である。留学中の生活のことや、彼女が留守中の調査実習ゼミのことなど、研究室で2時間、文学部前の「レトロ」に場所を移してさらに2時間、合わせて4時間(!)も話をした。Aさんがこちらの授業に復帰するのは後期からだが、「それまでの4ヶ月間は何をして過ごすの?」と尋ねたら、「『家事手伝い』をしながら卒論のテーマに関連した本を読むつもりです」とのことだった。それは素敵なロング・バケーションだ。7限の「社会・人間系基礎演習4」の後、研究室でグループ発表の相談を2件(各1時間)。大学を出たのは午後11時半だった。さすがにしゃべり疲れる。電車の中で高橋源一郎の幻のデビュー作『ジョン・レノン対火星人』(講談社文芸文庫版)を読む。

 

6.4(金)

 3限の大学院の演習を終えてから、「メーヤウ」で昼食。タイムメニュー(600円)の「タイ風グリーンカリー」を初めて注文した。辛さの星印は2個であるが、2.5個の「タイ風レッドカリー」と辛さの違いはほとんどないように思う。むしろレッドカリーの方が大根が入っている分だけ甘みがあるように感じた。次回は、レギュラーメニューのうち最後に残ったインド風野菜カリー(星印1個)を注文してみよう。

 今夜は、私が学生の面談、娘がサークルのコンパ、息子が合唱大会の練習で、それぞれ帰宅が遅くなり、妻は一人で夕食を食べた。専業主婦の妻にとって、初めての経験ではなかろうか。いずれ息子が大学生になったら、そういう日が多くなるのであろう。

 

6.5(土)

 午後、娘の大学の保証人総会に出席。すり鉢状の大教室に四、五百人ほどの大入りである。役員をやっている親たちくらいしかいなかったら張り合いがないなと思っていたのだが、これなら発言のしがいもあるというものだ。近くにいた職員に方に「大久保と申しますが・・・・」と名乗って、フロアーからの発言はどのタイミングで行ったらいいのかを尋ねたら、先方は私のことを知っていて、「この度はいろいろとありがとうございます。用意された議事が一通り終わったところで議長がフロアーからの発言を求めますので、そのときに質問していただければ、学生部長がお答えする手はずになっております」と言われた。なんだか本物の総会屋みたいである。

会長挨拶、学長挨拶、議長選出、会務報告、会計報告、役員改選、新会長挨拶、予算案審議・・・・と用意された議題が淡々と消化され、開会から1時間ほどが経過したあたりで、ようやく出番のときがきた。普段から大きな教室でマイクを使って授業をしているためであろう、緊張して声が上ずるようなこともなく、今回の事件の経緯と問題の家庭教師派遣会社の実態について過不足のない説明ができたと思う(出番を待っている間に配布資料の白紙のページに説明の手順をメモしておいたのである)。フロアーの親たちも、壇上の役員、大学関係者も、強い関心をもって私の話に耳を傾けていてくれる様子が見て取れた。

学生部長の答弁は、衆議院予算委員会で野党の議員の質問に対して役人が準備した答弁を読み上げる大臣の答弁に似ていた。私が2週間前に電話で要請した、(1)今回の事件について学内に掲示を出して学生たちに周知させること、(2)問題の家庭教師派遣会社に対して大学として強く抗議し登録用紙の返却を求めること、この2点はやっていただけた。それについては評価するし、感謝もする。しかし、家庭教師派遣会社に抗議をした際、「学生の親から大学に苦情があった」ことを先方に告げる必要はなかったであろう。学生の親(要するに私のことである)から大学へ苦情があろうとなかろうと、大学の許可を得ずに教室に入って学生たちの個人情報を収集したという違法行為に対して大学は抗議すべきなのである。業者に対して、「あんたらがけしからんことをするから、学生の親から大学に苦情が来た」みたいな抗議の仕方は的外れである。

また、私が電話で要請した2つのことは、やるべきことの最低限であって、最大限ではない。それをやるべきことはやったという感じで答弁されるのはいかがなものか。組織の人間というものはすぐに保身に走る傾向がある。しかし、学生部が守るべきは学生部という組織である以前に学生たちである。私は学生部長にさらに2つのことを要請した。(1)今回の事件の経緯を大学のホームページに掲載すること(学外に対して大学の姿勢をアピールすることで類似の業者が学内に入り込むことを抑止する効果がある)。(2)今回の事件について学生の父母に対しても周知させること(未回収の個人情報が使われて各種の業者から自宅に電話がかかってくる可能性がある)。私の発言に対してフロアーから拍手が起こったので大方の賛同は得られたものと思う。

 私の発言が終わり、別件の発言がフロアーからあった。何を言おうとしているのか論旨の不明な内容であった。周囲や議長から「手短にお願いします」という催促が再三行われたが、当の人物は相変わらずの調子で発言を続けている。どうも昨年の大会でも同じような調子で大学の教育方針か何かについて長々と一席ぶった人物らしいことが察せされた。とうとう議長が、「時間がありませんので、その問題については別の場所でじっくり議論しましょう」と強権を発動して、発言を止めさせた。最初に発言しておいてよかった、と私は思った。もしその人物に最初に発言されていたら、私の発言時間がなくなっていたかもしれない。別の見方をすれば、今回は私の発言があったおかげで、総会は問題の人物の発言を最小限に抑えることができたわけだ。こういうのを「毒をもって毒を制す」というのかもしれない。その後、別の人物が「1分だけ発言させてほしい」と言って、学長の挨拶の内容に対する苦言を述べた。保証人会の内部には私の知らない派閥争いのようなものがあるのかもしれないと思った。そんなものにうっかり巻き込まれてはかなわないので、総会の後の学部別の懇談会や懇親会には出席せずに帰ってきた。

 

6.6(日)

 東京が梅雨入りをした。例年より数日早いらしい。昨日はいいお天気だったので、雨の初日に梅雨入り宣言(のようなもの)を出すとは、気象庁もよほど自信があるのだろう。確かに週間予報を見ると、今週は雨か曇りの日しかない。ならばこちらも箱根駅伝の往路の第5区(山登り)のランナーのように覚悟を決めるしかあるまい。これからの長い苦しい坂道を登り切れば、陽光を浴びてキラキラと輝く芦ノ湖畔のゴールが見えるはずだ。梅雨来たりなば夏遠からじ。

 

6.7(月)

 朝方、激しく雨が降って、それがあがって青空がのぞき、また曇って、雨が降って、それがまたあがって・・・・ということを何度が繰り返した一日。ずっとパソコンの前に座っていた。どこから入ってきたのか、蚊に足を刺される。キンチョールを家中に噴射して歩く。

 娘がサークル(演劇研究会)の練習でこのところ毎晩帰りが遅い。配役が決まったらしい。娘はホームレスの男に恋をするOLの役だという。気になったので尋ねたが、キスシーンはないそうだ。

 

6.8(火)

 午後、会議が2つ(専修・専攻運営主任会と人文専修運営委員会)。専修・専攻運営主任会は毎月開かれるが、人文専修運営委員会というのは年に一度のもので、人文専修と関連の強い他専修に対して人文専修の現状について説明し、意見を求める場である。人文専修卒業生のアンケートの結果が紹介され、その中に、「学生同士が親しくなる機会が少ない」という記述があったので、「学生の関心の多様性を反映して、おそらく演習が個人報告中心で運営されているのでしょうが、グループ報告も導入されたらいかがでしょうか」という意見を述べておいた。

私は人文専修の出身だが、当時(1970年代半ば)の人文専修は現在のような人気専修(定員100名に対して180名以上の進級希望者)ではなく、私の記憶では、人文を第一希望にした学生は定員90名のところ60名ほどしかいかなったのではなかろうか。専修固有の学問領域というものはなく、専修紹介の冊子の中で、学問の海を自由に泳ぐ魅力が唱われる一方で、学問の海で溺れてしまう危険性が強調されていた。専修独自の授業は演習科目だけで、内容は西洋思想と東洋思想の組み合わせで、武藤光朗先生の演習では大塚久雄『社会科学の方法』を、新井靖一先生の演習ではクリステラー『ルネサンスの思想』(原書)を、北村実先生の演習ではヘーゲル『法の哲学』(邦訳)を、原田先生(下のお名前を失念した)の演習では津田左右吉『支那思想と日本』をそれぞれ読んだ(けっこう覚えているものである)。どの演習でも学生は個人単位で割り当てられた箇所を報告し、先生が補足の説明をされるというやり方であった。学生同士のディスカッションもあったのであろうが、そういう情景は記憶に残っていない。そもそも同じクラスの学生で記憶に残っている者は4名しかいない(それも顔が浮かんでくるだけで名前は思い出せない)。天然パーマで博学の男と、冷たい表情をした美人と、普段は寡黙だが『諸君!』に連載中の渡辺昇一のエッセー(後に『文科の時代』というタイトルで出版)の話になると途端に饒舌になる男と、終始寡黙であったが何かのことで(それが何であったかは忘れてしまった)私と意見が一致した男、この4人である。私が非社交的な学生であったことを差し引いて考えても、学生同士の交流の乏しい専修であったと思う。それが人文専修の伝統なのであろう。人文専修は、卒業論文のタイトル一覧を見る限りでは、我が社会学専修ときわめて近い場所にあるように思えるが、そして実際、人文専修に進もうか社会学専修に進もうかと悩む学生は多いようであるが、結局、比較的社交的な学生が社会学専修に進み、比較的非社交的な学生が人文専修に進むのかもしれない。

 

6.9(水)

 朝刊に、夫婦どちらかが50歳以上であれば映画料金がペアで2000円になる「夫婦50割引」というキャンペーンが7月1日から1年間、全国の映画館で始まるという記事が載っていた。私はロードショーは1500円の前売券を買って観るが、すでに女性には毎週水曜日の「レディースデイ」というものがあり、60歳以上の人には「シニア割」があり、ロードショーを1000円で観ることができる。男性である私にとって「シニア割」は歳を取ることの数少ない楽しみの一つである。あと10年と思っていたら、「夫婦50割」の出現である。私は2ヶ月前に50歳になっている。有資格者である。記事には、「窓口で運転免許などを提示して年齢を証明すれば割引となる」と書いてある。私は運転免許所を持っていない。早稲田大学のIDカードでも大丈夫だろうか。TSUTAYAの会員となるときはダメであった。公的なものではないからというのが理由であった(国公立大学の教員はIDカードでOKなのだろうか)。健康保険証も単独ではダメであった。顔写真がないので本人であることが確認できないからというのが理由であった。結局、保険証に水道料金の過去3ヶ月分の領収証を添えて提出し(公共料金を滞納しない真っ当な人間であることを証明して)、会員となることができた。将来、日本学士院の会員になったとしても、TSUTAYAの会員になれたときほどの喜びは感じないかもしれない。ところで連れの女性が妻であることはどうやって証明するのだろうか。まさか戸籍抄本持参というわけではあるまい。内縁の関係(事実婚)はどうなるのかという問題も他人事ながら気になる。おそらくは自己申告なのであろう。映画館としては、連れの女性が妻であろうと、妻以外の女性であろうと、2000円の収入に代わりはないわけだから、本当はどっちでもいいのであろう。

 

6.10(木)

 朝刊に、2003年の合計特殊出生率が発表された。「1.29」である。合計特殊出生率とは15歳から49歳までの女性の年齢別(1歳刻み)の出生率を合計したもので、女性が一生の間に産む子供数の指標として使われている。理論上、合計特殊出生率が「2.0」のとき社会の既存の人口規模は維持され、「2.0」より大きいと人口規模は拡大し、「2.0」より小さいと人口規模が縮小する。日本では、丙午(ひのえうま)であった1966年を別にすると、1975年に初めて「2.0」を下回り、以後、なだらかな下降が続いている。1989年に、丙午のときの「1.58」を下回る「1.57」という史上最低値を記録し、「1.57ショック」という言葉が生まれたが、今回の「1.29」もインパクトの大きな数値である。「1.29ショック」は次の3点に由来する。第一に、「1.3」の大台を切ったこと。第二に、政府が2002年1月に発表した将来人口推計では2003年は「1.32」と予測されていたのにその予測が大きく外れたこと。第三に、今回の発表が年金改革関連法案が参議院を通過した(6月5日)後に行われたことに関して情報操作の疑いがあること。第一の点は、印象の問題に過ぎないが、第二、第三の点は重要である。

 人口推計を担当しているのは国立社会保障・人口問題研究所である。天気予報における気象庁、景気予測における内閣府(旧経済企画庁)のようなところで、将来人口推計に関してはプロ中のプロの集団である。そのプロの集団が、なぜ1年後の推計さえきちんとできないのか。しかもこれは今回に限った話ではなく、将来人口推計は5年ごとに行われるのだが、今回のような事態が毎回続いているのである。ロケットの打ち上げに立て続けに失敗した宇宙航空開発研究機構は、この度、理事長らが厳重注意処分を受け、ロケットの管理責任を剥奪された(メーカーである民間企業に委譲)。しかし将来人口推計のミスについてそのような話は聞かない。それはなぜか。

実は、将来人口推計は必ずしも外れているとはいえないのである。新聞では、予測値(1.32)と実績値(1.29)の違いが強調されているが、「1.32」という予測値は発表された3種類の予測値の中の1つ、中位推計なのである。一般に社会現象は複雑な要因のシステムであるから、将来の推移をピンポイントで予測することは難しい。そこで将来人口推計の場合は、高めに予測した場合の高位推計と、低めに予測した場合の低位推計と、その中間である中位推計の3つの数値を発表している。2002年1月の将来人口推計では、2003年の合計特殊出生率の予測値は、高位推計で「1.37」、低位推計で「1.27」である。つまり2003年の合計特殊出生率の実績値「1.29」は予想された範囲内にあり、その意味で予測は当たっているのである。ただ実績値が中位推計よりも低位推計に近いので、外れたような印象を与えてしまっているのである。それがこのところ毎回続いている。だから、人口学の専門家でないが、人口学と関係の深い家族社会学の専門家の間では、将来人口推計を見る場合、中位推計ではなく、低位推計に着目するのが常識となっている。低位推計に着目する限り、将来人口推計は連戦連勝なのである。であれば、誰でも疑問に思うことは、なぜ国立社会保障・人口問題研究所はこれまでの実績を踏まえて低位推計が中位推計になるような計算方式に切り替えないのかということである。おそらくそうした声は研究所の内部にあるはずである。誠実な研究者ならそうしようと考えるのが自然である。そうすれば、自分の子供が学校で同級生から「おまえのお父さんがやっている予測はいつも外れている」と言って虐められることもなくなるだろう(冗談です)。おそらく何らかの政治的な判断ないし圧力が働いているのであろう。国立社会保障・人口問題研究所は厚生労働省のお膝元に置かれており、調査研究の成果は政策と直結している。もし低位推計を中位推計にスライドした将来人口推計を発表すれば、年金問題に代表される高齢化社会の諸問題について国民の不安や不満を煽ることになる、そうどこかで誰かが判断しているのであろう。そうとしか考えられない。

 今回、2003年の合計特殊出生率の実績値(人口動態統計)は6月9日に発表されたが、昨年、2002年の人口動態統計は6月5日に発表されている。この種の数字は公表の前日に担当者が徹夜して計算するわけではなく、かなり前からわかっていたはずだから、「今年は6月5日は土曜日で官庁は休みだった」云々の言い訳は意味がない。ならば6月4日に発表することもできたはずだ。嘘の数字を発表したわけではないから、狭義の情報操作にはあたらないが、年金関連法案の審議のスケジュールとの兼ね合いで発表のタイミングを遅くしたとすれば(それは十分にありえる)、情報操作の一種といえるだろう。しかし、それよりも、中位推計として妥当性の高い数値を低位推計として発表することの方が、もっと問題とされるべき情報操作である。

 

6.11(金)

 今日は5限の卒論ゼミは中休み。前回で12人全員が最初の報告を終え、次回から第2ラウンドに入る。第1ラウンドでは「私は卒論をこういうテーマで書きたい」という話をしてもらった。もちろんたんに「○○についてやります」というだけではダメで、なぜそのテーマなのか、そのテーマを取り上げることにどういう意味があるのか、そのテーマについてどういう風にアプローチしていこうと考えているのか、ということまで含めて話してもらった。論文の構成でいえば、「主題と方法」に相当する内容である。重要な部分ではあるが、論文に取り組む以上、ここであまりモタモタするようでは困る。幸い全員第1ラウンドはクリアーした。問題は来週から始まる第2ランドである。第2ラウンドでは、問題意識から一歩踏み出して、宣言したアプローチに従って実際に自分なりの研究を開始した、その取り組みの様子や成果を報告してもらう。その報告を聞いて、「うん、この方向でやっていけそうだね」、「少し考え直した方がいいかもしれないな」という判断ないしアドバイスをすることになる。OKであれば規定の方針に従って夏休みに大いに研究を進めてもらう。NGの場合は、夏休みに入る前に、あるいは入ってからすぐに、再度報告をしてもらう。先の見通しが立たないままに夏休みに突入することはしない。私としても夏休みは授業とは関係のないことをしたいので、好んでNGを出すつもりはないが、ダメなものにOKを出すわけにはいかない。学生たちには第2ラウンドは前半の正念場であるから心してかかるようにと言ってある。さて、どうなることやら。

 

6.12(土)

 朝刊に(という書き出しが最近多い)、法制審議会の「人名用漢字の範囲の見直し案」が載っていた。人名用漢字は現在287字だが、今回の見直し案は一挙に578字増やして865字にするというものである。人名用漢字はいろいろと誤解されている。第一に、人名は人名用漢字を使って付けなければならないわけではない。常用漢字(1945字)と平仮名と片仮名以外に人名用漢字も使っていいということである。私の息子は「祐人」(ゆうと)という名前なのだが、「祐」は人名用漢字である。第二に、人名用漢字は必ずしも人名としてふさわしい漢字というわけではない。たとえば現行の人名用漢字には「熊」「猪」「鯉」「鯛」といった獣や魚の名前の漢字が含まれている。苗字に獣や魚の名前の漢字が入っていることは珍しくないが、下の名前にそれが入っている人はいまでは珍しいであろう。当用漢字1850字(1946年に告示され、1981年に廃止された)には含まれていないが、それまで頻繁に人名に使われていた漢字を再び使えるようにする目的で1951年に指定されたのが人名用漢字なのである(当初は92字)。だから、当時は「熊男」とか「鯉子」という名前の人がいたのであろう(山咲千里がドラマデビューしたNHKの朝ドラ「鮎のうた」の主人公の名前は平仮名の「あゆ」であったが、「鮎」も人名用漢字である)。さて、今回の見直し案であるが、578字増というのもすごいが、もっとすごいのは「屍」「糞」「姦」「癌」といった誰がどう見たって人名としてふさわしくない漢字が混じっていることである。なにしろ部会の委員の一人である国立国語研究所の所長までが「個人的には、除外すべきだと思う漢字が四、五十はある」とコメントを述べているのである。ならばなぜそういう漢字が入っているのかというと、人名としてふさわしいかどうかではなく、出版物での使用頻度を重視したためらしい。たしかに「屍」「糞」「姦」「癌」は常用漢字ではないが、よく目にする漢字ではある。しかし、それなら常用漢字の方を追加すればいいんじゃないのかね。なんでわざわざ人名用漢字に入れるかね。以前、自分の息子に「悪魔」という名前を付けて、結局、受理されなかった父親がいたが、「悪」も「魔」も常用漢字であるから、個々の漢字ではなく、2つの漢字の組み合わせ(熟語)が人名として不適切と判断されたのである。ところが、今回の見直し案が通ると、「屍姦」という名前は「悪魔」と同じ理由で不受理となるだろうが、漢字一字の「姦」という名前なら役所は受理せざるをえないわけである。思うに、法制審議会の本当のねらいは、人名用漢字という制度そのものの根元的ばからしさを白日の下にさらして、この制度を撤廃する方向へ世論を誘導することにあるのではなろうか。

 

6.13(日)

 1週間の疲れがたまっていたのであろう、昼過ぎまで熟睡する。いかに深夜は仕事がはかどるとはいえ、午前3時、4時まで起きているのはやはり体に無理が来る。十分睡眠をとった後は、頭もスッキリして、体の切れもよくなる。これですでに夏休みなら言うことはないのだが、いかんせんまだ梅雨の最中である。今週は会議や学生との面談が目白押しである。授業と研究だけしていればよいのなら、給料がいまの半分になってもかまわないと思うが、妻は許してくれないだろう。昔、放送大学に勤務していたころは、給料はいまの半分(よりちょっといいくらい)だったが、他大学の非常勤講師をずいぶんと引き受けていて、その収入はすべて自分の小遣いになっていた(その代わり放送大学からの給料は全部家計に入れていた)。小遣いの額という点からいえば、あれは私の人生の黄金時代であった。早稲田大学に来てからは、多忙になったこともあり、40歳を過ぎて人生の残り時間というものを意識するようになったこともあって、他大学の非常勤講師は一切しないことに決めた(ただし浮き世の義理でどうしても断れないものを除く)。当然、小遣いは減少したが、長年のオーバードクター生活で「清貧の思想」は自家薬籠中のものになっている。一冊の本があれば、あるいは将棋盤と駒があれば、終日楽しむことができる。むしろいま必要なのは、終日本を読むゆとりと、将棋会所に出かける時間である。時間とお金の交換比率は加齢に伴ってずいぶんと変動したものである。お金に関して、いま唯一不満に思っていることは、決められた日に妻が私に小遣いをちゃんとくれないことである。大学の給料日(毎月15日)は私が妻から小遣いを受け取る日でもあるのだが、妻は私が催促しない限り、決して小遣いを寄越さないのである。しらばっくれていれば、私が忘れるとでも思っているのだろうか。とんでもない話である。私がその日をどんなに待ちこがれ、楽しみにしているか、妻は知らないのである。あと2日でまたその日がやってくる。前夜、私は枕元に大きな靴下を置いて眠るつもりだ。

 

6.14(月)

 午後、いくつか片付けるべき雑用があって、大学へ。メールボックスに学生生活課からセミナーハウスの利用の抽選結果を知らせる葉書が入っていた。なんと抽選に外れていた。7月30日、31日の両日、調査実習の合宿を計画していて、鴨川セミナーハウスを第一希望、軽井沢セミナーハウスを第二希望、熱川セミナーハウスを第三希望として申し込んでいたのだが、すべて選外である。こんなことは初めてである(去年は第一希望の鴨川セミナーハウスに当たった)。29日までが前期の定期試験期間なので、それが終わってすぐに合宿という計画だったのだが、困ったことになった。去年、申し込みの時に窓口で確認したのだが、抽選にあたっては、授業の一環として利用するのか、サークルの合宿なのかの利用目的によって優先順位は付けていないということだったので、こういう事態もあるかもしれないと密かに恐れていたのだが、現実になってしまった。しかし、どうしても釈然としないのだが、「セミナーハウス」ですよね。セミナー(演習・研修)のための施設ですよね。それなのにどうして授業の一環としての利用をサークルの合宿よりも優先してくれないのだろう。抽選に外れてしまった以上、いまさらじたばたしてもしかたがないが、来年度以降のこともあるので、文句の一つも言ってやろうと学生生活課に電話を入れたが、話し中だった。きっと同じような文句の電話をかけている教員がたくさんいるに違いないと勝手に想像し、しばらくたってからかけようと思っていたら、忘れてしまった。やれやれ。

 

6.15(火)

 夜の明ける時刻がずいぶんと早くなった。窓から差し込む日射しで、まだ寝足りないのに目が覚めてしまう。午後から大学に出ればよい日は二度寝をするのだが、今日のように午前中から会議のある日は、そういうわけにもいかず、寝不足のまま家を出ることになる。教室会議、教授会、二文の基礎演習のグループ研究の相談、二文の3年生のアドバイザー面談、と用件が途切れることなく8時間続いて、疲労困憊、帰りの電車の中で居眠りをする。

 

6.16(水)

 いま私の財布には千円札が50枚ほど入っている。調査実習のグループ研究で学生が資料として購入した本は実習費から払う(もちろん一定の上限は決めてある)と言ってあるので、その支払いのために昨日銀行で5万円を千円札に両替したのである。千円札50枚というのはかなりの厚みである。で、財布には数枚の一万円札も入っているので、千円札50枚の両側にその一万円札を配置すると、全部一万円札のように見える。カード万能のこの時代に一万円札を50枚も財布に入れて持ち歩いている人間といえば、暴力団の幹部くらいのものであろう。不幸にして、知らない人が見ると、私はその筋の人間に誤解されるような人相をしている(インディアンに似ていると言われることもある)。今日、「五郎八」や「カフェ・ゴトー」で支払いをしたとき、レジの女性は私の財布の中の「50枚の一万円札」を見て(わざと見えるようにしたのである)、一瞬、表情がこわばっていた。この種の悪戯は、私、大好きである。無論、「五郎八」の女将さんや「カフェ・ゴトー」のマスターは、私の正体を知っているから、後日、「早稲田大学の先生の給料はずいぶんといいんですね」と言われると思うが、そのときの返答もちゃんと考えてある。「ええ、使い方がわからなくて、困っています。でも、人生にはお金で買えないものがありますからね・・・・」と、ちょっと寂しげに微笑んでみせるのである。

 

6.17(木)

 東浩紀・笠井潔『動物化する世界の中でー全共闘以降の日本、ポストモダン以降の批評』(集英社新書、2003年)を読んだ。午前中から読み始めて、深夜、日付が変わって2時間ほど経ったあたりで読み終えた。200頁ちょっとの新書なので、一日で読み終えたからといってどうということもないように思われようが、今日は午後から二文の3年生のアドバイザー面談、二文の基礎演習のグループ研究の相談、二文の基礎演習、演習後のクラスコンパ・・・・と終電の時刻間際まで用事が立て込んでいて、その合間をぬって読み続け、読み終えたのである。読み終えずに就寝したくなかったのである。それほど本書は私には面白かった。本書は往復書簡集である。消費社会とポストモダニズムによってもたらされた80年代から90年代への変化を決定的に重要と考える東浩紀(1971年生まれ)と、ポストモダン化はすでに70年代に始まっていた(60年代後半の社会反乱はモダンに対するポストモダンの反乱であった)とする笠井潔(1948年生まれ)との間で交わされた、ギクシャクした往復書簡(合計16信)である。私にはそのギクシャクさ加減が実に面白かった。往復書簡集というものは、相手の顔を立てつつ、そこに自己主張をやんわりと潜ませるという、読んでいてこそばゆい気分になるものがほとんどである。しかしこの往復書簡集は全然違う。話がなかなか噛み合わないことに双方がイライラし、年少者の東が先にそのイライラを相手にぶつけ、一度目は年長者のたしなみでそれをやんわりと受け止めるフリをした笠井が、二度目のストレート攻撃には逆切れして往復書簡の打ち切りを宣言する(実際は続いたのだが)というきわめてスリリングな展開を示すのである。それにしても二人ともよくもあれだけ自分の立場に執着できるものである。ああ言えば、こう言う。意見を異にする二人の人間が、話し合って、歩み寄って、新しい第三の意見で合意するというプロセスは、民主主義的妄想ではないかと思えてくる。ちなみに私には両者の意見とも頷ける部分があったが、どちらかといえば、6歳年上の笠井の意見よりも、17歳年下の東の意見の方が説得的であった。これは自分でも意外だった。

 

6.18(金)

 今週は二文の3年生のアドバイザー面談(初回)を行った。私が担当している学生は5名で、そのうち4名は1年の基礎演習のときの学生である。本当は全員が顔をそろえる場面を設定したかったのだが、スケジュールが会わず、2回に分けて行った。各自の意向を聞いた上で、来月から月に1回のペースで勉強会を開催することになった。

ところで今回、私から学生たちへの連絡はwaseda-netを使って行ったのだが、全員に最初のメールを出したのが5月27日。K君からはその日のうちに返信があり、翌日はYさんから、翌々日にはIさんから返信があった。ここまでは順調だったのだが、あとの2人、M君とSさんから返信があったのは6月6日である。それも、こちらから彼らの自宅等に催促の電話を入れて、ようやくそうなったのである。しかし、アドバイザーの方はまだよい方で、二文の2年生のチューターの方は、4月30日に担当する4名の学生にメールを出したのだが、最初の1人から返信があったのが5月6日、2人目から返信があったのは5月24日で、残りの2名からはいまだに返信がない。

ここには2つの問題がある。第一は、技術的な問題で、waseda-netの利用の仕方にかかわる。学生には全員waseda-netのアドレスが与えられているのだが、いくらこちらがそこにメールを出しても、学生がメールを開いてくれていなければ用件は伝わらない。普段使っているメールが別にあるならば、waseda-netに届いたメールがそちらのメールサーバーに自動転送されるように設定をしておいてくれればよいのだが、そういうこともやっていない。メディアネットワークセンターは、waseda-netが実際に学生にどの程度活用されているか調査するとともに、「自動転送」や「容量制限」についてきちんと教えるべきである。そうしないと、重要な通知をwaseda-netを使って出せないという状態がこの先もずっと続くであろう。

第二は、制度的な問題で、チューター制度やアドバイザー制度の認知の程度にかかわる。本来、私の方から「チューターの大久保です」とか「アドバイザーの大久保です」といったメールを学生に出す必要はないのである。チューターやアドバイザーが決まった旨のお知らせが事務所の掲示板に出され、それを見た学生が事務所の窓口にいって自分のチューターやアドバイザーの決定通知書(教員名とメールアドレスが記されている)を受け取り、学生の方から教員に挨拶のメールを出すというのが本来の手順なのである。ところが、現実は、掲示板を見ていない、あるいは掲示板を見ても事務所の窓口に決定通知書を受け取りにこない学生が大部分なのである。ちなみに今回アドバイザー面談をした5人の学生に、2年生のときのチューターは誰だったのかと尋ねたところ、一人も答えられなかった。というよりも、そもそもチューター制度というものが存在することを知らなかった。開いた口がふさがらないというのはこのことである。しかし学生の怠慢だけを責めるわけにはいかない。アドバイザーの場合は、どの教員をアドバイザーに希望するかを学生に申請させた上で決定するので、学生の関心もそれなりにある。しかし、チューターの場合は学生のあずかり知らないところでランダムに(専修や関心とは関係なく)決められるので、たとえ掲示板を見たとしても、なんのことやらわからないのではなかろうか。そもそもアドバイザーやチューターが決まったから事務所の窓口に来なさいというお知らせが掲示板の片隅にしか掲示されず、学部のホームページに掲載されないのはなぜなのか? 私の感覚ではこの種の通知は、「卒業論文指導教員決定・確認について」(2004.5.14)と同じように学部のホームページに掲載するべきものである(併せてアドバイザー制度やチューター制度についての説明も掲載するべきである)。また、郵便代は高くつくから葉書での通知までは必要ないが、waseda-netの利用状況の調査も兼ねてメールで学生に一斉に通知したらよいのではなかろうか。さらにいえば、学生が窓口に決定通知書を受け取りに来たときに、きちんと記録をとっておいて、一定の期間が過ぎても窓口に来ない学生に呼び出しをかけるといったことも必要であろう。このように周知徹底の方法はいくらでもある。いくらでもあるのに何もしないということは、要するに、本気で取り組んでいないということである。ならば制度を廃止したらよいのではないかと思うが(私の意見としては、少なくともチューター制度は廃止ないし手直しすべきである)、それもしない。不十分な制度、あるいは制度の不十分な運用のツケは、結局、現場の教員と学生が支払うことになる。

 

6.19(土)

 去年の今頃までに提出しなければならなかった書類を、すっかり失念していて、担当の方から督促をいただいて、あわてて書き上げてメールで提出する。遅れるにもほどがある。これからはチューターになっている学生からのメールの返信が1、2ヶ月遅れたからといって文句を言わないことにしよう。

 

6.20(日)

 真夏のような日射しの蒸し暑い一日だった。午後も遅くなってから、日陰が増えたのを見計らって、買い物に出かける妻と一緒に散歩に出る。今日は父の日でデパートのケーキ売場が混んでいる。妻が「ケーキ、どうする?」と聞いたので、「アイスクリームの方がいいな」と答える。栄松堂で本を三冊購入。

(1)       竹内洋『学校システム論 子ども・学校・社会』(日本放送出版協会、2002年)

(2)       刈谷剛彦・志水宏吉『学校臨床社会学―「教育問題」をどう考えるか』(日本放送出版協会、2003年)

 2冊とも放送大学の大学院のテキスト。学部用のテキストよりも表紙が上等だ。それにしても自前の大学院用のテキストがあるというのが凄い。普通の大学の大学院では絶対にありえない。だって受講生が10名を越す演習なんてめったにないわけだから(たとえば私の今年度の演習は5名)、そのためのテキストを作ったら単価が一体どのくらいになるかわからない。ちなみに(1)は2200円で、(2)は2500円。一般の市場で売れることを見越しての価格設定である。現にこうして私も購入したしね。放送大学に勤務していたときはテキストは希望すればただでもらえたので、自分の専門とは離れた分野のテキストもたくさんもらったものだが、10年後のいまでもそのよき慣習は残っているのだろうか。

(3)       永江朗『〈不良〉のための文章術』(NHKブックス、2004年)

 〈不良〉は「プロ」と読ませる。「プロが書く文章は、貨幣と交換されるためのものです。」非常に明快なスタンスで書かれたプロのライターをめざしている人のための実践的文章作法。そういえば清水幾太郎は自分のことをしばしば「売文業者」と呼んでいた。そこには大学の紀要とか、学会誌とか、思想的同人雑誌に独りよがりの文章を書いている大学教授たちへの強い対抗意識があった。

 父の日ということで、今夜はビフテキだった。子どもたちから白い薔薇とネクタイをプレゼントされる。ネクタイの柄と材質から判断して、妻のアドバイスと資金援助があったことは間違いない。ところで父の日に白い薔薇というのは昔からでしたっけ? 私は自分の父親に白い薔薇なんて贈った記憶がない。父親は若い頃はヘビースモーカーだったので、父の日のプレゼントはハイライトをワン・カートンと決まっていたように思う。しかし、いまでは煙草はまったく吸わない。今年は妻が選んでくれたパジャマを贈った。

 夜、『オレンジ・デイズ』の最終回を観る。再会のシーンで柴崎コウが橙を木からもいでいたのは、『愛していると言ってくれ』(1995年)の最終回の再会のシーンで常盤貴子がリンゴを木から取ろうとしていたのと重なる。確信犯的な自己模倣である。『オレンジ・デイズ』に漂う一種の懐かしさと古風さは、この自己模倣に由来する。あのときは常盤が取ろうとしてなかなか取れないでいたリンゴを豊川悦司が代わりに取ってやって、それを常盤に放って寄越した。今回は柴崎が妻夫木聡の力を借りずに自力で橙をもぎ取り、それを妻夫木に放って寄越した。10年の歳月の間に女性の自立はさらに進んだのである。変わらないのは果物が障害者から健常者に向かって弧を描いて飛んだことである。両者の共生とは、健常者が障害者に手を差し伸べることではなく、障害者が健常者に向かって投げかけるメッセージを健常者がきちんとキャッチすることである、そう北川悦吏子は考えているのである。

 

6.21(月)

 台風が通過していった。いま真夜中の2時になろうとするところ。雨は夕方には止んだが、風はまだまだ強い。明日は台風一過の夏日になるだろう。

今日は雑用があって大学へ出た。それはすぐに済んで、研究室の窓ガラスを叩く雨音を聞きながら、東浩紀『動物化するポストモダン』(講談社現代新書、2001年)を読んだ。出たときに買ってそのままほうっておいた本だが、数日前に読んだ東浩紀・笠井潔『動物化する世界の中で』(集英社新書、2003年)が本書にしばしば言及していたので、読んでみることにしたのである。一種の文化変動論で、世界史的には、1914年(第一次大戦)以前を「大きな物語」(ツリー・モデル)が支配的だったモダン時代、1914年から1989年(ベルリンの壁の崩壊)までを「大きな物語」から「大きな非物語」(データベース・モデル)への移行期(スノビズムの時代)、1989年以降を「大きな非物語」が支配的なポストモダン時代(動物の時代)として歴史区分する。戦後日本史的には、1945年から1970年代前半(オイルショックと連合赤軍事件)までが「大きな物語」の時代、1970年代前半から1995年(阪神大震災と地下鉄サリン事件)までが「大きな物語」の凋落の時代(スノビズムの時代)、1995年以降が「大きな非物語」と「小さな物語」の解離的共存の時代(動物の時代)ということになる。用語が独特だが、その意味を理解すれば、論旨は明快である。ただし、大塚英志や大沢真幸や宮台真司の論を全部東の用語に置き換えて説明可能なのかどうかはやや疑問である。もし全部説明できてしまうとすれば、東の論が他の論者のものよりも「より深い」ということはツリー・モデルを採らない限り言えないはずだから、東の論は先行する論者のもののシミュラークルであって、「小さな物語」としての説明が横滑りしているだけということになるのではないだろうか。最初からもう一度、読み直してみよう。再読に値する本であることは間違いない。

 帰りがけに文学部生協店で、新刊を2冊、ジョン・L・ギャディス『歴史の風景』(大月書店)と山室建徳編『大日本帝国の崩壊』(日本の時代史25、吉川弘文堂)を購入。それと先週末から封切りになった映画『白いカラス』のチケットを購入。

 

6.22(火)

 午前中から会議があって大学へ出る。昼食はひさしぶりで「たかはし」の豚肉生姜焼き定食。ボリュームたっぷりである。なにしろ今日は真夏日である。しっかりスタミナをつけなければ。

研究室で姜尚中(カン・サンジュ)『在日』(講談社、2004年)を読む。彼の自伝である。二文の基礎演習で「在日韓国人」をテーマに発表するグループがあり、彼らが参考文献としてあげているものの一冊がこれだったので、私も読んでおこうと。演習の発表にしろ、卒論にしろ、学生が関心をもつテーマはさまざまである。社会学はそうしたさまざまなテーマを許容できる学問であるが、社会学=私ではないから、こっちも学生と一緒に勉強しないと教師稼業は務まらない。姜は1950年生まれで、大学・大学院は早稲田だったから、彼が語る1950、60年代の在日韓国・朝鮮人集落の様子や、1970年代の大学のキャンパスの雰囲気は私にはよくわかる。しかし、彼がどんな気持ちで生きてきたのかは本書を読んで初めてわかった。本を閉じ缶コーヒーを買いに行く夏の真昼の木漏れ日の道(俵万智風に)。

 大学からの帰り、日比谷のみゆき座で『白いカラス』を観た。『在日』は民族差別の問題を扱っているが、『白いカラス』は人種差別の問題を扱っている。「白いカラス」とは「色白の黒人」の意味である。封切られて間もない映画なので、詳しくは紹介しないが、きわめて完成度の高い作品である。「彼女(ニコール・キッドマン)は完璧だった」と原作者フィリップ・ロスが言ったそうだが、実に、まったく、その通りである。

 

6.23(水)

 社会学専修の全学生(約300名)を対象にした懇親会が7月21日(水)の午後6時半から大隈ガーデンハウスで開かれることになった。大きな専修ゆえ、コンパといえばクラコンと決まっていて、卒業のときの謝恩会が唯一大きな会であったが、今回の企画はクラスのみならず学年の仕切も取っ払った大懇親会で、初めての試みである。2年生には今日の3限の社会調査法の授業のときに幹事長のS君が呼びかけを行なった。3年生には調査実習のクラスごとに呼びかけを行うとのことで、5限の私の調査実習クラスで幹事の一人のMさんが呼びかけを行っていた(大方の学生が申し込みをしていた)。4年生には昨年度の調査実習クラスごとに呼びかけを行うとのことなので、私のクラスのメンバーには私が案内のメールを一括してさきほど送ったが、さっそくHさんから「社会学の懇親会が行われるなんて驚きですが、すごく楽しみにしています」との返信が届いた。一番乗りである。4年生にとっては半分同窓会のようなもので、オレンジ・デイズな気分に違いない。

 

6.24(木)

 7限の基礎演習は先週からグループ発表に入っている。グループ発表の出来を評価するポイントは、極端に言えば、1つしかない。「グループの発表」になっているかどうかである。グループで研究を進める場合、必ず「分業」(分担)ということが生じる。問題は「分業」の成果がどれだけ「統合」されるかである。A、B、Cの3人の分業の成果が単純に合計されて「3」になるのか、そこに相互作用(データの共有とディスカッション)の効果が加わって「3+α」になるのか、個々の作業のベクトルが同じ方向を向いていなかったり、作業量がバランスを欠いていたり、作業の成果が十分に共有化されていなかたり、発表の手順がスムーズでなかたりするために「3−α」になるのかということである。「統合」の程度は発表の内容だけではなく、発表のときに配られる資料(レジュメ)に端的に表れるものである。たとえば、表紙に相当するページがあるか、全体のタイトルやメンバー全員の名前が記入されているか、用紙の大きさがそろっているか、ホチキスで綴じられているか、通し番号(ページ数)が打ってあるか、手書きのものとワープロのものが混在していないか、・・・・などなど。経験上、これらを見ただけで、発表の出来をかなりの程度予想することができる。外見が中身を規定するのではなく、中身が外見におのずから表れるのである。個人発表の場合は外見と中身はしばしば食い違うことがあるが、グループ発表の場合は外見と中身の相関は大きい。これは、不思議なことでもなんでもなく、外見をきちんと整えるという努力そのものがチームとしての協同作業を必要とするためである。人(個人)は見かけによらないが、集団(チーム)は見かけによるのである。

 

6.25(金)

 定期券をジャケットのポケットに入れ忘れて家を出てしまった。定期券の区間の切符を自動販売機で買うほど馬鹿馬鹿しいことはない。蒲田―東京間往復420円。まったく無駄な出費である(大手町早稲田間は定期券ではなく、パスネットを使っている)。これに比べれば、すでに持っている本を間違ってもう1冊購入することの方が、ずっとましである。研究室と自宅の書斎の両方に置いてもいいし(必要なときに手に取ることができて便利だ)、誰かにあげてもいい(お礼に何かもらえるかもしれない)。ああ、420円。君たち(百円玉4枚と10円玉2枚)はこんなことのために私の小銭入れの中にいたのではないはずだ。もっとまっとうな使われ方、たとえば、岩波文庫の今月の新刊『ブレイク詩集』の購入に充てられるとか、「カフェ・ゴトー」のベイクドチーズケーキの支払いに使われるとか、街角の少年が抱える共同募金の箱に投入されるとか、そうしたことを夢見ていたはずだ。すまない。許してくれ。

 

6.26(土)

 私のホームページの「自己紹介」の中の「好きな飲み物」という項目には、これまで「アクエリアス」と書かれていた。今日、それを「珈琲」に書き換えた。というのも、これまでの「アクエリアス」はつい最近、カロリーオフを売り物にした新製品に取って代わられてしまったからである。名前は同じでも、味は違う。長年の「アクエリアス」ファンなら一口飲んだだけでその違いに気づくはずだ。これまでのスッキリした後味(ライバルの「ポカリスエット」にはこれが欠けていた)が消えて、人工甘味料特有の妙な甘さが舌に残るようになった。これは「アクエリアス」の新製品に限らず、カロリーオフやダイエットを売り物にした飲物(たとえばダイエット・コーク)に共通するものである。なんでこんなことをするのだろう。そもそも、カロリーやダイエットを本当に気にしている人間は、喉が渇いたら水や麦茶やウーロン茶を飲むであろう。いま、我が家には昔の「アクエリアス」の2リットル・ボトルが2本ある。ドラッグストアーで安売りをしていたときにまとめ買いをしたものの残りである。これがなくなったら、もう昔の「アクエリアス」を口にすることはできなくなるのだと思うと、ビンテージもののワインを飲むような気分である。さらば、我が愛しの「アクエリアス」。

 

6.27(日)

 疲れがたまっている感じで、本を読みながら、うとうとし、TV(衛星劇場とWOWOW)で映画を観ながら、うとうとし、再び本を読みながら、うとうとし・・・・という調子で一日が終わった。パラパラ読んだ本は、関川夏央『本よみの虫干し』(岩波新書、2001年)、米長邦雄『達人の道』(毎日コミュニケーションズ、2004年)、度会好一『明治の精神異説』(岩波書店、2003年)の3冊。タラタラ観た映画は、大村崑・島かおり主演『秀才はんと鈍才どん』(1961年)、韓国映画『JSA』(2000年)の2本。深夜、コンビニでTV番組雑誌を購入。今週から始まるドラマをチェック。オリンピックがあるせいだろう、夏のドラマはあまり気合が入っていない感じ。人気脚本家のオリジナルのドラマが少なく、『世界の中心で、愛をさけぶ』、『東京湾景』、『人間の証明』、『逃亡者』といった原作のある作品がやたらと目に付く。田渕久美子脚本の『妻の卒業式』(NHK、月曜9:15、全5回)が面白そうではある。

 インターネットのニュース速報で、タカハタ秀太監督の『ホテルビーナス』がモスクワ国際映画祭の新人監督部門で最優秀賞を受賞したことを知る。おめでとう。

 

6.28(月)

 野沢尚の自殺の知らせに接して、驚いている。伊丹十三のときと同じ驚き。『坂の上の雲』の脚本の遅延と関係があるのあろうか。44歳。ただただ痛ましい。

 

6.29(火)

 社会学教室の先輩である秋元律郎先生(早稲田大学名誉教授)が亡くなられた。享年72歳。いつもお元気な先生しか知らないから、信じられない気持ちである。私が大学院を受験したとき、二次試験(面接)で一番たくさん質問されたのが秋元先生だった。清水幾太郎とマルクス主義の関係をめぐっての質疑応答だったと記憶している。ちょうど先生の博士論文となった『日本社会学史』の準備をされていたころかと思う。あれから四半世紀が過ぎて、私も日本社会学史に多少ともかかわりのある論文を何本か書いたので、秋元先生とお話がしたいなと思っていた。しかし、それももうできなくなってしまった。先生のご冥福を心よりお祈りいたします。合掌。

 

6.30(水)

 授業の合間に明日の秋元先生のご葬儀の準備。大学からの帰り、成文堂で立ち読みをしていたら、開いている本のページの上に天井のクーラーから水滴が落ちてきた。見ると、平積みになっている本の上にも水滴が落ちている。びっくりしてレジの店員に知らせると、何度もそういうことがあるようで、やれやれまたかという表情で三脚をかついでやってきてクーラーの換気口のところを布で拭き始めた。昔々、社会学研究室(助手室)の上の階のトイレの水が溢れて、天井から落ちてきて大騒ぎになったことがあったのを思い出した。

 

 

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