フィールドノート0508

 

8.1(月)

 軽井沢セミナーハウスでの2泊3日の合宿から帰ってくる。昼はさわやか、夜はひんやりとして、窓を開けて寝たら絶対に風邪を引いてしまう避暑地の夏から、高温多湿の東京の夏に舞い戻る。蒲田に着いて、栄松堂に立ち寄る。池澤夏樹『キップをなくして』(角川書店)、三浦展『団塊世代を総括する』(牧野出版)、保坂正康『「特攻」と日本人』(講談社現代新書)、真部一男『升田将棋の世界』(日本将棋連盟)、畠山成幸『角交換振り飛車』(創元社)、Haruki Murakami, The Elephant Vanishes(Vintage U.K. Random House)を購入。明日から夏休みだ。

 合宿中のメモ@「交通費」。軽井沢セミナーハウスを利用するのは久しぶりだった。この前に行ったのは新幹線が開業する前で、信濃追分の駅から20分ほどの道程を追分セミナーハウス(軽井沢セミナーハウスの旧称)まで旅行鞄を持って歩いた。今回は軽井沢(東京から70分)の駅前からタクシーに乗って15分ほどでセミナーハウスに到着。時間はずいぶん短縮されたが、交通費は跳ね上がった。新幹線が開業してからかえって利用者が減ったと管理人の方が嘆いていたのもうなずける。

 メモA「シャンプー」。風呂に入ったらシャンプーが置いてなかった。確か昔は徳用サイズのシャンプーが置いてあったはずである(私の記憶違いだろうか)。しかたがないので1日目は石鹸で洗髪し、2日目は食堂の売店でシャンプーセットを購入。晩期資本主義社会における個人化の趨勢は大浴場のシャンプーにまで及んだのである(私はリンスは使わないので、セット販売でなく、シャンプー単体で売ってくれるとありがたいのだが)。

 メモB「カレーライス」。2日目の昼食は合宿のメニューの定番とも言えるカレーライスであったが、「お代わり不可」には驚いた。ただし「大盛り」の注文はできる。しかし、カレーライスは「お代わり」するものではないのか。一皿目は一心不乱に食べ、人心地がついたところで二皿目を味わい、三皿目を食べながら飽食の時代に生きることの意味について思いを巡らす、それがカレーライスの正しい食べ方ではないのか。確かに最近の学生は食が細くなっている。運動部の男子学生でさえご飯のお代わりをしない者がいるのである。だから「お代わり自由」にして多めに作ると余ってしまってもったいないという思想は理解できなくはない。しかし、「カレーライスだ!」という祝祭的気分と「お代わり不可」という喪中的気分はあまりにも不調和である。

 メモC「熊」。私が泊まったロッジは敷地の外れにあった。ドアを開けた直ぐ前の木陰にこんな看板が立っていて、深夜、学生たちの泊まっているロッジで催されたコンパから一人で戻ってくるときはちょっと怖かった。

 メモD「スポーツ」。朝から晩まで一日8時間以上の報告会のかたわら、学生たちは寸暇を惜しんでスポーツにいそしんだ。私も卓球、バドミントン、バレーボールなどを楽しんだ。軽井沢セミナーハウスの魅力はなんといっても開放的な空間とこの空間を充たしているさわやかな外気にある。これは交通費の高さ、風呂場のシャンプーの欠如、「お代わり不可」のカレーライス、熊の危険などのマイナスポイントを補って余りあるものである。来年の夏も(調査実習は担当しないと思うが、別の演習で)、またこの場所に来て、この風に吹かれたいと思う。

 

8.2(火)

 地元の映画館「テアトル蒲田」で『フライ、ダディ、フライ』を観る。金城一紀の同名の小説(2003年刊)を映画化したもの・・・・と思っていたが、事実は逆で、まず金城が映画の脚本を書き、脚本を小説化したのである(世に出たのは小説が映画より先)ということを後から購入したプログラムで知った。小説の方は出たときに読んでいる(2003年2月4日のフィールドノートを参照)。そうか、通りでテンポのいい映像的な小説だと思った(ただし小説は脚本のいわゆるノベライズ本ではなく、映画とは違っている点も多い)。ストーリーは単純明快で、47歳のサラリーマン鈴木一が、娘に大怪我を負わせた石原という高校生(ボクシングのチャンピオンで父親は有力政治家)を叩きのめすために、朴という名の高校生の指導の下、苦しいトレーニングに耐え、見事本懐を果たすという、「忠臣蔵」と「ロッキー」を掛け合わせたような映画だ。鈴木一を演じるのは堤真一、朴を演じるのは岡田准一。堤の年齢は40歳(撮影時)だから小説のイメージよりも若いし、元々が格好いい役者だから、情けない役を演じてはいても地金が見えてしまう感じは否めない。岡田は堤よりも小柄で細身なので、やはり小説のイメージとは違うが、クールでクレバーな雰囲気はいい。自分がいまジムに通っていることもあって、トレーニングの過程は興味深かった。「基礎って何だと思う?」とトレーニングの開始に当たって朴が言った。鈴木の答えを待たずに朴は続ける。「いらないものを削ぎ落としていって、必要なものだけを残すことだ。いまのおっさんの頭の中とか身体には、余計なものがたくさんついている。そんなわけで、まずは基礎作りから始める。分かったな?」う〜ん、いい言葉だ。今度、基礎講義や基礎演習の授業で使ってみようかしら。トレーニングは7月14日から始まり8月30日に終わった(31日は休養日で、9月1日が決闘の日)。

 

 体重63キロ。

 体脂肪率12パーセント。

 バスト90センチ、ウエスト69センチ、ヒップ89センチ。

 ジョギングコース十周を、ほとんど息を切らさずに走れるようになった。

 腹筋六十回、腕立て伏せ五十回、スクワット七十回をこなせるようになった。

 百二段の石段を爪先立ちでのぼれるようになり、十メートルの長さのロープをよじのぼれるようにもなった。

 猛スピードで飛んでくる軟球を十球連続でよけられるようにも、朴舜臣のパンチをどうにかかわせるようにも、なった。

 それに闘い方も教わった。

 想像の中では、石原と何百戦もこなしている。

 バスとはほぼ互角の争いを出来るようになった。

 そうそう、アクション映画を中心に、四十三本もの映画も観た。

 それらが、私がひと月半の特訓のあいだに得たものである。

 

 鈴木の身長は168センチで、私とほぼ同じである。ということは、もし私が鈴木の立場であったら、これが私の目標水準ということになる。体重も体脂肪率も目標にほど遠い。バストとヒップは合格だが、ウエストが不合格。走るのはたぶん全然だめ。スクワットは合格。腹筋はあと一歩(50回)。腕立てはまだまだ(20回)。石段つま先立ちのぼり(砂袋をしょって)はやったことがないので見当がつかない。ロープのぼりは絶対無理。昔バドミントンをやっていたので動体視力はいいはずだが、ドッヂボールは苦手だった。拳骨で人を殴ったことはない。学生時代、早稲田高田馬場間のバスに勝ったことはあるが、いまは勝負になるまい。シルベスター・スタローンとアーノルド・シュワルツネガーの映画はたいてい観ているが、ブルース・リーは一本も観ていない。

 映画館を出て、ジムに行きたい気分だったが、今日は母が靖国神社にお参りに行くので、父が一人で留守番というのは心許ない。ジムには明日行くことにして、家に戻る。母の長兄は61年前の今日、テニヤン島で戦死した。テニヤン島玉砕については中山義秀の小説「テニヤンの末日」に詳しい。

 

8.3(水)

 昼食の後、1時間ほど昼寝をしてから、ジムへ行く。これまでは前半に筋トレ、後半にウォーキングという順序でやっていたのだが、今日は有酸素運動重視で、順序を逆にしてみた。それだけではなく、ウォーキング(時速6キロ)にジョギング(時速8キロ)を混ぜてみた。両者の違いは常にどちらかの足が地面に着いているか(ウォーキング)、両足とも地面から離れる瞬間があるか(ジョギング)である。ウォーキング40分、ジョギング20分で、6700メートル進み、「鳥の唐揚げ一皿分」のカロリーを消費した(画面にそう表示されるのであるが、「一皿分」とは唐揚げ何個なのだろう?)。距離、消費カロリーとも自己最高である。Tシャツは汗でびっしょり。館内の冷房が強めで、汗が冷えて冷たくなっている。いつもだとロッカールームのシャワー室に直行するのだが、今日は筋トレがまだ残っている。Tシャツをもう1枚もってくるべきであった。

 帰りにパリオ5階の熊沢書店で『将棋世界』9月号を購入し、下の階の「ルノアール」で読む。「ルノアール」は久しぶりである。かつての喫茶店チェーンの代名詞であった「ルノアール」も、「スターバックス」などの外資系の進出で、応接間の家具風の椅子とテーブルが「昭和」を感じさせ、プチ・レトロな気分になる。ブレンドコーヒー440円は割高感があるが、コーヒーを飲み終わってしばらくすると、熱い日本茶が出てくるので、「もうしばらくここにいてもいいんだ」と思えて心安らかに本が読める。

 

8.4(木)

 お昼から大学で会合が一件。30分ほどで終わるだろうと思っていたら、2時間以上かかった。話が同じ所を何周もする。400mリレーのつもりで走り出したら実は1600mリレーだった、そんな感じ。

文カフェで遅い昼食(たらこスパゲッティ)を取ってから、研究室でギデンズ『社会学』の読書会。春休みに二文4年生のEさんとMさんとで始めた読書会だが、学期中は休止で、今日から再開した由。Mさんの紹介で都立大生のS君も参加。11章「貧困、福祉、社会的排除」を読む。かつて貧困は社会問題の中心に位置するもので、ほとんどの社会思想は貧困の解決を課題としたものであったが、現代の日本社会に生きる大学生にとって貧困は想像力を必要とする問題である。いや、それは大学生に限った話ではなく、だから社会思想を説く側は「相対的貧困」とか「心の貧しさ」といった貧困概念の拡張を行ってきたのである。それがここ十数年にわたる平成不況の中で、「節約生活」や「年収300万円時代を生きる方法」に人々の関心が向くようになってきた。いくらかゲーム感覚的なものがあるとはいえ、社会問題の陳列棚で埃を被っていた貧困問題が再び注目されるようになってきたのである。読書会の後、「太公望」に行ったら本日休業の貼り紙が出ていたので、地下の「舟形屋」という居酒屋に初めて入る。蛸の唐揚げ、焼き鳥、厚焼き卵、マグロの山かけ、厚揚げ、ひしゃも、オムレツ焼きそば・・・・あれこれ注文したが、下町風というか、全体に味付けが濃く、ご飯のおかずにはよいかもしれないと思った。帰宅して体重計に乗ったら、食べ過ぎであることが歴然とした。みんなで食事をすると、どうしてもそうなる。

 そうそう、われわれが読書会をしているときに、調査実習の学生の一人であるF君が研究室に顔を出した。彼は今月下旬にアメリカに向けて留学に出発するのだが、その挨拶に来たのである。彼の故郷の信州の林檎ジュースを頂戴する。研究室にある本で欲しいものがあったら餞別として一冊あげるよと言ったら、F君はブルデューの『再生産』(藤原書店)を選んだ。けっこう高額の本である・・・・。私は動揺が表情に出ないように注意しながら、「じゃあ、元気で」と言って握手を交わし、F君を送り出した。

 

8.5(金)

 昨夜はカロリーの高い食事をしてしまったので、今日の昼食はバナナ1本と牛乳コップ一杯で済ませ、ジムに行く。途中、スポーツ用品店に立ち寄り、冷房対策にテニス用のウィンドブレーカーを購入。60分のウォーキング&ジョギングで「ラーメン一杯+春巻き一本」分のカロリーを消費する。筋トレも60分きっちりこなす。帰りにまたスポーツ用品店に立ち寄り、ウォーキング・シューズを購入。店を出て舗道を歩いていると「お客様!」と背中で声がして、振り向くとさきほどシューズ選びを手伝ってもらった女の店員さんである。息を切らしているのは走ってきたからである。手には紙袋を持っている。一瞬、商品をカウンターに忘れて来てしまったかと思ったが、そうではなかった。「申し訳ございません。靴を間違えて包装してしまいました」と言う。箱を開けてみると、茶のシューズと黒のシューズが片方ずつ入っていた(私の購入したのは茶の方)。試し履きをしたシューズを箱に戻すときに間違ってしまったらしい。早く気づいてくれてよかったが、「店を出て私がどちらの方角に歩いていったのか迷いませんでしたか?」と尋ねたら、「お客様のTシャツの柄を覚えておりましたので、遠くからでもわかりました」と彼女は言った。そのとき私が着ていたのは南米系のボーダー柄のTシャツで、自分でもけっこう気に入っている。もし「似合いますか?」と尋ねたら、「はい、とても」と彼女は微笑んでくれそうな気がしたが、それはいかにも村上春樹の小説の主人公が言いそうな台詞で、自分には似つかわしくないと思い、「大変でしたね。ありがとう」と言うにとどめた。村上春樹的会話というものは村上春樹的物語空間の中でしか成立しないものなのであろう。「ルノアール」に寄って、コーヒーとマッシュポテトのサンドイッチを注文し、しばらく読書。冷房がややきつめだったので、買ったばかりのウィインドブレーカーが役に立った。食塩を振って食べるマッシュポテトのサンドイッチはトレーニング直後の身体にはこよなく美味であった。

 

8.6(土)

 調査実習の合宿で軽井沢へ行ったときにブヨか何かに腕を刺されたのだが(それも十数カ所も)、その腫れと痒みがなかなか引かないので、近所の皮膚科に行ってフルメタ軟膏を出してもらう。その後、TSUTAYAに寄って、井筒和幸監督の『パッチギ!』を返却し、鈴木貴之監督の『銀のエンゼル』を借りる。そのとき店内に流れていた曲がとてもよかった。しばらくその場に立ち止まってじっと耳を傾けた。

 

 ほら見えてきたよ 赤茶色の屋根

 吹き抜ける風は 灰色に染められていく

 

 空が回るのを見たことがある?

 ここではそれを感じるんだ

 

 抱きしめて 何も言わないで

 自然に 浮かんでくる

 この景色のため何かしてあげたいな

 

 歌手の名は湯川潮音(しおね)、曲のタイトルは『緑のアーチ』。初めて名前を聞く歌手の、初めて耳にする曲だった。しかし、歌詞だけを記しても『緑のアーチ』の魅力の一部しか伝えることができない。詞と曲(スローなバラード)と声(ピュアで少しハスキーなソプラノ)、このマッチングが素晴らしい。ここがレンタルビデオ店の中ではなくて、街角であっても、車の中であっても、病院のベッドの上であっても、この曲を耳にした者はたちまち彼女の歌の世界に吸い込まれていくに違いない。そういう力のある歌である。8月3日にリリースされたばかりの彼女のメジャー・ファースト・シングルとのことなので、まだレンタル商品にはなっていない。東急プラザ6階の新星堂に行ったら置いてあったので、早速購入。今日は書斎で何度もこのCDを聴いた。蒸し暑さも、虫刺されの痛痒さも、忘れさせてくれる歌声である。

 

8.7(日)

 朝、リビングのテーブルの上に『Dr.コトー診療所』(小学館)の第17巻が置かれていた。最新刊である。すでに妻と息子は読み終わっているのであろう。前巻で第一部が終わり、今回から第二部が始まった。看護師の星野彩佳が乳ガンになる。ステージはT3で右乳房の切除は避けられないが、腋下リンパ節の切除をするかどうかで主治医の鳴海とコトーの意見が対立する。転移を考えて切除するのが普通だが、術後に後遺症(腕の痺れ)の可能性があり、手術助手としてコトーの側で看護師の仕事を続けたいという彩佳の気持を汲んで、コトーは腫瘍からのリンパの流れを受けるリンパ節だけを探して摘出する方法(センチネルリンパ節生検)を採ろうとする。鳴海はこれに反対し、手術の施設は提供するが、もし手術が失敗に終わったらコトーを告訴すると言った。コトーは、アルコール中毒を克服して増生島で医師をしている江葉都に電話をし、彩佳の手術のサポートを依頼する。・・・・という展開である。次の巻が待ち遠しい。TVドラマの方も続編をやってくれないかな。

 

8.8(月)

 昨日は夕方の散歩の途中で鮨が食べたくなって、家に電話をし、妻と息子を呼び出して(娘は外食)、鮨屋で食事をした。回転鮨でもよかったのだが、カウンターで鮨を注文する作法を息子に学ばせる必要があると思い、普通の鮨屋に入る。私はビールなどは飲まないので、鮨を食べるペースが速い。一度の注文で二種類のネタ(計四貫)を頼むが、あっという間に食べてしまう。職人さんは他の客の注文にも応じているので、適度に間が空くが、もしこれで客がわれわれだけであれば、あたかも椀子蕎麦を食べるように鮨を口に運ぶのではないかと思う。回転鮨の場合は、積み上がる皿の数で自分がどれだけの量を食べたかを認識できるわけだが、普通の鮨屋ではどうしても食べ過ぎてしまう。・・・・というわけで今日は食事量をセーブする日。朝食はチーズサンドと牛乳を一杯。昼食は、ジムでのトレーニングの前にバナナを一本、トレーニングの後にハムトーストとコーヒーを一杯。ここまでは個食(孤食)であるので問題はない。問題は家族と一緒に食べる夕食である。しかも今夜は餃子である。いつもなら4人前(24個)は食べるところである。しかし、妻には「今日はそんなに焼かなくていいから」と断って、2人前で止めておいた。物足りない分は梅茶漬けでカバーした。この節制のおかげでトレーニング直後の体重と夕食後の体重との差は1キロ未満に抑えることができた。トレーニングの前後の体重差は1.5キロだったので、0.5キロほどの減量というわけだ。ダイエットの基本は単純で、消費量以上のカロリーを摂取しないということに尽きる。子供にも容易に理解できる算術である。しかし理解できることと実行できることは別である。実行を妨げるものは、内なる意志の弱さばかりでなく、外なる人間関係(つきあい)である。家庭をもち、仕事をもつ中年男のダイエットはなかなかに大変なのである。

 さて、解散総選挙。ひさしぶりに「面白い選挙」である。これで投票率が回復しないようであれば、議会制民主主義そのものが制度疲労を起こしていると結論せざるを得ないだろう。

 

8.9(火)

 研究室に資料整理に行く。キャンパスの門扉は閉まっている。この一週間は事務所も夏休みで、工事のため日によっては断水や停電となるため、教員もやってこない。誰も歩いていないスロープを風が通り抜けるだけ。まるで廃墟のようである。昔々、ここは大学でした・・・・。考古学者のような気分で、研究室で資料の整理をしていると、通り雨が降って、再び陽が射して、時間が静かに流れていく。もしいまノックの音がして、ドアを開けるとそこに双子の女の子や羊男が立っていたとしても、何の不思議もないような気がする。

 

8.10(水)

 昼頃、何本か政治的な電話を受けたり、掛けたり。単刀直入にいきたいものである。こういうときはジムで汗を流すに限る。身体がほどよく疲れるというのは気持ちがいい。普段、頭が疲れることや、神経が疲れることはあるが、身体が疲れることはない。寝不足とか会議や授業が立て込んで身体がきついことはあるが、それは身体が疲れるというのとは違う。身体がきついのは休息が不足しているからである。一方、身体が疲れるというのは積極的に身体を動かした結果である。脂肪を燃焼させた結果である。昔々、労働とは身体を動かすことであった。全身に汗をかくことであった。それが徐々に身体を動かさない仕事、額に汗をして働かない仕事に従事する人々が増えていった。身体を動かすこと、全身に汗をかくことは、スポーツが代替するようになった。しかし、私は、夏の海水浴と冬のスキーは別にして(それは家族行事である)、30代、40代とスポーツに無縁な生活を送ってきた。身体が疲れることの気持ちよさをずっと忘れていた。今年の夏、それが甦った。昼下がり、洗い立てのタオルやシャツを詰め込んだバッグを提げて、ジムに向かうときの稟とした気分。夕方、汗に濡れたタオルやシャツを詰め込んだバッグを提げて、ジムから帰るときのゆったりした気分。こういう気分のときは、暑さも湿気も気にならない。夏を夏として気持ちよく享受できる。高校生の夏休みのクラブ活動の日々を思い出す。まだまだ夏は終わらない。お楽しみはこれからだ。

 

8.11(木)

 今年の夏休みのメインの仕事は論文を3本仕上げることである。論文Aと論文Bは9月1日〜3日の検討会(合宿)までに8割方仕上げなくてはならない。論文Cは9月末日の締切までに完璧に仕上げなくてはならない。で、当初の予定では、8月15日までに論文Aを仕上げ、8月31日までに論文Bを仕上げ、9月に入ったら論文Cに集中する、ということになっていた。しかし、いつものことだが、事はそう思い通りには進まない。論文Aはあと4日では仕上がらない。したがって、論文Aが仕上がるのを待ってから論文Bに着手したのでは9月1日の検討会に間に合わないかもしれない。ドミノ倒し的に論文Cにも影響が出るだろう。しかたがない、ここは同時進行で行くしかない。「一つのことを済ませてから、次のことに取りかかる」なんてお行儀のいいことは言っていられない。幸い3つの論文は性質が全然違う。論文Aは統計データの分析である。大学卒業生(約1000名)の追跡調査のデータを使って彼らの「生活の質」が卒業後10数年の間にどう変わってきたのかを分析する。論文Bは質的データ(ライフストーリー)の分析である。追跡調査の対象者の一部(約100名)に対して2年前の夏に実施したインタビュー調査の記録を解読して、彼らのライスフトーリーの構造やパターンの析出を行う。論文Cは「清水幾太郎と彼らの時代」の一部を構成するもので、戦後の数年間、「二十世紀研究所」の所長をしていた頃の清水(および周辺の人物)に焦点を当てた100%の文献研究である。頭の使い方はそれぞれに違う。にもかかわらずではなく、むしろそれ故に、同時進行で取り組むことが可能なのである。論文Aは午前中の作業で、論文Cは夜間の作業。論文Bは、資料を全部研究室に保管してあるので、週に2回ほどのペースで午前中から夕方まで研究室に籠もって作業を行う。もちろん自宅で作業をする日の午後はジムでトレーニング。これが今年の夏の生活の基本型である。これに調査実習の学生から送られてくるインタビュー記録の添削、卒論指導、読書会、各種委員会の会合、そして後期の授業のための仕込み作業・・・・などが加わる。こう書いてくると、けっこう多忙であることに思い至る。「夏休み」という言葉に惑わされてはいけない、と思う。でも、やはり、夏が好きである。

 

8.12(金)

 7時半起床。朝食の前にギデンズ『社会学』を数頁読む。朝飯前に読むものは日によって異なるが、そうやって食欲がわいてくるのを待ってから朝食をとる。リンゴジャムのサンドイッチに牛乳。午前中は論文Aの作業。パソコンに向かって統計ソフト(SPSS)の操作。昼食は蓮根と挽肉のピリ辛炒め、浅蜊の佃煮、ごはん。浅蜊の佃煮は「千葉のおばさん」と私が子供の頃から読んでいる行商の女性(もう70歳を越えている)から買ったもの。柔らかく、味付けも濃すぎず、美味。調査実習のレポートの添削をやってから、ジムへ。週に3回(月・水・金)というのは初めてだ。筋肉の疲労が十分に回復していない感じがしたので、今日は筋トレよりも有酸素運動に力点を置く。ウォーキング&ジョギング60分で「ラーメン一杯+春巻一本」分のカロリーを消費する。トレーニング直後のシャワーとアセロラドリンクが至福である。「シャノアール」に寄ってコーヒーを一杯(お冷やを二杯)。中村政則『戦後史』(岩波書店)を読む。7月の新刊で、コンパクトだが、面白い本で、大学院の演習の学生にも「戦後日本の人生の物語」の背景を押さえておく意味で夏休み中に読んでおくことを薦めている。駅前の果物屋でバナナを一房(6本)買う。たった100円である。バナナを主食とする社会もあるくらいだから、朝昼晩、これだけで(プラス牛乳)一日を過ごそうと思えば(思わないけど)過ごせるだろう。帰宅して風呂に入る。汗を流すだけならシャワーで十分だが、筋肉の疲れには風呂である。夕食は秋刀魚のフリット、焼鳥(手羽先)、卵豆腐、トマト、大根の味噌汁、ごはん。最近、味噌汁のダシが替わったようで、とても美味しい。お代わりをする。ホンジャマカの石塚とパパイヤ鈴木がやたらに「まいう〜」を連発するグルメ紀行番組を見て、調査実習のレポートの添削をやってから、『戦後史』の続きを読む。間もなく午前2時。そろそろ就寝。女子棒高跳びはイシンバエワが勝つのだろう(朝起きて、そうでなかったら、びっくりだな)。

 

8.13(土)

 調査実習の学生の一人(女子)が、最近、プログで食事日記を付け始めたので、引用してみる。

 

8月10日

朝:6枚切り食パン

昼:中華粥

夜:からあげくん(一個増量中)と食パン(たぶん)

キルフェボンのケーキ(^.^)イエイ!

8月11日

朝:×

昼:△遅め:フレッシュネスバーガー、照り焼きチキンバーガー&ポテト(R)

夜:食パン(毎度おなじみ・・・って、ダメでしょ、コレ)

8月12日

朝:食パン

昼:マックチキンとポテト、カフェオレ

おやつ:ロールケーキ

夜:あ、食べてない。

 

「食パン」がやたらに出てくるのは、一人暮らしで「6枚切り食パン」を購入すると、消費するのに数日を要するという誰もが経験する都市生活の不合理であるが、まさか食パンに何も付けず、何もはさまず、飲物もなく、食べているわけではないだろうね。ちょうど彼女のレポートの添削をしてメールで返すところだったので、食生活の改善点についてもアドバイスしておいた。第一に、食事は抜かないこと。第二に、野菜や果物を摂取すること。第三に、外食が多くなるのはしかたないとしても、せめて定食を注文すること。お節介な話だが、これからの大学教育は学生の食生活にも無関心であってはならないと中央教育審議会の最近の答申にもあるのである(もちろん嘘です)。ちなみに今日の私の食事は、以下のとおり。

朝:トースト、コロッケ、バナナ、牛乳。

昼:ざるそば、かき揚げ。

夕:鰻丼、隠元の胡麻和え、トマトとポテトのサラダ、吸い物。

夜、瀧のような雨。しかし無風なので窓から吹き込んでは来ない。真っ直ぐに落ちてきて、家の屋根や草木やアスファルトの路面を激しく叩く。窓を開けたまま、その音を聞いている。

 

8.14(日)

 昼食の後、二時間ほど昼寝をする。今日は凌ぎやすい気候で、日射しはあるのだが、ときおり窓から涼しい風が入ってきて、とても気持ちよかった。昼寝は夏休みの醍醐味の一つといってよい。実際、昼寝は一年中できるわけだが、俳句では昼寝は夏の季語とされている。「うつぶせにねるくせつきし昼寝かな」(久保田万太郎)。

昼寝から覚めて散歩に出る。いつくかの商店街を梯子する。お盆で休みなのか、店仕舞いをしたのか、シャッターが降りている店が多い。そうすると自然と普段はそんなに注目しない店の看板に目が行く。「すぎの文具」。頭に「お」を付けてみたくなる。一体、どんな文具を売っているのだろう。「細川幸四郎商店」。店主(創業者)の名前をフルネームで店名にするのはいまでは見られなくなった流儀である(全国区では「マツモトキヨシ」くらいではなかろうか)。それにしてもいい名前である。歌舞伎役者のようではないか。「福田歯科医院仮診療所」。「仮」の一字がポイントである。「これはあくまでも仮の姿なんだかんな。いま、新しいビルを建築中なんだかんな」(なぜか東海林さだお口調)という主張がよく出ている。「中華料理大陸」。どうどうたるネーミングである。「來來軒」とか「蓬莱」といった類の定番のネーミングを潔しとせず、「大陸」と大きく出たところに店主の気概を感じる。今日、初めて見つけた店なので、近々、進出してみようと思う。ちなみに私がよくチャーシューメンを食べる早稲田の「メルシー」は創業当時は喫茶店で、それが途中からラーメン屋になっても店名を変えず、現在に至っているのである。「そば処ほてゐや」。旧かなの「ゐ」がポイント。女子高生がこの看板を見て「お蕎麦屋さんなのにホテル屋だって」と言って笑っていた。笑われるべきはあんたの国語力ですから。残念!(まだまだ頑張っている波田陽区に敬意を払って)。「永野鋸店」。工具店とか金物店ではなく、鋸店と特化させたネーミングが凄い。職人の存在を感じる。しかし、一体、普通の人は人生で何本のノコギリを買うのであろうか。私はまだ一本も買った記憶がない(妻は買ったかもしれないが)。今日の散歩は約一時間。商店街には昭和30年代の残影のようなものがある。

 

8.15(月)

 8時起床。終戦記念日の朝刊に目を通す。戦後60年。どうか10年後も「戦後70年」でありますように。朝食はウィンナーソーセージとキャベツの炒め、トースト、バナナ、牛乳。午前は論文Aのための集計作業。印刷用紙がどんどん消費されていく。近々、自転車で「島忠」まで行って、A4判用紙を一箱買ってこなくてはなるまい。昼食は朝と同じくウィンナーソーセージとキャベツの炒め(娘が食べなかったので)、浅蜊の佃煮、ごはん。食後、調査実習のレポートの添削をやってから、ジムへ。いつものように筋トレを1時間、ウォーキング&ジョギングを1時間。だんだん走れるようになってきて、今日は1時間のうち半分はジョギングでいけた。走った距離は7キロほど。『24時間テレビ 愛は地球を救う』で丸山弁護士が100キロマラソンに挑戦するそうだが、いまの私が100キロ走るとなると単純計算で14、5時間かかる。無理ですね、とても。当面の目標は1時間に10キロのペースで走れるようになること。トレーニング後、今日は昼寝をしていないので、喫茶店などの寄り道はせずに帰宅して、夕食の時間まで1時間ほど横になる。夕食は蟹ご飯、がんもどきの煮付け、春巻き一本、鶏のササミのフライ一個、ワカメの味噌汁、ごはん。『スローダンス』を観てから、論文Cのための調べもの。このところ清水幾太郎と太宰治の関係が気になっている。太宰が玉川上水で情死したのは1948年6月13日のことであったが、太宰の告別式にC水が顔を出したことは当時ちょっとした話題になった。数年後(1951年)、創元社から『太宰治作品集』が出たとき、C水はその付録に「太宰治と私」という短い一文を寄せている。

 

 太宰君が死んだ時、家内、子供、友人が私に向つて口を揃へて言つたことがある。それは、第一に、私は、太宰君が身を投じた、あの川の少し下流に住んでゐる。第二に、太宰君と同じやうに、毎日、お酒ばかり飲んでゐる。第三に、太宰君と同じやうに、原稿が書けない書けないと苦しんでゐる。第四に、太宰君と同じやうに、自宅の近所に仕事部屋を持つてゐる。第五に、大体同じ年齢である。併し、ただ一つ違ふのは、私の傍には若い女の人がゐないといふ点で、若し、この上、若い女の人が現はれたら、私はあの川の下流に身と投げるよりほかはない、といふ話であつた。とにかく、私は太宰君の作品を読むた度に、隅から隅までよく判るだけでなく、ひとごとではないぞ、といふ気がしてならなかつた。交際がなかつたのに、私が彼の告別式へ出かけて行つたのも、きつと、そのためであらう。河盛好蔵氏に言はせると、太宰君は不良少年で、私は優等生、といふことになるさうであるが、併し、太宰君を読む人と、私を読む人とは、かなりの程度まで、重なり合つてゐるのではないかと思ふ。

 

 冗談めかして書いてはいるが、「平和運動家・C水幾太郎の時代」(1949年から1960年までの12年間)の前夜にあたる敗戦直後の数年間の彼を理解する上で、この文章は非常に意味のある文章であろうと私は密かに踏んでいる(ホームぺージで公開しておいて「密かに」もないが)。生憎と私はこれまで太宰治の熱心な読者ではなかった。だから「ひとごとではないぞ」というC水の言葉の具体的な意味内容が理解できなかった。しかし、最近、太宰が『群像』1947年1月号に発表した短篇「トカトントン」を読んで、もしかしたらこういうことかといった仮説めいたものを思いついた。ここで詳しく書くわけにはいかないが、論文Cを構成する要石の一つになるかもしれない。間もなく午前3時。そろそろ就寝だ。

 

8.16(火)

 昼から大学へ出る。大学の近くのコンビニでおにぎりと麦茶を買っていたら地震があった(宮城沖を震源地とする地震であることは後から知った)。「やれやれ、またか」という感じ。地震慣れしているわれわれでも辟易しているのだから、地震のない国から日本に来ている外国人は頭がおかしくなりそうなのではないか。文化構想学部関連の会合とギデンズ『社会学』の読書会。夜、読書会の流れで「太公望」で食事。主人はあいかわらず無愛想だ。帰宅してメールのチェックをすると至急の対応を必要とするものが数件あり、予定していた論文Cの作業は中止。メインディッシュを食べ損なった感じで、悲しい。

 

8.17(水)

 今日は朝から調査実習のレポートの添削を集中して行い、提出済みのレポートの添削はすべて終わらせた(未提出が数人いるので添削作業が終了したわけではないが)。そなんこんなでジムに行く前に昼食をとる時間がなくなったが、朝食(カレーとトースト2枚、牛乳)が遅めだったので、トレーニング中にスタミナ切れになることはなかった。60分しっかりウォーキング&ジョギングをして、「オムライス一皿」分のカロリー(580kcal)を消費した。「シャノアール」に寄ってコーヒーを一杯。臼井吉見の「太宰治伝」を読む。帰宅し、風呂に浸かり、夕食(牛肉とピーマンの炒め、小包龍、山芋、吸い物、ごはん)。

 NHK衛星第2放送で映画『あこがれ』(1966年)を観る。監督は恩地日出夫、木下恵介の原作を若き日の山田太一が脚色(これがこの映画を観ようと思った一番の理由)。主演は内藤洋子(初主演)。内藤洋子は、当時、酒井和歌子と並ぶ東宝の新人アイドル女優だった。今回、この映画を観て、彼女の声が意外に低いことに驚いた。「キネマ旬報データベース」から『あこがれ』のストーリーを紹介しておこう。

 

母親が再婚するため「あかつき子供園」に預けられた一郎は、平塚の老舗でセトモノ屋の吉岡家に貰われ、立派な若旦那に成長した。しかも、貰い子とも思われないような親子仲の良い家庭で、両親は一郎の嫁探しで懸命であった。一郎が十九歳になった信子と再会したのは、ちょうど、このような時期であった。信子も「あかつき子供園」の出身で、一郎とは特に仲の良い子供であった。幼い頃を懐しむ二人は、子供園を訪れ、二人の親代りともいうべき先生水原園子に逢い、楽しい一時を持った。信子には酒飲みの父親恒吉がいて、信子の勤め先に現われては前借りをして行くので信子は勤め先を転々と変り、いま平塚に流れて来たということだった。毎日のように逢う二人はいつしか愛し合うようになった。しかも一郎は、信子との結婚を決意、そのことを両親に打開けた。この一郎の話は父親の怒りを買った。それを知った信子は、一郎の家庭を思い、勤め先を平塚から横浜に変え、一郎のもとを去った。一郎の悩む姿に母親はもう一人の子供が出来たと思えばいいじやないですかと父親をといた。そんな時「あかつき子供園」に一郎の生みの母親すえが訪ねて来た。再婚した先の家族と共にブラジル移民で出発することを告げに来たのだ。園子からこの知らせを聞いた一郎の両親は、逢うことを遠慮する一郎に生みの親に逢いたくないなんて人間じゃないと励まし、一郎を横浜大桟橋へ送り出してやるのだった。園子はまた横浜にいる信子にもこの事を知らせた。出発間際の桟橋で、一郎はやっと船の上から一郎を探すすえを見つけた。一郎ッ”“お母さんと呼び合う親子を包むテープの嵐−−そこへ信子も園子先生もかけつけた。

 

 1966年といえば東京オリンピックの2年後で、日本が高度成長後期に入った頃だ(私は小学校6年生だった)。その頃の青春映画にしては多少古風な設定である。「清く、貧しく、美しく」。1960年前後の日活の吉永小百合・浜田光夫コンビの青春映画の東宝版といったところか。でも、私はしっかり感動しましたね。信子(内藤洋子)と一郎(田村亮=田村正和の兄)の二人が結ばれることをひたすら祈りましたから。そしてその通りになるんです(よかった、よかった)。悪い人間が一人も登場しないところもいい。ところで子供時代の信子を演じていたのが林寛子だった。彼女は当時私と同じ小学校に通っていて、6年生だった私は彼女のいる1年生の教室の掃除を担当していたのだが、そのとき彼女から「さぼらないで、ちゃんと掃除しなさいよ」と言われていた。劇団に所属して大人と一緒に仕事をしているだけあって生意気な子だなと思いつつ、「はい、はい」と私は返事をしていた。

 

8.18(木)

 午後、大学へ。調査実習のレポートの添削はこれまでメールで行ってきたが、今日は研究室に来られる学生は来てもらって、改善点を直接指示する。夕方までの予定でいたが、早めに終わったので、ひさしぶりに飯田橋ギンレイホールに寄って『シャル・ウィ・ダンス?』を観る。リチャード・ギアとジェニファー・ロペス主演のリメイク版である。映画そのものを楽しむというよりも、オリジナル版との比較を楽しむ映画であろう。どうしたって自然とそうなってしまう。いろいろな場面で「なるほどねえ」と思ったが、とくに「やっぱり自分にとって一番大切な人は妻なんだ」という主人公の思いが最後の場面で強くアピールされているところに、夫婦関係重視のアメリカ人の家族観を見た思いがした。それにしてもジェニファー・ロペスは草刈民代と比べるとあまりにも肉感的で、オリジナル版では主人公の男は女の淋しげな凛とした美しさに惹かれるのだが、リメイク版ではその辺が十分に表現できていない。私だったら『マトリックス』でトリニティ役を演じたキャリー・アン・モスか、ニコール・キッドマンか、ユア・サーマンに出演依頼をしたであろう。

さて、論文A・B(400字詰原稿用紙換算で各50枚)の〆切まで残り2週間となった。間に合うか、間に合わないか、いつものことだが、この緊張感がたまらない。明日から国民精神総動員レベルを3から4に上げる(最高レベルは5)。「地球のみんな、オラにちょっとずつ元気をくれ」(悟空の口調で)。

 

8.19(金)

 論文Aのための集計作業の合間にジムで汗を流す。体重というものは一日の中で2キロぐらいの幅で変動する。私の場合、最高値Hは夕食を食べた後(76キロ前後)、最低値Lはジムでトレーニングをした後(74キロ前後)で、中間値Mは75キロ前後である。体重の長期的増減をみるならば同じ指標を一貫して用いるべきで、昨日のHと今日のLを比較して「一日で2キロも痩せた!」とかいうのは一種の誇大広告である(テレビのエステ番組などではこの種の手法がよく使われている)。ジムでのトレーニングを開始して2ヵ月半が経過したが、「1ヵ月で1キロ」のペースで減量が続いている。2.5キロの減量だが、筋トレによる筋肉の増加分を考慮すると、体脂肪は4キロほど減少したと考えてよいのではなかろうか。ただ体重を落とすだけなら食事制限が一番効果的だが、それでは夏バテしてしまう。空腹でイライラして読書や執筆がはかどらないというのでは困る。もちろん私も食事には気を遣ってはいるが、それは「満腹になるまで食べない」、「ジュース類は控える」、「脂肪分の多いものは控える」、「間食は控える」という程度のもので、並の自制心があれば実行可能なことばかりである。「控える」というのは「絶対に食べない」ということではない。とんかつを食べた翌日は軽目の食事にしておくというバランス感覚があればよいのである。これがスローダイエットのポイントである。ジムの帰り、熊沢書店に寄って、佐藤卓己『八月十五日の神話終戦記念日のメディア学』(ちくま新書)、吉崎達彦『1985年』(新潮新書)を購入。

 

8.20(土)

 この夏はまだ海に行っていない。3年前、娘が高校2年の夏までは毎年家族で海水浴に行っていた。外房線の上総興津駅を降りてすぐの守谷海岸。いつもそこに決めていた。遠浅で白い砂浜の海水浴場だった。パラソルを借り、ラーメンやかき氷を食べる海の家は「たがや」。他の海の家は知らない。いかにも漁師の女房という感じの色黒で骨太のおばさんが店を仕切っていた。泊まる民宿は「いかけや」。そこが廃業した後は「すずき」。どちらの女将さんも高齢で、無口な、有り体に言えば、愛想のない人だったが、食卓はにぎやかだった。子どもが海辺で怪我をしたり、熱を出したりしたときは「川上医院」。頼りになるお医者さんだった。海辺では、私はほとんど泳がず、パラソルの下、デッキチェアーに腰を下ろして海を眺めるか、干潮の頃を見計らってシュノーケリングで色とりどりの魚たちを追いかけていた。午後4時頃には宿に引き上げ、風呂を浴びて、Tシャツと短パンに着替え、夕食の準備ができるまでのひととき、海辺の町を散歩した。空はまだ明るく、駅の待合所では、クラブ活動を終えた地元の女子高生たちが1時間に2本ほどの普通列車を待ちながらおしゃべりをしていた。私は自動販売機で冷たい飲物を買って、待合所のベンチに腰掛け、彼女らのおしゃべりを聞くともなく聞いた。駅前にはタクシー乗り場があったが、運転手たちはいつも暇そうだった。マイカーの普及で、日帰りの海水浴客が増え、かつては賑やかだったであろう駅前の商店街は閑散としていた。唯一繁盛しているのは海岸通りのコンビニ「デイリー・ヤマザキ」くらいであったろうか。われわれ一家も、早い夕食の後、コンビニに来てアイスクリームや菓子や雑誌を買うのが、海岸での花火と並ぶ、夜のレジャーであった。ハワイやグアムに海水浴に行く一家も珍しくなくなった時代に、われわれ一家は昭和30年代の庶民の海水浴の様式をずっと守り通してきた。しかし、それも3年前に終わった。時代の変化のためではなく、家族のライフステージの変化(子どもの成長)のためである。今日のようによく晴れた真夏日は、あの海辺の町のことを考える。

 本日の朝食、カレー、トースト2枚、牛乳。昼食、そうめん、ゆで卵。夕食、さんまの塩焼き、カボチャの煮付け、玉葱の味噌汁、ごはん。本日観たTVドラマ、『女王の教室』。今回はこれと『ドラゴン桜』が面白い。どちらも学校ものなのは偶然か、あるいは私が教師だからか。『スローダンス』と『しあわせになりたい』はいまひとつ。『大人の夏休み』は期待外れ。視聴率トップの『電車男』は最初から観ていない。本日購入した本、ちくま文庫版『太宰治全集』(全十巻)。「日本の古本屋」で検索し、悠山社書店に発注(5000円)。

 

8.21(日)

「日本の古本屋」を通して注文しておいたC水幾太郎『人間の再建』(白日書院、1947)が神保町のあきつ書店から宅急便で届く。論文Cのための参考文献である。58年の歳月で頁は赤茶けているが、破れてはいない。当時のC水にとって、「人間の再建」は日本社会の問題であると同時に、いや、それ以前に、言論人としての自分の問題であったはずである。戦中の読売新聞論説員として書いた文章と敗戦からほどなくして創刊された多くの総合雑誌からの注文に応じて書く文章との間にどのような辻褄を合わせるのか、そうした「戦後処理」を曖昧にして戦後の論壇で生きていくことは困難であったはずである。論文Cの中核となる問いはそこにある。しかし、いまはこの本はひとまず脇に押しやり、論文A・Bの執筆に集中せねばならない。今日は論文Aを10枚ほど書いた。昼食は気分転換に「やぶ久」に食べに行く。久しぶりのすき焼きうどん。もちろん高カロリーである。深夜、執筆の合間に、腕立て伏せ(25回)と腹筋運動(60回)を行う。本当は有酸素運動の方がカロリー消費にはいいのだが、深夜のランニングというのもね・・・・。

 

8.22(月)

 明け方の4時までパソコンに向かっていたため、目が覚めたら10時だった。ベーコンエッグ、トースト、牛乳の朝食をとり、論文以外の案件を片付けていたら、あっという間に午後になり、リンゴジャムのサンドイッチ、バナナ一本、アクエリアスの昼食をとってジムへ出かける。原稿書きに追われてはいても、国民精神総動員レベルはまだ4なので、ジムを休むには及ばない。ただし、後の疲労を考えて、筋トレはいつもより1セット少ない2セットに止めておく。有酸素運動はいつも通り60分。15分のウォーキングの後、ジョギングに移行。3分ほどで足が重くなってきたが、5分を越えると逆に足取りが軽くなり、なんだかいつまでも走っていられるような気分になった。これがもしかしてランナーズハイというやつだろうか。結局、30分走り続け、水分補給のために5分のウォーキングを間に入れて、最後の10分を再び走った。走行距離は7キロを超え、消費カロリーも600キロカロリー(焼肉弁当相当)を越えた。これまでの最高記録である。ジムでトレーニングを始めた当初は、走るのが苦手で、5分と続けて走ることができず、走っては歩き、走っては歩きで、最後はバテバテになっていたものだが、今日は最後まで息もそれほど乱れなかった。走ることが苦行ではなく、楽しかった。一段進化した感じである。ジムからの帰り途、テイクアウト専門の鮨屋で鯖の棒鮨とお稲荷さんを買って、夕食とした。鯖鮨はそんなに頻繁に食べるものではないが、ときどき無性に食べたくなるときが私にはある。酢飯と、青魚に豊富に含まれるDHA(ドコサヘキサエン酸)を身体が欲しているのかもしれない。今日がそういう日だった。

 

8.23(火)

 終日、論文Aと取り組む。散歩にも出ず、昼寝もせず、NHK大阪の某ディレクターからの取材の申し込みのメールにも「悪しからず」と返信し、悠山社書店から届いた『太宰治全集』全10巻(ちくま文庫版)と戯れることもなく、大好きな『踊るさんま御殿』も半分しか観ず、朝食(ウィンナーとキャベツの炒め、ごはん)、昼食(焼きそば)、夕食(塩鮭、とろろ汁、ひじきと鶏肉の煮物、ゆで卵のサラダ、茄子の味噌汁、ごはん)はそそくさと食べ、ずっと書斎のパソコンの前に座っていた。どうして1日はわずか24時間しかないのであろう。人生は長く、一日は短い。しかし、ときに人生が短いもののように感じられるのは、人生の構成単位たる一日が短いためではなかろうか。ゼロを何万倍してもゼロであるように、一瞬を何万倍しても一瞬なのではなかろうか。黄梁一炊の夢。ただいま午前3時を回ったところ。人間は眠らなくてはならない。

 

8.24(水)

 昨日に続いて今日も終日、論文Aと取り組む。一応目処はついた。骨格は完成したので、明日からは論文Bに作業の重心を移す。今日は平時であればジムに行く日なのであるが、そうもいっていられなってきた。〆切まで残り1週間となったので、国民精神総動員レベルを5(最大)にあげて、100%の臨戦態勢に突入する。この期間は原稿書きが他のあらゆる事柄に優先する。面会謝絶。音信不通。けんもほろろ。赤子泣いても蓋取るな。ゴルゴ13も真っ青の冷酷非情の1週間である。ただし、以前からの約束は反故にしない。それが人の道である。高倉健である。明日、午後から大学へ出る。学生との読書会の約束があるのだ。いいかげんな読み方をしていたら叩き切ってやるつもりだ。

 

8.25(木)

 台風接近中。雨降りで、気温も低い(26度までしか上がらなかった)。大学の場合、8月の終わりは夏休みの終わりではないが、気温が下がると夏の終わりを感じてうら悲しい。まだまだ残暑は続くであろうが、夏から秋への引き継ぎは着々と進んでいるのだ。午後から大学。「五郎八」で昼食(せいろ)をとり、郵便局で『太宰治全集』の代金を振り込んでから、研究室へ向かう。文カフェで弁当の販売をしていた。夏期講習か何かあるのだろうか。しばらく研究室に来ない間に留守電が何本か入っていた。再生したが、とくに重要な伝言はなく、すべて消去。最近は研究室の留守電に重要な用件が入っていることはめったにない。そういう用件はメールで来ることがほとんどだ。家人からの連絡もケータイの方に来るから、研究室の電話にかかってくるのは内線からのもの(主に事務所から)と、外部の不動産販売業者からのものだけと言っても過言ではない。コミュニケーションのルートも短期間でずいぶんと様変わりしたものである。読書会のメンバーの一人から、台風が接近中ですが本日の読書会はどうなりますかという問い合わせのメールがケータイに届いた。電話ではなくてメールというのが最近の若者の流儀である。電話に出られない状況にある場合を想定してのことかと思うが、メールの方が安いということや、電話という多少とも緊張を伴うコミュニケーションを回避したいという心理も働いているのかもしれない。私はたいてい電話で返事をする。その方が話が早いからだが、ケータイのメールでのやりとりは、面と向かっている者同士が筆談をしているような感覚が私にはあって、どうも馴染めないのだ。午後3時から読書会。6時過ぎまで行う。研究棟の外に出ると雨脚はそんなに強くはなってはいない。台風接近中ということを知らなければ、ふつうの雨降りと思うだろう。明日は台風一過の真夏日になるのだろうか。晴れでも雨でも、終日、原稿書きであることに変わりはないのだが・・・・。

 

8.26(金)

 今日も一日この場所で過ごす。古本屋の主人が座る帳場に似ている。雑然として見えるかもしれないが、原稿を書くのに必要なものはすべて椅子から立ち上がらずに手に取れる範囲にある。その意味では飛行機のコックピットにも似ている。実際、席を立つのは、トイレに行くとき、キッチンに行って飲物を調達してくるとき、食事のとき、シャワーを浴びるとき、それだけである。食事で作業が中断するのが惜しいので、昼食は自分でハムとリンゴジャムのサンドイッチを作って、食べながら作業を続けた。夕食もそうしようと思って、妻におにぎりを作ってくれないかといったら、呆れて相手にしてもらえなかった。本日の夕食は、サーモンのピカタ、鶏の胸肉と胡瓜とレタスのサラダ、キムチ風味の白胡麻のふりかけ、なめこの味噌汁、ごはん。本日の唯一の息抜きはTVドラマ『ドラゴン桜』。本郷の東大構内でロケが行われていた。赤門の前でロケが行われるのは珍しいことでないが、構内でというのはあんまりないんじゃなかろうか。東大も独立法人になって宣伝活動の必要性を感じているのであろう。深夜、新しい分析の手法を思いついてしまう。時間がないときに余計なことを思いつくんじゃない! しかし、思いついてしまった以上はやってみないと気がすまない。うん、使えるかもしれない。いま、午前3時半。眠たくはないが、明日のために寝なくては。徹夜は〆切2日前にならないとやってはならないことに決めている。

 

8.27(土)

 ただいまの時刻、(28日の)午前4時半を回ったところ。限りなく徹夜に近くなってきた。今日は、細部に時間を取られ、全体の進行が思うように進まなかった。さすがに疲労の色が濃い。丸山弁護士の100キロマラソンといい勝負かもしれない。

 

8.28(日)

 午前中、論文B。昼食後、論文A。夕食後、再び論文B。思考回路のスイッチを事例分析モードから統計分析モードに切り替え、再度、切り替える。対照的な思考モードである故、両立が可能なのである。これが同じモードの2つの論文であったら両立はまず無理である。不幸中の(?)幸いというべきであろう。スイッチを切り替えるときに、腕立て伏せ20回、腹筋運動40回、スクワット100回を行う。頭と神経を酷使しているときは身体もそれ相応に疲労させるべしというのが私流の心身論である。そうしないとバランスが崩れると思うのだ。身体がそれほど疲れておらず頭と神経だけが疲れている状態というのは深い睡眠を得ることができない。このところ一日の睡眠時間が4、5時間なので、眠りの深さで眠りの短さをカバーしなくてはならない。もちろん身体を動かすことは運動不足の解消だけではなく、気合いを高め、思考回路を活性化させる効果もある。スクワット100回は人並み以上。学生時代にバドミントンをやっていたおかげで大腿筋は発達しているのである。腹筋は人並み。弱点は腕・肩の筋肉である。バドミントンではラケットを握る右の腕・肩の筋肉は発達するが、左の腕・肩の筋肉が発達しない。しかも5年ほど前にスキーで転倒して右の肩の筋を痛めてしまい、それが古傷化しているのである。それでもここ3ヵ月の筋トレで20回程度なら普通に出来るようになったのである。ジムにはもう一週間いっていない。たぶん今週もいけないだろう。走りたい。私も丸山弁護士のように女性たちにアイシングをしてもらいたい。間もなく午前3時。今日はそろそろ寝よう。なんだか早寝のような気がする。

 

8.29(月)

 昼、論文B。夜、論文A。締め切りまで残り2日。ギリギリの作業が続いている。間に合うか、間に合わないか、現時点でもまだわからない。丸山弁護士はきちんと計算をして番組終了の15分ほど前に武道館に到着し、拍手喝采を浴びたが、私の場合は予断を許さない状況にある。しかも、ギリギリ間に合ったとしても、それは当たり前のことで、誰かが褒めてくれるわけではない。

ところで、今回の『24時間テレビ28 愛は地球を救う』は丸山弁護士のことが気がかりで、ときどき見ていたが、たまたま見ていたときに、癌患者でフォークシンガーの東田寿和という人が、自分のオリジナル曲「西へ向かう」を木村拓哉とのコラボレーションで歌っていた。とてもいい曲だった(出だしがちょっと長渕剛の名曲「乾杯」に似ている)。今日、インターネットで調べたら、「戦うオヤジの応援団」というところから彼のCD「西へ向かう」(全15曲)が販売されていることを知り、さっそく申し込む。また、Amazonで調べたら同名のエッセー集が中古本で出品されていたので、これも購入。彼は私と同年の生まれで、道理で彼の歌うフォークソングの旋律が私の耳に親しみやすかったはずである。

 

8.30(火)

 私のホームページは大変シンプルなもので、カウンターも付いていなければ、どこからアクセスしているのかを分析する機能もない(付けようと思えば付けられるのだが、それは人生を煩雑にするだけのような気がするので、付けていない)。しかし、私の個人的な知り合いの中に私のホームページの読者が何人かいて、「フィールドノートを読んでから寝ることにしています」と言ってくれるので、ここしばらくフィールドノートの更新時刻が遅くて、申し訳ないような気持ちになっている。今夜もすでに(31日の)午前2時を回ってしまった。しかもまだしばらく就寝できそうにない。おそらく夜明けまでかかって論文Aを仕上げることになるだろう。そしてお昼近くまで寝てから、最後の一日を使って論文Bを仕上げるのだ。なので、フィールドノートはいま更新しておかないと、明日の朝の作業になってしまう。顔の見える何人かの読者のために、作業を一旦停止して、今日のフィールノートを書いている。ついさっき、妻が寝る前に私の書斎をのぞいて、「8月31日に夏休みの宿題をやっているカツオ君みたいね」と言った。はい、はい、そうですよ。あ〜、よかった、8月が31日まであって。

 

8.31(水)

 現在、9月1日の午前0時を回ったところ。論文Bを書いている(論文Aは書き上げた)。間違いなく朝までかかる。そして午後2時からの検討会(論文集の共著者たちが横浜のホテルで2泊3日の合宿をして、各自の論文の内容を検討する)に出向くことになる。さあ、いよいよゴール前の最後の上り坂だ。沿道の観衆も声援を送っている。「大久保先生、頑張れ」「大久保教授、頑張れ」「お父さん、頑張れ」「あなた、頑張ってね」・・・・幻聴が聞こえてくる。

 

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