ジェイムズ・シュウォック氏(ノースウェスタン大学助教授)の近刊書

 

拙著『日本テレビとCIA』の引用・参考文献に「未刊」としてあげてあるThey’re Working on Global TV(University of Illinois Press)今年の夏あたりに出版される。拙著は出版がスムーズにいったが、シュウォック氏の場合はいくつかの名門出版局と折衝して長引いてしまった。しかしながら、拙著がシュウォック氏の著書に負うところは大で、こちらの方が先行したことを残念に思っている。

ニューメディアのあまり知られていない面は、それらが軍事、外交、政治上の重要な武器とされてきたということだ。ニューメディアを軍事、外交、政治にどのように戦略的に利用していくかということは、メディア研究の重要な部門だ。シュウォック氏はそのようなメディアの戦略的使用について歴史的に研究し、私の目を開かせてくれた先達だ。

彼の著書はもう少しまたねばならないが、その中の目玉となる論文Crypto-Convergence, Media, and the Cold War以下のURLでウェブ上に公開されているので、興味のある方は読んでいただきたい。web.mit.edu/cms/Events/mit2/Abstracts/MITSchwochTV.pdf(でなければ検索語Holthusen Papersを入れれば出てくる)

 

 

正力の原子力導入推進キャンペーンとCIAの心理戦

2006年11月25日(於東京経済大学)

発表要旨

 

先行研究

1.              井川充雄「原子力平和利用博と新聞社」。津金澤聡黄編『戦後日本のメディアイベント』、世界思想社、2002年所蔵

2.              アレック・デュプロ、松田道雄ら「PANELDJAPAN 初めてヴェールを脱ぐアメリカ対日洗脳工作の全貌 第三回」、『Views』、1995年一月

 

参考文献

 

1.       柴田秀利『戦後マスコミ回遊記』、中央公論社、1995年

2. 春名幹男『秘密のファイルーCIAの対日工作』、2003年

 

引用文献

 

1.有馬哲夫『日本テレビとCIA』、新潮社、2006年

2. Foreign Relation of the United States, 1952-1954, Volume XIV.

3. State of Department Descimal File, 511/94/1-53, RG59,NARA.

4. State Records: Special Assistant for Atomic Energy Files Relating to Atomic Energy Matter, RG59,NARA.

6.国会議事録、昭和29年3月25日衆議院外務委員会、4月1日参議院外務委員会など。

阿川秀雄『私の電波史』、善本社、1974年

 

先行研究とのちがい

 

1.CIA正力ファイル、外交文書など新たな資料を踏まえてディテールを加える。

2.全国的マイクロ波通信網計画の棚上げや総理大臣を目指す正力の政界工作などより広いコンテキストにおいて述べる。

3.正力の反原子力世論転換キャンペーンは合衆国情報局(USIA)など公然の政府広報機関だけでなくCIAや国防総省など非公然の機関も関わる共同の心理戦だったということを明らかにする。

 

要旨

讀賣新聞・日本テレビの一九五五年前半の「原子力平和利用使節団」、後半の「原子力平和利用博覧会」などの一連のメディア・キャンペーンは、正力松太郎とアメリカ情報機関(CIA、国務省、合衆国情報局、極東軍司令部)の合作だった。

正力のキャンペーンの目的はきわめて政治的なもので1)産業界なかんずく電力業界の支援のもとに政界に打ってでること、2)早期に原子力発電を実現して総理大臣の椅子を手に入れること、3)それによって宿願のマイクロ波通信網を手に入れることだった。

アメリカ側の目的は、1)アイゼンハワー大統領の「アトムズ・フォー・ピース」政策を日本で実現すること、2)第五福竜丸事件で戦後最高の高まりをみせた反原水禁=反米運動を沈静化させること、3)日本に核兵器を配備することを日本政府首脳に飲ませることだった。

両者が目的を達成するためには、広島・長崎の原爆投下と第五福竜丸事件によって根強い「原子力アレルギー」を持っている日本の世論を転換する必要があった。この点で利害が一致したために両者は共同でメディア・キャンペーン(アメリカの側からすれば心理戦)を行った。

しかしながら、一方で正力は早期に原子炉を手に入れ原子力発電を実現したいのに対し、アメリカ側は日本の原子力発電の実現をなるべく遅らせようとしていたので、やがて両者は決裂することになる。このため正力はイギリスからコルダー・ホール型の原子炉を購入することを急ぎ、のちのちまで尾を引く日本の原子力行政の混迷のもとを作る。

 

『日本テレビとCIA』の目的や意図について

 

拙著の早稲田大学や文部科学省向けのタイトルは「日本のテレビ放送の成立におけるアメリカ合衆国の反共産主義政策の影響」となっている。その目的はこれまで憶測や伝聞、あるいは企業のPRや個人の自慢話や事実の意図的捏造と隠蔽の集大成だった日本のテレビの「神話」を客観的資料によって裏付けして検証可能な「歴史」とすることだ。

検証可能とは、本に記述されたことが、本当かどうか、公開された客観資料を読めば、誰でも判断できるということだ。したがって、拙著の記述は以後このような公開された公文書を読む人々の厳しい検証にさらされることになる。

拙著について「そういう話があるのは前から知っていた」、「よくはわからないが多分そういうことだと思っていた」といわれる。単なる憶測やあいまいな伝聞を無責任にいったり書いたりするのと事実を掘り下げ、確認し、裏をとって正確に記述するのとでは相当な違いがある。「同じことがらについて書いているから同じだ」、「だいたい同じだから同じだ」ということにはならない。そもそも筆者は、同じことがらではないし、だいたい同じでもないと思うがゆえに、既にとりあげられているテーマを取り上げたし、客観的で実証的記述にこだわったのだ。

どれとはいわないが、これまで書かれたものはあまりにも口承や伝承に頼りすぎていた。つまり、文書や資料に基づくのではなく、関係者の談話や伝聞に基づき、そこに企業PRのために、読み物として面白みを出すために、脚色を加えて物語にしていた。たしかに関係者の自慢話やゴシップを談話としてとり、その面白い部分だけを張り合わせ、なおかつフィクションの彩りを加えれば読み物としては面白くなる。だが、それは「歴史」を志す筆者の意図するところではない。

歴史は重い。多くの人々が関わり、その人々の生死や毀誉褒貶に関わっている。あだやおろそかに単純化し、読み物にはできない。また歴史は決して単純なものではない。Aは悪玉で、Bは善玉で、Aは間違っていて、Bは正しいと単純化していえない。Aが悪玉かどうかは、誰から見て悪玉なのか、悪玉の基準はなにか、いつの時点でその判断をするのかによる。

筆者のジャパンロビーや正力やテレビの導入や対日心理戦に対するスタンスがどっちつかずなのもこの理由による。歴史にいい悪いはなく、それを判断する唯一の基準というものはない。できるだけ多くの事実を見つめるということが大切なのであって、それによって歴史認識を深め、同じ過ちを繰り返さないようになればこれ以上のことはない。

拙著は口承と伝聞を脚色したノンフィクションという名のフィクションではない。決して読みやすくはないが、歴史とはそういうものなのだ。

 

正力はCIAに操られていたか

 

CIA文書には「本人に知られないように」ポダム(正力松太郎)をポダルトン(全国的マイクロ波通信網建設)作戦に使うと書いてある。だが、正力は柴田秀利が彼に送った報告書を通じて、CIAが一九五三年に柴田が一〇〇〇万ドル借款のために渡米した柴田に接触し、かつ自分のことをいろいろ聞いたことは知っていた。したがって、正力はCIAが自分に支援を与えることで自分を利用しようとしていたことは承知していたといえる。

しかしながら、さまざまな文書を読んでわかることは、正力は自分の会社の利益を第一に考えるが、かといって国益に反することはしなかったということだ。つまり、第一に自分の会社のためになり、第二に国益にもかなう場合はことを進めるが、自分の会社のためになるが国益に反する場合は敢えてしなかったということだ。

したがって、正力が「国を売った」という事実は、今のところ見つかっていない。これからもでてこないだろう。彼は彼なりに愛国者であり、国士であり、だからこそ財界有力者や政治家の支持を受けてメディア界の大物にのしあがることができたのだろう。

それに、売国奴は、アメリカの名門出身者が多いCIA関係者にも蔑まれる。柴田秀利は金でコントロールできる人間のカテゴリーに入れられていてCIAにいい扱いを受けなかった。CIAの「正式」の情報提供者にしてくれと柴田が頼んだとき、この申し出は断られている。

事実、正力は一九五四年以降の原子力発電導入のときは、操られるどころか、CIAと虚虚実実の駆け引きをしている。つまり、正力は原子力導入にCIAの支援を得ることで、五年以内の商業発電を目指し、この実績をもとに総理大臣の椅子を手に入れようとしていた。CIAは正力を利用して第五福竜丸事件で高まった日本の反原子力世論を讀賣新聞と日本テレビを動員させて沈静化し、これを果たしたのちに日本への核兵器の配備を政府首脳に呑ませようとしていた。

結局、CIAとUSIA(合衆国情報局)は讀賣グループの原子力平和利用キャンペーンには手は貸すものの、アメリカ政府は原子炉の日本への輸出は渋った。日本やドイツのような科学技術の水準が高く、かつ敵国だった国には原子力平和利用の支援をひかえるというのが方針だった。その一方でイランやパキスタンやインドなどは積極的に支援した。今日、これがアメリカの頭痛の種になっているのは皮肉だ。

アメリカの態度に業を煮やした正力は、讀賣新聞を使ってアメリカの外交を批判し、かつイギリスから原子炉を購入することを決めてCIAを激怒させた。(それでも実験炉はアメリカから購入して抜け目なくバランスをとっている)

このような事実に照らしてみると、正力はCIAに操られていたというより、少なくとも原子力導入の時期は、CIAと互角にわたりあっていたというほうが正しいといえる。正力とCIAの関係は、持ちつ持たれつの、不思議な共生関係であって、どちらかがどちらかを支配するという関係ではなかった。終戦直後、巣鴨プリズンに押し込められていた時期の正力とGHQ(とりわけGII)の関係とは明らかに異なっていた。

それにしてもCIAやUSIA関係者は、正力のたかり根性には往生していた。正力は上院外交委員会(およびその顧問のホール・シューセン)にはマイクロ波通信網を、CIAには原子力発電所とカラーテレビをただでくれとしつこくねだった。

結局、最後のものだけはCIAからもらえたが、他のものはだめだった。とはいえ、正力は原子力発電所をねだるときでさえ、マイクロ波通信網はもういらないとは決していわなかった。カラーテレビをねだるときでさえ、タイのテレビと放送網と提携するためにやはりマイクロ波通信網が必要だといっている。

また、何でも自分の手柄にしたがり、原子力平和利用博覧会の成功も自分のおかげだと大いばりして、費用と労力をほとんど負担したUSIAの関係者をうんざりさせた。にもかかわらず、どことなく憎めないやつだとUSIA、CIA関係者に思われていたふしがある。

自分の欲望や感情に素直で、大物にしては人間としてわかりやすく、ナイーヴですらあるからだ。あのジャガイモに目をつけたような顔で子供じみた自画自賛とおねだりをやるのだからアイヴィーリーグ出身のエリートたちはついつい警戒をゆるめてしまうのだ。

しかし、CIAにとって正力は思いのままに操れるような人間ではなく、気をつけないと、知らないうちに自分たちを利用しかねない油断のならない人間だった。この意味で正力は吉田や鳩山や岸よりも手ごわかったといえる。正力の持つ讀賣新聞や日本テレビに対する影響力を利用するためにCIA関係者は正力が死ぬまでこの「タフ・ネゴシエイター」といろいろ取引しなければならなかった。

これまでゆがめられ、矮小化されてきた正力像、とくに柴田の私怨によって捏造された正力像は改められてしかるべきだろう。「プロ野球の父」「テレビの父」「原子力の父」がこれまで書かれてきたような卑小な人物であるはずがないではないか。これだけの多く偉業をなし得た人物は日本の現代史ではほかに見当たらない。

アメリカに利用されたというかも知れないが、占領期とそれに続く時代では、そうすることによってしか歴史に残るような大業はなしえなかった。吉田茂とて同じではなかったか。だが、吉田を評価するにせよ、批判するにせよ、彼が歴史的に大きな役割を果たしたということは否定しないだろう。正力の場合も同じだ。

少なくとも私にとって正力は昭和の傑物のナンバーワンだ。いろいろ調べてみてこれほど面白い人物はない。ただし、彼が生きていたとして、彼の下で働こうとは金輪際思わない。