◆好きな映画◆

◆外国映画◆

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆映画化されたアメリカ文学◆

 

 

 

SF映画◆

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Bマイナス級(お馬鹿)映画◆

 

 

 

 

 

◆邦画◆

·       黒澤明監督『七人の侍』(1954)三船敏郎、志村喬、加藤大介、木村功主演。(映画で最後に生き残る志村喬、加藤大介、木村功が、実人生では7人のうち先に鬼籍に入った。映画で死ぬ4人の侍は、全員、刀や矢ではなく、野伏せり側の種子島[鉄砲]に斃れる。野伏せり側との乱戦場面の撮影は、厳冬の2月に、世田谷区砧の撮影所で行なわれた)。『蜘蛛巣城』(1957)(シェイクスピアの『マクベス』を戦国時代の日本に置き換えた傑作。黒澤は50年代、60年代初めに限る。私見では、黒澤は『天国と地獄』(1963)以降には見るべきものはない。晩年の『乱』『影武者』『夢』などは駄作だと思う)

 

·       岡本喜八監督『日本のいちばん長い日』1967)三船敏郎、志村喬主演

 

·       小林正樹監督『切腹』(1962)仲代達也、三國連太郎、岩下志麻、丹波哲郎主演。(意表をつく筋の展開ゆえに。三船の敵役から脱した仲代の代表作だろう。同工異曲だが、三船主演の『上意討ち―拝領妻始末記』もよく出来ている)

 

·       野村芳太郎監督『八つ墓村』(1977)渥美二郎、萩原健一、小川真由美主演。(芥川也寸志の音楽と小川の妖艶さゆえに。封切りの1,2年後に初めて観たが、渥美扮する金田一が語る後日談には心底ぞっとさせられた。原作は横溝正史の同名小説。一時期の横溝ブームもどこへやら。それにしても金田一は無能な探偵だ。ひとりの命も救えないのだから)

 

·       松林宗恵監督『世界大戦争』(1961)フランキー堺、乙羽信子、宝田明、星由里子、主演。(明らかにB級なのだが・・・。最後の男と女の別れにアマチュア無線を利用しているのが異色。新婚まもなく男[宝田明]は船出する。世界の終末が近いことを悟った男は、洋上から新妻[星由里子]に和文電信で呼びかける。アマチュア無線の免許を取得したばかりの妻が応答する。男のコールサインは ・−−−/・−/・−−−−/−・・−・/−・−−/−・・− 変てこなコールサインです。呼ばれた女は −・−・−/−・−−−/−−−− と自分の名前で答え、男が −−−−/・・−/−−・・/・・・−/−・/・・/・−−・/−・/−−・− と応じる。ちょっと泣けます。)

 

·       大林宣彦監督『転校生』(1982)小林聡美、尾美としのり主演。(小林の体当たりの演技ゆえに。尾道三部作の第一作。第二作は大ヒットした『時をかける少女』(1983)。第三作『さびしんぼう』(1985)は多分失敗作。他の大林作品では『異人たちとの夏』1988)がいい。風間杜夫と名取裕子がテレビで観ている映画は、木下恵介監督、高峰秀子主演の『カルメン故郷に帰る』(1951)の有名な一場面。カルメン[高峰]と女友だちが浅間山麓で真白昼にストリップ・ダンスを踊る。高峰のプロ根性に脱帽。加えて初期の天然色が美しい)

 

·       安田公義監督『大魔神』(1966)高田美和、青山良彦。(伊福部昭の音楽ゆえに。しかし映画自体も非常によくできている。最後に大魔神が下す劫罰には身の毛がよだつ)

 

·       宮崎駿監督『風の谷のナウシカ』(1984)(宮崎アニメの原点。「風の谷」は萱野茂の出身地で、彼がアイヌ博物館をつくった北海道平取町のニ風谷村を意識しているのか。日本ともヨーロッパともつかない賢治のイーハトーブ世界の影響は色濃い。どの作品でも大樹と風[飛行]という元型的形象が重要な役割を果たしている)『となりのトトロ』1988年。昭和30年代の所沢が舞台だそうだが、田舎家は佐藤春夫の『田園の憂鬱』を思い出させる。そのためか、どこか大正末期から昭和初期をにおわせる雰囲気がある。また母親が結核療養中であることは堀辰雄の小説『風立ちぬ』などを思い出させる。母親の回復を本編の末尾ではなく、エンド・ロールに持ってきたことは非常に意味深い。子供向けの結末とは別のエンディングが暗示されているような気がする)。『天空の城ラピュタ』(ジョナサン・スウィフトの『ガリバー旅行記』に登場する空飛ぶ島ラプタをモデルにしている。前半に登場する老鉱夫は、ノヴァーリスの『青い花』に登場する老鉱夫あるいは洞窟に住む賢者を思い出させる。他の作品でも同じだが、宮崎映画の軍人や武器は第1,2次世界大戦のドイツを想起させる。また都市もどこかドイツ的な雰囲気を漂わせている)。『千と千尋の神隠し』2001年。ユング心理学が利用されているようである。転校で友だちと別れることになり、生きる力を失いかけている千尋が、本当の自分[自己self]探しをする話と解釈できる。新しい学校では千尋は新たな友だち作りを始めなければならないが、それは古い仮面[persona]をはずして、新しい仮面を身につけることである。それには大きなエネルギーが必要である。古い仮面をはずした千尋は新しい学校への転入を前にして途方にくれている。千尋が湯屋の外で出会う「顔なし」はユングの言う影[shadow]であり、仮面をはずした千尋を心の内面に導くものである。事実、「顔なし」を湯屋に入れたことから、千尋の試練が始まり、その試練の中で彼女は今まで隠されていた自分の能力を発見し、精神的に成長していく。ただし顔なし=影は二面性をもっており、彼が差し出す金塊は貪欲==破滅を象徴しているのだが、千尋はそれに打ち克つ。「坊」と呼ばれる巨大な赤ん坊を甘やかす湯婆[ゆばーば]は、子供を溺愛するあまり、子供の成長を認めようとしない悪い太母[great mother]を象徴している。「坊」は湯婆に「おんもは悪いバイキンがいっぱい」と言聞かされ、成長することを妨げられている。沼の底[無意識]に住む銭婆[ぜにーば]は老賢者あるいは子供を育む良い太母であり、彼女を訪ねることは千尋が本当の自己を見出すことに等しい。ここで影の役割は終わり、顔なしを銭婆のところに残して千尋は元の世界に戻る。魔法によって変身させられ、千尋と共に銭婆を訪ねた「坊」もまた、「おんも」に出ることによって少しばかり成長し、自分の足で立てるようになる。湯屋に戻っての湯婆との対決はただの儀式に過ぎない。最後の場面でのハクのトンネルを出るまでは振り返るなという命令は、冥界[無意識]を抜け出るときの古今東西共通の約束事である。子供の頃、千尋はコハク川に溺れかけたところを川の主であるハクに助けられた。おそらくそれ以来、千尋の無意識には川を愛する心が宿っているのだ。それこそが、先に湯屋のなかで、「腐れ神」とよばれる別の川の神を清める手助けをした際に、千尋が発揮した隠れた能力に他ならない。ちなみにハクの本当の名前は「ニギハヤミコハクヌシ」であるが、これは記紀に登場するニギハヤヒノミコトに由来すると思われる。ニギハヤヒは、神武以前にヤマトを支配した王との説がある。)

 

·       伊丹十三監督『お葬式』(1984年。山崎努、宮本信子主演。クリッシェだけで名作ができる!)『タンポポ』1985年。アメリカに長期滞在中に見た。無性にうまいラーメンが喰いたくなって困った)

 

·       川島雄三監督『しとやかな獣』(1962年。若尾文子主演。若尾のクールな悪女ぶりゆえに。この頃の文芸物に出ていた若尾の艶っぽさは比類がない。鬼才川島の映画作りも完璧としか言いようがない。フランス古典演劇的な三一致の法則の厳守が効果的である。高度成長が始まる頃の日本人の生活にとって、何が贅沢であったがよく分かる)。『洲崎パラダイス』1956年。甲斐性のない男[三橋達也]と娼婦あがりの女[新珠三千代]の腐れ縁の話。昭和30年頃の洲崎橋前の街角のディテールが、実写とセットの両方で克明に記録されている。店頭に真空管式ラジオが山積みになった秋葉原の電気街や万世橋も出てくる)。『幕末太陽傳』1957年。品川の遊郭を舞台に、攘夷派による御殿山異人館焼討ちの陰謀と「居残り佐平次」「品川心中」「三枚起請」などの郭噺に基づく笑劇まがいのストーリーが錯綜する。川島作品でもっとも有名らしい。好みにもよるが、晩年(といっても44)『しとやかな獣』『洲崎パラダイス』の方が面白いし、優れている)。『愛のお荷物』1955年。人口急増対策に苦心する現職の厚生大臣[山村聡]の一家で、次々に妊娠騒ぎが持ち上がるというどたばた喜劇。大臣秘書役の北原三枝が美しい。兄弟役の三橋達也、高友子の演技も光る。山田五十鈴、小沢昭一、フランキー堺、東野英治郎、芦田伸介、菅井きん、など脇役陣も豪華。そのため出費がかさんだのか、非常に丁寧な作りの前半に比べ、最後はやや尻すぼみなのが惜しい。『風船』1956年。大仏次郎の原作。後期の川島作品とは別人かと思えるほど作風が違うが、登場人物[森雅之、北原三枝、新珠三千代、三橋達也、芦川いずみ、二本柳寛、左幸子]の描き分けがしっかりしているのは同じ。『愛のお荷物』に引き続き北原三枝が登場している。今度は軽い悪女役だが、相変わらず魅力的だ。DVD版のもとになったフィルムの保存状態がよいせいか、映像自体が美しい。しかし全体として前年の『愛のお荷物』の方が優れているだろう。ちなみに森雅之が演じるカメラ会社の社長の名前が、偶然ながら「村上春樹」だった)。『とんかつ一代』1963年。)

 

·       増村保造監督『妻は告白する』1961年。若尾文子の真髄が如何なく発揮された映画。若尾が雨に濡れた和服姿で男[川口浩]の会社に現われる最後の場面には、鬼気迫るものがある。同じ若尾主演の『最高殊勲夫人』1959)を高く買う批評家もいる。しかし、軽快でコミカルではあるが、箸にもかからぬ三流喜劇であろう。同じ監督作品とは思えぬほど、若尾のよさがまったく生かされていない。同じ能天気な喜劇なら少し前の『青空娘』(1955)の方が、若尾の若さにあふれるしかしどこか妖しい美しさをはるかによく引き出ている。加えてこの作品は沢村貞子、穂高のり子、とりわけみやこ蝶々など脇役が個性を発揮している。もっとも沢村は下町の女将ではなく、珍しくブルジョワの奥様を演じているのだが。『陸軍中野学校』(1966)はまったく作風が違うが、非情なスパイ役の市川雷蔵に対して、雷蔵に殺される恋人役の小川真由美の演技がすばらしい)

 

·       成瀬巳喜男監督『晩菊』(1954)『歌行燈』(1943)『おかあさん』(1952)など(黒沢、小津よりすごい!。特に小津と比べられるが、台詞ははるかに多く、端役に至るまでひとりひとりの個性が明確に浮かび上がるような映画づくりである。小津のような思わせぶりな神秘主義はない。ほとんどどの作品でも金策が通奏低音である。高度成長以前の貧しくも、懐かしい日本の風景にあふれる。最高傑作と言われる『浮雲』(1955)はあまり好きにはなれない。むしろ個性的な脇役が沢山活躍するような作品の方を個人的には好む。脇役の中でも、杉村春子はまったく別格。成瀬映画に欠かせぬ存在感を示している。その彼女が主役を演じる『晩菊』を一番に推したい(林芙美子の同名の短編小説が原作。話を数倍に膨らませている。この原作では、主人公「きん」は早稲田に近い牛込の金持ちの養女という設定である)。『歌行燈』(泉鏡花原作)は芸道ものだが、宋山役の村田正雄の正真正銘の江戸弁がよい(ナチュラルな巻き舌のR音)。最近では寄席でも聴けなくなった。同じ芸道ものの『鶴八鶴次郎』(1938)では天才女優山田五十鈴が光っている。最後の作品『乱れ雲』(1967)では司葉子演じる未亡人が、筆者と同じ珍しい苗字[江田]なので驚いた。またこの映画のロケが青森で行なわれた頃、筆者もちょうど青森県に転居していた。「十和田観光」のバスが懐かしい。最後の場面に登場する温泉旅館は、八甲田山のふもとにある蔦温泉旅館。その古い建物は現在でもほぼ変わっていない。玄関左脇の懐かしい朱色の円筒形郵便ポストもそのままである)

 

·       小津安二郎『麦秋』1951年。原節子主演。エンディングの山は大和三山の耳成山[みみなしやま]515月のロケで撮影された。)

 

·       木下恵介『二十四の瞳』1954年。木下作品のなかでは、やはりこれが一番か。お涙頂戴の型通りと分かっていながら、高峰が雨のなか自転車を走らすエンディングは泣けます。壺井栄の原作[1952]に驚くほど忠実に作られている。木下の忍耐強い映画作り、主演の高峰秀子と子役の子どもたちとのその後の交流については、独学の作家でもある高峰の『私の渡世日記』[1976年。現在は文春文庫で読める]に詳しい。ちなみにこの本は戦前戦後の日本映画界とその人間模様を垣間見せてくれる貴重な本である。カラフルな文体も読者を飽きさせない。梅原龍三郎[鰻の獅子喰い]や谷崎潤一郎[新村出の前では子猫]との交流も興味深い)

 

·       溝口健二『近松物語』1954年。溝口といえば、ヴェネチア音楽祭で賞を取った『雨月物語』(1953)が有名だが、私見では『近松物語』の方が数段優れる。『雨月』は筋の運びが不自然で、台詞も戦国時代らしくないうえ、終始教訓臭が漂う。『近松』のさらに上を行くのが『祇園の姉妹』1936)。これは同時代の祇園に生きる芸者姉妹の話。でもある妹役の若い山田五十鈴の名演が光る。『祇園の姉妹』『浪華悲歌』1936)の続編だが、比較すると『祇園』の方が優れている。ただ『浪華』では、囲われ者となった山田五十鈴が住んでいる当時最新の贅沢な洋風マンションやそごう百貨店の豪華なティールームが目を引く。「不良少女」という言葉はこの頃から流行したらしいが、現在の意味とは多少違うようだ。成瀬の『鶴八鶴次郎』で山田が演じた鶴八も素晴らしかった。このとき二十歳そこそことは、いま見ても信じ難い。2003年、86歳まで舞台に立っていた。天才女優は芸も命も長い。『お遊さま』1951年。主演:田中絹代。女ふたり、男ひとりの異常な愛の物語。モノクロの映像が実に美しい。原作は谷崎潤一郎の「蘆刈」。原作では、物語の本筋にたどり着くまでの序の部分が20頁ほどもあり、なかなか味わい深いのだが、映画ではすべて省略している。また、映画では、最後がなぜ十五夜の宴の場面なのか分からない。原作の語り手はお静の息子であり、その終わり方は幽玄能のそれである。しかし、映画は映画として完璧な出来であろう)、『赤線地帯』1956)。

 

·       豊田四郎『喜劇・駅前旅館』1958年。森繁久弥、フランキー堺、伴淳三郎。駅前シリーズ第一作。上野駅前の旅館が舞台。戦後の旅行形態の変化、旅行代理店システムの普及によって、昔ながらの客引き番頭が仕事を失っていく。原作は井伏鱒二「駅前旅館」。冒頭に頻出する旅館業界用語は難解で、DVD版には日本語字幕が付いている位である)

 

·       佐伯幸三『唄祭ロマンス道中』1960年。江利チエミ主演。ミュージカル・コメディー。江利チエミの唄と踊りが絶品。とくに肥後民謡の「おてもやん」と八重山民謡の「安里屋ユンタ」。美空ひばりの陰にかくれ、また自らの後年のヒット曲「テネシー・ワルツ」のために、若き日の歌唱と踊りが忘れられつつあるのが惜しまれる)

 

◆いままでにハマった音楽◆

◆ドイツ、オーストリア等の古典音楽◆

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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◆ポピュラー音楽◆

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Credence Clearwater Revival,"Cottonfields"CCRの名曲)

 

 

 

 

·  Loreena McKennitt, "The Lady of Shalott" (based on Lord Tennyson's famous poem) and "The Seven Rejoices of Mary."

 

·       童麗(Tong Li, 「烟花三月」(童麗は中国の伝統歌謡歌手。この歌は、李白の有名な七言絶句「黄鶴楼送孟浩然之広陵」の詩句を散りばめる。YouTube等で「童麗+烟花三月」で検索)

 

·       三木露風「赤とんぼ」(夕焼小焼の 赤とんぼ / 負われて見たのは いつの日か / 山の畑の 桑の実を / 小籠(こかご)に摘んだは まぼろしか // 十五で姐や(ねえや)は 嫁に行き お里のたよりも 絶えはてた / 夕焼小焼の 赤とんぼ / とまっているよ 竿の先。 註:「負われて」=母に負われて。「露風の母かたは、露風が七歳のときに父節次郎に別れ、鳥取の実家に帰っている。露風は若いころ生母を恋うことしきりであった・・・」[司馬遼太郎』街道をゆく9 信州佐久平みち、潟のみちほか』]。 「姐や」: 母代わりに雇われた子守女)

 

·       久慈あさみ(歌)「黄色いリボン」(アメリカ民謡"She Wore a Yellow Ribbon." ジョン・フォード監督、ジョン・ウェイン主演の同名映画[1949]のテーマ曲。アメリカではAndrew Sistersの歌で大ヒットした。)