フィレンツェだより
2007年10月3日



 




サン・フランチェスコ聖堂
上部教会のファサード



§アッシジの旅(その4)
 − サン・フランチェスコ聖堂,上部教会篇 −

一昨日言及できなかったが,下部教会にはまだまだ様々なフレスコ画があった.


 内陣の奥の四分の一球型のコーナーは,通常の十字架形の堂内ならば頭部にあたる後陣の部分だが,サン・フランチェスコ聖堂は下部教会,上部教会ともT型のエジプト十字架の形なので,通常のような後陣はない.

 この奥の四分の一球型の壁面に描かれているのは,ずっと時代は下って17世紀のチェーザレ・セルメイの「最後の審判」だ.「パドヴァの聖アントニウスの礼拝堂」(カペッラ・ディ・サンタントーニオ・ダ・パードヴァ)にフレスコ画「聖アントニウスの物語」を描いた画家である.

 セルメイはペルージャ出身だそうだが,他にアッシジ出身の16世紀の画家ドーノ・ドーニや,彼の弟子で17世紀に活躍したジャーコモ・ジョルジェッティの作品もあるようだ.本来ならこうした地元の画家の作品も丁寧に見たいところだが,今回は十分な鑑賞ができなかった.

 地下のフランチェスコの遺品を展示した部屋には,プッチョ・カパーナというジョット派の画家によるリュネット型の「磔刑のキリストと聖人たち」があったが,この画家の作品は他にも幾つか見られるようだ.



 ジョットの弟子には,ベルナルド・ダッディなど自分の工房を持って大きな仕事をしたビッグネームがいて,彼らの作品はいくつかの教会・美術館で見ることができる.

写真:
タッデーオ・ガッディのフレスコ画
「聖痕を受けるフランチェスコ」
サンタ・クローチェ教会
旧修道院食堂の美術館


 ガイドブックによれば,ジョットの弟子たちの中でも,「聖ニコラウスの礼拝堂の親方」と「ジョットの親戚」と言われている人たちは実力があって,かなりの作品を担当しているらしい.ステファノ・フィオレンティーノについても言及はあるが,作品は特定されていない.

 ステファノ・フィオレンティーノは,サンタ・クローチェ教会のガイドブックにジョットの弟子としてマーゾ・ディ・バンコ,ジョッティーノとともに名前が挙げられており,以前から気になっている画家だ.

 彼の作品である可能性があるものとして,サンタ・マリーア・ノヴェッラ教会の「緑の回廊」から旧修道院の「食堂」に行く入口の上部にあるリュネット型のフレスコ画を以前紹介しているが,その他の作品はまだ見られていない.

 下部教会の内陣には,17世紀までステファノのフレスコ画があったそうだが,今はない.実力者マーゾは,サンタ・クローチェの礼拝堂のフレスコ画を手がけており,ジョッティーノの作品は1点ウフィッツィで見られるので,ステファノの作品がヴァザーリが見た時まではあったのなら,今見られないのは惜しいことだが,何か事情があったのだろう.

 いずれにせよ,下部教会はジョットだけでなく,その弟子たちに関心のある人には必見の場所ということになる.

 ジョット以前の作家としてはチマブーエの他に,「サン・フランチェスコの親方」と称される画家のフレスコ画「聖フランチェスコの生涯」が身廊の壁面に見られる.「小鳥に説教するフランチェスコ」とか「聖痕を受けるフランチェスコ」などは,上部教会のジョットの同じ題材の作品と対比して見るとおもしろいかも知れない.



 前置きが長くなってしまったが,いよいよ上部教会である.

 下部教会から上部教会へ行くには,一旦,下の広場に出て外階段で上の広場に上がって,ファサード正面の入口から入ってもよいし,下部教会を奥まで進んで,翼廊横の階段を上って上部教会の翼廊から入ってもよい.後者だと後ろから入ることになるが,多くの見学者はこちらのルートをたどるようだ.私たちも後ろから入った.

 翼廊の階段をのぼる途中,修道院の中庭付き回廊が見える.

写真:
修道院の回廊


 後部から入るととすぐにチマブーエのフレスコ画が見えた.これまでサンタ・クローチェ教会やアレッツォのサン・ドメニコ教会で,天井から吊り下げられたり,壁に掛けられたりする十字架形のチマブーエの「キリスト磔刑像」を見てきたが,それを思わせる屈曲した姿の「キリスト磔刑像」が壁面に描かれているのが,かろうじて分かる.しかし,「聖ペテロの生涯」の方はほとんどわからないくらい色落ち,剥落が進んでいる.

 左翼廊にも「キリスト磔刑像」があり,その周囲に黙示録に取材した場面が描かれているが,これも私にはほとんど分らない.残念なことだが,仕方がない.これが修復されて美しく見えるようになったら,それは修復とはもはや言えないだろう.

 上部教会は下部教会に比べて,よく日が当たって明るい.もしかしたら,それも色落ちが進む大きな原因かも知れないが,なにしろ天井が高く,広い大きな空間で開放感がある.



 ジョットの大作「聖フランチェスコの生涯」は,身廊の左右の壁とファサードの裏にあった.物語は身廊右側奥の壁から始まり,時系列にファサードの方に向かって進み,ファサード裏から,左側の壁のファサード側から奥へと展開していく.

 下部教会のような礼拝堂はなく,身廊の壁面すべてが連作フレスコ画にあてられていて,下部教会と違って拝廊もない.下部教会が生きた信仰の場とすれば,上部教会は大きなフレスコ画美術館のようにも見える.もちろん左右の翼廊の間の内陣には祭壇があり,その後ろには後陣にあたる部分もあるので,宗教儀式を行うことができるであろう.

 礼拝堂のフレスコ画は見慣れてきたが,大きな教会のかなりの部分を占める壁面を使った大規模な連作フレスコ画を見るのは初めてと言って良いだろう.サン・ジミニャーノのドォーモで「旧約聖書と新約聖書の物語」を見ているが,アッシジのサン・フランチェスコ聖堂ほど大きくはなかった.

これだけ明るい空間で,大きなフレスコ画を見た感想はといえば,つかみどころが無いというか,正直なところ拍子抜けしたような気持ちだった.


 床から2メートルくらいのところに大きな正方形の画面が3つずつ並んでいて,その1つ1つにフランチェスコのエピソードが1場面ずつ描かれている.その3つ一まとまりのグループの上に大きなリュネットがあり,そこにそれぞれ上下2段で2つずつ計4つの絵が描かれている.つまり,このひとかたまりのグループには計7つの絵が描かれており,下段の3つがジョットの「聖フランチェスコの生涯」,リュネットの4つの絵はその他の作家の作品で,右壁面のものは旧約聖書からの物語,左壁面のものはキリストの生涯である.

 この7つの絵からなるグループが左右の壁面にそれぞれ4つずつあり,両壁面のファサード裏に接する壁に,「聖フランチェスコの生涯」の場面がそれぞれ1つずつ加えられ,さらにファサード裏には同じようなグループがあって,下段には「聖フランチェスコの生涯」の場面が2つ,中段は聖パウロと聖ペテロ,上段はキリスト昇天と聖霊降臨と計6つの絵から構成されている.

したがって,「聖フランチェスコの生涯」は(4×3+1)×2+2で,計28の場面からなる大作ということになる.これをすべて絵柄を理解しながら丁寧に鑑賞するのは,いかにジョットへの憧れがあっても大仕事である.


 さらに,その上部のジョット以外の画家の作品も含む,4×9で合計36の中段,上段の絵,さらに身廊の天井の4つの絵からなる2つのグループのフレスコ画(奥の方が「贖い主キリスト,洗礼者ヨハネ,聖フランチェスコ,聖母マリア」,入口に近い方が「大教皇グレゴリウス,聖アウグスティヌス,聖アンブロシウス,聖ヒエロニュモス」という組合せ),身廊だけに限ってもこれだけの絵がある.短時間での鑑賞など不可能であろう.笑って溜息をつくしかない.

 しかし,ガイドブックという便利な手引きがあるので,まずジョット作とされる「聖フランチェスコの生涯」を右壁面奥から順番に見ていった.



 サンタ・マリーア・ノヴェッラ教会の「キリスト磔刑像」を見て以来,全ての作品を見てみたいと思うほど,偉大な画家だと思っているジョットだが,フィレンツェに来る前までは,名前だけは有名な,ルネサンスの先触れになった,中世の未熟な技法の古い芸術家というイメージしかなかった.

その原因のほとんどは,ジョットの名前が出るときに必ず紹介される,アッシジのサン・フランチェスコ教会の「聖フランチェスコの生涯」の中の「小鳥に説教するフランチェスコ」の場面のせいだったかも知れない.


 この絵はファサード裏の左側,絵のある壁に向かうと右側のやや上方に見えるところに描かれており,他の場面はほぼ正方形なのに,ファサード裏の2つの場面は,縦がやや長い長方形で,かなり大きい絵だ.本ではその大きさはわからなかった.

 また,実際の絵柄は,地面に集まっている,「小鳥」という言葉から連想するよりもやや大きめの鳥たちに説教しているのに,私はずっと,彼の方に飛んできた一羽の小鳥に説教しているものと思っていた.

 この有名な絵の内容に関しても誤解していたので,実物を見て絵柄をよく確認しながら,じっくり鑑賞できたことには大いに意味があった.

にもかかわらず,この絵だけでなく,多くの場面に,これがジョットの作品だろうかと思ってしまうほど,大芸術家の実力を読み取ることは難しかった.


 ジョットを見に来たのに,チマブーエの「荘厳の聖母子と聖フランチェスコ」だけに感動して帰ることになるのかなと思い,もうアッシジには来なくても良いように思えた.思っていたより,色落ち,剥落が激しいし,実際に天井の「聖ヒエロニュモス」や,ファサード裏の聖人たちの絵などは1997年の地震によって永久に失われてしまっている.全体的にうすらぼけた感じになってしまった巨大な壁画群を目の前にして,呆然としてしまったというのが実際のところだったかも知れない.



 実はそれだけ失望しながら,2日目もサン・フランチェスコ教会に行き,下部教会で偉大な作品群を再確認した後,もう一度上部教会に行って,「聖フランチェスコの物語」を見た.やはり,2回見て良かった.

 礼拝堂のフレスコ画を中心に鑑賞して来た私にとって,大きな教会の壁面に描かれた一連の物語絵はあまりにも大きかったし,場面,場面の余裕のある画面の使い方が,礼拝堂という限られた空間に描かれたフレスコ画の細密な画法とは明らかに違っており,これを了解するのに時間と反芻が必要だったようだ.

 物語の非現実性,聖人本人は否定したいであろう神格化,大組織になったしまった修道会による神話の創作といった,およそ本当とは信じ難い挿話の数々を,神技の大芸術家は忠実に描いた.

ここに描かれているのは,チマブーエの「聖フランチェスコ」のような等身大の聖人ではなく,彼が偉大であったことを必要とする人々にとって,こうあってほしいという超人の姿のフランチェスコだ.


 だとしても,修道と使命に目覚め,仲間たちを束ね,奇跡を起こし,聖痕を受け,教皇の支持を得,天に召され,死後も敬慕を集める一人の英雄,もしくは「もう一人のキリスト」の物語としてまとめ上げられたこの連作フレスコ画は見る者の心を捕らえて放さない.

 私のように,過大な期待を抱いて見始めた人間には一時のとまどいがあるかも知れない.何度もじっくり見ることで,聖人の偉大さに思いが至るかどうかは信仰の有無もあって個人差があるだろうが,少なくともこれを描いた画家の偉大さには心打たれるであろう.何度も何度も余裕を持ってじっくりと見たい作品群だ.

 この大きな作品のどの場面のどの部分を確実に巨匠が描き,どの部分をどんな弟子や関係者が手がけたのかを識別するのは私たち素人には不可能だ.あるいは専門家の間でも意見が分かれるかも知れない.いかに天才とはいえ,少なくとも一つのまとまった場面に関しては完成が急がれるフレスコ画固有の事情もあるだろう,これだけの絵を全く独力で描けるわけがない.

 この連作フレスコ画の最初の場面にはアッシジのコムーネ広場が描かれている.ローマ時代からあるミネルヴァ神殿と左隣の塔は今も見られる風景だ.現在のミネルヴァ神殿は異教風の外観のままキリスト教の教会になっているが,ジョットはそれを神殿上部にバラ窓を描くことで表現した.

写真:
ミネルヴァ神殿(右)


 この絵が描かれたのは1305年以前だそうである.諸説あるジョットの生年のうち一番古い1266年の生まれだとして,完成が1305年以前とすれば,巨匠40歳以前の作品ということになる.没年は1337年で確定なので,死の32年前であるから晩年ではない.チマブーエの没年が1302年頃とされるので,偉大な師匠が他界する頃で,もちろんジョットは世評の高い親方だったはずだ.一番遅い1276年の生まれだとしても,1305年に29歳なら天才が巨匠であるには十分な年齢だろう.

 生分かりもしていないまま,大作の感想を述べているので,なかなかまとまりきらない.「聖フランチェスコの生涯」の諸場面と,上部教会の残りのフレスコ画については,さらに「続く」としたい.

写真:
アッシジの風景
オリーヴの木


 サン・フランチェスコ聖堂を始めアッシジの主な教会は撮影禁止なので,写真が使えず残念だが,下部教会から上部教会に行くときに見える修道院回廊の写真は紹介できる(上から3つ目の写真).なかなか雰囲気のある,さすがに大きな修道院だと思う.

 「聖フランチェスコの生涯」の4つ目の場面は「サン・ダミアーノ教会の十字架に祈るフランチェスコ」で,十字架から「崩れかけた私の教会を建て直してください」と言う神の声を聞いたフランチェスコはサン・ダミアーノ教会の再建に着手し,これがカトリック教会全体の再建の先駆けとなったとされる.

 サン・ダミアーノ教会と修道院は2日目に拝観したので,それについては後日報告する.

写真:
エウゼビオ・ダ・ペルージャ作
「聖痕受けるフランチェスコ」
1507年
サン・ダミアーノ修道院の回廊


 フランチェスコに話しかけたというサン・ダミアーノの十字架は,現在はサンタ・キアラ教会にあって,下に紹介する写真はその十字架のコピーだ.フランチェスコが父親に幽閉された部屋の跡に建てられたヌォーヴァ教会のすぐ近くに,父親が営んでいた店の跡があって,今は祠堂となって公開されているが,そこに祀られていた.

写真:
フランチェスコに話しかけた
サン・ダミアーノの十字架のコピー


<今日の活動>
 今日(10月3日)は用事があってバスでサン・マルコ広場に行ったが,そこから目的地に向かう途中通ったアカデミア美術館の列が奇跡的に短かったので,即決で用事を明日に回すことにして最後尾に並んだ.15分足らずで入場できた.

 特別展開催のため,入場料は1人10ユーロと高めだったし,中は思ったより人が多くて,特にダヴィデ像の前は混んでいたが,大満足の芸術鑑賞ができた.その報告は後日のこととしたい.

 アカデミア美術館で体力を使い果たしたので,今日は李慶餘飯店で外食をすることにしたが,途中,近所に住んでいたときも日曜のミサと説教の時以外に開いていたのを見たことがない,サン・ガッロ通りとヴェンティセッテ・アプリーレ通りの交差点の北東の角にあるジェズ・ペッレグリーノのオラトリオが,現代絵画の展示即売会の会場となって開いていた.イングレッソ・リーベロ(入場無料)だったので,絵画展の鑑賞とオラトリオの拝観をさせてもらった.フィレンツェに住んでいられるということはまことに幸せなことである.

 明後日から2泊3日の予定でローマに行ってきますので,「フィレンツェだより」は7日(私の誕生日です)までお休みして,8日に再開します.再開したときは49歳になっています.笑って溜息をつくしかありません.





ジョヴァンニ・バルドゥッチ作
「キリストの生涯」 1590年

ジェズ・ペッレグリーノのオラトリオ