フィレンツェだより
2007年10月12日



 




鎮座する猫
ラヴェンナのツーリスト・インフォメーションで



§アカデミア美術館

10月3日,用事でアカデミア美術館の前を通ったら,めずらしく列が短かったので,予定を変更して,すぐに最後尾に並んだ.


 見た目よりは時間がかかって,前に並んでいたグループの中には,あきらめて立ち去る人たちもいたが,結局15分足らずで入館できた.

 行列してでも見たいものが,アカデミアにはある.混んでいるのはやむを得ないが,やはりたまには見たいので,予約を入れようかと思っていたところだった.これで予約料は払わずに済んだわけだが,特別展があったので,あわせて1人10ユーロ,予約料を入れた普段の入館料よりも高い料金となった.

 それでも短時間でこの美術館に入れるのは,逃すべからざる機会である.即座に並ぶ決断をしたのは正解だった.

 もちろん,この美術館の最大の呼び物はミケランジェロの「ダヴィデ像」だ.私もこの大きな彫像をじっくり見たいという気持ちは人後に落ちない.これだけを見ることにしても,アカデミア美術館に行列して入った価値は十分以上にあるだろう.

しかし,この美術館の収蔵作品やその展示の仕方を見ていると,一定のコンセプトがあって,それを意識した統一感のある収集と展示が行われていることがわかる.


「コロッソの大広間」
 「コロッソの大広間」は,ジャンボローニャの「サビーニの女の略奪」のオリジナル石膏モデルを中心に,フィレンツェのルネサンスを支えた画家たちの作品が飾られている.

 しかし,たとえばネーリ・ディ・ビッチは,私たちには最早無名の画家ではないが,現在評価の高い芸術家とは言いがたいし,その彼ほどの名声もなかった作家の作品も多く展示されているので,玉石混淆という言い方もできるだろう.

 それでもドメニコ・ギルランダイオの「聖人たち」を始めとして,ヤコポ・デル・セッラーイオ「キリスト降架」(ピエタ),ロレンツォ・クレーディ「幼児のキリスト礼拝」,フランチェスコ・グラナッチ「腰帯の聖母」,リドルフォ・デル・ギルランダイオ「聖母子と聖人たち」,ラファエッリーノ・デル・ガルボ「キリスト復活」,マリオット・アルベルティネッリ「三位一体」,ジョヴァンニ・アントニオ・ソリアーニ「無原罪の御宿りと教会博士たちの議論」,フラ・バルトロメオの「イザヤとヨブ」など,フィレンツェ・ルネサンスの傑作が目白押しだ.

 それほどの水準の作品とは今のところ思えないが,パオロ・ウッチェロの作品もあるし,ロレンツォ・クレーディもしくは彼の工房の作品とされる絵もある.

 ボッティチェルリの2枚の「聖母子」は,工房作品かも知れないが,それでもやはり彼の名で伝わる作品があるのは魅力だ.フランチェスコ・ボッティチーニやドメニコ・ミケリーノも実力派の画家だろう.

 今回は,この「コロッソの大広間」をまず丁寧に見たが,私が興味を持っているアレッソ・バルドヴィネッティの「三位一体」,フランチャビージョの「聖母子と幼児の洗礼者ヨハネ」を見ることができたのも嬉しい.後者は眠っているジョヴァンニーノが可愛い.

 今回の最大の収穫は,マザッチョの弟スケッジャの作品とされる「アディマーリ家の長持」の絵をじっくり鑑賞できたことと,先日パラティーナ美術館でその魅力を再認識したペルジーノの「聖母被昇天と聖人たち」と,フィリピーノ・リッピの死後ペルジーノが完成させた「キリスト降架」が見られたことだ.

 フィレンツェで見られるペルジーノの絵は少なくないものの,ペルージャに比べればやはり限定される.サンティッシマ・アヌンツィアータ教会の「聖母被昇天」,フリーニョ旧修道院食堂のジェリーノ・ジェリーニとの共作の可能性があるとされる「キリスト磔刑と聖母,聖ヒエロニュモス」,その他ウフッツィ,パラティーナにある作品はこれからも見たいし,まだ未拝観のパッツィ教会の「キリスト磔刑」は滞在中に是非鑑賞したいが,予定が組めればペルージャにも行ってみたいと思っている.

写真:
ペルジーノ作 
「聖母被昇天」
サンティッシマ・アヌンツィアータ教会



ミケランジェロとその影響
 ダヴィデ像のある,ダヴィデのトリブーナに至るギャラリーには,複数のミケランジェロの未完作品が置かれている.これも非常に素晴らしいが,今回は板絵,カンヴァス画に焦点を絞ったので,リドルフォ・デル・ギルランダイオと息子のミケーレの絵をそれぞれ2点,デル・サルトの剥離フレスコ画「ピエタのキリスト」,ミケランジェロの下絵をもとに描かれたとされるポントルモの「ヴィーナスとキューピッド」をじっくり鑑賞した.

写真:
ポントルモ作
板絵「キリスト降架」
サンタ・フェリチタ教会
カッポーニ礼拝堂


 ポントルモの板絵については,フェリチタ教会の「受胎告知」のフレスコ画があるカッポーニ礼拝堂の「キリスト降架」と,ヴィスドミニ教会の「聖なる会話」を見ている.

 アカデミアにある作品は,ミケランジェロ的な筋肉質のヴィーナスで,ポントルモ作と前もって言われていないとピンと来ないが,やはり傑作だと思う.

写真:(参考)
ミケランジェロ作 「モーゼ像」
サン・ピエトロ・イン・ヴィンコリ教会
ローマ



ブロンズィーノとその弟子たち
 ダヴィデ像があるトリブーナには両脇に「翼廊」があり,そこに展示されているのは,ブロンズィーノとその弟子たちの作品という特徴を持っていると思われる.

 ここではアレッサンドロ・アッローリ,サンティ・ディ・ティート,ステファノ・ピエーリの3人の作品を見ることができる.サンティ・ディ・ティートは弟子ではないかも知れないが,ブロンズイーノの工房にアッローリやピエーリとともにいたらしい.ブロンズィーノの「キリスト降架」のある左翼廊にはサンティ・ディ・ティートとピエーリのそれぞれの「キリスト降架」がある.

 左翼廊には,2点の受胎告知を含む5点のアッローリの作品が飾られている.彼はブロンズィーノの甥で,その養子となり,場合によっては自ら「ブロンズィーノ」を名乗っている場合もあるらしい.少なくもルッカのドゥオーモとカッシャの宗教美術館に「ブロンズィーノ作」とされるアッローリの作品があった.

 アッローリは,この後の16世紀後半から17世紀のフィレンツェの絵画史を考える(話が大きくなってしまうが)上で重要な人物だと思われる.

 とは言え,左翼廊の最高傑作は,やはりブロンズィーノのキリスト降架だろう.ブロンズィーノの作品は諸方で見ているが,サンタ・クローチェ教会に「ピエタ」があり,同教会の美術館に大きな「リンボのキリスト」(伝)がある.

写真:
ブロンズィーノ作 「ピエタ」
サンタ・クローチェ教会


 右翼廊にはジョルジョ・ヴァザーリ,マーゾ・ダ・サン・フリアーノ,ピエール・フランチェスコ・フォスキ,ポッピ,カルロ・ポルテッリの作品が見られた.

 サンティ・ディ・ティートの作品も右翼廊にあるが,彼の作品はサン・マルコ教会で「十字架の前で祈る聖トマス」,サンタ・クローチェ教会で「エマオの饗宴」などを見ている.

写真:
「エマオの饗宴」
サンティ・ディ・ティート
サンタ・クローチェ教会


 ミケランジェロと同年生まれのジュリアーノ・ブジャルディーニの「聖母子と幼児の洗礼者ヨハネ」があったが,同じ主題でサルヴィアーティの作品もあった.16世紀前半の宗教画で,左翼廊の作品とともにあるいは「対抗宗教改革」がキーワードになるかも知れない.


中世末期の板絵
 今回,特にじっくり鑑賞したかったのは,ジョットからロレンツォ・モナコに至る,14世紀から15世紀初めにかけての,中世末期からルネサンスに至るまでの祭壇画を中心とする板絵の宗教画である.これだけのコレクションはフィレンツェのアカデミア美術館でなければ見られないだろう.

 初めて見た前回,かろうじてロレンツォ・モナコについては,作品数も多いし,力のある画家なのだろうと思ったが,その他は,何かしら魅かれるものがあるので,もしかしたら今後興味を持つかもしれないけれども,今のところなじみが薄いので良く分らない,と思った程度だった.

 その予感は当たり,その後,教会や美術館でこのジャンルの作品の鑑賞を重ね,興味を深め,今ではそれなりに知識も整理し,画家の名前や作品の特徴も多少は頭に入っている.前回とは違う鑑賞ができると期待していた.



 日本式に言うと1階にあたる部分に展示されている作品群は,ジョットの弟子たち,オルカーニャの周辺,その他という3つの分類になっていると思う.「その他」にはジョットその人の作品とされる剥離フレスコ画断片「羊飼いの頭部と羊」もあり,彼以前の板絵,彼の同時代人の作品が少ないながら見られる.

 ジョットの弟子たちの作品を飾った部屋に入る入口の上部に,14世紀初めのフィレンツェの画家による「キリスト磔刑像」があり,これも立派なものだが,その奥に見える部屋の中に掛けられたベルナルド・ダッディの「キリスト磔刑像」は見事で,師匠ジョットのサンタ・マリーア・ノヴェッラ教会の「キリスト磔刑像」とはまた違う魅力をたたえている.

 アカデミア美術館は写真厳禁なので,写真の大きさを重視して,前回よりやや大型の英語版ガイドブックを買い足したが,今まで持っている2冊と合わせても,この「キリスト磔刑像」に関してはどれも不満だ.もう少し,威厳のある品格に満ちた作品だと思う.

 ただ,今回買ったガイドブックには14世紀初めフィレンツェの作家の「磔刑像」とダッディの「磔刑像」が両方写っている展示場の紹介写真があり,これは小さいが実際に見た雰囲気を伝えていると思う.

 今まで持っていた日本語版の「公認ガイドブック」と写真とテクストはほぼ同じようだが,写真が大きいこと(鮮明さは日本語版も十分),全作品のリストがあること,幾つか日本語版にない展示場の様子などの写真があることが,このガイドブックの利点だと思われる.

 同じくジョットの弟子であるタッデーオ・ガッディのパネル画「キリストと聖フランチェスコの生涯」には「最後の晩餐」があり,これでタッデーオの「最後の晩餐」はサンタ・クローチェ教会の美術館のものとあわせて2作目だが,残念ながらガイドブックにこの写真はない.

 オルカーニャの「聖霊降臨」もさることながら,弟のナルド・ディ・チョーネのトリプティク「三位一体と聖ロムアルドゥス,福音史家ヨハネ」は見事というしかない.その下の弟ヤコポの「聖母戴冠」もあったが,ナルドには遠く及ばないように思えた.ナルド・ディ・チョーネの作品をたくさんみたい.



 日本式に言うと2階にあたる階に行く途中,たくさんのイコンが階段で見られる.これも余裕があればじっくり鑑賞したいのだが,2階の14世紀後半から15世紀初めの「後期ゴシック」の作品群を見たかったので先を急いだ.

 「最高傑作」と言われるジョヴァンニ・ダ・ミラノの「ピエタのキリスト」は修復中で見られなかったが,ウフッツィでたった1作だけしか見たことのないジョッティーノの作品と,もしかしたらタッデーオの息子でアーニョロの兄弟ジョヴァンニ・ガッディかも知れない「アカデミアのミゼリコルディアの親方」の作品が見られた.

 ジョヴァンニ・ダ・ミラノの作品は,サンタ・クローチェ教会の聖具室のリヌッチーニ礼拝堂で,フレスコ画「聖母マリアの物語」」と「マグダラのマリアの物語」が見られる.また,この礼拝堂にはジョヴァンニ・デル・ビオンドの祭壇画「聖母子と聖人たち」がある.

写真:
祭壇画「聖母子と聖人たち」
ジョヴァンニ・デル・ビオンド
サンタ・クローチェ教会


 これ以上画家と作品の名前を列挙しても無意味であろうから,私の好きなスピネッロ・アレティーノの板絵が見られたこと,それからジョヴァンニ・デル・ビオンド(受胎告知),マリオット・ディ・ナルド(聖母子と聖人たち),ジョヴァンニ・ダル・ポンテ(聖母戴冠),ロッセッロ・ディ・ヤーコポ・フランキ(聖母戴冠)の大きな祭壇画が見事だったことを加えておく.

 実力者が十分な動機があって本気を出すと,傑作はできてしまうようである.アカデミアのコレクションは本当に素晴らしい.



 ウフィッツィやパラティーナにある作品は,ウェブ・ギャラリー・オヴ・アートにも比較的良く紹介されているが,アカデミアの作品はほとんどなく,リンクして見てもらえる画像がなくて残念だ.特に中世,後期ゴシックは全滅だった.確かに写真ではわからないことは多いが,それにしても紹介くらいしてあっても良いのではと思う.

 今のところ,アカデミアに足を運び,主要な絵に関しては大きめのガイドブックを買うくらいしかないようだ.もちろん,実物を見るのが一番である.





ナルド・ディ・チョーネ「聖母子と聖人たち」
サンタ・クローチェ教会美術館