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フィレンツェだより |
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ペルージャの町 ヴァンヌッチ通り(ペルジーノの本名と同じ) |
§ペルージャ(後篇) ヴァザーリとペルジーノ ヴァザーリの『画人伝』の中の「ペルジーノ伝」はおもしろい.貧しい父親のもとに生まれ,豊かさへの憧れを持ち,仕事の対価としての報酬にこだわりを持った.ただ金銭に執着したのではなく,きちんと仕事をして,それによって得られるものを大切にした,というのは私たちには理解しやすい. ヴァザーリの「伝」の中には散漫でよくわからないものもあるが,「ペルジーノ伝」はわかりやすく,一見ほめていないようで,しっかり評価している.ヴァザーリは案外ペルジーノが好きだったのではないか(英訳者の注解では嫌いだったと言っている). ミケランジェロの尊敬は受けられず,弟子のラファエッロには名声で遥かに凌駕されたとしながらも,決してペルジーノを戯画化していない.富と名声を得たが,それは恵まれた才能と勤勉さを活かして,人間としてごく普通の欲望を実現したというのに過ぎず,決してペルジーノがお金に汚かったというような,ネガティヴな印象は受けなかった.
ミケランジェロやラファエッロのような大天才ではないが,多くの注文を受けて勤勉にそれをこなし,富と名声を得て,多くの作品を残したという意味で,ヴァザーリとペルジーノには共通点がある.これで時代が重なっていれば反発もあったのかも知れないが,ペルジーノは彼より何世代か前の人であるし,ヴァザーリの出自に関しては一族に有名な芸術家もいるので,余裕を持ってペルジーノを評価できたと思われる. これだけおもしろい(と,少なくとも私は思った)「ペルジーノ伝」だが,いくつか勘違いがあるようだ. ペルジーノの父親はカステッロ・デッラ・ピエーヴェの出身だが,ペルジーノはペルージャの生まれで,1524年にカステッロ・デッラ・ピエーヴェで78歳で亡くなり,手厚く葬られたと記されている.しかし,英訳者の注解によれば彼が死んだのは1523年で,場所もフォンティニャーノというところで,彼の墓は現在もそこにあるようだ. 生まれについては英訳者はコメントしていないが,チッタ・デッラ・ピエーヴェとされることが多いようで,チッタ(町)をカステッロ(城)にすればヴァザーリの挙げる地名になる.ヴァザーリによれば,ペルジーノはここにも家を持っていたらしいので,ここの生まれか,父親の故郷かはともかくとして,ペルジーノはチッタ・デッラ・ピエーヴェを故郷だと思っていたのだろう. アレッツォはそれより遥かに大きな街だが,アレッツォに家があったヴァザーリは故郷が好きだったという意味でもペルジーノへの共感を持っていたかも知れない. そう思うと,私はヴァザーリ自身にも好感を持つ.しかし,ヴァザーリの絵は諸方で見るが,いまだに好きだと思ったことはない.あまり優れた作品のない教会や美術館で彼の絵に出会うと,とりあえず有名な画家の絵が見られて良かったと思う程度だ. 「地元の画家」 ヴァザーリは,ペルジーノの弟子としてラファエッロ,ピントリッキオの他に,第2版では多くの名前を挙げているらしいが,英訳版では省略され,注解の方に名前と生没年などが列挙されている.その中で, アッシジのアンドレア・アロイージ(1516年に最後の記録) エウゼビオ・ディ・ジャーコモ・ディ・クリストフォロ,通称ダ・サン・ジョルジョ(1465年生まれ) ドメニコ・ディ・パーリ・デ・アルファーニ(1480年頃-1553年以後) その息子オラツィオ(1510年頃-1583年) ジャンニコラ・ディ・パオロ・ダ・ペルージャ(1460年頃-1544年) ジョヴァンニ・バッティスタ・カポラーリ(1476年頃-1560年) は,ペルージャの諸方で作品が見られる「地元の画家」と言っても良いだろう.
フィオレンツォ・ディ・ロレンツォ エウゼビオ・ダ・サン・ジョルジョについては昨日も言及したように,ペルジーノの大作テーズィ祭壇画を手伝ったとされている.国立ウンブリア美術館の内容充実,写真高水準のガイドブック, Vittoria Garbaldi & Paola Merculerri Salari, Galleria Nazionale dell' Umbria, Milano:Silvana Editoriale, 2006 に拠れば,この画家はフィオレンツォ・ディ・ロレンツォの弟子とされている.
サン・ピエトロ教会にも彼の作品とされる「ピエタ」があったが,作者については別人説(ベネデット・ボンフィーリなど)もあり,そもそも暗くて良く見えなかった.ドゥオーモ美術館にバルトロメオ・カポラーリの「ピエタ」(1486年)があるが,これも以前はフィオレンツォの作品とされていたそうだ.このフィオレンツォ・ディ・ロレンツォに関しては,次にまたペルージャに行く機会があれば,是非チェック項目にしたい. エウゼビオ・ダ・サン・ジョルジョ エウゼビオ・ダ・サン・ジョルジョの絵はドゥオーモ美術館で,トンド型の「聖ラウレンティウスの殉教」を見ている.ドゥオーモがサン・ロレンツォ(聖ラウレンティウス)教会なので,ペルージャの守護聖人であるラウレンティウスの絵は多いようだ.鉄格子の上で焼かれる若いラウレンティウスの右側に天を仰いでいる人物がおり,これがペルジーノ風と言えるかも知れない. エウゼビオの作品で最も美しいと思ったのは国立美術館の「三王礼拝」だが,こういう良く描けた作品があると,ペルジーノやピントリッキオの影響を読み取られてしまうのだろうなと思う.実力者だがローカルな画家の運命だろう.
アルファーニ親子 国立美術館で,ドメニコ・アルファーニの「玉座の聖母子と聖人たち」,リュネット型の「ピエタ」,「三王礼拝」,「聖アンナのいるイエスの誕生」,オラツィオ・アルファーニの「エジプト退避の途中の聖家族の休息」が見られた.ドメニコの絵はきれいに描かれた手堅い作品で,解説に拠れば,ペルジーノだけではなく,フィレンツェの画家たちの影響があるそうだ.オラツィオの作品はサン・ピエトロ教会にも「聖母被昇天」をはじめ何点かあったようだが,暗くてよくわからなかった. ジャンニコラ・ディ・パオロ(スミッカ) ジャンニコラ・ディ・パオロは,国立美術館のプレートには「通称スミッカ」とあったが,ガイドブックをはじめ他の資料にはこの通称は出てこない.作風は良くも悪くもペルジーノの影響が最も濃い作家かも知れない.国立美術館の「オンニサンティの祭壇画」などは言葉は悪いかもしれないが,ペルジーノを少し下手にしたような絵に思える.しかし,この人には何と言っても,両替商組合の洗礼者ヨハネ礼拝堂の「洗礼者ヨハネの物語」という大作フレスコ画がある.
タッデーオ・ガッディ(ヨハネ右,ユダ左)とデル・カスターニョ(ヨハネ左,ユダ右)を思わせる構図で,人物の配置は「ギルランダイオのサン・マルコとオンニサンティの「最後の晩餐」(ヨハネ右,ユダ右)と同じだ.1490年代の作品ということであれば,ペルジーノの弟子たちによってフォリーニョ修道院の食堂に「最後の晩餐」(ヨハネ右,ユダ右)が描かれたのと同じ頃と言うことになる. フォリーニョの「最後の晩餐」に,ジャンニコラが関わっていたのか,いなかったのか,おもしろい問題ではなかろうか.状態は悪く,部分しか残っていないのが残念だが,今後も大切に残されてほしい作品だ. カポラーリ親子 ジョヴァンニ・バッティスタ・カポラーリの絵は,「サン・ジローラモの祭壇画」と通称される「玉座の聖母子と聖人たち」を国立美術館で見ることができるが,これこそ聖母の顔がペルジーノ風で,その影響は見た目にも明らかだろう.1515年頃の作品だとすれば,ペルジーノは60代後半,弟子の方は40歳直前で,80年以上生きた人なので,人生の半ばに差し掛かったあたりである.
この画家の父親もやはり画家でバルトロメオ・カポラーリ(1420年頃-1505年)という.ペルージャに生まれ,ペルージャで死んだこの画家とペルジーノの関係は私にはわからないが,56歳くらいの時に生まれた息子を自分より30歳若い地元出身の大芸術家に託したことになる.この画家の作品も国立美術館には何点もあったが,どれも高水準の作品だった. 「天使に囲まれた聖母子」は決して彼の最高傑作ではないかも知れないが,美しい絵だ(ウェブの写真が貧弱なのが残念だが).ペルジーノがまだ20代後半の頃,バルトロメオは地元の先輩として堅実な実力を見せていたことになる.フラ・アンジェリコとベノッツォ・ゴッツォリの影響があるということなので,フィレンツェの絵画の流行に敏感だったと思われる. 「三王礼拝」は同じくらいの時期(1470年代終わり)の作品だが,まるでギルランダイオやボッティチェルリの影響があるように見える.この頃フィレンツェの巨匠たちが20代の若者だったことを考えると,影響を受けたというより,同じ流れの中にいたと考えた方が良いのかもしれない. いずれにしても,バルトロメオ・カポラーリの作品はどれも素晴らしい.「花輪に囲まれた聖母子」などは雰囲気が新しすぎて,20世紀の挿絵のように見えるが,それではほめた言い方にならないので,単に美しいとだけ言った方が良いかもしれない.ペルジーノ以前にフィレンツェの影響を受けながら,ペルージャで独自の画風を確立していた実力者がいたのだ. 「セバスティアヌス」のスタイル バルトロメオと「正義の間の祭壇画」を共作したのがサンテ・ダポローニオ・デル・チェランドロで,彼の「聖セバスティアヌス」は後のペルジーノの「聖セバスティアヌス」(1495年頃,現在ルーヴル美術館所蔵)を彷彿させる作品だ. ペルジーノの作品にはしばしばセバスティアヌスがあらわれる.有名なところでは,かつてフィエーゾレのサン・ドメニコ教会にあった「聖母子と聖人たち」(1493年,現在はウフィッツィ美術館所蔵)が知られており,ジャンニコラ・ディ・パオロの「オンニサンティ祭壇画」のセバスティアヌスはこの系譜に属する作品と思われるが,同じペルジーノでも1500年頃に描かれた「テーズィ祭壇画」のセバスティアヌスはかなり雰囲気が異なる. ペルジーノ以前の世代 彼らよりさらに以前の画家としてベネデット・ボンフィーリが挙げられる.板絵としては「受胎告知と聖ルカ」,「聖母子と奏楽の天使たち」が国立美術館に展示されている.1420年頃の生まれで,1496年が没年なら,バルトロメオ・カポラーリとほぼ同年ということになる.ドメニコ・ヴェネツィアーノの門下でゴッツォリの影響を受けたとされるが,ジョヴァンニ・ボッカーティの弟子とされることもあるようだ.いずれにせよフィレンツェの絵画の影響を受け,美しい聖母を描いたという点でバルトロメオ・カポラーリと共通している. こうしたペルジーノ以前の世代のペルージャの画家たちを考える上で重要な手がかりとなるのが「1473年の工房」と総称されるグループが描いた一連の板絵「聖ベルナルディーノの物語」だ.1枚1枚は小さく,特に目立つ作品には見えないが,丁寧に描かれた美しい絵で,ペルージャにも活躍の場を持ち,影響を与えた聖人への敬慕が感じられるとともに,「工房」に多くのすぐれた画家が集まれるほど,ペルージャには人材が豊富だったことに思いが至る.人材の中には若いペルジーノやピントリッキオがいたと考えられているようだ.
ボンフィーリの師匠とされることもあるボッカーティの絵も見ることができた.「玉座の聖母子と聖人たち」,「奏楽の天使たちに囲まれた聖母子」である.前者で聖母子の前に跪いている聖ドメニコと聖フランチェスコががあまり美しくなくて,私たちの好みには合わないが,ウンブリアとペルージャの絵画史を考える上では多分重要な作品なのだろう.
ペルージャの守護聖人はドゥオーモの教会名にもなっている聖ラウレンティウスだが,他には司教で,東ゴートの王に殺されて殉教者となった聖エルコラーノ(ヘルクラーヌス)と初代司教でやはり殉教者だった聖コスタンツォ(コンスタンティウス)も祭壇画などによく描き込まれている.ボンフィーリのフレスコ画はエルコラーノの生涯を描いたものだが,1454年の作品というから,ペルジーノはまだ幼児で,当然その影響はない. 至福のひととき,ピエロ・デッラ・フランチェスカ ボンフィーリに影響を与えたとされるゴッツォリの祭壇画「聖母子と聖人たち」も見ることができた.また,もしかしたらペルジーノの師匠の一人かも知れないピエロ・デッラ・フランチェスカの「サンタントーニオ教会の多翼祭壇画」が見られたのは,至福としか言いようがない. トスカーナではあるが,自身が「聖十字架の物語」を描いたサン・フランチェスコ教会のあるアレッツォからさらに東の山中に入ったサン・セポルクロの出身で,ウンブリア州,マルケ州の画家たちに大きな影響を与えた大芸術家の作品だ.ウェブ・ギャラリー・オヴ・アートの写真も貧弱だし,絵葉書も良いのを売っていなくて残念だ.美術館のガイドブックの写真は比較的良質だが,何と言っても実際に見た作品がすごかった.
フラ・アンジェリコの前で「心洗われる」 しかし,まだこの美術館には大傑作があった.フラ・アンジェリコ「聖母子と聖人たち」(中央)(左:ドメニコとニコラス)(右:洗礼者とカタリナ)である.これもウェブの写真が貧弱で,「実物を見てください」としか言いようがないが,修復されているとは言え,もともとの多翼祭壇画の形になった姿にしてくれている美術館の展示は,多分画家の真意を伝えているのだろう.ともかく「心洗われる」ということはこういうことかと思う.
個人的にはビッチ・ディ・ロレンツォの「サンタニェーゼの祭壇画」も良かった.多分今まで見たビッチの作品では一番状態がよく,作品としても立派なものだと思う.それにしても,この作品は下部のプレデッラに描かれた「聖人の物語」の部分が良くない.工房の作品であるということはこういうことなのかと思う. フラ・アンジェリコやピエロ・ダ・フランチェスカの作品はプレデッラの部分もすばらしく,ビッチの実力が足りないのか,工房の水準が低いのかは分らないが,超一流とそれには遠く及ばない達者な画家の違いなのかなと思う.でも,私はビッチが好きだし,作品も評価する.フラ・アンジェリコとピエロ・デッラ・フランチェスカが凄すぎるのだ,比べてはビッチが気の毒だ. 中世末期のシエナの傑作 地理的に近いせいかシエナの画家の作品も多かったと思うが,その中では古い時代のタッデーオ・ディ・バルトロの「聖母子と聖人たち」その他の板絵が良かった.シエナで見たフレスコ画よりもずっと良い.特に「聖母子」は素晴らしいと言える.
ドゥッチョの「聖母子と6人の天使たち」があることはそのことを端的に物語っている.ジェンティーレ・ダ・ファブリアーノの「聖母子と天使たち」もあった.保存状態が悪く,ウフィッツィで見られる「三王礼拝」のように華やかな美しい作品とは言いがたいかも知れないが,背景などには画家の実力が十分に察せられる. 国立ウンブリア美術館は本当に素晴らしい美術館だ.本当はサン・ピエトロ教会でも見ることが新しい時代の画家や,アッシジやペルージャの芸術家たちにも言及したいが,とてもではないが,まとめ切れない.
そのオリジナルは国立ウンブリア美術館で見ることができるし,フランチェスコ・ディ・ジョルジョ・マルティーニ(「キリストの笞刑」)やヴィンチェンツォ・ダンティの作品も展示されている. サン・ドメニコ教会 国立ウンブリア美術館と両替商組合の鑑賞を終えて,サン・ピエトロ教会に行く途中にサン・ドメニコ教会にも立ち寄った.もともとはドゥッチョの「聖母子と6人の天使たち」,フラ・アンジェリコの「聖母子と聖人たち」があったようだが,今は再建を経て,堂内に古い雰囲気は残っていない.マリオット・ディ・ナルドが下絵を描いたステンド・グラスがほとんど唯一と言って良い見ものだが,修復中で見られなかった. この教会のがらんとした堂内を見ていると,教会自体が大きく往時の繁栄を思わせるだけに,何か寂しいものがある.付属する旧修道院に国立ウンブリア考古学博物館がある.次にペルージャに行く機会があれば,是非みてみたい. 無事に8ヵ月目に突入 予定通り5時にはバスで丘を降り始めたが,交通渋滞に遭い,駅まで50分ほどかかり,予定していたフィレンツェ行きの直通には乗れなかった.駅員の方が親切な対応をしてくださって,50分後のコルトーナ・トレントーラ行きに乗り,そこで別の線でローマから来るフィレンツェ行きに乗り換え,1時間弱遅れただけで無事に帰れた. シエナに行った日が,滞在8ヶ月目突入記念日だったが,その日は李慶餘飯店に行くには時間が遅かったので,近所の華福餐館に行った.この店は安くて感じが良いので,ペルージャからの帰還後の食事もここでとった.地元のイタリア人に愛され,いつも繁盛している店だ.チンタオ・ビールで,傑作を見ることができ,健康でいられることを祝した. |
カヴール通りからバス停に向かう坂道で |