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フィレンツェだより |
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ドゥオーモのファサード オルヴィエート |
§オルヴィエートの旅 記憶にない大物の画家 ルーカ・シニョレッリという名を知ったのは多分イタリアに来てからだ.それ以前にもどこかで聞いていたかも知れないが,記憶にない.忘れているのでなければ,この人の作品を初めて見たのはウフィッツィ美術館だろう.少なくとも3作あるようだが,いずれもよく覚えていない.
彼の作品を見た明確な記憶は,ペルージャのドゥオーモ博物館,アレッツォの中世・近代美術館で,いずれも玉座の聖母子を聖人たちと天使たちが囲む板絵(テンペラ画)の計3点,どれも見事なものに思えた.さらに遠目ではあるが,アレッツォのサン・フランチェスコ教会に剥離フレスコの「受胎告知」があるのを確認している.
先ごろ妻の友人の向田さんが送って下さった新版の『地球の歩き方 フィレンツェとトスカーナ 2007〜2008』に,巻頭4ページに渡ってルーカの特集が組まれていることからも,注目に値する画家であることが窺われた. 決行までの試行錯誤 オルヴィエートはウンブリア州に属するが,距離的にはトスカーナ州の南端の彼の出身地コルトーナに近く,日帰りも十分に可能だ.しかし,小さな町で観光ポイントが限られるうえ,そのほとんどに昼休みがあって,午前中も観光しようと思ったら,朝早くフィレンツェを出発する必要がある.いつもの「昼休み問題」だ. ところが出発の前日,念のためにトレニターリアのホームページを再度確認すると時刻表が変わっていた.午前6時早々の電車の次は,いきなり8時台後半の電車になってしまう.5時起きし,寒くて暗い6時台の電車で行く決心がつかずに,結局取りやめとなった. しかし,よく考えれば全てを諦める必要はなかった.
しかも,そうすればローカル線(レジョナーレ;「各駅停車」と言いたいところだが,実際には停車駅は便によって異なり,多くの場合「各駅」には停まらない)で行くことができる. もちろんインター・シティ(一種の特急で指定券が必要)の方が早いが,中央駅には停車しないので,カンポ・ディ・マルテ駅までバスで行かねばならず,その時間を考えると,インター・シティで行くメリットは帳消しとなるし,金額的にも高くつく. 気持ちに余裕を持って11時9分フィレンツェ・サンタ・マリーア・ノヴェッラ(中央駅)発ローマ・テルミニ行きのローカル線を選び,実行の好機を待った.片道約2時間20分の旅だ. 晴天は三度招くよ! 寒くて暗い日が続くと,家で机に向かっているのが本当に滅入ってくる.どちらかと言えば,気分が天候に左右されることの少ない能天気な性格なのだが,イタリアでこれなら,アルプス以北のヨーロッパは一体どうなんだろうと思うほど,曇天,雨天の日は陰鬱だ.朝起きて,晴れていると,仕事をうっちゃって,気晴らしをしたくなる. この日(11月13日)は朝から抜けるような快晴で,オルヴィエート行きは即断即決された.バタバタと支度をして中央駅に向かった. 駅に着くと,ユーロスターにトラブルがあり,中央駅には停車しないので,ローカル線でカンポ・ディ・マルテまで行って乗り換えるようにとのアナウンスが何度も流れている.私たちの乗る電車の発車番線の指示がなかなか出ないので少し不安になったが,こちらには影響はなかったようで,定刻どおり出発した.
麓の駅は2つあって,フィレンツェからはコルトーナ・カムチャの駅が近い.次のコルトーナ・トレントーラで,線路は2つに別れ,トラジメーノ湖の東を回る線はペルージャ,アッシジ方面に向かい,西に曲がる線はローマに向かうことになる. 東側からは2度見ているトラジメーノ湖を今回は西側から見た.晴れていてよく見えたが,電車の中からでは写真はうまく写らない.カスティリオン・デル・ラーゴ(湖畔の城)駅を過ぎると,停車はしなかったがパニカーレという駅名が見えた.マゾリーノの故郷だろうか(後日:マゾリーノの故郷パニカーレは別の場所であることがわかった).駅はないが,ペルジーノの故郷チッタ・デッラ・ピエーヴェも近いようだ.
モザイクは18世紀から20世紀のもので新しいが,バラ窓(ロゾーネ)はオルカーニャのデザインによるものだし,浮彫や彫刻,模様と捩れに特徴のある束ね柱(コロネット)など興味深いものが多く見られる.事前の情報どおり,まだ昼休み中で,多くのツーリストがファサード前の広場で開扉を待っていた. 市立考古学博物館 ツーリスト・インフォメーションは4時まで昼休みだったし,その隣の,ルーカ・シニョレッリのフレスコ画があるサン・ブリツィオ礼拝堂の入場券を売っているビリエッテリアも閉まっていた.何時まで昼休みなのか情報がなかったので少し不安だったが,ドゥオーモが開く2時半には開くだろうと思い,とりあえず昼休みの無い市立考古学博物館に行った. ギリシアの壺や皿,その影響を受けたが,独自の展開をしたエトルリアの陶器などのコレクションが立派だった.展示品は多くはなかったが,じっくり見たので,見終わったときには2時半を回っていた. ツーリスト・インフォメーションの隣のビリエッテリアに行ってみると既に開いていた.通常はサン・ブリツィオ礼拝堂とドゥオーモ美術館と合わせて1人5ユーロだが,この日は美術館は何かの都合で開いていないということで,1人4ユーロだった. サン・ブリツィオ礼拝堂 ドゥオーモの堂内の右翼廊の一番奥にサン・ブリツィオ礼拝堂はあった.何でもそうとは限らないかも知れないが,このフレスコ画に関しては,やはり実物を見て初めてわかることが多かったように思える.
教会内はフラッシュを焚かなければ写真OKだが,この礼拝堂は撮影禁止だったので,外側から撮った写真しか紹介できないが,幸いにしてウェブページに写真が出ているので,絵柄はそれで確認してもらえる(1.アンティクリストの説教/2.黙示録/3.肉体の復活/4.地獄行きを宣告された人々/5.天国行きに選ばれた人々/6.天国と地獄へ行ったそれぞれの人々).
ミケランジェロの絵から受ける印象とはまた違うもののようにも思えるが,骸骨が地中から蘇って,骨に肉がついて筋骨隆々の堂々たる体躯の男女になっていく描写は当時としてはかなり新しい表現だったのではないだろうか. 一部フラ・アンジェリコが描いた部分(審判者キリストと,預言者たち)があり,そのことに敬意を表してか,ルーカは自画像の隣にフラ・アンジェリコの姿を高貴に描いているが,サン・マルコ美術館のフラ・アンジェリコの板絵の「最後の審判」に描かれた地獄で責苦を受ける人たちの裸体と,ルーカの描く地獄行きの人々の裸体を比較すれば,確かに世代差があるとは言え,ルーカの描写の斬新さがわかるような気がする.乱暴な言い方だが,すでに始まっていたルネサンスの完成形への路線をルーカが確定したとさえ思える. 同じくトスカーナ出身とは言え,フィレンツェとはまた違う土壌の中から出てきたピエロ・デッラ・フランチェスカの弟子だったかも知れず,地理的にも近いウンブリアの画家たちと共通の背景を持っていたかも知れないルーカだが,このフレスコ画を,たとえば同世代のペルジーノの作品と比べてみたとき,多くの人が言うように新しい時代を感じさせる印象を受けるのは間違いないだろう.
この礼拝堂の絵にルーカが着手したのは1499年で,ロレンツォ・デ・メディチが死んで既に7年,もはや流行の最先端ではなくなっていたであろうが,古典古代を重んじる人文主義の流行が反映していることは確かだと思う.もちろんダンテが『神曲』でこれらの詩人に言及しているからではあろう.ルーカが自分とフラ・アンジェリコの肖像を描いたのも,『神曲』でダンテがウェルギリウスに地獄を案内されるのになぞらえたようだ. ルーカのフレスコ画は傑作だった.実物を見て初めて納得できたことが多かったように思う.
彼が描いた部分(上の写真)はわずかしかないが,それでも厳しい審判を下しているはずのキリストの表情が慈愛に満ちているように見えてホッとする. 奇跡とその聖遺物 オルヴィエートのドゥオーモには「ボルセーナの聖餐布」という奇跡物語の聖遺物を祀った礼拝堂が左翼廊にある.聖体拝領の儀式の重要性に疑念を持っていた司祭に起こった奇跡を背景にしているが,キリスト教全体もしくはカトリックにおける聖職者と儀式の意味を考えると,一見荒唐無稽に思われる伝説も,教会全体,もしくは一部の関係者にとって重要な意味を持ってしまう. この奇跡に関連するフレスコ画をラファエッロがヴァチカンに描いている.しかし,そうした背景とは無関係に,この礼拝堂は多くの善男善女にとっては信仰の助けとして巡礼の対象になっているようだ.
リッポの作品は正面から是非じっくり見たかったが,信仰と巡礼の場であるこの礼拝堂に足を踏み入れることを多くのツーリストが遠慮していた.私たちも同様に,遠くから見させてもらうだけにした. 会えて嬉しい,ジェンティーレ・ダ・ファブリアーノの作品 この教会に入ってすぐ左の側廊に,やはり有名な画家のフレスコ画がある.ジェンティーレ・ダ・ファブリアーノの「聖母子」だ.これまでウフッツィ美術館で見事な板絵の「三王礼拝」を見ているが,ペルージャで見た「聖母子」は状態があまりに悪く,それほどの感銘が得られず,ピサでは見られるはずの作品が見られなかったので,大いに期待していた.
これは素晴らしい作品だったと思う.このジェンティーレという画家がどういう位置づけの人かもまだ良く理解できていないが,しっかりとした技量と確固たる個性を持った人に思えた. 他にも左右の側廊にフレスコ画が部分的に残っていて,これらは上手な絵ではないかも知れないが,有名な画家の絵だけを見るのではなく,気持ちに多少の余裕を持って無名の画家たちの絵を眺めることができるのも,幸運なことだと思う. 地元の作家たち 中央祭壇の背後にある後陣のフレスコ画は「聖母マリアの物語」(下の写真)で立派なものだった.作者はウゴリーノ・ディ・プレーテ・イラーリオ,ピエトロ・プッチョとあるが,いずれも初めて聞く名前だ.この作品は14世紀後半に描かれたものなので,保存状態の良いフレスコ画としては古い方だろう.
聖餐布の礼拝堂の方が少し古いようだが,そちらの作者にもウゴリーノの名前があり,他にはドメニコ・ディ・メーオ,ジョヴァンニ・ディ・ブッチョ・レオナルディーニなどの名前があるが,これも初めて聞く名前で,どういう人かはわからない.巧拙はともかく,これだけ立派なフレスコ画を描く人たちが少なからずおり,工房もあったということだろう. ウゴリーノ・ディ・プレーテ・イラーリオら地元の画家たちに比べると,最初にサン・ブリツィオ礼拝堂のフレスコ画を手がけたフラ・アンジェリコ,それを16世紀の始めに完成させたルーカ・シニョレッリはビッグネームだ.実際にサン・ブリツィオ礼拝堂の絵は多くの人を魅きつけており,私たちも感銘を受けた. 今回見ることができなかったドゥオーモ博物館にはシモーネ・マルティーニの多翼祭壇画もあるようなので,天気の良い日に体調がよければ,フラ・アンジェリコとルーカの絵を見にまた行くかも知れない.ミケランジェロの「最後の審判」のように,見ても見ても見尽くせない絵ではあるが,また見たいと思わせる魅力がある.
時刻は丁度4時になったところで,4時33分発のローカル線に乗れそうだったので,ケーブルカーの駅に急いだ.今回はドゥオーモにポイントを絞り,あまり暗くならないうちに帰れることを優先したので,町の様子もほとんど見ていない.
晩秋の晴天に恵まれた日だったし,丘の上の町だから,もう少し風景を写真に収めてくれば良かったが,眺めのよいポイントまで足を運ぶ余裕がなく,紹介できるような写真は撮れなかった. ケーブルカーはすぐ発車し,帰りのローカル線に間に合い,7時には無事フィレンツェ中央駅に到着した. |
オルヴィエートの丘からの風景 |