フィレンツェだより
2008年1月3日



 




プレゼピオ
サンタ・トリニタ教会



§サンタ・トリニタ教会

まだ,街のあちらこちらでサンタ人形やツリーをはじめとするクリスマス飾りを目にする.


 クリスマス・シーズンの終わりを告げるのは,クリスマス(降誕祭)から12夜目(トウェルフス・ナイト)の6日の公現(エピファニー)祭になるようだ.教会にプレゼピオが飾られているのも大体そのあたりまでだろう.

 見られるうちに少しでも見ておこうと思い,午前中,小雨の中をサンタ・トリニタ教会に行った.最後にトリニタに行ったのは,昨年7月だったろうか,もう大分前の話だ.

 立派な作品を持っている教会でも,作者や題名が表示されておらず,ウェブページなどでも,それらに関する情報を全部は確認しきれなくて,残念に思うことは多いが,この教会は,そのほとんど1つ1つの作品について,丁寧に作者と画題を表示してくれている.いつかそれをゆっくり確認したいと,ずっと思っていた.

 しかし,堂内は大きく,かなり暗いし,見るべきものは多いので,作品の確認,鑑賞には多少の時間と忍耐が必要だ.


サッセッティ礼拝堂
 サッセッティ礼拝堂の壁一面を飾る,巨匠ドメニコ・デル・ギルランダイオの作品「聖フランチェスコの生涯」は,今日はわざわざ喜捨で明かりをつけて見るまではしなかった.そのかわりに,ヴァッロンブローザの出張から帰ってきた,板絵の「牧人礼拝」を少し丁寧に見てきた.

写真:
ドメニコ・デル・ギルランダイオ作
「牧人礼拝」(板絵)
サセッティ礼拝堂祭壇画 



ストロッツィ礼拝堂
 扉を入って左側廊の最初の礼拝堂(ストロッツィ礼拝堂)には,エンポリの「受胎告知」がある.

 これはすでに確認済みだったが,この絵に向かって,左の壁にあるのがコジモ・ガンベルッチの「聖アレッシオの葬儀」(1605年),右側の壁にあるのがポンペーオ・カッチーニの「聖ルキアの殉教」(1606年)で,エンポリの絵の両側にはジョヴァンニ・カッチーニの彫刻(1594年)があることを確認した.

 天井にはベルナルド・ポッチェッティのフレスコ画(1606)があったが,これは暗くてどんな絵柄かはまだわからない.エンポリの絵が1603年なので,この礼拝堂の作品は,全て1600年前後のものということになる.

写真:
エンポリ作
「受胎告知」(板絵)
ストロッツィ礼拝堂



ボンベーニ礼拝堂
 その次のボンベーニ礼拝堂にも,比較的新しい絵が3点ある.リドルフォ・デル・ギルランダイオの「聖ヒエロニュモス」は以前紹介したが,これは左壁にある作品で,正面の作品はアントーニオ・デル・チェライオーロの「シエナの聖カテリーナの神秘の結婚」(1560年),右壁はミケーレ・トジーニの「受胎告知」だった.これらの作品の作者を是非確かめたいと思っていた.

 以前,この「受胎告知」が印象に残ったが,画家の名前に聞き覚えがなく,メモも取らなかった.今は少し知識を蓄えたので,この画家が,いわゆるミケーレ・ディ・リドルフォ・デル・ギルランダイオと称される人で,「3代目」ギルランダイオ(ドメニコの父まで入れると4代目)だということが分る.

 さらに,この3代目は初代の孫でも,2代目の子でもなく,師であった2代目からギルランダイオを名乗ることを許されたということも最近知った.

写真:
ミケーレ・トジーニ作
「受胎告知」(板絵)
ボンベーニ礼拝堂


 ミケーレの絵はどこで見られるのか,なかなか情報がなかったが,諸方を歩いているうちに,サン・ロレンツォ教会,アカデミア美術館(2点),コルトーナのエトルリア・アカデミー博物館,フェッラーラの国立絵画館,サン・サルヴィ美術館(2点),サント・スピリト教会(リドルフォとの共作)で見ることができた.

 長く滞在して,見たい見たいと念じていると出会えたり,実は既に出会っていたことに気づかされる.

 この「受胎告知」は4月8日に最初に見ているはずだ.1570年に描かれたミケーレのこの作品は,師であるリドルフォの絵と同じ礼拝堂にあり,その礼拝堂のある教会にはリドルフォの父ドメニコが見事なフレスコ画と板絵を描いていた.ドメニコの作品の制作年代は1480年台なので,80年に渡って「3代の」ギルランダイオがこの教会に絵を描いたことになる.


ダヴァンツァーティ礼拝堂
 次のダヴァンツァーティ礼拝堂には,ベルナルド・ロッセリーノ作の墓碑があり,絵としてはビッチ・ディ・ロレンツォの祭壇画「聖母戴冠」があって華やかだ.1430年の作品ということで,いきなり古くなる.

 ビッチ・ディ・ロレンツォの作品をペルージャの国立美術館で見たとき,絵は良いが,プレデッラが丁寧さに欠けると思ったが,この作品はプレデッラも比較的上質だ.左から2つ目の場面は「受胎告知」だ.

写真:
ビッチ・ディ・ロレンツォ作
「聖母戴冠」(板絵)
ダヴァンツァーティ礼拝堂



コンパーニ礼拝堂
 次のコンパーニ礼拝堂にプレゼピオ(トップの写真)が飾ってあった.

 この礼拝堂にはビッチの息子ネーリ・ディ・ビッチの「聖ジョヴァンニ・グァルベルトとヴァッロンブローザ修道会の聖人たち,福者たち」のフレスコ画が正面にある.ネーリの作品としては例外的な傑作だと思われるし,この教会がヴァッロンブローザの山中から出てきた修道士たちによって創建されたものだということに思いがいたる.右の壁にはネーリの板絵「受胎告知」もある.15世紀後半の作品だ.

 ここまでで,既に4点の「受胎告知」があることになる.イエス誕生の物語は,「受胎告知」があって,「イエスの誕生」(幼児イエスの礼拝),「牧人礼拝」,「三王礼拝」と展開するが,プレゼピオは大体,誕生したイエスが飼い葉桶の中にいて,左側で聖母が跪き,右側にヨセフが杖をついて立っている構図が多い.絵ではヨセフは老人に描かれたり,眠りこけていたりするが,プレゼピオでは堂々たる長身の「お父さん」であることが多いように思う.

 聖母が幼児イエスを礼拝している絵を「プレゼピオ」(飼い葉桶)と言ったり,「ナティヴィタ」(誕生)と言ったり,「アドラツィオーネ」(礼拝)と言ったりするようだが,もしかしたら,それぞれ区別のポイントがあるのかも知れない.明確に,牧人がすでに礼拝に来ていれば「牧人礼拝」,東方の三博士(三王,マギ)が行列を連ねて到着して,拝跪していれば「三王礼拝」となる.「三王礼拝」の時点で,キリストが異邦人に姿を見せる「公現」ということになる.1月6日の公現祭には,フィレンツェでもマギの礼拝の行列が見られるそうなので,是非見たいと思っている.


バルドヴィネッティのフレスコ画
 ここで左側廊は終わり,左翼廊となる.翼廊の最初の礼拝堂(スピーニ礼拝堂)には,デジデリオ・ダ・セッティニャーノの木彫の「マグダラのマリア」がある.ドゥオーモ博物館にある師匠ドナッテッロの作品と比べると興味深いだろう.

 しかし,今日私が一番作品を見て,作者の確認をしたかったのが,この礼拝堂の左の壁にあるフレスコ画である.「聖人である司教」(サント・ヴェスコーヴォ)とあるだけで,描かれた人物が誰なのかはわからないが,作者はアレッソ・バルドヴィネッティとのことだ.1470年頃の作品とされる.

 彼はドメニコ・デル・ギルランダイオの師匠なので,弟子がサッセッティ礼拝堂のフレスコ画を描く十何年か前に,この教会に作品を残していることになる.

 バルドヴィネッティの板絵にはあまり良いものにお目にかかっていないが,少なくともこの作品はサンティッシマ・アヌンツィアータ教会,サン・ミニアート・アル・モンテ教会のフレスコ画と並んで,傑作と言って良いのではないかと思う.

写真:
「聖人である司教」
アレッソ・バルドヴィネッティ



サン・ジョヴァンニ・グァルベルト礼拝堂
 さらに進んでサン・ジョヴァンニ・グァルベルト礼拝堂には,フィレンツェのサン・ミニアート・アル・モンテ教会を出て,ヴァッロンブローザの山中に篭もり,大修道会の祖となった,この聖人の聖遺物があり,多分その物語を描いていると思われる,イル・パッシニャーノことドメニコ・クレスティのフレスコ画がある.


中央祭壇と翼廊
 翼廊の後陣側礼拝堂(スカーリ礼拝堂)には,ジョヴァンニ・ダル・ポンテのフレスコ画の一部が残っており,ルーカ・デッラ・ロッビア作の「ベノッツォ・フェデリーギの墓碑」がある.得意の彩釉テラコッタの花模様の枠で囲まれた立派な墓だ.

 その右隣のウジンバルディ礼拝堂は,聖ペテロを主題としてファブリツィオ・ボスキとマッテーオ・ロッセッリのフレスコ画,エンポリの「ペテロに鍵を渡すキリスト」,クリストファノ・アッローリとザノービ・ロッシの「水辺の聖ペテロ」があるが,暗くてよく見えなかった.17世紀の作品群だ.

 中央祭壇の多翼祭壇画「三位一体(トリニタ)と聖人たち」がマリオット・ディ・ナルドの作品(1480年)と確認できた.中央祭壇右の右翼廊にはドーニ礼拝堂とサッセッティ礼拝堂があり,サッセッティ礼拝堂にはギルランダイオのフレスコ画と板絵がある.ドーニ礼拝堂は修復中である.「牧人礼拝」の両脇にはメディチ銀行の総支配人だったフランチェスコ・サッセッティとその妻が寄進者としてフレスコ画に描かれている.

 右翼廊のアルディゲッリ礼拝堂には,ベルナルド・ダ・ロヴェッザーノ作の祭壇と,ジョヴァンニ・トスカーニのフレスコ画の「ピエタのキリスト」,マーゾ・ダ・サン・フリアーノの「復活のキリスト」がある.


右側廊の礼拝堂
 右側廊は奥から,ロレンツォ・モナコのフレスコ画「聖母マリアの生涯」と祭壇画「受胎告知」があるバルトリーニ=サリンベーニ礼拝堂,ネーリ・ディ・ビッチの祭壇画「聖母子と聖人たち」とスピネッロ・アレティーノの剥落したフレスコ画「玉座の聖母子と聖人たち」があるチャッリ=セルニージ礼拝堂,フランチェスコ・クッラーディの「洗礼者ヨハネの説教」があるダッヴィーツィ礼拝堂,14世紀のキリスト磔刑像のあるジャンフィリアッツィ礼拝堂となって,再びファサード裏側に至る.

 ファサード裏にも聖人たち剥離フレスコ画があるだけでなく,方々の壁面にフレスコ画が見え,中には「受胎告知」のようにわかりやすいものも,何か聖人に所縁の物語のような,暗い堂内の遠目では判別できないものもある.

 サンタ・トリニタ教会に関しては,英語版イタリア語版のウィキペディアの記述は両方とも充実していて参考になるが,相互に違うところもあるし,書いていないこと,実際に見ると違っている所も少なくない.英語版にはマーゾ・ディ・バンコの追随者によるフレスコ画,など期待を持たされる記述もあるが,今のところ確認できない.

 サンタ・トリニタ教会に関しては,露店の古本屋で大きな本があるのを確認しているが,手頃な値段と大きさのガイドブックのようなものがあれば良いのにと思う.

 今日は,比較的じっくり見ることができ,壁面に残る作者不詳のフレスコ画以外に関しては,作者と絵柄をほとんど確認できたので,満足の行く拝観になった.本来の目的だったプレゼピオももちろん良かった.

 小雨が降る道をテコテコ帰って,午後はエッセルンガに今年初めての買出しに行った.





サンタ・トリニタ教会
ボンベーニ礼拝堂にて