フィレンツェだより
2008年2月2日



 




カーニヴァルの仮面
ヴェネツィア



§ヴェネチアの旅(その1)

1月31日,2月1日と,1泊2日でヴェネツィアに行ってきた.大変すばらしい体験だった.


 イタリアは多様でありながら,間違いなく1つのイタリアであり,それでいてやはり地域ごとの文化は大きく異なっている.

 フィレンツェに関して何ほどのことがわかっているわけではないが,それでも1年近くフィレンツェで暮らして,フィレンツェを基準にイタリアを考える習慣がついていて,実際は,どの町に行ってもフィレンツェと違うので,イタリアの地方文化の多様性に驚く.

 ヴェネツィアはそれらの違いを超えて圧倒的にフィレンツェとは異なる町だ.実質的には丸一日ちょっと滞在しただけで何がわかるはずもないが,そう感じさせる何かがあった.


きっかけはカーニヴァル
 せっかくイタリアに滞在しているが,予算,体力,気力に相談しないと,フィレンツェの外に旅行に出るのは難しい.それでも,ミラノ,3度目のローマ,最後にシチリアと,トスカーナ州外の旅行の計画を算段して,実現する見通しがたった頃,大家さんが,「カーニヴァルの時期のヴェネツィアは特別な場所だ.日帰りで行けるのにどうして行かないのか.この時期にもう来られないかも知れないだろう」とおっしゃった.

 その時点で,私には「ヴェネツィアのカーニヴァル(カルネヴァーレ)」ということが全く念頭になかった.

 「世界3大カーニヴァル」という言い方があることも,その後インターネットで予習する際に知った.そう言われれば,仮面をつけ,時代がかった仮装の男女が華やかに街中を歩く風景を映画や報道で見たような気がするし,イタリア各地で売っている,土産物の仮面(マスケーラ)もヴェネツィアを連想させていたので,全く知らなかったわけではないが.

 年末に親しい同僚に,年賀状の代わりのメールを送ったら,イタリアに詳しい彼は「これからヴェネツィアにも行くんだよね」という返信をくれた.その時も,どうしてヴェネツィアなのか,フィレンツェと並び称せられる歴史と文化に満ちた大観光地だからなのか,と思ったくらいだ.

 カーニヴァルの時期のヴェネツィアが特別なのか,それ以外の時期に行ったことがないのでわからないが,仮面,仮装の伝統行事はさすがに年季が入っていて,安っぽさを感じさせないものだった.

 仮装しているのは地元の人よりも,旅行者が多いのかも知れないが,闊歩する姿がいかにも堂に入っていて,お祭りの苦手な私が,あの仮面の中で,自分の好みのものを本気でほしいと思った.

写真:
ドゥカーレ宮殿の前で
出会った仮装の人



ヴェネチアの「迷宮」
 ヴェネツィアのことを「迷宮」という人がいる.「迷宮」は大げさだろうと思っていたが,実際に行ってみて納得した.

 有名な都市ではあるが,いわば水上に浮かんでいるだけに,土地は狭い.そこに大きな建物がびっしり立っているのだから,必然的に狭い道が多くなる.その狭い道をたどっていくと運河に突き当たるのだが,橋は別の道にしかなかったり,また,運河に突き当たらなくても行き止まりになっていたりするところも少なくない.

 おまけに,肝心なところで多くの観光地図が当てにならなかったりする.仕方なく,見当をつけて歩き出そうにも狭く細い道が迷路のように入り組んでいるところに,高い建物が林立しているので,全く見通しが利かない.これを「迷宮」と言わずして何と言うべきだろう.

写真:
何と言うこともない運河が
そのまま絵になる


 しかし,幸いにも道案内の標識が比較的親切なので,時に迷っても,落ち着いてポイントさえ押さえるとかなり土地勘ができてくるのではないかと思う.

 今回は1泊2日で限られた場所しか行っていないので,土地勘ができるには至らなかったが,何度か道に迷いながら,冷静さを失わずしっかり歩いたので,ヴェネツィアの街を歩くコツがつかめたような気がする.

 最後に帰りの電車に間に合おうと駅に急いだ時,道に迷いかけて,発車まであと数分のところで滑り込むハラハラドキドキはあったが,当初立てた予定は概ねこなすことができたので,まずは第1回ヴェネツィア行は大成功と言ってよいだろう.

 今回はカーニヴァル見学があくまでもメインなので,ポイントは絞っているが,それでも教会と美術館はいくつか訪ね,そこでも満足を得ることができた.その成果については「明日に続く」ということにしたい.

写真:
靄に包まれた景色


 前日にインターネットで天気予報を確かめたら,両日とも“雨がしっかり降る”ということだったし,フィレンツェを発つとき,かなり降っていたので,天気に関しては期待していなかった.結果的には,時には晴れ間も見える曇りで,傘を差さずに済んだので,大変助かった.

 曇りのせいで,海の向こうにかすんで見える教会などが,いかにもヴェネツィアらしく風情のある光景に思えた.


アルテミス弦楽四重奏団
 帰って来た翌日の2月2日,フィレンツェはまた雨だった.土曜日恒例のペルゴラ劇場コンサートの日だが,雨がやまないようならあきらめようかと思っていた.

 今回はベートーヴェンの弦楽四重奏曲が2曲とショスタコーヴィチの弦楽四重奏曲というプログラムで,演奏はアルテミス四重奏団だったから,日本でも聴くチャンスはあるだろうと思わないでもなかったが,あと何回ペルゴラに行くチャンスがあるかを考えたら,小降りなら決行しようという気になり,結局傘をさしてテコテコ歩いて劇場に向かった.

 行って良かった.本当にほめるしか取りえがなくて恥ずかしいが,今日もすばらしい演奏だった.「ドイツの若手音楽家(ジョーヴァニ・ムジチスティ・テデスキ)によって結成された」とあるが,ウェブページで得た情報によるとメンバーは第1ヴァイオリンがナターシャ・プリシェペンコ,第2ヴァイオリンがハイメ・ミュラー,ヴィオラがフォルカー・ヤコブセン,チェロがエッカールト・ルンゲとあり,名前だけ見ると,第1ヴァイオリンの女性奏者がスラヴ系,ヴィオラは北欧系ということかも知れない.

 遠目に見たところでは,古き良き時代のウィーンの上流階級の女性のような立派な体躯と堂々たる立ち居振る舞いのプリシェベンコは狩の女神アルテミスのように見え,彼女にちなんでこのクァルテットの名前がついたのだろうかと思えたくらいだ.全体的に「若手」というには落ち着いた年頃に見え,特にチェロのルンゲはアンコールの時,トツトツとしたイタリア語で挨拶をし,曲名を告げたが,禿頭長身の彼がメンバーをリードしているように見えた.

 1曲目の「弦楽四重奏曲第2番ト長調作品18の2」は,通常ベートーヴェンの弦楽四重奏曲に持つイメージの重厚で,思索的な曲ではなく,典雅で宮廷風の音楽だったが,それでも第4楽章にはすでに後期の弦楽四重奏曲に見られる重々しさがあったかも知れない.いずれにしても演奏が立派だ.弦楽器に触れたこともない私が言うの変だが,演奏家としてのイマジネーションが加わってこそおもしろみがあるとは思うけれど,やはり伝統のしっかりとした技術に支えられているから,これだけ立派な演奏を人に聴かせることができるのだろう.

 2曲目のショスタコーヴィチ「弦楽四重奏曲第9番変ホ長調作品117」の立派さは超絶的だった.私は特にショスタコーヴィチに詳しいわけでもないし,よく彼の曲を聴くわけでもないが,博士論文を書き上げ,提出したその日に買った中古CDが,フィッツウィリアム弦楽四重奏団の「ショスタコーヴィチ弦楽四重奏曲全集」だったくらい,その天才を憧憬の念を持って見つめている作曲家の1人だ.今も忘れない,河原町今出川の津田蓄というレコード屋だった.

 詳しいことはわからないが,土俗的な音楽も取り込みつつ,洗練された曲想にまとめあげ,パロディーとコンタミネーションを駆使しながらも,最後の統一性は間違いなく大天才である作曲家の独創性に拠っている,そうした曲のすばらしさを見事に表現した演奏だったと思う.ショタコーヴィチの弦楽四重奏曲に関してよく言われる,絶望や諦念ではなく,生きる希望と力を感じさせてくれた.拍手が凄かった.途中で帰る人もいたが,この劇場のすばらしいところは,聴衆が良い.良い音楽であればドイツの団体が演奏するロシア人の曲であっても,万雷の拍手で賞賛する.実際に今日の演奏はその絶賛に値するものだった.

 休憩の最中にも興奮がおさまらなかったのは私たちだけではないのは,会場内の雰囲気から感じられた.年が開けてから,ペルゴラではパルコ席をとっているが,1回目が舞台に向かって左側3階,2回目は2階中央,3回目の今日は右側3階だった.角度的にも見やすく,会場全体の様子を見渡すことができる席で,さらにこの劇場の雰囲気になじんだように思う.天井に下がっている,大きなシャンデリアがすばらしい.

 後半はベートーヴェン「弦楽四重奏曲第8番ホ短調作品59の2」はラズモフスキーという愛称を持つ作品群の2番目であり,1806年,ベートーヴェン36歳の時の作曲,16番まである弦楽四重奏曲の中で,1825年以降に作られた後期の弦楽四重奏曲ではない.それでも1曲目の第2番にあった宮廷音楽風の軽快さは影をひそめ,思索的な重厚さをたたえ始めているように思われたが,まるで辻音楽師が軽快に弾くようなフレーズもあり,けっして聴きにくい曲ではない.個人的には2曲目のショスタコーヴィチの後で,興奮した神経を落ち着かせてくれるものに思えたが,会場の興奮はまだ続いていたようで,演奏が終わった後は,凄い拍手とブラーヴィの嵐だった.

 チェロのルンゲがトツトツと挨拶をして,アンコール曲を告げ,ショスタコーヴィチ(チョスタコーヴィチと発音しているように聞こえた)のオペラ「ムツェンスク郡のマクベス夫人」から「アダージョ」を演奏した.これがオリジナルに弦楽四重奏のためのものなのか,作曲者あるいは別人が編曲したものなのか私にはわからなかったが,日本語版ウィキペディアに拠れば,「弦楽四重奏のための2つの小品」という曲があり,このうちの第1曲「エレジー」は,ショスタコーヴィチががオペラを作曲しているとき,主人公のカテリーナ・イズマイロヴァが歌うアリアに基づいて作った変奏曲とのことなので,多分そのことだろう.「アダージョ」という言い方から受ける印象とは異なり,哀感に満ちていながらも緊張と昂揚を孕んだ演奏で,今日の演奏会を締めくくるのにふさわしかった.

 アルテミス四重奏団が来日したら,万難を排して演奏会を聴きに行こうと心に誓って帰路に着いた.





大運河を渡る
リアルト橋の上で