フィレンツェだより
2008年3月24日



 




春の雪が止み,青空が広がる
ヴォルテッラ



§ヴォルテッラ

多分,これがイタリアで書く最後の「フィレンツェだより」になる.


 帰国前日まで,まだ幾つかの予定があるが,帰国準備の方も大詰めに来ている.滞在中に回を重ねるのは多分無理だと思う.したがって,これが最終回ではないけれども,この後のことは日本に帰ってから報告をまとめたい.



 3月20日,トスカーナ州西部の小都市ヴォルテッラに行った.この町に行こうと思ったのは,イタリア滞在の最後に,のどかな丘の上から春になったトスカーナの美しい風景を目に焼き付けておきたいと思ったからだ.

 ところが,この日は目が覚めると雨だった.しばらく前の天気予報は思わしくなかったものの,直前のテレビの天気予報では晴れだったので,気勢をそがれた.予定通り行くかどうか随分迷ったが,もうこの日以外に行けそうもない.

 前々日に,シータ社(バス会社)の窓口で確認するまで,どこからヴォルテッラ行きのバスが出るかもわからなかった.

 『地球の歩き方 フィレンツェとトスカーナ』には,1日に3便の直通があると書いてあるが,実際には,「直通」とは乗り換え時間の短い接続便のことで,どの場合も,シエナ行きのバスでコッレ・ディ・ヴァル・デルサ(英語版伊語版ウィキペディア)(以下,コッレ)まで行き,そこで別の会社CPTが運行するヴォルテッラ行きのバスに乗り換えることになる.

 わかってしまえば何と言うことはないが,直行便が日に何本もあって,どこからバスに乗ればよいかわかっていたシエナですら,行くと決断するまで時間がかかったのだ.何事も初めてには壁があり,情報が不十分だと,その壁はさらに高くなる.それをようやく越えての計画だったし,楽しみにしていたので,「小雨決行」とした.

 バスはトスカーナの田園の中をひた走ったが,平地は強い雨,幾つか越える峠付近は雪だった.トスカーナより北を旅したときに,積もっている雪は何度か見たが,降っている雪をイタリアで見たのは多分初めてだ.

 峠は雪でも,少し下るとすぐ雨に変わる.しかし,ヴォルテッラの町は雪だったので,標高の高い所なのだと思う.



 いつものように,頼りになって分りやすい地図のある『地球の歩き方』をバッグに入れてきたのは良いが,「フィレンツェとトスカーナ」篇ではなく,なんと「南イタリア」篇だった.シチリアの情報はヴォルテッラでは役に立たない.止むなく,地図をもらうために,雪の中をツーリスト・インフォメーションに向かった.

 大抵のツーリスト・インフォメーションには,無料の市内地図がある.例外としてヴェネツィアでは2.5ユーロ払ったが,地図の他に冊子がついている立派なものだった.ヴォルテッラでは地図のみだが有料だった.しかし,わずか0.5ユーロなので,「便宜は図るが,無料にはしない」という方針なのだろう.

 入手した地図を見ながら,ミヌッチ・ソライーニ宮殿にある市立絵画美術館に向かった.チケットは1人8ユーロで,ドゥオーモ宗教芸術博物館と,グァナッチ・エトルリア博物館の3館共通券になっている.この時点で,すぐに3館全てを見る方針が決まった.

 帰りのバスのことがあるので,ヴォルテッラにいられる時間はそう長くない.8時40分にフィレンツェを出発し,コッレで乗換えたのが9時45分,ヴォルテッラ到着は10時35分だった.帰りの便は,13時15分の後は,いきなり17時20分の最終便だ.万が一のことを考えて,最終便ではなく13時15分の便で帰ることにしたので,約2時間半の短い滞在となった.見どころは色々あるものの,今回はとにかく美術館を最優先することにした.

 結局,どの美術館,博物館もかなり見応えがあり,小さい割りに見学に時間がかかったので,エトルリア,ローマの遺跡は見ていない.次に行く機会があれば,是非見てみたい.


市立絵画美術館
 市立絵画美術館の第1室には3点の絵が贅沢に展示されていた.古い邸宅を利用した美術館なので,決して最良の環境とは思えないが,できる範囲で絵を大事にし,展示の仕方にも工夫があるのが良くわかった.

 ルーカ・シニョレッリの2点の絵(「受胎告知」と「玉座の聖母子と聖人たち」)があり,それらに太刀持ちと露払いをさせているように,世紀の大傑作が鎮座していた.ロッソ・フィオレンティーノの「キリスト降架」だ.

写真で見ていたときは,随分変な絵で,良くも悪くも天才でなければ描けない絵だなと思っていたが,実物はそういう「変さ」を超越して,見る者に訴えかける力を持っているように思えた.


 天衣無縫の人となった後期の作品かと思っていたが,ロッソ27歳,1521年の作とのことだ.英文学では本格的なルネサンスは16世紀後半からだが,イタリア美術は16世紀のかなり早くからマニエリスムが始まっていたことになる.

 ロッソ・フィオレンティーノはフィレンツェの生まれで,同時代のポントルモとともにデル・サルトの門下にいたが,1523年にローマに出て,27年のローマ劫略を経験,そこから逃れてフランスに行き,40年に死ぬまでフランス王フランソワ1世の宮廷画家として,フォンテーヌブロー城で仕事をした.

 フィレンツェのサンティッシマ・アヌンツィアータ教会の奉納物の小開廊に,デル・サルトを中心とする複数の画家が一連のフレスコ画を描いているが,その中のロッソの「聖母被昇天」が1517年の作品であるなら,現存する作品としては最古に属するものになるかも知れない.

 ヴォルテッラの「キリスト降架」は,その4年後の作品ということになる.天才は最初から天才だった.

 彼の作品はウフィッツィ美術館で数点(「玉座の聖母子と聖人たち」,「奏楽の天使」,「エテロの娘たちを守るモーゼ」),パラティーナ美術館で1点(「玉座の聖母子と聖人たち」),サン・ロレンツォ教会で1点(「マリアの婚約」),フィレンツェで見ている.

 ヴォルテッラのドゥオーモ宗教芸術博物館にも「玉座の聖母子と2人の聖人」があるが,トスカーナで見られるこれらの作品の殆どが1523年以前の若い頃の作品ということになる.

写真:
「玉座の聖母子と2人の聖人」
(部分)
ロッソ・フィオレンティーノ
ドゥオーモ宗教芸術博物館


 いずれにせよ,「キリスト降架」はすばらしい.マグダラのマリアと福音史家ヨハネの位置や姿勢が斬新に見えるだけでなく,人の重なりと色の配合によって,平板に描かれていて,なお奥行きが感じられる.

 実物の色も修復を経たものであろうから,何とも言えないが,少なくとも幾つか見た写真とくらべて,実物が一番良い色に思えた.この作品一つを見ただけで,ヴォルテッラまで来た甲斐があった.



 隣の部屋にはドメニコ・デル・ギルランダイオの板絵「栄光のキリストと聖人たち」があった.ロッソの絵のインパクトに圧倒されて,鑑賞がおろそかになってしまい,ギル様にしては物足りないと思ってしまったが,写真で見返すと中々の絵だ.もっと丁寧に見れば良かったと後悔している.

 この作品は,カマルドリ会の修道院長ジュスト・ボンヴィチーニの依頼によるもので,同会のサン・ジュスト修道院にあったものだ.熾天使に囲まれて天上にいるキリストの下方にいる聖人は,「白衣のベネディクト会」と呼ばれるカマルドリ会のものと思われる修道服姿なので,会の創設者である聖ロムアルドゥスと,聖ベネディクトゥスだろうか.説明に記載がなかったのでわからない.

 さらに2人の女性聖人が跪いている姿が描かれているが,これは聖アッティネアと聖グレチニアとあった.どちらも初めて聞く名前だ.左側に1番下に依頼者のボンヴィチーニが描き込まれている.地方の修道院のために,フィレンツェの大芸術家が仕事を疎かにしなかったことに心打たれる.

 ロッソ,ルーカ,ギルランダイオの他にビッグネームの芸術家の作品はないが,他の作品でも見応えのあるものが少なくなかった.

 大彫刻家ヤコポ・デッラ・クエルチャの兄弟で画家のプリアーモ・デッラ・クェルチャの絵はルッカでも見たが,この美術館にも2点あり,エンポリで出会ったフィレンツェの画家ピエル・フランチェスコ・フィオレンティーノの作品も1点見られたし,ポルトガル出身のアルヴァロ・ピレス・デヴォラの祭壇画にテラコッタのプレデッラが付されているのもおもしろかった.

 本当はビッグネームの画家に数えたいと思っているタッデーオ・ディ・バルトロの作品が3点あった.ドゥオーモ宗教美術館にも1点あるので,シエナ派のこの画家がヴォルテッラで活躍していたことが想像される.

 シエナ,サン・ジミニャーノ,ペルージャ,ピサでこの画家の作品を多く見ている.シエナ派の中では,第1グループのドゥッチョとシモーネ・マルティーニ,第2グループのリッポ・メンミとロレンゼッティ兄弟に次ぐ,第3グループのトップを走る実力者と思われる.時として妙に迫力過剰な絵を描く人だが,「聖母子」のバラを手にした聖母が美しかった

 ヴォルテッラの市立絵画美術館はお勧めである.撮影禁止で図録も案内書もなかったので,エトルリア博物館に売っていたロッソとタッデーオの絵葉書と,大雑把に書き留めたメモだけが資料だが,もう1度時間の余裕のあるときに行って,じっくり鑑賞したいという気持ちにさせられる.


ドゥオーモと宗教芸術博物館
 この後,昼休みに入る前のドゥオーモと,やはり1時から昼休みに入る付属の宗教芸術博物館を見学した.

 ドゥオーモにはフラ・バルトロメオの「受胎告知」はじめ,ナルディーニ,クッラーディなどフィレンツェでおなじみの対抗宗教改革時代の画家の大きな作品がある.

写真:
「受胎告知」
フラ・バルトロメオ作
ヴォルテッラのドゥオーモ


 彫刻としてはミーノ・ダ・フィエーゾレの祭壇や天使像が注目作品のようだが,13世紀のグリエルモ・ピザーノの一派に属する彫刻家の作とされる説教壇がなかなかのものだった.「イサクの犠牲」,「受胎告知とエリザベト訪問」」と「最後の晩餐」の浮彫パネルが立派だった.

写真:
グリエルモ・ピザーノの一派に属する彫刻家の説教壇,「最後の晩餐」のパネル


 宗教芸術博物館にもロッソの作品が1点あるのは上述の通りだ.他にもジョヴァンニ・デッラ・ロッビアの彩釉テラコッタによる「聖リヌス」,伝バルトロメオ・デッラ・ガッタの小さな「受胎告知と聖人たち」,ドメニコ・ディ・ミケリーノの「玉座の聖母子と聖人たち」など,見応え十分の佳品,名前も初めて聞く地元の画家の興味深い作品が見られる.どのみち絵画美術館と共通券なので,昼休みに留意しながら,是非見た方が良い.ちなみにセンツァ・フラッシュ(フラッシュ無し)で写真可だ.

写真:
伝バルトロメオ・デッラ・ガッタ
「受胎告知と聖人たち」


 絵画美術館にも2点あったが,宗教芸術博物館にもネーリ・ディ・ビッチの作品があり,タッデーオ・ディ・バルトロの華やかな聖母子の隣に,彼の「玉座の聖母子」がひっそりと置かれていた.

 ネーリの絵に関しては,サンタ・トリニタ教会の「聖ジョヴァンニ・グァルベルトとヴァッロンブローザの聖人たち,福者たち」を除いて傑作に出会ったことがなく,時に佳品があっても,多くは平凡で,「また,ネーリか」と正直な感想を抱いてしまうような作品が殆どに思える.

 でも,何度も言うようだが,大天才が輩出した時代に,大工房の三代目として,時には自分の才能を遥かに超えていたかも知れない弟子たちを抱えながら,多くの注文をこなし,ある意味でトスカーナのルネサンス宗教絵画を支えたこの愛すべき能才が,私は好きだ.

 同じことが,対抗宗教改革の時代に活躍したフランチェスコ・クッラーディにも言える.

 師匠筋のナルディーニ,ポッピ,チーゴリ,エンポリ,サンティ・ディ・ティートらには評価の高い作品もあり,見ていて才能のきらめきと独創性を感じる作品も少なくないが,クッラーディの絵を見て,「ああ,これが見られて良かった」と思う人は皆無に近いのではなかろうか.

しかし,この人の作品はトスカーナの諸方で見られる.数世代前のネーリ・ディ・ビッチの作品のように,あちこちにあると言っても過言ではない.私はこの人にも興味がある.


 天才たちに伍して活躍した能才はいつの時代にもいるが,同時代の画家や後身の才能を見抜く力は,私たち一般人とは比較にならないくらい,彼らには備わっていたであろうから,世間の評価はたとえ自分の方が高いとしても,随分複雑な心境だったのではないだろうか.

 ネーリとクッラーディは良くも悪くもルネサンスから対抗宗教改革に時代までのトスカーナ絵画の一面を物語っているように思える.

 クッラーディの名誉のために言っておくと,ヴォルテッラのドゥオーモに飾られている彼の作品「聖母の誕生」は手堅い立派な作品である.こういう端整な絵が「反マニエリスム」の絵と言うのだろうか.ロッソのいきなり見る者をひきつけて離さない絵とは対照的だが,それでも佳品だと思う.

 実力者が山ほどいるトスカーナで多くの注文を受けた画家だ.当然のことではあろうが,彼もまた時代を代表する芸術家だったのだ.



 ジョット,フラ・アンジェリコ,ミケランジェロ,ロッソ・フィオレンティーノなどの作品であれば,日本にいても美しい画像や映像で見ることができるだろうし,旅行者としてイタリアに来た場合でも,名所を回るなかで,「これだけは」という第1級の傑作として,見落とさずに鑑賞するだろう.

 一方,ネーリ・ディ・ビッチやフランチェスコ・クッラーディといった作家は,一定期間滞在して,トスカーナの教会を丹念に周り,特別展の機会を逃さず,数多くの,レヴェルも様々な作品を見ることによって,彼らの作風やその意義について考え始めることになる.

 彼らとの出会いは,なければないで自分の人生にそれほど影響があったとは思えないが,彼らの作品を幾つも見て,歴史や文化というものの多面性,重層性,複合性を考えさせられた.少なくとも私にとっては良かったと思う.

写真:
エトルリア博物館の庭で



エトルリア博物館
 話が脱線してしまったが,エトルリア博物館が実はすごかった.行くと決めたときは,3館共通の入場券を買ったので(というか,3館共通券しかない),とりあえず短時間でも見なければ,と思ったものの,遺跡や風景を犠牲にしてまで行く価値があるかどうか確信がなかった.

 しかし,行って正解だった.この博物館の所蔵品はすごいし,エトルリア芸術も相当の水準のものだということが良くわかった.

 フィレンツェその他でもおなじみの骨灰棺(「壺」という訳は当たらないだろう)の数も半端ではなかった.今まで見た記憶がない「帆柱に縛られてセイレンの難所を切り抜けるオデュッセウス」の浮彫彫刻が相当数あり,いずれも見事だった.

写真:
骨灰棺の浮彫彫刻
「帆柱に縛られてセイレンの
難所を切り抜けるオデュッセウス」


 骨灰棺の蓋の上の彫刻も見事で,特にこの博物館の目玉となっている「夫婦の彫像」の見事さには,魂を奪われそうになった.しかし,バスの時間が迫っていたので,涙を呑んでそれ以上の鑑賞をあきらめた.

写真:
骨灰棺の蓋の彫刻
「夫婦の彫像」


 詩人,小説家,劇作家のガブリエーレ・ダンヌンツィオが「夕方の影」と命名したとされる,細長いブロンズの男性像も見ることができた.斬新な造形で,おもしろい彫像だった.

写真:
ブロンズの男性像
「夕方の影」


 エトルリア門も,ローマ劇場も,考古学公園も見ずに,ともかくバスに間に合うべくバス停のある広場(ピアッツァ・マルティーリ・ディ・リベルタを,「自由のための犠牲者たち」広場,と訳すべきだろうか)に急いだ.

写真:
わずかに朝の雪の痕跡を
留める広場


 帰りは晴天だったので,バスの中からだが,念願のトスカーナの春の風景を満喫した.

 エトルリア博物館で妻が買った特産のアラバスターの小さな器を,帰国後の自宅で眺めながら,春のヴォルテッラにもう1度行きたいとしみじみ思うことだろう.





トスカーナの春