フィレンツェだより番外篇
2009年10月12日



 




サンタ・マリーア・デッレ・グラーツィエ教会
ブラマンテによる内陣天井



§ミラノを歩く - その10 (教会篇8)

サン・マウリツィオ教会で,十分すぎるほどベルナルディーノ・ルイーニとその工房によるフレスコ画を鑑賞した後,予約してあったレオナルドの「最後の晩餐」を見るべく,その旧修道院食堂に世紀の大傑作があるサンタ・マリーア・デッレ・グラーツィエ教会に向かった.


 前回は地下鉄でカドルナ駅まで行き,そこからサンタ・マリーア・デッレ・グラーツィエ教会(英語版イタリア語版ウィキペディア)まで歩いたが,今回はドゥオーモからすべて徒歩で向かった.

 ガレリア近くのサン・ラッファエーレ通りにあるサンタ・テスカ教会,教会の名を冠した広場にあるサン・フェデーレ教会,そしてスカラ広場,スカラ座の脇を通って,サン・トンマーゾ教会を拝観して,メラヴィーリ通り(ヴィーア)からマジェンタ大通り(コルソ)を目指した.

 ダンテ通りからメラヴィーリ通りに入るとき,地図の表記が実際と少し違っているような気がして道に迷った.地図を広げて確認していると,年配の上品な女性が声をかけてくださり,親切に道を教えてくださった.

 私たちがサンタ・マリーア・デッレ・グラーツィエ教会に行こうとしていることを知ったこの方は,色々な教会の名をあげ,「あれは見たか,これは見たか」と質問された.たまたま見ていたり,これから見る予定だった所が多かったので,「あれは見た,これも見た,それはこれから見る予定」などと答えて,話がはずんだ.まあ言ってみれば,こちらからは固有名詞の羅列に過ぎないが,それでもささやかな交流ができて,私たちも嬉しかった.

 この女性に強く勧められて,もともと行く予定だったサン・シンプリチャーノ聖堂,サン・マルコ教会だけでなく,あきらめかけていたサンタ・マリーア・デッラ・パッショーネ教会も行くことにした.こうした体験は,これまでも何度かあった.サンタブロージョ聖堂に向かったときも,地図を見ていたら年配の男性が声をかけてきて,道を教えてくださった.

 途中,やはり予定していなかったサンタ・マリーア・アッラ・ポルタ教会にも立ち寄ってみたが開いていなかったので,既述のサン・マウリツィオを見てから,一路サンタ・マリーア・デッレ・グラーツィエを目指した.


サンタ・マリーア・デッレ・グラーツィエ教会
 教会前の広場には人だかりができていた.宗教教育に関連する学校行事があったのだろうか,保護者たちが堂外で待っていて,次から次に小学生たちが出てくる.全員が出終わるまで入堂できず,十数分後にようやく入れた時には教会が閉まる時間の正午が迫っていた.

 それほど大勢ではなかったが,ツーリストたちが次々堂内に入り,私たちもそれに続いた.行事があっても,結局12時丁度に教会は閉まったので,十分な拝観はできなかった.

 2回目なので,ガウデンツィオ・フェッラーリの2つの作品に焦点をしぼったが,多分聖具室にある1つの作品は見られなかった.ともかく,サンタ・コロンナ礼拝堂にあるフレスコ画「キリストの受難」はしっかり見ることができた.

写真:
行事のために椅子が
並べられていた堂内


 前回は,あまり注目しなかったが,この教会の建築にブラマンテが力を発揮しているので,内陣上部の天井は見応えがあった(トップの写真).

 サンタ・マリーア・デッレ・グラーツィエは修道院も教会も15世紀半ば過ぎの創建なので,中世には存在しなかったことになる.とは言え,修道院創設の1463年は百年戦争終結の10年後なので,まだ中世の雰囲気を残した時代でもある.

 洗礼者ヨハネ礼拝堂にある祭壇画「洗礼者ヨハネと寄進者」は,教会の説明板によれば,重要なレオナルデスキの1人マルコ・ドッジョーノとのことだが,残念ながら,それをそのまま信じる気にはならないほど,上出来の作品ではない.むしろ,無名氏による15世紀の剥離フレスコ画「幼児イエスの礼拝,聖アンブロシウス,聖ルキアと寄進者の家族たち」が,味わい深い作品に思えた.

この教会では,無名の芸術家たちによる何気ない作品が,堂内の雰囲気を醸成していて,好感が持てる.宗教画は世紀の大傑作である必要はないのだ.


 十分な拝観はできなかったが,「最後の晩餐」の予約時間の12時半の15分前には,「ヴィンチの食堂」受付に来るようにとのことだったので,教会を辞し,同じ敷地内の「食堂」受付に向かった.


「最後の晩餐」
 12時30分のグループは全部で10人だった.制限時間は15分だが,なぜか時間前に次々人が出て行くので,最後は私たち2人で見ることができた.

 十分な鑑賞は,何日もらってもできないので,次のグループとの入れ替えの都合もあろうから,私たちも2分ほどを残して,食堂を辞去した.最後にモントルファーノの巨大なフレスコ画「キリスト磔刑」に「また来るからね」と声をかけて.

 「最後の晩餐」は,今回オペラ・グラスを持参したので,随分細部まで見ることができた.サン・ロレンツォ・マッジョーレ聖堂に無名の画家の模作があり,アンブロジアーナ絵画館にもヴェスピーノの模作がある.それらを今回両方見たし,TV番組や本でCGによる再現も見た.

 多分,現在の剥落した状態とは全く違う華やかさを備えた作品だったのだろうが,新たな修復が施され,むしろ自然に褪色した状態に復元された今の姿が私は好きだ.今の色彩でこそ,ルイーニなどのフレスコ画の味わいにつながっていくと思う.

 何度見ても(まだ,2度目だが),レオナルドはやはり偉大な画家だという感想しか私にはない.生涯にあと何度見られるかわからないが,ミラノを訪れるたびに,レオナルドの「最後の晩餐」を見たい.

 ブックショップで,サン・マウリツィオ,サンテウストルジョの案内書,お土産にする絵はがきを数枚買って,サンタ・マリーア・デッレ・グラーツィエを辞去した.


その他のミラノ教会
 ミラノの教会で,今まで言及していない教会に関して簡単にまとめたい.

 サン・バビーラ教会は,堂内はすっかり新しくなっているが,外観は古風で印象に残る.19世紀の画家ジュゼッペ・ベルティーニの作品も堂内に複数見られる.ミラノ周辺で作品が見られるミラノの画家だ.

写真:
サン・バビーラ教会


 その近くのサン・カルロ・アル・コルソ教会は,通常のバロック的外観とは異なる.しかし,ローマのパンテオンを思わせるその大きな姿は,時代的には新古典主義であろうが,様々な意味でバロックを感じさせる.

 創建も19世紀で新しい.中世に創建された,聖マリア下僕会修道院とその教会サンタ・マリーア・デイ・セルヴィ教会がもとになっている.

写真:
サン・カルロ・アル・コルソ教会


 ジョヴァンニ=パオロ・ロマッツォの「ゲッセマネの祈り」,ベルナルド・ゼナーレの「被昇天の聖母」があるとの情報があったが,堂内をくまなく見たが,残念ながら見つけられなかった.修道院か聖具室にあるのかも知れないと想像している.

 堂内で喜捨をして,イタリア語版とフランス語版の簡単な印刷物と,カラー版のかなり立派な紹介冊子をいただいた.特に最後の冊子を参考にすると,ロマッツォの作品は修道院にあるらしい.ゼナーレの作品にはその冊子にも言及はない.

 堂内に複数ある立派なマニエリスム・バロック絵画も多くは,「プロカッチーニ様式」などと説明される無名の画家の作品のようだ.

 あるいは前身である教会から引き継いだのか,教会創設のはるか以前の14世紀のフレスコ画「玉座の聖母子と寄進者たち」,15世紀の浮彫彫刻「幼児イエスを礼拝する聖母と聖ヨセフ,聖アンブロシウスと奏楽の天使」などが,古拙な感じがして好感が持てた.

 雨の降る夕方,サン・バビーラとサン・カルロ・アル・コルソを訪ねたことは,多分生涯忘れらないミラノの情景になるように思える.



 サンタ・テスカ教会は,最初ドゥオーモの前身だったサンタ・テクラ教会の場所を移したものかと誤解したが,全く別の教会だった.

 堂内はこれといった特徴を感じ取ることができなかったが,何と言っても巨人の顔が複数突き出ているバロック風の外観がとても印象に残る.オメノーニの家とともに,ミラノのバロック建築の個性ある典型のように思えた.

写真:
サンタ・テスカ教会
(サン・ラッファエーレ教会)


 この教会は別の資料では,サン・ラッファエーレ教会ともあるが,いずれにしても,情報豊富なイタリア語版ウィキペディアにも情報はない(その後,「サン・ラッファエーレ」で立項).朝行ったら,お祈りに寄った人がいたので,現役の教会であるのは間違いないだろう.

 サン・フェデーレ教会の前の広場にはイタリアを代表する小説家アレッサンドロ・マンゾーニの銅像がある.

 この教会にはシモーネ・ペテルザーノの「ピエタ」,ジョヴァンニ=バッティスタ・クレスピ(通称イル・チェラーノ)の「聖イグナティウスの幻視」などがあり,特に後者からイエズス会の教会かと想像した.ともかく宿から程近いところにある大きな教会なので,是非拝観したかったが,修復中だろうか,開いておらず,実現できなかった.

写真:
サン・フェデーレ教会
前にマンゾーニの像


 サン・トンマーゾ教会も情報がなく(その後,伊語版ウィキペディアに立項),拝観予定がなかったが,1日目スフォルツァ城に行く途中に通りかかって,大きな教会なので,興味を持った.結局3日目に,サン・マウリツィオの向かう途中にあるので,短時間の拝観を果たした.

写真:
サン・トンマーゾ教会


 特に印象に残るものはないが,テンピエット型の中央祭壇と,その前に空間にある彫刻の磔刑像を見て,やはりミラノの教会の特徴なのだろうかと思った.古風なフレスコ画断片をはじめ絵画作品も少なくなかったが,急いでいたので一つ一つは確認できなかった.

 後陣奥のステンド・グラスが「トマスの不信」なので,ドメニコ会の大哲学者ではなく,使徒聖人にちなむ教会であることがわかった.

 サンタ・マリーア・アッラ・ポルタ教会サンタ・マリーア・デッラ・パーチェ教会サン・バルナバ教会サンタレッサンドロ・イン・ゼベディーア教会は,開いておらず,外観のみ拝観となった.

 サン・バルナバ教会は,修復中のようだが,ここにはジョヴァンニ=パオロ・ロマッツォの「聖フランチェスコの聖痕」,アウレリオ・ルイーニの「ピエタ」,シモーネ・ペテルザーノの「聖パウロと聖バルナバの物語」があるようなので,見られなくて残念だった.

 サンタレッサンドロは予定外だったが,それでも予習段階では一度ピックアップした教会の一つだった.一応見てこようかと思ったのが,チェックアウトまで少し余裕があった最終日の朝で,行ってみたら日曜の朝なのに開いていなかったのは意外だった.

 ここは大教会だった.カミッロ・プロカッチーニの「被昇天の聖母」,ダニエーレ・クレスピの「キリスト笞刑」などがあるようなので,見られなくて残念だが,ある程度思いを残したほうが,またミラノに行こうという気持ちにもなるので,これはこれで良いように思う.ミラノのマニエリスム,バロックの作品群を十分に鑑賞するには,私にはまだまだ準備が足りない.

 後陣だけを遠目に見たサンタ・マリーア・デル・カルミネ教会はブレラ絵画館の近くだったし,周辺を2回歩いたので,或いは拝観できたかもしれないし,ウェブ情報はない(その後,伊語版ウィキペディアに立項)が,チェナコロ・ヴィンチャーノで購入した英訳版案内書,

 Roberta D' Adda, ed., Cities of Art: Milan, Milano: Skira, 2009

には,簡単だが,「重要な芸術家たちの様々な作品がある」と書いてあるので,いつの日か訪れて見たい.

 2日目の16日の午前中に最初に拝観したサン・セバスティアーノ教会もウェブ情報がなかった(その後,「テンピオ・チヴィコ・ディ・サン・セバスティアーノ」で伊語版ウィキペディアに立項)が,集中型の大きな教会だし,サン・ジョルジョ・アル・パラッツォ教会に行く途中だったので,拝観させてもらった.

 よく見ると堂内はオクタゴン型だったのかも知れないが,丸い外観が印象に残ったので,サン・カルロ・アル・コルソのように,堂内も円形に思えた.従って,どこが中央祭壇かわかりにくかったが,多分テンピエット型の祭壇があったのが中央祭壇だったのだと思う.

 絵画作品もそれなりの水準のものが複数あるように思えたが,堂内に説明板がないのでわからない.

 堂外の簡単な説明板で16世紀に創建された新しい教会だということがわかる.丸天井のフレスコ画は壮大な規模だが,遠くて絵柄はわからない.

写真:
サン・セバスティアーノ教会


 「受胎告知」をはじめ,聖母の出てくる絵が多いように思えたが,教会の名のもとである可能性のある聖セバスティアヌスの絵は1枚だけ確認できた.柱に縛り付けられて,矢を射掛けられているよく知られた絵柄だが,くすんでいて,いずれ修復が必要なカンヴァス画に思えた.

 「受胎告知」はそこそこの作品に思えた.バロッチ風の絵もあったが,まさかバロッチではないだろう.



 4日目の18日午前中に,ブレラ通りを北上して,サン・マルコ教会とサン・シンプリチャーノ聖堂を拝観した.

 途中,予定外のサン・ジュゼッペ教会に寄った.大きな絵画が4点ほどで,ミラノの教会にしては小規模に思えた.この教会に関してもウィキペディアからも,案内書からも情報が得られていない(その後,伊語版ウィキペディアにに「サン・ジュゼッペ教会」で立項)が,それぞれの絵画に作者と題名を刻んだプレートが付されていて,すべての作品の作者がわかるが,その中で,ジュリオ・チェーザレ・プロカッチーニの「聖ヨセフの死」は印象に残った.

 その他の絵は作者は初めて聞く名前ばかりだったが,画題は「聖母の婚約」,「聖家族」,それに「洗礼者ヨハネの説教」といずれもヨセフとキリスト洗礼以前に関連するもので,この教会のコンセプトがはっきりしているように思えた.特に,「父」としてのヨセフの役割を強調する画題は,16世紀後半以降のもので,時代を反映しているであろう.

 この教会で,特に何かに心打たれたわけではないが,ある時代のカトリックの思想傾向を確認するためには,貴重な存在に思え,そもそも,こじんまりとしてひっそりとした感じに好感が持てた.

 ミラノであまた訪ねた教会の中でも,特に観光情報のない,サンタ・テスカ,サン・セバスティアーノ,わけてもサン・ジュゼッペの諸教会に好印象を持つことができたのは,信者に支えられて現役の宗教施設であるということが大きいと思う.教会に必要なのは大芸術ではなく,信者たちの心であろうとの思いを新たにした.

 それでも,私は異教徒なので,多分,これからも,芸術作品にひきつけられて,ミラノやイタリア諸都市の教会を拝観させてもらうだろう.

 美術館もさることながら,諸教会の充実した拝観ができてこそ,イタリアの街歩きは成功だったように思える.その意味で,今回のミラノ行ではできなかったことがたくさんあるが,大いに満足のいく旅だった.





出立の朝
サンタレッサンドロ・
イン・ゼベディーア教会