フィレンツェだより番外篇
2010年8月5日



 




カラヴァッジョ作,「洗礼者ヨハネ」
カピトリーニ美術館



§日本で鑑賞,イタリア美術 - ボルゲーゼ美術館展

カポディモンテ美術館展には多くの注目すべき作品が来ていた.


 パルミジャニーノとグイド・レーニの絵が注目作品となることは,よく理解できるが,個人的には,マンテーニャ,ベルナルディーノ・ルイーニなどイタリア・ルネサンスの盛期から末期を演出した北イタリアの画家たちの作品が好きだ.

 パルミジャニーノやレーニの場合,前者はファルネーゼ家がパルマ公爵であったこと,後者は同家から教皇,枢機卿が複数名出て,ローマで芸術家の後援者となったことが大きく関わっている.

 単純化すると,フィレンツェで芽生えたルネサンスは,北イタリアでも栄え,それがローマ劫略以後のバロックと対抗宗教改革時代のローマに新しい芸術を花開かせ,また,それがナポリの宮廷を中心とする南イタリアでも多くの芸術家を輩出する契機となった.

 カポディモンテ美術館展の展示を見て,そうした大きな流れの中で,ナポリの宮廷に君臨した王家,もともとラツィオ地方の小貴族でありながら,教皇を輩出したことによりローマとパルマを拠点に栄えたファルネーゼ家の存在について考えさせられた.



 ナポリは,古代から栄えた都市だ.ギリシア語のネア・ポリス(新しい都市)を語源とすることからもわかるように,南イタリアに多くあったギリシア人植民都市の一つで,その北限に位置する街であった.

 ノルマン人のアルタヴィッラ(オートヴィーユ)家が南イタリアに君臨したとき,首都はシチリアのパレルモであった.神聖ローマ皇帝(ドイツ王)を兼ねるホーエンシュタウフェン家もパレルモからナポリを支配した.

 それに代わったアンジュー家は,シチリアの叛乱を機にナポリに首都を移し,アンジュー家のナポリ王国とアラゴン家のシチリア王国に分裂した.

 ナポリの王位はイベリア半島出身のトラスタマラ家に引き継がれたが,1504年にスペイン王国に併合され,以後スペインから派遣された総督がナポリに君臨し,1735年,母がファルネーゼ家出身のパルマ公爵が,カルロ7世としてナポリ王になるまで,ナポリに王はおらず,独立国の首都ではなかったことになる.

 中世末期から16世紀まで,王がフランス系,スペイン系であったとはいえ,ナポリはイタリアでは稀なほど大きな領域国家の首都であり,危機に陥ったフィレンツェのロレンツォ・デ・メディチが,船で単身ナポリに渡り,ナポリ王の懐に飛び込んで,危機を脱することができたほどの影響力があった.

 その宮廷には文化,芸術を保護する力があり,フィレンツェの芸術家ジョット,文学者ボッカッチョがナポリでも活躍したほどである.シエナの大芸術家シモーネ・マルティーニの作品もナポリに残っているし,その出自はトスカーナだが,汎イタリア的な文人ペトラルカもナポリに滞在した.

 しかし,ナポリ周辺から高名な芸術家が輩出されるようになるのは,16世紀後半以後と言っても過言ではないだろう.その契機は,ローマで活躍したエミリア・ロマーニャ出身の芸術家たちや,ミラノ出身でローマで評価が高まったカラヴァッジョの影響であると断言しても良いであろう.

 17世紀,18世紀の「ナポリ派」芸術家たちの作品は,ローマ,フィレンツェばかりでなく,イタリア各地,世界の有名な美術館で見ることができる.絵画の歴史を大きく見ると,イタリアにあった中心が,ある時代からフランスに移ったように見えるが,イタリアでも,その中心には様々な変遷があった.「ナポリ派」の形成と繁栄は,それを如実に物語っているように見える.



 カポディモンテ美術館展では,フィレンツェで相当数の作品を見たサルヴァトール・ローザとルーカ・ジョルダーノだけではなく,少なくとも,マッシモ・スタンツィオーネ,バッティステッロ・カラッチョーロ,マッティア・プレーティ,それにスペイン出身でナポリで活躍したフセペ・デ・リベーラ,オランダ出身で南イタリアにその地歩を確保したマティアス・ストーメルの実力を確認できた.

 今回出展された作品では,特に感銘を受けることはなかったが,図録等で高い評価がなされている端整な自画像を描いたフランチェスコ・ソリメーナの名前も今後は意識することになるだろう.

 インターネットの検索で,ソリメーナはナポリ出身の思想家ジャン=バッティスタ・ヴィーコの肖像画,ウェルギリウス『アエネイス』に取材した「アエネアスと,息子アスカニウスに扮した愛の神アモルを迎えるカルタゴの女王ディドー」(ロンドン,ナショナル・ギャラリー)を描いた画家であるという情報が容易に得られた.たとえ,芸術的レヴェルがそれほどではなくても,これだけで十分に私の関心をひく画家だ.まして今回の美術展の図録によって,高く評価されている人であることを知ったので,なおさらである.

 いずれにしても,今回のカポディモンテ美術館展によって,まだ見ぬナポリへの憧憬をかきたてられた.様々な映像で見る限り,同じイタリアの街であっても,フィレンツェとは全く違うように思える.歴史的背景や,経済的事情を勘案すれば当然のことではあろうが,それでもやはり同じイタリアの街の魅力をたたえているはずだ.ここ数年のうちに是非ナポリに行って,カポディモンテ美術館,国立考古学博物館,諸教会を経巡ってみたい.



 ファルネーゼ家のように,教皇や枢機卿を出すことによって,その家系が栄える例は少なくない.

 シクストゥス4世(フランチェスコ・デッラ・ローヴェレ),ユリウス2世(ジュリアーノ・デッラ・ローヴェレ)を生み出し,モンテフェルトロ家との婚姻関係によりウルビーノの公爵家となったデッラ・ローヴェレ家,教皇ウルバヌス8世(マッフェーオ・バルベリーニ)を出したフィレンツェ出身の家系バルベリーニ家は有名だし,教皇パウルス5世(カミッロ・ボルゲーゼ)を出したシエナ出身のボルゲーゼ家もよく知られている.グッビオ(現ウンブリア州ペルージャ県)に出自の起源を持ち,ローマで栄えて17世紀半ばに教皇イノケンティウス10世(ジョヴァンニ・バッティスタ・パンフィーリ)を出したパンフィーリ家もある.

 15世紀から16世紀前半のデッラ・ローヴェレ家は,一族に封建領主の地位を獲得し,それに続くファルネーゼ家の場合は,教皇自身の子がパルマ公爵家になり,その子孫から後世,スペイン王やナポリ王も出た.

 それに比べると,バルベリーニ家,ボルゲーゼ家,パンフィーリ家が教皇を出したのは17世紀になってからで,これらの家は,封建領主を出すことよりも,枢機卿を輩出しながら,富裕な有力家系として芸術家の保護者になり,美術品を収集するという共通点が見られた.

 これらの家系が芸術家の保護者になり,作品を収集したことは,バルベリーニ宮殿は現在国立古典絵画館となっており,ドーリア・パンフィーリ宮殿内の美術館にも立派なコレクションが展示されており,何よりも世界有数の所蔵品を誇るボルゲーゼ美術館が存在することからもわかる.


ボルゲーゼ美術館展
 2月19日に東京都美術館で「ボルゲーゼ美術館展」を見た.

 当然,図録も購入した.

京都国立近代美術館,東京都美術館,NHK(編)『ボルゲーゼ美術館展』NHK,2009


 表紙はラファエロの「ユニコーンを抱く貴婦人」である.この絵に会うのは3度目だ.最初の出会いは,フィレンツェ滞在中のローマ旅行でボルゲーゼ美術館に行った時だった.2度目は,ペーザロのロッシーニ・フェスティヴァル鑑賞旅行のオプショナル・ツアーで,再訪したウルビーノの国立マルケ美術館に,ローマからこの絵が出張して来ていた.

 日本で出会えるとは思っていなかったが,3度見た作品はそれほど多くないので,縁があったのだろう.

 ラファエロの女性の肖像画では,「無口な女」(ラ・ムータ)と俗称される,マルケ美術館所蔵の作品が好きだが,「ユニコーンを抱く貴婦人」も嫌いではない.

写真:
マルケ美術館に行く途中,
みかけたポスター
「ユニコーンを抱く貴婦人」が,
ガラス越しにこちらを見つめて
いた.


 もう一つの目玉はカラヴァッジョの「洗礼者ヨハネ」だった.カラヴァッジョが描いた洗礼者ヨハネは数点あり,私もバルベリーニ宮殿の国立絵画館,カピトリーニ美術館で見ている(トップの写真).

 マルタ島のヴァレッタにある「洗礼者ヨハネの斬首」,ロンドンのナショナル・ギャラリー所蔵「洗礼者ヨハネの首を持つサロメ」は見たことがないが,いつの日か見て見たい(後者は見た可能性があるが記憶がない).

 写真で見る限り,カンザス・シティーのネルソン・アトキンズ美術館所蔵「洗礼者ヨハネ」は傑作に見えるが,一般に若い洗礼者ヨハネを描いたカラヴァッジョの作品は,彼の最良の作品とは思えない.少なくとも私の好みにはあわない.

 今回の作品は,2度目のナポリ滞在の際に描かれ,カラヴァッジョが死の直前まで携帯していた作品という謂れがあり,貴重な作品であることは良く分かるが,これが良い作品であると思うには,長い時間その前に立つことが必要だった.傑作と理解した上で,やはり好みの作品ではない.

 カラヴァッジョことミケランジェロ・メリージ本人,もしくは彼の父の故郷である北イタリアの町の領主,カラヴァッジョ侯爵夫人コスタンツァ・コロンナの手から,画家の保護者だったシピオーネ・ボルゲーゼ枢機卿の手に渡ったというドラマティックな背景が図録に語られている.この画家への興味はつきないので,このような伝記的な事実も参考にしながら,今後,彼の作品を鑑賞していきたい.

 今回出展されたラファエロの作品も,カラヴァッジョの作品も,それぞれの作者の最良の絵ではないし,ボルゲーゼ美術館の所蔵品としても最高水準のものとは言えないだろう.

 それでも,バロックのローマを現出した最高の芸術家ジャン=ロレンツォ・ベルニーニの「シピオーネ・ボルゲーゼ枢機卿の胸像」は立派だったと思う.

 実際にボルゲーゼ美術館に行くと,目もくらむような傑作絵画,古代彫刻や床モザイクが数多くあり,ベルニーニの彫刻でも,有名な「プロセルピナの誘拐」,「亡命するアエネアス」などがあって,枢機卿の胸像にはなかなか目がいかない.その意味では,会場の入口に,いきなり大芸術家が,大パトロンのために彫り上げた胸像が置いてあったのは正解だったと思う.

 カポディモンテ美術館展でも,ベルニーニほど高名な彫刻家ではないが,グリエルモ・デッラ・ポルタの「パウルス3世胸像」があったのは印象的だった.

 いずれにせよ,教皇パウルス5世の甥で,フランチェスコ・カッファレッリとオルテンシア・ボルゲーゼの間に生まれ,伯父の保護で成長して,母方の家名を名乗ったこの人物は,ネポティズモによって枢機卿となり,教皇の片腕としてヴァティカン政庁をリードした.有能の人物でもあったのだろう.

 彼が保護し,その作品を愛好した芸術家としては,ベルニーニとカラヴァッジョの存在が圧倒的だが,収集品の内容が多岐にわたっていたことは,今回の特別展出品作品からもある程度理解できる.

 ボルゲーゼ美術館収蔵品の中でも,多分傑作の方に分類されるであろう作品としては,ヴェロネーゼの「魚に説教するパドヴァの聖アントニウス」が来ていた.この作品は,ボルゲーゼ美術館で見たときも印象に残った.

 傑作かどうかを別にすれば,リドルフォ・デル・ギルランダイオの「若者の肖像」,レオナルデスキの1人マルコ・ドッジョーノの「祝福するキリスト」,ジョヴァンニ・ジローラモ・サヴォルド「若者の肖像」,ブレシャニーノの「ヴィーナスと2人のキューピッド」,ミケーレ・ディ・リドルフォ・デル・ギルランダイオの「レダ」と「ルクレティア」などは私の好みだ.

 ビッグネームの画家たちの作品としては,パリス・ボルドン(ボルドーネ)の「ヴィーナス,サテュロスとキューピッド」,ヤーコポ・バッサーノの「春」,ドッソ・ドッシの「アレクサンドリアの聖カテリーナ」,アンニーバレ・カッラッチの「聖フランチェスコ」,セバスティアーノ・デル・ピオンボの「十字架を担うキリスト」,アゴスティーノ・カッラッチの「天使の栄光のうちに聖痕を受ける聖フランチェスコ」,グエルチーノの「放蕩息子」があるが,このうち私が良かったと思うのは,ピオンボとグエルチーノだ.

 ピオンボの作品は,彼の絵としては最良とは言えないだろうが,学生時代に見た「イタリア・ルネサンス美術展」にも来た作品なので,再会したことになる.実はボルゲーゼ美術館でも見ているはずなので,3度目の出会いだ.

 イタリア滞在中のローマ旅行で,偶然見ることができた「セバスティアーノ・デル・ピオンボ展」によって,この画家の実力に開眼した後なので,やはり今は印象に残る.

 今回まったくフォーカスされていなかったが,グエルチーノの「放蕩息子」は傑作だと私は思う.

写真:(参考)
グエルチーノ
「シビラ(巫女)」
カピトリーニ美術館,ローマ


 しかし,この美術展でも,最終的に学習項目となったのは,カポディモンテ美術館展同様,カラヴァッジェスキではなかったかと思う.

 フセペ・デ・リベーラ「物乞い」
 ジョヴァンニ・バリオーネ「エッケ・ホモ」
 バッティステッロことジョヴァンニ・バッティスタ・カラッチョーロ「ゴリアテの首を持つダヴィデ」
 ジョヴァン・フランチェスコ・グェッリエーリ(帰属)「囚人の夢を解釈するヨセフ」

が,それにあたるだろう.

 ルーヴルとウフィッツィにあるグイド・レーニの作品を思わせるカラッチョーロよりも,今回印象に残ったのはローマの画家バリオーネの作品だった.余りにもカラヴァッジョを模倣したために,本人との仲がこじれたというバリオーネの力量はなかなかだと思うが,彼について論じるには,知識が足りないので,控えることにする.



 かつて白金の庭園美術館で「カラヴァッジョ展」を見たときには,カラヴァッジョと追随者の間には随分実力差があるように感じたが,今は必ずしもそうは思わなくなった.

 カラヴァッジェスキには魅力的な画家がたくさんいる.特に,カラヴァッジョ本人は無頼の人生を送った末に夭折したのに対し,一定以上の期間の人生を送った画家がカラヴァッジョの影響を受けながら,様々な形で個性を発揮していくことに興味がある.

 とりわけ,今,興味があるのは,カラッチョーロとマッティア・プレーティであるが,バリオーネについても,少し勉強してみたいと思っている.

写真:(参考)
マッティア・プレーティの
巨大な作品が見られる
ローマのサンタンドレーア・
 デッラ・ヴァッレ聖堂



女性作家
 全体として,「ボルゲーゼ美術館展」は,やや期待はずれだった.しかし,たとえ好みの作品ではなくても,ラファエロとカラヴァッジョの実作品をみることができたし,有名画家たちの佳品と,今まで関心のなかった芸術家たちの作品に接することができた.

 ラヴィニア・フォンターナの作品に初めて出会ったのは,ボローニャの国立絵画館だった.

 ボルゲーゼ美術館展に出品された,彼女の「眠れるキリスト」は特に傑作ではないが,温かい雰囲気を感じさせる.後に教皇パウルス5世になるカミッロ・ボルゲーゼが彼女の息子の名付け親になったという話(図録)を聞くと,もしかしたら,ラヴィニアは幸せな人生を送ったのかも知れないと想像する.

写真:(参考)
ラヴィニア・フォンターナ
「揺り籠に横たわる嬰児」
ボローニャ 国立絵画館


 イタリアの女性画家としてはアルテミジア・ジェンティレスキが圧倒的に有名だ.父親が画家という点でラヴィニアとの共通点があるが,父親同士を比べても,プロスペロ・フォンターナよりもオラツィオ・ジェンティレスキの方がずっとすぐれた画家だろう.

 アルテミジアの絵の迫力は,見るものをひきつけてやまない.カポディモンテ美術館展でも,彼女の「ホロフェルヌスの首を切るユディット」が,ひと際,観客の目を引いていたし,図録の扱いも大きい.

 解説に拠れば,先輩画家アゴスティーノ・タッシに乱暴された彼女の心の傷を読み取る人もいるようだ.ウフィッツィ美術館で見ることができる同主題の作品ともよく似ているので,あるいはアルテミジアが繰り返し描いた作品かも知れない.当時のアルテミジアの人生は幸せではなかったかも知れないが,少なくとも画家としては,大成功を収めた.

 アルテミジアほどの才能と環境には恵まれなかったかも知れないが,カポディモンテ美術館展で見ることができた女性画家ソフォニスバ・アングイッソラの「スピネッタに向かう自画像」は佳品だ.この絵の写真はウェブページには見つからないが,同工の自画像はウェブ・ギャラリー・オヴ・アートやウィキペディアに複数あり,妹のルチーアが描いたソフォニスバの肖像もウェブ・ギャラリー・オヴ・アートにある.これに同時代の先人フェーデ・グラーツィアを加えても,一番若いアルテミジアの芸術は傑出しているように思われる.

 フィレンツェのピッティ宮殿,パラティーナ美術館で,やはり「ホロフェルヌスの首を持つユディットと侍女」を初めて見たときから,アルテミジア・ジェンティレスキは気になり続けた画家だ.

 私は彼女の父オラツィオも高く評価したい.1564年にピサで生まれたオラツィオは,1571年に生まれたとされるカラヴァッジョより年長だが,カラヴァッジェスキの1人としてキアーロ・スクーロの画法の自分のものとして成功を収めた画家と言える.

 アルテミジアがカラヴァッジェスキの一面を持つのは,あるいは父とは別の理由だったかも知れないが,この親子の作品を見ていると,カラヴァッジョの影響力と,その魅力を見抜いた同時代の画家たちの眼力,それを成功裏に模倣できた才能と修練に感服する.





パルミジャニーノ
「聖母子と聖人たち」
ボローニャ 国立絵画館