フィレンツェだより番外篇
2011年3月22日



 




教皇庁広場の朝
アヴィニョン



§フランスの旅 - その5 (アヴィニョン)

4日目(2月26日),橋の上で輪になって踊らなかったが,アヴィニョンを観光した.


 アルルを移動して,アヴィニョンに到着したのは前日の夕方だった.旧市街の対岸のローヌ河岸にあるレストランで夕食をとったので,川向うに旧教皇庁宮殿の遠景と「アヴィニョンの橋」サン・ベネゼ橋を見ることができた.

 水量の多い時期ではあろうが,滔々と流れるローヌ川を見ていると,プロヴァンス地方におけるこの川の存在感を感じずにはいられない.

写真:
夕方,ローヌ川対岸から
旧教皇庁を見る


 翌朝,郊外のホテルを出発,まだ朝の静けさの残るアヴィニョン旧市街を一通り案内してもらい,その後,自由時間になった.

 もし30分でも自由時間があって,そして運よく開館時間と合致すれば,教皇庁宮殿よりもプティ・パレ美術館を訪れたいと思っていた.

 幸いなことに,思った以上に自由時間が多くもらえて,あまたあるであろうアヴィニョンの観光ポイントの中で,教皇庁宮殿(パレ・デ・パープ)と,かつては枢機卿の邸宅だったプティ・パレ美術館の両方を見学することができた.


教皇庁宮殿
 自由時間になるとすぐ,プティ・パレ美術館に急いだが,入口は閉まっていて開館は10時とあった.まだ少し間があったので,それまで教皇庁宮殿を見学することにした.

写真:
教皇庁宮殿
最初の中庭


 思ったより長かったとは言え,自由時間は限られているし,プティ・パレ美術館の開館時間までの僅か20分程度,いくつかの部屋を駆け足で見ただけだったが,それでも,すっかり失念していた,今にして思えば,教皇庁宮殿で見られるならば見たいと思い続けていたものに出会えた.

 シモーネ・マルティーニの剥離フレスコ画だ.

写真:
シモーネ・マルティーニ
剥離フレスコ画(部分)


 シモーネ・マルティーニとの出会いは,ウフィッツィのリッポ・メンミと共作の,もとはシエナ大聖堂にあった「受胎告知」の祭壇画だった.その時は華やか絵だと言う以上の格別な感想はなかった.

 最初の開眼は,アッシジのサン・フランチェスコ聖堂の下部教会のフレスコ画「聖マルティヌスの物語」だった.コミカルな感じのする自画像とされる登場人物も含め,個性的な人物表現と,静止している絵が躍動的に見える技法など,コインを入れると2人分のイヤホンに説明してくれるわかりやすい解説によって,シモーネがいかに偉大な芸術家であるか,このフレスコ画が現存する唯一の規模の大きな物語フレスコ画で,いかに作例として貴重であるかを,おぼろげながら理解することができた.さらに,美しい小規模なフレスコ画にも魅せられた.

 その後,シエナのパラッツォ・プッブリコの「マエスタ」(荘厳の聖母)を見て,この画家の偉大さを確信し,ドゥーモの博物館で彼の師とされるドゥッチョ・ディ・ブオニンセーニャの素晴らしさにも魅せられた.

 2回目にシエナに行ったとき,国立絵画館でシモーネとドゥッチョの複数の作品を見て,グイード・ダ・シエナに始まるであろう「シエナ派」の偉大さに想いが至り,イタリア滞在中の最初の頃,サン・ジミニャーノで見ていた,シモーネの義弟で共作者のリッポ・メンミの「マエスタ」にも魅力を感じるようになった.

 ピサ,オルヴィエート,ミラノでもシモーネ,リッポの作品を鑽仰の念をもって鑑賞した.

 アヴィニョンでは気が急いて,すっかり失念していただけに,損傷の激しい作品とは言え,シモーネの作品に出会えて,これに勝る喜びはないように思われた.

 このフレスコ画があったのは「枢機卿会議の間」(日本語版ウィキペディア「アヴィニョン教皇庁」)だ.同じ階のサン・ジャン礼拝堂には,ラツィオ州ヴィテルボ出身で,シモーネの画派に属し,ペトラルカの友人であったとされるマッテーオ・ジョヴァネッティ(伊語版仏語版ウィキペディア)の綺麗に残っているフレスコ画もあり,そこだけは写真撮影禁止になっていたが,私にとってはシモーネの剥離フレスコ画と素晴らしいシノピアの写真を撮らせてもらえたのは,嬉しかった.

写真:
シモーネ・マルティーニ
剥離フレスコ画
教皇庁宮殿


 教皇宮殿で見なかったものは多分たくさんあったと思う.イタリアやスペインとかなり事情が違うのが,随所で言及される「フランス革命」の影響で,教会や修道院などの宗教施設は言ってみればアンシャン・レジーム(旧体制)の象徴として略奪,破壊の対象となった.

 イタリア,スペインの歴史や政治制度を見ると,明らかに「大革命」以降のフランスの影響が色濃い.決して,イタリア,スペインの宗教組織が民衆の反感や憎悪を買わなかったわけではないだろうし,全く破壊や略奪がなかったわけではないだろう.それにしても,イタリア,スペインの観光ポイントになっているような宗教施設で,フランスのように,大革命以降の激動の時代に,略奪されたり,売り立てに遭ったりというようなと言うような話を,少なくとも私は聞いたことがない.

 アヴィニョンの旧教皇庁も例外ではなく,華やかであったろう往事を偲ぶものはほとんどなく,外観は立派なので廃墟ではないが,がらんどうのような空間に僅かに過去の遺物が展示してあるという印象は免れない.

 そうであっても,私たちはそれらすらも全ては見られないほど気が急いていた.プティ・パレ美術館の開館時間と,自由時間終了の集合時間が迫っていたからだ.


プティ・パレ美術館
 美術館入口の案内プレートには午前10時から開くとあったが,僅かに遅く開いた.私たちの前に入場した人が,チケットを購入した後に窓口の人と少しやりとりをしたので,チケットを買うのに少し時間がかかった.集合時間まで,もう30分もなかったが,5分でも見たいと思っていたので,ともかく入館した.入れて良かった.

 写真を撮って良いかどうか聞くと,「フラッシュ無しなら」ということであった.



 


写真:
「聖母子」(時計回りに)
タッデーオ・ディ・バルトロ
ボッティチェリ
ヤコポ・デル・セッライオ

プティ・パレ美術館


 『地球の歩き方 南仏』で,この美術館の至宝とまで言われているのが,ボッティチェリ「聖母子」である.写真で見る限り,あまた有る彼の「聖母子」の中で傑作とはとても思えなかったが,実際に見た感想としても,イタリア・ルネサンスの絵画として,最上の部類に属するものとは思えなかった.

 しかし,今,冷静になって写真を見てみると,遠近法を際立たせるアーチや,背後の風景など,評価すべき点は多々あるように思える.もともとボッティチェリへの評価の高さにやや疑問を持っている私としても,これ1点しかないのであればまずまず見られて良かったと思う.

 後に,ルーヴルで,剥離フレスコ画や「聖母子と聖人たち」によってこの画家の実力を見直すことになるが,この時点では,ボッティチェリを見られたから,プティ・パレに入れて良かったとは思っていなかった.

 ボッティチェリの弟子とされるヤコポ・デル・セッライオの作品が数点あり,もともと好きな画家なので,嬉しかったが,やはり彼の最上の作品とは思われない.

 ルネサンス絵画では,他にカルロ・クリヴェッリ,その弟ヴィットーレ・クリヴェッリ,ヴェネツィア派の巨匠ヴィットーレ・カルパッチョ,ヴィヴァリーニ一族のアントニオとバルトロメオ,レオナルデスキの1人アンブロージョ・ベルゴニョーネ,フィレンツェ派の実力者コジモ・ロッセッリ,シエナの万能人フランチェスコ・ディ・ジョルジョ・マルティーニ,ロレンツォ・ヴェッキエッタ,南トスカーナの才人バルトロメオ・デッラ・ガッタ,ローマ派のアントニアッツォ・ロマーノの作品が見られた.

写真:
バルトロメオ・デッラ・ガッタ
「受胎告知」


 この中では,カルパッチョ「聖なる会話」,ガッタ「聖ベルナルディーノ」,「受胎告知」,アントニアッツォ「聖母子と洗礼者ヨハネ,福音史家ヨハネ」,「嬰児イエスを礼拝する聖母」が高水準だった他は,愛好している画家たちの作品だから見られて良かったという程度の感想だ.

 ただ,小さい絵だったので,あまり良く分からなかったが,写真で確認すると,カルロ・クリヴェッリの「4人の聖人」はさすがに実力者の作品だと思うに至った.

 イタリア絵画では圧倒的にジョッテスキとシエナ派の後期ゴシックが良い.その中で特筆すべきはリッポとフェデリコのメンミ兄弟共作の「マグダラのマリア」,タッデーオ・ディ・バルトロの「聖母子」,「聖ペテロ」,「受胎告知の聖母」だ.

 タッデーオは,出来不出来の波が少ない画家との印象を持っている.眼光鋭い聖母を見て,心和まない人も少なくないだろうが,私はこの画家の峻厳でありながら,華やかさを備えた画風が好きだ.最初にサン・ジミニャーノで出会った時には,それほどの印象を受けなかったが.絵の題材が町の守護聖人「聖ジミニャーノ」と華やぎを欠くものだったこともあるだろう.シエナのパラッツォ・プッブリコで,この画家の魅力に開眼して以来,自分の中では,立派にシエナ派を代表する巨匠だと思っている.

 ヴェネツィアのゴシック絵画でもパオロ・ヴェネツィアーノの「聖母子」は立派だ.

写真:
プティ・パレ美術館


 この美術館に対して,憧れる気持ちを持ったのは,神田の源喜堂で,店外の投げ売りのダンボール箱に入っていた

 George Loyet, Elisabeth Mognetti et Dominique Thiebaut, Avignon Musee du Petit Palait, Paris: Editions de la Reunion des musees nationaux, 1983(アクサン記号省略)

を買って以来だ.少し壊れているが,写真などに問題はなく,本文もほぼ完璧に読むことできる.めずらしく思える,自分が知らない美術館のカタログなので,書架の宝の一つになった.この本の表紙もボッティチェリの「聖母子」だ.

 この図録に載っていない多くの作品を見ることができた一方で,この図録に載っていて,今回見られなかったものも少なくない.シモーネ・マルティーニの小さな丸い4点の「預言者たち」,ゲラルド・スタルニーナの「受胎告知の天使」,リベラーレ・ダ・ヴェローナの「ヘレネの誘拐」は,見られなくて非常に残念だ.

 さらに,この図録には「アヴィニョン派絵画」と「彫刻」というページがあり,後者はほぼ見ているが,前者に関しては全く見た記憶がない.『地球の歩き方 南仏』にも「15世紀のアヴィニョン派絵画も見逃せない」とある.であれば,いくつもある展示室の最後の方にあるとされる「アヴィニョン派絵画」のコーナーは全く見落としたのだろう.ただ,もう時間がいっぱいいっぱいだったので止むを得ない.

 美術館で写真を撮っても良いのは,大変ありがたい.今回の旅では,フラッシュ無しなら写真可の観光ポイントが多かった.特にルーヴル美術館が写真撮影可であったのは,前回のプラドでの失望に比べて嬉しかった.

 しかし,これは「諸刃の剣」と言う言い方で適切かどうか,鑑賞に集中できない恐れがある.プティ・パレの場合のように時間がなかった場合や,後にルーヴルで体験する,信じ難いほどの広さと作品数がある場合には,写真を撮りながらの丁寧な鑑賞は大変難しい.

 とは言え,今回写真を撮らせてもらえたことは,それぞれの美術館の図録が必ずしも完備されたものではない状況では,自分にとって貴重な資料を蓄えさせてもらうことになったので,良しとしなければ贅沢だろう.

 最後にブックショップで絵葉書を数枚と,

 Michel Laclotte & Esther Moench, Peinture italienne musee du Petit Palais Avignon, Pariis: RMN, 2005(アクサン記号省略)

を購入した.この図録はイタリア絵画に限られたもので,アヴィニョン派や彫刻への言及はないが,何といっても情報が新しいし,詳しい.

 ただし,35ユーロと立派な値段の割に,カラー写真は僅かで,重要作品と思われるものでも白黒写真が多い.それでも,祭壇画の部分に関しては,可能な限りの復元推定図を示してくれていて,勉強になる.



 アヴィニョンを出発し,古代ローマ遺跡が多く残り,五賢帝の1人アントニヌス・ピウスの出身地として有名なニームとの間にある,ローマ時代の水道橋ポン・デュ・ガールに向かった.アヴィニョンの歴史とポン・デュ・ガールに関しては,次回とする.

 明日の早朝から,従兄の車で,親族たちと岩手に帰り,両親の安否を確認し,被災した親族,友人を見舞ってくる.長くても一週間程度で,関東に戻ってくるつもりだが,心を強くして,次へ向かうことが,父と母の気持ちにも応えることであろうと思っている.

 プティ・パレ美術館に関しても,アヴィニョンに関しても,語りきれなかったことは,次回に続くとする.





ローマの水道橋
ポン・デュ・ガール