フィレンツェだより第2章
2017年5月18日



 




ベノッツォ・ゴッツォリ
「ご訪問のタベルナコロ」より
「神殿から追放されるヨアキム」



§カステル・フィオレンティーノ

ゴッツォリのフレスコ画を追いかけている.昨年3月にモンテファルコで彼の「聖フランチェスコの物語」を観た時の報告に,次の課題はフィレンツェ県カステル・フィオレンティーノのベノッツォ・ゴッツォリ博物館に収められている剥離フレスコ画群を観ることと書いたが,早くもその機会が巡ってきた.


 カステル・フィオレンティーノへの経路,博物館の開館情報などをインターネットで確認すると,ベノッツォ・ゴッツォリ博物館サンタ・ヴェルディアーナ博物館は共に,朝10時から12時まで,午後は16時から19時までの開館で,特に後者は土,日しか開いていないことが分かった.

 それなら,夕方,ぺルゴラ劇場で「ゴドーを待ちながら」を観る前に行けると思い,7日の日曜日,サンタ・マリーア・ノヴェッラ駅を9時28分に出る電車でカステル・フィオレンティーノへ向かった.

 途中,エンポリで10時8分発のシエナ行きに乗り換えると,カステル・フィオレンティーノには10時38分に着く.12時までに2つの博物館を見学するにはギリギリの時間しかないが,日曜ダイヤで,平日にある丁度良い便はなく,これしか選択肢はないように思えた.

 今から考えると,もっと早い電車で行き,開館までは,たとえばサン・フランチェスコ教会が開いていれば拝観するといったように時間を使うこともできた筈だが,その時は思いつかなかった.

 シエナ行の電車では,ままあることのようだが,エンポリで乗り換えようとしたら,今日のこの時間のシエナ行きはバスに振り替えるというお知らせがあり,急いで駅の外に出て,運転手さんにカステル・フィオレンティーノも行くことを確認してバスに乗った.少しとまどったが,電車からバスに乗り換えることに免疫ができて,かえって良かったかも知れない.10日のヴォルテッラ行のために良い経験になった.

写真:
バスの車窓から
エルサ渓谷周辺の
ブドウ畑の風景


 電車の到着予定時刻と同じ10時38分にバスは駅前に着き,すぐ近くのツーリスト・インフォメーションで地図をもらい,ゴッツォリ博物館がすぐ近くであることも教えてもらって,博物館に急いだ.


ベノッツォ・ゴッツォリ博物館
 この博物館は2009年に建設された,イタリアの博物館では珍しい近代的な建物で,ベノッツォ・ゴッツォリがフレスコ画を描いた2つのタベルナコロのために作られた博物館と言ってよい.

 1491年に制作されたタベルナコロは,「ご訪問のタベルナコロ」と呼ばれ,1484年に制作された方は 「マドンナ・デッラ・トッセのタベルナコロ」と呼ばれる.どちらもタベルナコロは復元だが,絵は本物で,元の壁面から剥がしたフレスコ画を貼り,オリジナルに近い姿を見せている.

写真:
「ご訪問のタベルナコロ」
1491年


 建物の地階(日本式には1階)には受付と,「ご訪問のタベルナコロ」が置かれている.

 タベルナコロは多義的な語で,多くの場合,壁龕か聖櫃を意味するが,これは,そのどちらにもあてはまらず,上の写真のような,内壁と外壁にフレスコ画が描かれた構造物だ.

 刳りぬかれた部分の正面上部には「神殿から追放されるヨアキム」(トップの写真),その下は剥落しているが,「玉座の聖母子と聖人たち」であったことは推測できる.さらにその下には祭壇があったと思われる.

 アーチになっている内側には「福音書記者と教会博士」がそれぞれ一人ずつ,左右に2組で計4組,その上部には熾天使たちに囲まれた「栄光のキリスト」が描かれている.

 外壁は,右側に「ヨアキムへの天使のお告げ」(天使は剥落している),左側には「聖母の誕生」,浅く刳りぬかれた裏面には「ヨアキムとアンナの金門の再会」,その下には天使たちが建造物の屋根の上に参集しているところまではわかる図像が描かれている.

 その他にも多少残っている部分があるが,絵解きできるのは,このくらいだと思う.相当剥落しているが,19世紀まで風雨に曝されていたのならば,奇跡的な残り方に思える.下部にあるはずの「聖母子」や「ご訪問」がほとんど見えないほど剥落しているのは,風雨だけではなく,エルサ川の側にあったので,1872年に鞘堂ができる前は洪水にも遭っていたかららしい.

写真:
「マドンナ・デッラ・トッセの
タベルナコロ」の内部

右壁の「聖母被昇天」(部分)


 1階(日本式には2階)には,「マドンナ・デッラ・トッセのタベルナコロ」が展示されている.

 このタベルナコロは,かつて,カステル・フィオレンティーノの中心部から,現在は同じコムーネの一地域となっているカステル・ヌオーヴォ・デルサに向かう途中の道の傍らにあった.

 現地には今でも,19世紀に造られたネオ・ゴシックの鞘堂が残っているが,それまでこのタベルナコロもやはり野晒しだったのだろう.この鞘堂ができて,初めて祈禱堂(オラトリオ)の形になり,フレスコ画は風雨に曝されることは無くなったが,なお一層の保護と,観光資源とする目的もあったのか,「ご訪問のタベルナコロ」とともに現在の形で見られるようになった.

 内部は交差リブ・ヴォールトの天井を持った部屋のような空間で,開口部から見た正面奥の壁面には,額縁と裾絵を描くことで,あたかも板絵の祭壇画のように見えるように描かれた「聖母子と聖人たち」があり,幕を持った5人の天使たちがそれを囲んでいる.

 向かって左側の壁には「聖母の永眠」,右側の壁には腰帯型の「聖母被昇天」,天井のリブで区切られた4面にはそれぞれ福音書記者がその象徴物とともに,また,リブが交差するところにはメダイオンの中にキリストの顔が描かれている.

 復元されたタベルナコロには置かれていないが,解説プレートの復元図に拠れば,正面には祭壇も置かれていたようなので,「ご訪問のタベルナコロ」よりも,通常の教会の堂内にあるサイド・チャペルのイメージに近い.

 開口部のアーチ形の天井部分には,中に聖人たちの顔が描かれたメダイオンが連なっている.

 2階(日本式には3階)には,ゴッツォリをテーマにした現代アートの展示と,2つのタベルナコロがたどってきた歴史を解説したプレートがあり,これらのタベルナコロに関するヴィデオを英語音声で見ることができた.フレスコ画(ブォン・フレスコ)の制作技法も解説してくれるもので,面白かった.



 ゴッツォリのフレスコ画を追いかけてはいるが,メディチ・リッカルディ宮殿のような華やかな作品にはなかなか出会えない.

 この博物館の作品も地味な印象は免れず,決して「ルネサンスの傑作」と称揚できるものではないように思われるが,フラ・アンジェリコ門下で,フィレンツェだけでなくローマにも仕事を遺した芸術家が,職人として小規模の工房を率いながら,地方の小さなタベルナコロを制作したのかと思うと,そのこと自体がとても興味深く思えた.

 後ろ髪を引かれる思いもあったが,もう一つのサンタ・ヴェルディアーナ博物館も正午で一旦閉まり,午後は4時からの開館になるので,そちらに急いだ.


サンタ・ヴェルディアーナ博物館
 ここではタッデーオ・ガッディの小さな多翼祭壇画パネル「聖母子と聖人たち」,チェンニ・ディ・フランチェスコの剥離フレスコ画「聖三位一体」,ヤコポ・デル・カゼンティーノの祭壇画パネル3枚(聖カタリナ,大ヤコブ,福音史家ヨハネ),ロッセッロ・ディ・ヤーコポ・フランキの「聖母子」,美しい挿絵の入ったネウマ譜のグレゴリオ聖歌の写本数点が立派だった.

 タッデーオ・ガッディの「聖母子」がもう1点あるはずだったが,この日は展示されていなかった.

 ジョット以前の古拙な磔刑像,14世紀シエナ派の画匠による「聖ヴェルディアーナ」を描いたテンペラ祭壇画パネルも観られて良かったが,何よりもチマブーエ作とされる「聖母子」があったのには驚いた.

写真:
チマブーエ作とされる
「聖母子」


 ドッチョその他への帰属が議論されたことがあるが,現在では多くの研究者がチマブーエ作としていると,購入した博物館の案内書の解説にはあったが,文献的根拠はないようだ.

 ウフィッツィにあるチマブーエ作(こちらは文献的根拠があるようだ)の「荘厳の聖母子」に似ているように見えることが,あるいは有力な根拠なのかも知れない.似ているようで,確かにドッチョとその弟子たちによる「聖母子」とは違うようにも思われるが,素人判断なので,これには根拠がない.

 それ以前の古拙な感じのする画家たちに比べて,チマブーエは既に洗練度の高い美しい絵を描いていたことを思わせる.本当にチマブーエ作かどうかは私には判断できないが,そう考えたいと思わせる佳品だと感じた.

 ゴシック期までの作品が圧倒的に良いが,ルネサンス以降18世紀までの絵画作品もそれなりに見応えがあり,彩色木彫の「受胎告知」から,聖具や聖職者の衣裳まで,短時間だが,けっこう丁寧に観た.

 受付の女性に「正午になっても大丈夫だから心配しないで」と言われていたが,電車の時間もあるので,12時数分前には見学を終え,案内書2冊と絵はがきを購入し,辞去した.

 博物館に隣接する,教会(キエーザ)ではなく至聖所(サントゥアリオ)という名称の,バロック様式の立派な建造物であるサンタ・ヴェルディアーナ至聖所は開いていなかったし,駅に向かう途中に立ち寄ったサン・フランチェスコ教会も,昼休みに入ったのか,閉まっていたので,カステル・フィオレンティーノでは教会は全く拝観していない.

 この町はフィレンツェからだいぶ距離があるのに,「フィレンツェの城」と言う名前になっているのは,もとはティミニャーノと言う名前だったらしいが,12世紀くらいからフィレンツェの影響下に入り,シエナと対抗する際のフィレンツェ側の拠点だったことに由来するようだ.これについてもきちんと調べていないので,一応,そのように理解しておく.

 帰りはシエナからエンポリに向かう電車が動いていて,それに乗り,エンポリで乗り換えて,1時過ぎに寓居に戻り,少しだけ仕事して,「ゴドーを待ちながら」を観劇するべく,ペルゴラ劇場に向かった.


5月14日に日曜日だけ開く教会を拝観する
 今のところ,演劇もオペラも日曜を選ぶようにしている.日曜は昼の上演だが,平日は夜の上演で,帰宅が遅くなると,朝早く起きて,どこかに行って何かを見て,午後は戻って仕事をするという生活パターンに影響するからだ.このパターンは性に合っている.

 公演の最終日が日曜日になることが多いようで,5月14日にヴェルディの「ドン・カルロ」を観に行ったところ,この日がズービン・メータのフィレンツェ歌劇場芸術監督としての最終公演だった.エボリ公女を歌う予定だった歌手が急病で出演できなくなり,大ヴェテランのジョヴァンナ・カゾッラが代役を務め,華を添えるということもあって,大変な盛り上がりだった.

 「ドン・カルロ」の日の午前中には,以前から気になっていた未拝観の教会を3つ拝観することができた.

 9日に散歩がてら,アルノ川の向こう側(オルトラルノ)を歩いて,コスタ・サン・ジョルジョの坂を登り,サン・ジョルジョ門から,サン・レオナルド通りを進み,未拝観のサン・レオナルド・イン・アルチェートリ教会に行ってみたが,開いていなかった.

 ミサの時間が日曜11時からという張り紙があったので,その前後なら拝観できるかも知れないと思い,14日の日曜日,10時半に行ってみたら,既に開いていて,ミサが実際に始まったのは11時10分過ぎだったので,それまで40分ほど拝観させてもらった.

 小さな教会なので,写真が撮れなくても,どこに何があるか把握することができた.ネーリ・ディ・ビッチの「受胎告知」,腰帯型の「聖母被昇天」,ネーリの工房の作品とされる「聖セバスティアヌスと聖人たち」,ロレンツォ・ディ・ニッコロ周辺の無名の画家による三翼祭壇画「聖母子と聖人たち」,18世紀の画家フランチェスコ・コンティの2枚のカンヴァス画(おそらく「聖母永眠」と「聖ヨハネの死」),があった.

 12世紀から13世紀初頭に制作されたロマネスクの説教壇も観ることができた.この説教壇は元来,サン・ピエール・スケラッジョ教会(今はウフィッツィ宮殿に組み込まれている)にあったものだが,1782年にこの教会に移された.言い伝えによればダンテもボッカッチョもこの壇上で話をした(伊語版ウィキペディア)とのことである.

 続いて,ベルヴェデーレ通りの坂道を下って,サン・ミニアート門に出て,近くの未拝観のサン・ニッコロ・オルトラルノ教会を見に行くと,そこも開いていた.同じく日曜日のミサの準備中で,広い堂内に人は2人しかいなかったが,撮影禁止の表示が出ていた.

 堂内を一通り見渡したが,暗くてよくわからなかった.

 かつて,この教会には,ジェンティーレ・ダ・ファブリアーノの「クァラテージの多翼祭壇画」と,マゾリーノの「受胎告知」があった.ジェンティーレの祭壇画は,中央の聖母子がワシントン・ナショナル・ギャラリー,4人の聖人像がウフッツィ美術館,プレデッラがヴァティカン絵画館とワシントン・ナショナル・ギャラリーにあり,マゾリーノの「受胎告知」は,同じくワシントン・ナショナル・ギャラリーにある.

 現在も聖具室に,ジェンティーレのもう一つの祭壇画とアレッソ・バルドヴィネッティに帰せられるフレスコ画「腰帯の聖母被昇天」があるそうだが,見られるかどうかわかならない.

 堂内にはポッピ,エンポリ,フランチェスコ・クッラーディの作品があるらしいが,ミサの始まる前に辞去しようと思い,ゆっくり見られなかったので,確認できていない.次回,チャンスがあれば,堂内の作品だけでも確認したい.

 この後は,サン・ミニアート門を通り,スカリナータ・デル・モンテ・アル・クローチと呼ばれる階段状の道を通って,サン・サルヴァトーレ・アル・モンテ教会に行ったが,ここもミサの最中だったので,ミケランジェロ広場を通って,日本語の通称で「アヤメ園」(アイリスの園)に行った.

 毎年,この季節限定で,無料で一般開放されており,今年は4月25日(火)から5月20日(日)までだ.この日は日曜だったこともあり,大勢の人が見に来ていた.2007年5月5日にここに行ったことを報告しているので,やはり10年ぶりということになる.10年前はあわせてバラ園も訪れたが,この日はオペラが控えていたので,アヤメ園からまっすぐ一旦寓居に急いだ.

 その途中,やはり未拝観のサンタ・ルチーア・デイ・マニョーリ教会の扉が開いていて,ミサが終わった後かと思って入ったら,ちょうど終わる所で,その後,観光客も入って来た.

 ざっと堂内を拝観して,写真も部分的に撮ることできたが,直に明かりが消え,扉を閉める様子が見えたので,辞去した.ヤコポ・デル・セッライオの受胎告知の「天使」と「聖母」は見つけられなかったが,ピエトロ・ロレンゼッティの「聖ルキア」はしっかり観ることができ,ピンボケだが写真に収めた.



 冒頭に記したように,モンテファルコの報告の回で,ゴッツォリに関する今後の課題はカステル・フィオレンティーノに行くことと書き,早くも実現したが,続けて,こうも書いている.チェルタルドの旧サンティ・トンマーゾ・エ・プロスペロ教会にも別のタベルナコロに描かれた彼のフレスコ画がある.これもチャンスがあれば観たい.

 という訳で,次回は,カステル・フィオレンティーノの隣駅のチェルタルドに行った報告をする.






美しい花は人を夢中にする
アイリスの園