フィレンツェだより第2章
2017年6月10日



 




10年ぶりにやって来た「塔の町」
やはり観光客で賑わっている



§サン・ジミニャーノ 前篇 - ゴッツォリ

チェルタルドの「ボッカッチョの家」の屋上から,サン・ジミニャーノのある丘の景色を眺めたのが5月11日,実際にサン・ジミニャーノを訪ねたのが5月18日,もう1カ月も前のことになりつつある.自分も精一杯走っているつもりだが,時の足の方が遥かに速い.


 柳川さんに車でサン・ジミニャーノに連れて行っていただいたのは,2007年5月2日で,その後結局一度も行かなかったので,まさに10年ぶりのサン・ジミニャーノ行であった.直通バスで行くことができるシエナですら2回しか行かなかったのだから,まして必ずポッジボンシでバスの乗り換えがあるサン・ジミニャーノはハードルが高かった.

 一般に鉄道とバスでは,遥かに鉄道の方が利用しやすい.バスは便が少ないうえに,どこで降りるのか,時間通り来るのか,ちゃんと接続しているのか,様々な不安要素があって,山中のバス停で乗り換えに失敗して取り残されたら,どうやってフィレンツェまで戻ろう,などと心配しだしたらキリがない.

 今回の滞在では,最初から電車もバスもバンバン利用しているが,突然,不安が無くなったという訳ではない.インターネットの情報が豊富になり,かなりのレヴェルまで,事前にシミュレーションできるようになったことが大きい.限りある時間を有効に使って,できるだけ多くのものを観たいという意欲にも支えられている.


ポッジボンシ乗り換え
 フィレンツェからサン・ジミニャーノに行くためには,今もポッジボンシで,シエナから来たバスに乗り換える必要がある.

 ポッジボンシには鉄道駅もあり,フィレンツェからエンポリ経由のシエナ行きの電車で行くこともできる.しかも,バスの乗り換え場所も鉄道駅の前である.それでも,バスなら乗り換えても,同じバス券がそのまま有効と言うか,そもそもフィレンツェで「サン・ジミニャーノ行き」と言って買うので,こちらの方が経済的である.

 フィレンツェからバスで行く場合,シエナ行きに乗って,ポッジボンシに着くと,運転手さんが,「ポッジボンシ,サン・ジミニャーノは乗り換え」と大声で,しかも英語で言ってくれる.よほどのことが無い限り,ポッジボンシで乗り過ごすことはない.

 乗り換えは,降りたバス停でそのまま待っていれば良いのだが,バスなので時間通りに来るとは限らない.付近の別系統のバス停に次々とバスが来るのを眺めながら,来ないバスを待っていると不安になるが,バス停には,次に来るバスを示す電光掲示板があり,その下で待っていれば,そこにシエナからのサン・ジミニャーノ行きも,フィレンツェ行きも必ず来る.

 ただ,フィレンツェからシエナに行くバスのうち,ボッジボンシに停まる「普通」(オルディナリオ)便は,シエナ直通に比べて少ない.選んだバスがポッジボンシ経由かどうかは前以て確認した方が良い.ポッジボンシ行きのバスは他の路線もあるが,多くの場合,経路に時間がかかるようなので,「普通」シエナ行きが良いと思う.

 今回は,ウェブ上の時刻表で,9時10分発発の「普通」シエナ行きを選んだつもりだったが,いつもそうなのかどうかは確認していないが,少なくともこの日はシエナ行ではなく,ポッジボンシ行きだった.それでも,シエナ行きと同じ最短時間の経路でポッジボンシに着いた.


「聖アウグスティヌスの物語」
 バスは少し遅れて,サン・ジミニャーノに到着した時は11時近くになっていた.まず地図を入手すべくツーリスト・インフォメーションを目指したが,市が立っていて混雑していたので,すぐには見つからず,先に,昼休みで閉まる可能性のあるサンタゴスティーノ教会に行くことにした.

 この教会の堂内は魅力的な芸術作品に満ちているが,10年前は写真撮影禁止だったので,手元に資料が無い.伊語版ウィキペディアとウィキメディア・コモンズに写真がかなり紹介されているが,事前に見ていかなかった.

 細かい予習よりも,中央礼拝堂にあるベノッツォ・ゴッツォリ作のフレスコ画「聖アウグスティヌスの物語」のことだけを頭に置いて,これを丁寧に鑑賞し,描かれている内容を確認することを目標とした.

 教会は基本的に東向き(入り口が西)に建てられるので,中央礼拝堂は教会の東側にあり,「聖アウグスティヌスの物語」は,北壁,東壁,南壁の3面を,それぞれ下段,上段,最上部のリュネットに分けて描かれている.

 北壁と南壁のリュネット面は1画面,上段,下段はそれぞれ2画面あり,東壁は真ん中の明り取りのゴシック様式の細長い2連窓を挟んで,リュネット面と上段は2画面ずつ,下段は3画面ある.よって,北壁が5,東壁が7,南壁が5の計17画面で構成されており,ほとんど1画面1場面だが,複数の場面が描かれた画面もある

 礼拝堂には解説板も解説冊子もあったので,ほぼ場面の内容は把握できたが,それでも良く分からない画面もあった.ウェブ・ギャラリー・オヴ・アートには,各場面に名称を付けた礼拝堂の平面図が掲載されており,伊語版ウィキペディアにもほぼ同様の分類がある.どちらにもクロノロジカルに1から17まで付番されているので,両方を参考にし,自分の知識も付加して,以下にまとめてみる.

 物語は北壁面(正面に向って左側)の左下から始まる

写真:
北壁
リュネット 14

上段左 8
上段右 9
下段左 1
上段右 2


 1.母モニカと父パトリキウスに付き添われ,タガステで学塾入校(北壁下段左)
 2.カルタゴの「大学」進学(北壁下段右)
 3.母モニカのもとを去り,母は息子のために祈る(東壁下段左)
 4.ローマに向けて出港(東壁下段中)
 5.オスティアでの下船と上陸(東壁下段右)
 6.ローマで修辞学と哲学を講じる(南壁下段左)
 7.新たな教職のためにミラノへ出発(南壁下段右)
 8.ミラノ到着(北壁上段左)
 9.ミラノ司教アンブロシウスの説教を聞き(左),
   彼とマニ教の教義を議論(右)(北壁上段右)
  (間に,アンブロシウスに息子の改宗を願う,息子を追ってイタリアに来ていたモニカ)
 10.パウロの「ローマ人への手紙」を読み,キリスト教に改宗(東壁上段左)

写真:
南壁
リュネット 17

上段左 12
上段右 13
下段左 6
下段右 7


 11.ミラノ大聖堂でアンブロシウスにより受洗(東壁上段右)
 12.三位一体に関する幻視(左)と,モンテ・ピザーノの隠修士たちを訪ね(中),
   修道会規則を作成(右)(南壁上段左)
 13.母モニカのオスティアでの死(南壁上段右)
 14.ヒッポで司教に選出されて,信者たちを祝福(北壁リュネット面)
 15.異端者フォルトゥナトゥスを改宗させる(東壁リュネット面左)
 16.ヒエロニュムスに関する幻視(東壁リュネット面右)
 17.ヒッポでの死と葬儀(南壁リュネット面)

 アウグスティヌスは自伝的な内容が盛り込まれた作品『告白』で有名であり,古代末期においても,友人だったポシディウスによって伝記(邦訳『聖アウグスティヌスの生涯』創文社,1963)が著わされており,どのような人生を送ったのか,比較的良く知られている人物と言えよう.

 17の画面に描かれた内容も,概ね所伝を反映しているが,12に関しては,前半はよく知られた話で,多くの芸術家が絵画作品にしているが,後半は,北アフリカで作成されたと考えられるアウグスティヌスの修道会規則がトスカーナに起源を持つというトスカーナ・ローカルな伝説で,ゴッツォリ以外にこれを図像化した画家がいるのかどうか知らない.


絵になるエピソード
 ゴッツォリがモンテファルコの旧フランチェスコ教会の中央礼拝堂に描いた「聖フランチェスコの物語」に関しては,アッシジのサン・フランチェスコ聖堂上部教会に先行作品があり,場面の数はずっと少ないが,フィレンツェのサンタ・クローチェ聖堂のバルディ礼拝堂にはジョットが描いた「聖フランチェスコの物語」がある.

 ピストイアのサン・フランチェスコ教会の中央礼拝堂にも,作者に関しては議論があり特定できていない「聖フランチェスコの物語」がある.この礼拝堂一杯に描かれたフレスコ画を今回の滞在で既に3回見ているが,暗いのと剥落している部分が多いのとで,場面を全部把握しきれていない.いずれにせよ,ゴッツォリに先行する後期ゴシックの作品であることは間違いない.

 ゴッツォリの後進ではドメニコ・デル・ギルランダイオがフィレンツェのサンタ・トリニタ聖堂のサッセッティ礼拝堂に,場面は少ないが,「聖フランチェスコの物語」を描いている.この教会はもちろんフランチェスコ会の教会ではないが,寄進者のサッセッティの名前がフランチェスコなので,この主題が選ばれたのであろう.

 ジョット以前の芸術家たちも「聖フランチェスコの物語」を描いたが,フレスコ画ではなく板絵で,中央に描かれた聖人の周囲を,その生涯と事績のコマ絵が囲んでいる祭壇画である.

 フィレンツェでは,サンタ・クローチェ教会のバルディ礼拝堂に,コッポ・ディ・マルコヴァルドへ同定される可能性も示唆されるサン・フランチェスコ・バルディの親方による「聖サンフランチェスコの物語」がある.

 このタイプの祭壇画の現存最古のものはペッシャのサン・フランチェスコ教会にあるボナヴェントゥーラ・ベルリンギエーリの作品(1235年)とされており,6月6日にペッシャに行って,これを観ることができた.

 フランチェスコの生涯に関しては,話が長くなりそうなので,ここでは,1226年に亡くなった後,すぐに崇敬の対象となり,多くの芸術作品に描かれたことに驚く,と述べるにとどめる.



 フランチェスコ会,ドメニコ会,アゴスティーノ会は,いずれも13世紀にできた修道会で,その後の歴史において重要な立場を持つ修道会として繁栄した.しかし,たとえばドメニコ会の創始者を取り上げた「聖ドメニコの物語」と言うようなフレスコ画が礼拝堂一杯に描かれるというようなことがあったのだろうか.

 板絵の祭壇画については,ウェブ・ギャラリー・オヴ・アートで,「聖ドメニコの生涯の諸場面」(バルセロナ,カタルーニャ国立芸術博物館,14世紀初め)が見つかった.中央の聖人像の周りにコマ絵が描かれるタイプのものだ.

 フレスコ画ではボローニャのサン・ドメニコ教会の天井画「聖ドメニコの栄光」(グイド・レーニ,1613年)を観ており,この絵は傑作だが,礼拝堂一杯に描かれた「聖ドメニコの物語」ではない.

 ドメニコ会の聖人では,例えばミラノのサンテウストルジョ聖堂のポルティナーリ礼拝堂には,ヴィンチェンツォ・フォッパの「殉教者ペテロの物語」があり,シエナのサン・ドメニコ聖堂のサンタ・カテリーナ礼拝堂には,ソドマとフランチェスコ・ヴァンニの「シエナの聖カタリナの物語」がある.

 ベネディクト会はどうかと言うと,未見だが,ソドマはシエナ県アシャーノのモンテ・オリヴェート・マッジョーレ大修道院に「聖ベネディクトの物語」を描いている.

 より古い修道会であるベネディクト会には分派も多いが,ソドマに先行する作品として,フィレンツェのサン・ミニアート・アル・モンテ聖堂の聖具室のスピネッロ・アレティーノ,同じくフィレンツェのバディア・フィオレンティーナ教会のオレンジの回廊のジョヴァンニ・ディ・コンサルヴォ作かも知れない「聖ベネディクトの物語」を観ている.

 修道会の聖人以外の,もっと古い時代の聖人の物語では,偶然だが,ペッシャに行った際に,サンタントーニオ祈禱堂で,ビッチ・ディ・ロレンツォ作の説もある「大修道院長アントニウスの物語」を見ることができたし,これも未見だが,スピネッロも「アレクサンドリアの聖カタリナの物語」を描き,他に思いつくものとして,キリスト,聖母,洗礼者ヨハネ,ステパノ,ペテロに関する物語がある.

 平凡な結論だが,物語の中核になるのは奇跡,殉教など宗教的神秘性なのではないかと思われる.フランチェスコの場合,サン・ダミアーノの十字架,アレッツォの悪魔祓い,聖痕など神秘性に満ちた挿話に事欠かないのに比べ,ドメニコの場合はそうした神秘性が無い,もしくは少ないのかなと思う.

写真:
画面12


 脱線が長くなってしまったが,アウグスティヌスはもちろんキリスト教の聖人であるが,哲学者としても西洋哲学史上に燦然と輝く存在である.理性が重視される哲学では神秘性の問題は扱いが難しいように思われる.しかし,宗教が関わる以上,合理を超える奇跡や神秘体験は避けて通れない話題であろう.

 「聖アウグスティヌスの物語」では,「手に取って,読め」(トッレ,レゲ)と言うラテン語で子供の声が聞こえ,それによってパウロの書簡を読み,回心に繋がった(画面10),「三位一体」に関して考えていた時,海の水を匙で掬って移そうとしている子供とのやり取りで,人知を超える「三位一体」を合理的に説明しようとする自分の無謀を教えられた(画面12),遠く離れた場所でヒエロニュムスの死を知った(画面16),という霊的な体験が,それに当たるだろうか.

 フランチェスコの物語に比べて地味ではあるが,一種の奇跡であり,神秘体験であることには変わりがない.それらの奇跡のどれかを描いた絵は沢山あると思われるが,こうしたエピソードを含めてアウグスティヌスの生涯をまとめたフレスコ画は,ゴッツォリの作品以外には今のところ出会っていない.

 今回のイタリア滞在で,フィレンツェのサント・スピリト聖堂,ローマのサンタゴスティーノ・イン・カンポ・マルツィオ聖堂,プラートのサンタゴスティーノ教会,アレッツォのサンタゴスティーノ教会とアゴスティーノ会の教会を複数訪ねている.これらのどこかに「聖アウグスティヌスの物語」が描かれていても不思議はないと思うのだが,無い.

 ウェブの情報では,グッビオのサンタゴスティーノ教会にオッタヴィアーノ・ネッリによる「聖アウグスティヌスの物語」のフレスコ画(26場面)があり,こちらの作品の方がゴッツォリよりも少し古いようだ.フィレンツェからはかなり遠いが,これもチャンスがあれば観てみたい.

 サン・ジミニャーノのサンタゴスティーノ教会中央礼拝堂のフレスコ画,それを描いたベノッツォ・ゴッツォリは,希少価値と言う点では間違いなく貴重な存在である.

 一方で,芸術作品として見た場合,ゴッツォリの「聖アウグスティヌス」の物語は高水準の作品なのだろうか.これについては,ペンディングにして,助言者はいたであろうが,『告白』やポシディウスの伝記の内容をある程度理解しながら,きちんと礼拝堂の壁面に収まるようにまとめたゴッツォリと言う画家の知性と表現力を今は評価しておきたい.

 物語の場面だけでなく,福音史家や聖人たちとそれに付随する場面なども描かれているが,煩瑣になるので,ちゃんと「観た」と言うことで,「聖アウグスティヌスの物語」に関する報告を終える.

写真:
ゴッツォリ作
「神への祈りの
仲介者としての
セバスティアヌス」


 サンタゴスティーノ教会には他に,フレスコ画「神への祈りの仲介者としてのセバスティアヌス」があり,参事会教会にはフレスコ画の「セバスティアヌスの殉教」がある.

 また,市立博物館で,祭壇画「聖母子と2人の天使と聖人たち」(聖人はアンデレとプロスペルス),「玉座の聖母子と聖人たち」(聖人は洗礼者ヨハネ,マグダラのマリア,アウグスティヌス,マルタ)を観ることができた.前者は裾絵もあるが,後者の裾絵はアヴィニョンのプティ・パレ博物館,ミラノのブレラ美術館,マドリッドのティッセン・ボルネミッサ博物館に分散している.

 また,宗教芸術博物館には剥離フレスコ画の「キリスト磔刑と聖人たちと寄進者」(聖人はヒエロニュムスとフランチェスコ)と,サンタゴスティーノ教会の「聖アウグスティヌスの物語」のシノピア(下絵)の一部があったようだが,迂闊にもこの博物館には行かないでしまった.

 ゴッツォリの話でだいぶ長くなったので,1回の予定だったサン・ジミニャーノ篇は2回にし,次回はサンタゴスティーノ教会,参事会教会,市立博物館のゴッツォリ以外の芸術作品について報告する.






トッレ・グロッサから
今度は前方にチェルタルドを望む