フィレンツェだより
2007年6月7日


 




大雨収束後
「4月27日通り」の傘の列



§雹が降った日

午後4時前に雷鳴とともに大雨になり,雹が降った.


 「雹」はイタリア語でグランディーネ,「雹が降る」は不定法がグランディナーレで他の天候現象と同じく非人称表現になり,自動詞だから助動詞はエッセレで「雹が降った」はエ・グランディナートとなる.ガラス窓に叩きつけるように降ってくる様は,大変なものだったらしい.

写真:
ホースで放水された
ようなガラス窓


 「らしい」というのは私は外出して家にいなかった.外にいたのだから,気づきそうなものだが,雷鳴と豪雨に驚いて古本屋で雨宿りしていたので,雹には気づかなかった.

 5月後半から6月にかけて,空は大体曇っていて,時には長い間雨が降る.稀だが土砂降りもある.若干蒸し暑く感じるときもあり,その点は日本の梅雨を思わせる.しかし,この天候はフィレンツェでは常態的ではないそうだ.

 5月の暑さもかなりのものだったが,これも例外的だそうだし,その意味で今年のフィレンツェの気象は異常であると言えそうだ.これでは夏はどんなに暑くなるだろうと思ったら,その後気温がかなり下がって寒いくらいの日が続いている.さすがに日が出ると気温はあがるが,何せ太陽が滅多に出ていないので,やはり気温は低い.



 帰宅後,妻が撮っていた写真で雹の大きさに驚いた.私は岩手県生まれなので寒冷地の出身だから霰は経験しているが,雹は実際に見たことがあるかどうか記憶がない.「霙くらいなら知っている」と言う妻は初めてだそうである.バリバリという音がものすごく,身がすくむほど怖かったそうだ.

 舗装道路では飛び散った雹が解けてしまうので,寓居の中庭側の窓にある鉢植えに降った雹をカメラに収めた(「収めた」のは妻だが).さらに一番ではないが,手近なところに降った大きめの雹を物差しの隣に置いてみた(「置いてみた」のも妻だが).直径1p以上はある.これはあたったら痛いであろう.ともかく色々なことが体験できるフィレンツェ滞在である.




70ユーロを握りしめて渉猟に出かける
 今日はボーボリ庭園で,日本人の書家の方が展示とともに6時から芸術書道の実演をなさるということで,招待券をいただいおり,途中サンタ・フェリチタ教会に寄ってから,ボーボリ庭園に行く予定だった.4時に寓居を出発することにしていたので,それまで私はサンガッロ通りの古本屋に行って,古書渉猟をさせてもらうべく,財布に70ユーロを入れて3時に外出した.

 目当てのサンガッロ書店は3時半まで昼休みだったので,通りのはじっこにある先日の老店主の店に行ったら,こちらは開いていた.

 今日は「ブォーナ・セーラ」と挨拶して,先日教えてもらったカーテンの向こうを指して,「見せてもらって良いか」と言ったら,私のことは覚えていなかったようで「そっちは未整理だから,ここからここまでの範囲で見てくれ」と言われた.「いや,先日来てギリシャ・ローマの作家の本を探した時に見せてもらった」と言ったら思い出したようで,ようやく許可が下りた.

 先日見逃したセネカの悲劇2作も含めて,今日も充実した買い物ができた.今日の最大の掘り出し物は『サルスティウス語彙集』(トリノ,1923)で,これは20世紀はじめの古典語学習の重要な資料になるだろう.また,若干乱丁があったが,伝クセノポン『アテナイ人の国制』(1990)も新しい本だがマイナーな書店から出ているので,二度とお目にかかれないかも知れない.

 モンダドーリの対訳シリーズから,ウェルギリウス『牧歌』(1990),マルシリオという対訳シリーズからはホメロス『イリアス』24巻(ヴェネツィア,1990).「ニオベの物語」への最古の言及があり,「このように馬を馴らすヘクトルの葬儀は営まれた」(ホース・ホイ・ガンピエトン・タポン・ヘクトロス・ヒッポダモイオ)という句で1万数千行に及ぶ『イリアス』全巻を静かに締めくくる,6巻と並んで私の最も好きな巻だ.

 ガルザンティの対訳シリーズではウェルギルウス『牧歌』(1981),セネカ『メデア/パエドラ/テュエステ』(翻訳のみ,1979),パエドルス『イソップ風寓話詩集』(1996).BURからは,セネカの悲劇『アガメムノン』(1995)と『オエディプス』(1993),プラウトゥス『ロバ物語』(1994)(これがあったら,「私はこの作品を日本語に翻訳した」と言おう思っていたが,忘れて言わなかった),キケロ『カティリーナ弾劾演説』(1979)(これでこの作品の入手は3冊目だが,まだモンダドーリの対訳シリーズもある.何冊も翻訳・注解書があるのだろう),サルスティウス『カティリーナ戦争』(1976)と『ユグルタ戦争』(1976)だ.他にエトルリアの遺跡で有名なタルクィニアのイタリア語版ガイドブック(フィレンツェ,1983)を買った.合計50.99ユーロだった.



 雨が降り始めたが,4時に外出予定だったので,ともかく帰路についた.途中で雷鳴が轟き,土砂降りになったので,冒頭に記したように,少し迷ったが既に開いていたサンガッロ書店に寄った.

 今日の予算はすでに消化したので,BURのシリーズからセネカの散文作品の小品を2冊ほど,申し訳に買って雨宿りをさせてもらおうと思ったのだが,値段を見ると意外に高かった.

 このシリーズは新刊でも出ており,珍しい作品なら新刊で買っても良いと思っている.実際に新刊書店でウァレリウス・フラックスの『アルゴナウティカ』を見たが,相当に充実したシリーズだと思った.私が訳すことになっているクラウディアヌスの『プロセルピナの誘拐/ゴート戦争』もあるようだ.専門書ではないが,羅英対訳,希英対訳のロウブ叢書も,場合によっては専門家が参照することもあるのだから,品揃えがロウブとは少し違うBURの古典対訳シリーズはけっこう貴重だ.

 プラウトゥスの『ロバ物語』を訳した時,底本はオックスフォード古典叢書で,参考書はロウブ叢書の英訳,ビュデ叢書の仏訳,19世紀の学者がつけたラテン語の注解だけだったが,BURの同作品が刊行されたのは1994年だから十分に参照できたはずだった.

 同じく古代ローマの人と言ってもプラウトゥスは現存作品のある作家としては例外的に古く,紀元前250年頃の生まれである.カエサルが生まれたのが前100年だから,カエサルやキケロにとってプラウトゥスは,私たちにとっての江戸時代の人と同じくらい昔の人だ.喜劇だから口語的表現も多いし,専門家が訳したり注釈をつけたりした参考書は多いにこしたことはない.

 だから,安く手に入るものなら買おうと思うが,帰国後も代理店やインターネットを通じて手に入るなら,郵送の費用と手間ひまを考えると,安いというだけの理由で現地で買うのはあまり賢いやり方とは言えない.

しかし,現物を見て,発見の喜びに浸りながら買う楽しみはなかなか捨てがたい.要するに一種の娯楽だ.


 費用と保管場所が要るので,古本屋通いは一般に日本でも家族には評判が悪いと言えよう.私も色々切り詰めてくれている妻に申し訳ないと思っているが,これだけは大目に見てもらいたい.

 いずれにしてもBURの対訳シリーズにも品切れがあるようだというのは,サンガッロ書店の値付けからも察せられる.

 今日はどちらか一方の店を渉猟する予定だったので,老店主の店で買った以上,サンガッロ書店は完全に予定外だったが,雨はなかなかやみそうもなかったので,雨宿りのお礼ではなく,本気で欲しい本を探し始めた.結局,以下の本をカードで買った.

 老店主の店でも買ったマルシリオの対訳シリーズから,エウリピデス『バッカイ』(1989)とリュシアス『僭主批判演説』(1991),モンダドーリの対訳シリーズからカリマコス『エピグラム集』(1992)とアリストテレス『詩学』(1999),以前『カルミナ・ブラーナ』とプロペルティウス『恋愛詩集』をサンガッロ書店で購入しているタスカビーリ・ボンピアーニ対訳シリーズ(ミラノ)から,オウィディウス『愛の技法/恋の治癒/女性の化粧術』(1989)とアピキウス『料理書』(1990),他には新しい本だが,クセノポン『スパルタ人の国制』(パレルモ,1990),ハードカヴァーの本格的対訳・注解シリーズのウェルギリウス『アエネイス』7&8巻(ミラノ,1981),プラトン『ゴルギアス』(ミラノ,2001),これが一番専門的な本だが,訳のついていないラテン語テクストに詳細な校訂情報と注釈のついたプラウトゥス『ポエヌルス(フェニキア人)』(アラゴスティ注解,ボローニャ,2003).総計55ユーロだった.

 買えば良かったような気もするが,セネカの散文作品は,別の店でもう少し安く買えるような気がして結局買わなかった.

 濡れ鼠になって帰宅したが,雨はやみそうもないので,せっかく招待券をいただいたのに残念だったが,ボーボリ行きは中止した.





本日の渉猟の成果