フィレンツェだより
2007年6月30日


 




サンタ・クローチェ教会
パッツィ家礼拝堂



§サンタ・クローチェ教会,再訪

タッデーオ・ガッディの「最後の晩餐」を見た.


 サンタ・クローチェ教会にあり,現在はムゼーオの一部になっている修道院の旧「食堂」に描かれたものだ.今まで見た「食堂」の「最後の晩餐」と違うのは,他の絵柄の一部として描かれていることだ.

 しかし,サン・ミニアート・アル・モンテ教会で見た息子のアーニョロ・ガッディの「最後の晩餐」や,サン・ジミニャーノのドゥオーモのフレスコ画を描いたバルナ・ダ・シエナの「最後の晩餐」など,「食堂」ではない所に描かれた作品とは異なり,ユダを除く使徒たちが,キリストと同じ側に横一列に並ぶタイプのものなので,ユダも同じ側に置いたレオナルドのものとは少し違うが,私たちがよく知っている「最後の晩餐」の構図と言って良いだろう.

 上部には前代の大思想家である聖ボナヴェントゥーラの考えに基づく「生命の木」が描かれており,生命の木の周囲には「マグダラのマリア」など4つの場面が描かれている.生命の木の下にはボナヴェントゥーラの姿も描き込まれているが,見える位置から言っても「最後の晩餐」に力点があるのは間違いないだろう.

写真:
「最後の晩餐」(下部)と
「生命の木」(上部)


 ユダは小さめに,黒い姿で,他の人物と差をつけられて描かれている.キリストに寄りかかるように食卓に伏している若いヨハネ同様,顔が分りにくくなってしまっているが,視線のあっていないキリストとユダの間にある緊迫感が伝わってくる.

写真:
「最後の晩餐」(部分)
キリスト,ヨハネ,
ペテロ,ユダ


 タッデーオ・ガッディはジョットの弟子だが,その実力は大変なもので,息子のアーニョロもそうだが,この人の名前で伝わる作品で,すばらしいと思わないものは一つとしてなかった.父親もガッドという画家だったらしいが,その作品は残念ながら見たことがない.

 確かに後の時代の,劇的な瞬間をとらえた「最後の晩餐」も良いが,中世の宗教画の雰囲気を残し,その様式的制約がより多く感じられるこの作品もすばらしい.この作品に関してはキリストの顔が特に際立っているように思える.この絵では間違いなく,主人公はヨハネでもユダでもなく,キリストだ.


ジョットの作品
 サンタ・クローチェにジョットのフレスコ画があるのは,以前も紹介した.「聖フランチェスコの生涯」はどんなガイドブックにも出ている人類の宝だが,その隣の礼拝堂にある洗礼者と福音史家の2人のヨハネを描いた「聖ヨハネの生涯」もすばらしい.

フレスコ画ではないジョットの作品もある.写真はバロンチェッリ礼拝堂にある「聖母戴冠」のポリプティクだ.一種の屏風絵のようなバロンチェッリ・ポリプティクと言われているこの作品は,中央パネルの絵はジョットの作品で,その他の部分は弟子たちが協力しているとのことだ.


写真:
「聖母戴冠」のポリプティク
ジョットと弟子たち



礼拝堂の傑作
 英語でチャペル,イタリア語でカッペッラという「礼拝堂」は私たちの語感では独立した建物に思える.実際にそのような場合もあり,トップに写真を掲げているブルネレスキが設計した「パッツィ家礼拝堂」はそのタイプに思える.

 しかし,多くの場合はいわゆるサイド・チャペルになっていて,私たちの感覚では礼拝「堂」というより,礼拝「コーナー」のように感じられる.

 パッツィ家礼拝堂も屋根があるので独立しているように見えるが,実は翼廊の一部になっており,他の礼拝堂と隣接している.いずれにせよ,有力者が寄進することによって教会に一角を自分たちの一族の墓所にしたり,礼拝の場所とする「礼拝堂」は多くの教会で見られる.

 サンタクローチェは中央祭壇の向かって右の並びに幾つかの礼拝堂があり,「聖フランチェスコの生涯」はバルディ礼拝堂,「洗礼者ヨハネと福音史家ヨハネの生涯」はその右隣のペルッツィ礼拝堂にある.

 下の写真は,ジョットのポリプティックの置かれているバロンチェッリ礼拝堂で,ステンドグラスも美しいが,壁面を埋めるフレスコ画がすばらしい.この「聖母マリアの生涯」を描いたのはタッデーオ・ガッディだ.保存の良さもあるが,大傑作と言うのにふさわしい.

写真:
「聖母マリアの生涯」
タッデーオ・ガッディ


 この礼拝堂に向かって右側に大きなカステッラーニ礼拝堂があり,そこには十字架が掲げられ,ミーノ・ダ・フィエーゾレの彫刻もあるが,やはりすばらしいのはフレスコ画で,こちらの作者はタッデーオの息子アーニョロ・ガッディである.

 アーニョロ・ガッディの別のフレスコ画「聖十字架の物語」を今回見たいと思っていたが,この絵が描かれている中央祭壇のあるアルベルティ・アレマンニ礼拝堂が修復中であるため,見られなかった.

 中央祭壇の左並びにある一連の礼拝堂の一つ,プルチ礼拝堂では,ジョットの後継者と言われるベルナルド・ダッディのフレスコ画「聖ラウレンティウス殉教」が見られるはずだが,ここは見学者が入れない一角になっていて見られなかった.

 さらにその奥のバルディ・ディ・ヴェルニオ礼拝堂にはジョットの弟子で協力者のマーゾ・ディ・バンコの「聖シルヴェステルの物語」があるはずだが,これも同じ理由で見られなかった.


聖具室のフレスコ画
 中央祭壇の右側に並んでいる礼拝堂の一番端のヴェルッティ礼拝堂の脇の通路を進むと,左手に聖具室があって,ここにも大傑作のフレスコ画群がある.

写真:
聖具室のフレスコ画


 タッデーオ・ガッディのフレスコ画もある.上の写真中央の「キリスト磔刑」が彼の作品で,上部の「キリスト昇天」も彼の作と言われている.左側の「ゴルゴタへの道」を描いたのはニッコロ・ジェリーニで,この画家も今日の学習項目の一つだ.彼のフレスコ画の断片がムゼーオにもあった.

 サンタ・クローチェの英語版ガイドブックを含めて,はっきりと書いてある解説がどこにもないのだが,様々な情報を総合すると,右側の「キリスト復活」はスピネッロ・アレティーノの作品と思われる.実はサンタ・クローチェのガイドブックで無視されているこの絵が一番好きだったので,スピネッロの作であれば,これまでの話のつながりとしては都合が良いのだが自信はない.(後日:どうも,通説では「ゴルゴタへの道」がスピネッロの作品で,「キリストの復活」はニッコロの作品とのことのようだ)

 聖具室の中にも礼拝堂があって,このリヌッチーニ礼拝堂にはジョヴァンニ・ダ・ミラーノ(ミラノ)の「聖母マリアの生涯」と「マグダラのマリアの生涯」がある.

 ネーリ・ディ・ビッチを「凡庸な才能しか持っていなかった」と切り捨てる元アカデミア美術館館長ボンサンティが,「歴史上最も偉大な画家の一人であるというのは,すべての学者の一致した意見」とまで言っているジョヴァンニ・ダ・ミラーノのフレスコ画は,見ていて心揺さぶられる作品であることは間違いがないが,「聖母マリアの生涯」がバロンチェッリ礼拝堂のタッデーオ・ガッディの作品とよく似ているように思われ,主題,構図,登場人物ともに影響を受けているのではないかと思われた.

 この礼拝堂にはジョヴァンニ・デル・ビオンドの多翼祭壇画もあり,この作家の作品はムゼーオにも展示してあった.


堂内で見られる板絵と彫刻群
 前回時間切れで見られなかったムゼーオに行く前に,もう一度聖堂内にもどり,ミーノ・ダ・フィエーゾレの師匠であるドナテッロの「受胎告知」と「キリスト磔刑」,ミーノと兄弟弟子になるデジデリオ・ダ・セッティニャーノの「カルロ・マルスッピーニの墓碑」,ベルナルド・ロッセリーノの「レオナルド・ブルーニの墓碑」とアントーニオ・ロッセリーノの「授乳の聖母」,ベネデット・ダ・マイアーノの聖フランチェスコの生涯の浮き彫りがある「説教壇」などの彫刻群を確認した.

 また,ヴァザーリ,チーゴリ,サンティ・ディ・ティートなどの大きな絵もしっかり鑑賞したが,諸本で得た知識と実物を照らし合わせてなお確認できなかった作品もある.聖具室の前にはアレッサンドロ・アッローリの「キリスト降架」もあって,立派な作品だった.

 これだけの傑作が無造作においてあると,なまじな美術館はとても太刀打ちできない.ムゼーオと合わせて,1人わずか5ユーロの入場料だ.フィレンツェに来て,サンタ・クローチェに寄らないという選択肢は無いだろう.

 聖堂(バジリカ)と付随する礼拝堂,聖具室,そして聖具室の先にある「メディチ家礼拝堂」(アンドレーア・デッラ・ロッビアの彩釉テラコッタ「聖母子と聖人たち」がある)を大体見終えて,心が落ち着いたところで回廊へ出て,ムゼーオへと向かった.途中「パッツィ家礼拝堂」に寄って,ルーカ・デッラ・ロッビアの使徒たちの彩釉テラコッタを見た.


ムゼーオ(美術館)
 ムゼーオは中庭付きの2つの回廊に挟まれたところにある.最初の展示がマッテーオ・ロッセッリの剥離フレスコ画「ゲッセマネの祈り」で,これはサンタ・クローチェのその他のフレスコ画に比べれば新しいもだが,心打たれるものだった.

 ロッビア一族の彩釉陶板などの展示を見た後,磔刑像を掲げてチャペルのようにした展示場で,ニッコロ・ジェリーニの剥離フレスコの断片を見ることができた.

 先に進むと大きな部屋に出た.入口近くに小部屋風に作った展示コーナーがあって,修復が済んで綺麗になった,ネーリ・ディ・ビッチ,ロレンツォ・モナコ,ナルド・ディ・チョーネ,ジョヴァンニ・デル・ビオンドなどの祭壇画,ブロンズィーノの作品とされる大きな「リンボのキリスト」などが展示されていた.

 それらの作品を見て,外側の大きな部屋を見渡すと,そこはもう旧「食堂」だった.

 入口の上に「聖母戴冠」の剥離フレスコ画があった.そのジョットのような威厳に満ちた画風に私たちは息を呑んだ.マーゾ・ディ・バンコだ.

マーゾ・ディ・バンコ
「聖母戴冠」(部分)


 それほど大きくないリュネット型の作品なのに高いところに展示されていて,写真を撮るのも,細部を自分の目で確認するのも難しい.

 バルディ・ディ・ヴェルニオ礼拝堂が見られないので,「聖シルヴェステルの物語」を見ていない私たちには今日見られた唯一のマーゾの作品だ.これは今日最大の学習項目である.マーゾの他の作品を見たい.このジョットの弟子は才能と実力が横溢するすばらしい作家だと思う.


チマブーエの磔刑図
 もう一度向き直るとこのムゼーオの最大の呼び物であるチマブーエのキリスト磔刑図があった.

 この作品は,ほとんど全てのガイドブックで紹介されているが,実物の存在感は大変なものである.これは写真ではなかなか伝わらない,実物を見てはじめて分るものだ.初めてサンタ・マリーア・ノヴェッラ教会でジョットの「キリスト磔刑像」を見たときの感動が蘇る.これが,ジョットのように聖堂の内陣に掲げられていたらどんなにすばらしいだろう.

 アレッツォのサン・ドメニコ教会の中央祭壇でもチマブーエの「キリスト磔刑像」を見て,さすがにジョットの師匠だと思ったが,サンタ・クローチェの磔刑像は,ジョットとの関係を超えて,チマブーエはチマブーエとして古今に冠絶する天才だと思わせるものだった.

 1966年のアルノ川大洪水の時の写真が,聖具室の前の廊下に展示してあり,その悲惨さに息を呑むが,泥の中から運び出されるチマブーエの磔刑像の写真を見て,その破損の激しさに納得が行く.

写真:
チマブーエの磔刑像

この作品は破損していて,
なおすばらしい.


 チマブーエ,ジョットという大天才が連続して出て,その後に偉大な弟子たち(ベルナルド・ダッディ,タッデーオ・ガッディ,マーゾ・ディ・バンコ)が続き,オルカーニャを中心とするチョーネ3兄弟の流れも合流しながら,次の世代であるアーニョロ・ガッディ,ジョヴァンニ・ダ・ミラーノ,スピネッロ・アレティーノが出て,そうした大きな流れが,ルネサンスの芸術を作っていくのだという感動を心の中に抑えることができない.

しかし,サンタ・クローチェのムゼーオでチマブーエの磔刑像の前に立っている私には,ラファエッロもレオナルドもその後の作家たちもどうでも良い.チマブーエ,ジョットとその弟子たちこそ,史上最も偉大な芸術家なのではないかと思えてくる.


 オルカーニャの名前で伝わるフレスコ画断片もすばらしかった.タッデーオ・ガッディの「最後の晩餐」をもう一度しっかり見て,マーゾ・ディ・バンコの「聖母戴冠」に後ろ髪引かれながら,チマブーエの磔刑像に別れを告げて,サンタ・クローチェ教会のムゼーオを後にした.


マッジョのクロージング・コンサート
 帰宅後,夕食を済まし,シニョリーア広場に向かった.マッジョのシーズン終了記念ファン感謝無料コンサートが行われるからだ.

 リハーサルだけ見て帰ってくる予定だったが,トルコの俊秀ファジル・サイのピアノの音を聞いて,少し聴いていきたいと思い,本番も聴かせてもらった.チャイコフスキーの幻想序曲「ロミオとジュリエット」で始まり,2曲目がサイがソロを弾く「ピアノ協奏曲1番」だった.チャイコフスキーもフィレンツェに滞在したことのある偉大なロシア人の1人だ.

 私には天衣無縫に見えるが,日本でサイの演奏を聴いたことがある妻は,彼にしては大人しいような気がすると言っていた.いずれにしてもこの若い天才の演奏を聴くことができ満足して帰宅した.ふだん大声でけたたましく話すイタリア人と観光で寄ったツーリストが主要な観客の野外コンサートなのに,クラシック音楽を聴くときのその行儀の良さには感動する.





シニョリーア広場のコンサート
指揮はズービン・メータ