フィレンツェだより
2007年7月4日


 




ドゥオーモの鐘楼
ピストイア



§ピストイア

今日も曇りだったので,少しでも涼しいうちに行けるところに行こうと思い,一昨日行ったプラートのさらに先のピストイアに行くことにした.


 ピストイアは古代からの街で,中世に栄え,フィレンツェに支配されたという,トスカーナの他の街とよく似た歴史を持っている.ピストーリウムというラテン語名がプリニウスの『博物誌』にでてくる.ガフィオの『羅仏辞典』には「エトルリアの町,今日のピストイア」とある.


自販機の落とし穴
 電車での旅に少しずつ免疫ができてきたとはいえ,時にはトラブルもある.今朝は10時8分のヴィアレッジョ行きに乗るべく,寓居を出たのだが,駅に到着してみるとギリギリで9時47分発のピストイア行きに乗れそうだった.それで少し焦って,前の人が操作をあきらめて立ち去った自販機をそのまま使ったところ,その人の途中までの操作が残っていたらしく,2枚買った2等券のうち1枚が「一週間券」になってしまった.

 結局9時47分発には間に合わず,しかも今日は10時8分の便はないことがわかった.

 「1週間券」を当日券に交換してもらうべくビリエッテリアに並んだが,「この券は交換も払い戻しもできない」と言われて,がっかりした.

 仕方なく,今度はピストイアに行く次の電車列車を教えてもらうためにインフォメーションの窓口に並んだ.ほどなくして順番が回ってきて,11時38分発のルッカ行きを教えてもらったが,念のために「間違って購入した券は本当に交換も払い戻しもできないのか」と訊ねてみたところ,色々と質問された揚げ句,「できないはずはない」と言われ,国際線(ヨーロッパは地続きなので,鉄道にも「国際線」がある)を扱う窓口へ行くように指示された.

 国際線の窓口でパスポートのコピーを見せ,本人がサインすることで,当日券に交換してもらい,差額を返してもらえた.私ならすぐにめげてあきらめるのに,妻の粘り強さと交渉力には感嘆するばかりだ.



 予定よりだいぶ遅くなったが,ともかくルッカ行きの列車に乗り,ピストイアで降りた.

 先に帰りの切符を買っておこうと思い,今度は,自販機が最初の画面に戻っているのを確認して操作を始めた.1人片道2.8ユーロだったので,大きなお札をくずすべく(こちらではなかなか大きな金額のお札を出しにくい),50ユーロ札を入れたが,受け付けない.

 仕方なく20ユーロ札を入れたら,今度は切符は買えたが,お釣りのかわりに17.2ユーロの預り証(リチェヴート・ディ・クレーディト)が出てきて,これは一体なんだと困惑した.

 またしてもビリエッテリアに並び,相談すると,またしてもパスポートの提示を求められた.幸いにこの時もコピーで代用でき,「預り証」を換金してもらった.

もう一人分の切符を,今度は小銭で買おうとして,再び自販機の前に立ったら,画面に確かに「9ユーロ以上のつり銭は返金しない」と表示されていた.


 それで20ユーロ札には「預り証」が来たのかと納得したのは良いが,今度はコインを何度投入しても受け付けてくれない.少し遠くにあった別の自販機でようやくもう一人分の帰りの切符が買え,安心して街へと向かった.


昼休みのつぶし方
 午前中開いていた施設も大体1時までには閉まり,昼休みを取る.再開時間は3時,3時半,4時と様々のようだが,いずれにしても1時から3時くらいまでの空いた時間をどうするかが,フィレンツェと違って選択肢の少ないプラートやピストイアで行動するときの課題だ.フィレンツェから近いので,3時からの拝観を予定して午後出発しても良いのだが,プラートの「フレスコ画博物館」のように1時で閉館し,夕方は全く開かない施設もあるので,その辺の調整が難しい.

 今日は,まず午前中は教会を拝観し,正午になったら1時半まで開いている所に行き,それから前もってガイドブック(Florence & Tuscany)でピックアップしておいた,昼休みなしでずっと開いているところで夕方まで時間を過ごし,その後は3時から4時の間に再開する美術館や教会を訪ねる予定をたてた.

 電車が予定通りに乗れなかったのと,開いていると思っていたところが休館だったり,昼休みをしっかり取っていたりと,なかなか思ったとおりにはいかなかったが,帰宅して今日の経緯を整理してみると,やはり色々な良いものを見せてもらえたし,結果的には余分に払った分はすべて返ってきたので,無料で貴重な経験を積ませてもらったことになる.


ピストイアのドゥオーモ
 ピストイアは,プラートよりもさらにコンパクトな街だ.まずドゥオーモ広場を目指し,ドゥオーモを拝観するのが良いかも知れない.ガイドブックには昼休みがあると書いてあったが,昼も開いていた.鐘楼が美しく,近くに洗礼堂もあり,堂内も相当な規模で堂々たるものである.ただし,あてにしていたドゥオーモ博物館は,火,木,金しか開いていないそうだ.

 ファサードは白と緑の大理石でつくられ,扉の上にはアンドレーア・デッラ・ロッビアの彩釉テラコッタ「聖母子と聖人たち」(写真中央)がある.

写真:
ドゥオーモのファサード


 その左右は開廊状になっており,向かって右側にあるフレスコ画はジョヴァンニ・ディ・バスティアーモ・バルドゥッチの1582年の作品で「使徒ヤコブの母マリア」とのことだ.

 その右隣のリュネットにも彼の「ピストイアの街の模造を膝に抱く使徒ヤコブ」がある.アッローリのカルミネの「最後の晩餐」と同じ年の作品なので,フレスコ画であって不思議はないが,どちらかと言えば新しい作品ということになる.

写真:
「使徒ヤコブの母マリア」
ジョヴァンニ・ディ・
バスティアーモ・バルドゥッチ


 堂内の中のサイド・チャペルの一つにもフレスコ画の一部が残存している.そばにあった解説には,大体「ずっと以前はステーファノ・フィオレンティーノ作とされており,その後ジョッティーノの作と言われたが,研究が進んだ結果すぐれた研究者によってジョヴァンニ・ディ・マルコ,通称ダル・ポンテの作と判定された」と書いてあった.

 暗くて辞書も引けないので,正確ではないかも知れない.しかしサンタ・マリーア・ノヴェッラの回廊で初めてそれと推定されているかも知れない作品と出会ったステーファノの名前が出てきて,さらに新しい学習項目としてダル・ポンテという名前が出てきたことになる.ほかにもジョットー派の作品とされる内陣の壁面のフレスコ画も見ることができた.

 さらに中央祭壇にはクリストファノ・アッローリ(アレッサンドロの息子)の「キリスト復活」があった.この人の作品はパラティーナ美術館で傑作「ホロフェルネスの首を持つユディット」を見ることができる.

 左脇の礼拝堂にはロレンツォ・ディ・クレーディの「聖母子と聖人たち」があり,これは気になる作品だったが,撮影禁止なのでかわりに絵葉書を購入した.クレーディの作品はウフィッツィとフリーニョ旧「食堂」で「受胎告知」を見ることができたが,女性を描くの得意な作家に思える.


市立美術館
 話が前後するが,クレーディの作品は,この後に行った市立美術館でも「聖母子と4人の聖人たち」(聖なる会話)を見ることができた,ここでも私が好きな洗礼者ヨハネよりもマグダラのマリアとアレクサンドリアの聖カテリーナが良く描けていた.

 市立美術館では,マリオット・ディ・ナルドの「受胎告知」を中心とするポリプティク(ロッセッロ・ディ・ヤーコポ・フランキとの共作のようだ)がすばらしかった.マリオットの作品は他に「聖母子」の祭壇画があった.

 聖フランシスとその物語を描いた板絵があったが,絵柄・形ともに,サンタ・クローチェ教会のバルディ礼拝堂にジョットのフレスコ画とともにある板絵とほとんど同じだった.他にはリドルフォ・デル・ギルランダイオの「聖なる会話」,マッテーオ・ロッセッリがグレゴリオ・パガーニと共作した「カナの婚礼」,エンポリ,チーゴリ,ナルディーニ,クッラーディなどフィレンツェでもその作品を見ることができる画家の絵も見られた.


地元の芸術家
 ピストイア出身の画家が教会でも大事にされているようだったが,美術館でも,地元出身の画家の絵が多数見られた.中でもフラ・パオリーノの「受胎告知」はすばらしかった.フィレンツェのサン・マルコでフラ・バルトロメオの影響を受けたらしいので,フラ・アンジェリコの系統の人と言えるかも知れない.

 他にはジミニャーニという名前の画家を少なくとも3人見た.それぞれジアチント,アレッシオ,ルドヴィーコという名前で関係はわからないが,うち前2者の作品は市立美術館に展示されており,後者はスピリト・サント教会にあった.ジアチント(ヒュアキントス)は名前もギリシア風だが,神話に取材した「ヘーローとレアンドロス」の絵を描いていた.

 エンポリの「ミダス王」(王様の耳はロバの耳)の絵もあったので,美術館ではキリスト教以外の題材のものも少数ながら見られたことになる.近現代の絵でも良いものもあったが,とても見切れないうちに電車の時間が迫ってきたので,途中で鑑賞をあきらめざるを得なかった.

 やはりピストイア出身の画家でジェリーノ・ジェリーニという1480年生まれの人物の「聖なる会話」が美術館にあったが,美術館に行く前に訪問したサンタンドレーア教会の中央祭壇脇のリュネットに彼のフレスコ画を見ることができた.細かい記憶がないが,この画家の名前はピストイアの諸方で見ることができたように思う.


洗礼堂
 ドゥオーモのファサードの両端には向かって右に街の守護聖人「聖ヤコブ」,左にはドゥオーモ(サン・ゼノ教会)の名のもとになった聖ゼノン(サン・ゼノ)の像がある.イタリアでは各地で尊ばれている(神ではないから「崇拝」はしないが)聖人がおり,フィレンツェでも何人かの聖人の名が挙げられるが,ピストイアではヤコブ,ゼノンの他に,バルトロマイ,アガタなどが尊ばれている印象を受けた.

 「洗礼堂」は,ドゥオーモと同じく白と緑の大理石の美しい建造物で,フィレンツェのサン・ジョヴァンニ洗礼堂のような外観だが,中に入ると井戸があり,内壁は赤煉瓦が貼られていて,天井画,壁画などは見られず,簡素なつくりだった.

写真:
ピストイアの洗礼堂


 内部には売店があった.ピストイアはマリーノ・マリーニ美術館以外は基本的に教会(キエーザ)も美術館(ムゼーオ)も撮影禁止で,なおかつガイドブックやカタログの充実度が今ひとつなので,それを補う意味もあって絵葉書を何枚か購入した.

 4時に市立美術館(ムゼーオ・チーヴィコ)が開くまでまだ時間があったので,昼の時間帯も開いていることを確認してあったサンタンドレーア(聖アンドレア)教会を訪ねることして,いったんドゥオーモ広場を後にした.

 途中スピリト・サント教会にも立ち寄った.この教会は清楚な堂内に幾つかのサイド・チャペルがあり,それぞれ大きな絵が掲げられていて,誠実に主題と作者を説明してくれている上に,教会の概要のパンフレットまで作ってくれていた.特に目をひく作品はなかったが,余裕のあるときに是非もう一度訪ねてみたい.


サンタンドレーア教会
 サンタンドレーア教会には超弩級の宝物があった.ジョヴァンニ・ピザーノの作になる説教壇である.説教壇が立派というのはなかなか私たちには理解しにくいが,フィレンツェでもサン・ロレンツォにはドナテッロが作ったものがあり,プラートのドゥオーモの説教壇もミーノ・ダ・フィエーゾレが作った立派なものだった.

 しかし,今日見たジョヴァンニ・ピザーノの作品が多分一番すばらしいと思った.「イエスの誕生」,「三王礼拝」,「幼児虐殺」など5つの場面が活き活きとした浮き彫りになっている.

 これをみることで,今まで有名な芸術家(ドナテッロなど)が作ったといわれても,「はあ,そうですか.すごいよね」という感じで見過ごしてきたこのタイプの芸術の価値がわかるように思えてきた.またしても「開眼」したかも知れない.

写真:
サンタンドレーア教会
ファサード


 先日プラートのドゥオーモでファサードの右にあるドナテッロとミケロッツォの説教壇(英語でpulpit,イタリア語でアンボーネ)を,堂内でミーノ・ダ・フィエーゾレの説教壇を見た.先週はサン・ミニアート・アル・モンテで作者不詳だが非常におもしろい造形の説教壇を,サンタ・クローチェでベネデット・ダ・マイアーノの説教壇を見たばかりだ.

 サン・ロレンツォには,その一方でサヴォナローラが説教したといわれている2つのドナテッロ作の説教壇があるのは有名だ.サンタ・マリーア・ノヴェッラ教会の聖堂では説教壇に特に注目しなかったが,ガイドブックで見ると,アンドレーア・ディ・ラッザーロ・カヴァルカンティの作とされており,「受胎告知」,「イエスの誕生」,「イエスの神殿奉献」,「被昇天の聖母」の浮き彫りがあって相当な水準の作品と思われる.

 これまで絵画以外の造形芸術としては,説教壇の他に,

タベルナコロ型の祭壇 オルサンミケーレ教会のオルカーニャ
サン・ミニアート・アルモンテ教会のロッセリーノ
サンタ・クローチェ教会のミーノ・ダ・フィエーゾレ

墓碑 サンタ・クローチェ教会 カルロ・マルスッピーニの墓碑
(デジデリオ・ダ・セッティニャーノ)
レオナルド・ブルーニの墓碑
(ベルナルド・ロッセリーノ)
バディア・フィオレンティーナ教会 トスカーナ侯ウーゴの墓碑
(ミーノ・ダ・フィエーゾレ)
サンタ・マリーア・
ノヴェッラ教会
フィリッポ・ストロッツィの墓碑
(ベネデット・ダ・マイアーノ)
ヴィッラーナ・デッレ・ボッティの墓碑
(ベルナルド・ロッセリーノ)

壁や柱の装飾彫刻 サンタ・クローチェ教会 ドナテッロ「受胎告知」と「キリスト磔刑」
アントーニオ・ロッセリーノ「授乳の聖母」

ファサードや扉のパネル ドゥオーモ博物館とサン・ジョヴァンニ洗礼堂で見られるアンドレア・ピザーノ,ルーカ・デッラ・ロッビア,ギベルティの作品
サンタ・マリーア・ノヴェッラ教会のムゼーオで見られる伝オルカーニャのパネル群(ただし絵)

などを見ている.

 こうした伝統があって,ドナテッロ,ヴェロッキオからミケランジェロにいたる彫刻の伝統が形成されていくことがおぼろげながら,見えてくるような気がする.「気がする」というのは,ジョットよりも古いジョヴァンニ・ピザーノの作品はミケランジェロより200年以上古いわけだが,ミケランジェロに集約されるための源泉というには,この作家はあまりにも偉大すぎる.ジョヴァンニ・ピザーノはジョヴァンニ・ピザーノとして評価されるべき芸術家であろう.トスカーナの諸方にあるとされる父親のニッコロ・ピザーノの作品も是非見てみたい.

 ミケランジェロも墓碑(サン・ロレンツォのメディチ家礼拝堂)があり,サンタ・マリーア・ノヴェッラ教会のミケランジェロ作と言われる女人像柱に支えられた聖水盤があり,見ていないがサント・スピリト教会にも伝ミケランジェロの木彫のキリスト磔刑像がある.

 チマブーエやジョットのように絵で描いたものではないキリスト磔刑像もまた,様々な教会や美術館で見ているが,フォローしきれていない.ロッビア一族の彩色陶板(彩釉テラコッタ)も少しでも多く見たい.実際には一番インパクトが大きい建築に関しては,より専門的知識が必要だし,多分理解するのが難しいだろう.いずれにしても興味と知識欲は限りなく広がっていく.


マリーノ・マリーニ美術館
 こうした伝統がすべて流れ込んで,というのは随分無理な言い方だが,イタリアの現代芸術ももまた捨てがたい存在である.これまでに見たデ・キリコやマンズーなど既に物故した作家は「現代の」作家というのは憚られるので,20世紀の芸術家と言い換えても良い.

 その中の一人にマリーノ・マリーニがいる.彼の特別展が国立近代美術館で70年代が終わる頃にあったらしいので,日本でも知られた人と言えるだろう.彼はピストイアの出身だそうだ.まだ訪問していないがフィレンツェにもマリーノ・マリーニ美術館がある.

 それよりも先に,特別展示も行われていたピストイアのマリーノ・マリーニ美術館を訪ねた.

写真:
マリーノ・マリーニ美術館
ピストイア


 素描,絵,彫刻が展示されているが,彫刻もブロンズ,大理石,テラコッタと多様な素材で作品を残した芸術家で,まとまった数の作品を見ることによって,この作家の偉大さをある程度以上に理解することができる.

 どうしても私は,ストラヴィンスキーやシャガール,ヘンリー・ミラーといった同時代の偉人たちの肖像や胸像に目が言ってしまうが,「馬と馬に乗る人」(カヴァッロ・エ・カヴァリエーロ)というのが特別展示のテーマになっていて,デ・キリコにも馬をモティーフにした作品が多かったが,マリーニのかなりの作品が,「馬」または「人が乗っている馬」を題材にしている.絵と彫刻をうまく配置した展示で,おもしろく見られた.

 他に古代ローマの果実の女神ポモーナ(ラテン語ではポーモーナ)の像をたくさんつくっていたのが印象に残る.下半身のどっしりとした豊穣の女神や大地母神の類型であろう.

ポーマはラテン語で果実を意味し,イタリアの辞書を引いても「りんご」という意味が載っている.


 ただ,イタリア語では「りんご」はメーラという語が使われる.こちらはギリシア語語源で,私たちが知っている語ではメロンも同じ語源から来ている.イタリア語でもメロンをメローネと言うようだ.フランス語では「りんご」と「じゃがいも」をポムというので,こちらはラテン語のポーマの直系の子孫にあたる語だ.イタリア語では「じゃがいも」はパターテというみたいで,これはポテトに近いのでわかりやすい.

 この美術館で,「ピストイアでマリーノ・マリーノの作品を鑑賞したので,フィレンツェのマリーノ・マリーニ美術館の入場料を無料とする」という証明をもらった.パンクラツィオという昔の教会の建物の中にある同美術館を是非訪ねてみるつもりだ.


パラッツォ・デル・タウ
 ピストイアのマリーニ美術館が入っている建物はパラッツォ・デル・タウと呼ばれている.「タウ」はギリシア文字のタウ(Τ,τ)で,これが旧修道院の修道士たちの衣服に印として縫いこまれていたことに由来するらしい.

 しかし小文字ならともかく,大文字だとローマ字(T,t)と区別がつかないのに,どうなんだろうと思いながら,この建物の隣にあるはずの同名の礼拝堂(カペッラ・デル・タウ)を探すことから私たちのピストイア探訪は始まった.ここにフレスコ画があり,1時半までしか開いていないということだったからだ.

 下の写真の右の建物がそうなのだが,礼拝堂というより教会のようだし,実際に立て看板の説明書には「キエーザ」とあったので,最初にたどり着いていながら,ここではないと思い込んで,周囲をぐるぐる回り,警察官の方やマリーニ美術館の受付の人に教えてもらいながら,“やっぱりこの建物だ”とわかって,ようやく入った時にはかなり時間が経っていた.狭いので見るのに時間はかからなかったから,そんなに支障はなかったけれども.

ここのフレスコ画はすばらしかった.天井画は天地創造の物語,三段構成の壁面画は中段は『新約聖書』の物語,下段は「大修道院長,聖アントニウスの生涯」(アトリビュートはTタウ型の杖)を描いていて,悲惨な絵柄のない幸福な情景が展開しているように思え,見ていて幸せな気持ちなれる作品だった.


 堂内は採光が良く,ほぼ壁面全体を覆っているフレスコ画も色鮮やかだが,それだけに日光の当たる部分は剥落も進んでいるように思える.しかし,晴れやかな空間だ.描いたのはニッコロ・ディ・トンマーゾ(フィレンツェ出身)とアントーニオ・ヴィーテ(ピストイア出身)で,描かれたのは14世紀後半とのことだ.また新しい学習項目ができた.





マリーノ・マリーニ美術館(左)
カペッラ・デル・タウ(右)