フィレンツェだより
2007年8月5日



 




プラート門
ポンテ・アッレ・モッセ通りから



§ロッビア一族

昨日はワセダの学生さんが遊びに来てくれて,楽しい一時を過ごした.


 フィレンツェで,イタリアで多くのことを経験し,学んでほしいと思っているが,そう思うのは余計なお世話で,お話を伺うとすでにイタリアについての経験,知識を積んでおられるようだ.こちらが学ぶことが多かった.さすがにワセダの学生はたくましく意欲的だ.



 4日の朝も中央市場に行き,例によって野菜,パンとケーキ,ワインを買って帰ってきた.

 ポンテ・アッレ・モッセ通りから,プラート門を越えて,イル・プラート通りを直進するコースが私たちの中央市場への通い路で,コルシーニ邸や5つ星ホテルのある閑静な通りである.

 左に曲がってルチェッライ通りに出ると,ここもまた市中の喧騒とはまた違う空気の漂う美しい道だ.通りの右側にはマキアヴェッリが講師に呼ばれた邸宅があり,左側に大きな教会が2つある.アドラツィオーネ・ペルペトゥア教会,セイント・ジェイムズ・エピスコパーレ・アメリカーナ教会で,どちらも新しい.特に後者はアメリカのプロテスタント教会なので,通常のフィレンツェの教会とは違う雰囲気を持っている.



アドラツィオーネ・ペルペトゥア教会



セイント・ジェイムズ・
エピスコパーレ・アメリカーナ教会



 アドラツィオーネ・ペルペトゥア教会のファサードには大きな鳥が自分の胸を嘴で傷つけ,その血を小さな鳥たちに与えている大きな彩釉テラコッタ風の装飾があり,アメリカーナ教会のファサードにも小さなトンド(丸型)の彩釉テラコッタ風の装飾が幾つかある.

 彩釉テラコッタというと,すぐにロッビア一族が思い浮かぶが,両者ともに新しい教会なので,もちろんロッビア一族の作品ではない.しかし,さらに先に進むとロッビア一族の作品に出会う.

 ルチェッライ通りは,やがてスカラ通りに行き当たるが,その合流点にある古風な教会がある.このサン・ヤーコポ・ディ・リポーリ教会のファサードのリュネットにある大きな彩釉テラコッタ「聖母子と聖ヤコブ,聖ドメニコ」は1522年のジョヴァンニ・デッラ・ロッビアの作とのことだ.

写真:
彩釉テラコッタ
「聖母子と聖ヤコブ,聖ドメニコ」
ジョヴァンニ・デッラ・ロッビア作
サン・ヤーコポ・ディ・リポーリ教会


 さらに,スカラ通りを少しだけ東に進み,サンタ・カテリーナ・ダ・シエナ通りを右に曲がると,その西南の角に小さなタベルナコロがある.中に祀られている「聖母子像」は,フィレンツェ美術館友の会(アソツィアツィオーネ・アミーチ・デーイ・ムゼーイ・フィオレンティーニ)のプレートに拠れば,16世紀の作で,アンドレーア・デッラ・ロッビア作とされている.

写真:
タベルナコロの「聖母子像」
アンドレーア・デッラ・ロッビア作


 このあたりは教会が多く,この交差点の東南の角にも教会がある.サン・マルティーノ・イン・サンタ・マリーア・デッラ・スカーラ教会と言うらしいが,もともとはスカーラ病院の付設教会で,ボッティチェルリが「受胎告知」のフレスコ画を描いた(1481年)とのことだ.ただし,現在は剥離フレスコとなってウフィッツィにある.

 サンタ・カタリーナ・ダ・シエナ通りを中央駅の方に北上すると,左手に,またもや教会がある.カーザ・ディ・リポーゾ・デッラ・ベアータ・エリザベッタ・ヴェンドラミーニ教会と言うそうだが,市の立てた説明看板に拠れば,それなりの由緒はあるようだが,外観は新しい.

 大きなルイージ・アラマンニ通りを渡って,中央駅の地下通路を通り,ウニタ・イタリアーナ(イタリア統一)広場に出る.ゴミゴミした広場で環境は良くないが,オベリスクがあって分りやすいので集合場所によく利用されるようだ.

 ここからサン・ロレンツォ教会やその近くの中央市場までの経路は複数の選択肢があるが,中央市場に行くのであれば,サンタントニーノ通りが一番近い.通りの左側の入口にタベルナコロがあり,なかなかの出来と思われる「聖母子」の彩釉テラコッタがある.この作品は,マカダム本でもはっきりと「アンドレーア・デッラ・ロッビアの作」とされている.

写真:
タベルナコロの「聖母子」
アンドレーア・デッラ・ロッビア作
サンタントニーノ通り


 サンタントニーノ通りには,天使たちの浮き彫りを施された石造りの枠の中に「聖母子」の絵があるタベルナコロもあり,その近くには,サン・ジュゼッペ礼拝堂という小さなオラトリオがある.

 また,小さなアモリーノ通りが交差する角には,マカダム本に「ロッビア風」と紹介されている作者不詳の「幼児イエスを礼拝する聖母と天使たち」の彩釉テラコッタがある.

写真:
「幼児イエスを礼拝する
聖母と天使たち」
作者不詳


 比較的大きなファエンツァ通りとの交差点を越え,露店の土産物屋が立ち並ぶアリエント通りに着くと,左手に目指す中央市場が見える.もし交差点を左に曲がり,ファエンツァ通りを西北に進むと,ナツィオナーレ通りを越えた先の右手に,ペルジーノ派の「最後の晩餐」があるフリーニョ旧修道院「食堂」がある.

 ナツィオナーレ通りとの交差点で右に曲がり,インディペンデンツァ広場の方に向かうと,途中,右側に中央市場広場(ピアッツァ・メルカート・チェントラーレ)に行くキアーラ通りの入口があるが,左側には道はなく,水場があって,その上には大きなタベルナコロがある.

 このタベルナコロにある彩釉テラコッタ「聖母子と聖人たち」は多色仕上げの大作である.ジョヴァンニ・デッラ・ロッビアの1522年の作品だそうで,マカダム本でも大きく取り上げられている.

写真:
彩釉テラコッタ
「聖母子と聖人たち」
ジョヴァンニ・デッラ・ロッビア作


 私たちはこの横を何度も通っているが,保護ガラスが反射して写真はうまく写らない.「タベルナコロ・デッレ・フォンティチーネ」と言うそうだ.『伊和中辞典』には載っていなかったが,フォンテがラテン語のフォンスに由来する「泉,水源」という意味の語なので,そこから派生した名称と推測される.

 ナツィオナーレ通りをさらに進むと,ルーカ以来のデッラ・ロッビア一族の工房があったと言われるグエルファ通りと交差する.この通りは,サンティッシマ・アヌンツィアータ広場からドゥオーモの方に南下するセルヴィ通りから先はアルファーニ通りと名前が変わるので,セルヴィ通りからナツィオナーレ通りの間にロッビア工房があったのだろう.

 グエルファ通りのひとつ北を平行しているのが,ヴェンティセッテ・アプリーレ通りで,つい先日まで私たちはそこに住んでいた.



 フィレンツェに来るまで知らなかった芸術家がたくさんいるが,デッラ・ロッビア一族のことも,彩釉テラコッタ(彩色陶板)という造形芸術があることも全く知らなかった.

 街中のタベルナコロや,教会のファサードなど,いたるところそれらの作品に出会ったが,バルジェッロ美術館でまとめて作品を見たときも,まだ,その素晴らしさに目覚めていなかった.

 2度目にフィエーゾレに行き,バンディーニ美術館で,ロッビア一族,およびロッビア風の作品コレクションを見たあたりから,徐々に,なるほど良いものだなと思うようになった.マカダム本(Alta Macadam, Florence: Where to Find, Firenze: Scala Group, 2001)でも,ジョット,ブルネレスキ,マザッチョ,ドナテッロ,フラ・アンジェリコ,ボッティチェルリ,ギルランダイオ,ミケランジェロとともに取り上げられているのだから,その評価の高さは推察できる.

それとは別に,なかなか整理しきれないが,街角のタベルナコロにある聖母子その他の彩釉テラコッタや絵にも,芸術性を抜きにして興味がある.


 京都や奈良にも寺社仏閣があり,そこには芸術性の高い,お金のかかった仏像や仏画,伽藍,神殿があるわけだが,都市の庶民の信仰の支えになった辻々の地蔵や祠にも捨てがたい魅力がある.それと同じと言っては語弊があるだろうが,庶民の支えのない宗教には金持ちや権力者も関心を払わないだろうし,堅実な職人の伝統の中から,大天才が生まれる可能性も極めて低くなるだろう.

 そう思うと,フィレンツェの街を歩いていても,そうしたタベルナコロに目がいってしまい,ついついシャッターを切ってしまう.





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