フィレンツェだより
2007年9月4日



 




サン・ミニアート・アル・モンテ教会



§サン・ミニアート・アル・モンテ教会

東京からイタリアに観光に来る知人が私たちを訪ねてきて下さる.


 夕方,ミケランジェロ広場からフィレンツェの街を見たいとのことで,広場で待ち合わせることになった.さすがにフィレンツェも日没が早くなり,8時半はもうかなり暗い.夕方の風景を楽しむなら,今は7時半くらいが限度だろか.

 時間があって,もしお疲れでないようなら,寓居にご案内する前にサン・ミニアート・アル・モンテ教会をご案内しようかと思っている.サン・ミニアート・アル・モンテ教会はかなり遅い時間まで開いているのだが,もしご都合があわないようなら,待ち合わせの前に私たちだけでも拝観させてもらうつもりでいる.

 初めて拝観に行く知人を案内するつもりで,今までに自分が知りえたことを整理し,以前掲載した内容に誤解があった場合は訂正しながら,この教会についてまとめてみる.

 もちろん,要領よくまとまったガイドブックのある人にとってはあまり意味がないだろうけれど,あくまでも私たちの3度目の拝観の準備のための再整理である.



 初めの時と2度目では,この教会の印象はだいぶ違った.最初の訪問(5月5日)では,見晴らしの良いところにあるガランとした大きな教会で,古くさい壁画ばかりで,見るべきものはあまりない,とまでは言わないが,フレスコ画にそれほど興味がなかったこともあり,傑作に溢れているとは感じられなかった.

 このとき名前を挙げた画家は,アントーニオとピエーロ・デル・ポッライウォーロ兄弟だが,そのオリジナル作品はウフィッツィにあって,教会にあるのはコピーだ.他にはスピネッロ・アレティーノ,アーニョロ・ガッディとピエトロ・ネッリの3人の名を挙げているが,実はこの段階で彼らの名前を確認していたことを後にはすっかり忘れていた.

 その後の学習で,スピネッロ・アレティーノとアーニョロ・ガッディが大芸術家であることがわかったので,この時点で2人の名前を挙げているのは,なかなかいい線をいっていたと思う.

 もっとも,この2人の作品が置かれている場所は立派なタベルナコロ型祭壇の中と聖具室で,重要な作品とちゃんと認識できる扱いになっているのだから,そういばれたものでもない.


ピエトロ・ネッリ
 ピエトロ・ネッリが描いているのは聖人たちのフレスコ画だ.フレスコ画と板絵の両方で多くの聖人の絵がある中,ことさら彼の作品が印象に残った理由は今となってはわからない.ただ,ガイドブックで確認しても,この作品は良い作品だと思う.

 描かれているのは,左から大天使ミカエル,洗礼者ヨハネ,聖レパラータ,聖ゼノビウス,聖ベネディクトである.天使の場合,剣を持っていたらミカエル,受胎告知の時はガブリエルくらいまではわかるし,洗礼者ヨハネはおなじみだが,後の3人はわかりにくい.

 レパラータとゼノビウスは,この教会の名のもとになっているミニアスと並んでフィレンツェの初期キリスト教にとって重要な聖人らしい.これはフィレンツェのあちこちで絵を見ているうちにわかってくる.

 ベネディクトはこの教会を支えた修道会の創設者だが,ベネディクト会からオリヴェート会に管理修道会が変わった証拠として白い衣を着ているのは,聖具室のスピネッロ・アレティーノの「聖ベネディクトの生涯」の場合と同じだろう.

写真:
聖人たちのフレスコ画
ピエトロ・ネッリ


 もう一つネッリの作品がある.「アレクサンドリアの聖カタリナ」である.殉教の印の棕櫚の枝と,拷問に使われた車輪が描き込まれている.どうしてかはわからないが,この聖女もよく絵の題材になっている.

 聖母子から指輪をもらっている「聖カタリナの神秘の結婚」もあちこちで見かけるが,この画題における「聖カタリナ」はアレクサンドリアの聖カタリナとシエナの聖カタリナ,どちらの場合もある.しかし「車輪」と「棕櫚の枝」が描かれていれば,シエナの聖カタリナではなくアレクサンドリアの聖カタリナだ.

 百合はいつも持っているのかどうかわからないが,多分「純潔」(皇帝との結婚を拒否して,信仰を守った)を意味し,右手に本を持っているのは学者たちを論破したという彼女の学識と知性を意味しているのだろうか.いずれにせよ,歴史上の人物というよりは伝説の聖女だ.

写真:
「アレクサンドリアの聖カタリナ」
ピエトロ・ネッリ


 サンタ・マリーア・ノヴェッラ教会のルチェッライ礼拝堂にあるジュリアーノ・ブジャルディーニの「アレクサンドリアの聖カタリナの殉教」の絵と比べてみると,作家の個性だけでなく,中世からルネサンスへの移り変わりのようなものを感じることができるのではないだろうか.

 ネッリは14世紀後半に生まれ,15世紀初頭まで活躍し,ブジャルディーニは1475年生まれなので,ミケランジェロと同い年であり,1554年にミケランジェロより10年早く死んだ.


スキアーヴォ
 一度目に見たときは,もちろん名前も知らなかったが,その後,別の所で作品を見ることになったのが,パオーロ・スキアーヴォ,マリオット・ディ・クリストファノだ.アンドレア・ボナイウートは先に作品を見ていたが,特に注目はしていなかった.

 スキアーヴォは,旧アポロニア修道院「食堂」の美術館にカスターニョの「最後の晩餐」を見に行き,「食堂」に入る前の小部屋で「キリスト磔刑」と「ピエタのキリスト」の剥離フレスコ画を見たのが初めての出会いだった.以来,彼の名前はずっと意識してきたが,他にはサンティ・アポストリ教会で「聖母子」の剥離フレスコ画を見られただけだ.

 この教会ではネッリの「聖カタリナ」の左隣にスキアーヴォの「福音史家ヨハネと聖ルキア」が見られる.しかし,何と言っても,入ってすぐ右側の壁にある「玉座の聖母子と聖人たち」は登場人物も多く,今のところ,この画家の最大の作品ではないだろうかと思っている.

写真:
「玉座の聖母子と聖人たち」
パオーロ・スキアーヴォ



マリオット・ディ・クリストファノ
 マリオット・ディ・クリストファノはサン・ジョヴァンニ・バルダルノのバジリカ付属美術館で作品を見ている.この町の出身で,同郷のマザッチョの義弟にあたる.

 しかし,マザッチョの母親の再婚相手の連れ子と結婚したということで,年齢もマザッチョよりかなり上なので,マザッチョが実弟のスケッジャに対するように,特に「お兄さん」の立場にいたというわけではなさそうだ.このあたりも,以前抱いた感想に対して修正が必要だろう.


ボナイウート
 ボナイウートはサンタ・マリーア・ノヴェッラ教会の「緑の回廊」の「スペイン人の礼拝堂」に大きなフレスコ画を描いているところからみて,多分,当時相当評価された画家だったのだと思う.

 下の写真の一番右の少し大きく書かれた黒い衣の人物がボナイウートの「修道院長アントニウス」で,頭が二つに割れた杖と本を持っている.一番左がマリオット・ディ・クリストファノの「受難のキリスト」だが,残念ながら,写真ではよく見えない.

写真:
聖人たちのフレスコ画
ボナイウート


 この写真の真ん中の柱に描かれた「悔悟するマグダラのマリア」は14世紀フィレンツェの不詳の画家による作品だが,他にニッコロ・ディ・トンマーゾ,ヤーコポ・ダ・フィレンツェの作品がこの中にあり,前者はアカデミア美術館とホーン美術館で,後者はフィエーゾレのバンディーニ美術館でそれぞれ板絵を見ることのできる画家のようだ.


「ポルトガル人枢機卿の礼拝堂」
 アントーニオとピエーロ・デル・ポッライウォーロの「聖ヤコブと聖エウスタキウス,聖ウィンケンティウス」のコピーが置かれているポルトガル人枢機卿の礼拝堂」には,アントーニオ・ロッセリーノ作の墓碑がある.

 他にはルーカ・デッラ・ロッビアの彩釉テラコッタ「聖霊と4つの枢要な諸徳」がある.聖霊は鳩,諸徳は天使の姿で表されていて,合計で5つのトンド(丸型)が天井に見られる.しかし,礼拝堂の中には入れないので,外から覗き込むことになり,少し見づらい.

 ここにはアレッソ・バルドヴィネッティの「受胎告知」があるはずだが,まだ見ていないので,今度はしっかり確かめてきたい.

 他にも堂内には多くのフレスコ画があるが,その中で左側の壁面に見られるマリオット・ディ・ナルドの剥離フレスコ画「キリスト磔刑と聖人たち」,「天の女王と聖人たち」は,現在は非公開の中庭付き回廊にもともとはあったものらしいが,印象に残るすばらしい作品に思える.


地上階,中二階,地下
 地上階は2列の柱によって身廊と2つの側廊に分かれている.身廊の一番奥にはタベルナコロ型祭壇があり,アーニョロ・ガッディの祭壇画「聖ミニアス,聖ジョヴァンニ・グァルベルトとキリストの受難」が置かれている.この中には「最後の晩餐」の場面も描き込まれている.

 そのさらに奥を後陣と言って良いのかどうかわからないが,とりあえず後陣と言っておくと,そこは中2階になっていて,階段で昇ると中央祭壇を含む3つの祭壇がある.

写真:
地上階のタベルナコロ型祭壇
奥は3つの祭壇がある中二階


 右側の祭壇にはヤコポ・デル・カゼンティーノの祭壇画「聖ミニアスとその生涯」,左側の祭壇にはサン・ニッコロの祭壇の親方と通称される人物による祭壇画「聖ジョヴァンニ・グァルベルト」がある.前者はアカデミア美術館とホーン美術館,後者はフィエーゾレのバンディーニ美術館で作品を見ることのできる画家である.

 中央祭壇には細かい細工が施された大理石の囲いがあり,その手前に大理石の説教壇があって,造形が面白い.ルーカ・デッラ・ロッビア作とされるテラコッタの「キリスト磔刑像」もある.

 一番奥には大きなモザイク画「玉座のキリスト,聖母と聖ミニアス」がある.13世紀のものだそうだから,何よりもその大きさと古さに価値があるだろう.もともと暗い堂内の一番奥なので,少し見えにくいが,金色に輝いているし,見ていて飽きない.

 階上の祭壇の下は地下祭室(クリプタ)になっていて,やはり地上階から階段で降りる.暗いがもともと風通しの良い立地なので,他の教会の地下祭室に比べて湿っぽくない.

 タッデーオ・ガッディが丸天井に描いた4聖人など幾つかのフレスコ画が残っているが,あまりよくわからない.しかし,フィレンツェの教会でクリプタが見られるのはめずらしいように思えるので,訪ねる価値は大いにあるだろう.


サン・サルヴァトーレ・アル・モンテ教会
 近くのサン・サルヴァトーレ・アル・モンテ教会に関しては,サンティ・アポストリのガイドブックと同じシリーズからガイドブックが出ているらしいが,まだ入手できていない.それでも運がよければ教会でイタリア語で書かれたパンフレットがもらえて,一通りの作品とその作者に関する情報が得られる.

 それによると,祭壇画「玉座の聖母子と聖人たち」は「ピエタ」同様ネーリ・ディ・ビッチの作品だと思っていたが,ジョヴァンニ・ダル・ポンテ(パンフレットにはダ・ポンテとあるが同じ人物)とのことだ.

写真:
「玉座の聖母子と聖人たち」
ジョヴァンニ・ダル・ポンテ


 彼の作品は,アカデミア美術館,ホーン美術館,バンディーニ美術館に板絵があり,サンタ・トリニタに剥離フレスコ「聖バルトロマイの殉教」がある.ピストイアのドゥオにも,彼の作とされるフレスコ画がある.

 板絵とカンヴァス画の用語を私は混同しがちだが,大体テンペラ画なら板絵,油彩ならカンヴァス画ということで良いのだろう.ただし油彩でも板絵もあるようだし,素人目にはわかりにくいので,これからもカンヴァス画を板絵と言ってしまうことがあるかもしれない.正確にはカンヴァスの油彩画のようだが,18世紀まで生きた画家でトンマーゾ・レーディの作品も2点あるようだ.

 彩釉テラコッタではアンドレーア・デッラ・ロッビアの「キリスト降架」(もしくは「キリストの埋葬」)の他に,サンティ・ブリオーニの「ピエタ」もあるようだ.この作家の作品はバルジェッロ美術館,バンディーニ美術館で見られる.

 また,真偽は判断しようがないが,このパンフレットによればステンドグラスの下絵を描いたのはペルジーノとのことなので,5月5日に「ステンドグラスが美しい」と書いたのはまんざら的外れでもなかったかも知れない.もっともたいていのステンドグラスは美しく見えるので,あまり自慢にはならないだろう.



 明日から,カトゥルスの故郷ヴェローナとウェルギリウスに縁の深いマントヴァを2泊3日の予定で訪ねる.訪問報告がまとまるまでの間,「フィレンツェだより」はお休みする.





サン・サルヴァトーレ・アル・モンテ教会
左はサンティ・ブリオーニの「ピエタ」