ネポス『ハンニバル伝』講読1

 テクストは,John C. Rolfe, ed., Cornelius Nepos, Cambridge, Mass.: Harvard University Press & London: William Heinemann, 1929 (Loeb Classical Library) を用います.邦訳としては,畏友,山下太郎,上村健二両氏による,コルネリウス・ネポス『英雄伝』(国文社:叢書アレクサンドリア図書館3,1995)があります.

 「ハンニバル伝」に関しては以下の書物を参考にします.
1.大村雄治,古川晴風,有田潤(共編),「全訳・注解 やさしいラテン語読本」(大学書林,1964)
2.Michel Ruch, ed., Cornelius Nepos: Hannibal, Cato, Atticus, Paris:PUF, 1968
3.Karl Nipperdey, ed., Cornelius Nepos, Weidmann, 1967

 3はフルコメンタリーです.他にビュデ版のテクストと仏訳を参照しますが,アクサンの扱い(3もウムラウトをどうすればいいかわからなくて出版地を書いていませんし,1849年初版の本の改訂13版である旨も記載しませんでした)が面倒なので書きません.

(テクスト)

 (1.1.) Hannibal, Hamilcaris filius, Karthaginiensis. Si verum est, quod nemo dubitat, ut populus Romanus omnes gentes virtute superarit, non est infitiandum Hannibalem tanto praestitisse ceteros imperatores prudentia quanto populus Romanus antecedat fortitudine cunctas nationes. (1. 2.) Nam quotienscumque cum eo congressus in Italia, semper discessit superior. Quod nisi domi civium suorum invidia debilitatus esset, Romanos videtur superare potuisse. Sed multolum obtrectatio devicit unius virtutem.

(語彙)

(1. 1.) 第1文

 Hannibal:第3変化・男性名詞Hannibal, Hannibalis, m.「ハンニバル」の単数・主格.カルタゴの将軍.第2次ポエニ戦争でローマと戦い,カンナエの戦いではローマ軍を破ったが,ザマの戦いでスキピオに敗れた.
 Hamilcaris:第3変化・男性名詞Hamilcar, Hamilcaris, m.「ハミルカル」の単数・属格.ハンニバルの父.ネポスの『英雄伝』に「ハミルカル伝」がある.
 filius:第2変化・男性名詞fili-us, -i, m.「息子」の単数・主格.主語ハンニバルの主格補語(動詞は省略)
 Kathaginiensis:第3変化形容詞Karthaginiens-is (Carthaginiens-is), -e「カルタゴの,カルタゴ人(の)」の単数・主格

(1. 1) 第2文

 si:従属接続詞「もし」.非現実の仮定文なら動詞が条件節,も帰結節も接続法なるが,ここは直説法が用いられているので,客観的事実として述べられている.「真実であれば,・・・,否定すべくもない」という文意で,著者は「否定すべくもない」ことが客観的事実と考えていることになる.
 quod:接続詞「〜ので」.ここでは軽く「からなのは誰も疑わないが」と言い添えていると考える
 nemo:不定代名詞「誰も〜ない」,「何人も〜ない」の単数・主格.英語のno one, nobody
 dubitat:第1活用動詞dubito, dubitare, dubitavi, dubitatum「疑う」の直説法・能動相・現在・3人称・単数.「疑う」内容はut以下の名詞節.
 ut:接続詞.英語の (so) thatのように,名詞節や副詞節を作る.通常utに導かれる文の動詞は接続法になり,目的や結果などを表すことが多い.ここでは「〜ということは,誰も疑わない」という文意だが,文法的には説明的な副詞節を作る接続詞で動詞は接続法をとる.Oxford Latin Dictionary (OLD) のut の項の38.aを参照.
 populus:第2変化・男性名詞popul-us, -i, m.「国民,民族,人々」の単数・主格
 Romanus:第1・第2変化形容詞Roman-us, -a, -um「ローマの」の男性・単数・主格
 omnes:第3変化形容詞omn-is, -e「すべての」の女性・複数・対格
 gentes:第3変化・女性名詞gens, gentis, f.「種族,一族,民族,人種」の複数・対格
 virtute:第3変化・女性名詞virtus, virtutis, f.「武勇,勇気,徳」の単数・奪格
 superarit:第1活用動詞supero, superare, superavi, superatum「勝る,凌駕する」(他動詞なので対格名詞を直接目的語として支配する)の接続法・能動相・完了・3人称・単数superaveritの-ve-を省略した形.
 non:説明の必要はないよね(英語のnot)
 est:英語のbe動詞にあたるsum動詞の直説法・能動相・現在・3人称・単数(英語のis)
 infitiandum:第1活用の形式受動相(能動相欠如)動詞infitior, infitiari, infitiatus sum「否認する,否定する」の動形容詞 (gerundivum) infitiand-us, -a, -um の中性・単数・主格.動形容詞は「〜されるべき」という未来の受動を表す.この場合もとが形式受動相動詞で,受身形で能動の意味になるので,動形容詞も意味は能動になりそうだが,形式受動相動詞の場合も動形容詞の意味は受動になる.「否定されるべきではない」内容は「対格+不定法」構文で示されている
 Hannibalem:第3変化・男性名詞Hannibal, Hannibalis, m「ハンニバル」の単数・対格(不定法の主語)
 tanto:quantoと連動して「quanto以下なほど,tanto以下だ」,「tanto以下なのは,quanto以下と同じ」の意味.この場合,toto以下は不定法構文,quanto以下は接続法を用いた従属文になっている.
 praesitisse:第1活用動詞praesto, praestare, praestiti, praestitum「〜よりすぐれている,勝っている」(他動詞)(別の意味で自動詞もあるが,ここでは対格の直接目的語を支配している)の不定法・能動相・完了
 ceteros:第1・第2変化形容詞ceter-us, -a, -um「その他の」の男性・複数・対格
 imperatores:第3変化・男性名詞imperator, imperatoris, m.「将軍,指揮官」の複数・対格
 prudentia:第1変化・女性名詞prudenti-a, -ae, f.「思慮,分別」の単数・奪格「思慮の点で」
 quanto:上のtantoと連動している.tantoの項参照.
 populus Romanus:上で説明済み.単数・主格
 antecedat:第3活用動詞antecedo, antecedere, antecessi, antecessum「〜の前を行く→すぐれる,勝る」(ここでは他動詞)の接続法・能動相・現在・3人称・単数
 fortitudine:第3変化・女性名詞fortitudo, fortitudinis, f.「強さ,勇敢さ,勇気,強健さ,堅忍不抜さ」の単数・奪格
 cunctas:第1・第2変化形容詞cunct-us, -a, -um「すべての,全体の」の女性・複数・対格
 nationes:第3変化・女性名詞natio, nationis, f「民族,国民」の複数・対格

(1. 2.)第1文

 nam:等位接続詞「というのも」
 quotienscumque:従位接続詞「〜する時はいつでも」
 cum:奪格支配の前置詞「〜とともに」
 eo:指示代名詞is, ea, id「それ」(彼,彼女の意味でも使われる)の男性・単数・奪格.ここでは「ローマ国民」を受けている.
 congressus:第3活用の形式受動相動詞congredior, congeredi, congressus sum「出会う,闘う,会戦する」の完了分詞・男性・単数・主格.次のestとの複合形で,元来は受け身の直説法・完了をつくるが,形式受動相動詞なので,意味は能動である
 est:sum動詞の直説法・能動相・現在・3人称・単数.完了分詞と結びついて,受動相の完了をつくる
 in:奪格支配の前置詞「〜において」(対格を支配する場合は「〜へと」
 Italia:第1変化・女性名詞Itali-a, -ae, f.「イタリア」の単数・奪格
 semper:副詞「常に」(英語のalways)
 discessit:第3活用動詞discedo, discedere, discessi, discessum「退く,離れる,去る」の直説法・能動相・完了・3人称・単数
 superior:第1・第2変化形容詞super-us, -a, -um「上の,上にある」の比較級「より上の,優れている,勝っている」の男性・単数・主格.ここではdiscessitの主語ハンニバルの副詞的同格「より優れた者として,勝利者として」

(1. 2.)第2文

 quod:接続詞.通常「理由」を示すが,『やさしいラテン語読本』に「前文とのゆるい接続を示す」とあり,ここではその説明がわかりやすいと思う.もちろん「もし〜でなかったならば,・・・していたと思われるからだ」の「からだ」と考えることもできる.その場合「から」は前の前の文にかかると説明(前の文もやはり理由の説明)と思われる.
 nisi:仮定文の条件節を導く従位接続詞「もし〜でないならば」(英語のunless)で,ここでは過去の事実に反する仮定なので,動詞は接続法・過去完了になっている.
 domi:基本的に第4変化で,一部に第2変化が混じる女性名詞dum-us, -us, f.「家」の地格(もしくは位格)(locative case)(印欧祖語には本来あってラテン語では廃れたが,一部の名詞(「家」,「田舎」,都市と小島の名前など)には残っている格)で,「家で,国内で」の意味.副詞と考えても良い(at home) かもしれないが,副詞としての辞書登録はない.
 civium:第3変化・男性&女性(ここでは男性)名詞civ-is, -is, mf.「市民」の複数・属格
 suorum:再帰所有形容詞su-us, -a, -um「自分の」の男性・複数・属格.条件節中の動詞debilitatus essetの主語ハンニバルと一致する
 invidia:第1変化・女性名詞invidi-a, -ae, f.「嫉妬,ねたみ,悪意,不人気」の単数・奪格
 debilitatus:第1活用動詞debilito, debilitare, debilitavi, debilitatum「弱める」の完了分詞・男性・単数・主格
 esset:sum動詞の接続法・能動相(もっとも非人称以外の受動相は存在しないが)・未完了過去・3人称・単数.上の完了分詞とともに受動相の接続法・過去完了を構成
 Romanos:第1・第2変化形容詞Roman-usm -a, -um「ローマの」の男性・複数・対格.男性・複数は名詞化して「〜人」の意味になり,ここでも「ローマ人」の意味で使われている
 videtur:第2活用動詞video, videre, vidi, visum「見る」の直説法・受動相・現在・3人称・単数.非人称用法の可能性も皆無ではないが,ここではハンニバルが主語と考えたい.不定法をともなって「〜するように(〜したように)思われる.〜する(した)ようだ」の意味になる
 superare:第1活用動詞supero, superare, superavi, superatum「勝る,優れる,うち勝つ,凌駕する」(対格支配の他動詞)の不定法・能動相・現在
 potuisse:不定法を支配して「〜することができる」の意味になる不規則動詞possum, posse, potui の不定法・能動相・完了

(1. 2.)第3文

 sed:等位接続詞「しかし」
 multorum:第1・第2変化形容詞mult-us, -a, um「多くの,多量の」の男性・複数・属格.ここでは名詞化していて「多くの者たちの」
 obtrectatio:第3変化・女性名詞obtrectatio, obtrectationis, f.「非難,不評」の単数・主格
 devicit:第3活用・第1形動詞devinco, devincere, devici, devictum「征服する,鎮圧する,圧倒する,うち負かす」の直説法・能動相・完了・3人称・単数
 unius:代名詞型形容詞un-us, -a, -um「1人の,1つの,単独の」の男性・単数・属格.ここでは名詞化して「一人の男の」
 virtutem:第3変化・女性名詞virtus, virtutis, f.「武勇,徳」の単数・対格

(試訳)

(1.1)ハンニバルはハミルカルの息子でカルタゴ人であった.疑う者は誰もいないが,ローマ国民が武勇においてすべて民族を凌駕しているとすれば,ローマ国民がその強靱さで諸民族に傑出しているのと同じように,ハンニバルが思慮の点でその他の将軍たちよりもすぐれていたということは否定できない.(1.2.)というのも,彼はイタリアでローマ人と会戦するたびに,常に勝利者となって引き上げたからであり,もしも自国で同胞市民たちの嫉妬によって力を殺がれなければ,ローマ人をうち破ることができたと思われるからだ.だが,多人数の不評が一人の男の武勇を完全にうち負かしたのだ.