プロフィール・略歴


 

塚原 史 TSUKAHARA FUMI
  
早稲田大学名誉教授Professor emeritus,Waseda University
會津八一記念博物館顧問 Adviser, Aizu Museum, Waseda University
都市と美術研究所顧問 Adviser, City and Art Institute, Waseda University

 


-彼自身による塚原史

TSUKAHARA FUMI par lui-meme (janvier 2005)-

 武蔵野の面影の残る東京西郊で生まれ育つ。桐朋中学・高校から早稲田大学政治経済学部政治学科へ進む。
バリケードとストライキで荒れる大学で、マルクス『資本論』の研究サークルを作り、同時にダダイスト・ツァラの詩を耽読。

 ←Tristan Tzara

 とくにツァラのテクスト(そして生き方)との出会いは強烈だった。
早稲田の教授では、秋山澄夫、内田満(政経学部)、窪田般弥(文学部)の諸先生の謦咳(けいがい)を記憶に留める。
 学部3年生から4年生の春に、なぜか数週間京都亀岡に遊ぶ。帰途、京大キャンパスに立ち寄ったのが縁で、卒業後、京都大学大学院でフランス文学を専攻。といっても、反芸術・反文学のダダを修士論文のテーマに選んだから「おふらんす派」ではなかった。京大の教授では、仏文の本城格先生、中川久定先生にお世話になった。
 京都時代は、最初吉田山を越えてすぐの神楽岡に住み、その後京福叡山線の岩倉に引っ越した。
 修士論文の題目はLA SOLITUDE ET LA SOLIDARTE CHEZ TRISTAN TZARA(「トリスタン・ツァラにおける孤独と連帯」)。修士論文の主査は本城格先生、副査は中川久定先生と美術史の土肥美夫先生だった。

 京大の修士課程を終えて、フランス政府給費留学生としてパリ第3大学に留学。
アポリネール研究の権威ミシェル・デコーダン教授の指導を受けたが、それより大きな出会いは、京大の絆で社会哲学者の今村仁司さんと知り合ったことで、今村さんの勧めで、ジャン・ボードリヤールの『消費社会の神話と構造』の共訳者となる。
パリ時代は、最初はシャンゼリゼ付近のラ・ボエシー街に住み、その後セーヌ左岸植物園に近いクレ街で過ごした。中古のVWで、北はアムステルダム、南はナポリ、東はウィーン、西はリスボンと、ヨーロッパを放浪。そういえば、留学中の1977年1月末にポンピドゥー・センターがオープンした。
 最初の企画展はデュシャンで、開館当日は長蛇の列に辟易して引き返した記憶がある。結局、二十代の半分は京都とパリで過ごしたことになり、まさに「移動祝祭日」の貴重な体験ができた。
 帰国後のことはスキップするが、最初ICUで非常勤講師を半年勤めたあと、早稲田の法学部の専任教員となり(フランス語、芸術論、表象文化研究などを担当)、現在にいたる。
 早稲田で教えはじめた年の秋に、三十歳で最初の訳書ボードリヤール『消費社会の神話と構造』(今村さんと共訳)を出版。
以後、現代思想(ボードリヤール、リオタール、ブルデューら)とアヴァンギャルド芸術(ダダ、未来派、シュルレアリスム、荒川修作、松澤宥ら)を軸として近現代表象文化論(近現代アート、思想、写真、映画などをふくむ)を研究テーマとする。
最初の著書は『プレイバック・ダダ』で、三十九歳のときだった(朝日新聞の書評で数学者の森毅さんが取りあげてくれた)。

 その後のプロフィールをごく簡単に補足しておけば、ボードリヤールの翻訳研究を続けた縁でご本人と交流し、1995年2月には東京新宿の紀伊国屋ホールでボードリヤール×吉本隆明公開対論「世紀末を語る―消費社会の行方」を実現、阪神淡路大震災と地下鉄サリン事件のあいだの時期で、新聞社の取材でボードリヤールと神戸三宮に同行した。
 その後2003年10月には、ボードリヤール早稲田講演「暴力とグローバリゼーション」を実現、会場の大隈小講堂に定員をはるかに超える聴衆が集まり、この時ボードリヤールが学生たちに「私はメッセージの伝達者ではない。君たちの未来は君たち自身で決めるのだ」と語って、ボードリヤールさんは2007年に他界したため、最後の来日の伝説のスピーチとなった(未公開ビデオ映像あり)。
この講演会のボランティアの多くは早大テーマカレッジのゼミ生で、彼らから多彩で個性的な才能が育った。
 また1990年代には荒川修作と出会ってその「天命反転」の思想に共鳴し、親交を結んだ。荒川修作も何度か早稲田で講演し、学生たちに大きな驚きと感動を与えてくれた。2008年2月には東京国立近代美術館での対談が実現した(山岡信貴氏製作DVDあり)。
 また、今村仁司さんとは2007年秋にジョルジュ・ソレル『暴力論』新訳を岩波文庫から共訳で出版することができた。今村さんは刊行を待たずにこの年5月に逝去されたが、1979年のボードリヤール初邦訳以来30年近くにわたって思想と文化の新たな可能性をともに模索し続けた、この年長の友にあらためて感謝したい。
 国際的な活動では、1997年からツァラの生地ルーマニア、モイネシュティで結成されたトリスタン・ツァラ文化文学協会に参加(名誉会員)、機関誌CAHIERS TRISTAN TZARA/CAIETELE TRISTAN TZARAに寄稿している。2005年ポンピドー・センターで開催されたダダの大回顧展のために出版された国際論集DADA CIRCUIT TOTAL(L’AGE D’HOMME)にも執筆した。
 2000年代からはアヴァンギャルド研究三部作に取り組み、『反逆する美学』(2008)、『切断する美学』(2013)まで刊行し、目下第三部『模索する美学』を準備中。また、トリスタン・ツァラ研究に関しては2013年にビュオ著『トリスタン・ツァラ伝』邦訳(共訳)を上梓し、ダダの創始者ツァラの生涯と作品のあらましが、ツァラ没後50年後にようやく日本語で読めるようになった。
2012年秋からは早稲田大学會津八一記念博物館館長を兼務している。

 會津八一記念博物館(AIZU MUSEUM WASEDA UNIVERSITY)では、館長企画として2014年に企画展「荒川修作の軌跡―天命反転、その先へ」(5月12日~6月14日)、2016年には特集展示「チューリッヒ・ダダ百周年――トリスタン・ツァラの軌跡と荒川修作」(6月29日~8月7日)を開催している。ダダ展では、チューリッヒ・ダダ機関誌DADA全巻、ツァラ+ピカソ詩画集『人間の記憶の限り』(DE MÉMOIRE D’HOMME, POÈME PAR TRISTAN TZARA, LITHOGRAPHIES DE PABLO PICASSO, BORDAS ÉDITEUR, 1950)初版限定30部のうち27番)などを展示、好評を得て朝日新聞(7月5日、7月25日)、日本経済新聞(7月23日)、NHKニュース(2016年7月10日昼)などで取り上げていただいた。

 また『模索する美学―アヴァンギャルド社会思想史』は2014年6月に出版され、アヴァンギャルド研究三部作が完結している(いずれも論創社から刊行)。2016年には2月にフランスのダダ・シュルレアリスム研究誌MÉLUSINE第36号に以下の論考を掲載――Fumi Tsukahara: A LA RECHERCHE DE L’ORIGINE DE LA TOUR DU SOLEIL: TARO OKAMOTO ET LE SURRÉALISME DES ANNÉES 30 (MÉLUSINE, No 36, L’ Âge d’Homme, Paris, février 2016)。

 2017年12月には『ダダ・シュルレアリスム新訳詩集』(共訳、思潮社)を刊行したが、この書物は窪田般彌訳『フランス現代詩19人集 』(思潮社)、飯島耕一訳『シュルレアリスム詩集』(筑摩書房)から半世紀ぶりの新訳となる。

 2018年2月には著書『ダダイズム―世界をつなぐ芸術運動』を岩波現代全書から出版。ルーマニア時代のツァラから、パリ、ベルリン、ニューヨーク、オランダ、東欧、スペイン、ラテンアメリカなどの歴史的ダダイズムをへて、ネオダダ、荒川修作まで「DADAの名のもと国境と言語を越え地球をつないだ芸術家たちの物語」(同書帯)であり、最初の単著『プレイバック・ダダ』(白順社、1988年4月)から30年目の著作となる。

 2018年12月、夭折したアイヌの歌人違星北斗の歌集『北斗帖』フランス語訳をフランスの詩人パトリック・ブランシュと共訳、南仏ニヨンスの出版社Éditions des lisières (Nyons)から刊行(Iboshi Hokuto, Carnet de l’étoile du Nord, traduction et adaptation par Fumi. Tsukahara et Patrick Blanche, France)。現地を訪問し、パトリック氏、出版社主モード・ルロワ(Maude Leroy)氏と交歓。

↑左書影・右上パトリックさん、右下モードさんと塚原 

 2019年1月17日(奇しくもダダイスト・ツァラの1920年パリ到着日)、早稲田大学8号館B102教室で最終講義《ダダイズムとモダンアートの「反転」-ツァラ、デュシャン、ウォーホル、ボードリヤール、荒川修作》開催(立ち見も出る超満員の出席者に感謝!)。

※当日配布した「参考資料」の一部を掲載します※

塚原 史教授・最終講義資料 2019年1月17日(木)8号館B102教室

《ダダイズムとモダンアートの「反転」-ツァラ、デュシャン、ウォーホル、ボードリヤール、荒川修作》

*モダンアートModern Artとは? 産業革命(都市と工場)と市民革命(個人と理性)によって成立した西欧型近代社会に特徴的な「近代芸術」

*モダンアートの「反転」とは? 1・社会構築から表象の解体へ/(ロマン主義・写実主義→キュビスム) 2・人間的芸術から「非人間的」芸術へ/(ダダイズム以後:意味から「無意味」へ) 3・「現実」から記号・複製、シミュラークルへ+芸術の「陰謀」/+α・「天命反転」へ?

*最初の反転=社会構築から表象の解体へ(ロマン主義・写実主義→キュビスム) ・社会構築のアヴァンギャルド(前衛)から「現実」の基本要素への解体へ(ドラクロワ、セザンヌetc)

*第2の反転:人間的(意味の)芸術から「非人間的」(無意味の)芸術へ(ピカソ、ツァラ、デュシャンetc) 第1次世界大戦1914-18とダダイズム1916-以後⇒意味から「無意味」へ ・1913年、アポリネールは評論『キュビスムの画家たち』で「芸術家とは非人間的になることを望む人々である」と書いた。「非人間的」=「主題(主体)の不在」「対象との類似の否定」「新しい自然(機械)の礼賛」

*ダダイズムの出現と運動のグローバル化:トリスタン・ツァラ「ダダ宣言1918」=DADAは何も意味しない・私は頭脳と社会組織の引き出しを破壊する・DADA DADA DADA … ・ツァラ「帽子の中の言葉:ダダの作詩法」:1/新聞記事を無作為に選ぶ2/単語ごとに切断して帽子(袋)に入れる3/ランダムに取り出して書き写す⇒実例:犬たちが観念のようにダイヤモンドの中で空気を横断する時… ⇒David Bowie, DIAMOND DOGS(1974)への影響? *第3の反転・現実から記号・複製、シミュラークルへ⇒デュシャン「泉」(レディメイド)1917/複製から シミュラークルへ⇒「泉」のシミュラークル性?/・1917年のオリジナル=工業製品(複製品)の消滅 ・スティーグリッツ撮影写真のデータから1964年レプリカ制作(デシャンR.Mutt1917とサイン) ・MOMA等全ての展示品はレプリカに過ぎない⇒オリジナル不在のコピーとしてのシミュラークル(ボードリヤール『象徴交換と死』他)が「泉」の本質ではないか?

*消費社会とポップアート:アンディ・ウォーホル⇒現実(オリジナル)の複製化から複製のオリジナル化へ ⇒ウォーホルとボードリヤール「芸術のユートピアのうちで最も過激だった反芸術の試みでさえも、デュシャンがレディメイドの空き瓶掛を設置し、ウォーホルが一つの機械となることを望んだときから、すでに現実のものとなった」+「ウォーホルが描いたキャンベル・スープ缶の唯一の利点は、美か醜か、現実か非現実か・・・といった問題提起を無効化したことだ」(ボードリヤール『透きとおった悪』塚原訳・紀伊國屋書店)

*ボードリヤール「芸術の陰謀」1997-2005の射程⇒「現代アートは無意味・無内容(NUL)だ!」 ダダ以後、現代アートは「無意味・無内容」の戦略を選択。その事実を隠蔽するために「無意味・無内容だ」と言い張って「難解」を装い、美術市場と結託して「作品」の価格を超高額化し、社会から「意味不明だが、隠れた意味や価値がありそうだ」と思わせるという巧妙な陰謀を仕組んだのだ。(塚原訳・NTT出版)

*荒川修作と天命「反転」の提案:天命反転地(岐阜県養老町1995-)・天命反転住宅(三鷹市2005-) モダンアートの「反転」としてアラカワ+ギンズがめざしたのは、遠近法的消失点(Vanishing point)の否定:死=the givenの乗り越えとしての「天命反転」(Reversible Destiny)の思考実験ではなかっただろうか? ⇒モダンアートの反転は社会の変化を反映・先取りしていた。 ★その先の社会の「発展」は21世紀の芸術の新たな「反転」をもたらすのだろうか?…
参考文献(塚原史著):『ダダイズム』(岩波書店)、『ダダ・シュルレアリスムの時代』(ちくま学芸文庫)、『反逆する美学』(論創社)、『ボードリヤールという生きかた』・『荒川修作の軌跡と奇跡』(NTT出版)他           

 2019年3月末に早稲田大学を定年退職(勤続40年)。

現在:早稲田大学名誉教授、會津八一記念博物館顧問(現館長:肥田路美文学学術院教授)、都市と美術研究所顧問(現所長:坂上桂子文学学術院教授)。

 2020年には新型コロナウイルス感染症拡大に負けず、6月までにエリボン著『ランスへの帰郷』(みすず書房)とヴュイヤール著『その日の予定』(岩波書店)を訳出・刊行。

 2021年には、2月に論文「レトリスム研究序説―イジドール・イズーとモーリス・ルメートルの初期の著作を中心に―」を『人文 論集』59号(早稲田大学法学会)に発表、『ダダ・シュルレアリスムの時代』(ちくま学芸文庫2003年)以来十数年ぶりにレトリスムの初期の軌跡を探究しました。6月には翻訳書 アンヌ・ソヴァージョ著、ジャン・ボードリヤール写真『ボードリヤールとモノへの情熱―現代思想の写真論』(人文書院)を刊行、写真家ボードリヤールの作品を掲載した書物としては『消滅の技法』(梅宮典子編訳、パルコ出版1997年)以来四半世紀ぶりです。同月出版のヴァルター・ベンヤミン著『パサージュ論』第4巻(岩波文庫)も塚原共訳で、「解説」に『パサージュ論』とパリのベンヤミン」を執筆しました。こちらは故今村仁司先生の勧めで共訳に参加して単行本を出して以来28年ぶりの改訳です。

 2022〜23年には、姫路市立美術館でデュシャン「レディメイド」と杉本博司「本歌取り」をめぐる講演(2022/12)、軽井沢セゾン現代美術館の「アラカワ+ギンズ意味のメカニズム全展示」ギャラリーツアー講師(2023/9)などに出かけました。出版では、久しぶりにボードリヤール論「モノの記号論からメディアのシミュラークル論へ」を論集『メディア論の冒険者たち』(東京大学出版会2023/9)に執筆。また新しい試みとしてミステリーに挑戦。フランスの作家ピエール・ヴェリー『サインはヒバリーパリの少年探偵団』邦訳(論創社2023/10)を刊行しました。(2023年1月更新)

 

 

・塚原史・略歴:

1949年東京都生まれ。

【学歴】

1971年:早稲田大学政治経済学部政治学科卒業

1973年:京都大学大学院文学研究科修士課程(フランス文学専攻)修了

1976~1978年:フランス政府給費留学生としてパリ第3大学博士課程(近現代文学専攻)に登録。DEA(博士論文提出資格)取得後中途退学。

1979年3月:早稲田大学大学院文学研究科博士課程(フランス文学専修)満期退学

【職歴(専任のみ記載)】

1979年~:早稲田大学法学部専任講師

1982年~:早稲田大学法学部助教授

1987年~:早稲田大学法学部(法学学術院)教授

2019年3月31日:早稲田大学定年退職(現在名誉教授)

【学内外主要役職】

(学内)

早稲田大学法学部教務副主任(学生担当):1982年9月~1984年9月・1992年9月~1994年9月

オープン教育センター教務主任:2001年1月~2002年9月

評議員:2004年1月~2010年6月・2014年4月~2014年6月

會津八一記念博物館館長(2012年9月~2019年3月)

文化推進部副部長(2018年11月~2019年3月)

現代フランス研究所所長(2014~2015年度)

教員組合書記長(1989年度)

(学外)

日本フランス語フランス文学会幹事長:2007~2008年

トリスタン・ツァラ文化文学協会(ルーマニア)名誉会員:1998年~  

2019.01.17 早大法学部最終講義 

 

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