日本語学通信 第22号 (2008.11.20)

(学部学生向け 研究室情報誌)
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目次

平曲のことばと日本語史 A




平曲のことばと日本語史 A

 2008年6月8日名古屋で開催された平曲鑑賞会での講演記録を3回に分けて連載(第2回)


 1. はじめに

 ところで、わたくしははじめに、昨年のこの会で天草本の平家物語を突然読まされたということを申しましたが、この「天草本(天草版)平家物語」と申しますのは、キリシタンが編纂したローマ字本の一つでして、ちょうど秀吉の全国統一の後、九州天草でキリシタン宣教師が「日本語」や「日本文化」を勉強する教科書か副読本として刊行されたもののようであります。本文は、平家物語の内容をあらあら辿れるようにまとめた抄出本で、それをさらに喜一検校と右馬允の問答体に仕立てたものであります。これは、現在大英図書館に、ほかの『伊曾保物語』『金句集』と合冊されたものがありまして、早く1888年(明治21)にイギリスの外交官アーネスト・サトウが『日本耶蘇会刊行書目』という本のなかで紹介しているそうでありますが、のちに『広辞苑』の編者としても有名な新村出博士が、英国で実物を見て詳しく解説された「天草出版の平家物語抜書及び其編者について」(1909 全集五『南蛮記』所収)という論文をお書きになっておられますので、それによって同書の概要を知ることができます。

 この天草本に目を通してまいりますと、末尾の巻四「第十二、重衡の東下りの事、同じく千手の前が沙汰」のところで、はじめの部分を、喜一検校が節をつけて語る趣向になっております。これについて、新村博士も言及されていますが、その後はあまり注意されずにうち過ぎてまいりました。

 いま節をつけて語る趣向と申しましたけれども、本文は百二十句本に近いものであると言われておりまして、禅僧から転じた不干ファビアンという日本人が作成したものであります。そこで一応は、平曲が語られるという前提で本文をみることができると思いますが、そこに記されたポルトガル語式のローマ字綴りに、語りの音声言語の様子も、ある程度は反映しているのではないかと期待されるのであります。

 そういたしますと、そこには、たとえば「三月sanguat」「西国Saicocu」「関東Quanto*シルコンフレックス」「梶原Cagiwara」「弾じtanji」「埴生fanifu」「御返゜事vonpenji」などの綴りが認められますし、そのほかにセにあたる綴り字がxe、すなわちシェという音であることにも気づくでしょう。

 これは中世末期の、折り目正しい京都のことばを反映しているものと考えられておりますが、それはちょうど平曲伝承の時代と重なります。そこで「シチスツの濁り」について見てみますと「梶原Cagiwara」のgiはヂの綴りで、「弾じtanji」「御返゜事vonpenji」のjiはジの綴りであって、この両者が綴り字において区別されていたことが知られるのであります。このような「四つ仮名」の区別は京都では室町中期以降混乱が生じたと言われますが、江戸時代に刊行されたこの問題についての専門書である『蜆縮涼鼓集』(元禄八年1695刊)という書物には、これら「四つ仮名」の発音の違いを説いて、次のように述べております。
   此四音を言習ふへき呼法(こほふ)の事 歯音のさしすせそ是は舌頭(ぜつとう/したさき)中(ちう)に居て上  顎(うはあぎと)に付(つか)ず 舌音のたちつてと是は舌頭を上顎に付てよぶ也 先これを能心得て味はふへし  扨濁るといふも其気息(きそく/いき)の始を鼻へ洩(もら)すばかりにて歯と舌とに替る事はなき也 故に此音を  濁る時にも亦前のことくに呼べし即じぢとずづとの別るゝ事は自だでどとざぜぞの異なるがごとくに言分らるゝ也
 したがって、さきの「シチスツの濁りをわけて」ということが平曲伝承に、かつてはあったとしても不思議ではないのでありますが、ジヂズヅの区別が、今日の多くの地域におけるように、二つの区別しかしなくなって、ついに平曲の伝承から脱落してしまったのであろうと思われます。

 もっともこの『蜆縮涼鼓集』の説明ですと、ザ行もダ行も濁音のときは息を鼻にぬく、すなわち鼻音的傾向があったように受け取れますが、さきの『追増平語偶談』(天保五1834成)では、「水といふときは、ミンズと云気味に舌をかゝめて語る。不見と云時は舌を差延る也。水と云時も、ミンズのンの字は声に出さぬ程にて、耳に立ぬやうに意得へし」と記して、ダ行の方にのみ鼻音を注意しております。謡曲について記した『音曲玉淵集』(享保十二1727刊)では「舌つかひ」すなわちヂ・ヅは「腮へ舌ヲ当て唱ふへし」とのみ述べて、濁音の鼻音性とは分けて説明しておりますが、このようなことをとくに注意しないと伝えられず、また注意のしかたも、あまりはっきり区別して耳に立つことのないようにせよ、などというように曖昧なものになっております。

 あるいはまた「ハヒフヘホ細く吹き出せ」というのも、天草本には「埴生fanifu」とあることからファニフと発音されていたようで、今日のハではなくファであったことが、ローマ字綴りからわかりますが、しかしこれも、今となってみれば伝承からは抜け落ちてしまったのであります。これとても当然のことであると思います。ハ行音が出てくるたびに、日常とはことなるファ、フィなどという発音を徹底することは、相当に難しかったはずだからであります。

 およそ、古典芸能の伝承に日本語の歴史をみるとき、清濁のような個別的に、一つひとつの語について定まる現象はよく注意されて伝承されますが、「四つ仮名」や「ハ行音」のように、全体的で一律に変化するものは、それが気づかれにくく、また広範囲にわたるために、伝えられにくいという事情は、伝承の過程にあったものと思います。しかし、比較的広範囲にわたる変化でありますのに、現行平曲の発音は、その当時の促音の様子をよく伝えているように思われますので、つぎにその問題を取り上げてみましょう。

 さきほどキリシタン資料に「三月Sanguat」という例があると申しましたが、中世から近世にかけて、このような漢字の入声音(とくに今日ツと読まれるような舌内入声韻尾−t)が、語末の位置においてもツtsuではなく促音tに発音されていたと思われる綴りが見られます。平曲でもこのような場合には、譜本には「ツメ」あるいは「ツメル」、または小さく「ッ」などという発音注記を施しておりますが、さらに素晴らしいのは、この舌内入声音に由来する−tのあとに、有声子音(濁音・鼻音、ただしラ行音は除く)がきた場合は、鼻的破裂音(口蓋帆破裂音)を発音するように、『平家正節』のような譜本にも「ノム」「呑」という注記が施されていることであります。そして現行平曲の演奏においても、謡曲などと同様に、この「ノム」という発音が実践されているのであります。

 このことは早くから注意されておりまして、いま述べた程度のことは、1942年(昭和17)に岩淵悦太郎氏がもっと詳しく指摘しておいでですが、氏は謡曲や声明などに残る伝承とも比較対照して、このような発音がかつての日本語にあったのだろうと推測しておられます。

 このように、語中の有声子音(濁音や鼻音)の前に促音があらわれる場合(日ノム月)、語末では文節末に促音があらわれる場合(三月ツメ)、いずれも今日ではツtsu、すなわちジツゲツ・サンガツとツと発音されるようになっていますが、平曲伝承の時代には、そのような環境でも促音のまま、一方はジンゲッ、他方はサングワツであったわけで、それがそのまま伝承に残り、それも正確に語り継がれてきているということは、平曲をはじめとする古典芸能の驚異的なところであります。譜本だけでは必ずしもつかみきれないところを、実際に発音してみせてくださり、それによって発音のしかたもわかるというのは、まことに素晴らしいことだと思うのであります。

 それでは、具体的に申しましょう。きょうこれから今井検校が演奏なさる「竹生島」の本文が、わたくしの先輩にあたる鈴木孝庸氏によって翻刻されてお手元にあると思います。どうぞそれをご覧ください。
  「鶯舌゛ノムの」(右12行目 三重甲)
  「法ッ身の」(左4行目 折声)
  「格別ノムなりとは」(同じく左4行目 折声)
  「法ッ施」(左7行目 口説)
 そういたしますと、促音が出てまいりますのはこの4箇所ですが、今日発音するとすれば、「オーゼツノ」「ホッシンノ」「カクベツナリトハ」「ホッセ」となりまして、「ホッシン」「ホッセ」は、いずれも無声子音の前に促音がありますので、昔も今も促音になってそのままですが、「オーゼツ」「カクベツ」のような語末のときには、このようにツtsuと発音するのが現代では一般的であります。

 ところが、平曲などの伝統芸能に伝えられた発音では、「オーゼンノ」「カクベンナリトワ」のように鼻的破裂音、口蓋帆破裂音などと呼ばれる音で唱えるのが常のことであります。それも、このような発音はすべての促音に適用されるわけではなく、あとに濁音や鼻音が続く場合に限ってそうなるのであります。鈴木先生の翻刻文には省略されていますが、尾崎本『平家正節』には、「鶯舌゛」と「の」の間、「格別」と「な」の間の左側に片仮名で「ノム」と記されております。

 この発音を、きょうは耳を済ませて聞き取りたい、というのがわたくしの参上した目的の一つですが、さきほどから申し上げているように、このようなものは伝承から落ちやすいのですから、仮に検校がそのように発音なさらなくとも、その芸術的価値になんら障るところはないのであります。わたくしども日本語の音韻史に関心がある者は、ついそのような聞き方をして、芸術に縁遠い存在になってしまいますのは、われながら情けないかぎりでございます。


4. 平曲の譜記から知られるアクセントの伝統性

 ここまでお話した発音のことに加えて、音の高低、すなわちアクセントについても、平曲譜本によってたくさんのことが分かります。金田一・奥村両先生のご研究で、平曲譜本から単語や文節の譜記を抽出することによって、近世京都のアクセントがほぼ明らかにされております。おおまかに申しますと、平曲譜本の、とくに《口説》や《白声》の部分の譜記には、江戸時代前期から中期の京都を中心とした地域のアクセントが反映しているとみることができます。それもなかなかに由緒正しいアクセントである、ということができそうであります。「由緒正しい」と申しましたのは、現代京都アクセントよりも、平安鎌倉時代の京都アクセントとの対応関係がよいという意味でございます。

 きょうここには名古屋近辺の方が多くいらっしゃるのでしょうから、急に京都アクセントのことを持ち出されても当惑なさることでしょうが、『平家物語』に因んで、形容詞のアカイとシロイを比べてみますと、現在東京ではアカイLHHとシロイLHLのように区別するのが伝統的ですが、名古屋ではいずれもアカイLHL、シロイLHLのように同じアクセントであると物の本に書いてあります。そして、ここよりも東の三河の方々は、東京の伝統的アクセントと同じにアカイLHH、シロイLHLと発音されるそうでございますが、東京の若い人たちは、名古屋など尾張の方々と同じようにLHL型になりつつありまして、このような3拍の形容詞のアクセントの区別はどんどん失われるという趨勢でございます。

 そしてまた驚くことに、京阪アクセントでも一足早くこれらの区別がなくなっておりまして、その姿こそアカイHLL、シロイHLLのように違いますが、区別しないで言っているというところは、名古屋や、東京の若い人たちと同じなのであります。このように、東西の都ばかりか、ここ「中京」の地においても、この二つの形容詞アクセントは一つにまとまっている、あるいはまとまろうとしているということなのでありますから、ことばの世界には、一つの方向に動こうという力が、知らぬうちに働いているように思われます。(次号につづく)


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