・大阪高判平成11年12月16日  ホテルゴーフルリッツ事件:控訴審。  本件は、パリで「リッツ ホテル」を経営している原告(ザ・リッツ・ホテル・リミテ ッド)が、神戸市で「ホテル ゴーフル リッツ」「HOTEL GAUFRES RITZ」の名称でホテ ル経営を始めた被告(神戸*〔ふう〕月堂)に対し、被告の行為が不正競争防止法2条1 項1号の「周知表示混同惹起行為」に該当するとして、新法3条にもとづき侵害行為の差 止等を求めるとともに、新法4条、民法709条にもとづき損害賠償を求めた事案である。  原審は、被告の使用する表示がいわゆる広義の混同を生ずるとして不正競争防止法2条 1項1号にもとづく営業表示差止等請求を認容した。本件控訴審判決は、被告は本件訴訟 が控訴審に係属中の平成10年7月1日から、被告の営業表示を「ホテル ゴーフル」と 変更しており、原告の本件請求中、被告表示の使用の差止等を求める部分は理由がないと し、損害賠償請求については、不正競争行為を認めたうえで、原審が認容した額を変更し て600万円(不正競争行為による損害300万円、弁護士費用300万円)を認容した。 (第一審:神戸地判平成8年11月25日) ■争 点 1 被告の行為は周知表示混同惹起行為(新法二条一項一号)に該当するか。 (一) 「リッツ(RITZ)」は、平成元年三月当時の日本において、原告の営業表示として 周知性を有していたか。 (二) 被告表示は、原告の営業表示である「リッツ(RITZ)」と類似性があり混同のおそ れがあったか。 2 違法阻却事由の有無(先使用権及び権利行使の抗弁) 3 被告は故意過失により原告の営業上の利益を侵害したか。 4 損害の数額 5 原告の請求は権利の濫用か。  ■判決文 第四 争点に対する判断 一 争点1(一)(原告の営業表示としての「リッツ(RITZ)」の周知性)について 1 証拠《略》及び弁論の全趣旨によれば、以下の事実が認められる。 《中 略》 2 以上の認定事実によると、原告ホテルは、世界でも最も著名な都市のひとつであるパ リにおいて特に著名なホテルであるといえるところ、平成元年三月以前の日本国内におい ても、パリにおける高級ホテルとして紹介され、一部の旅行客の宿泊先として利用され、 ホテル業者、旅行業者だけでなく、パリを旅行しようとする者やパリを始めとする海外旅 行に関心のある一般消費者の間で、広く認識されていたということができる。そして、前 記1(一)のとおり、原告ホテルは、正規の名称である「リッツ ホテル(RITZ HOTEL)」のほ か、「ホテル リッツ(HOTEL RITZ)」「リッツ パリ(RITZ PARIS)」などと称することもあり、 単に「リッツ(RITZ)」という略称で呼称されたり、表記されたりすることも多かったとい うのであるところ、右のように「リッツ(RITZ)」と組み合わされて表示されることのある 「ホテル(HOTEL)」は一般名称であり、同じく「パリ(PARIS)」は地名を表すものであるか ら、その営業表示の要部は「リッツ(RITZ)」ということができる。  そうすると、右の「リッツ(RITZ)」という名称(表示)は、原告ホテルを指称するもの として広く知られていて、被告ホテルが営業を開始した平成元年三月当時の日本において も、原告の営業表示として周知性を獲得していたものであり、その後もその周知性はさら に高まっているものと推認することができる。 3 被告は、平成元年三月当時、原告の営業表示は日本において未だ周知性を獲得してい なかったと主張し、その根拠として、(1) 平成元年三月以前における出版物や新聞等にお いて、原告ホテルについて記載されたものが少ないこと、(2) 平成七年に流通科学大学商 学部の佐藤善信教授の実施したアンケートによると、原告ホテルを知っている者は有効回 答数一二三名中で二名(一・九パーセント)に過ぎないことを指摘する。 (一) 右(1)の点については、確かに、平成元年以前の出版物で、本件の証拠として提出さ れたものは数点に過ぎないけれども、本件では、原告表示が外国ホテルとしてどの程度の 周知性があったかという観点で考えるべきであるから、その周知性の認定のためには、ホ テルや旅行に関係のない書籍にまで取り上げられることを必要とするものではないという べきところ、前記1の認定事実からすると、平成元年以前から、パリの観光案内を内容と する旅行案内書においては、原告ホテルがパリでも有数の高級ホテルとして紹介されてき ていたことが推認できるのであって、本件訴訟に提出された証拠によって、前記のとおり、 原告ホテルが、世界でも最も著名な都市のひとつであるパリにおいて、特に著名なホテル であり、「リッツ(RITZ)」が原告ホテルの営業表示として、平成元年三月以前から日本国内 においても周知であったと認定しても、不合理ではない。  なお、被告は、原告ホテルが平成元年当時日本で最も有名な海外ツアーであるJTBの 「LOOKヨーロッパ旅行」のパンフレット(乙六四六)にさえ紹介されていないとも主 張するが、右のツアーに選択されなかったという一事をもってしても、前記認定を左右す るには足りない。 (二) 右(2)のアンケート結果については、確かに、証拠(佐藤教授の報告書及びその資料。 乙三六八の1、三八五)によると、被告の指摘するとおりのアンケート結果の存在が認め られるけれども、右アンケートは、全国から無作為により抽出した母体を対象としたもの で、本件のような海外における高級ホテルの周知性を認定するための資料としては、対象 母体の選定方法に疑問があるといわざるを得ないから、これをもってしても、前記認定の 妨げにはならないというべきである。 4 被告は、世界各国に異なる営業主体によってそれぞれ「リッツ(RITZ)」を含む営業表 示が長年にわたり使用されているから、本件表示だけではどの営業主体のものか識別でき ず、これをもって原告の営業表示とはいえないと主張する(被告の主張2(一))。 《中 略》 (三) 右(一)、(二)で認定した事実によれば、原告ホテル以外にも「リッツ(RITZ)」の表 示を付したホテルが多数存在するけれども、その多くは、セザール リッツの関与により設 立されたもの、もしくは原告から「リッツ(RITZ)」の表示の使用を許諾されている関係に あるということができる。そして、これらの「リッツ(RITZ)」は、いずれもセザール リッ ツに由来するものであるところ、原告ホテルは、同人の思想を初めて体現させたホテルで あって、右多数のホテルの表示として使用される「リッツ(RITZ)」の名声と信用の形成に 最も寄与したもので、いわばこれらのホテルの代表的な存在として知られるようになり、 「リッツ(RITZ)」という表示は、原告ホテルを指称するものとして認識されるに至ってい るということができる。  そうすると、右のように、原告との関係で「リッツ(RITZ)」の表示を正当に使用する複 数のホテルが他に存在するからといって、「リッツ(RITZ)」の表示(本件表示)の識別力が 否定される謂われはないし、また、右の表示が原告の営業表示として周知されているとい う前記認定が左右されるものでもないというべきである。  そしてまた、右のようなホテル以外に、前記(二)(8)のように、「リッツ(RITZ)」の有す る顧客吸引力に只乗りするホテルが多少存在するとしても、本件表示の識別力や周知性が 減殺されることにもならないというべきであるから、被告の前記主張は採用できない。 (四) 被告は、本件表示が、最高裁判所昭和五九年五月二九日判決において述べられた他 人性の要件を満たしていないとも主張するけれども、右判決は、特定の表示に関する商品 化契約によって結束されたグループが「他人」に該当することを認めたものであって、本 件とは事案を異にするものと解されるから、被告の右主張も採用の限りではない。 5 なお、被告は、本件表示は普通名称等を使用したものにすぎないとも主張するが(被 告の主張2(二))、新法一一条一項一号にいう「普通名称等」に該当するためには、単に日 常用語として使用されているだけでは足りず、当該営業において慣用されていることを要 するところ、本件全証拠に照らしても、本件表示がホテル業において慣用的に使用されて いることを認めるに足りないから、被告の右主張は採用できない。 二 争点1(二)(被告表示と本件表示の類似性及び混同のおそれ)について 1 本件表示である「リッツ(RITZ)」は、前記のとおり、原告ホテルの営業表示として日 本国内において周知性を有しているところ、被告表示のうち「リッツ(RITZ)」の部分は、 本件表示と外観、称呼上全く同一である。  しかして、被告表示は、右の「リッツ(RITZ)」の前に「ホテル ゴーフル(HOTEL GAUFRES)」 が付加されたものであるところ、そのうちの「ホテル(HOTEL)」の部分は一般名称であるが、 「ゴーフル(GAUFRES)」の部分は、被告が製造、販売する主力菓子製品の名称として著名で あり、被告の営業たることを示す代名詞ともいえるものと認められる(乙一八八、証人後 藤修の原審証言)。  被告は、右の「ゴーフル(GAUFRES)」と「リッツ(RITZ)」とを一体としてとらえるべき であると主張するが、洋菓子の名称である「ゴーフル(GAUFRES)」の表示と、著名なホテル の名称である「リッツ(RITZ)」の表示とを結合したからといって、別個の新たな観念が生 ずることはなく、単に右の二つの表示が並存しているにすぎないというべきである。そし てまた、「ゴーフル(GAUFRES)」が被告の主力商品の名称として著名であるとしても、前示 のようなホテル業における「リッツ(RITZ)」の著名性と対比すると、被告表示における「リ ッツ(RITZ)」の比重が「ゴーフル(GAUFRES)」よりも低いとはいえないのであるから、被 告表示は、全体として、原告の営業表示としての本件表示と類似性があるということがで きる。 2 新法二条一項一号にいう「混同を生じさせる行為」とは、他人の周知の営業表示と同 一または類似のものを使用する者が、自己と右他人とを同一営業主体と誤信させる行為の みならず、両者間にいわゆる親会社、子会社の関係や系列会社などの緊密な営業上の関係 が存するものと誤信させる行為をも包含すると解するのが相当であるところ(最高裁判所 昭和五八年一〇月七日判決・民集三七巻八号一〇八二頁参照)、原告及び被告の営業は、い ずれもホテル業であることから、被告が、原告の営業表示として顧客吸引力を有する本件 表示を含む被告表示を使用する行為は、ホテル業者、旅行業者及び一般需要者をして、原 告と被告との間に本件表示に化体された顧客吸引力を供与するためのライセンス契約等、 何らかの営業上の緊密な関係があるものと誤信させるおそれのある行為(いわゆる広義の 混同行為)に該当するものということができる。 三 争点2(違法阻却事由)について 1 先使用権の抗弁について  被告は、被告表示の使用が開始された平成元年三月当時、原告の営業表示は、被告ホテ ルの営業地域において周知性を具備するに至っていなかった旨主張するが、原告ホテルの 営業表示である「リッツ(RITZ)」は、平成元年三月当時、既に日本国内において周知のも のとなっていたことは前記認定のとおりであるから、被告の右主張は理由がない。 2 権利行使の抗弁について  前記第二の二3のとおり、被告は、平成四年八月五日「ホテルゴーフルリッツ」の片仮 名文字を横書きしてなる被告商標の登録出願をし、平成六年一一月三〇日登録されたもの である。  したがって、旧法六条が削除された現在においても、同条の趣旨を忖度して違法性を判 断すべきであるとの被告の主張には一理あるけれども、本件においては、 (一) 前記のとおり、本件表示は、右被告商標の登録出願前である平成元年三月当時(被 告ホテルの開業当時)には、既に日本において原告ホテルの営業表示として周知性を獲得 していたこと、 (二) 被告は、原告と同様のホテル業を営む者である以上、開業当時においても「リッツ (RITZ)」が原告の営業表示であることを当然知っていたものと推認できること、 (三) 原告は被告に対し、被告の右登録出願の約一年前の平成三年八月三〇日到達の書面 によって、本件表示の使用の中止を求めていること(甲二二八)、 (四) 原告は、平成七年八月一七日、被告商標権に対する無効審判を提起したところ、平 成一〇年三月二七日、右登録商標を無効とする審決がなされたこと(甲二七四、乙二三五)、  以上の事実を認めることができ、これらの事実を総合すると、被告商標の使用行為は、 原告に対する関係では、権利の濫用であって正当な権利行使とはいえず、違法性阻却事由 には当たらないというべきである。  被告は、バルセロナ リッツとの提携関係を主張するが、被告の主張によっても、被告 がバルセロナ リッツから「リッツ(RITZ)」の表示の使用を許諾されたわけではないとい うのであるから、被告の右の主張は失当である。 四 争点3(被告の故意過失による原告の営業上の利益の侵害)について 1 以上一ないし三で認定した事実関係によれば、被告は、被告ホテルを開業するに当たり、 本件表示が原告ホテルの営業表示として周知性を有していたことを容易に認識し得たもの といえるから、被告の前記不正競争行為は少なくとも過失に基づくものということができ る。 2 そして、前記のように、原告ホテルは、現在の世界のホテル業界においてその伝統と 格式から最高級ホテルとして高い評価を得ていることが認められるところ、証拠(甲一な いし七、三二ないし六一、八六、一一〇、一二六、一二九、二五六ないし二五八、二七二、 二七三、二八〇、二八一)及び弁論の全趣旨によると、原告は、本件表示に化体された名 声、信用、顧客吸引力等を保持するために営業努力を継続するとともに、日本を含む世界 各地において、「リッツ(RITZ)」の標章について商標登録を行い、あるいは右表示の有する 高級なイメージ、顧客吸引力等を無断で借用する事業者に対して警告を発し、又は抵触す る商標登録に対する異議申立てや訴訟を提起する等の法的手段を採り、これについて相当 の費用を費やしていることが認められる。  そうすると、被告は、被告ホテルの営業を行うに際し、本件表示を含む被告表示を使用 したことにより、原告との間に業務上の提携関係等何らかの緊密な関係があるかのような 印象を与え、伝統と格式ある本件表示のイメージを毀損するとともに、その表示の有する 信用、名声、顧客吸引力などの利益を不当に利用して、原告の営業上の利益を侵害したも のといわざるを得ない。  なお、被告が指摘するとおり、原告は日本国でホテル業を行っていないけれども、この 一事をもって営業上の利益の侵害を否定することはできない。 五 争点4(損害の数額)について 1 前記四で説示したように、原告は、被告の行為によりその営業上の利益を侵害された ものであるところ、その損害は無形の損害であって、性質上一義的にその数額が算定され るものではなく、原告の営業内容、宣伝広告活動、被告の営業内容、事業規模、被告表示 の使用期間等の諸般の事情を考慮して、原審と同額の金三〇〇万円とするのが相当である。  原告は、「リッツ(RITZ)」の商標保護のための手続に費やした代理人に対する報酬等の 費用は直接の損害であると主張するけれども、右の費用と本件の被告の行為との間に相当 因果関係を認めることはできないというべきである。 2 次に、原告がその訴訟代理人弁護士に本件の訴訟の提起、追行を委任したことは訴訟 記録上明らかであるところ、本件事案の内容、本件訴訟の経緯、認容額に鑑み、被告の不 正競争行為と相当因果関係にある損害として被告が原告に賠償すべき弁護士費用の額は金 三〇〇万円と認めるのが相当である。 六 争点5(権利の濫用)について  以上一ないし五で説示してきたところからすると、原告の本件損害賠償請求が権利の濫 用であるとの被告の主張が失当であることは明らかである。 七 結 論  以上によると、原告の本訴請求は、被告に対し、損害賠償として金六〇〇万円の支払を 求める限度で理由があり、その余は失当であるから、これと異なる原判決を変更すること とし、主文のとおり判決する。 大阪高等裁判所第八民事部 裁判長裁判官 鳥越 健治    裁判官 小原 卓雄