・東京地判平成11年12月28日判決速報297号9197  「アーゼオン」不正競争事件。  本件は、原告(日本ゼオン株式会社)が被告(國際航業株式会社)に対し、被告がその 営業表示として「アーゼオン」の表示を使用する行為が、原告の営業表示として広く知ら れている「日本ゼオン」および「ゼオン」の各表示と類似し、不正競争防止法2条1項1 号所定の不正競争行為に該当すると主張して、その使用の差止めを、同条2項に基づきそ の文字の除去および商号の仮登記の抹消登記手続を、また損害賠償を求めた事案である。  判決は、「被告がその営業表示として被告表示を使用する行為は、原告の営業表示とし て需要者の間に広く認識されているものと類似する表示を使用して、原告の営業と混同を 生じさせる行為であって、不正競争防止法2条1項1号所定の不正競争行為に該当するも のと認められる」として、被告に対して、「アーゼオン」の文字を、商号、通称、愛称そ の他被告の営業を表示するものとして使用することの禁止、その文字の除去、「株式会社 アーゼオン」の商号の仮登記の抹消登記手続、および500万円の支払いを命じた。 ■争 点 1 被告がその営業表示として被告表示を使用する行為が不正競争防止法二条一項一号に 該当し、同法三条に基づく差止め等の対象となるか。殊に、 (一) 原告表示が「需要者の間に広く認識されている」といえるか。 (二) 原告表示と被告表示とが「類似」しているか。 (三) 被告表示の使用が原告の営業と「混同を生じさせる」ものであるか。 (四) 原告が「営業上の利益を侵害され、又は侵害されるおそれ」があるか。 2 原告が被告に請求し得る損害賠償の額 ■判決文 第三 争点に対する判断 一 後掲の証拠及び弁論の全趣旨によれば、次の事実が認められる。 二 争点1(一)(原告表示の周知性)について 1 前記一1ないし5認定の事実によれば、原告の商号は、原告の企業規模、業務実績等 に照らし、合成樹脂及び合成ゴムの製造販売に関する業務の需要者、すなわち、その取引 先である総合商社や、原告が製造した合成樹脂及び合成ゴムを素材として使用する製造業 者の間に周知であるということができる。これに加え、平成六年に環境資材事業部を発足 させた前後からの事業内容の多角化並びにこれに関する原告の企業広報活動及び新聞報道 の態様を考慮すると、遅くとも被告が被告表示の使用を開始した平成九年一〇月までには、 廃棄物処理場、公園等の建設や地盤補強、河川改良、道路舗装等の工事に使用される資材 の販売並びにこれに関連する工事の計画及び施工という業務の需要者に対しても、広く知 られるようになっていたものと認めることができる。  そして、原告表示のうち「日本ゼオン」は、原告の商号のうち、会社の種類を表す「株 式会社」の文字を省略したものであり、原告の営業表示として通常用いられるものである から、原告の営業を表示するものとして、右の需要者の間に広く認識されていると認める のが相当である。さらに、原告表示のうち「ゼオン」は、原告の商号から、「株式会社」及 び我が国の企業であることを示す「日本」の文字を省いたものであり、前記一1ないし5 認定のとおり、新聞報道や原告による企業広報活動において、原告が「ゼオン」の三文字 のみで表記される場合があること、原告の商品名や子会社の名称の一部として「ゼオン」 が用いられていることに照らすと、原告表示「日本ゼオン」と同様に、原告の営業表示と して、右に述べた需要者の間に広く知られていると認めることができる。 2 この点について、被告は、前述のとおり、原告表示は周知とはいえないと主張し、こ れを裏付ける証拠として、著名企業である旭化成及びソニーと比較すると新聞、テレビ等 への広告出稿量が極めて少ないという調査報告、原告の会社名や業務内容についての認知 度が相当低い旨の、一般個人及び民間有力企業に勤務するビジネスマンを対象にした企業 イメージ調査の結果等を証拠として提出している(乙四ないし六、四三、五三)。  しかしながら、原告は、主たる業務分野が合成樹脂及び合成ゴムの製造販売であって、 右の業務に係る顧客は製造業等の企業又は商社であり、一般消費者に対して直接商品を販 売し又は役務を提供するものではないこと、原告が近年業務分野を拡大してきた廃棄物処 理施設、公園、道路、河川等の工事に使用される資材の販売及びそれに関連する工事の施 工等についても、その需要者は地方公共団体や電力会社、ゴルフ場の開発業者等であって、 一般消費者を相手とする営業をしているものではないことに照らすと、広告出稿量が少な いことや、一般個人及び原告とは業務分野を異にする企業に勤務する会社員の間における 認知度が高いとはいえないことは、ある程度やむを得ないものであると解される。そして、 個人を対象とした調査でも原告を知っていると答えた者の割合が約二六パーセントに上っ ていること(乙五)、上場企業に勤務するビジネスマンの間における原告の知名度が五割を 超えていることを示す最近の調査結果もあること(甲一一二の1ないし4)や、前記一4 及び5認定の新聞報道及び原告による企業広報活動の実績を考え合わせると、被告の提出 する右証拠は、原告表示が周知であるとの右判断を覆すに足りる ものではなく、この点に関する被告の主張は採用できないというべきである。 3 以上によれば、原告表示は、原告の営業を表示するものとして、需要者の間に広く認 識されているものであると認めるのが相当である。 三 争点1(二)(原告表示と被告表示との類似性)について 1 「ゼオン」と「アーゼオン」との類似性 (一) 各表示の称呼についてみると、まず、原告表示の「ゼオン」は、三音という短い単 語であり、途中で区切る必然性もないこと、また、その冒頭の「ゼ」が明確かつ強い響き を持つ音であること(絶対、全国、ゼロ等参照)、中間の「オ」が母音として明瞭に発せら れる音であること、末尾の「ン」が有声の気息を鼻から漏らして発せられる撥音であって その有無により称呼に与える影響が大きく異なるものであることに照らすと、原告表示「ゼ オン」は、常に一体として称呼され、それ自体としてこれを聞く者に対し強い印象を与え る、識別力の高い表示であり、その全体が称呼上の要部であると認められる。 (二) 他方、被告表示「アーゼオン」の称呼をみると、同表示は、長音を含め四音から成 る短い言葉であり、一続きのものとして称呼されるのが通常であるといえる。  ただし、冒頭の「アー」が長音であるので、冒頭の音が長音でない「アゼオン」を称呼 する場合との比較において、必ずしも常に「アーゼオン」が完全に一体として称呼される ということはできず、「アー」の後(すなわち、「ゼ」の前)でいったん区切られて称呼さ れる余地があるということができる。さらに、「アーゼオン」が日本語としてそれ自体意味 を有しない言葉であることからすると、被告表示と同様に「アー」の音を冒頭に持つ単語 のうち、有意な日本語として定着しているアーチェリー、アーケード等を称呼する場合(い ずれも「アー」の後で区切られることはない。)と同列に論ずることはできず、「アー」の 後で区切られて称呼される可能性があると解される。  また、被告が証拠として提出する調査の結果(乙一三)によれば、調査対象者の三分の 二弱の者は「アー」に、三分の一強の者は「ゼ」に、アクセントを置いて発音すると回答 しており(殊に、前記一のとおり認定した原告及び被告の業務内容にかんがみ、それぞれ の取引先の担当従業員になることが多いと推認される三〇歳ないし五〇歳代の男性では、 四割を超える者が「ゼ」にアクセントを置くと回答している。)、アクセントの位置につい ては両様の称呼のされ方があるものということができる。 (三) そこで、原告表示のうち「ゼオン」と被告表示「アーゼオン」とが、称呼において 類似しているといえるかどうかについて検討すると、「アーゼオン」は、「ゼオン」の頭部 に「アー」を付加したものであるところ、「ア」の音は口を最も大きく開いて明瞭に発音さ れる母音であるから、通常の場合は、その有無によって、これを聞いた者の印象が相当程 度異なってくるものであると解される。しかしながら、右(一)のとおり、原告表示の「ゼ オン」の称呼がそれ自体としてこれを聞く者に対し強い印象を与えるものであること、右 (二)のとおり、被告表示「アーゼオン」は「アー」と「ゼオン」とに区切られ、かつ、「ゼ」 の部分にアクセントを置いて称呼される場合があり得ること、前記二で判断したとおり、 原告表示が需要者に広く認識されているものであることを合わせて考慮すると、被告表示 「アーゼオン」においては、「ゼオン」の部分がこれを聞く需要者の特に強く注意を特に強 く引くものであり、その印象に残る特徴的な部分であるというべきである。  これに加え、被告において、新しい営業表示として「EARTHEON」を使用すると 決定するに当たり、その日本語としての発音及び表記につき、将来社名として使用するに 耐える重厚感、格調等の面から、「ゼ」を濁音とする「アーゼオン」とするべきであって、 「アーセオン」では軽く流れてしまい、聞いたときの印象、インパクト、独自性、覚えや すさなどの様々な面においても「アーゼオン」の方がはるかに強いことなどを考慮して、 「アーセオン」ではなく「アーゼオン」を採用したこと(乙三一)や、被告の提出した証 拠(乙四四の4)によっても、「アーセオン」よりも「アーゼオン」の方が、発音したとき のインパクトがあり、印象度が深いとされていることからすれば、被告表示の中で「ゼ」 の音が、極めて重要な意義を有し、称呼上の特徴を形成していることは明らかであり、こ の点からも、被告表示の称呼上の特徴的部分を「ゼオン」の部分であると解すべきことが、 裏付けられるといえる。  右によれば、原告表示のうちの「ゼオン」と被告表示「アーゼオン」のは、いずれもこ れをを聞く者の注意を引く要部は「ゼオン」であるというべきであるから、両者は称呼が 類似すると認められる。 (四) この点につき、被告は前述のとおり原告表示「ゼオン」と被告表示「アーゼオン」 とは類似しないと主張するが、右に判示したところに照らし、被告の右主張は採用できな い。 (五) したがって、被告表示と原告表示の「ゼオン」とは、称呼が類似しているから、右 の両表示は類似していると認めるのが相当である。 2 「日本ゼオン」と「アーゼオン」との類似性  原告表示の「日本ゼオン」は「日本」と「ゼオン」とから成るところ、このうちの前者 (日本)は、我が国の企業であることを示す用語であり、格別の顕著性を有しないのに対 し、後者(ゼオン)は、右1でみたとおりこれを聞く者に強い印象を与える語であること に照らすと、「日本ゼオン」との営業表示を聞いた者の注意を引く部分は「ゼオン」である ということができる。  そして、被告表示が原告表示の「ゼオン」に称呼上類似することは、右1で判示したと おりであるから、被告表示は原告表示のうちの「日本ゼオン」にも、称呼上類似するとい うべきである。 3 したがって、被告表示はいずれの原告表示にも類似していると認められる。 四 争点1(三)(営業主体の混同)について 1 原告表示と被告表示とが類似しているというべきことは、右三において判断したとお りである。  また、原告は、合成樹脂及び合成ゴムの製造販売を主たる業務とするものではあるが、 法面保護、地盤補強、構造物安定、河川、調整池、道路舗装、廃棄物処理、公園造成等に 係る工事につき、これに用いられる各種資材の製造販売だけでなく、計画段階からこれに 関与したり、実際の施工に携わったりしていること、部門は限定されているものの建設コ ンサルタントとしての登録を受けてその業務を行っていること、これらの業務に係る原告 の顧客には地方公共団体その他の公的機関が含まれていること、他方、被告は、道路、廃 棄物、農業土木、河川、上下水道、公園等に関する計画、設計及び施工管理という建設コ ンサルタント業務を行っているものであること、その主たる顧客は政府機関や地方公共団 体であることは、前記一で認定したとおりであり、右事実によれば、原告と被告は、業務 分野において一部競合する部分があり、その顧客となり得る層も共通していることが認め られる。  したがって、被告がその営業を表示するものとして被告表示を使用した場合には、原告 の営業と混同が生じ得るものと解すべきである。 2 この点につき、被告は、被告が被告表示を使用しても原告と混同されるおそれがない 旨の、新聞記者、公共事業の発注事務に携わった元公務員、企業の資材部門の担当者等の 作成に係る陳述書を証拠として提出するが(乙一七、一九の1ないし5、二〇、三八ない し四一、四二の1、2)、これらの陳述書の作成者は、被告が「國際航業株式会社」との名 称で測量、建設コンサルタント等の業務に従事していることを既に熟知しているもので、 被告が「アーゼオン」という名称を採用しても原告と混同するおそれはない旨の陳述は、 各作成者の被告に対する既存の認識を前提としたものと解する余地があるのであって、こ れをもってしては、原告又は被告と今後取引をしようとする潜在的顧客において原告と被 告の営業を混同するかどうかという点に関して、混同のおそれを否定するに足りるもので はない。  また、被告は、本件における需要者の特性に照らせば混同のおそれはないと主張するが、 前記一1及び3認定の原告の業務内容及び需要者となり得る顧客層に照らすと、被告が原 告表示に類似する名称を用いた場合には、被告の営業と原告の営業との間に混同が生じ得 るものといえるから、被告の右主張は採用できない。  さらに、被告は、原告は「あまり手広くやらずに分野を選択して強いものをさらに強く する」という方針で取り組んでいる旨を原告の従業員が述べた雑誌記事(乙五二)を引用 して、原告が多角的な事業展開を行って新規事業に参入するから被告と競業が発生すると いう原告の主張は根拠がないとも主張するが、右記事をもっては、右1で述べたところの 被告と競合する業務について原告が今後一切行わないという方針を有していると認めるこ とはできないから、被告の右主張も失当である。 3 したがって、被告がその営業表示として被告表示を使用する行為は、原告の営業表示 として需要者の間に広く認識されているものと類似する表示を使用して、原告の営業と混 同を生じさせる行為であって、不正競争防止法二条一項一号所定の不正競争行為に該当す るものと認められる。 五 争点1(四)(営業上の利益の侵害のおそれ)について 1 原告表示が需要者の間に周知であり、被告表示がこれに類似しているものであって、 被告が被告表示を使用する行為が営業の主体につき混同を生じさせるものであることは、 これまでに判示したとおりであるから、被告がその営業に被告表示を使用すれば、特段の 事情のない限り、原告はその営業上の利益を侵害されるおそれがあるというべきである。 右の特段の事情としては、営業の分野や形態が全く異なるためにおよそ営業上の利益を侵 害する可能性がない等の場合が考えられるが、原告と被告の業務分野に共通する部分のあ ることは、前記四1において判示したとおりであって、本件において右の特段の事情を認 めることはできない。 2 この点につき、被告は、前述のとおり、原告の需要者は上場企業等の有力企業が中心 であって被告を原告のグループ企業と誤解して取引をするようなおそれはないなどと主張 する。しかしながら、営業上の利益の侵害のおそれの有無を判断するに当たっては、現に 原告と取引をしている者がその営業主体を誤解して取引をする可能性があるかどうかだけ ではなく、将来原告と取引を行い得る潜在的な需要者をも考慮すべきところ、前記一3で 認定した事実によれば、原告の需要者は、地方公共団体を含め、各種の工事を行う企業や 諸団体に広がり得るものであり、これらの者が原告と被告の営業主体を混同することによ り原告が営業上の利益を侵害されるおそれがあると解されるから、被告の右主張は採用で きない。 3 したがって、被告がその営業表示として被告表示を使用する行為は不正競争防止法二 条一項一号所定の不正競争行為に該当するものであり、これにより原告はその営業上の利 益を侵害されるおそれがあると認められるから、原告は被告に対し、同法三条一項に基づ いて、右不正競争行為の差止めを、同条二項に基づいて、被告表示の除去及び「株式会社 アーゼオン」の仮登記の抹消登記手続を、それぞれ求めることができる。 六 争点2(損害の額)について 1 被告が被告表示を使用すると発表した直後から、原告が被告にその使用をやめるよう 繰り返し求めたのに対し、被告は被告表示を広く普及させるための活動を続けたこと、そ のため原告は仮処分を申し立てて、その使用の差止めを求めざるを得なかったことは、前 記一7ないし9において認定したとおりである。右の事実と、前記一認定の原告及び被告 それぞれの営業規模、業務内容その他本件に現れた一切の事情を総合すると、被告が被告 表示を使用したことによって、原告は、信用毀損による無形の損害を被ったものと認める ことができ、その額は二〇〇万円を下るものではないと認めるのが相当である。  また、被告による不正競争行為に対して、原告が原告表示に化体された自らの利益ない し信用を守るために仮処分の申立て及び本件訴訟の提起をせざるを得なかったことに関し、 被告の不正競争行為と相当因果関係に立つ損害として被告に負担させるべき弁護士費用の 額は、三〇〇万円が相当であると認められる。  原告主張のその他の損害に関しては、これを認めるに足りる証拠がない。 2 したがって、原告は被告に対し、不正競争防止法四条本文に基づき、不正競争行為に よる損害賠償として、右の合計額の五〇〇万円の支払を求めることができると認められる から、原告の損害賠償請求は、右の限度で理由がある。 七 よって、主文のとおり判決する。 (口頭弁論の終結の日 平成一一年一一月一八日)     東京地方裁判所民事第四六部           裁判長裁判官    三   村   量   一              裁判官    長 谷 川   浩   二              裁判官    中   吉   徹   郎