・東京高判平成12年4月25日判時1724号124頁  「脱ゴーマニズム宣言」事件:控訴審。  原告(小林よしのり)の請求をすべて棄却した原審判決を一部取り消して、被告らの書 籍において、漫画のコマのレイアウトに関して、横に並んでいた2つのコマを引用時に上 下2段に変更した点(カット37)についてのみ、著作権法20条2項4号の「やむを得 ない改変」に当たるということはできないと述べて、同一性保持権の侵害を認め、その部 分を掲載した本の出版、販売を差止め、および20万円の慰謝料の支払いを命じた。 (第一審:東京地判平成11年8月31日、上告審:最判平成14年4月26日) ■評釈等 岡邦俊・JCAジャーナル47巻6号42頁(2000年) 上野達弘・著作権判例百選(有斐閣、第3版、2001年)166頁 和田光史・CIPICジャーナル110号42頁(2001年) ■判決文 主   文 一 原判決主文第一項を次のとおりに変更する。 1 被控訴人らは、原判決別紙採録状況(三〇)に示される漫画のカットを含む原判決別紙 被控訴人書籍目録記載の書籍を出版、発行、販売、頒布してはならない。 2 被控訴人らは、控訴人に対し、各自金二〇万円及びこれに対する平成九年一一月一日 から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。 3 控訴人のその余の請求を棄却する。 二 訴訟費用は、第一、二審を通じてこれを二五〇分し、その一を被控訴人らの負担とし、 その余を控訴人の負担とする。 事実及び理由 第一 当事者の求めた裁判 一 控訴人  1 原判決を取り消す。 2 被控訴人らは、原判決別紙被控訴人書籍目録記載の書籍を出版、発行、販売、頒布し てはならない。 3 被控訴人らは、控訴人に対し、各自金二六二〇万円及びこれに対する平成九年一一月 一日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。 4 訴訟費用は、第一、二審とも被控訴人の負担とする。  との判決及び仮執行宣言 二 被控訴人ら 1 本件控訴を棄却する。 2 控訴費用は控訴人の負担とする。 第二 事案の概要  《中 略》 第三 当裁判所の判断  当裁判所は、控訴人の本訴請求は、カット37に関する同一性保持権侵害を理由とする、 被控訴人書籍の出版、発行、販売、頒布の差止め、並びに、慰謝料及びこれに対する遅延 損害金の支払いを求める限度で理由があり、その余は理由がないと判断する。その理由は、 次のとおり付加・訂正するほかは、原判決の事実及び理由「第三 当裁判所の判断」一な いし三と同じであるから、これを引用する。 (当審における控訴人の主張に対する判断) 一 引用における附従性について 1 引用の目的について    控訴人は、被控訴人書籍では、三二のカットに関して、カットを取り去ると文章とし てはつながらず、本文が独自主体的な存在たり得ていないことを理由として、本文そのも のの重要な部分を被控訴人が書く代わりに「カットをして語らしめる」ために採録されて いるとし、これを前提に、本文とカットとの主従関係は認められないと主張する。  しかし、カットを取り去った場合に文章がつながらなくなるとしても、そのことをもっ て、直ちに、本文そのものの重要な部分を被控訴人が書く代わりに「カットをして語らし める」ために採録されているとみる根拠とすることはできない。カットを取り去った場合 に、文章がつながらなくなる原因としては、様々なものがあるからである。例えば、同じ く他人の詩の一部を引用するとしても、自分の言いたいことについて文章を書く代わりに、 他人の詩の一部を引用して代替するという場合もあれば、他人の詩を批評するためにその 一部を引用し、それについて批評の文章を書く場合もある。前者の場合、詩の部分を取り 去れば文章がつながらなくなるのは当然であり、この場合には、本文そのものの重要な部 分を書く代わりに「他人の詩の一部をして語らしめた」ということができよう。後者の場 合でも、その引用部分を取り去れば、批評の対象がなくなってしまい、やはり文章がつな がらなくなる。しかし、こちらの方では、批評の対象を引用によって明示しているために (引用しなければ、批評の対象を示せないことも多いであろう。)、それがなくなれば、 批評の対象がなくなってしまって、文章がつながらなくなってしまうにすぎないのである。 そして、このような場合に、本文そのもの(批評)を書く代わりに引用された詩に「語ら しめ」ているということができないことは明らかというべきである。  控訴人主張の三二のカットについて、控訴人カットを取り去った場合に文章がつながら なくなる理由は、後者の例に対応するものである。すなわち、右三二のカットは、被控訴 人論説の批評対象そのものを引用によって明示し(カット8、9、12、16、17、18、19、 20、26、33、34、35、36、38、39、41、44、45、46、47、48、49、50、51、54、56、57)、 被控訴人論説の批評対象に対応する控訴人カットを示し(カット27、32、37、40)、ある いは、「次のように読者に問いかけるコマがあり」との記述に続いて批評の対象としてい る「読者に問いかけるコマ」の例証を提示している(カット1)ため、控訴人カットを取 り去ると何を批評しているのか分からなくなることが原因となって、文章としてはつなが らなくなるにすぎない。このように、控訴人カットは、批評の対象を示すために採録され ているものであって、本文そのものの重要な部分(すなわち、批評)を被控訴人が書く代 わりに「カットをして語らしめる」ために採録されているものではない。したがって、右 三二のカットについて、本文とカットとの主従関係は認められないとする控訴人の主張は、 前提を欠くものであって、失当である。 2 両著作物のそれぞれの性質・内容について  控訴人は、@漫画カットには、強力なアイキャッチ力・メッセージ伝達力・顧客吸引力 があり、それはすなわち、商品力・商品価値があり、一コマであっても独自に極めて大き な商品価値と情報量と訴求力を持つ、A漫画カットを「従」として「引用」するためには、 そのカットを批評する文章の方には更に高度の存在価値や著作物性が認められなければな らない、B被控訴人が書いた批評文は、一行であったり、抽象的で陳腐な「感想」を一言 述べているだけであったりで、カットの批評とはほど遠く、到底、それ自体が「主」とな り、カットを「従」として無断利用するだけの相対的価値のある文章とは言い難い、と主 張する。  しかし、文章が、商品価値や情報量において、漫画カットに劣るとしても、そのことを もって、文章が漫画カットに対して、主従関係に立てないというものではない。 甲第一号証によれば、被控訴人書籍においては、批評を加えている部分である本文の方が、 控訴人カットよりも、被控訴人書籍における主題(すなわち、漫画家としての控訴人の活 動姿勢全般を対象とした論説(批評)、及び控訴人漫画のうち慰安婦問題を取り上げた箇 所についての批判、反論)に関して重要な位置を占め、高い存在価値を持っていることは 明らかである(原判決の事実及び理由の「第三 当裁判所の判断」一4認定に係る、控訴 人カットの採録が被控訴人書籍の読者に対して与える効果参照)。換言すれば、被控訴人 書籍において著者が論じようとし、実際に論じたことの中心となっている事柄は、右主題 に係る論説(批評)、批判、反論であり、それはすなわち本文の部分である。  一方、甲第二ないし第一五号証及び弁論の全趣旨によれば、控訴人書籍は、控訴人自身 「意見主張漫画」であると自認するものであり、その意見は各話ごとに主張・表明されて いることが認められる。そして、被控訴人書籍に引用された控訴人カットは、控訴人漫画 のごく一部にすぎず、被控訴人書籍の前記主題に係る批評、批判、反論に必要な限度を超 えて、控訴人漫画の魅力を取り込んでいるものとは認められない。  以上の点からすれば、被控訴人書籍においては、被控訴人論説が主、控訴人カットが従 という関係があるということができるのである。 3 分量について  控訴人は、漫画カットに対して文章が「主」と認められるためには、文章の方が量的に みて圧倒的なボリュームがなければならないと主張する。  しかし、漫画カットであることから、直ちにそれに対して文章が「主」と認められるた めには、文章の方が量的にみて圧倒的なボリュームがなければならないというものではな い。  また、控訴人は、カットと文章とを量的に比較するための一つの指標として、被控訴人 書籍のカット採録頁中における、文章と控訴人カットとの占める面積割合を考慮すべきで あるとし、これを根拠として、主従関係を判断しようとする。  しかし、甲第一号証によれば、被控訴人書籍では、控訴人カットを例証又は資料とする 論説が、カット採録頁だけでなく、前後の頁にわたって書かれていることが認められるか ら、カット採録頁における文章と控訴人カットとの占める面積割合をもって主従関係を判 断すべきものではない。  例えば、被控訴人書籍において、カット6に関して直接論及した記述内容は、同カット 採録頁の「「わしはこの薬害エイズ問題で決定的に『運動』が嫌いになった!」と一人叫 ぶシーンは印象的だ。」というものである。しかし、甲第一号証によれば、被控訴人書籍 では、同カットの属する章「「よしりんヘンシーン!」の謎」において、前後四頁にわた って「よしりん(控訴人)の変身」を主題とし、これについて批評を加えた被控訴人論説 が書かれており、右カットは、カット5とともに、右批評に対応するカットとして、象徴 的ないし印象的な例として挙げられているものと認められる。右の例をみれば、カットと 文章とを量的に比較するに当たって、控訴人カット採録頁における文章とカットとの占め る面積割合をもって判断されるべきではないことは明白である。  そして、甲第一号証によれば、被控訴人書籍においては、各章ごとに一つの小主題を論 じており、控訴人カットは右各小主題に関する被控訴人論説の例証又は資料となっている こと、その各章における控訴人カットと文章との割合は、第九章が全体で八段あるうち控 訴人カットが四段程度を占めているほかは、控訴人カットの分量はいずれも三分の一ない しそれ以下であり、被控訴人書籍全体としてみても、控訴人カットの分量は五分の一に満 たないことが認められる。  控訴人は、被控訴人書籍では、合計九〇頁の間に五七カット(六九コマ)を複製掲載し ていることを指摘して、控訴人カットの引用数が多いから分量の点からみて主従関係がな い旨主張する。 しかし、控訴人は、その意見を、「意見主張漫画」として漫画という表 現形式によって表現しているのである。ところが、他人の意見を批評、批判、反論しよう とすれば、他人の意見を正確に指摘する必要があるから、控訴人の意見を批評、批判、反 論するために、その意見を正確に指摘しようとすれば、漫画のカットを引用することにな らざるを得ないのは理の当然である。そして、その批評、批判、反論が多岐・多面的にわ たればそれだけ引用する漫画カットの数も増加することになるのは、やむを得ないところ である。  右事情を前提に前認定に係る被控訴人書籍における控訴人カットの分量の全体に対する 比率を考慮すれば、引用されたカット数が前記の程度であるとしても、被控訴人書籍の本 文とカットとの間には、十分主従関係が認められるというべきである。 4 被引用著作物の採録の方法・態様について 控訴人は、被控訴人書籍では、読者に対し、本文の代替としてカットに含まれるネーム (セリフ)を読ませ、カットをして語らしめたうえで、そのネームに対する被控訴人の批 評・反論を加えるというやり方がとられており、カットを取り去った場合には文章がつな がらないことを理由として、文章とカットとの間に主従関係がないと主張する。  しかし、カットを取り去った場合に、文章がつながらなくなるとしても、そのことをも って、文章とカットとの間に主従関係がなくなるというものではないことは前示のとおり である。  被控訴人書籍では、控訴人書籍におけるカットよりも拡大して複製した物を掲載してい る箇所が七か所(カット8、11、21、25、30、33、46)ある。右のように拡大複製する合 理的必要性については、疑問がないではないが、そのことは、本文と控訴人カットとの間 の主従関係を失わせるものではない。 5 主従関係についてのまとめ  以上検討したところ、とりわけ、控訴人書籍が「意見主張漫画」として、漫画という表 現形式によって意見を表現したものであり、被控訴人書籍は、右意見に対する批評、批判、 反論を目的とするものであること、及び、被控訴人書籍に引用された控訴人カットは、控 訴人漫画のごく一部にすぎず、右批評、批判、反論に必要な限度を超えて、控訴人漫画の 魅力を取り込んでいるものとは認められないことを考慮すれば、被控訴人書籍においては、 被控訴人論説が主、控訴人カットが従という関係が成立しているというべきである。  控訴人カットに独立した鑑賞性があることは認められるけれども、控訴人書籍と被控訴 人書籍の右関係に照らせば、そのことによって、被控訴人論説と控訴人カットとの右主従 関係が失われるということはできないのである。 二 同一性保持権侵害について 1 控訴人は、引用の場合においては、「やむを得ない」改変か否かの解釈認定は、より 一層慎重な吟味が必要であり、他にとるべき方法が全くなく、真にやむにやまれぬ状況で ない限り適法とすべきではないと主張する。  しかし、著作権法二〇条二項四号においては、「やむを得ない改変」か否かについて、 引用であるか、それ以外の場合であるかを特別に区別していない。そして、これを実質的 に考えても、引用は、新しい文化活動をしようとする者と著作権者との調整として、著作 物の利用を許した規定であって、著作物の利用が許されているという点において、著作物 の利用が許されている他の場合と異なるものではない。そうである以上、「やむを得ない」 改変か否かの解釈において、「やむを得ない」か否かが「引用」との関連において判断さ れるという当然の点は別として、他の場合と異なる基準を設けなければならない理由はな いのである。  控訴人の主張は、採用することができない。 2 カット4、53、54について (一) 控訴人は、@風刺画や似顔絵では、「辛辣さ」や「醜さ」こそが作者の主観的主張 であり、出版物においての売り物であるから、これを第三者が、「醜い」などという極め て抽象的曖昧な概念を用い、「他人の推測的不快感」を理由に、著作物を勝手に改竄して よいということは、著作権法の精神にかなうものではない、A一般に目隠しが使われるの は、当該人物が特定できないようにして、そのプライバシーを保護する目的であって、描 写の「醜さ」や当該人物の「不快感」の排除や「名誉感情」の保護を目的としているので はない、B目隠しされたカットの方は、非常に汚らしく、人物の雰囲気を実に怪しげなも のにしているから、黒い目隠しは描写の「醜さ」を軽減してないと主張する。  しかし、風刺画や似顔絵であるからといって、他人の名誉感情を不当に侵害してよいも のではないことは当然である。そして、醜く描写されているために名誉感情を侵害するお それがあるか否かということは、単なる主観によるものとしてではなく、常識に照らして 客観的なものとして判断することができるものである。原判決別紙対比表(一)、(四)及び (五)を見れば、原カット(イ)、(ニ)、(ホ)は醜く描写されているために名誉感情を侵害す るおそれがあり、カット4、53、54においては、目隠しによって、名誉感情を侵害するお それが低くなっていることが明らかであるから、右目隠しは、相当な方法というべきであ る。乙第二三、第二四号証によれば、カット53、54において描写された人物本人は、その 原カットの描写を不快に感じたこと及び目隠しによってその不快感が減少していることが 認められ、右事実は、前記認定が正しいことを裏付けるものである。  なお、控訴人は、写真ではなく、漫画や似顔絵に目隠しを入れるなどというのは、一般 的に広く行われている方法ではないと主張するが、目隠しは広く行われている方法である から漫画ないし似顔絵に適用したとしても異様な印象を与えることもないのであって、相 当な方法であるか否かについて、写真であるか似顔絵であるかを区別しなければならない 理由はない。 (二) 控訴人は、仮に、原カット(イ)、(ニ)、(ホ)がモデルを「醜く」描き、名誉感情を 侵害しているとすれば、その侵害者は著作者である控訴人であり、被控訴人は、モデルの 人格的利益を侵害する危険はないと主張する。  しかし、カット(イ)、(ニ)、(ホ)をそのまま引用した場合には、被控訴人書籍が読まれ ることによって、更にモデルの名誉感情を侵害するおそれがあることは明らかであり、被 控訴人に、右名誉感情の侵害を強いなければならない理由はない。そして、このことは、 モデルから責任を追及されるのが控訴人であるか被控訴人であるかとは別の問題であるか ら、控訴人の主張は失当である。 (三) 控訴人は、被控訴人書籍において、引用した似顔絵のうち、目隠しをしているのが 三か所、目隠しをしていないのが一〇か所で、目隠しを施すか否かについて明確な基準が あるわけではなく、全く恣意的、場当たり的であるから、改変を許さなければ「当該著作 物の引用を断念せざるを得ない。」などというせっぱ詰まった状況が全く存在しないと主 張する。  しかし、原カット(イ)、(ニ)、(ホ)は醜く描写されているために名誉感情を侵害するお それがあり、カット4、53、54においては、目隠しによって、名誉感情を侵害するおそれ が低くなっていることは前示のとおりである。そうである以上、他にも醜く描写されてい るために名誉感情を侵害するおそれがあるカットがあるとしても、右目隠しが相当な改変 でなくなるものではない。 (四) 控訴人は、被控訴人書籍においては、控訴人の描写力やイメージ操作について論評 してカット4を「醜い」と評しているから、批評の対象であるカット4を正確にそのまま 引用しなければならないはずであると主張する。  しかし、カット4は、目隠しによって減少しているとはいえ、なお、原カットの描写の 様子を理解することはできる(すなわち、原カット(イ)ほどではないが、なお「醜い」) から、これを「醜い」等という批評の対象とし得るものである。そして、このように名誉 感情を侵害するおそれを減少させる相当な方法があるのに、批評するに当たって、これを してはならないという理由はない。 3 カット27について (一) 控訴人は、カット27について、原カット(ロ)とは異なった表現がもたらされている ことを前提として、その加筆が「原カットの内容は完全に認識できる」ことや加筆部分を 「控訴人著作物の一部であると誤解するおそれは存在しない」こととは関係がないと主張 する。  しかし、被控訴人書籍中、カット27が採録された頁の前頁において、同カットに関し、 「これを次の私が書き入れた手書き文字のようにするとわかりやすい。」との記述が存在 することは、原判決の事実及び理由「第三 当裁判所の判断」二1(二)のとおりであり、 右記述とともにカット27をみれば、被控訴人書籍の読者は、原カット(ロ)内に位置する加 筆部分を、控訴人著作物のうちの該当個所を特定、強調するために被控訴人が書き込んだ ものであると明確に認識できることは明らかである。そうである以上、右読者は、控訴人 著作物に関するものとしては、カット27を、右加筆部分が存在しない表現、すなわち、原 カット(ロ)と同じ表現として認識するものと認められる。したがって、カット27をもって、 原カット(ロ)と異なった表現をもたらすものとすることはできない。控訴人の主張は、前 提を欠くものであり、失当である。 (二) 控訴人は、控訴人の作品では、コマ割の欄外スペースに控訴人自身が手書きでコメ ントを書き込むのが通例となっているから、読者が加筆部分を控訴人著作物の一部である と誤解するおそれは十分に存在すると主張する。  しかし、被控訴人書籍においては、カット27の手書き文字は、被控訴人が書き入れたも のであることが明記されているのであるから、読者が誤解することがあるとは考えられな い。 (原判決の訂正)  七四頁一〇行目から七六頁二行目までを次のとおりに変更し、七九頁一行目から三行目 までを削る。 「(四) カット37について  (1) カット37において原カット(ハ)の配置が変更されていることは、著作権法二〇条 一項にいう「改変」に当たるものである。 (2) 被控訴人らは、右綴じで横方向に読み進む漫画においては、左端のコマと下段の一 コマ目のコマは連続しているから、複数のコマのうち、レイアウトの都合から左端のコマ のみを下段に引用しても、改変に当たらないと主張する。  しかし、例えば学術論文において、著作者が改行しなかった箇所を、出版する際に出版 者が改行したという例を考えれば分かるように、読み進む順序が変わらないからといって、 同項にいう「改変」に当たらないというものではない。  本件についてこれをみると、原カット(ハ)においては、第三コマの人物像が第一、二コ マの左側に書かれ、その視線と指さした指の方向が第二コマを向いているのに対し、カッ ト37においては、第三コマの人物像は、第一、二コマの下方にあって、その視線は、その 右の空白ないしその先の第一、二コマの右の方に向いており、原カット(ハ)における、第 一、第二コマと第三コマの位置関係を用いた表現が改変されていることは明らかである。 この点に関して、被控訴人らは、カット37の第一、二コマが、全体として一つのコマであ ることを前提として、原カット(ハ)の控訴人を示す人物像が指さしているのは、第一、二 コマの全体であり、カット37の控訴人を示す人物像も、第一、二コマの全体を指し示して いるから、原カット(ハ)とカット37は同一の意味内容となっていると主張する。  しかし、カット37の第一、二コマには、女性が殴られているのを軍人が煉瓦の蔭から見 て驚いている場面と、軍人が業者に押印させているらしい場面の二つの異なった場面が左 右に書かれているから、第一、二コマは二つのコマというべきである。のみならず、同じ コマを指さしているとしても、そのコマのどの部分を、どの方向から指さしているかとい うこと自体が控訴人書籍における表現なのであるから、同じコマを指さしているから改変 ではない、ということもできない。 (3) また、被控訴人らは、第一、二コマと第三コマを、それぞれ別々に引用することも 認められるから、カット37において原カット(ハ)の配置が変更されていることは改変に当 たらないと主張する。   しかし、第一、二コマと第三コマを、それぞれ別々に引用した場合、読者は、引用さ れた第一、二コマと第三コマの位置関係が控訴人書籍の位置関係とは異なっていることを 理解できるのに対し、カット37のように引用した場合には、読者は、控訴人が「新ゴーマ ニズム宣言第三〇章」において、カット37のコマ割を用いて表現したものと認識するもの と認められる。したがって、カット37において原カット(ハ)の配置が変更されていること は、第一、二コマと第三コマを、それぞれ別々に引用したものと同列に論じることはでき ない。  被控訴人らの主張は採用することができない。 (4) 被控訴人らは、カット37の改変は、意味内容に変更を加えるものではなく、読者に 被控訴人の批判を理解してもらうためにも、右カットを、カット37の程度の大きさで引用 する必要があったから、著作権法二〇条二項四号の著作物の性質及び利用の態様上やむを 得ない改変に当たると主張する。   確かに、原判決別紙対比表(三)によれば、カット37においては、各コマを読む順序に 変更がないこともあいまって、第三コマの控訴人の似顔絵が述べているまとめのセリフが 第二コマの絵及びセリフを受けていることを認識できるから、第三コマにおける右セリフ の意味は、原カット(ハ)におけるそれと同じものとして理解することができるものと認め られる。しかし、意味が同じものとして理解できるとしても、カット37が、原カット(ハ) における表現を改変したものであり、表現の微妙な部分まで同じといえるものではないこ とは明らかである。   そして、甲第一号証、乙第七号証によれば、カットを縮小して引用したためにカット 中の文字が小さくなっているものの、セリフの文字を本文中で抜き出して引用しているた め、これを容易に判読できる書籍があること、また、縮小複製しない場合には、カット37 の採録頁の見出しの周辺の空白を使用する方法、カット22ないし24のように見出し導入部 のない頁で一段をすべて使う方法、カット3のように引用したカットとそれに触れた被控 訴人の文章とが別の頁にかかるようにする方法などがあることが認められ、これらの事実 に照らせば、カット37において原カット(ハ)の配置を変更したのは、被控訴人書籍のレイ アウトの都合を不当に重視して原カット(ハ)における控訴人の表現を不当に軽視したもの というほかはなく、被控訴人ら主張に係る著作物の性質、引用の目的及び態様を前提とし ても、カット37の右改変を、著作権法二〇条二項四号の「やむを得ない改変」に当たると いうことはできない。 (5) 以上によれば、カット37の右改変は、控訴人が控訴人書籍において有する同一性保 持権を侵害したものというべきであり、弁論の全趣旨によれば、被控訴人らの右著作者人 格権侵害の行為は、少なくとも被控訴人らの過失によるものであること、及び、控訴人が、 被控訴人らの右行為によって精神的苦痛を受けたことが認められる。右苦痛の慰謝料とし ては、控訴人は漫画家として著名であること、カット37は原カット(ハ)と意味が同じもの として理解できるものであること、右侵害行為の内容、程度その他本件記録上認められる 諸般の事情を総合すると、二〇万円を相当と認める。」 第四 結論  以上によれば、控訴人の本訴請求は、同一性保持権侵害を理由とするカット37を含む被 控訴人書籍の出版、発行、販売、頒布の差止め(なお、被控訴人らは、カット(ハ)の著作 者である控訴人から、本訴を提起されているのであるから、カット37が控訴人の同一性保 持権を侵害する行為によって作成されたものであることを知っていることは明らかである。) 、並びに、右同一性保持権侵害に基づく慰謝料二〇万円及びこれに対する侵害日である平 成九年一一月一日から支払済みまでの民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払いを 求める限度で理由があり、その余は理由がない。これと異なる原判決は異なる限度で不当 であり、控訴人の本件控訴は右の限度で理由があるから、以上の趣旨に従い原判決を変更 することとし、訴訟費用の負担につき、民訴法六一条、六四条、六五条、六七条を適用し、 仮執行宣言は必要ないものと認めて、主文のとおり判決する。 東京高等裁判所第六民事部 裁判長裁判官 山下 和明    裁判官 山田 知司    裁判官 宍戸  充