・東京地判平成12年12月26日  「井深大とソニースピリッツ」事件:第一審。  本件は、被告(Y.T.)が執筆し、被告会社(同株式会社日本経済新聞社)が出版し ている書籍『井深大とソニースピリッツ』は、訴外株式会社産業経済新聞社発行の「夕刊 フジ」の連載記事「ソニー燃ゆ」の第六五回「天才を送った日」について原告が有する著 作権及び著作者人格権を侵害したものであるとして、原告が、被告らに対し、出版の差止 め及び損害賠償を求めた事案である。  判決は、「被告書籍中には、……被告立石が被告書籍執筆に際して原告著作物を参考に したことをうかがわせる部分もないではない。しかし、右の点を含めて、別紙一覧表2な いし6の各B欄記載の記述部分の多くは、葬儀という事実を伝えるに当たって一般的に記 述する事項について、いかなる者が記述しても同様な表現にならざるを得ないような慣用 的表現ないしありふれた表現により記述されたものであり、原告著作物中の創作性が認め られるような特徴的表現部分については、いずれも被告書籍中にはこれと対応する表現は 存在しない。これらのことからすれば、被告書籍における別紙一覧表A欄記載の各記述部 分と原告著作物における同B欄記載の各記述部分とは、著作物としての同一性を有してい ないものといわなければならない」として、原告の請求を棄却した。  なお原告および被告立石を同じくし講談社を被告会社とする別訴判決が同日なされてい る(被告書籍は『ソニーの『出井』革命―リ・ジェネレーションへの挑戦』)。 (控訴審:東京高判平成14年1月30日) ■争 点 1 被告らによる複製権侵害の成否(被告書籍は、原告著作物の複製権を侵害するか。) 2 被告らによる著作者人格権侵害の成否 ■判決文 第三 当裁判所の判断 一 著作権の存否等について   原告著作物を原告が著作し、その著作権を有すること、及び、被告立石が被告書籍を 執筆し、被告会社がこれを発行したことは、いずれも当事者間に争いがない。 二 争点1(被告らによる複製権侵害の成否)について  原告は、被告書籍のうち別紙一覧表A欄記載の各記述部分は、原告著作物の同B欄記載 の記述部分の複製に当たると主張するので、この点につき検討する。被告書籍のうち別紙 一覧表A欄記載の各記述部分が、原告著作物の同B欄記載の記述部分の複製に当たるとい うためには、被告立石が原告著作物に接し、これに依拠して同A欄記載の各記述部分を執 筆したこと、及び、右各記述部分が原告著作物の対応部分と著作物としての同一性、すな わち著作物の本質的特徴を感得しうる程度の同一性を有することを要するというべきであ る。 1 被告立石が原告著作物に依拠する機会を有していたか  被告らは、被告立石が原告著作物には接していないと主張し、原告著作物に依拠したこ とを争うところ、前記第二、一の「争いのない事実等」の欄に記載のとおり、原告著作物 は平成一〇年一月二八日発行の夕刊フジ紙に掲載されたものであるが、同紙は首都圏にお いて広く販売されているもので、容易に入手することができるものであり、他方、被告書 籍は、前記争いのない事実記載の出版の時期からすると、原告著作物が平成一〇年一月二 八日発行の夕刊フジ紙に掲載された時点以降に執筆されたものであるから、同被告が被告 書籍執筆前に原告著作物に接する可能性はあったものと認められる。被告立石が原告著作 物に依拠して右各記述部分を執筆したと認めるには、同被告が原告著作物に接する可能性 を有していたことに加え、原告著作物と被告書籍の右各記述部分との間に、前記のような 同一性が存在することを要するものというべきである。そこで、以下、この同一性の存否 につき検討する。 2 原告著作物と被告書籍の同一性について  原告著作物と被告書籍の右各記述部分が同一性を有するか否かは、原告著作物と被告書 籍の著作物としての態様、叙述内容、叙述形式等を参酌のうえ、原告著作物と被告書籍の 各記述部分の表現形式を対比して、被告書籍における記述部分から、原告著作物における 記述部分の本質的特徴を感得しうるか否かによって決すべきである。 (一) 原告著作物と被告書籍の内容等について  甲一、四の一ないし一八、乙一に前記争いのない事実を総合すれば、次の事実が認めら れる。  原告は、夕刊フジ紙に、平成九年一〇月一三日号から、「デジタル・ドリーム・キッズ /ソニー燃ゆ」と題した、ソニー株式会社の歴史等に関する記事を連載していた。原告著 作物は、ソニー株式会社の最高相談役・名誉会長井深大氏が平成九年一二月一九日に死亡 したことから、平成一〇年一月二一日に行われた葬儀(ソニーグループ葬)の模様を、第 六五回「天才を送った日」と題して叙述したものである。原告著作物における右社葬の模 様を記載した部分の表現は、葬儀という歴史的事実をテーマとしてこれを客観的に記述す るというその性質上、さほど執筆者の個性を強く出すことなく、事実をありのままに記載 した叙述が多い。  被告書籍は、井深氏本人の記した文章や同氏と他の経営者との対談、ソニー株式会社の 大賀典雄会長や出井伸之社長らが右井深氏について記した文章等を中心に、被告立石が執 筆した文章を加えて構成したものである。原告著作物との類似を原告により指摘されてい る部分は、被告書籍の本文二五九頁中の一八頁を占める「エピローグ 五十年目のリ・ジ ェネレーション」と題する部分のうち二頁強の部分である。右部分は、井深氏の葬儀(ソ ニーグループ葬)の模様を叙述したもので、執筆者の主観を交えることなく、ありのまま に記載した叙述が多い。このように原告著作物と被告書籍のうち原告指摘の部分は、同一 事実を対象として叙述したもので、事実を客観的に記述するという表現態様も共通してい る。 (二) 別紙一覧表A欄及びB欄記載の各記述部分の類否について  右(一)の認定によれば、原告著作物と被告書籍は、いずれも井深大氏の葬儀という同一 の歴史的事実を対象として、これを客観的に記述するという内容・表現態様の論稿である から、記述された内容が事実として同一であることは当然にあり得るものであるし、場合 によっては記述された事実の内容が同一であるのみならず、具体的な表現も、部分的に同 一ないし類似となることがあり得るものである。このような点を考慮すると、原告著作物 と被告書籍の右各記述部分が著作物として同一性を有するというためには、原告著作物の 右記述部分における本質的特徴、すなわち創作性を有する表現の全部又はその大部分が被 告書籍に存在することを要するものというべきである。そこで、以下、このような観点か ら、原告著作物中の別紙一覧表B欄の部分と、これとほとんど同一であると原告の主張す る被告書籍中の同A欄記載の記述部分の同一性を検討する。 (1) 別紙一覧表2の記述部分について  原告著作物における別紙一覧表2のB欄の記述部分は、葬儀に参列した各界の著名人の 顔ぶれを紹介するとともに、葬儀会場の状況すなわち主会場に加えて、その様子を中継す る映像機器の設置された隣室が会場として用いられたことを述べる内容である。被告書籍 における対応部分も、右と同内容を述べるものであるが、葬儀の事実を伝えるに当たって 列席者を記すのは一般的なことであり、政界、財界及び電機業界から列席者として記述さ れた人物も、各界における経歴、著名度からすれば当然の人選であって、その点に創作性 が介入する余地はない。また、葬儀会場が主会場と隣室に分かれていたことも、単なる事 実の記載の域を出るものではない。  もっとも、参列者のうち、宮沢喜一元首相については、甲一、乙六及び弁論の全趣旨に よれば、宮沢氏本人は出席しておらず、代理者が出席していたものであるところ、葬儀を 取材した原告は、その際宮沢氏に似た人物を見かけたことから、宮沢氏本人が出席したも のと思い込んでそのように原告著作物に記載し、後に誤りと気付いたことが認められる。 他方、被告書籍においても、被告らの主張では被告立石は取材の過程で会葬者リストを入 手していたはずであるのに、宮沢喜一元首相(通常本人を指すと考えられる。)が出席し た旨記載されている。  また、主会場に入りきれなかった参列者が隣室で葬儀に参列するために、主会場の様子 を映像機器を用いて隣室に中継するという方法がとられたが、当該機器を示す名称として は、原告著作物、被告書籍の双方において「カラープロジェクション」「カラーモニター」 の語が用いられている。  しかしながら、参列者の中に宮沢氏本人を含めるかどうかという点は、事実としてどう であったかはともかく、何ら創作性に係わるものではなく、また、「カラープロジェクシ ョン」「カラーモニター」の語が当該機器を示す語として必ずしも一般的でなかったとし ても、右の語を用いることが創作的表現となるものではない。  右のとおり、原告著作物における別紙一覧表2の記述部分については、創作的表現であ って被告書籍の対応部分にも共通して用いられているものは認められない。 (2) 別紙一覧表3の記述部分について  原告著作物における別紙一覧表3のB欄の記述部分は、井深氏がクリスチャンであった こと、葬儀はキリスト教式であったが宗教色は強くないこと、映像と音楽中心の葬儀であ ったことなどを述べる内容であり、被告書籍の対応部分も右と同内容を述べるものである が、葬儀の事実を伝えるに当たってその形式を記述することは一般的なことであり、また、 文章も短く、創作的表現は認められない。  原告は、「敬虔なクリスチャン」なる表現が原告著作物と被告書籍において共通して用 いられていることを指摘するが、「敬虔」は、宗教信仰者について一般的に用いられる慣 用的表現であるから、この語を用いることをもって創作的表現ということはできない。 (3) 別紙一覧表4の記述部分について  原告著作物における別紙一覧表4のB欄の記述部分は、葬儀の冒頭の状況を伝えるもの で、献灯と、それに引き続いての「葬送行進曲」のピアノ演奏、その演奏者、ピアノの位 置等を述べる内容であり、被告書籍の対応部分も右と同内容を述べるものであるが、葬儀 の事実を伝えるに当たって献灯等の様子を記述することは一般的なことであり、また、文 章も短く、原告著作物の右部分に創作的表現は認められない。  また、原告著作物には、「時計の針が正午を指したとき、」「桜井はピアニストを紹介 しなかったが」などと被告書籍にはない表現がいくつか見られ、原告著作物と被告書籍は 表現も相当異なっている。  なお、原告は、右演奏の開始時間につき、正確には正午でなく、午前一一時五八分であ り、後に原告はこのことを知ったのに、被告書籍にも右不正確な時間が記載されていると 主張し、このことをもって被告立石の依拠をいうが、乙二によれば、葬儀の通知に開始時 刻が正午と記載されているものであり、被告書籍が葬送行進曲の演奏が開始された時刻を 「正午」と記載したことには、格別の不自然さはない。また、「葬送行進曲」という語は、 ショパン作の当該ピアノ曲を指す名称として広く用いられているものであるから、被告書 籍がこの語を用いていることが、原告著作物への依拠をうかがわせるものではない。 (4) 別紙一覧表5の記述部分について  原告著作物における別紙一覧表5のB欄の記述部分は、前記葬送行進曲に合わせて、ボ ーイスカウト隊員に先導されて遺骨が入場したこと、遺骨の置かれた状態、大きな井深氏 の遺影が飾ってあること、その遺影の表情などを述べる内容であり、被告書籍の対応部分 も右と同内容を述べるものであるが、葬儀の事実を伝えるに当たって遺骨や遺影の状況を 記述することは一般的なことであり、原告著作物においては、具体的表現としても、遺骨 を納めた箱の大きさを「遺影の中の井深自身の手のひらにすっぽり入る大きさであった」 と表現する点に創作性を認め得るものの、その他の部分には創作性は認められない。そし て、原告著作物において遺骨を納めた箱の大きさを表現する右記述については、被告書籍 にこれと対応する表現は存在しない。 (5) 別紙一覧表6の記述部分について  原告著作物における別紙一覧表6のB欄の記述部分は、一分間の黙祷の後、ハワイで療 養中の同社名誉会長盛田昭夫氏の夫人がメッセージを代読したことを述べる内容であり、 被告書籍の対応部分も右と同内容を述べるものであるが、葬儀の事実を伝えるに当たって 黙祷の様子や弔辞の内容を記述することは一般的なことであり、原告著作物においては、 具体的表現としても、右メッセージについて、「盛田氏自身の書いたものではなく、彼の 意をくんで夫人が綴ったものであった」とする部分に創作性を認め得るとしても、その他 の部分には創作性は認められない。そして、原告著作物におけるメッセージに関する右記 述部分については、被告書籍にこれと対応する表現は存在しない。  なお、原告は、盛田夫人の実際のメッセージの前置きは「今日、ここに一番いなくては ならない人、一番初めに葬儀委員長として弔辞を読まなくてはならない人、それは私の夫 である盛田昭夫でございます。」であり、これは前記乙三の一のビデオで確認できるのに、 原告著作物と同一の「今日、ここにいなくてはならない人、一番初めに葬儀委員長として 弔辞を読まなければならない人、それは私の夫である盛田昭夫でございます。」という表 現が被告書籍中に存在することを指摘するが、「ここに一番いなくてはならない」という 言い方は日本語の表現として不自然であり、この中から「一番」を削除したことをもって、 直ちに原告著作物への依拠を認めることはできない。 (三) 以上によれば、被告書籍中には、宮沢元首相の出席に関する部分や葬儀会場に設置 された映像機器について「カラープロジェクション」「カラーモニター」の語を用いた点 など、被告立石が被告書籍執筆に際して原告著作物を参考にしたことをうかがわせる部分 もないではない。  しかし、右の点を含めて、別紙一覧表2ないし6の各B欄記載の記述部分の多くは、葬 儀という事実を伝えるに当たって一般的に記述する事項について、いかなる者が記述して も同様な表現にならざるを得ないような慣用的表現ないしありふれた表現により記述され たものであり、原告著作物中の創作性が認められるような特徴的表現部分については、い ずれも被告書籍中にはこれと対応する表現は存在しない。これらのことからすれば、被告 書籍における別紙一覧表A欄記載の各記述部分と原告著作物における同B欄記載の各記述 部分とは、著作物としての同一性を有していないものといわなければならない。  そうすると、被告書籍における別紙一覧表A欄記載の各記述部分は、原告著作物におけ る同B欄記載の各記述部分を複製したものとは認められない。 三 争点2(被告らによる著作者人格権侵害の成否)について   右二に判示のとおり、被告書籍における別紙一覧表A欄記載の各記述部分と原告著作物 における同B欄記載の各記述部分とは、著作物としての同一性を有しているということは できないので、右同一性を前提として、氏名表示権及び同一性保持権の侵害をいう原告の 主張は、その前提を欠き、いずれも理由がない。 四 以上によれば、原告著作物についての著作権(複製権)及び著作者人格権の侵害を理 由とする原告の請求は、その余の点について判断するまでもなく、いずれも理由がない。   よって、主文のとおり判決する。 東京地方裁判所民事第四六部 裁判長裁判官 三村量一    裁判官 村越啓悦    裁判官 中吉徹郎