・東京地判平成13年5月30日判時1752号141頁  交通安全スローガン事件:第一審。  原告は、「ボク安心 ママの膝(ひざ)より チャイルドシート」という原告スローガ ンを創作し、財団法人全日本交通安全協会が主催した平成6年秋の全国交通安全スローガ ン募集に応募したところ、原告スローガンは優秀賞に選定され、平成6年12月1日付け の毎日新聞の第1面に掲載された。被告協会(社団法人日本損害保険協会)は、平成9年 度後半の交通事故防止キャンペーンとして、チャイルドシート装着を訴えるための啓発及 び宣伝をするため、被告電通(株式会社電通)にその宣伝の依頼をし、被告電通は、「マ マの胸より チャイルドシート」という被告スローガンを作成し、被告らは、協議の上、 前記宣伝として被告スローガンを各テレビ局に放映させた。本件は、原告が、著作権侵害 に基づき、原告の被った損害18億9000万円の一部である5000万円の損害賠償の 請求をした事案である。  判決は、本件スローガンの著作物性を認めながらも、「両者は、前記の共通点があって も、なお実質的に同一のものということはできない」として類似性を否定し、原告の請求 を棄却した。  なお、判決は最後に、「迅速審理のための尽力に対し、双方訴訟代理人に深甚なる敬意 を表する」といった付言をおこなっている。 (控訴審:東京高判平成13年10月30日) ■争 点 (1) 原告スローガンの著作物性の有無 (2) 原告の著作権(複製権)侵害の有無 (3) 消滅時効の成否 (4) 損害額 ■判決文 第3 当裁判所の判断 1 著作物性の有無について  著作権法による保護の対象となる著作物は、「思想又は感情を創作的に表現したもので ある」ことが必要である。「創作的に表現したもの」というためには、当該作品が、厳密 な意味で、独創性の発揮されたものであることまでは求められないが、作成者の何らかの 個性が表現されたものであることが必要である。文章表現による作品において、ごく短か く、又は表現に制約があって、他の表現がおよそ想定できない場合や、表現が平凡で、あ りふれたものである場合には、筆者の個性が現れていないものとして、創作的に表現した ものということはできない。  そこで、原告スローガンについて、この観点から著作物性の有無を検討する。  弁論の全趣旨によれば、原告は、親が助手席で、幼児を抱いたり、膝の上に乗せたりし て走行している光景を数多く見かけた経験から、幼児を重大な事故から守るには、母親が 膝の上に乗せたり抱いたりするよりも、チャイルドシートを着用させた方が安全であると いう考えを多くの人に理解してもらい、チャイルドシートの着用習慣を普及させたいと願 って、「ボク安心 ママの膝(ひざ)より チャイルドシート」という標語を作成したこ とが認められる。そして、原告スローガンは、3句構成からなる5・7・5調(正確な字 数は6字、7字、8字)調を用いて、リズミカルに表現されていること、「ボク安心」と いう語が冒頭に配置され、幼児の視点から見て安心できるとの印象、雰囲気が表現されて いること、「ボク」や「ママ」という語が、対句的に用いられ、家庭的なほのぼのとした 車内の情景が効果的かつ的確に描かれているといえることなどの点に照らすならば、筆者 の個性が十分に発揮されたものということができる。  したがって、原告スローガンは、著作物性を肯定することができる。  被告は、原告スローガンは、ありふれた表現として創作性に欠けること、文化的所産と して著作権の対象にするだけの創作性がないこと、キャッチフレーズやスローガンは字数 や用いる言葉の制約が多すぎて選択の余地がないこと、公衆に周知徹底させる目的があり 特定の者の独占に親しまないこと等の理由から、その著作物性は否定されるべきであると 主張するが、前記判断に照らして、いずれも採用できない。 2 被告スローガンの内容及び著作権侵害の有無  証拠(乙2)によれば、被告電通は、被告協会から、チャイルドシートの着用促進を目 的とした広告の作成を依頼されたこと、街角調査の結果、チャイルドシートの普及率が低 いのは、親が幼児を抱く方がチャイルドシート着用より安心であるとの誤った考えが残っ ていたことが判明したこと、そこで、そのような考えを改めるための広告表現として、 「ママの胸より チャイルドシート」というスローガンを採用したことが認められる(な お、被告は、被告スローガンは、広告表現の中で使用された一部であり、独立のスローガ ンとしての意味はない旨主張するが、乙2に照らして採用できない。)。そして、被告ス ローガンは、2句構成の7・5調(後の句の字数は8字)が採用され、前記の趣旨が、極 めて短い語句で、簡潔かつ直裁的に表現されている。  そこで、原告スローガンと被告スローガンの各表現を対比する。  両スローガンは、「ママの」「より」「チャイルドシート」の語が共通する。  上記共通点については、両スローガンとも、チャイルドシート着用普及というテーマで 制作されたものであるから、「チャイルドシート」という語が用いられることはごく普通 であること、また車内で母親が幼児を抱くことに比べてチャイルドシートを着用すること が安全であることを伝える趣旨からは、「ママの より」という語が用いられることもご く普通ということができ、原告スローガンの創作性のある点が共通すると解することはで きない。  これに対し、原告スローガンは、被告スローガンと対比して、@「ボク安心」の語句が あること、A前者が「膝」であるのに対し、後者は「胸」であること、B前者は、6字、 7字、8字の合計21字が3句で構成されているのに対し、後者は、7字、8字の合計1 5字が2句で構成されている点において相違する。そして、@原告スローガンにおいては 「ボク安心」という語句が加わっていることにより、子供の視点から見た安心感や車内の ほのぼのとした情景が表現されているという特徴があるのに対し、被告スローガンにおい ては、そのような特徴を備えていないこと、A「ママの膝」と「ママの胸」とでは与える イメージ(子供の年齢、抱きかかえた姿勢等)に相違があること、B原告スローガンにお いては、3句構成からなる5・7・5調が用いられ、全体として、リズミカル、かつ、ゆ ったりした印象を与えるのに対し、被告スローガンにおいては、2句構成からなる7・5 調が用いられ、極めて簡潔で、やや事務的な印象を与えること等から、前記各相違は、決 して些細なものではなく、いずれも原告スローガンの創作性を根拠付ける部分における相 違といえる。  そうとすると、両者は、前記の共通点があっても、なお実質的に同一のものということ はできない。  以上のとおりであるから、被告スローガンは、原告スローガンについて原告が有する複 製権を侵害しない(なお、前記と同様の理由から翻案権侵害もない。)。 3 結語  よって、その余の点を判断するまでもなく、本件請求は理由がないからこれを棄却する こととし、主文のとおり判決する。 4 審理経過について  本件は、第1回口頭弁論期日の審理をした後、続行期日を指定することなく、即日終結 した。これは、双方訴訟代理人の迅速な訴訟活動の成果である。  すなわち、被告側は、第1回期日より1か月以上の余裕をもって、詳細な答弁書及び証 拠を提出し、原告側も、第1回期日当日に、答弁書に対する反論のための詳細な準備書面 及び証拠を提出したため、裁判所は、第1回期日に必要な審理のすべてを行うことができ た。そして、裁判所は、双方代理人の進行意見を聴取した上、弁論を終結した(なお、弁 論を終結した後に和解手続を1回実施した。)。  我が国の民事訴訟では、弁論期日を何回か開いて順次内容を深めていく審理が慣行的に 行われており、そのような審理方式には合理性があるといえる。しかし、訴訟代理人の十 分な協力と理解があれば、第1回目の弁論期日において審理を尽くして終了させることも できるのであって、当裁判所としては、事件の性質に応じて、今後もこのような審理方法 を拡大していくための努力を続けたい。迅速審理のための尽力に対し、双方訴訟代理人に 深甚なる敬意を表する。 東京地方裁判所民事第29部 裁判長裁判官 飯村 敏明    裁判官 谷  有恒    裁判官 佐野 信