・東京地判平成13年8月27日判時1758号3頁  ダービースタリオン事件:第一審  原告らの所有する競走馬の馬名を「ダービースタリオン」等のゲームソフトで使用し た被告(アスキー)に対する差止および損害賠償の各請求が棄却された。  判決は、「当裁判所は、原告らの主張に係る『物の顧客吸引力などの経済的価値を排 他的に支配する財産的権利』の存在を肯定することはできないと判断する」としたうえ で、さらに損害賠償について、「上記認定した事実、すなわち、被告の本件ゲームソフ トにおける本件各競走馬の名称の使用態様、ゲームソフトの内容、性質と、原告らが本 件競走馬の名称等を利用していた状況等を総合考慮すると、本件ゲームソフトを製作、 販売した被告の行為が、原告らの所有する本件各競走馬の利用を妨げたり、その客観的 価値を著しく損なうような反社会性の強い不法行為に当たると解することはできない。」 と述べたすえ、「物の所有者は、物の顧客吸引力などの経済的利益を排他的に支配する 財産的権利を享受するとする原告らの主張は、主張自体失当として採用することはでき ない」として、請求を棄却した。 (控訴審:東京高判平成14年9月12日) ■評釈等 三浦正広・岡山商大法学論叢10号65頁(2002年) ■判決文 第3 当裁判所の判断 1 いわゆる「パブリシティ権」の内容及び法的根拠について (1) 原告らは、物の所有者は、所有に係る物が、商品の購買に当たっての訴求力又 は顧客吸引力等の経済的利益、すなわち「パブリシティ価値」を備えるに至った場合に は、物の「パブリシティ価値」を利用して、商品を製造したり、対価を得て商品化を許 諾したりするなど、その経済的利益を排他的に支配する財産的権利、すなわち「パブリ シティ権」を取得すると解すべきであることを前提に、被告が本件各ゲームソフトを製 作、販売する行為は、この排他的権利を侵害すると主張して、同行為の差止め等を求め た。  ところで、原告らは、本件訴訟において、排他的な権利が認められるべきである との結論を述べるのみで、その法的な根拠を一切明らかにしていない(のみならず、原 告らは、本件請求は、所有権、人格権又は知的財産権に基づく請求とは異なる別個の請 求であると釈明する。)。 (2) そこで、このような本件の特殊性に照らして、原告らの法的根拠に関する主張 の有無にかかわらず、広く「物の経済的価値を排他的に支配する権利」が認められるか 否かについて考察する。  当裁判所は、原告らの主張に係る「物の顧客吸引力などの経済的価値を排他的に 支配する財産的権利」の存在を肯定することはできないと判断する。  その理由は、以下のとおりである。 @ 排他的な権利を認めるためには、実定法の根拠(人格権など明文がないものも 含む。)が必要であるが、原告らが主張する「物の経済的価値を排他的に支配する権利」 を、従来から排他的権利として認められている所有権や人格権の作用を拡張的に理解す ることによって、根拠付けることは到底できない。 A 上記のとおり、排他的な権利を認めるためには、実定法の根拠が必要であるが、 知的財産権制度を設けた現行法全体の制度趣旨に照らし、知的財産権法の保護が及ばな い範囲については、排他的権利の存在を認めることはできない。また、「物の経済的な 価値を排他的に支配する」利益を尊重する社会的な慣行が長い間続くことによって、こ れが慣習法にまで高められれば、明文上の根拠がなくとも、排他的権利の存在が認めら れるとの見解に立ったとしても、原告らが主張する排他的権利を肯定することは到底で きない。 (3) まず、@について、簡単に補足する。  実定法上の根拠が存在するか否かを考察する。さし当たって、所有権及び人格権 の2つの権利の内容を拡張的に解することによって、この点が肯定されるかを検討すれ ば足りるであろう。  第1に、所有権の権能を拡張的に理解することにより根拠付けられるかをみてみ る。  所有権は、有体物を客体とする権利であって、その作用は、有体物を物理的に占 有支配する権能及びこれを円滑に行使するのに必要不可欠な権能(例えば、登記請求権 等)にとどまる。物の所有者以外の第三者が、物に備わった顧客吸引力を利用する場合 であっても、所有者の物に対する物理的な支配状態を妨げない限り、所有者が物につい て有する排他的な支配権と矛盾しないというべきであるから(最高裁昭和59年1月2 0日判決民集38巻1号1頁参照)、所有権の作用によって、物の顧客吸引力などの経 済的価値を排他的に支配する権利を基礎付けることはできない。  第2に、人格権により根拠付けられるかについて検討する。  第三者が、他人の所有物を、所有者の承諾なく、物理的に毀損したような場合で あっても、特段の事情の存しない限り、所有者の人格権を侵害することがないことは明 らかである。これと同様に、第三者が、他人の所有に係る物について、所有者の承諾な く、その物が備える顧客吸引力を利用したとしても、所有者の人格権を侵害することに はならないことも明らかである。  確かに、第三者が、社会的評価、名声等を獲得した自然人の氏名、肖像等を、当 該自然人の承諾なく利用した場合に、その利用行為が、当該自然人の社会的評価、名声 等を低下させると評価される限りにおいて、当該自然人の人格権を侵害することになる ため、当該自然人は、自己の人格権に基づいて、氏名、肖像等を利用する第三者の行為 を差し止めることができる。このことを経済的な側面から観察すれば、自然人が社会的 評価、名声を獲得した場合には、顧客吸引力などの経済的価値を利用する一切の行為を 独占することができると理解することもできよう。  しかし、このような排他的な権能は、あくまでも、自然人が本来有している人格 権が侵害されたと評価される場合に初めて認められるのであって、これと異なり、そも そも、第三者が、他人の所有物を利用しても、直ちには物の所有者の人格権を侵害する ものではないから、人格権を基礎にして、原告らの主張するような排他的権能を根拠付 けることは到底できないといわざるを得ない。  以上のとおり、原告ら主張に係る「物の利用に関する排他的財産権」を、従来排 他的権利として承認されている所有権や人格権の作用を拡張的に理解することによって、 根拠付けることはできない。 (4) 次に、Aについても、簡単に補足する。  仮に、「所有者は、自己の所有物について、訴求力又は顧客吸引力等の経済的利 益を備えるに至った場合、物から生ずる経済的利益を独占的に享受する」ことについて の社会的な慣行が存在し、その慣行が、長い期間尊重され、慣習法にまで高められてい たと評価されるような場合に、そのような権利利益を排他的な権利として肯定すること ができるという見解が採用し得るとした場合、原告らの主張に係る排他的権利を肯定す る余地があるか否かについてみてみる。 ア 我が国において、物の名称等の使用等に関しては、著作権法、商標法、不正競 争防止法などの知的財産権関係法が置かれ、それぞれの法律の立法趣旨に沿って、各法 律が、所定の範囲の者に対して、所定の要件の下で、排他的な使用権(すなわち専有権) を付与している。例えば、著作権は、著作権の取得要件や著作権の制限について詳細な 規定を置いた上で、著作物の創作者等に対して、排他的権利である著作権及び著作者人 格権を付与しており、また、不正競争防止法は、いわゆる周知又は著名な商品等表示を 取得した者などに対して、当該商品等表示を使用する排他的権利を付与している。  各法律により、それぞれの権利の発生原因、内容、性質、範囲、消滅原因等が 明確に規定されている所以は、そもそも、法律の制約がない限り、国民は私的活動の自 由が保障されていること、また、排他的な権利は一般人の経済活動や文化活動の自由を 抑制するものであり、取得原因、内容についての明確な規定を設けることなく排他的権 利を付与することがあれば、国民の行動の自由を過度に制約するおそれが生じて、妥当 でないことなどの理由によるものである。  このように、知的財産権関係法が付与する排他的権利は、その性質上、権利者 に対して、独占的保護の限界を画したものと解されるべきであり、第三者に対して、行 為の適法性の限界を画するものとして解されるべきものである。したがって、第三者が、 知的財産権関係法の定める排他的権利の範囲に含まれない態様で行為をすることは、適 法な行為というべきことになる。 イ また、物の所有者が、資本、労力及び時間を費やして、物の顧客吸引力を高め た場合には、実定法の根拠がなくとも、投下した資本等を回収するための手段として、 所有者の排他的権利を認めることこそが、合理性に適うという見解もなくはない。  しかし、投下した資本等の回収を図る必要性があるか否か、あるいは物に顧客 吸引力が生じたか否かという基準は、あまりに主観的かつ曖昧にすぎるのであり、これ らの不明確な基準により、排他的権利の発生を肯定するようなことがあれば、その独占 的保護の外延が明らかでないため、混乱を招くことになりかねず、実際にも、このよう な見解や実務慣行が、長年承認されてきたと認めることはできない。 ウ さらに、第三者が、他人の所有物について生じた経済的な価値を利用しようと する場合に、有償又は無償で、所有者の許諾を受ける実例が無いとはいえない。  しかし、一般に、排他的保護が及ばない場合であっても、紛争をあらかじめ回 避して円滑に事業を遂行し、あるいは、より詳細な情報を所有者から得るなど、さまざ まな目的で、利用者が許諾を受けることもあり得るのであるから、このような実例があ るからといって、直ちに、「物から生ずる経済的利益を独占的に享受する」ことを承認 する社会的な慣行が定着し、その慣行が、長い間尊重され、慣習法にまで高められてい たと認めることはできない。  以上検討したとおり、知的財産権法の保護の及ばない範囲について、投下資本の 回収の必要性等の理由によって、排他的権利の存在を肯定することはできないし、物の 所有者は物の名称等につき排他的に利用することができるとの社会的な慣行が存在し、 その慣行が長い間尊重され、慣習法にまで高められていたと認めることもできないから、 原告らが主張する排他的権利の存在を肯定する余地はない。 2 損害賠償請求権に関する付加的判断  以上のとおり、原告らの主張に係る「物の経済的価値を排他的に支配する財産的権 利」の存在を肯定することはできないから、原告らの損害賠償の請求も理由がないこと になる。  なお、原告らが本件各競走馬から生ずる経済的価値の利用について、単に事実上の 利益(期待権)を有するにすぎない場合であっても、このような原告らの利益の程度と 被告の行為態様の反社会性の程度とを総合的に考慮することにより、被告の行為が民法 所定の不法行為に該当するとして、損害賠償義務を負うと解する余地もないではない。 もっとも、本件において、原告らは、このような観点からの損害賠償請求をしているわ けではないけれども、本件請求の特殊性に鑑み、念のため、この点についても判断する。  当裁判所は、本件ゲームソフトを製作、販売した被告の行為の態様、性質、競走馬 の名称を使用するに至った経緯、原告らの事実上の利益の性質、内容等を総合考慮して、 被告の行為が民法所定の不法行為に該当すると解することはできないと判断する。その 理由は、以下のとおりである。 (1) 前提となる事実、証拠(甲68、69、70ないし82、枝番号の表記は省略 する。)によれば、以下の事実が認められ、これに反する証拠はない。 ア 本件各ゲームは、一定の資金等を与えられたプレーヤーが、費用を支出しつつ 競走馬の交配、生産、調教、あるいは厩舎の維持等を行い、資金が底をつけばゲームが 終了するという制約の中で、どのように交配して馬を生産し、これをどのように調教す るか、どのレースに馬を出走させ、どの騎手に騎乗させて騎手にどのような指示を与え るか、いつ馬を引退させあるいは売却するかといった様々な事柄について、馬の交配や 血統に関する知識を利用し、あるいは馬の特性や適性を考慮しつつ決定や選択を繰り返 すことによって、あたかも実際に馬の生産者、馬主又は調教師になったかのようにゲー ムを進め、その過程でプレーヤーが成功や挫折を経験するという、競走馬育成シュミレ ーションゲームである。 イ 本件各ゲームソフトでは、種牡馬、繁殖牝馬、競走馬の一部に実在する多数の 競走馬(甲82によれば種牡馬240頭、繁殖牝馬340頭とされ、他の同種ゲームの 例に照らすと、全体では1000等を超えるものと推認される。)の名称や、その他血 統、距離特性、実績などのデータが使用されている。しかし、本件各競走馬の名称等は、 プレーヤーが、本件各ゲームソフトを使用して、プレーをする段階でゲーム中の要素と して現れるにすぎない。被告は、本件各ゲームソフトを販売するに当たって、特定の競 走馬に対する関心、好意又は憧憬に訴えて、顧客の購買意欲を高めようとしたことはな く、また、特定の競走馬に関連する宣伝広告をしたことはない。 ウ 他方、原告らの中には、被告以外の競馬ゲームソフトを製作、販売するメーカ ー数社に対し、それぞれの有する競走馬の肖像、名称等の使用を許諾し、ゲームの販売 額や使用する馬の数に応じて使用料の支払を受けた者がいる。本件各競走馬の中には、 いわゆるG1レースに出走した馬もあるけれども、原告らが、その所有する競走馬の顧 客吸引力等を利用して、格別の営業活動を行っていた形跡はない。なお、このように排 他的利用権を有しない領域においても、当事者間において使用許諾契約が交わされる例 は世上あり得るが、その目的は、究極的には、紛争を予め回避したり、より詳細な情報 を得るためのものと解される。 (2) 上記認定した事実、すなわち、被告の本件ゲームソフトにおける本件各競走馬 の名称の使用態様、ゲームソフトの内容、性質と、原告らが本件競走馬の名称等を利用 していた状況等を総合考慮すると、本件ゲームソフトを製作、販売した被告の行為が、 原告らの所有する本件各競走馬の利用を妨げたり、その客観的価値を著しく損なうよう な反社会性の強い不法行為に当たると解することはできない。 3 結論  以上のとおり、物の所有者は、物の顧客吸引力などの経済的利益を排他的に支配す る財産的権利を享受するとする原告らの主張は、主張自体失当として採用することはで きない。  したがって、被告が本件各ゲームソフトを製作する行為等は適法というべきである から、その余の点を判断するまでもなく、原告らの被告に対する差止請求及び損害賠償 請求は理由がない。  よって、主文のとおり判決する。 東京地方裁判所民事第29部 裁判長裁判官 飯村 敏明    裁判官 谷  有恒    裁判官 佐野 信