・大阪地判平成14年5月23日  希土類の回収方法事件  本件は、原告が、@「希土類−鉄系合金からの有用元素の回収方法」(特開平9−2 17132号)の特許発明の出願人である被告株式会社三徳に対し、同発明の発明者は 原告であると主張し、人格権(発明者名誉権)に基づく妨害排除請求又は名誉侵害行為 に基づく名誉回復措置(民法723条)として、その特許出願の願書に記載された発明 者が原告である旨の補正手続を求めるとともに、同出願において発明者とされている被 告Bに対し、同発明の発明者が原告であることの確認を求め、A被告株式会社三徳に対 し、主位的に、同特許を受ける権利の譲渡契約の対価、又は請負契約(業務委託契約) の報酬として、予備的に、特許法35条3項の類推適用による対価請求として、300 0万円の支払を求めている事案である。  判決は、「発明者は、発明完成と同時に、特許を受ける権利を取得するとともに、人 格権としての発明者名誉権を取得するものと解される」とし、「人格権たる発明者名誉 権(発明者掲載権)は、上記のとおり、発明者の名誉を保護するものであって、名誉は 生命、身体とともに極めて重大な保護法益であることからすると、物権の場合と同様に 排他性を有する権利であると解される。したがって、発明者名誉権が侵害された場合に は、真の発明者は、侵害者に対し、人格権たる発明者名誉権に基づいて侵害の差止めを 求めることができるものと解すべきである。しかるところ、真実は当該発明の発明者で ありながら、出願人が特許出願の願書に発明者としてその氏名を記載しなかったために、 特許公報や特許証にその氏名が記載されない場合には、真の発明者の発明者名誉権は侵 害されたことになる。……本件発明の特許出願手続のように、いまだ登録にならず、出 願手続が特許庁に係属中のものについては、願書に発明者として真実の発明者の氏名が 記載されなかったことにより、発明者名誉権を侵害された場合に、その侵害行為の差止 めを実現するためには、出願人に対し、願書の発明者の記載を真実の発明者に訂正する 補正手続を行うように求めることが、適切であるといえる」としたうえで、「原告は本 件発明の発明者であり、人格権たる発明者名誉権(発明者掲載権)を有するものという べきであるところ、本件発明の特許出願の願書に発明者が被告Bである旨記載されてい ることにより原告の発明者名誉権が侵害されているものというべきであるから、原告が、 人格権たる発明者名誉権に基づく妨害排除請求として、被告三徳に対し本件発明の特許 出願の願書に記載された発明者が原告である旨の補正手続を求める請求、及び被告Bに 対し原告が本件発明の発明者であることの確認を求める請求は、いずれも理由がある」 とした。  また、「原告は、本件発明の完成当時、日徳工業の取締役として、技術生産管理部門 を担当していたものであるから、原告と日徳工業との間には同項にいう「従業者」と 「使用者」の関係があったものということができ、また、本件発明が日徳工業の業務範 囲に属し、かつ、本件発明をするに至った行為が日徳工業における原告の職務に属する ものであったことも明らかであるから、本件発明は、日徳工業との関係で職務発明(同 法35条1項)に当たることが明らかである。しかしながら、本件発明をした当時、原 告は被告三徳の従業員、役員等の地位にはなかったから、原告と被告三徳との間には、 直接には、従業者と使用者の関係があったとはいえない」としながらも、「被告三徳と 日徳工業とは、希土類金属の回収業務においては、技術的、経済的に一体的な関係にあ り、また、日徳工業における希土類回収の業務に関し被告三徳が実質的に指揮監督を及 ぼす関係にあるものということができる」としたうえで、「本件発明は、日徳工業にお ける原告の職務に基づく発明であると同時に、被告三徳との関係においてもその職務に 基づく発明と同視できるものであり、原告は、C社長との合意により、被告三徳に本件 特許を受ける権利を承継させたのであるから、前記のように、その対価の額につき合意 が成立していなくとも、特許法35条3項の類推適用により、被告三徳から相当の対価 の支払を受ける権利を有するものと解するのが相当である」とした。  結論として、被告株式会社三徳に対して特許出願願書に記載された発明者の補正手続、 被告Bに対して原告が発明者であることの確認、被告株式会社三徳に対して200万円 の支払いを命じた。 ■争 点 【本案前の争点】 (1) 請求第1、2項に係る訴えの適法性−発明者名誉権に基づく差止請求は認められ るか 【本案に関する争点】 (2) 本件発明の発明者 (3) 名誉毀損の成否 (4) 金銭請求(請求第3項)に係る主位的請求原因(ア及びイは選択的主張) ア 本件特許を受ける権利の譲渡契約の成否及びその対価の額 イ 請負契約(業務委託契約)の成否及びその報酬の額 (5) 金銭請求(請求第3項)に係る予備的請求原因  特許法35条3項の類推適用による対価請求の可否及びその対価の額 ■判決文 第4 争点に対する判断 1 争点(1)(請求第1、2項に係る訴えの適法性−発明者名誉権に基づく差止請求権は 認められるか)について (1) 発明者は、発明完成と同時に、特許を受ける権利を取得するとともに、人格権 としての発明者名誉権を取得するものと解される。この発明者名誉権は、特許法には明 文の規定はないが、パリ条約4条の3は「発明者は、特許証に発明者として記載される 権利を有する。」と規定しており、「特許に関し条約に別段の定があるときは、その規 定による。」とする特許法26条によれば、発明者掲載権に関するパリ条約4条の3の 規定が我が国において直接に適用されることになる。また、特許法においても、@特許 権の設定の登録があったときに、特許庁長官が特許権者に特許証を交付することを定め た特許法28条1項、及び特許証には発明者の氏名を記載しなければならないと定めた 同法施行規則66条4項、A特許を受けようとする者が特許出願に際して提出する願書 に発明者の氏名及び住所又は居所を記載することとした同法36条1項2号、B発明者 の氏名を出願公開の特許公報の掲載事項とした同法64条2項3号、C発明者の氏名を 特許公報の掲載事項とした特許法66条3項3号の各規定が置かれ、これらは、発明者 が発明者名誉権(発明者掲載権)を有することを前提とし、これを具体化した規定であ ると理解できる。  そして、人格権たる発明者名誉権(発明者掲載権)は、上記のとおり、発明者の名誉 を保護するものであって、名誉は生命、身体とともに極めて重大な保護法益であること からすると、物権の場合と同様に排他性を有する権利であると解される。したがって、 発明者名誉権が侵害された場合には、真の発明者は、侵害者に対し、人格権たる発明者 名誉権に基づいて侵害の差止めを求めることができるものと解すべきである。しかると ころ、真実は当該発明の発明者でありながら、出願人が特許出願の願書に発明者として その氏名を記載しなかったために、特許公報や特許証にその氏名が記載されない場合に は、真の発明者の発明者名誉権は侵害されたことになる。  ところで、上記のとおり、特許出願の願書には発明者の氏名及び住所又は居所を記載 しなければならないが、その記載が誤っていた場合には、出願人は、出願手続が特許庁 に係属している間は、補正により是正することができる(特許法17条)。したがって、 本件発明の特許出願手続のように、いまだ登録にならず、出願手続が特許庁に係属中の ものについては、願書に発明者として真実の発明者の氏名が記載されなかったことによ り、発明者名誉権を侵害された場合に、その侵害行為の差止めを実現するためには、出 願人に対し、願書の発明者の記載を真実の発明者に訂正する補正手続を行うように求め ることが、適切であるといえる。また、そのように解したとしても、出願人に対して、 不当にその権利を害するということもない。  本件訴訟において、原告は、本件発明の発明者であると主張して、出願人である被告 三徳に対し、発明者を原告に訂正する旨の手続の補正を求めるものであるが、この請求 は、被告三徳のした出願行為が、願書に原告を発明者として記載しないことにより原告 の発明者名誉権が侵害されたものとして、その妨害排除を求めるとともに、将来本件発 明につき特許権の設定登録がされた場合に発行される特許公報及び特許証に原告が発明 者として記載されないことにより原告の発明者名誉権が侵害されることを予防するため、 侵害者である出願人に対し請求するものと解される。  被告らは、請求第1、2項は、権利義務に何ら関わりのない事実上の主張を定立して いるにすぎないと主張するが、上記のとおり、発明者名誉権の侵害に基づく法的な権利 主張をしているものというべきであり、原告が本件発明の真実の発明者であるとすれば、 被告三徳に対し、人格権たる発明者名誉権に基づき請求第1項の請求をなし得るものと いうべきであるから、原告の被告三徳に対する請求第1項の請求に係る訴えは適法であ る。  なお、著作権法においては、著作者人格権等を侵害する者又は侵害するおそれがある 者に対し、その侵害の停止又は予防を請求することができる旨規定する(著作権法11 2条1項)が、これは、著作者人格権が物権的な権利であることから、その権利の性質 上当然に差止請求が認められることを前提に、これを確認したものというべきであり、 特許法等において、発明者名誉権に基づいて発明者を自己の氏名に訂正することができ る旨を規定した条項がないとしても、そのことから直ちに、発明者名誉権に基づいて具 体的請求権が生じないとすることはできない。 (2) 次に、原告の被告Bに対する請求第2項の請求についてみるに、原告は、本件 発明の発明者が原告であることの確認を求めているが、上記に述べたところからすれば、 この請求は、その実質において、原告が本件発明についての発明者名誉権を有すること の確認を求める趣旨と解される。そして、発明者名誉権は人格権として法的に保護され る権利であるところ、被告Bは自らが本件発明の発明者であると主張して、原告に発明 者名誉権があることを争っているのであるから、確認の利益があるものというべきであ る。  また、甲11によれば、出願人が願書の従前の発明者Aの氏名を削除し、発明者Bに 補正する場合には、従前の発明者Aの作成に係る「発明者Bが真の発明者であり、発明 者Aは発明者ではない」旨を記載した宣誓書を特許庁に提出する扱いになっていること が認められる。これは、当該補正により従前の発明者Aの発明者名誉権(発明者掲載権) を侵害する恐れがあるため、当該補正手続をするに当たり従前の発明者Aの承諾を求め た趣旨と解される。この観点から見ても、原告が被告三徳に対し本件発明の発明者を原 告に訂正する旨の補正手続を求めるに当たって、同出願手続上発明者とされている被告 Bに対し、原告が発明者であることの確認を得る必要があるというべきである。  したがって、請求第2項の、原告と被告Bとの間において、原告が本件発明の発明者 であることの確認を求める請求に係る訴えについても、訴えの利益が存し適法な訴えで あるというべきである。 2 争点(2)(本件発明の発明者)について (1) 本件発明の発明者を検討する前提として、本件発明の技術的特徴について検討 する。 《中 略》 (2) 本件発明の完成に至る経過について、証拠《略》及び弁論の全趣旨によれば次 の事実が認められる。 《中 略》 (6) 以上によれば、原告は本件発明の発明者であり、人格権たる発明者名誉権(発 明者掲載権)を有するものというべきであるところ、本件発明の特許出願の願書に発明 者が被告Bである旨記載されていることにより原告の発明者名誉権が侵害されているも のというべきであるから、原告が、人格権たる発明者名誉権に基づく妨害排除請求とし て、被告三徳に対し本件発明の特許出願の願書に記載された発明者が原告である旨の補 正手続を求める請求、及び被告Bに対し原告が本件発明の発明者であることの確認を求 める請求は、いずれも理由がある。なお、原告の発明者名誉権に基づく請求を認容する ので、選択的請求に関する争点(3)については判断する必要をみない(付言すると、争点 (3)に係る名誉毀損による名誉回復処分を求める請求に関する主張は、本件訴訟の経過に 照らして、その提出が時機に後れたものとはいえない。)。 3 争点(4)ア(本件特許を受ける権利の譲渡契約の成否及びその対価の額)について 《中 略》 (2) 前記認定事実によれば、原告は、平成7年8月に、C社長から本件発明を特許 出願すべきであると言われ、本件発明の特許出願のために報告書をまとめて、同年12 月8日にC社長に提出し、本件発明の内容等を説明したものであり、その際、C社長か ら、本件発明の工業化を実現することは被告三徳ないし日徳にとって非常に高い価値が あることや、原告に対しその実績に応じて相応の処遇を考えたいなどを言われており、 その後被告三徳において本件発明の特許出願に至ったものであるから、平成7年12月 8日ころまでに、原告は、C社長が代表者を務める被告三徳が本件発明を特許出願する ことについて了解していたものと認められる。  したがって、原告は、C社長との間で、原告の有する本件発明についての特許を受け る権利を被告三徳に譲渡することを承諾したものであるが、前記の事実経過からすれば、 この譲渡に関して対価の合意が両者の間で成立するに至ったとは認められない。この点 につき、原告は、平成7年12月8日に本件特許を受ける権利を500万円から300 0万円の範囲の対価で譲渡する契約が成立したと主張し、甲7及び原告本人尋問の結果 中には同主張に沿う陳述部分がある。しかし、C社長がそのような対価を支払う旨言明 したことについては、的確な裏付けがなく、甲7及び原告本人尋問の結果中の上記陳述 部分を採用することはできない。そのほかに、原告と被告三徳との間で平成7年12月 8日に本件特許を受ける権利を500万円から3000万円の範囲の対価で譲渡する契 約が成立したとの事実を認めるに足りる証拠はない。 (3) よって、本件発明の特許を受ける権利の譲渡契約による対価の合意に基づく原 告の請求は理由がない。 4 争点(4)イ(請負契約(業務委託契約)の成否及びその報酬の額)について (1) 原告は、平成7年12月8日にC社長から日徳工業において本件発明の工業化 を実現するという業務の委託を受け、工業化が実現した暁には、その実績に応じて50 0万円から3000万円の報酬を支払うとの申入れを受けたと主張する。  このうち、原告がC社長から日徳工業において本件発明の工業化を実現して欲しいと いう依頼を受けた事実(なお、その時期は、平成7年8月の時点である。)が認められ ることは、前記3(1)記載のとおりである。 (2) しかし、C社長と原告との間で、工業化が実現した暁には、その実績に応じて 500万円から3000万円の報酬を支払うとの合意が成立したとする原告の主張に関 し、原告は、原告本人尋問において、C社長の発言について、本件発明を工業化するこ とによって日徳工業がどのくらいの利益を得ることができるかを見定めてから、その対 価の金額を決めるということであると判断したと述べるものであって、この陳述部分か らしても、500万円から3000万円の範囲の報酬を支払うとの合意を認めるには足 りない。  そもそも、原告は日徳工業の取締役ないし技術顧問であって、日徳工業の業務の一環 として原告が行った本件発明の工業化に関して、被告三徳が有償の請負契約ないし業務 委託契約をするということ自体不自然であるといわざるを得ない。  したがって、原告本人尋問の結果によっても、C社長が、日徳工業の40%株主であ る被告三徳の代表者として、原告に対し、その実績に応じて相応の処遇を考えたいとい う趣旨の発言をした事実は認められるものの、それを超えて、工業化が実現した暁には、 その実績に応じて500万円から3000万円の報酬を支払うとの合意が成立したとの 原告主張の事実を認めることはできず、その他、同事実を認めるに足りる証拠はない。 (3) よって、請負契約(業務委託契約)に基づく原告の請求は理由がない。 5 争点(5)(特許法35条3項の類推適用による対価請求の可否及びその対価の額)に ついて (1) 原告は、予備的に、特許法35条3項の類推適用により、本件発明につき特許 を受ける権利を被告三徳に譲渡した対価の支払を請求できる旨主張する。  前記認定事実によれば、原告は、本件発明の発明者として本件発明につき特許を受け る権利を取得したところ、被告三徳の代表取締役であるC社長に対し、この特許を受け る権利を被告三徳に譲渡することを承諾したものである。  特許法35条3項は、「従業者等は、契約、勤務規則その他の定により、職務発明に ついて使用者等に特許を受ける権利若しくは特許権を承継させ……たときは、相当の対 価の支払を受ける権利を有する。」と定めるところ、前記第2の1の争いのない事実等 及び第4の2(2)認定の事実によれば、原告は、本件発明の完成当時、日徳工業の取締役 として、技術生産管理部門を担当していたものであるから、原告と日徳工業との間には 同項にいう「従業者」と「使用者」の関係があったものということができ、また、本件 発明が日徳工業の業務範囲に属し、かつ、本件発明をするに至った行為が日徳工業にお ける原告の職務に属するものであったことも明らかであるから、本件発明は、日徳工業 との関係で職務発明(同法35条1項)に当たることが明らかである。しかしながら、 本件発明をした当時、原告は被告三徳の従業員、役員等の地位にはなかったから、原告 と被告三徳との間には、直接には、従業者と使用者の関係があったとはいえない。  そこで、さらに進んで、原告と被告三徳との関係が、特許法35条3項の類推適用を 可能とするような、従業者と使用者の関係に準じて考えることができるものといえるか どうかを検討する。 (2) 日徳工業は、被告三徳と日新化成の共同出資で設立された会社で、出資比率は 被告三徳が40%である(前記第2の1(2)イ)から、被告三徳は日徳工業の商法上の親 会社ではない(商法211条ノ2)が、業務である希土類金属の回収に関しては、もっ ぱら被告三徳から有償若しくは無償で技術・ノウハウの提供を受けており、日徳工業が 同技術・ノウハウを使用した「レアアース(希土類)化合物」の製造に関しては、すべ ての技術責任を被告三徳が負うこととされ、原告や被告Bのように、被告三徳の出身者 が日徳工業に出向・転籍等をして技術顧問的な役割も果たしてきたのに対し、日新化成 は、日徳工業が必要とする土地及び建物を有償で貸与する関係にはあるが、「レアアー ス(希土類)化合物」に関する技術・ノウハウには関与しておらず、日徳工業における 希土類金属回収事業については、被告三徳が専ら技術・ノウハウを管理する関係にあり (甲10、乙9、弁論の全趣旨)、本件発明完成の前提となる技術・ノウハウにも被告 三徳の提供によるものが含まれていたと推認される。そして、日徳工業は、被告三徳か ら専属的に希土類合金のスラッジの提供を受け、回収した希土類金属を被告三徳に対し て納入するのであるから、日徳工業における経費削減の利益は直接に被告三徳に反映し、 実質的にはその経済的利益が被告三徳に帰属することになると評価できる。さらに、原 告は、平成6年3月までは被告三徳に勤務し(平成3年4月からは日徳工業の取締役も 兼務)、本件発明につながる、焼成工程を経ない方法による生スラッジ方式の工業化に 取り組み出した平成5年当時は、被告三徳にも在籍していたものであり、平成7年8月 ころ本件発明の実験室レベルでの完成を確認したときに、これをまず日徳工業ではなく 被告三徳のC社長に報告しているのである。  これらの事実を総合すると、被告三徳と日徳工業とは、希土類金属の回収業務におい ては、技術的、経済的に一体的な関係にあり、また、日徳工業における希土類回収の業 務に関し被告三徳が実質的に指揮監督を及ぼす関係にあるものということができる。 (3) 特許法35条は、企業等の従業者等がした発明のうちで一定の範囲のものを職 務発明とし、使用者等が当然に法定の通常実施権を有するものとするとともに、職務発 明については、特許を受ける権利又は特許権の使用者等への譲渡や専用実施権の設定を あらかじめ定めておくことができるものとし(職務発明以外の発明についてのそのよう な定めは無効である。)、かつ、譲渡や設定があった場合には、従業者等に相当の対価 の支払を受ける権利を認めることとしたものであるが、同条の趣旨は、発明という創作 活動をした従業者等と、発明の完成まで人的・物的援助を行った使用者等の双方に発明 への意欲を刺激し、ひいては産業の発達を図ると同時に、従業者等のした発明から生ず る権利関係の帰属を当事者間の力関係に委ねることにより使用者等に一方的に有利な結 果が生じることになるような事態を避けることで労働者保護も図り、双方の実質的な衡 平を目指したものと解される。  このような特許法35条の趣旨に照らして前記事実関係をみると、原告は、昭和37 年4月から平成6年3月まで被告三徳の従業員として一貫して技術生産管理の分野を担 当し、前記在籍期間中の平成5年ころから、本件発明の実験を開始し、平成6年4月か らは、当該発明の技術分野においては、技術的にも経済的にも被告三徳と一体の関係に ある日徳工業の従業者であったものであることに加え、被告三徳と日徳工業の間では、 日徳工業の技術・ノウハウは、すべて被告三徳が管理し、日徳工業における希土類回収 の業務に関し被告三徳が実質的に指揮監督を及ぼす関係にあるという体制が採られてお り、スラッジからの希土類金属の回収業務については、両者が技術的にも経済的にも一 体的な関係にあることから、原告は、本件発明が実験室レベルで完成したとき、これを 被告三徳のC社長に報告し、是非特許出願すべきであるという同社長の進言を受け容れ て、日徳工業と被告三徳のどちらが出願人になるかを不明確にしたまま被告三徳の特許 室による特許出願に協力したものであり、その後、被告三徳に本件発明の特許を受ける 権利を承継させたことの対価を請求したところ、これを拒絶されたものである。前記の とおり、従業者のした発明から生ずる権利関係の帰属を当事者間の力関係に委ねること により使用者に一方的に有利な結果が生じることになるような事態を避けることで労働 者保護も図るという特許法35条の立法趣旨からすれば、このような場合にも、発明者 である従業者の保護の必要性があることは、同条が適用される場面と異なるところはな いというべきである。技術的にも経済的にも一体の関係にある日徳工業と被告三徳のど ちらが出願人になるかによって、本件発明に関する権利承継の対価を受ける権利の帰趨 に差が出るとすれば、それは原告にとって予期せぬ不利益を被らせることになる。原告 と被告三徳との間に直接には「従業者等」と「使用者等」の関係がなかったからといっ て、本件発明の特許を受ける権利の承継を当事者双方の契約関係のみによって規律すべ きであると解するのは、上記のような事実関係に照らして相当ではない(仮に契約関係 のみで規律すべきであるとすれば、原告と被告三徳との間では、特許を受ける権利を譲 渡することの合意はあるが、その対価の合意の成立には至っていないから、原告は対価 の請求をできないと解するか、又は、契約の重要な要素についての合意が成立していな い以上、譲渡契約そのものが成立に至っていないとみることになる。後者の場合には、 被告三徳による本件発明の特許出願がいわゆる冒認出願ということになるから、拒絶事 由に該当し(特許法49条6号)、特許になった後も無効理由がある(同法123条1 項6号)ことになる。)。  したがって、本件発明は、日徳工業における原告の職務に基づく発明であると同時に、 被告三徳との関係においてもその職務に基づく発明と同視できるものであり、原告は、 C社長との合意により、被告三徳に本件特許を受ける権利を承継させたのであるから、 前記のように、その対価の額につき合意が成立していなくとも、特許法35条3項の類 推適用により、被告三徳から相当の対価の支払を受ける権利を有するものと解するのが 相当である。 (4) そこで、相当の対価の額について検討する。  ア 特許法35条4項は、「前項の対価の額は、その発明により使用者等が受けるべ き利益の額及びその発明がされるについて使用者等が貢献した程度を考慮して定めなけ ればならない。」と規定している。  従業者による職務発明の場合、使用者は当該発明について無償の通常実施権を当然 に有するのであるから(同条1項)、「その発明により使用者等が受けるべき利益の額」 (同条4項)は、特許権や専用実施権の価値から使用者が当然に有している法定通常実 施権の価値を差し引いた額を意味すると解される。したがって、その額の算定に当たっ ては、特許権の譲渡等を受けることにより、職務発明について単に通常実施権を取得す るにとどまることを超えて、その実施を排他的に独占し得る地位を取得したことにより 使用者が初めて受けることになると見込まれる利益(すなわち、一般的には、使用者が 他に有償で実施させたとすれば得られるであろう実施料の額がこれに相当すると考えら れる。)を基にすべきである。  この点について、原告は、本件発明が日徳工業で実施され、それにより被告三徳が 日徳工業に支払うべき処理加工賃が減少したことに伴う利益額を基準に、相当な対価を 算出すべきであると主張するが、上記の理由から原告の主張は採用できない。  イ そこで、上記の観点から、本件発明により「使用者等が受けるべき利益の額」に ついて検討する。   (ア) 本件発明の意義・有用性  本件発明の技術的特徴は前記2(1)で認定したとおりであり、希土類回収の技術分野に おいて、従来技術である乙2発明のように塩酸を使用するのではなく、硝酸を使用した こと、硝酸を使用する場合の問題点であったNOガスが発生しないようなpH値や温度の 設定範囲を見い出し、かつ、硝酸の使用量を減らした点にあり、工業的にみれば、広い 設置場所と多額の設備投資を要する焼成炉が必要なスラッジ焼成工程を不要とし、生ス ラッジの処理量の大幅な増加をもたらした(前記2(2)認定の事実、甲7、原告本人)も のである。   (イ) 本件発明の実施状況  前記のとおり、本件発明については、日徳工業の関係でも職務発明であるから、日徳 工業は、特許法35条1項により、本件発明が特許されたときには無償の通常実施権を 有するとともに、特許付与前においても通常実施権に準じた無償の実施権を有するもの と解される。  しかるところ、乙9によれば、希土類金属の回収業務は、日本国内において日徳工業 のみが行っていることが認められ、現時点において、被告三徳が、第三者に対し、本件 発明を実施させたり、本件発明の特許を受ける権利や登録後の特許権を譲渡したりする 可能性が具体的に存することを裏付ける証拠はない。ただし、住友金属鉱山が希土類金 属の回収に関する特許を出願しているように(乙1発明、乙2発明)、被告三徳及び日 徳工業以外にも希土類金属の回収業務について技術開発をしている会社があることから しても、潜在的には実施能力を有する企業がないわけではなく、将来、他社がこの業界 に参入する可能性が全くないとはいえないから、本件発明は、被告三徳及び日徳工業に よる同業務の独占的な状態を将来にわたって維持することについて、一定の機能を果た していると考えられる(仮に原告が本件発明の特許を受ける権利を被告三徳に承継させ ることなく、自ら出願して特許の付与を受けるに至った場合を想定すると、本件発明を 他社に実施させる可能性が出てくる。)。  前記のとおり、日徳工業は本件発明を実施しているが、被告三徳は、自らは本件発明 の実施をしておらず、磁石の粉末(スラッジ)を日徳工業に供給し、日徳工業が本件発 明を実施してその処理を行い、回収した希土類の納入を受けるという関係にあり、本件 発明が日徳工業によって使用されることにより、生スラッジの処理量が増加し、ひいて は被告三徳に供給される希土類の量も増加するということになる。   (ウ) 被告三徳が希土類回収により得た利益等  証拠(甲3、7、原告本人)及び弁論の全趣旨によれば、日徳工業においては、前記 のとおり、原告による本件発明の完成後、被告三徳のC社長の意向を受けて、本件発明 の工業化に取り組み、平成8年7月ころから、スラッジの処理方法を従来の焼成工程を 経る方法から徐々に焼成工程を経ない本件発明による方法に変えていったこと、その結 果、日徳における生スラッジの処理量は飛躍的に増加し、平成7年7月から平成8年6 月までの処理量は679トンであったのが、平成8年7月から平成9年6月までは11 27トン、平成9年7月から平成10年6月までは1727トン、平成10年7月から 平成11年3月まで(9か月分)は1628トン(この期間中に、焼成工程を経る方法 による処理はされなくなった。)、平成11年4月から平成12年3月までは2379 トンであったこと、このような生スラッジ処理量の増加に伴い、加工賃収入が増加し、 平成9年7月から平成10年1月までの間の月平均加工賃収入は約3464万円であっ たが、平成10年2月から同年6月までの月平均加工賃収入は約4419万円となり、 経常利益の大幅増をもたらしたこと、一方、被告三徳においても、日徳工業での生スラ ッジ処理量の増加によって希土類回収量が増加し(平成8年7月から平成9年6月まで の期間の回収量は約191.6トンであったが、その後増加していき、平成11年4月 から平成12年3月までの期間の回収量は約370トンになっている。)、被告三徳か ら日徳工業へ支払われる処理加工賃単価は、処理量の大幅増によって減額されていき (平成8年7月から平成9年6月までの期間では希土酸化物1s当たり1770円であ ったが、平成11年4月から平成12年3月までは同1400円となっている。なお、 同期間の年間加工賃総額は約5億1800万円となる。)、被告三徳においても利益を 得るともに、被告三徳では、取引先の磁石メーカーに対して、従来より大量のスラッジ を引き取ることが可能となったことにより、磁石素材の注文増につながるという営業上 のメリットもあったことが認められる。   (エ) 本件発明の登録可能性等  本件発明は、既に平成9年8月19日に出願公開されているが、いまだ登録になって いない。弁論の全趣旨によれば、被告三徳は、現在まで審査請求を行っていないものと 認められるが、これは、前記のように希土類回収事業を日徳工業が独占的に行っており、 被告三徳において他の企業にライセンスする予定もないことから、特に現時点で特許を 取得することに格別のメリットを有していないと判断していることによるものと推察さ れる(もっとも、このように、本件発明の特許出願をいわば防衛的な手段として利用す る形での対応を被告三徳が選択できるのも、被告三徳が原告から特許を受ける権利を承 継して、出願人となっていることによるという面がある。)。一方、本件発明の出願前 の公知技術としては、本件公開公報にも記載されたものがあるが、特に本件発明に近接 した技術と考えられる住友金属鉱山の乙2発明との関係では、pHの範囲が異なっており、 本件に現れた証拠からは拒絶理由が存在することが明白とはいえないが、他方で審査請 求された場合に、新規性及び進歩性が認められて確実に特許されるとも断じがたい。   (オ) その他の事情  被告三徳においては、平成7年4月に定められた「職務発明出願と報償金制度につい て」の定めがあるが、これによれば、職務発明については特許を受ける権利を会社へ譲 渡するものとし、発明1件につき発明奨励金を3000円以上、特許出願した場合はこ れに加えて1件1万円の出願補償金を支払うものとされている(乙15)。なお、日徳 工業には職務発明に関する規定は置かれていない(弁論の全趣旨)。原告は、平成9年 7月で日徳工業の取締役を退任した後、同年8月から平成11年3月末まで日徳工業の 技術顧問の地位にあり、その間は年収600万円を得ていた。  以上の事実に基づいて、本件発明により「使用者等が受けるべき利益の額」を検討 するに、本件発明は生スラッジ処理においてその処理量の顕著な増加をもたらし、本件 発明を実施している日徳工業に対しては経常利益の大幅増をもたらすとともに、被告三 徳に対しても、日徳工業に対して支払う処理加工賃単価の減額を得ながら希土類の回収 量の増加をもたらし、取引先にも営業上有利な立場に立てるという点で価値の大きなも のであるといえること、一方で、現時点においては、被告三徳及び日徳工業のみがこの ような業務を行っており、他に競合する業者がいないこと、したがって、現実には本件 発明を第三者に実施許諾する事態が生じる可能性は低いが、潜在的には実施の能力を有 する企業もあると考えられること、本件発明は特許出願され出願公開がされているが、 審査請求がされておらず、特許登録にならないで終わる可能性も相当あること、などの 事情を総合考慮する必要がある。仮に本件発明の実施を日徳工業が行わず、被告三徳に おいて第三者に許諾したと仮定した場合には、当該第三者は、平成11年4月から平成 12年3月までの期間に被告三徳が得られた希土類回収量370トンの少なくとも半分 程度の185トンは得られたものと推定でき、これに対して支払われる同期間の希土類 酸化物1s当たりの処理加工賃1400円を乗じると2億5900万円となる。そして、 本件発明の技術分野、内容、実施業務の内容及び態様等からすれば、これに対する実施 料率は3%とするのが相当であり、特許になった場合の特許権の存続期間である出願か ら20年の半分である10年をもって実施許諾契約の期間として算定すると、実施料の 総額は7770万円となる。  以上の事実を総合勘案し、ことに、本件発明が前記のような価値があるといっても、 職務発明であることにより日徳工業が無償の法定実施権を有しており、日徳工業や被告 三徳が本件発明によって受けた利益は、日徳工業が実施権を有することによってほぼま かなわれているとも考えられることや、本件発明の権利としての不確実性等を考慮する と、前記7770万円のおおよそ20分の1に当たる400万円をもって、「使用者等 が受けるべき利益の額」とするのが相当である。  ウ 次に、本件発明について「使用者等が貢献した程度」を検討するに、前記認定事 実によれば、本件発明の着想及び発明がほぼ完成するまでの実験・考察等はもっぱら原 告が独自にしたものであるが、一方、原告は、日徳工業において一貫して技術生産管理 の分野を担当し、取締役・工場長の地位にあったもので、本件発明は、原告の職責上担 当していた技術分野に属するものであること、原告は日徳工業の実験設備を用いて実験 するなどして本件発明の完成に至っていること、本件発明の特許出願に当たっては、被 告Bが先行技術である乙2発明等との関係を考慮して明細書を作成していることなどを 考慮すると、本件発明がされるについて「使用者等が貢献した程度」は50%とみるの が相当である。  エ 前記のとおり、被告三徳には職務発明に関する規定が存するが、その内容は、本 件発明の特許を受ける権利の譲渡の対価として相当なものとはいえない。また、原告が 日徳工業の取締役を退任した後も技術顧問として年間600万円の報酬を受けていたこ とについても、原告が本件発明をしたことの対価としての性質を有していたとは認めら れないから、相当な対価を算定するに当たって考慮すべき事情には当たらない。  オ そうすると、原告が被告三徳から支払を受ける対価の相当額は、200万円〔4 00万円×(1−0.5)〕となる。 (4) 以上によれば、原告の請求第3項については、被告三徳に対し、金200万円 及びこれに対する訴状送達の日の翌日である平成11年12月11日から支払済みまで 民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由がある(なお、原 告は年6分の割合による遅延損害金を請求するが、特許法35条3項の職務発明の対価 請求権は商行為によって生じたもの(商法514条)とはいえない。)。 6 よって、主文のとおり判決する。 大阪地方裁判所第21民事部 裁判長裁判官 小松 一雄    裁判官 阿多 麻子    裁判官 前田 郁勝 (別紙) 発 明 目 録  発明の名称 希土類−鉄系合金からの有用元素の回収方法  出 願 日 平成8年2月13日  出願番号 特願平8−25553号  公 開 日 平成9年8月19日  公開番号 特開平9−217132号