・横浜地小田原支判平成14年8月27日判時1824号119頁  「すてイヌシェパードの涙」事件  本件は、被告甲野太郎が著作し、被告秦野市が頒布した小学校中・高学年向けの書籍 『百合子おばさんの捨て犬救出大作戦』(秦野市教育委員会生涯学習課発行)が、原告 (角谷智恵子)が著作した書籍『すてイヌシェパードの涙』(ポプラ社刊)(自宅付近の 山中に捨てられていたシェパードを助け出したという体験を元に書かれた子供向けの読み 物)の翻案権を侵害するものであるとして、原告が、不法行為に基づき、被告らに対しロ イヤルティー相当額の損害賠償を、被告甲野に対して慰謝料を、それぞれ請求する事案で ある。  判決は、「……本件記事には全く出てこない、あるいは本件記事から直ちには導かれな いはずの多くの点において、ストーリー展開、登場人物や場面の設定、描写方法等が一致 している。そして、これらの具体的場面は、いずれも、原告著作物の中心部分あるいは個 性を形成するものであり、原告の創意工夫が現れた表現上の特徴といえる箇所である。… …被告著作物に接する者は原告著作物の表現上の本質的な特徴を直接感得することができ ると認められる」として、原告の請求を認容した。 ■争 点 (1)被告著作物は原告著作物の翻案権を侵害するか。 (2)損害の発生及び額 ■判決文 第三 当裁判所の判断 一 争点(1)(被告著作物は原告著作物の翻案権を侵害するか。)について (1)言語の著作物の翻案とは、既存の著作物に依拠し、かつ、その表現上の本質的な特 徴の同一性を維持しつつ、具体的表現に修正、増減、変更等を加えて、新たに思想又は感 情を創作的に表現することにより、これに接する者が既存の著作物の表現上の本質的な特 徴を直接感得することのできる別の著作物を創作する行為をいう。事実に基づいた著作物 においても、実際に起こった多くの事実の中からどれを取上げ、各事実にどの程度の比重 をおいて、どのくらいの分量で、どのような順序で、どう表現するかについては著作者の 創意工夫がされるものであるから、そこに当該作品の表現上の特徴が現れ、著作権法の保 護が及んでくるというべきである。  そして、表現上の本質的な特徴を直接感得することができるかについては、既存の著作 物と問題となっている著作物との間の、ストーリー展開、登場人物や場面の設定、描写方 法等の類似性の程度、類似性を有する部分の分量等を総合勘案して判断するのが相当であ る。 (2)以上を前提に、まず、被告著作物が原告著作物の表現上の本質的な特徴を直接感得 できるものかについて、両著作物のあらすじを比較しながら検討する。 ア 甲1によれば、原告著作物のうち原告が犬を救出して下山するところまでを描いた部 分(八八頁まで)のあらすじは、次のようなものである。 「ひとりっきりの救出作戦」 (悲しいなき声)  昭和六一年一〇月一六日の朝、自宅のドアを開け外に出た原告は、すさまじい犬の鳴き 声を聞く。原告は、誰かが犬をいじめているに違いないと思い、声のする玄岳のふもとま で行くが、鳴き声がこだまして数か所から聞こえてくるため、どうすることもできず引き 返す。午後になって、飼い犬二匹の散歩がてら再び玄岳へ向かうが、玄岳の前まで行くと 鳴き声は止んでしまい、二匹の犬も反応を示さない。原告は再び家に戻るも、犬の鳴き声 が気がかりで食事ものどを通らないため、知り合いに電話して相談したところ、罠に野良 犬がかかっているのかもしれないと言われる。原告は、とにかく犬の身の上に何かが起き ているに違いないと確信する。 (自分でやるしか……)  翌日になっても、やはり犬の鳴き声は聞こえてくる。一晩中眠れなかった原告は、飼い 犬の散歩がてら玄岳の方まで行くが、やはり近くまで行くと鳴き声が止んでしまう。帰宅 した原告は、女友達の佐伯さんに相談し、玄岳の前まで一緒に行ってもらう。犬の鳴き声 は、前日までの高い鳴き声から低いうめき声に変化していた。佐伯さんから玄岳に登って 欲しいと頼まれた原告は、そうしてみようと思い、夫に一緒に登って欲しいと頼むが、す げなく断られてしまう。そこで、自分一人でやるしかないと決心し、準備を整え、翌日の 早朝、車で玄岳のふもとへ向かった。 (「ママ、たすけて!」)  八時ころ、原告は登山を始める。山中は険しく、寒く、気味が悪いが、「ママ、助けて」 と聞こえる犬の鳴き声に、原告は歩を進める。しかし、近くまで行くと、やはり鳴き声は 止んでしまう。また、崩れそうな大岩でできた傾斜のきつい沢を、犬の鳴き声も聞こえな いまま、たった一人で、不安定な足下に苦労しながら登らねばならず、原告は悲しくなっ てくる。 (「アカンカッタ」)  原告は、気味の悪い山中を、孤独と絶望感にさいなまれつつ泣きながら進むが、犬は見 つからない。反対した夫の顔がちらつきながらも、佐伯さんの言葉を思い出して登るが、 五〇〇メートルほど登ったところで、疲れ切って岩に座り込んでしまう。時計を見ると、 既に昼近くになっていた。原告は、今度は林を登り始めるが、やはり犬の気配はない。そ のうち木々に囲まれ暗くなってきたため、原告はあきらめて下山し、車に戻るが、そのと たん犬が鳴き始め、悔しい思いをする。帰宅後、佐伯さんにだめだったと報告し、翌日の 救出作戦を立てて床につくが、鳴き声が気になって眠れない。原告は、以前飼っていた犬 の位牌に向かって救出できるよう祈る。 「ひとりじゃない、いつもだれかが」 (ぶきみな樹海)  夜明けを待って、原告は、前日と同じように玄岳に行き、沢へと向かう。滑るヒノキ林 を気味の悪さをこらえながら登っていくと前日とは別の沢に、さらに登ると不気味な樹海 に出る。原告は、歌を歌ったり口笛を吹いたりして心細さを紛らわしながらさらに進むが、 身震いする気持ちが続くため下山することにする。 (ひとりではあぶない)  二日間の孤独な登山にもかかわらず成果がないため、原告はもうあきらめようと自分に 言い聞かせ、車へ戻る。しかし、そこで近所に住む知らない男性から一緒に登るとの申し 出を受けたため、再び登山をする。帰宅後、知り合いの獣医に電話をしてアドバイスを求 めると、猟犬を連れて登る方法を提案され、猟犬を持つ知り合いに交渉してくれるとのこ とだったため、原告はその返事を待つことにする。 (「猟犬をみつけて!」)  翌朝、原告は同じように玄岳に登るが、猟犬についての返事を聞くために午前中に帰宅 する。結局猟犬は見つからないという返事だったが、原告は、別荘地の管理センターに電 話して、溝田さんに、猟犬を持つ人を知らないか尋ねてみる。さらに、事情を説明するた め管理センターの杉原さん、鈴木さん、榎本さんに来てもらい、一時間ほど一緒に玄岳を 探してもらうが、やはり犬は見つからない。三人はセンターに戻り、入れ替わりに今度は 溝田さんが日吉さんと一緒にやってくる。溝田さんに事情を話したところ、知り合い二人 にあたってみるという返事だったため、原告は、溝田さんの退社後一緒に訪ねるも、一人 目には断られ、二人目の家に向かう。 (午後ではおそすぎる)  二人目の家で事情を話すと、翌日の午後でよければ犬を貸すと言われ、原告はほっとし て家に戻る。夜空は美しいが、原告は疲れ、気持ちは沈んでおり、かすかに聞こえてくる 犬のうめき声が断末魔のように聞こえ、原告は泣いてしまう。天気予報を聞くと、明後日 は朝から雨だと言っている。原告は、どうしても明日中に見つけなければ犬が凍え死んで しまうので、午後までは待てないと思っていたとき、六郷さんのことが頭に浮かぶ。 (才蔵がいた)  原告は、六郷さんに電話して、猟犬を飼っている人を知らないか尋ね、事情を話す。六 郷さんは、猟犬代わりになるからと言って、自分の飼い犬である才蔵を使うよう勧める。 原告も、六郷さんの提案を名案だと思い、六郷さんの、翌朝に才蔵と清四郎の二匹の飼い 犬を連れて車で迎えに行くとの言葉に、重苦しい気持ちが吹っ切れ、体中が熱くなる思い がする。 「ついに発見!」 (最後のチャンス)  原告は、とぎれとぎれに聞こえる苦しそうな犬の鳴き声に眠ることができず、疲れ切っ ていたが、一〇月二一日の朝、迎えに来た六郷さんと二匹の犬と共に、張り切って玄岳に 向かう。玄岳のふもとに着くと、やはり鳴き声は止んでしまったが、車をバックさせてい なくなった振りをしたところ、鳴き声が聞こえたため、原告は、才蔵に、鳴き声の主を助 けるよう言い聞かせる。続いて来てくれた溝田さん、鈴木さん、二匹の犬と一緒に、原告 は沢のところまで行く。途中まで沢を登ったところで、溝田さんが急に、スカイラインの 方から下りてくる方法を提案し、原告たちはこの新たな方法を試してみることにする。 (「才蔵はなして!」)  原告たちはクマザサや樹海の中を、かき分けるようにして下っていった。天気が心配な 原告は、どのようなルートを取るかについて悩み、三方向に分かれることにするが、とり あえず右方向に賭けてみることにし、そちら側に頼みの才蔵と鈴木さんに行ってもらうこ とにする。突然、原告の頭を予感が走り、原告は鈴木さんに才蔵を放してもらう。 (「でかいぞ、でっかい!」)  間もなく、威勢のいい才蔵のほえ声と、もう一つのうなり声が山中にこだまする。原告 たちが、才蔵の声がする方に駆け上がると、才蔵が大きな犬の周りをほえながら回ってい る。原告は、怒りと恐怖の形相で暴れる犬に向かって飛び込んでいき、犬の顔を殴った上、 落ち着かせようと声をかけながら抱きしめてやる。犬は短い鎖と苦しまぎれに掘った穴の ために宙づり状態だった。鈴木さんが、犬の鎖を苦労して外してやった。 (涙の合唱)  原告は、才蔵にお礼を言いながら、犬を抱えて少し平らな場所に移動する。ドッグフー ドを与えたところ、犬はあっという間にたいらげ、水を与えると、顔中水だらけにしなが ら水を飲んだ。原告は、犬の顔を拭いてやるが、拭いてもすぐに濡れてしまう。よく見る と、犬は涙を流していた。原告は胸が張り裂けそうになり、犬を抱きしめながら泣いてし まう。それを見ていた二人ももらい泣きをし、涙の合唱となる。 (富士山のように)  少し休んでから、原告たちは、才蔵を先頭に下山を始める。下山途中、富士山が見えた とき、ふと犬を見ると、犬は足の爪から血を流し、やせこけている。原告は犬の哀れさに 泣きながら、犬に向かってもう一度人間を信じるよう話しかけ、富士号という名前を付け、 抱きしめてやった。富士号は、お礼を言うかのように、原告の顔中をなめ回した。 イ 甲8によれば、被告著作物のあらすじは、次のようなものである。 (一)  百合子おばさんは、女友達の春江さんと一緒に自分の別荘に来ている。到着の翌日、朝 から続けていた庭掃除を終え、花壇に水をまいていると、玄岳の方から悲しげな犬の鳴き 声が聞こえてきた。二匹の犬を飼うほどの犬好きで、鳴き方で犬の気持ちが分かる百合子 おばさんは、犬の鳴き声が身に危険が迫っているときの鳴き方であることから、犬に何か 非常事態が起きているに違いないと思い、また、犬の鳴き声が同じ方向から聞こえてくる ことが気になる。  昼食を取る間も、犬の鳴き声は聞こえてくる。春江さんは、罠に野良犬がかかったか、 飼い犬を立木につないだまま捨てたのではないかと言うが、百合子おばさんは、そんなむ ごい捨て方はできないはずだから、罠にかかったのだと思う。犬が助けを求めていると感 じた百合子おばさんは、翌日の山歩きは玄岳にしようと春江さんに提案し、二人で準備に 取りかかる。百合子おばさんは、救出計画を電話で母親に話すが、母親は誰かがやってく れるからやめておけと百合子おばさんを止める。しかし、百合子おばさんは行ってやらな ければと思う。  その夜、百合子おばさんはなかなか眠れなかった。犬の姿を思い浮かべ、助けてあげよ うと思いながら、百合子おばさんはいつしか眠っていた。 (二)  翌朝、百合子おばさんはいつもより早く目を覚ました。窓を開けると、庭にいる春江さ んから、まだ鳴き声が続いていることを告げられる。二人は身支度をして出発する。鳴き 声の位置から、犬は玄岳の中腹にいるものと考えられた。百合子おばさんは、ハイキング コースの入口まで車で行き、登山を開始した。見込みどおりの場所から犬の鳴き声が聞こ え、二人は元気づけられる。鳴き声はいつしか頭上から聞こえるようになり、遭難現場の 真下に到着したと考えた二人は、休憩を取る。百合子おばさんは、犬を呼ぶ合図の口笛を 鳴らすと、これに答えるように犬の鳴き声が返ってくる。助けが来たことを知らせたこと で、二人には、犬の鳴き声に元気が出てきたように思えた。木や草がうっそうと茂り、暗 く湿った空気がよどむ林の中を、二人は慎重に進んでいった。  大尾根の向こう側から犬の鳴き声が聞こえ、あとわずかで犬の居場所へたどり着けると 考えた二人は、苦戦をしながら大尾根の上にたどり着く。しかし、大尾根の南側は、崩れ そうな大岩でできた深い谷になっていた。百合子おばさんが口笛を吹くと、鳴き声が聞こ えてくるが、谷を突破することはできそうにない。時計を見ると、午後四時を回っていた。 二人は全身から力が抜けてしまい、とりあえずお弁当を食べるが、うす暗くなってきたた めやむなく撤退することにする。あとは、犬の強い生命力を祈るばかりだった。 (三)  三日目の朝、百合子おばさんは、夕方から夜半にかけて大雨との天気予報を聞き、あわ てて飛び起きる。今日中に救出しなければ犬の命が絶望的となると考えた二人は、救出作 戦会議を始める。百合子おばさんは、犬は伊豆スカイラインを車に乗せられてきて捨てら れたのだと思いつき、それに沿ったコース変更を提案すると、春江さんもこれに賛成する。 そのとき、二匹のビーグル犬を連れた別荘管理センターの倉沢さんと野口さんが百合子お ばさん宅を訪れ、手伝いをしたいと申し出る。四人は打ち合わせをし、すぐ出発する。  四人は、玄岳の北の斜面を目指して進む。百合子おばさんと春江さんは筋肉痛で脚が痛 むが、犬を救出したい気持ちに支えられて歩を進める。しかし、標高四〇〇メートルあた りで百合子おばさんは一歩も歩けなくなり、草の上に座り込んでしまう。  百合子おばさんは、横になって口笛を吹くが、鳴き声は返ってこない。心配する百合子 おばさんと春江さんを、倉沢さんが元気づける。  再び出発したところ、ビーグルは捨て犬のにおいを感じ取ったようである。急に濃くな ってきた霧の中から二人の若者が現れたため、犬の鳴き声について尋ねてみるも、良い返 事は返ってこない。百合子おばさんは、手遅れかもしれないと不安になり、前日に救出で きなかったことを悔やむ。そのうち雨が降り始め、ひどい雨に、四人はたまらず雨宿りを する。天候の様子を見ている百合子おばさんの頭の中で、母親の言うとおり誰かに任せれ ばよかったという思いと、行動して良かったという思いが交錯する。  天候は回復しない。明日はきっと良い日になるとの倉沢さんの言葉を信じ、四人は明朝 の捜索に賭けることにして下山する。 (四)  四日目の朝、雨は止み、百合子おばさんと春江さんは、美しい玄岳を見ながら静かな闘 志を燃やす。  二時間後、ビーグルを連れた四人が、明るい山中を登っていると、突然ビーグルが反応 し綱を引く。倉沢さんが綱を外すと、二匹のビーグルは駆け出していき、百合子おばさん たちもその後を追う。尾根の先から、ビーグルの鳴き声に混じって、犬のうなり声が聞こ えてくる。四人が斜面を下っていくと、尾根の先が平地となっていて、シェパードが鎖で つながれており、その周りでビーグルがほえかかっている。鎖の長さは約二五センチメー トルしかなく、身動きができないのに暴れたため、地面が掘れ、シェパードは宙づり状態 だった。首輪でこすれた部分から血が流れている。そんな状況の中でも、シェパードは、 人間に対する怒りを爆発させ、ものすごい形相で暴れている。百合子おばさんは、とっさ に、シェパードに向けて口笛を吹く。すると、シェパードの興奮がおさまり始めた。  シェパードは、百合子おばさんが自分を励ましてくれた人間であることを悟り、鎖をほ どいてもらうと、喜んで百合子おばさんに飛びつき、涙でぐちゃぐちゃの顔をなめ回した。 シェパードの目にも涙が流れており、それを見守る三人も涙を流していた。シェパードは、 水をたくさん飲み、ドッグフードをお腹いっぱい食べ、傷の手当てを受け、安心したよう に眠った。  帰り道、シェパードを連れた百合子おばさんを先頭に歩く四人は、無事救い出せた喜び を語り合い、百合子おばさんは、さらに、協力してくれた人たちがいたことの喜びを感じ る。  木々の間から、くっきりとそびえる富士山が見えている。百合子おばさんは、明日は良 い日になると言った倉沢さんの言葉が本当になったと、幸せな気持ちになった。 ウ 以上のあらすじを基に、両著作物のストーリー展開、登場人物や場面の設定、描写方 法等を比較する。  被告著作物には、原告著作物とは異なり、登山中に二人の若者と遭遇するエピソードが 盛り込まれているほか、救出登山に際して終始女友達が同行する、主人公が口笛を利用し て犬と意思疎通する、捜索中に大雨が降るなどの設定がされている特徴がある。一方で、 原告著作物に存在する、原告が登山前に玄岳のふもとまで何度も様子を見に行く、知らな い男性が一緒に登山をしてくれる、原告が猟犬探しに奔走するなどの場面は盛り込まれて おらず(その結果、犬の悲鳴を聞いてから四日間で救出が終了している。)、近づくと犬 の鳴き声が止んでしまう様子、時の経過に従って犬の鳴き声の声質や間隔が変化していく 様子、原告が頻繁に泣いてしまう様子、犬の顔にかかった水から涙への発展などは描かれ ていない。  しかしながら、両著作物は、以下の多くの点においてストーリー展開等が一致している。 すなわち、主人公が二匹の犬を飼っていること(本件記事には単に「愛犬家」とあるのみ である。)、主人公が「罠に野良犬がかかったのではないか」と言われること、登山口ま で自動車を利用すること(被告著作物には、その理由として「犬を発見できたときのこと を考えて」とあるが、原告著作物とは異なり、発見後に自動車を利用した様子は描かれて いない。)、主人公の行く手を阻む山中の様子として岩場が描かれていること(本件記事 では「深いやぶと木立に阻まれて撤退」とあり、登山を邪魔したものは山林である。)、 犬の鳴き声に主人公が鼓舞されたり不安になったりすること、反対した家族のことを思い 出して登山中にふと後悔の念に駆られる主人公がそれを振り払うこと、主人公が雨の天気 予報を聞いて犬の命を危惧すること(本件記事においては、悪天候を示す記載はないし、 「餓死寸前」と記載されているように、犬の命を脅かすものは空腹とされている。)、捜 索犬として猟犬あるいは猟犬代わりとなる犬が登場すること(本件記事には「捜索犬」と あるのみだが、被告甲野は、捜索犬イコール猟犬と考えた旨供述している。)、捜索コー スを伊豆スカイラインから下るコースに変更すること(本件記事には単に「コースを変え て」とあるのみで、コースの中身は記述されていない。また、捜索のため苦労して登る様 子が強調されている一方、山を下る様子は出てこない。)、救出直前に連れてきた捜索犬 を放すこと、救出された犬が怪我をしていること(本件記事では「餓死寸前」の犬が「手 当てを受け」たことが記載されているのみで、絶食による犬の衰弱は容易に想像できても、 負傷の事実を窺わせる記載はない。)、主人公らが山中で休憩した後に下山する様子が描 かれていること(本件記事では、原告らが涙を流す状況で救出場面が終わっている。また、 被告著作物には下山後の様子は描かれていないのであるから、下山の場面を描く必要性も ない。)、下山途中に富士山が見えること(本件記事では「救出した時」に富士山が見え たとある。)など、本件記事には全く出てこない、あるいは本件記事から直ちには導かれ ないはずの多くの点において、ストーリー展開、登場人物や場面の設定、描写方法等が一 致している。  そして、これらの具体的場面は、いずれも、原告著作物の中心部分あるいは個性を形成 するものであり、原告の創意工夫が現れた表現上の特徴といえる箇所である。 エ これに加え、原告著作物の主題は「動物の命の大切さ」、被告著作物の主題も「生命 の大切さ」であり、いずれも、それを子供に伝えようとする性格のものであること(甲1、 8の各あとがき部分)をも併せ考えると、本件記事の存在を考慮に入れた上でもなお、被 告著作物に接する者は原告著作物の表現上の本質的な特徴を直接感得することができると 認められる。 (3)次に,被告著作物が原告著作物に依拠して作成されたかについて判断する。  ア 原告著作物は、財団法人日本動物愛護協会推薦図書、日本書店組合連合会主催、日本 児童図書出版協会・日本出版取次協会協賛「こどもの本・ベストセラー一二〇選」、多く の地方公共団体における推薦図書に選定され、平成八年三月までに第三一刷まで一五万五 五〇〇冊が出版されているものである。そして、被告甲野は元小学校教員であり、長期間 にわたって国語教育の実践研究に携わってきたというのであるから、原告著作物に接触す る機会が十分にあったことは明らかである。 イ そして、上記認定のとおり、被告著作物には、本件記事、本件記事に基づいた推測・ 想像からは直ちには出てこないであろう原告著作物とのストーリー展開、登場人物や場面 の設定、描写方法等の共通点が、不自然なほどに数多く存在し、これらを全て偶然の暗合 と考えるのは困難である。  また、被告著作物は、以下の多くの点において原告著作物の影響を受けていることが窺 われる。すなわち、被告著作物には、主人公の女友達の存在、犬がいじめられて鳴いてい るとの発想(原告著作物六頁九ないし一〇行目、被告著作物五頁七ないし一〇行目)、犬 の身を案ずる主人公が眠れないこと、玄岳への登山を「山歩き」と表現すること(原告著 作物一八頁三行目、被告著作物七頁一一行目)、玄岳山中が気味が悪いものとして描かれ ていること、救出計画を「作戦」と表現すること(原告著作物三六頁一行目等、被告著作 物八頁四行目等)、登山に疲れた主人公が座り込んでしまうこと、主人公が登山中に口笛 を吹くこと、崩れそうな岩場の様子(原告著作物二八頁一三行目ないし二九頁一三行目、 被告著作物二〇頁五行目ないし九行目)、主人公を不安がらせる鳥の鳴き声(原告著作物 三一頁七ないし九行目、被告著作物三二頁一〇行目)、山中に茂るくまざさ(原告著作物 七二頁一ないし二行目等、被告著作物二〇頁九ないし一一行目等)、まむしへの危惧(原 告著作物二五頁写真説明文、被告著作物一七頁一〇行目)、シェパードを発見した捜索犬 がその周りでほえかかっていること、山中に存在する平地、下山の様子として「ゆっくり」 と表現され(原告著作物八七頁二行目、被告著作物四六頁一二行目)、先頭が明記されて いることなど、ストーリー展開とは必ずしも結びつかない細部における設定や描写、ある いは表現においても共通する要素・表現が数多く存在し、被告著作物が原告著作物の影響 を受けていることが窺われる。  被告らは、これらについて、本件記事及び現地取材に基づいた被告甲野の発想によるも のであるとして、その過程を縷々主張するが、いずれもそのような発想に至るのが必然と いうものではなく、上記のような多数の共通点の存在を合理的に説明するに足るものでは ない。また、現地取材をしても、原告が実際に捜索したルートをたどれるわけではないの であるから、両著作物における自然描写等が共通していることに、必ずしも結びつくもの ではない。 ウ さらに、原告著作物一四三頁に掲載されている原告体験についての新聞記事では、原 告が、犬の捨て方について、「動物を飼う人に、よくこんなむごいことができたものです。」 とコメントしている。これは、本件記事には記載されていない内容であり、被告甲野が認 識していないはずの事情である。しかし、被告著作物には、主人公のセリフとして、「で も、捨て犬をするのに、そういう捨て方をするかしら。そんなむごいことって出来ると思 う?今まで家族と同じように過ごしてきたのよ。」という部分があり、これは、原告の上 記コメントを連想させるものである。  また、被告著作物のあとがき部分には、原告体験に係る客観的事実として、救出された 犬が下山と同時に入院した旨の記述があるが、本件記事にはそのことを示す記述はなく、 被告甲野は関係者への取材を行っていないのであるから(被告甲野本人)、これは、被告 甲野にとって、原告著作物を読まない限り知り得ない事実である。 エ 被告らは、被告甲野が原告著作物を読んだのは、被告著作物が原告著作物の著作権を 侵害するとの原告からの抗議を受けて調査を開始し、原告著作物を発見した平成一一年四 月二七日が初めてであると主張し、被告甲野もそれに沿う供述をする。  しかしながら、被告甲野がその経緯として述べているところは、反論資料(乙1)、陳 述書、本人尋問の結果のそれぞれにおいて、原告著作物が存在するかを調査し始めた時期、 調査の時点で得ていた情報、調査にかけた日数などの点において一貫しないが、このこと は、原告からの抗議が被告甲野にとって相当印象深い出来事であったと考えられることか らして不自然である。このうち、被告甲野の記憶が最も新しい時期(提訴前である平成一 一年夏ころに作成された乙1によれば、被告甲野は、原告著作物のタイトル、出版社、種 類(子供向けのノンフィクションであること)も知らないまま、やみくもに書店を回ると いう方法で原告著作物を探したことになり、この点もまた不自然である。さらに、昭和六 一年の出来事について書かれたものであり、出版もそのころと一応は推測できる書物を、 平成一一年において、まず図書館へ行くことなく書店の店頭で探すというのも不自然であ る。  なお、被告甲野は、平成一一年四月二七日に原告著作物を読んだものの、救出・下山の 場面までの三分の一程度を一回早読みしただけであとは読む気にならなかったとしており、 その点を盛んに強調するが、そのとき読み進めながら取ったというメモには、救出された 犬が下山後入院し、さらに退院してからの内容(原告著作物一〇五頁あたりまで)を示す 「富士号誕生 風呂場 どうぞよろしく」との記載がある。  これらの点からして、被告らの上記主張は採用できない。 オ 以上の事実によれば、被告著作物は、原告著作物に依拠して作成されたものと認めら れる。 (4)以上のとおり、被告著作物は、原告著作物の翻案権を侵害するものであるところ、 この点について、被告甲野に故意又は過失があり、不法行為が成立することは明らかであ る。  また、被告秦野市は、原告及び原告著作物の発行所である株式会社ポプラ社から、被告 著作物が原告著作物の著作権を侵害するとの抗議を受け、一度はその廃棄を決定し、原告 に謝罪文を送っていたものである。そして、廃棄の決定及び謝罪文の送付は、被告著作物 が原告著作物の著作権を侵害するかについて、地方公共団体として相応の検討をした上で 行われたものと考えられるから、その後被告著作物を頒布するにあたっては、被告著作物 が原告著作物の著作権を侵害するものであることを知っていたか、又は不注意によりこれ を知らなかったものと認められ、翻案権侵害についての故意又は過失があるから、不法行 為が成立する。 二 争点(2)(損害の発生及び額)について (1)被告著作物が小学生に対する教育的資料とすることを目的に作成されたものである こと、印刷部数が一〇〇〇部であること、原告著作物について、著作権料を三八〇万円と して映画化の話があったことなどの事情を考慮すると、原告著作物の著作権の行使につい て、被告らから受けるべき金銭は、各三〇万円を相当と認める。 (2)本件に現れた一切の事情を考慮すると、原告著作物の翻案権が侵害されたことによ り原告が被った精神的苦痛に対し、被告甲野が支払うべき慰謝料としては、三〇万円が相 当である。 三 以上のとおり、原告の本訴請求はいずれも理由があるからこれを認容し、主文のとお り判決する。 裁判長裁判官 矢崎博一    裁判官 新堀亮一        達野ゆき 別紙 ストーリー展開の類似性一覧表《略》 別紙 表現の類似性一覧表《略》 別紙 甲野作品における角谷作品との相違点一覧《略》