辻ゼミ会いつまでも
    上野達弘(平成6年卒業)

 秋の行楽でにぎわう祇園。
 ここからひと筋、東に入る。知恩院の山門をすぎると、街の喧噪はみじんも感じられな
くなる。陽が傾くころ、肌にあたる山風には冬の訪れさえ感じられる。

「これは、どうも。」

 懐かしい訛りの声。目深にかぶった帽子をちょっと持ち上げながら登場されたのは、故
辻正美先生の御尊父・正圓様である。
 御齢八十八。お父様は ――師匠の御尊父をお父様と呼ぶのは本来おかしいのかも知れ
ないが、われわれは親しみを込めてこう呼ばせていただいている―― 辻先生の郷里でも
ある松阪から、ステッキ片手に颯爽と登場されるのが毎年恒例となっている(なお、これ
はあくまで「ステッキ」であり「杖」ではないことがしばしば強調される)。元ゼミ生も、
関西一円のほか、東京、岐阜、香川、徳島などから顔をそろえはじめる。

「ほな、いきましょか。」

 時間が来ると、お父様はわれわれを先導するようにして、特別霊園へと続く急な坂を上
りはじめる。辻先生が眠るお墓は、市内を見はるかすこの高台にあるのだ。

「この景色ならええやろ思ってここにしたんですわ。」

 こう言いながら下界を見やるお父様。その目は遠い。
 われわれが一人ずつ墓参を終えると、お父様はお墓のほうに向き直り合掌。そして、練
達の僧侶らしい趣をたっぷり湛えた念仏を響かせるのである。

「どうも、ありがとうございました。」

 そして再び坂を下りる直前、お父様はふと歩みを止めて、ほんの少しお墓のほうを振り
返られた。

「いつもここで、『ほんならな。またくるぞ。』言うてから帰るんですわ。」

 知恩院をあとにしたわれわれは宴席へと向かう。お父様はここに、辻先生が生前着てお
られたというセーターをいつも着てこられる。

「わたしは寺のことやってるんで分かるんですけど、こういう集まりゆうのは、せいぜい
三回忌までですわ。一周忌のときならまあまあやるけど、今もこれだけの人に慕っていた
だいて、いまだにこうして辻会というものを続けていただいてる、ゆうこと、本人も、草
葉の陰でどれだけうれしく思っているだろうと…。代わって、重ねて、お礼を申し上げま
す。」

 ご挨拶のあとも、お父様は簡潔にしてきわめて理路整然とお話を展開される。それに驚
くべきは記憶力である。これほど明晰な米寿をわたしはほかに知らない。
 やがて宴が少し落ち着きを見せはじめたころ、お父様はこう締めくくって席をあとにさ
れる。

「我が子に先立たれる、ゆうのは、ほんま、しんどいもんです。これはもう経験したもん
にしか分からん思います。ですけど、息子も四十八年、短かったですけど、充実した生涯
やった思います。『以て瞑すべし』やと思います。」

 平成15年4月24日、辻先生は七回忌を迎えられる。はやいものですね、との声に対
してお父様は、少し時間をおいてから、思いを込めるようにきっぱりと口を開かれた。

「――想い出、連々として、盡きることなく、来し方。」

 このお父様の中に、われわれは辻先生をさがしている。そしていつも見つけている。わ
れわれを我が子のように慈しんでくださった先生を。

―― * ――

 これがわれわれの辻ゼミ会である。
 総勢60名あまりの小さな会。派手な宴会もない。
 しかし、われわれはこれを11月の第一土曜日に欠かさず続けている。
 ただひたすら、いつまでもずっと続くことを祈りつつ。

(有信会誌45号82頁〔2003年〕所収)