西洋古版本の手ほどき 2012 No. 5  雪嶋宏一 2012/09/28

学匠印刷家アルド・マヌーツィオとその子孫の印刷出版業

1. Aldo Manuzio (Aldus Manutius, ca.1450-1515)
ローマ南東60キロにある小村バッシアーノ出身、1460年代末から70年代初めにサピエンツァ(ローマ大学)でGaspare da Verona の許で修辞学、Domizio Calderini (1403-72)の許でラテン古典を学ぶ。ローマでは1467年から活版印刷所が活動を始めており、印刷への関心も高かまっていた。その後、フェラーラでBattista Guarino (1435-1505)の許でGiovanni Pico della Mirandola (1463-94)と共にギリシア語を修得し、1480年代はPico della Mirandola の親戚に当たるカルピの領主Pio家の子息AlbertoとLionelloの家庭教師を務めた。その時期に最初の著作となるラテン語教科書『ムーサイの祭典Musarum Panagyris』と『レオネッロ・ピオへの助言Paraenesis』を著している。
1490年初めに古典ギリシア語書の校訂・印刷を行うためにヴェネツィアへ赴き、出資者を見出して1494年に印刷所を開設。当時ヴェネツィアにはトルコの支配から逃れてきたギリシア人が多数居住しており、ギリシア語を解する職人を探すのも容易であった。また、貴族社会が確立していたため、出資者を見つけることも容易であった。彼はAlberto Pioからの援助を受けながら、貴族Pierfrancesco Barbarigoと印刷業者Andrea Torresani (1451-1528)から出資を受けている。収益はBarbarigoが5割、Torresaniが4割、Manuzioが1割の割合で分配される契約を交わした。
1495年2~3月に最初の印刷物となるギリシア語文法書Constantinus Lascaris, Erotemataを上梓。以降、古典ギリシア・ラテン語文献および人文主義者著作の校訂と印刷を行い、ルネサンスの文芸復興に大きく貢献した。人文主義者の集う文芸サークルを形成。1515年までに131乃至133版印刷。ローマン体活字6種、ギリシア語活字4種(ギリシア語を完全に表記できる活字セット)、イタリック体活字T種、ヘブライ語活字T種を制作。ギリシア古典43版、ラテン古典31版、キリスト教関係11版、人文主義者作品46版を刊行。特に、ギリシア古典、八折判古典シリーズ(ギリシア、ラテン、イタリア古典を含む45版)、八折判ラテン・イタリア古典のためのイタリック体活字の制作(Francesco Griffoによる)、「錨とイルカ」の商標を採用(1502年6月Poetae Christiani Veteresから使用)、Neacademia創設(1502~04年に7版)、15世紀印刷本で唯一のページ付け書(Niccolo Perotti, Cornucopiae. 1499, folio)。
1504/5年にAndrea Torresaniの娘Mariaと結婚。3男2女をもうける。1505年にはSan Paternian広場のTorresani家と同居して印刷所を共同経営した。1508年からコロフォンにはin aedibus Aldi et Andreae Asulani soceriと記述。また、in aedibus Aldiという記述も同時に使用。アルドは生涯に3回印刷書目録を刊行(1498, 1503、1513)。

主なギリシア古典
Aristoteles, Opera (1495-98, 5 vols. folio)
Theoclitus, In poetica (1495/96, 4to)
Athenaeus, Deipnosophistae (1498, folio)
Aristophanes, Comoediae novum (1498, folio)
Epistulae diversorum philosophorum (1499, 2 vols. folio)
Dioscorides, De materia medicinali libri sex (1499, folio)
Stephanus Byzantius, De urbibus (1502, folio)
Thucydides (1502, folio)
Sophocles, Tragoediae sepem (1502, 8vo)
Herodotus (1502, folio)
Euripides, Tragoediae septendecim (1503, 2 vols. 8vo)
Xenphon, Graeca gesta appellantur (1503, folio)
Florilegium diversirum epigrammatum (1503, 8vo)
Homerus (1504, 2 vols. 8vo)
Demosthenes, Orationes (1504, folio)
Aesopus, Vita & fabellae (1505, folio)
Plutarchus, Opuscula (1509, folio)
Pindarus, Olympia, Pythia, Nemea, Isthmia (1513, 8vo)
Plato, Omnia Platonis opera (1513, 2 vols. folio)
Alexander Aphrodisiensis, In topica Aristotelis (1513, folio)
Suda (1514, folio)
Hesychius, Dictionarium (1514, folio)

2. Andrea Torresani (1451-1528)
アーゾラ出身、ヴェネツィアのNicolas Jenson (1420-80)印刷所に弟子入りし、Jenson晩年に活字を譲り受け1480年に独立。ヴェネツィアを代表する印刷業者となり、アルドが開業する際に出資。1505年以降は義父となって印刷所を共同経営。アルド死後、彼の遺志を継いでアルド印刷所を継承し、ギリシア・ラテン古典を次々と印行。アルド時代のギリシア・ラテン古典も再版。126(Palau は119)版印行。

ギリシア古典
Pausanias (1516, folio)
Strabo (1516, folio)
Oppianus, De piscibus (1517, 8vo)
Aescchylus, Tragoediae (1518, 8vo)
Plutarchus, Vitae (1519, folio)
Apollonius, Argonautica (1521, 8vo)
Didymus, Interpretatio in Homeri (1521, 8vo)
Lucianus, Dialigi (1522, folio)
Herodianus, Historiarum libri VIII (1524, 8vo)
Galenus, Opera (1525, 5 vols. folio)
Xenophon, Opera (1525, folio)
Hippocrates, Opera (1526, folio)など
ラテン古典
リウィウス、オウィディウス、テレンティウス、ホラティウス、セネカ、キケロ、ウェルギリウス、プリスキアヌスなど。
人文主義者
Guillaume Bude, De asse (1522, 4to)、Baldassarre Castiglione, Il cortegiano (1528, folio)

3. Paolo Manuzio (1512-74)
アルドの末子、祖父Andrea Torresaniにより兄Antonio (1511-59)ともに養育される。印刷所でTorresani家のGianfrancescoの息子Andreaともに育ち、印刷を修得。1528年に祖父Andreaが亡くなると遺産相続をめぐって従兄Federico&Gianfrancesco Torresaniと争い、不仲になる。1533年からGianfrancescoと共同で印刷所を再開し、なんとか36年まで続けて29版を印行するが、36年に母Mariaが亡くなり、Torresani家を出る。相続ではPaoloは印刷所と商標「錨とイルカ」を獲得、イタリック体活字はTorresani家のものとなる。しかし、1540年まではTorresaniと共同出版(in aedibus haeredum Aldi, et Andreae Asulani Soceri)が続く。
1561年まで現印刷所を使用する権利をもって兄Antonioとともに独立(Macchiavelli, Historie. Colphon: In casa de’ figliuoli di Aldo)。しかし、父アルドが目指したギリシア語文献の印刷は衰え、ラテン古典と同時代のラテン語・イタリア語文献を印刷出版。特に同時代の貴顕の書簡集の編纂が良く知られる。Lettere volgari di diversi nobilissimi huomini, et eccellentissimi ingegni, scritte in diverse materie (1542, 8vo)は毎年のように重版され、1564年までに3巻本となった。
1546年にCaterina Odoni (d. 1579)と結婚、Aldo2世が誕生。1547年2月にSan PaternianからジュデッカのDandoloに移転。しかし、Antonioが若気の至りからヴェネツィアを追放され、ボローニャで印刷を始める。Antonioは破産して59年に亡くなる。
1558年にパオロはNiccolo Bevilaquaと共にFederico Badoreが設立したAccademia della Fama o Venezianaの印刷所を監督するようになった。
1560年2月教皇ピウス4世はパオロを教皇庁の印刷所(Stamperia del Popolo Romano)の監督としてローマへ招聘することを示唆する。61年6月に、パオロはヴェネツィアの印刷所を15歳のアルド2世に任せ、10月にローマのPalazzo Aragoniaに到着。1570年までパオロはローマで教父の著作、神学書、注釈書、聖務日課、トリエント公会議録、禁書目録など61版を印行した。しかし、パオロは反宗教改革に好ましいような宣伝文書の印刷は拒んだ。ヴェネツィアでは、キケロ、タキトゥス、プリニウス、アッピアノス(イタリア語訳)、ヴァッラ、マキャヴェッリ、カレピンの辞書、アルド1世のラテン語文法書、パオロ・マヌーツィオの書簡集、アルド2世のラテン語研究書などを印行。また、トリエント公会議録と禁書目録はヴェネツィアでも刊行。1564年にはヴェネツィアで19版、ローマで16版、計35版を印行。1568年にはヴェネツィアの印刷所をDomenico Basaに任せた。1569~70年にはTorresani兄弟に編集を依頼してEx bibliotheca Aldinaと名乗って印刷。パオロの時代を通じてヴェネツィア・ローマで523版を印行。
パオロは1570年8月に雇用期間を3年繰り上げてローマを去り、続く2年をヴェネツィア〜ミラノの間でキケロの注釈書の印刷などを行いながら自由に過ごした。1572年6月にローマにもどり、教皇グレゴリウス13世に仕えながら、トリエント公会議の指令で削除されたエラスムスの著作の編集などを手掛けた。望郷の思いが募ったが、果たせずに1594年4月6日にローマで客死。
一方、パオロと別れたジャン・フランチェスコは兄弟フェデリコ(-1561)と共同で印刷所を開設、1570年までに44版を刊行した。その子ベルナルド(-1572)は1554-69年にパリで20版、ヴェネツィアに戻り兄のジェローラモと共同でIn Bibliotheca Aldinaと名乗って30版印行。

4. Aldo Manuzio, II (1546/7-97)
パオロの長子、早くから家庭教師をつけて古典学を修得、早熟の天才にして病弱、自立心が強かった。11歳の時パドヴァで勉強しながら父の印刷所を手伝う。1556年にEleganze delle lingua Toscana e Latina、1559年に父が進めるキケロ書簡集の校訂・翻訳に参加、1561年にOrthographia ratioをパオロが出版。同年パオロがローマへ行くためヴェネツィアの印刷所を監督。1562-65年、ローマの父のもとで勉強を続け、Orthographiaのための資料収集を行い(1566年ヴェネツィアで増補版刊行)、Sallustiusの注釈を行い63年にローマとヴェネツィアで出版。65年にヴェネツィアに戻り、カエサルの校訂・注釈を行い翌年刊行。法律を学ぶためパドヴァへ行くはずであったが、68年に伯父Marcoがアーゾラで亡くなり、父の代理で遺産相続のためアーゾラへ赴いた。71年にはVelleius Paterculus, Historia Romanaeを編集出版。72年に競争相手ジュンタ家のトマゾの娘(非嫡出)Francesca Lucrezia (1552-)と結婚。
74年に父の死でヴェネツィアの印刷所を継承。アルドは印刷業とジュンタ家の書籍販売業の両方を統合するような立場となった。ところが、1577-85年にはヴェネツィア総督書記局、議会秘書局で文書を起草、そのため1577年には印刷所をNiccolo Manassiに委任した。1578-83年にキケロ全集10巻本を完成。1582年にはパルマ、クレモナ、ミラノを旅して枢機卿Carlo Borromeonoの客となり、フェッラーラですでに隠遁していた詩人Torquato Taasoを訪問する。85-87年にはボローニャ大学に招聘、トスカーナ大公の招請でピサ大学にも迎えられ、『コジモ・デ・メディチ伝Vita di Cosimo de’ Medici, primo Gran Duca di Toscana』を86年にボローニャで刊行。彼は膨大な蔵書を伴っていた。88年にはローマのサピエンツァ教授、95年からはヴァティカン図書館で校正官を務め、1597年10月24日ローマで客死。印刷業では祖父、父、自分の著作、校訂、注釈書、ラテン古典を繰り返し刊行。1592年に印刷書目録を発行。171版印行。

参考文献
雪嶋宏一「アルド・マヌツィオのネアカデミア」『イタリア圖書』(イタリア書房)Nuova Serie 31, 2004, p. 13-16.
雪嶋宏一「学術出版の祖アルド・マヌーツィオ」『早稲田大学図書館紀要』52号, 2005, p.1-33.
http://www.wul.waseda.ac.jp/Libraries/kiyou/52/pdf/11-yukijyou.pdf
雪嶋宏一「わが国におけるアルド版の調査研究」『早稲田大学図書館紀要』54号, 2007, p.1-54.
http://www.wul.waseda.ac.jp/Libraries/kiyou/54/pdf/10-yukishima.pdf

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Barker, Nicolas. Aldus Manutius and the development of Greek script and type in the fifteenth century. 2nd ed. New York: Fordham University Press, 1992.
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Palau, Annaclara Cataldi, Gian Francesco d’Asola e la tipografia aldina: la vita, le edizioni, la biblioteca dell’Asolano, Genova: Sagep, 1998.
Renouard, A. A., Annales de l’imprimerie des Alde, ou Histoire des trois Manuce et de leurs editions, New Castle, Del.: Oak Knoll Books, 1991 (reprint of the 3rd ed., 1834).
Serrai, Alfredo, La biblioteca di Aldo Manuzio il Giocane, Milano: Edizioni Sylvestre Bonnard, 2007.