書物の文化史                   雪嶋宏一 2001/11/01


活版印刷術の発明と発展(2)

8.古典文献の刊行
ルネサンスの中心的思想:人間を中心においた人文主義(humanism)
ルネサンスはペトラルカやボッカチオの古典研究に端を発した古典文芸・文化復興運動

 14世紀末以降マヌエル・クリュソロラスやヨアンネス・アルギュロプロスをはじめとするギリシア人学者がイタリアでギリシア語を教えたことで、古代ギリシア文献研究が始まる。フィレンツェではコジモ・デ・メディチのもとでポッジョ・ブラッチョリーニやニッコロ・ニッコリ、レオナルド・ブルーニらがギリシア・ラテン文献の収集をヨーロッパ各地で行ない、それまで知られていなかった文献を次々と発見した。
 ローマではギリシア人枢機卿ベッサリオンの周りに学者が集まりアカデミアが形成された。ベッサリオンは多数のギリシア語写本をイタリアにもたらしたが、さらに蔵書を充実させるために、ミハイル・アポストリス等のギリシア人を小アジアへ派遣してギリシア語文献を収集させた。そして、1468年に彼は自分の写本コレクションをヴェネツィア共和国へ寄贈した(ギリシア語写本482、ラテン語写本264)。一方、フィレンツェではロレンツォ・デ・メディチが庇護者となりマルシリオ・フィチーノやアンジェロ・ポリツィアーノ等が活躍するアカデミアが誕生した。

古典文献の初期刊行書
1465 キケロ『義務論』マインツ、シェーファー
    キケロ『雄弁術』スビアコ、シュヴァインハイム=パンナルツ
    ラクタンティウス『著作集』スビアコ、シュヴァインハイム=パンナルツ
    キケロ『義務論』ケルン、ウルリヒ・ツェル
1467 キケロ『親しき者への書簡』ローマ、シュヴァインハイム=パンナルツ
1468 キケロ『雄弁術』ローマ、ウルリヒ・ハーン
1469 アプレイウス『著作集』ローマ、シュヴァインハイム=パンナルツ
    アリストテレス『ニコマコス倫理学』シュトラースブルク、メンテリン
    カエサル『注釈集』ローマ、シュヴァインハイム=パンナルツ
    ゲッルス『アッティカの夜』ローマ、シュヴァインハイム=パンナルツ
    ユスティヌス『トログス・ポンペイウスの歴史の梗概』ローマ、シュヴァインハイム=パンナルツ
    リウィウス『ローマ史』ローマ、シュヴァインハイム=パンナルツ
    ルカヌス『ファルサリア』ローマ、シュヴァインハイム=パンナルツ
    プリニウス『自然史』ヴェネツィア、ヨハン・フォン・シュパイアー
    ストラボン『地理書』ローマ、シュヴァインハイム=パンナルツ
    ウェルギリウス『著作集』ローマ、シュヴァインハイム=パンナルツ
1470-80 ニコラ・ジャンソンの活躍

ギリシア語文献の刊行
1471 マヌエル・クリュソロラス『ギリシア語文法』ヴェネツィア:アンベルガウ
1476 コンスタティノス・ラスカリス『ギリシア語文法』ミラノ:パラウィシヌス
1488/9 ホメーロス『著作集』フィレンツェ:ダミラス

9.アルドゥス・マヌティウス (Aldus Pius Manutius, Romanus, ca. 1450-1515)

 ルネサンスの文芸復興の中心的存在となったギリシア・ラテン古典文献を精力的に刊行したヴェネツィアの印刷業者。15世紀末から16世紀末まで子・孫の3代にわたってイタリア印刷・出版業の中心的存在となる。
 初代アルドゥスはローマ南のバッシアーノで生まれ、ローマ大学でラテン語と古典学を学び、さらにフェラーラでギリシア語を習得して、カルピでピオ家のギリシア語の家庭教師を務めた古典学者。1489年頃ヴェネツィアへ赴き、古典テクストの優れた版を刊行するために自ら印刷業を志し、印刷業者アンドレア・トッレザーニの援助を受けて1494年に印刷所を開設した。そして、1495年にコンスタンティノス・ラスカリス『ギリシア語文法』を印行した。以降1515年に亡くなるまでにギリシア語書44点(うち30点は初版本)、ラテン語書59点、イタリア語書8点、ヘブライ語書1点を刊行し、「海豚と錨(Festina lente 悠々として急げ)」を商標にして、人文主義者や学生ばかりでなく印刷業者にも多大な影響を与えた。

制作した活字:ローマン体6種類、イタリック体1種類、ギリシア語活字4種類、
       ヘブライ語活字1種類。
アルドゥスの貢献:ギリシア文字活字の改良(表記を完全にする)18世紀まで使用
       イタリック体の使用、八折版(オクタヴォ)の採用。
       ギリシア語文献の復興
       古典文献校訂のための新アカデミア創設
アルドゥスの傑作
       G:アリストテレス全集(1495-98),アリストパネス喜劇集(1498)
         ソフォクレス悲劇集(1502)、エウリピデス悲劇集(1503)、プラトン全集(1513)
       L:ベンボ『エトナ山』(1495)、ポリツィアーノ『著作集』(1498)、ペロッティ『豊穣の角』
        (1499)、ウェルギリウス『著作集』(1501)
       I:『ポリフィーロの狂恋夢』(1499)、聖カテリーナ『書簡集』(1500)、
        ダンテ『神曲』(1502)、ベンボ『アゾーラニ』(1505)

アルドゥスの影響:当時一流の人文主義者、エラスムスやピエトロ・ベンボ等への影響。
       模倣版・海賊版の横行。
       19世紀の英国印刷業者ウィリアム・ピッカリングは「英国のアルドゥス」と称した。
       20世紀のコンピュータソフトウェアのアルダス社。

アルドゥスの継承:マヌティウス家はアルドゥス死後トッレザーニ家の援助で息子パウルス、
       孫アルドゥス2世が引継いで1597年までイタリアの印刷出版業界に君臨した。

アルドス版の収集:フランスの稀代の書物収集家ジャン・グロリエやドゥ・トゥ(16世紀)。
       欧米の大図書館(フランス国立図書館、オックスフォード大学ボドレイ図書館、
       ベルリンのドイツ国立図書館、サンクト・ペテルブルク公共図書館、
       ヴェネツィア国立マルチアーナ図書館、ニューヨーク・ピアポント・モーガン図書館、
       カリフォルニア大学ロサンジェルス校図書館マーマンソン・マーフィー文庫、
       テキサス大学ハリー・ランサム・センター)

アルドゥス・マヌティウスに関するwebサイト:
現在のところアルドゥス・マヌティウスに関する比較的充実しているサイトはアメリカの大学が制作しているものが多い(2001.11.2)。

  • カリフォルニア大学ロサンジェルス校アーマンソン=マーフィー・コレクション
  • ブリガム・ヤング大学「アルドゥスの館にて」展
  • サイモン・フレーザー大学図書館ウォスク=マクドナルド・アルドゥス・コレクション
  • ノートルダム大学デイヴィッド・ハーリー氏のホームページ

    参考文献
    概説
     Haebler, Konrad. The study of incunabula / transl. By L.E. Osborne. New York, 1933.
     Flodr, Miroslaw. Incunabula classicorum. Amsterdam, 1973.
     Geldner, Ferdinand. Inkunabelkunde : ein Einfuhrung in die Welt des fruhesten Buchdrucks. Wiesbaden, 1978.
     西洋印刷文化史:グーテンベルクから500年 S.H.スタンバーグ著 高野彰訳 日本図書館協会 1985
     書物の出現 上・下 リュシアン・フェーブル、アンリ=ジャン・マルタン著 関根素子ら訳 筑摩書房 1985(ちくま学芸文庫版、1998)
     本邦所在インキュナブラ目録 雪嶋宏一著 雄松堂出版 1995
     書物の森へ:西洋の四基印刷本と版画 町田市立国際版画美術館 1996
     インキュナブラの世界 折田洋晴著 日本図書館協会 2000(研修教材シリーズ13)
     印刷博物史 凸版印刷 2001

    グーテンベルク
     Bechtel, Guy. Gutenberg et l'invention de l'imprimerie : une enquete. Paris, 1992.
     グーテンベルク聖書の行方 富田修二著 図書出版社 1992(ビブリオフィル叢書)
     Karp, Alberet. Johann Gutenberg : the man and his invention / transl. By D. Martin. Aldershot, 1996.
     カトリコン・プレス論争の行方 雪嶋宏一著 印刷史研究 4号 1997 pp.8-33
     グーテンベルク 戸叶勝也著 清水書院 1997(人と思想150)
     グーテンベルクの謎:活字メディアの誕生とその後 宮利行著 岩波書店 1998

    アルドゥス・マヌティウス
     Renouard, A.A. Annales de l'imprimerie des alde, ou Histoire des trois Manuce et de leurs editions. 3. Ed. Paris, 1834 (reprint, 1991).
     Geanakoplos, John. Byzantium and the Renaissance : Greek scholars in Venice. Hamden, Conn., 1972.
     Lowry, M. The world of Aldus Manutius : business and scholarship in Renaissance Venice. Oxford, 1979.
     Barker, Nicolas. Aldus Manutius amd the development of Greek script & type in the fifteenth century. Sandy Hook, Conn., 1985.
     Fletcher, H.G., III., New Aldine Studies : documnetary essays on the life and work of Aldus Manutius. San Francisco, 1988.
     The Aldine Press : catalogue of the Ahmanson-Murphy Collection of books by or relatinf to the press in the Library of the University of California, Los Angeles. Berkeley, 2001.

    ルネサンスの書物と文化
     The publishing activity of the Greeks during the Italian Renaissance (1469-1523). Athens, 1987.
     Lowry, M. Nicholas Jenson and the rise of Venetian publishing in Renaissance Europe. Oxford, 1991.
     古典の継承者たち L.D.レイノルズ・N.G.ウィルソン著 西村賀子・吉武純夫訳 国文社 1996
     イタリア人文主義とギリシア古典文化 久志本秀夫著 刀水書房 2000
     ルネサンスを彩った人びと:ある書籍商の残した『列伝』 ヴェスパシアノ・ダ・ビスティッチ原著 岩倉具忠ら訳 臨川書店 2000