スピントロニクス 前夜

-- 竹内教授による解説 --

スピンの片鱗を捉える

 スピンの片鱗を見つけたのは1989年のことでした。当時は富士通研究所で、トンネル効果を使って量子井戸の光応答を高速化する研究に取り組んでいました。計測方法は、超短光パルス(時間の幅が極めて短い光パルス)を用いたポンプ・プローブ測定法と呼ばれる特殊な測定方法です。ポンプ・プローブ法とは、光パルスを二つに分け、その一つのパルスをサンプルに照射してサンプルに変化を起こし(ポンプし)、もう一つの光パルスでサンプルに起こった変化を観測する(プローブする)という方法です。このときGaAs量子井戸で奇妙な信号が見えることに気づきました。その信号は、10 ps(ps: ピコ秒=1兆分の1秒)から20psのかなり高速の緩和成分を含むのです。

最初は小さな信号だったのですが、実験条件を変えることにより、かなり明瞭な信号を得ることに成功しました。この当時、筆者が組んだポンプ・プローブ測定系は、通常の測定系とは一つ異なる点がありました。ポンプ・プローブ測定法では、ロックインアンプと呼ばれる特殊なアンプを使いますが、これにはチョッパーと呼ばれるある種の変調器を必要とします。通常のチョッパーは、家庭用の扇風機を直径10センチほどに小型化したような機械で、羽の回転で光をオン・オフさせます。羽根車の回転なので光のオン・オフの繰り返しは通常数百ヘルツです。しかし、筆者の測定系では通常のチョッパーではなく、電気・光学変調器(EO modulator)と呼ばれる特殊な変調器を使っていました。この変調器では、数百ではなく、その1万倍の数メガヘルツの変調が可能でした。当時の実験に用いたレーザーは色素レーザーと呼ばれる特殊なレーザーで、数百ヘルツの周波数領域には大きなノイズを持っていました。したがって、通常のチョッパーで数百ヘルツの変調をかけてもレーザーのノイズを拾ってしまって、きれいな信号がとれなかったのです。一方、電気・光学変調器では、数メガヘルツの変調が可能なので、みちがえるようにきれいな信号が測定できました。

電気・光学変調器は、光の偏光を使ってオン・オフを行うのですが、偏光の状態が本来、直線偏光でなければならないのに、楕円偏光になっているときに、その奇妙な信号が出ていることに気づきました。偏光を楕円偏光から円偏光に変えると奇妙な信号はますます大きくなったのです。

さて、信号はきれいに見えるようになったものの何の物理現象を表しているかはわかりません。当時は、半導体の電子スピンと円偏光の関係について日本語で書かれた文献は皆無でした。外国の論文を調べているうちに、円偏光とスピンの関係が書かれたものをみつけました。その関係は図1のようなものです。



図1

右円偏光の光を照射すると反平行の電子スピンが生成され、左円偏光の光を照射すると平行の電子スピンが生成されるというものでした。偶然、ポンプ・プローブ測定系で、電子スピンの信号の一部を拾っていたのです。だとすると、ポンプ光とプローブ光の円偏光の組み合わせを変えれば、アップスピンがダウンスピンに変化していく様子や、ダウンスピンがアップスピンに変化していく様子を観測できる新しい測定方法が生まれるはずです。これが、筆者が提案したスピン依存ポンプ・プローブ測定法です。この新しい測定方法によって、GaAs量子井戸のスピンの振る舞いが明瞭に観測されました。

この研究結果は、”Direct Observation of Picosecond Spin Relaxation of Excitons in GaAs/AlGaAs Quantum Wells using Spin Dependent Optical Nonlinearity” というタイトルで、APLの1990年5月28日号

A.Tackeuchi, S. Muto, T. Inata and T. Fujii, Appl. Phys. Lett. 56 (1990) pp. 2213-2215.

に掲載されました。

当時、スピンの研究者は少なく、早速IBMのAwshalom博士から関連する論文を送って欲しいという手紙(6月6日付)が届きました。彼らは発光(フォトルミネッセンス)を使ってスピンの振る舞いを調べていました。フォトルミネッセンスを使う測定方法はニューヨーク市大のAlfano先生が1980年に提案しましたが(APL 37 (1980) 231)、時間分解能が十分ではなく、遅いスピンの振る舞いしか観測できませんでした。フォトルミネッセンスの測定ではストリークカメラと呼ばれる測定器を使う場合が多いのですが、その時間分解能は数十ピコ秒でした。また、多くの半導体サンプルは室温での発光が弱いので、室温でのスピンの情報を得るのがとても困難でした。1989年ごろの測定技術の一例としては、オランダと英国の研究者による共同研究がありますが(Superlattices and microstructures, 5 (1989) 115)、GaAs量子井戸の1.7Kでのスピン緩和時間として、50psプラスマイナス15psの値を得ています。プラスマイナス15psという大きな誤差を見込まないといけなかったのは彼らの時間分解能(=60 ps)の限界領域だったからです。

それに対して、この新しい測定方法は超短光パルスの時間幅(当時0.1ピコ秒)に近い分解能が得られます。したがって、測定可能な時間分解能は100倍以上あがりました。図2が実験結果ですが、ピコ秒オーダーで変化するスピンの振る舞いが手に取るようにわかります。また、発光現象を必要としないので室温での観測が可能です。この結果、スピンの振る舞いを調べる極めて強力な計測方法になりました。


図2

1990年当時、Awshalom博士らはフォトルミネッセンスを利用してスピンを計測していたわけですが、測定器による時間分解能の制約を逃れるために、フォトルミネッセンス光をポンプ・プローブ計測で測るアップ・コンバージョン測定法と呼ばれる難度の高い特殊な計測を試みていました。1990年のPRLの5月14日号に、CdMnTe量子井戸の測定結果(測定温度4.5K)が報告されています(PRL 64 (1990) 2430)。この測定方法によるGaAs量子井戸の計測結果は、翌年の1991年の9月号のPR.B (44 (1991) 5923)に掲載され、同年の12月のPRLには、ベル研のShah博士のグループからも同じアップ・コンバージョン測定法によるGaAs量子井戸の測定結果(測定温度10K: PRL 67 (1991) 3432)が報告されました。しかし、アップ・コンバージョン測定法は測定系が複雑で実験技術の習熟が容易ではないこと、また、フォトルミネッセンスを使った測定ではストリークカメラの性能向上により、数十ピコ秒までのスピン緩和現象までなら測定可能になったこと(たとえば、1992年のSurf. Science 267 (1992) 360)、それより速い時間領域は、筆者によるスピン依存ポンプ・プローブ測定法で多くの場合代替できることからあまり使われなくなりました。

スピン依存ポンプ・プローブ測定法を用いた研究は、その後、姫路工業大の高木研や、筑波大の舛本研や海外の研究機関によって盛んになりました。たとえばイスラエルのグループの論文は1992年のPRL (68 (1992) 349)に、舛本研は1993年のPR.B (47 (1993) 10452)やJJAP (Part 2, 32 (1993) L1756)に、そして高木研は1994年のJ.Lumin. (58 (1994) 202)などに最初の論文を発表しています。90年代の後半には、東北大の大野研や電総研の秋本良一博士 (Phys. Rev. B 56 (1997) 9726など)もこの測定方法を用いてすばらしい成果を上げています。高木研と大野研の初期の測定では、微力ながら筆者も協力し、いくつかの論文が連名で発表されました。この測定方法は現在では、時間分解ファラデーローテーション測定法などの亜種の測定方法を生み出しながら活躍しています。

 

シュトゥットガルトの学生たち

富士通研究所の留学制度を利用してドイツに渡ったのは1992年の9月でした。留学先は、ドイツ南部の町シュトゥットガルトのマックスプランク研究所です。シュトゥットガルトは、メルセデスベンツとポルシェの本社がある町として有名です。所属したグループは、クワイサー教授下のリューレ博士のグループでした。クワイサー教授の下には他に二つの研究グループがあり、リューレ博士と同じパーマネントの研究者が指揮をとっていました。リューレ先生の門下では、米国のBELL研で量子ビートを計測したKarl Leo (レオ)が有名でした。同室の学生は、Albert Heberle (ヘーベレ)と Uwe Strauss (シュトラウス)です。どちらも筆者より3歳ほど若い年齢です。Heberleは日本に興味があって日本語を勉強している学生ですが、なぜか日本語は決して話しませんでした。一方、Straussは、おそろしく気の利く学生で人間関係の状況判断に長けておりクワイサー先生と類似の長所を持っていて、Heberleとは好対照をなしていました。他に、Michael Oestreich (エスタライヒ)やオーストリアからの留学生のR. Hannak (ハナック)も同じグループでした。

Max-Planck-Institute Stuttgart
  Max-Planck Institute

後に、Heberleは、日立ケンブリッジ研に移り、コヒーレントコントロールの研究成果を出しました。Hannakは、マックスプランク研でスピンの研究を始めましたが、90年の筆者のAPLの論文を図書館で見つけた後、部屋に飛び込んできて、「これはあなたの研究ですか、おもしろい!」と言ったのをよく覚えています。Oestreichは、スピン注入の研究成果を出し、90年代のおわりに30代でドイツ国内の教授になりました。Straussとは2001年の名古屋でのガリウムナイトライドの国際会議でばったり出会いました。当研究室の黒田の発表が注目を集め、少し長いディスカッションがありましたが、ディスカッション後の休憩時間に、挨拶に訪れた外国人が、よく見ればStraussでした。シーメンスの白色ダイオードの開発責任者で、招待講演に呼ばれてきたとのことでいた。ドイツで博士号をとっても、専門性を活かせる就職先が見つからない場合が少なくないといううわさを聞いていましたが、幸いにして彼らはみな活躍しています。

 ドイツ滞在中の1年間は、休暇や出張を利用して車でヨーロッパ各地を旅しました。西は大西洋岸のモンサンミッシェル、東はウィーン、南はトリエステ、ベネツィア、北はハンブルグ、ブレーメン、どの高速道路も見晴らしが良く、クラッチとハンドルが異様に重い中古のフォルクスワーゲンの欠点を忘れさせてくれるすばらしさでした。

メカニズムをあばく

 日本に帰ってきたのは、1993年の9月でした。バブル経済が崩壊し、その1年前のドイツ行きがビジネスクラスだったのに対して、帰りは「格安航空券を使え」というのが会社の命令でした。

 帰国後に始めた研究は二つで、一つはスピン緩和を高速デバイスに応用できないかというもの、もう一つは当時急速に進展していた自己組織化量子ドットの研究でした。スピンのデバイス応用については、共同研究者とともにかなり努力した結果、全光スイッチ動作(光で光を制御するスイッチ)を実証できました。

 "All-Optical Picosecond Switching of a Quantum Well Etalon Using Spin-Polarization Relaxation",
 Y. Nishikawa, A. Tackeuchi and S. Muto,
 Appl. Phys. Lett. Vol. 66, No. 7 (1995) pp.839-841.

 この間、社内の研究状況は大幅に変わり、従来にもまして実用に近い研究や開発に重点が置かれるようになりました。スピン現象の応用を探ろうとすると、同時に、その基礎的な振る舞いを解明する必要に迫られます。性質のよくわからない現象を応用に使うのは無理があるからです。そこで、スピンが緩和するメカニズムの研究に取り組みました。スピン緩和のメカニズムにはいくつかの候補がありましたが、もっとも可能性が高いのはD'yakonov-Perel'効果と呼ばれるソ連の二人の研究者の理論研究によるものでした。彼らの予測では、量子井戸中の電子スピンの緩和時間は、そのエネルギーの二乗分の一に比例するはずです。そこで、井戸幅の異なるGaAs量子井戸のスピン緩和時間を実測し、彼らの予測とあうことからD'akonov-Perel'効果がGaAs量子井戸の支配的なスピン緩和メカニズムであることを明らかにしました。

 "Room Temperature Electron Spin Dynamics in GaAs/AlGaAs Quantum Wells",
 A. Tackeuchi, Y. Nishikawa and O. Wada, Appl. Phys. Lett. 68 (1996) pp.797-799.

GaAs量子井戸は、代表的な化合物半導体です。室温での、スピン緩和のメカニズムが解明されたことは大きな進歩でした。
 この成功を元に、続いて実用上重要な、光通信の中心波長である1.55ミクロンに対応するInGaAs量子井戸のスピン緩和時間の研究に取りかかりました。しかし、波長1.55ミクロンで超短光パルスを発生させられるレーザーは会社の研究所にはありませんでした。当時、企業の研究環境はますます悪化していました。そこで、国(正確にはNEDO)が企業と協力して設立したフェムト秒テクノロジー研究機構(つくば)に出向することにしました。1996年4月に設立されたばかりのフェムト秒テクノロジー研究機構に移りましたが、当初は何も装置がありませんでした。InGaAs量子井戸の成長装置も無く、やむなく会社の結晶成長グループにサンプルの作製を依頼したのですが、すげなく断られました。会社の研究所からは有能な研究者が大学などに逃げ始め、スピン研究を理解できる人は皆無になっていました。そこで、他の機関にサンプル作製を依頼しました。また、フェムト秒テクノロジー研究機構では、1.55ミクロンの超短光パルスを出せるレーザー(一式、5千万円)の導入を最優先させました。そうして、やっと測定できたのが、室温でのInGaAs/InP量子井戸のスピン緩和時間です。室温で、5 psというきわめて高速の緩和現象でした。

 "Electron Spin Relaxation in InGaAs/InP Multiple-quantum Wells",
 A. Tackeuchi, O. Wada and Y. Nishikawa,
 Appl. Phys. Lett. 70 (1997) pp.1131-1133.

このInGaAs量子井戸のスピン緩和時間は、井戸幅依存性を測定してまとめ、

 "Electron Spin Relaxation Dynamics in InGaAs/InP Multiple-quantum Wells",
 A. Tackeuchi and O. Wada,
 Jpn. J. Appl. Phys. 37 (1998) 98.

さらに、GaAs量子井戸の結果とまとめて論文(フルペーパー)にしました。

 "Electron Spin-relaxation Dynamics in GaAs/AlGaAs Quantum Wells and InGaAs/InP Quantum Wells",
 A. Tackeuchi, T. Kuroda, S. Muto, Y. Nishikawa and O. Wada,
 Jpn. J. Appl. Phys. 38 (1999) 4680.


  フェムト秒テクノロジー研究所 1998年に学生とともに見学に訪れて

これで、GaAs量子井戸と、InGaAs量子井戸のスピン研究には、小さな一区切りがついたのですが、スピン研究としてはまだまだ小さな一歩です。90年代前半に現れた新しい材料系、自己組織化量子ドットと、ワイドギャップ半導体など、未知の世界が大きく広がっていました。そして、1997年4月にフェムト秒テクノロジー研究機構での1年間の出向を終え(同時に会社を退社し)、早稲田大学に赴任しました。これらの材料系との格闘は、早稲田で始まりました。


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