障害学会第10回大会(2013年度)報告要旨

後藤 吉彦 (ごとう よしひこ)   専修大学人間科学部社会学科

■報告題目

地域作業所カプカプと「空間の生産」、「労働と芸術」

■報告キーワード

空間の生産、異化効果、芸術と労働

■報告要旨

 横浜市旭区ひかりが丘の一角に商店街がある。かつてはベッドタウンとして若い家族で賑わった場所も、現在では空きテナントが目立ち、“シャッター通り化”がすすむ。だがそんな商店街の一角に、少し質感が違う場所がある。それが「地域作業所カプカプひかりが丘」(以下、「カプカプ」と表記)だ。そこには、井戸端会議に集まったり、何となく立ち寄って休憩したり、「ちょっと聞いて…」とあけすけに身の上話をはじめる地域住人の姿がある。地域外から訪れる人の姿もあり、様々な人が混ざり、出会い、行き交う“活きた”空間がうまれている。そんなカプカプについて、本報告は「空間の生産」や「労働と芸術」の観点から考察し、その意義を読み解く。
 カプカプを利用するメンバーは「知的障害」や「身体障害」をもつ成人で、「重度重複障害」とされる人も含むが、誰もが何らかの形で労働する場(作業所)として活動する。その活動内容は、喫茶コーナーの営業、クッキーやケーキの製造・販売から、リサイクルバザーの開催や創作活動まで、バラエティーに富む。だがモノやサービスにあふれた現代社会にあって、そうした活動内容だけで冒頭で挙げた“活きた”空間の説明とはなり難い(さらに、作業所をめぐっては、近隣住民からの反対がおこるなど“バリアフル”な実情も依然ある)。私は“活きた”空間の謎を解くためにも、活動内容(何がなされているか)では捉えられない、その様式(スタイル)(どのようになされているか)に注目したい。
 カプカプには、独特の労働(接客)様式(スタイル)がある。
「カプカプの“売り”の一つは、喫茶コーナーの接客スタイルにある。お客様に『お元気ですか』と声をかける人や、『旅のかた、ごゆっくりどうぞ』と水を出す人、絵を描いたり裁縫をしたりしながら仲間とのおしゃべりをする人もいる。」(1)
 また、「横になってその雰囲気を楽しんでいるだけ」(1)というのも、カプカプでは「他者に対するかけがえのない遣り取りの相手として、そこに居るという存在自体が働き」(2)という労働様式(スタイル)とされる。
 このように、日常の常識にてらせば“非現実的”とされる「労働」が、カプカプでは実際に見たり聞いたりできる確かな現実として上演(パフォーマンス)されるのだ。こうした労働/上演(パフォーマンス)は、メンバーの「その人らしさを殺さない」(カプカプ所長・鈴木励滋氏へのインタビューより)という考え方に基づき創られている。それは、メンバーたち自身の自尊心の恢復や生きづらさの軽減につながっているという(2)。
 さらに私が指摘したいのは、それが客として訪れる人たちにとっても、その場かぎりで消費される“サービス”とは違う、ある効果をうみだしている点である。例えば、ある人は「普段の自分が脅かされ、普段いる自分の世界こそが偽者じゃないかという、恐ろしいことを考える、わたしはカプカプさんの罠にまんまとかかった」(3)と述べる。私自身の経験も例にあげよう。私は、カプカプで時間を過ごした後、それまで見慣れた日常の光景――店員が挨拶しても客は無視するようなコミュニケーション、人材として“何ができるか”証明せねばその場に存在する(居る)のが後ろめたい感覚、等――の“異様さ”を意識するようになった。それは、私(たち)が日頃、どれだけ他者や自分を「殺して」生活しているのか、その“異様さ”への気づきだ。
 上のような、カプカプの労働/上演(パフォーマンス)の効果は、演劇作家ブレヒトが提案した、演劇の「異化効果」(日常見慣れたものを未知の異様なものに見せる効果)として、捉えられないだろうか。そして、そうした上演(パフォーマンス)/労働の舞台として、カプカプは「空間の劇場化、演劇化」を実践しているのではないだろうか。
 現代における「生活空間の荒廃」を問題化するなかで、篠原雅武はルフェーブルの空間論を参照しつつ「空間の劇場化、演劇化」――「活気あるありかたにおいて主体的に生きることを可能にする、確かなかたちをもった空間を造型し、現れさせること」(4)の重要性を説く。私は、カプカプがまさにそうした「空間の劇場化、演劇化」を実践し、それによって“活きた”空間を創出していると論じたい。

<参考>
1. エイブル・アート・ジャパンほか編(2010)『生きるための試行』フィルムアート社、p.113
2. 鈴木励滋(2008)「働くということ」http://kapukapu.org/hikarigaoka/room/hataraku.html
3. 「カプカプ光が丘さんのこと」(2012)http://blog.goo.ne.jp/yabukita61/e/0e919fc9b1abac75e95c6774aa4e9538
4. 篠原雅武(2011)『空間のために――偏在化するスラム的世界のなかで』以文社、p159