2004.12.1配布

 

社会学研究10「社会変動とライフコース」

講義記録(8)

 

●要点「ベビーブーマーと若者ソングU(1970-75)」

 大学紛争をピークとする若者たちの反抗を逸脱論の視点から考えてみよう。(1)逸脱行動は社会統制の弱化によって生じると考えると(社会統制理論)、戦後の民主主義教育の中で「甘やかされて」育った子供たちが若者になったのだと解釈できる。(2)逸脱行動は社会の仕組みが成員に圧力をかけるために生じると考えると(構造的緊張理論)、戦後の学校体制の中で社会的上昇(立身出世)の欲求を不断に加熱されながらも、同時に、学業成績と入学試験によって振るいにかけられてきた若者たちの不満が爆発したのだと解釈できる。(3)メインの文化からみると逸脱と見える行為も逸脱者の属する集団の文化からみると逸脱ではないと考えると(下位文化論)、大人の文化の対抗文化として若者に固有な文化が台頭してきたのだと解釈できる。(4)周囲から負のラベルを貼り付けられることが逸脱行動の結果ではなくむしろその原因なのだとすれば(レイベリング論)、「いまどきの若者」に向けられた大人たちの困惑気味なまなざしの中で、若者はそのまなざしに応えるべく「いまどきの若者」らしく振る舞っていたのだと解釈できる。

 高度経済成長の最中にあった大人の文化の中心には、会社での成功(出世)と家庭の幸福(結婚・子育て)を二大テーマとする人生の物語があり、その物語の主人公はサラリーマンと専業主婦であった。当時の流行歌では、水前寺清子「三百六十五歩のマーチ」(1968年)は前者の精神を代表し、梓みちよ「こんにちは赤ちゃん」(1962年)や佐良直美「世界は二人のために」(1967年)やは後者の精神を代表する。

若者たちは会社への組み込まれには抵抗したが、家庭への組み込まれは抵抗しなかった。「恋愛→結婚=幸福」という図式が疑われることはなく、ベビーブーマーの女性たちが結婚適齢期に入る70年代前半、かつてのフォークソングの旗手たちが歌う結婚ソングがヒットした。はしだのりひことクライマックス「花嫁」(1970年)や吉田拓郎「結婚しようよ」(1972年)などである。

結婚ソングの流行の一方で、卒業→就職という不可逆的なプロセスは、70年代の若者の歌を喪失感の漂った回顧的色彩の濃いものにした。ガロ「学生街の喫茶店」(1972年)、南こうせつとかぐや姫「神田川」(1973年)、荒井由美「あの日にかえりたい」(1975年)などである。


●質問

Q:なぜ戦争中でもない1970年代前半に「平和」が歌われたのでしょうか。今は「愛」しか歌われることがないですが、十分「平和」が歌のテーマになってもおかしくない情勢だと思うのですが、なぜ今は違うのでしょうか。

A:当時の反戦ソングはベトナム戦争に向けられたものでした。ベトナム戦争が終結したのは1973年1月29日のことです。兵役のあるアメリカの若者が反戦ソングを歌うのはごく自然な行為です。しかし日本の若者が反戦ソングを歌うためには想像力を必要とする。さもなくばたんなる模倣に過ぎない。とすれば、いまの日本の若者が反戦ソングを歌わないのは、想像力の低下、あるいはアメリカの若者文化が日本の若者にとって模倣の対象でなくなったためでしょう。

 

Q:「若者ソング」の定義はなんでしょうか。

A:若者文化の一形態であり、主たる消費者(歌う、聴く、購入する)が若者であるような歌のことです。

 

Q:加山雄三が映画の中でやっていた「頭をかく」動作が当時の好青年の仕草なら最近の好青年に共通する仕草もあるのでしょうか。

A:あると思いますね。知的な雰囲気の眼鏡をかけて、白い歯をみせてほほえむとか・・・・それはヨン様か。

 

●感想

 加山雄三さんを見て、現代の好青年像を考えたのですが、あまり思いつきませんでした。妻夫木聡か坂口憲二(マザコン役しているけど)あたりが妥当だと思います。★娘の彼氏としては、妻夫木聡はいいかもしれない。

 

 親戚のおじさんが加山雄三と大学時代の同級生で、同窓会で加山雄三に会ったとき、思い切り彼の髪をひっぱり、彼がカツラじゃないことを証明したそうです。自慢気に話をしたおじさんを思い出しました。そのおじさんが亡くなったとき加山雄三から花輪が届いていました。★たぶん植毛だと思う。

 

 私にとって「三百六十五歩のマーチ」は「天才バカボン」のイメージです(たしか主題歌でしたよね?)。努力の歌と、あまり努力していないようにみえる主人公の組み合わせはよく考えてみると変ですよね。それともバカボン(のパパ?)は実は努力家なのかな。★もちろんなのだ。天才は99%の発汗と1%の霊感だとエジソンも言ってるのだ。

 

 「カレーライス」切ないです。★この歌はね、三島由紀夫の事件(1970年)がモチーフになっているんです。二番の歌詞の一部を紹介しましょう。♪僕は座ってテレビを見てるよ、誰かがお腹を切っちゃって、う〜ん、とても痛いだろうねに、カレーライス〜。

 

 遠藤賢司の早稲田祭でのライブを見た人が、「背中にアンプをくくりつけてギター一本もって出てきて暴れていた」と言ってました。すごくかっこいいとと思いました。一生青春している感じで。エンケンになりたい。★エノケン(榎本健一)は知っている?

 

 (加川良の「教訓T」を聴いて)私の教訓は、ときには酒に飲まれることも必要ってことです。乾杯。★白玉の歯にしみわたる秋の夜の酒はしずかに飲むべかりけり(若山牧水)。イッキ飲みはやめなさい。

 

泉谷しげるのことが嫌いだったけど、「春夏秋冬」を聴いて、イメージが変わった。いい歌だと思った。★とても歌いやすい歌です。

 

 拓郎の「人間なんて」LP版でライブ15分バージョン持ってもっているんですが、まじで燃えます。★「人間なんて」も流そうかと思ったのだが、なにしろ演奏が始まってから歌が始まるまでが2分近くもあるもので・・・・。

 

中学生の頃に山口百恵にハマり、地元の図書館でCDを借りたりしました。彼女の影のある感じが好きです。今のアイドルには彼女のような魅力はないと思う。★私の妻は山口百恵に似ています。娘は深田恭子似です。

 

 私の母はユーミンが好きで、私は小さい頃からずっと聴いて育ってきました。「あの日にかえりたい」を聴いて、子どもながらに母がそんな青春を過ごしてきたのかなぁと考えていました。★「この子さえいなければ」とお母さんは考えていたのかもしれない。

 

 僕は中島みゆきの歌が大好きです。彼女のラジオ番組を聴いたことがありますか? 聴いたことがない人は彼女の「不思議ちゃん」ぶりにショックを受けることでしょう。そんなミステリアスさも含めてボクは中島みゆきが好きです。★ルックスと語りと歌が彼女ほどずれている歌手もめずらしい。

 

 私は保育園のとき、遠足のバスで「時代」を歌いました。今でも覚えています。なかなかシブイ子どもでしょ。★将来の夢を聞かれたら、「長生きすること」と答えてたんじゃないの?

 

1970年代前半の歌は今日のようなきれいな青空の下で聞いたら気持ちがよさそうな歌ばかりですね。いま流行している歌にはないような青空のイメージが強い歌が多く、さわやかな気持ちになりました。★「空」や「風」や「「風船」や「鳥」が「自由」のメタファーだったんです。

 

 私は小田和正の「月曜組曲」を毎週見ています。とてもいい番組です。★先日、大学院生からビデオを借りて、全部の回を見ました。面白かった。小田は1947年生まれのまさにベビーブーマーですが、売れ始めたのはプロテストソングが退潮した70年代後半でした。

 

 曲のひとつひとつにコメントを入れて、そして流すという授業の進め方がDJっぽくて面白かった。★ラジオの深夜放送の「パーソナリティ」たちの語りを聴いて育った世代なものですから。

 

若者が夢に溢れていた時代。無力感の中にも強い幸せを信じていた時代だったんだなと思った。切実な祈りのように感じた。今の私たちは、信じることも祈ることも無力だと思っているのだろうか。そう思うと悲しくなった。でも私はロマンチストです。★無力だという自覚は、本来、力を出し尽くした人間のものなんだけどね。

 

あと約10時間で20代突入です。切ないです。まだ甘えん坊です。★大人の女性でも甘え上手な人はいます。ひとつの才能といっていいかもしれない。

 

最近、キャンパスや早稲田の街を友人と歩いていると、あと数ヶ月で社会人になる私は、この景色も今と同じようには感じられなくなるんだろうなと考えています。早くも青春追憶の気持ちです。★それはちょっと早いかも。君、もしかして卒論は出せば通ると勘違いしてません?

 

 この授業、泣こうと思えばいつでも泣けます。★人生もそうでしょ。

 

 先生楽しそうですね。★はい、おかげさまで。

 

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