2004.4.14

 

社会学研究9「社会構造とライフコース」

講義記録(1)

 

●要点「ライフコースとは何か」

 ライフコース(life course)とは、個人が一生の間にたどる社会的な道筋(pathways)のことである。

 最初に、われわれが毎日の生活の中でたどる社会的な道筋について考えてみよう。たとえば、私は早稲田大学の教員で、家庭では夫および二人の子どもの父親で、散歩の途中で立ち寄る本屋や喫茶店では一人の客である。私はさまざまな社会関係の中で一定の地位を占め、その間を移動しつつ、そこで期待される役割を演じながら、同時に、そうした役割を通して自己呈示(私はまともな人間です。私は有能な人間です。私は愛されるべき人間です)を行いながら、日常生活を送っている。つまり私という人間はさまざまな役割の複合体であり、そういう形で社会構造の内部に組み込まれている。

 しかし、個人の社会的地位は決して不変のものではない。1日とか1週間といった短い時間幅でなく、年単位で観察するならば、それが変化していく様をみてとることができる。園児は小学生になり、学生は社会人になり、未婚者の大部分はやがて既婚者になり、サラリーマンは退職して無職の人となる。こうした役割の取得や喪失を役割移行(role transition)という。

 ある地位から別の地位へ移行するには一定の道筋を通らねばならない。たとえば、無職者から有職者へ移行するときには「就職」という道筋を、未婚者から既婚者へ移行するときには「結婚」という道筋を。社会構造の内部にはこうしたさまざまな道筋が網の目のように張り巡らされていて、個人はこうした「制度としてのライフコース」上でいくつかの道筋を選択しながら、「個人のライフコース」を形成していく。

 仔細に見るならば、個人のライフコースは相互に依存し合う複数の経歴(career)の束である。家族的地位の変化の連鎖を家族経歴、教育的地位の変化の連鎖を教育経歴、職業的地位の変化の連鎖を職業経歴と呼ぶ。他にも友人経歴、社会活動経歴、居住経歴、健康経歴精神的経歴(ものの見方や考え方の変化)といった経歴を想定することができる。

 この講義では、近代社会に固有の社会構造の中で、人々のライフコースがどのように形成されるのかを論じていく(なお、後期の「社会学研究10」では、近代社会の構造のゆらぎとライフコースの関連が問題とされる)。

 

●質問

Q:演技は演技だと本人が自覚していなくても演技なんですか。

A:はい、演技はウソ(心にもない行為)とは違うと言ったのはそういうことです。ある行為が演技かどうかは、その行為が他者(観客)の視線を意識し、社会的な約束事(規範)に従っているかどうかにかかっています。もちろん無意識のうちに従っている場合もそこに含まれます。

 

Q:自分が怠惰な人間であることを自慢したりする人も、自分がイイコであることを演じているのですか。

A:勤勉な人間が多い集団の中で、自分が怠惰な人間であることを自慢げに語るというのは、自分が周囲とは違うタイプの人間、個性的な人間であるという自己呈示であり、要するに、「カッコイイ」と思われたいわけです。「俺って昔はけっこうワルだったんだよね〜」というのと同じ。とてもわかりやすい。カワイイじゃありませんか。イイコ、イイコと頭を撫でてあげましょう。

 

Q:本当の自己というものは本人自身でも把握しきれていないと思います。なので、自分の演技のウソを本人が自覚しているという場合、何を基準にウソだと判断しているのですか。

A:まず、「本当の自己」は本人にもわからないという前提に問題があると思います。これはいってみれば、「神」の存在を想定した上で、しかし、その存在は人間には証明できないとする点で、中世の神学と同じものです。もし「本当の自分」が本人にはわからないものであれば、それがあると考えることにどういう意味があるのでしょうか。それはつまるところ不断の自己懐疑(いまの自分は「本当の自分」ではないのでは?)を生むだけではないでしょうか。個人が自分の演技をウソっぽく感じるのは、そうした不可知的な「本当の自分」からの距離ではなく、自分はこういう人間であると本人が思っている自己からの距離(ゴフマンのいう「役割距離」)のためです。

 

Q:個人が保有しているたくさんの役割の中に「核」となるものがあると思うのですが、それはどういった役割ですか。

A:ええ、中核的役割と周辺的役割という区別はありますね。それは何によって決まるのかといえば、2つの要素、第一に、日々の生活の中でその役割を演じている時間の長短(長時間演じている役割の方が中核的役割となりやすい)、第二に、こちらの方がより重要ですが、自己のアイデンティティ(自分らしさ)との関連性の強弱(関連が強い役割の方が中核的役割となりやすい)です。

 

Q:「結婚」のほかに、社会的圧力のかかっているものに何がありますか。「定年退職」はどのように考えればよいのでしょう。

A:「定年退職」はその年齢になったら否応なく退職しなくちゃならないわけですから、もちろん社会的圧力がかかっているわけです。ただし、社会的圧力には、明確に制度化(条文化)されているものと(定年退職はこれ)、暗黙のものとがあります(結婚するのが普通という観念がこれ)。「進学」「恋愛」「子育て」「親の介護」・・・・社会的圧力から自由なライフイベントというものは存在しないと考えたほうがよいでしょう。

 

Q:「道筋」は社会的に用意されているということでしたが、「それにこだわるな!」みたいな風潮が最近出てきているような気もするのですが・・・・。

A:「個性的に生きる」や「自分の思い通りに生きる」、そうした言説それ自身も一つの社会的圧力なのです。「張り紙禁止」という貼り紙と同じです。

 

Q:人の行為は他者の期待に応えるという側面をもっているわけですが、その他者が変化することによって、自分の道筋もすごく変わってくる気がします。つまり誰と出会うかがライフコースにとっては大問題なのでしょうか。

A:その通りです。虫も殺さないような人が、軍隊に入れば敵を殺すことを期待され、そうなるわけですから。ただし、人は自分という人間を評価、承認してくれるような他者や集団を自ら求めるという面もあることをお忘れなく。つまり他者や集団との出会いはまったくの偶然ではないということです。

 

Q:早稲田大学を卒業して早大生でなくなっても、早大生であったという経歴は残ると説明されていましたが、夫が亡くなると妻という役割を喪失する場合もそのようなことが言えるわけですか。

A:はい。役割の喪失は役割の記録の抹消ではありません。早大を卒業した人は「早大卒」というラベルを貼られます。同じように、夫を亡くした女性は、「未亡人」というラベルを貼れます。どちらも、たんなるラベルではなく、一種の役割であり、何らかの期待の対象となるのです。

 

Q:出生コーホートの「コーホート」ってなんですか。

A:もともとはラテン語で、「足並み揃えて行進する兵士たち」(古代ローマの歩兵隊)のことですが、人口学では、「同じライフイベントを同時期に経験した人々」の意味で使います。出生コーホートのほかに、卒業コーホート、結婚コーホートなんかをよく分析に使います。

 

Q:授業の中で、同時代を生きている人のライフコースの類似性という話がありましたが、同じ環境(階級とか地域とか)を生きていることから来るライフコースの類似性とどちらが大きいでしょうか。

A:前者でしょう。いってみれば、同時代を生きていることの類似性と、同じ環境を生きていることの類似性は、認知心理学における「地と図」の関係にあるのです。図(同じ環境を生きていることの類似性)の方にわれわれの意識は向きやすいですが、本当は、地(同時代を生きていることの類似性)の方が大きいのです。

 

●感想

 一番前の席に座っている私です。今年度も「真面目な私」を自己呈示していきたいと思います。★君の思惑とは違って、一番前(かぶりつき)に座るというのは、「過度に真面目な学生」あるいは「私の熱烈なファン(追っかけ)」という印象を与えちゃうかもしれない。

 

 衝撃でした。一つ一つの説明が自分にあてはまって、ドキドキしました。この教室にいる人たちが同一コーホートだと知ったときもドキドキしました。なんかすごいですね。★感受性が強いね。「ガリガリくん」というアイスキャンディーがあるけど、君のことは「ドキドキくん」と呼ぶことにしよう。

 

 僕は今年、日本女子大学の授業を履修する。「周りはすべて女子である状況にいる男子」としての役割がはたして上手く務まるだろうか。自意識過剰になりそうだ・・・・。★以前、カロリーメイトのコマーシャルだったかな、大学入試の模擬試験の会場を間違って、女子大のそれに参加してしまった男子という設定のCFがありましたね。あの場合は、「うっかり者」という役割を演じれば(頭を掻いて教室を飛び出す)よかったわけだが、君の場合は、「確信犯」(笑)だから、そりゃもう、堂々としていないと。「ドキマギくん」にならないように。

 

 先生に転居の回数を聞かれたときに、本当は11回引っ越しを経験していたのですが、皆にびっくりされるのが嫌で、前の人と同じ8回と答えてしまいました。これで授業で「引っ越しくん」の役割を演じずにすんでよかったです。★「引っ越しくん」発見しました。

 

 「人生は演劇」という捉え方は前から私も感じていたことです。私の友達はそう思わない人がほとんどですが、そういう感覚の違いはどこから生まれるのかすごく気になります。私は役者をやっているので、より強く感じるのか・・・・。★人生という芝居の中で、さらに役者をやっている。劇中劇ですね。

 

 教室、狭いです。★早稲田小劇場。

 

 先生がおっしゃっていた誰かのライフコースを研究するというのは文化人類学っぽいなぁと思いました。★人文の学生さんですね。文化人類学の川原ゆかり先生は、授業でデイビッド・プラースの『日本人の生き方』(岩波書店)を紹介されていますよね。あの本は、プラースが日本の市井の人々を対象に行ったライフヒストリー調査と日本の近代小説の主人公の行き方の分析なんですが、あなたがそういう感想をもったのはそのせいでしょうか。

 

 先生の授業を今まで取る機会がなく4年生になってしまいました。この授業は2年生向けだと先生がガイダンスのときにおっしゃっていたにもかかわらず、とらせていただきました。すみません。★いや、いや、謝ることはありません。いいんですよ。人生に遅すぎるということはないのですから。

 

 4年生なのに取ってしまいました。私は今日、早稲田大学職員の一次面接に行き、グループディスカッションをしてきたのですが、まさに役割理論の実践でした。演技であることは確かですが、やっぱり普段の自分というのがどうしても出てしまうというのが就活だと思います。★「人生はお芝居だ。だから下稽古が必要なのだ。」とサローヤンは言っています。

 

 あたりまえでないことをすると、「なぜ?」と聞かれる。しかし、今、就活にあたり、「なぜ就職をするのですか?」と聞かれることがよくある。あえてあたりまえのことを理由を尋ねることで、その人の考え方を見ることもあるのだなと面白く感じた。★面接担当者に、「では、あなたは、なぜ就職をされたのですか?」と聞き返してごらん(役割の逆転)。「えっ?」と言ったら、「自分が答えられないような質問を学生に投げかけるのはおよしなさい」と言いましょう。これで内定をもらえたら、その会社はなかなか見所があります。

 

 (授業で人生年表を書いてみて)自分の人生の平凡さにびっくりしました。★平凡であることの大切さ、ありがたさをそのうち知るときがくるでしょう。

 

社会学専修に落ちて西洋史専修になってしまいました。しかし、社会学ができないとわかったとき、自分は社会学で何がしたかったのかわからなくなってしまいました。自分で社会学を学ぼうとするとき、何からはじめればよいでしょうか。★(あなたが読みたいと思う)社会学の本を読むことです。社会学の本を読むことは、社会学専修の学生の特権ではありません。私は学部時代、人文専修に所属していましたが、社会学の本はけっこう読みました。

 

 『オレンジデイズ』で「上海ハニー」という曲を手話でやるそうで、私も手話でこの曲をマスターしたいと思っています。★10年ほど昔、同じ北川悦吏子脚本のTVドラマ『愛しているといってくれ』(主演:豊川悦司と常盤貴子)がヒットしたとき、手話ブームが起こった。今回もそうなりそうだね。

 

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