2004.6.23

 

社会学研究9「社会構造とライフコース」

講義記録(10)

 

●要点「ライフストーリーと転機」

 転機は就職や結婚や親の死といった他の多くのライフイベントとは異なった性格をもっている。それは主観的なライフイベントである。他のライフイベントはその経験の有無や時期について第三者からでも情報を入手できるが、転機については本人に尋ねる以外にない。転機とは「私の人生の転機」として本人が意味づけたライフイベントなのである。

 一般に人は自分の人生の方向性が確定したり、変更されたりしたときに、その時点(あるいはそのプロセス)を転機として認識するが、ここで重要なことは、そうした認識が「現在」という時点から行われるということである。すなわち転機はそれが発生している時点ではなく、「現在」からその時点を回想することによって成立する物語であるということである。「現在」は転機の時点で確定したり変更されたりした人生の方向の延長線上にあるという認識、もしそれがなければ「現在」の自分は存在しなかったであろうという認識、そうした認識の上に語られる転機の物語は「現在」の起源を説明する物語であるということができる。このことは、「現在」の状態が変化すれば転機の物語の内容も変わることがありえるということを意味する。

 近代社会に生きる人々は、将来に目標を設定し(密かに、あるいは公然と)、その目標の実現に向けて日々の生活を送っている。すなわち現在が未来に従属する未来志向の物語を生きている。しかし、さまざまな理由によって、目標の達成を断念したり、目標の見直しを行ったりすることはよくあることである。われわれは将来を展望し、過去を回想し、そして現在の状態を評価する。そうしたことを不断に行っている。

 実際、ライフコース調査、とくに事例研究的な生活史調査では、対象者にそれまでの人生を語ってもらったり、将来について語ってもらったりする。そして、それだけでなく、一定の間隔をおいて追跡調査を行い、語られた将来についての検証(どのようにそれは実現され、あるいは修正され、あるいは断念されたのか)を行うこともある。授業では、写真家の橋口譲二が1989年に撮影した17歳の若者たちの10年後を追跡したドキュメンタリー番組『17歳が歩んだ10年』(NHK、1999年)の一部を見た。

 

●質問

Q:今は大学での生活が楽しすぎて、1年生のときよりも毎日があっという間です。何か時間が経つのを遅く感じるような方法はないでしょうか。

A:確かに楽しい時間は速く過ぎてゆきます。ですからその逆をやればよろしい。退屈な映画を観て、退屈な小説を読んで、退屈なアルバイトをして、退屈な人間と喫茶店で話をする。間違いなく時間の経つのが遅く感じられるはずです。もちろんこの授業には出てはいけません。

 

Q:先生は今までどのような転機を経験さなってきたのですか。

A:27歳のとき、仲間内で出していた雑誌に「春夏秋冬」というタイトルの文章を書きました。自分のそれまでの人生の4つの時点について語ったもので、最初は小学校6年生の冬、二番目は高校3年生の春、三番目は大学3年生の夏、そして四番目は大学院の修士課程の2年生の秋。放送大学のテキスト(現在は使われていない)『生活学入門』(1994年)の中で生活史の書き方を説明するときに、その「春夏秋冬」を例として使いました。中央図書館に入っていますが、決して読んではいけません。

 

●感想

 これまでの人生で僕にとっての転機は浪人でした。自分を見つめ直せた一年でした。★浪人生活って単純明快な目的に向けて組織化された日々ですから、純度は高いです。長く持続するのはしんどいけどね。

 

 私にとっての転機は通っていた女子高を辞めたことです。超まじめな私はクラスになじめず、単位の関係で辞めざるを得なくなったときに、将来を悲観しましたが、大検をとって今ここにいることはとても意味深い経験でした。高校中退という経験はそれまでの人生観を180度変化させるものでした。★メインストリートから外れる(降りる)という経験。

 

 私は高校のときずっと芸術系の大学へ行きたくて、実際、芸大に受かったのですが、いろいろな事情で私文に変更して、一浪して早稲田に来たので、これが私の転機だったのかもしれないと思ったりします。たぶん芸大に行っていたら相当違う人生だっただろうなあ。★もしあのときああしていたら、とわれわれは自分が生きたかも知れない「もう一つの人生」に思いをはせることがある。しかし、結局、それを選ばなかったのはそれなりの理由があったのだとわれわれは自分に言い聞かせる。

 

 「私にとっての私」と「他者にとっての私」は年が増えるにつれて、ズレが少なくなってきたように思う。自己表現がうまくなってきたのか? それとも環境の変化か?★肩の力が抜けて来た?

 

 「語られたものは人に影響して、また語りを生む」みたいな言葉を先生が最後にポロッと言っていましたが、すごく心に残りました。★シンボリック相互作用の磁場の中にわれわれは生きていると。

 

 自分が17歳のときのことを考えると、あまり思い出せない。何でやろ? 映像に登場した人たちはやたら客観視していてすごいなと思った。むしろ客観視しかできないのか?★インタビューを受けて、「語る」という行為がいやおうなく自己を客体化する。「インタビュアー」という他者が鏡の役割をするわけです。

 

 写真家の人が「あなたは好きなことがなかったのでしょ」とか、「努力してこなかったのでは」とか言って、けっこうきびしいなと思いました。私だったら泣く! 痛いところ突きすぎですよね。★私は卒業生と会う機会が多いのだが、とても橋口さんのようなことは言えない。とくに手土産持参の人には。

 

 なんだかへこむ映像でした。私は舞台女優になりたいです。大学を出たら、どうやって食べながら芝居を続けようかと考えています。★私の娘は大学の演劇研究会に入りました。先日、新人公演があり、ホームレスの男に恋をするOLの役で、A4用紙一枚の長台詞に取り組んでいました。君と同じようなことを考えるようになったらどうしようと、父親として心配です。

 

 「17歳が歩んだ10年」とても興味深かったです。私もあんな追跡をやってみたいなあと思いました。★追跡される方はどうですか。やってみてもよかったら私に連絡して下さい。さっそく撮影とインタビューをします。そして次回は10年後ね。

 

 17歳の番組は私にはとても痛かったです。17歳の頃の私は緒方貞子さんに憧れて自分も国連でえらい人になると言い張っていました。それがいま・・・・一体私は何をしているのでだろうと不安になる毎日です。本当に17歳の頃は夢に憧れていた。★リンダ・ロンシュタットの歌に「夢見る頃を過ぎても」っていうのがある。中島梓の評論集にも同名のものがある。

 

 工藤夕貴さんはあの後アメリカへ渡って女優として認められたといいます。工藤さんのその転機は何だったのだろう。知りたいと思いました。★ハリウッド映画『ヒマラヤ杉に降る雪』への出演のことですね。それは「あの後」のことではなく「あの直前」のことです。当時を振り返っての彼女のインタビュー記事がネットに載っていました。その一部を抜粋します。

「別にどうしてもハリウッドというわけではなくて、日本から離れて自分の実力で評価されたいと思ったんです。たとえば私は日本でアイドルとしてデビューしましたが、一度ひとつのイメージで出てしまうと次に違うことをするのが本当に難しい。オーディションのような公平なシステムで役が決まるのではなく、事務所の力関係とか今すごく売れているとか、役に合う合わないとは関係ない部分で仕事の可能性が閉ざされてしまう。テレビを見てて、ああこの役やってみたかったと思っても声もかからない。チャンス自体がないんです。その時はすべて日本のシステムに問題があると思って、困ったんですね。アメリカでは名前のある女優さんでも、同じスタートラインからオーディションを受けると聞いてました。そこで、こちらへ来て自分を試してみようと思いました。」

http://www.eigotown.com/culture/interview/backnumber00/interview0424.shtml

 

 学生時代の残り時間はすごく感じる。心に余裕ある時にいい恋愛をしたいと思っていました。いろいろ努力しましたが、無理だと今はあきらめの境地です。3年からは忙しくて余裕がないだろうし・・・・人生上で心に余裕ある時にいい恋愛したかった(泣)。★あのですね、断言してもいいけど、心に余裕があるかないかと、誰かを好きになることとの間には、何に関係もない。私の知り合いで、いまはけっこう有名な社会学者なんだけど、修士論文に取り組んでいるとき、「この論文を書き上げたら、君に夢中になりそうだよ」と言って、彼女に振られた男がいた。彼女が怒るのも無理はない。もしそれが本物の恋であれば、論文なんか手に付かないはずだから。

 

 最近突然ペットショップの店員になりたいと思い始めました。人に言うと、「早稲田じゃなくてもいいじゃん」と言われます。自分でもそう思います。学費は滞納中だし。★「早稲田じゃなくても」という発想が足かせになっている。

 

 明日で二十歳になります。残り少ないティーン・エイジャーの時間を噛みしめようと焦り気味です。★「僕は二十歳だった。それが人生で一番美しい年齢だなどと誰にも言わせまい」(ポール・ニザン『アデン アラビア』より)。

 

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