2004.5.19

 

社会学研究9「社会構造とライフコース」

講義記録(5)

 

●要点「近代社会と共同体」

 石川啄木の歌集『一握の砂』(明治43年)には「ふるさと」を詠んだ歌が多数収められている(たとえば「ふるさとの訛なつかし停車場の人ごみの中にそを聴きにゆく」)啄木が詠んだ「ふるさと」とは彼の生まれ故郷(岩手県渋民村)のことであった。しかし『古今和歌集』の中の、「ふるさととなりし奈良の都にも色は変わらず花は咲きけり」(平城天皇)の「ふるさと」とは「旧都」の意味であり、「人はいさ心は知らずふるさとは花ぞ昔の香ににほひける」(紀貫之)の「ふるさと」は「以前よく訪れた場所」の意味である。「生まれ故郷」の意味で使われることもあったが、頻度は少なかった。

生まれた土地で一生を送る人には故郷という概念はない。生まれ育った土地を遠く離れ、新しい土地で暮らし、しかるのちに生まれ育った土地を振り返るときに、はじめてそれが故郷として意識される。近代化は農村から都市への大量の人口移動を伴うから、故郷の大衆化が生じる。近代都市と故郷とは同時発生なのである。♪志をはたしていつの日にか帰らん〜(尋常小学唱歌「故郷」大正3年)。「上京→成功→故郷に錦を飾る」は近代版「人生の物語」(地方出身者篇)の基本的プロットである。

 近代家族とは、伝統的な地域共同体(ムラ)を離れた、都市の中の家族であり、以下のような特徴をもつ。(1)規模が小さい(核家族化と少子化)。(2)周囲の社会に対して閉鎖的である(地域移動の激しい社会では親密な近隣関係が形成されにくい)。(3)機能が減少した(かつて家族内で行なわれてきた無償の労働の多くが市場化された結果)。(4)性別役割分業が行われている(職場と家庭が分離し、男は公的領域の活動、女は私的領域の活動に専従するようになった)。(5)家族が愛情の場、「暖かな家庭」としてイメージされる(期待される)ようになった(「愛情の絆で堅く結ばれた家族」というのは一種の規範、すなわち実現することを期待されている近代家族のイメージである)。

愛情機能(やすらぎを与えること)は近代家族を近代家族たらしめている機能である。他の機能は市場で購入できても、近代社会の至高価値である愛情だけはお金と交換できないのである。家族機能の外部化の過程は、同時に、家族の愛情機能の純化(期待過剰)の過程だったのである。「冷たい社会(世間)」と「暖かな家族」という図式がこうして生まれたのである。

 

●質問

Q:離婚率の上昇は愛情至上主義と関係があるのでしょうか。

A:大いにあります。夫婦間の愛情を重視すればするほど、それが消失した場合、婚姻関係を持続する理由が希薄になるわけです。

 

Q:私はペットの犬を自分の家族だと思っていますが、これは家族であることの条件のB「特別な感情(愛情)」のためですか。

A:そうですね。ペットを家族に含めるかどうかは家族社会学者の間でまじめに議論されたことがありますが、現在は、「含める派」が主流です。「どうする?アイフル」のコマーシャルもそうした認識の上に流通しているわけです。

 

Q:近年、児童虐待や家庭内暴力のニュースがしばしば報じられていますが、これは家族がもはや「愛情の場所」として意識されなくなってきたことの兆候と見ることはできないでしょうか。

A:逆です。あいかわらず家族が「愛情の場」であるべきだと考えられているからこそ、そうしたイメージに反する事件が注目を集めるのです。

 

Q:愛情というものは近代化が生んだものなのですか。それとも元々あったものなのですか。

A:愛情という感情は近代化以前から存在していましたが、近代社会において、男女間の愛情や親子(とくに母子)間の愛情の地位が上がったのです。

 

Q:生まれ育った都市を離れて地方に行く場合、都市も故郷になるのでしょうか。

A:そうなります。故郷=田舎ではありません。

 

Q:小さい頃から親の転勤などで「故郷がない」というのは、また新しい現象なのでしょうか。

A:「転勤族」の子供に固有の現象ですね。「さらなる近代化」によって生まれた現象といえるでしょう。

 

Q:個人が一番一緒に過ごす時間の長い家族に暖かい愛情が求められるということでしたが、家族って一番一緒にいる時間が短い気がするんですが。

A:一日という時間の単位の中で考えると、そういう時期もあるでしょうが、一生という時間の単位で考えてみて下さい。

 

Q:あまのじゃくな発想ですが、「あたたかな社会」であれば、「冷たい家族」でもいいのですか。

A:社会主義(あるいは国家主義)的なユートピア論の中には、家族なき社会(国家)を想定しているものがあります。そこでは家族というのは諸悪の根元なんでしょう。

 

Q:「ふるさと」は少なくとも江戸時代には蔓延していたのではないでしょうか。江戸には地方からたくさん労働者や浮浪者が来ていたと思います。

A:ご指摘のとおり、江戸時代の後半は、飢饉の影響などもあって、多くの農民が村を捨てて江戸にやってきていました(人別調べなどもずいぶんといい加減になっていたようです)。彼らは「他国者」と呼ばれ、ちょうどいまの東京で外国人不法労働者がするような種類の仕事に従事していました(彼らに住居と仕事を斡旋する人宿という業者も存在しました)。彼らの間には望郷という行為や、郷愁という感情が存在したはずです。ただし彼らはあくまでもインフォーマルな(日陰の)存在であり、職業や居住地の選択の自由を認めらた時代の上京者のように、政府公認の故郷ソング(唱歌)を歌うことはありませんでした。

 

●感想

 高齢者のためのピアノコンサートを開いた。最後に滝廉太郎の『春』をみんなで歌おうとしたけれど、知らない人が多かった。★知らないのではなくて、忘れちゃったんじゃないのかな。なお、その曲(♪春のうららの隅田川〜)のタイトルは『春』じゃなくて『花』です。東京の風景を歌った歌だから、もしかしたら、地方の人はあまり歌わなかったのかもしれないね。

 

 私は4人きょうだいです。一番下の弟は私が17歳のときに生まれて、いま3歳です。母は高齢出産や近所の目を気にして、出産に踏み切るまで大変悩んだようです。4人きょうだいや40歳を過ぎての出産に対する好奇の目と今日の授業は大変関係深いなと思いました。いま弟の世話をしておけば、君が母親になったとき、準備万端ですね。

 

父の日や母の日も近代家族の生み出したものですね。僕は母に先日2000円も出して花を贈りました。文カフェで一週間過ごせるだけの出費です。父の日と母の日・・・・年に一度だけ両親のことを思いやれば、残りの日は忘れていてもかまわないという免罪符的制度のことですね。

 

 「近代社会は愛情至上主義社会」という言葉が印象に残りました。現代の流行歌は99.9%が恋愛もの。『万葉集』はたしか恋の歌は30%くらいだった気がします。恋愛くらいしか夢中になれるものがないということだろうか・・・・。

 

 愛情至上主義社会では恋人がいないと過ごしにくいです。★小谷野敦が『もてない男』(ちくま新書)の中で、「もてないということは別に恥ずべきことではない」と書いていますが、でも、居心地は悪いよね。

 

 卒業後、帰郷して就職するよう親に言われています。志を果たさせてくれないつもりらしいです。ていうか、ワセダ卒業すりゃ本望だろうと思われているっぽいです。★「ビデオレター」とか送ってきます?

 

 私は去年、愛媛から上京してきました。先生に「故郷がある人?」と聞かれたとき、手をあげることができませんでした。私にとっての愛媛県八幡浜市はまだ故郷ではないのかもしれません。★故郷もワインと同じで、成熟するのに時間がかかると。

 

 「これが私の故里だ さやかに風も吹いている ・・・・ ああ、おまへはなにをして来たのだと 吹き来る風が私に云ふ」(中原中也「帰郷」)。大好きな詩だけれど、まだ帰郷は僕にエネルギーを与えてくれます。大好きで快適な故郷にいると、早く東京に戻りたくなる。★「月は空にメダルのやうに、街角に建物はオルガンのやうに、遊び疲れた男どち唱ひながらに帰つてゆく」(中原中也「都会の夏の夜」)。帰っていくところがないと都会では生きていけない。

 

 誰が家族なのかというのは、非常に難しい問題だと思いました。私は祖父母と同居はしていませんが、歩いて1分の距離に住んでいます。もちろん愛情もあります。しかし自分の家族だとは思っていません。とても興味深いと思いました。★この場合、「いつから」いまのように歩いて1分の距離に住むようになったかがポイントのような気がしますが。たぶん、あなたが小さい頃からではありませんよね?

 

 私の実家ではいまだに玄関にカギをかける習慣がありません。普通にお客が「こんにちはー」と言いながら入ってきます。やっぱり田舎なんだなあと実感します。★まさに田舎かそうじゃないかを判定する「カギ」ですね。

 

 少し前、マンションのドアに立てかけておいた傘を盗まれました。オートロックなので、同じマンション内の人だと思われ、ショックを受けました。その後、実家に帰ると、家や車のドアをロックしなかったり、灯油を庭に置きっぱなしにしたりすることがやたらと目につきました。昔からつながりがあるご近所さんや地域の人たちを信用しているからだと思います。どうかそこをねらった盗みなどが起きませんように。★盗んでも誰がやったかすぐにわかってしまう、ということもあるかもしれない。みんながみんなのことを知っているという状況が犯罪の抑止力になるということ。

 

 祖母は友人が家に来るときインターホンをいちいち押すのを嫌がっていた。母はそのことを嫌がっていた。前近代と近代の対立だと今日の授業を聞いていて思った。★そして、あなたは二人が対立するのを嫌がっているんでしょ?

 

 私は家族も他人だと思っています。家族の中にいるときも外にいるときと同様のストレスを感じます。だから、「冷たい社会」や「冷たい家族」に対して「暖かな自分の空間」を作るのが目標です。★あなたの家族のイメージは、小此木啓吾のいう「ホテル家族」に近いね。

 

 私の友人の父親は単身赴任していて、父親がたまに帰ってくると、友人は毛嫌いして家を出るそうです。友人にとって父親は家族に思われていないみたいです。★嫌いという感情は、好きという感情の裏返しだから、特別な感情の一種です。他人であれば無関心でいられるはずですから。

 

 就職活動に疲れ、家に帰ると、いつも以上に家族があたたかいと感じてしまいます。しかし、時に、家族の期待(らしきもの)を感じてしまうと、逆に、へこむ時もあります。人って勝手ですね(私が、ですが)。★「家族の期待」の力は実に大きいものがあります。「社会の期待」と個人(子供)を結びつけるアダプターみたいなものです。

 

 私にとっての家族は、父、母、です。★いまやフツーです。サボテンが家族だという人さえいます。

 

うちの家族をあたたかなものにして下さい。★コンビニの弁当か。

 

 愛がほしい・・・・(切実)。★お取り寄せになりますが、よろしいでしょうか。

 

先週の授業に関連したことですが、友人と話していて、結婚するなら先祖代々金持ちより一代で金持ちになった男の方がいいよねーという結論になりました。人は結婚相手にもサクセス・ストーリーを求めるのでしょうか。私は金持ちならどちらでもいいです。★昔からある「玉の輿」願望だと思います(女性特有のものです)。

 

 

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