2004.6.9

 

社会学研究9「社会構造とライフコース」

講義記録(8)

 

●要点「人生の物語と親子関係」(続)

 幼児期に母親との相互作用の中で形成された肥大した自己イメージ(一次的ナルシシズム)は、子供が家族の外部に歩み出ることによって、言い換えれば、必ずしもプラスのまなざしを期待できない他者たちとの関係の中に入っていくことによって、多かれ少なかれ損なわれ、通常の大人の自己イメージ同様(ただし大人の自己イメージと比べてより受動的である)、プラスの要素とマイナスの要素の入り交じった自己イメージへと変容する。児童の自己イメージのマイナス要素としては、(1)身体(容姿)、(2)能力(学業成績、運動能力、音楽的才能)、(3)友人関係(同級生からの人気や信頼)、(4)家族の社会経済的地位、などが代表的なものである。

 児童期の自己イメージは思春期に変容を迫られる。身体の変化(第二次性徴)、所属集団=相互作用する他者たちの変化(中学進学)、他者のまなざしからの自律性の増大(自我の発達)が主たる原因である。しかし自己イメージの再構成は必ずしもスムーズに行くわけではない。第一に、自己イメージは、個人が社会に適応するためのアダプターとしての機能を果たすものであるから、基本的にはプラスの状態に保たれていることが望ましいが、新しい自己イメージの中核となるプラスの要素が見つからない場合がある。第二に、児童期の自己イメージを支えてきた他者(その代表は親)が子供の自己イメージの再構成(それはしばしば「よい子」からの離脱として親の目には映る)にブレーキをかける場合がある。新しい自己イメージを親に承認させようとして、「私はいままでの私ではない」というメッセージを親に向かって投げかける(第二次反抗期)。

 小津安二郎『一人息子』の後半を観る。東京での立身出世を諦めてしまったように見える息子を母親は叱り、涙ぐむ(背後で妻も泣いている)。翌朝、母親は孫に語りかける、「坊や、でかくなったらなにになるだ。坊やも東京で暮らすんかね」。母親に東京見物をさせるために妻が着物を質に入れて作ったお金を、子供の怪我の治療費に困っている近所の奥さんにあげてしまう息子を見て、母親は「お前もお大尽にならなかったんがよかったかも知れねえだ」と言い、妻は「あんたはいいおかあさんをお持ちになってしあわせですわ」と言う。成功≠幸福の公式が援用されるわけだが、主人公は「もう一遍勉強するぞ」と誓い、郷里に帰った母親は一人小さな溜息をつく。


●質問

Q:今日は発達心理学的な見方がいくつか出てきましたが、社会学と心理学の棲み分けってどうなされているのですか。

A:簡単に言ってしまうと、心理学が個人の情報処理(知覚・記憶・思考)のメカニズムを研究する学問であり、社会学は個人と個人、個人と集団、集団と集団の相互作用のメカニズムを研究する学問です。ちなみに私の卒業論文のタイトルは「子供と社会に関する発達社会学的研究」といい、加齢に伴う「個人と社会」の関係の変容について考察したものでした。

 

Q:映画の中で母親が田舎に帰るときに残していった手紙にはなんと書いてあったのでしょうか。気になって・・・・。

A:「これで 孫に何かかって下さい 母」10円札が2枚添えてありました。

 

Q:人から自分のことを「しあわせだね」と言われると、不幸せに感じてしまうのはなぜなのでしょうか。

A:自分がしあわせを実感していない状況をしあわせに感じなければならないという押しつけを感じるからではありませんか。

 

Q:なぜ旧い自己イメージを支えている他者に反抗しないと、自己イメージの再構成ができないのですか。無視することはできないのですか。

A:自己イメージは社会的なものであり、安定するためには他者の承認が必要なのです(他者の承認のない自己イメージは妄想です)。旧い自己イメージを支えている他者、つまり親とは思春期以降も同じ屋根の下で生活していくわけですから、無視し続けるのは反抗する以上にエネルギーがいると思いますが。

 

Q:自己イメージのマイナス要素として芸術の才能(とくに音楽の才能)の乏しさというのがありましたが、どうして美術よりも音楽なのでしょうか。

A:人前で恥をかく機会が音楽の才能についての方が多いからです。たとえば「音痴」に相当する言葉は美術にはないでしょ。

 

Q:自分には第二次反抗期がなかったのでちょっと心配になりました。これから大人になるまでの間で爆発するような反抗期もあるんですか。

A:親に対する反抗は、親からの期待に応えられなくなったときに生じます。本当は応えたいのにもう自分には応えることができないという苛立ちが、重荷としての期待の発信源に対して向けられるのです。あなたの場合は、親の期待に応えられる能力があって今日まで来たということでしょう。親の期待が学業に集中している場合、有名大学の学生にはそうしたケースが多いです。今後、親の期待は、子供の就職や結婚、親との同居に移っていくでしょうから、そこで反抗が生じることは十分にありえます。

 

Q:私はいまだに人から言われたことをそのまま受け入れて傷ついてしまいます。これは私の自我が児童期のレベルで止まっているということでしょうか。

A:人から何か言われれば大人だって傷つきますよ。気にしない素振りが上手になるだけです。

 

Q:佐世保で起きた小学生殺人事件の女児は、なぜ同級生を殺すに至ったのでしょうか。社会学的見地から見て何か先生が考えることはありますか。

A:現在入手できるデータからだけでは彼女の殺人の動機についてはわかりません。本人もわからない(言語化できない)のかもしれません。私が社会学的見地から考えることは、今回のような「異常な事件」が起こった場合、メディアは動機の解明にやっきになるということです。社会学者のミルズは「動機の語彙」ということを言いました。社会には動機に関する類型的な語彙が存在し、人々はそうしたレディーメイドの語彙を用いて自分の行為を説明し、他者の行為を理解しようとします。その語彙にない動機、たとえば「太陽がまぶしかったから」人を殺したという説明では人々は決して納得しない。それは狂人の説明であって、そうした説明は人々を不安にさせるだけです。今回の事件でも人々は理解できる殺人の動機を知って、早く安心したいのです。

 

●感想

 小学生のときは何をするにも自信満々だったのですが、しだいに自信がなくなっていく一方です。★それが普通のプロセスです。その中で「これだけは自信がある」というのが出てくるとよいのですが、なかなかね・・・・。

 

 私は第二次反抗期がありませんでした。気づかないうちに親が与えていたイメージを維持していたのかと思うと、ちょっとやられた気がします・・・。でも、その分、大学生になってから反抗している(?)ので、もしかしたらいま反抗期なのかもしれません(笑)。★石川達三の小説に『四十八歳の抵抗』というのがあります。ただし親に対する抵抗ではなくて、老いに対する抵抗だけどね。

 

 私は第二次反抗期がありませんでした。でも親のイメージする「いい子」を演じようとする気持ちではなくて「自分にもいつか反抗期が来るんだ」と過剰に意識していると、結局、経験せずに現在に至ったという感じです。★社会学者マートンのいう「自己自殺的予言」ですね。

 

 たくさん反抗する(した)子供の方が後々親と仲良くやっていけるのではないでしょうか。★「雨降って地固まる」ということ。

 

 小津の作品はハッピーエンドと絶望の中間で終わっているとおっしゃっていましたが、わずかな希望を残して終わる方がかえって残酷な気がします。★延命治療みたいな感じですか。

 

 全然他人の目を気にしない勘違い君っていますよね。★本当に他人の目を気にしないというのは至難の業で、いたら仙人でしょう。多くの場合は、「他人の目を気にしない」ふりをして、そういう「ゴーイング・マイ・ウェイな私」を他人にアピールしているんです。

 

 自己イメージを変えるための反抗期、なるほどと思いました。やっぱりいつまでも「いい子」ではいられないし、自分なりの生き方を見つけるものですからね。★いつまでも「いい○○」ではいられない。いろいろなものが代入可能です。「人」「夫/妻」「上司/部下」「草g剛」「わかめちゃん」「ウルトラマン」・・・・。みんな自分の役所に悩んでいるんです。

 

 人間は互いに期待を押しつけたり、押しつけられたりしながら生きている。ハァ・・・・。★交換理論では「互酬性の原理」っていうんです。

 

 所属集団が増えると、それぞれの自分に対するイメージのズレをすごく感じます。しかもどれも「私」じゃない。まあ本当の「私」なんてどんなものかわかってもいないんですけど。★どれも「私の一部」であるともいえる。ただし「他者にとっての私」の総和が「私にとっての私」になるわけではない。

 

 自己イメージの再構成がまだできていないように思う。中核にプラスの要素がまずない。自分の自我はとっても脆い。だからとても他者のまなざしに弱い。どうしたらいいんでしょう。もう25歳なのに。まだ私の半分か。あなたは自分の自我の弱さを自覚しているという点において、再構成のためのスタート地点に立てていますよ。

 

 私は演劇映像専修なので小津映画は演習などでもよく観ます。関係ありませんが、社会学専修は華やかできれいな女の子が多いなぁと思います。演劇映像は個性的な(変な)人が多いので。私はその方が落ち着きますが。★肥大した他者イメージというべきでしょう。社会学専修の女性諸君、「鏡に映った自己」を勘違いしてはなりません。

 

 昨日、実家から米と僕の好きなプリングルスポテトチップスが送られてきたのですが、そこに愛情を感じると同時に、親の自分に対する無言の期待を感じてしまいました。映画の母親がお金を残して帰るシーンとかぶりました。★プリングルスポテトチップスの話は泣かせる。ところでそれはうす塩味?

 

映画の中の一家は善良すぎてちょっと怖かったです。つねさんの「しょうがない」と諦めたことがない、というセリフというか生き方はすごいなあと思います。私も諦めないでダイエット続けてみようと思っちゃいました。★そこに接続しますか。

 

映画を観ていて心が痛くなりました。私の家も金銭的に厳しいのに私の独断から始まって早稲田に来てしまい、親に苦労をかけている気がします。周りの子の親の階層とは確実に違います。私の父は自分で働いて高校を出て、母も高卒なので・・・・。メールで、自分が出世しないと泣けてくる? 聞いてみました。★メールで聞くようなことかね。で、返事は?

 

 

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