現代メディア論I

 

 

メディア史(有馬哲夫担当、金曜日5校時)

教室 14号館607教室

 

 

テキスト: 有馬哲夫『テレビの夢から覚めるまで』(国文社)

 

 

・授業スケジュールの目安と内容(ただし今年はあくまで目安)

 

第一回目授業全般の概要、授業を受けるにあたっての準備についての説明。テレビ前史。

 

第二回目アメリカ合衆国放送史年表、テレビ前史

第三回目テレビ前史および『テレビの夢から覚めるまで』、黒人ステレオタイプ、ヴィデオ視聴

第四回目『テレビの夢から覚めるまで』第一章、黒人差別、

第五回目第二章女性差別

第六回目第四章章大統領選挙

第七回目 アメリカの占領前の日本の放送

第八回目アメリカの占領とNHK

第九回目占領下の放送と放送法(NHK

第十回目占領下の放送法形成と民間放送の導入

第十一回目アメリカの外交・情報政策と日本のテレビ導入(日本テレビ)

第十二回目軍事・プロパガンダネットワーク、ユニテル・リレー網と日本テレビ

第十三回目TBSと電通

第十四回目フジテレビと台湾電視

第十五回目試験

 

授業をうけるにあたって必要な知識

 

1.アメリカ現代史(とくに第2次世界大戦以後)

2.日本戦後史(とくに占領期)

3.日米関係の戦後史(占領、MSA協定、駐留米軍、再軍備など)

4.アメリカのネットワーク(NBC、CBS、ABC、Fox)

5.日本のネットワーク(NHK、日本テレビ、TBS、フジテレビ)

6.アメリカのテレビ時代の文化、社会

など。

 

 

高校受験で世界史を選択しなかった者、日本史を選択しなかったもの、選択しても戦後のアメリカと日本の現代史を知らないものは、自分なりにアメリカ史、日本史、アメリカ社会・文化 、日本社会・文化の関係書を読んでギャップを埋めておくこと。

 

 

授業を受けることによって期待されるメリット(逆にいうと授業に出ることによって達成すべき目標)

 

1、放送というものがどのようにアメリカで始まって、どのように産業化されたか。それによってどのような制限を負い、問題を抱えることになったかを理解する。

2、そのアメリカの放送制度が占領期にどのように日本に移入されることになったか。それによって日本の放送制度は他のアジアの国々と較べてどのような特徴を持つようになったか理解する。

3、日本の放送(とりわけテレビ)が持っている限界、抱えている問題をそれらが生じた歴史的コンテキストのなかで根源までさかのぼって考えることができるようになる。

4、メディアリタラシーという面からは、すべてのメディアは必然的に偏向していて、中立的・客観的報道、あるいは情報伝達などありえないということを実感として持つこと。

5、テレビを始とするメディアの導入は冷戦体制化の米ソの外交・情報政策と密接に関係していたということを理解する。

6、以上の知識をもとに、既成のメディアに依存するのではなく、その報道を鵜呑みにするのではなく、常に一歩距離をおいて絶えず他のソースとクロスチェックしながら批判的に受け止め、思考し、行動するようになること。

 

 

 

参考・推奨図書

 

1.有馬哲夫『テレビの夢から覚めるまで』(国文社)

2.有馬哲夫『日本テレビとCIA』(新潮社)

3.有馬哲夫『原発、正力、CIA』(新潮新書)

4.有馬哲夫「アメリカ合衆国放送史(1−5)」、『早稲田社会科学総合研究』、第一巻一号、二号ほか。

5.有馬哲夫「アメリカ反共産主義政策下の日本の放送法形成」、『早稲田社会科学総合研究』、第九巻一号。

6.猪瀬直樹『欲望のメディア』(小学館)

7.ディヴィッド・ハルバースタム『ザ・フィフティーズ』(新潮文庫)

8.日本テレビ放送網『大衆とともに25年』

9.Erik Barnouw, Tube of Plenty, Oxford Univ. Press.

10.Erik BarnouwA History of Broadcasing in the United States, Oxford Univ. Press

11. 『大衆とともに25年』(東京:日本テレビ放送網、1978年)

12.『テレビ塔物語』(東京:日本テレビ放送網、1984年)

13.柴田秀利、『戦後マスコミ回遊記』(東京:中公文庫、1995)

14.猪瀬直樹、『欲望のメディア』(東京:小学館、2002)

15。ハワード・B.ションバーガー(袖井林二郎訳)、『ジャパニーズ・コネクション』(東京:文芸春秋、1995年)

16.ジョン・G・ロバーツ、グレン・デイヴィス、『軍隊なき占領』(東京:講談社文庫、2002年)

 

映像の帝国

エリック・バーナウ

サイマル出版

CBS

ロバート・メッツ

サイマル出版

メディアの権力

ディヴィッド・ハルバー・スタム

サイマル出版

テレビの夢から覚めるまで

有馬哲夫

国文社

民間放送十年史

 

日本民間放送

日本放送史

 

NHK

放送50年史

 

NHK出版

テレビ番組の40

読売新聞芸能部

NHK出版

メディアの生成

水越伸

同文館

 

ウェブサイト

 

アメリカと日本の地上波ネットワーク、ケーブルネットワーク、衛星放送のサイト。および、FCC、総務省 数え切れないほどあるので、とくに指定しないが、授業の前にキーワード(たとえばアメリカ大統領選挙、ジョン・F・ケネディなど)を入れて検索し、関連情報を集めておくこと。ウィキペディアなど参考にしていいが、誤りがあるかも知れないことを念頭に置いて、他のサイトや本などで情報をクロスチェックしておくこと。

 

 

                           

 

        

第4・5回『テレビの夢から覚めるまで』第一章のポイント

テキストを熟読して答えを考えて置いてください。

 

1.アメリカでテレビはどのように「偏見」を創造したのか。

2.そこにどんなメカニズムがはたらいていたのか。

3.『エイモス・ン・アンディー』とはどんなテレビ番組か。

4.なぜ1950年代に注目されたのか。

5.なぜラジオの『エイモス・ン・アンディー』は1929年以来放送されつづけても問題とされなかったのに、一九五〇年にテレビ版になって放送されるとそれが大きな問題とされたのか。

6.黒人のステレオタイプとはどのようなものだったか。(その前にステレオタイプとはなにか)

7.黒人のテレビ版『エイモス・ン・アンディー』に対する態度は一枚岩だったか。

8.黒人の地位向上運動にはどんな団体があったか。

9.当時のテレビ界にはどんな「建前」(理想)があったか。

10.当時のテレビ界を取り囲む現実とはどんなものがあったか。

11.アメリカのテレビは広告のメディアであるということによってどんな制限を負ったか。

12.テレビの視聴者とはどんな人か。

 

重要な用語

 

 

公民権運動

シチュエイション・コメディー

CBS

NBC

ABC

NAACP

エド・サリヴァン・ショー

テキサコ・スター・シアター

 

 

第4・5回『テレビの夢から覚めるまで』第二章のポイント

 

 

1.1950年代のアメリカで女性をとりかこむ状況、環境はどんなものだったか。

2.1950年代のアメリカ大手広告会社にはどんなものがあったか。

3.この年代ではどの製品のコマーシャルが多かったか。

4.なぜ、女性が多くコマーシャルに登場したのか。

5.ベティー・フリーダンとはなにものか。

6.なぜ、フリーダンはどんな女性差別をなぜ問題にしたのか。

7.その女性差別とテレビはどんな関係があるか。

8.フリーダンは自分の運動にどのようにテレビを利用したか。

9.テレビはウーマン・リブにどうかかわったか。

10.広告は世を映す鏡だという考え方と広告は世の中を動かすという考え方があるが、あなたはどっちをとるか。

 

重要な用語

大手広告代理店

『新しき女性の創造』

「他人指向型人間」

「組織埋没型人間」

「内部指向型人間」

ウーマン・リブ

NOW

レヴィット・タウン

郊外化

動機研究

 

第6回目 第四章 30秒民主主義の誕生

 

1.アメリカではいつから大統領選挙にテレビコマーシャルが使われるようになったのか。

2.なぜ、アメリカで大統領選挙にテレビコマーシャルが使われるようになったのか。

3.アメリカ史上ラジオをもっとも有効に使った大統領はだれか。

  どう使ったか。

4.The Great Debateとは何か。なぜ、この章で問題になるのか。

5.ロッサー・リーヴスとはなにものか。なにをした人か。

6.スポット・コマーシャルとはなにか。ほかのコマーシャルにくらべてどのように革命的か。

7.「スポット選挙コマーシャルの哲学」とはなにか。

8.その哲学はアメリカの政治をどう変えたか。

9.テレビによって日本の政治はどうかわったか。

10.新大統領バラク・オバマのメディアの使い方にはどのような特徴があったか。

 

 

 

次の週に進むに当たって以下のサイトをよく読んでおいてください。

日本の放送の始まりと後藤新平

http://www.nhk.or.jp/bunken/research/housoushi/list_housoushi1.html

 

テレビは進化する

http://www.nhk.or.jp/strl/aboutstrl/evolution-of-tv/index.html

 

ラジオフライ

http://radiofly.to/wiki/

 

後藤新平

http://radiofly.to/wiki/?cmd=read&page=%CC%B5%C0%FE%CA%FC%C1%F7%A4%CB%C2%D0%A4%B9%A4%EB%CD%BD%A4%AC%CA%FA%C9%E9&word=%B8%E5%C6%A3%BF%B7%CA%BF

 

日本総合放送年表

http://radiofly.to/wiki/?%5B%5B%C7%AF%C9%BD%5D%5D

 

NHKの歴史

http://www.nhk.or.jp/bunken/about/about_history.html

日本テレビ(日本テレビ放送網)の歴史

http://www.ntv.co.jp/info/index.html

http://www.ntv.co.jp/info/index.html

放送法

http://www.houko.com/00/01/S25/132.HTM

 

第十三回目

 

東京放送(TBS)がどのように設立されたか、電通とどのように関係しているか、広告放送をどう考えていたか

について講義します。

TBS提供の『TBS 50年史』を紹介しDVDを見せます。

 

東京放送(TBS

 

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E6%94%BE%E9%80%81

 

 

電通(電報通信社)

http://www.dentsu.co.jp/profile/data/history.html

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9B%BB%E9%80%9A

電気通信委員会議事録

telecommunication.htm

 

第十四回目

フジテレビがどのように構想され、設立されたか、日経連、経団連、経済同友会とどのような関係があるかを講義します。

中川一徳著『メディアの支配者』(講談社、2005年)に基づいてお話します。この著書は2005年度新潮社と講談社のドキュメント賞を受賞した労作でマスコミ関係に行きたい人は必読の書です。テレビに出ているだけのジャーナリストと違って、きちんとした仕事をしているので是非読んでください。

また日本のテレビ関連企業の台湾進出にも言及します。戦後しばらくして日本のテレビ産業はアジアに進出していきますが、それがどのようになされたのかを台湾を例に見ていきます。

 

フジテレビ

 

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%B8%E3%83%86%E3%83%AC%E3%83%93%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%B3

 

http://wwwz.fujitv.co.jp/fujitv/index.html

 

文化放送

 

http://www.joqr.co.jp/annai/

 

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%87%E5%8C%96%E6%94%BE%E9%80%81

 

 

ニッポン放送

http://www.jolf.co.jp/company/corporate_outline.html

 

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8B%E3%83%83%E3%83%9D%E3%83%B3%E6%94%BE%E9%80%81

 

産経新聞

 

http://sankei.jp/company/co_history.html

 

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%A3%E7%B5%8C%E6%96%B0%E8%81%9E

 

 

1ラジオ東京

2文化放送 マルチェリーノ 水野成夫 

3ニッポン放送 船田中 植村・鹿内(日経連) 中央テレビ 富士テレビ フジテレビ(設立の経緯からニッポン放送が株の過半数を所有)

                  浜田成徳 旺文社 日本教育テレビ テレビ朝日

 

産経新聞 水野成夫 鹿内

 

 

夕刊 フジ

日経連

日本経営者団体連盟

事務局長 鹿内信孝

     

 

鮎川 満州投資証券 日本電子工業(鹿内)

日本測定器(井深)

 

経団連

経済団体連合会

事務局長

植村甲午郎

 

経済同友会

事務局長

諸井貫一

 

三井 王子製紙 藤原銀次郎 読売新聞

国策パルプ 水野成夫 

 

 

かくしてテレビは台湾に導入されたー知られざる日米合作― 

 

先行研究

 

有馬哲夫『日本テレビとCIA』、新潮社、2006年。

柯裕棻、「電子與現代民国:一九六〇的電視機與現代生活之形塑」、2007年文化研究会発表論文。

林麗雲、「権威主義下台湾電視資本的形成」、『中華伝播学』第九期、2006年。

 

図1、2、3

 

台湾へのテレビ導入の3つの段階

 

第一段階、1954年1月、曾虚白のアメリカ視察旅行とそのあとの蒋介石に対するテレビ導入の建議。

第二段階、1957年4月、中日合作策進委員会(日本の経団連との)

1960年5月6日―14日、日本企業4社(フジテレビ、東芝、日立、日本電気)によるテレビのデモンストレーション放送。

第三段階、1961年2月台湾電視事業籌備委員会設立。

4月台湾電視事業股份有限公司設立

10月台湾電視テレビ放送開始。

 

 

発表に言及される人物および組織・会社

 

人物

曾虚白 国民党国際宣伝処処長、中国廣播公司社長、政治大学新聞研究所所長

張道藩 中国廣播公司会長、中華日報会長、立法院長。

周天翔 台湾電視事業股份有限公司設立準備処処長。台湾電視公司社長。

魏景蒙 曾虚白が日中戦争で国際宣伝処処長だったとき専門委員。中国廣播公司社長、

中央通訊社社長、台湾電視公司籌備委員会主任委員。台湾電視公司会長。

施桓麟 台湾電視公司副社長。台湾電視の技術開発などに携わる。社史の編纂者の一人。

方賢齋 中華民国電信総局長。梶井とシカゴのカイロ社で1953年に出会う。以後台湾のマイクロウェーブ回線建設で梶井と深いつながりを持ち、家族ぐるみの付き合いをした。

梶井剛 逓信省工務局長、日本電気社長、東海大学学長、電々公社総裁。正力松太郎のマイクロ構想を阻んだ。

バーク・ヒッケンルーパー 共和党上院議員、上院外交委員会海外情報プログラム小委員会委員長。

ウィリアム・キャッスル 前駐日米大使、国務次官、ジャパンロビー議長、CIA顧問。

ヘンリー・ホールシューセン 上院外交委員会、金融委員会顧問。

 

組織・会社

USIA 合衆国情報局(広報庁という訳もあり)国務省と上院外交委員会の主導権争いの妥協として1953年8月設立。

USIS 米大使館とUSIAの下で合衆国についてのニュースや情報を提供する。

MSA(相互防衛援助局)、軍事援助のほか、マイクロウェーブ回線など軍事に関連する技術や設備についての援助も行った。

AT&T アメリカ電信電話会社。アメリカ全土で電話電信サーヴィスを行っていた会社。ウェスタン・エレクトリックとITTの親会社。1984年に8つのベルに解体された。

ITT AT&Tの子会社。親会社が外国で電信電話事業ができないのでこれを行った。

ウェスタン・エレクトリック、AT&Tの子会社。通信機器、ラジオ、テレビなど電子機器を製造する。

 

引用1

建議創建電視上 総裁書 

此次赴美承中国廣播公司張董事長道藩先生之嘱調査美国電視伝真廣播事業、経東京時、悉本公司董総経理顕光先生亦正作此項調査。及紐約、與美国領導電視工程之製造商美国無線電公司(RCA)及業経與董総経理有所接業洽之聯合電業公司(Unitel)先後交換意見。咸認為就目前台湾之需要而言、電視在宣伝與教育上可収莫大之効果、惟就台湾経済現状而言、創弁電視確多困難。両公司皆允斟酌台湾実際需要及経済可能負担之情形、代為擬就計画配合予算、於虚白返国以前、擬妥帯回考慮。今両項計画書已携回、是否応根拠此両項計画進行実施之籌画、擬請。『老兵記往』p.108

 

引用2

我在出国之前、張董事長道藩先生要我到美国対電視事業做一次専題的研究。現在、我巳経帯回来和両部在台湾創建電視的計画:一部是由美国無線電業公司RCA設計的、一部是由聯合電業公司UNITEL. INCORPORATED設計的、此後電視究匡竟能否在台湾実現、要看我們国家的財力和各方饗応的是否熱烈来決定了。我今天的告、祗把我報在美国調査所得、根劇記憶所及、作一個畧的叙述。(『美遊散記』pp.177−78)

 

引用3

本年度予算規定一億三百元、比之去年的一億五千五百万元、巳経大大的削減了、然而仍級舊是一筆龐大経費。伝這廬大的数字中間、有一部紛一份是用在国務院直接主持的「激請友邦人士赴美観光的計画」項下的。因此、新聞局可以支配的予算低限於七千五百萬元。(『美遊散記』p.151.)

 

引用7.

本文所述所擬「籌設電視計画」曾於四十三年一月底作者返国時、答報国民党総裁 蒋公 得中央党部秘書処二月十九日函告作者、奉 批:「電視之籌建応由行政院在一年度予算列入並従速成立籌建機構」不幸、政府受美方顧問不負責任之勧告、我電視事業之発動横遭阻力、延後十余年。(『美遊散記』p.185)

 

表1

米企業の日本企業に対する再投資

 

企業名     投資企業            再投資年   持ち株比率

日本電気    ウェスタン・エレクトリック   1950    32.8

東芝      GE               1950    17

三菱電機    ウェスティングハウス      1951    4

富士電機    ジーメンス           1952    15

Assembled in Japan,p.245

表2

日本の電気機器メーカーの特許取得

 

企業名   相手企業         特許取得年     特許料(%) 

東芝    RCA          1952       3   

     ウェスタン・エレクトリック 1953       2

日立    RCA          1952       3

     ウェスタン・エレクトリック 1954       2

日本電気  ITT          1956       0.3

      RCA          1958       1.3

      GE           1958       3

松下電器 フィリップス        1952       4.22

三菱電機 ウェスティングハウス    1952       3

     RCA           1959       1.5

ソニー  ウェスティングハウス    1953       2

     RCA           1957       1

     GE            1958       3

富士電機  ジーメンス         1952       3

 (Assembled in Japan,p.246)

第一段階

1953年12月15日 バーク・ヒッケンルーパー、ヘンリー・ホールシューセン台湾訪問

1953年9 月   張道藩立法院議長に勧められて曾虚白 訪米

1954年1 月   帰国後、蒋介石にテレビ導入を建議。立法院で審議。

           アメリカ側の慎重論のために断念。

     7 月    国立政治大学新聞研究所所長になる。政治から遠ざかる。

第二段階

1956年      石坂泰三、日本経済団体連合会の会長となる。

1957年      NHKアジア放送会議を主催し、台湾にテレビ導入のための技術と番組の協力を申し出るも拒絶。

           岸の東南アジア外交。正力の「カラーを南方へ」。梶井、台湾縦断マイクロ・ウェーヴ回線網を計画

1958年9 月2日 北京電子台放送開始

           面目を失った蒋介石、自力でテレビ導入することを厳命するも一向に見通しが立たず。

1959年1 月   第4回日中協力推進委員会(中日合作策進委員会)会談。石坂泰    

           三(経団連、東芝)台湾のテレビに4社(東芝、日立、日本電気、富士テレビ)で出資する計画を打ち出す。

1960年5月06−

14日  東芝、日立、日本電気、フジテレビ、デモンストレーション放送を実施。日本から多くの技術者が台湾にくる。

12月31日 正力松太郎 川島正次郎を通じて蒋介石に白黒をとばしてカラーを導入するよう、そのために二億円の投資をすることを勧告。

第三段階

1961年2月28日「台湾電視事業股紛有限公司設立」案台湾省政府委員会通過。    台灣電視公司籌備處設立。處長、周天翔。

3月  4日 第一回準備会議が開催され、魏景蒙、台灣電視公司籌備委員會主任委員に就任。出資比率を台湾銀行国営企業などが60パーセント前後、日本企業を含む民間企業が41パーセントから31パーセントにすると決定。

4月14日 台湾側の準備委員会主任魏景蒙と日本側のフジテレビ営業部の峰尾静彦の会合がもたれ、この席でフジテレビ、東芝、日立、日本電気4社が1億2千万円、台湾側が1210万元を出資することが合意された。

1962年4月28日 開局、董事会設立 董事長に林伯壽

9月    テレビ受像機生産開始。主な部品は海外から、二次的部品は現地生産(箱だけという人もいる)。3200台生産(と主張)

10月10日 テレビ放送開始

           テレビ局の運営、放送技術、番組制作、営業はフジテレビが指導。ノウハウを学ぶためにフジテレビにさまざまな分野の人間を派遣していた。

           ただし、当時は日本語も日本の番組も日本のコマーシャルも禁止。

           そのかわり、日本のテレビの初めの頃と同じようにアメリカの番組が氾濫していた。英会話番組もあった。

           テレビの最初のころ、一般庶民は変えなかったため、軍が見た。

           家庭で見ていたのは当時駐留していたアメリカ軍の軍人、家族。

1963年12月   台湾縦断マイクロ・ウェーヴ回線網完成。

    

 

大同―(東芝?)

NEC―光琳

三菱―東元

聲寶―シャープ

新力―ソニー

松下―国際

 

ベスト3

大同

聲寶

国際

 

1969年 日立     高雄 100%対米輸出

      オリオン   高雄

1971年 RCA    桃園 100%対米輸出  

    フィリップス 高雄

    ゼニス    高雄

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

占領政策の決定プロセス

 

極東委員会

  ↓

アメリカ政府

国務・陸軍・海軍三省委員会

国務省

陸軍省

  ↓

SCAP ―  対日理事会

  

日本政府

  ↓

日本国民  

 

 

SCAPの放送法制定の目的

 

1)これまでの省令や定款や命令書に代る包括的で、時代にあった放送法を制定する。

2)それまでの通信法では、FM、テレビ、ファクシミリ、民間放送などに対処できない。これらの新しいテクノロジーとメディアを発達させるためには法整備が必要。

3)放送法によって民主主義的(アメリカ的)メディア体制を担保し、軍国主義に戻ったり、共産主義に傾いたりしないようにしなければならない。

 

対日理事会 マクマオン・ボールの発言

 

(略)したがって、ある特定の(放送の)所有や経営のタイプがほかのものより民主的であると私たちがいうのはとても難しいことです。しかしながら、現時点においては、日本で放送されるものを対日理事会がコントロールできるということはとても重要です。そして、多くの点でコントロールするより一点においてコントロールするほうが、いくつかの組織をコントロールするより一つの組織をコントロールするほうが、経済的であり効率的なのですから、現時点において独立の商業放送局を設立するのを奨励したり、同意したりするのは、適当ではないと思います。

 

対日理事会ソ連代表クズマ・デレビアンコの勧告

 

1.放送を政府の一機関の手中に集中することは占領当局の放送の管理を容易にし、放送の内容の適正化を担保することになる。

2.放送局の建設は経費のかかる事業だから、民間放送を設立すると放送がもっとも有力な財力を持つ産業・会社の手に集中することになり、日本の民主化推進に放送を利用するだけの財力のない新しい民主的団体の参入を拒むことになる。

3.民間放送会社は収益が主目的なので、非民主的な団体に利用されて、日本人に民主精神を教育する目的にそぐわない放送をすることになる。

4.放送局を民間会社が開設するとなれば、日本国内での放送局の分布がますます偏ることになる。民間放送は広告収入が財源なので、大都市に集中することになる。

 

 

逓信省の民間放送事業申請者に対する回答。

 

新放送機関の設立については、昭和二〇年九月二五日閣議了解の次第もあるが、わが国の産業経済等の諸情勢に鑑み、当分の間これを許可しないこととする。

 

その理由として、要約すると以下のものを挙げていた。

 

1.生産力が回復しておらず、放送用真空管の生産ができていない。

2.日本放送協会と進駐軍が各種の周波帯を使っているので、割り当てる周波帯がない。

3.申請者は日本放送協会の第二放送施設を使いたいと申請しているが、日本放送協会が役割を果たすためにはこの施設は必要であり、委譲することはできない。

4.新放送機関は広告放送による収入を財源としているが、わが国の現状では商品生産が不十分なので広告収入を得られないと予想される。

 

ファイスナー・メモ

次のことにとくに注意するべきである。つまり、SCAPは法律によってこの機関(公共放送機関、必ずしも日本放送協会のことではない)に標準放送と国際放送における独占を与えるべきであるといっているのではない。まさしく逆のことを示唆しているのである。すなわち、この法律は、経済的状況が許すようになったとき、民間会社同士が、あるいは民間会社とこの公共事業体とが、日本において競争することが可能になるように、日本における民間所有の放送会社の発達を規定すべきであると示唆しているのである。

 

ハウギー・メモ

.JCS 1380/15指令では「あらゆる公的情報メディアを通じての民主主義的理想と原則の伝播によって、思想の自由が涵養されなければならない」とされている。このような考えと、それに続く占領政策の目的から発展したのであるから、日本のラジオ放送に適用されるSCAPの政策とは、民主主義を守り育むものとしての放送メディアが順調に成長し、効率性を高められるようにし、かつそのようになることに力を貸すことだ。

2.日本における情報と教育のメディアとしての放送の重要性は十分考慮されなければならない。日本の人口の四十パーセントが日常的に聴取しているので、日本放送協会(Broadcasting Corporation of Japan)は主要紙のすべてに匹敵する全国的伝達能力を持っている。それ(日本放送協会)は全国的伝達能力を持った唯一の単一メディアであり、すべてのタイプの情報メディアのなかでそのコントロールが単一機関に集中しているメディアである。

 

松前重義の証言

 

占領軍より日本放送協会を根本的に民主的に改造するために、しかるべく委員会を組織しその名簿を提出しろといってきた。(中略)そこで私は放送委員会なるものをNHK内に置くことにしてその人選を行った。その人選の内容としては、大学の教授とか、或いは技術者、財界、労働関係からその代表を選ぶことにしてその名簿を情報宣伝部およびCCSに提出した。ところが情報宣伝部に呼びつけられて私の提出した名簿のうちの一人も採用することはできないことを宣言されて、それに代える彼らの案を提出されたのであったが、その案の内容をみると、殆んど共産党または共産党的色彩を持った人々でもって満たされておった。

(中略)情報宣伝部の諸君の中には私からみればコミニスト(ママ)がたくさんおったようである。そうして日本の革命を誘導するためにこの際機を逸せず、その温床をマスコミ機関である放送によって誘発してやろうと考えた諸君がおったようである。ところが十数回の交渉を経て、ハンナー大佐の努力によってこの人選も漸く妥結点に到達して、私の推薦した人を半数、情報宣伝部の推薦した人を半数程入れ、それをなるべく健全分子でコミニストならざる諸君を入れるというようなことになって、一応妥結をしたのであった。

松前らの抵抗にもかかわらず、NHKの左翼支配はその後も続き、一九四六年四月には放送委員会の初代委員長馬場恒吾が「共産主義者が委員会を支配している」として辞任したほどだった。

 

ファイスナー・メモ

 

この基本法はこの公共放送機関が契約あるいは他の方法によってこれ以上はその経営責任を労働組合に移管できないという制限を明確に規定しておくべきである。

 

 

表      標準放送  国際放送   FM  テレビ ファクシミリ 現状認識

ハウギー  日本放送協会 日本放送協会 民間   民間  民間    現状追認

ファイスナー 公共・民間 公共・民間  民間   民間  民間    現状否定

 

 

SWNCC384

 

占領の第一段階が終わったことは明白である。降伏後の基本的政策の目的を完全に達成するため、そして、日本を国際社会に正当に位置付けることを可能にする講和条約に必要な条件を満たすため、これ以降、日本自らのために、そして極東地域のために、日本の経済復興に力点が置かれるべきである。

(中略)

その一方で、日本経済を維持するためにアメリカ合衆国の財源から賄われる経費は、あらゆる努力を払って、できるだけ速やかに削減しなければならない。

日本経済をどのくらいの水準のものにするか、そして賠償をどのくらいのものにするかという決定は先送りし、日本が自立する能力を増大させるということが、占領の基本的目的と一致するすべての適切な手段をつかって、出来うる限り最大限になされるために、SCAPはすべての可能で必要な手段を、権限の範囲のなかで、とるべきである。

SCAPはしたがって、日本経済ができるだけ早い時期に収支のバランスが取れるようにする目的で、その日本経済に対する指導権限のもとで、計画を立案し、発展させるよう日本政府を指導すべきである。一時的にアメリカ政府が提供するような援助と組み合わせながら、日本国民がより多くの努力をすることで、日本経済を支えるアメリカの納税者負担をなくすべきである。このような負担をなくすことがSCAPの主たる目的である。アメリカ国民は際限なく日本経済に援助を与え続けることはできない。

 

CCSニュージェントの発言

 

放送の独占体制は、本国では社会主義的と非難される。将来、民間放送が開設できるような法律をただちに作るべきである。そのような競争が法律で認められ、競争的放送会社が発展すれば、特定グループや政府機関による放送メディアの統制がより少なくなる。(中略)基本的法律が独占的特長を排除し、将来のある時期に競争的民間放送を認可するのであれば、民間通信局の勧告に同意する。

 

占領政策の転換・逆コース

 

転換前                 転換後

日本の民主化             日本経済の再生・自立

軍国主義の根絶            日本の反共産主義の防波堤化 

旧体制の支配層の追放         旧体制の支配層の復帰

財閥解体               財閥再生

超国家主義者の追放          超国家主義者の利用

左翼主義者の解放           左翼主義者の追放

日本放送協会独占体制         民間放送導入 公共・民間並立体制

占領に利用する         チェック・アンド・バランス(民主主義の安全弁)

 

CIE フランク・馬場の証言

 

われわれ(GHQ)が引き揚げたら、せっかく民主化した日本の放送はまた右か左に、百八十度転換するかもしれない。それを阻止する唯一の道は、安全弁をつくることだ。安全弁というのは、競争相手を作っておく。「日本放送協会」は、いまこうなっているが、昔のように、軍部や政府の干渉を受けるかもしれないし、左翼に奪われるかもしれない。それをなくすためには競争相手をつくっておく。いったんつくったら、なかなかつぶれるものではない。

 

Far Eastern Commission, Far Eastern Commission, box 5, Herbert Hoover Institute, Stanford University.

 

December 11, 1946, Corrected Verbatim Minutes of the 21st Meeting, Allied Council for Japan, Allied Council for Japan,YF-A9, roll1,国立国会図書館。なお、中国代表の沈勤鼎は「日本において、実現性があり、機能しうるのならば、ラジオ放送局の公共の所有のほかに民間の所有を許すような所有形態に賛成する」と述べている。

January 8, 1947, Corrected Verbatim Minutes of the 23rd Meeting, Allied Council for Japan, Allied Council for Japan,YF-A9, roll1,国立国会図書館。

『資料・占領下の放送立法』、pp.130−131。

 ここでハウギー・メモと呼んでいるものは、正式にはImplementation of Policies Relating to Japanese Broadcasting(27 August 1947), Civil Communication Section Papersを指し、ファイスナー・メモと呼んでいるものは、Conference Outlining SCAPs General Suggestions with Respect to a Japanese Broadcasting Law16 October 1947Civil Communication Section Papersを指す。いずれもCCS文書である。なお、本論で使用するCCS文書はすべてヴィクター・ハウギー元民間通信局局員が所蔵し、時系列に整理していたものを筆者が二〇〇六年に譲り受けたものである。本論ではハウギー文書と呼ぶ。

 

松前重義、「戦後のNHKの改組をめぐって」、『逓信史話下』、pp.120-123;『資料・占領下の放送立法』p348-351

向後英紀、「放送委員会の成立とその機能」、『放送研究と調査』、(一九八六年、一二月号)p.20.

SWNCC348 Revival of Japanese Economy,pp.190-91

October 8, 1947, Conference with Government Section, re. Japanese Broadcasting Law ; October10, 1947, Conference with Government Section, re. Japanese Broadcasting Law, CCS Subject File, NARA, College Park.

馬場正三も「聞き取りでつづる新聞史:フランク馬場正三」(『別冊新聞研究』第二一号)p.109.