フィレンツェだより番外篇
2011年5月29日



 





「洗礼者ヨハネ」(部分)
レオナルド・ダ・ヴィンチ



§フランスの旅 - その14
  ルーブル6 − レオナルデスキ


初めてミラノに行った時,ベルナルディーノ・ルイーニと,チェーザレ・ダ・セストの作品が妙に印象に残った.


 やがて,アンドレア・ソラーリオ,ジャンピエトリーノ,マルコ・ドッジョーノの作品も気になり始め,彼らよりは上の世代だが,ベルゴニョーネなどもレオナルドの影響を受けたことを知った.

 レオナルドの共作者だったジョヴァンニ=アンブロージョ・デ・プレーディスを始め,ジョヴァンニ=アントーニオ・ボルトラッフィオなど,これら一連の画家をレオナルデスキと称する.

 伊語版ウィキペディアには,レオナルデスキの簡単な一覧があり,私が作品を実際に見ていない画家だが,フランチェスコ・メルツィジャン=ジャーコモ・カプロッティ(通称サライ),ジョヴァンニ・アゴスティーノ・ダ・ローディフランチェスコ・ナポレターノの名も挙げられている.


パヴィアの特別展
 ウェブページの情報(ブログ「東京でカラヴァッジョ 日記」)によって,今パヴィアでレオナルデスキの特別展を開催していること知った.

 特別展のHPもあった.サンクトペテルブルグのエルミタージュ美術館と,パヴィアの市立博物館所蔵の合計44点が写真で紹介されており,ダウンロードもできる.

 エルミタージュのコレクションはさすがに高水準に思えるが,パヴィアの「ロンバルディアの画家」(ボルトラッフィオの可能性)の「聖女の装いをした女性の肖像」が印象的だ.レオナルドの愛弟子で,主たる相続人となったフランチェスコ・メルツィの「花の女神」もまた美しい.特別展HPの表紙ページはこの2つの作品で飾られている.

 さすがに,模写や追随者作ではないルイーニの作品は,両美術館の作品とも全て傑作だし,チェーザレ・ダ・セスト,ジャンピエトリーノ,ベルゴニョーネの作品も手堅い.「レオナルデスキ」に分類されては本人たちが不満だろうが,ヴィンチェンツォ・フォッパ,ベルナルド・ゼナーレの作品は立派だ.

 ルーヴル所蔵のアンドレア・ソラーリオ「緑のクッションの聖母子」(下から3番目の写真)のコピーがエルミタージュにあるようだ.本物(だと思う)の方が,1億倍良いが,ともかく模作が描かれて,ロシアの皇帝が買ったかも知れないと考えると,それだけ魅力的な作品だったと言う事だろう.

 上のブログの著者も言っているが,レオナルドの無名の追随者による「裸体の女性」もなかなかだし,初めて聞く名前だが,ジャン=フランチェスコ・マニエーリの「十字架を担うキリスト」が緊張感には欠けるが,美しい.

 ロンバルディア出身でシエナを中心に,ローマでも活躍したソドマの絵「風景の中のキューピッド」もエルミタージュから来ている.

 無名の16世紀のロンバルディアの画家「聖ヨセフの集会の奇跡」もきちんとした絵で,是非実物を見たい.そう思うと,やはりエルミタージュのコレクションは立派だと思う.


「天秤の聖母」の親方
 ルーヴルの検索データベースに拠れば,ベルゴニョーネの作品は3点(神殿奉献/聖アウグスティヌス/殉教者ペテロ)あり,3点とも印象に残る作品だったので写真も撮ったが,ベルゴニョーネの作品とは全く気づかなかった.

 峻厳なロンバルディア風の絵に見えるが,そう言われるとレオナルドの影響もあるのかも知れない.1494年頃の絵であれば,可能性はある.

 パヴィアの市立博物館にある作品は,コピーや追随者の作品である場合,全く低水準の作品に思えるが,それでも名前が伝わらないだけの「ロンバルディアの画家」には心魅かれる作品もあった.

 その点では,ルーヴルの「天秤の聖母」の親方(メートルは「画家」の方が良いかも知れないが一応,「親方」とする)とされる画家は,魅力的な絵を描いたように思われる.「岩窟の聖母」にエリザベトと天使を加え,この天使が天秤を持っている絵柄なので「天秤の聖母」(ラ・ヴィエルジュ・オ・バランス)と称される.

 天使は天秤を持っているところを見るとウリエルではなくミカエルではないかと思われる(美術館のデータベース解説もミカエルとしている)が,いずれにせよ,画匠(メートル)と呼ばれるということは,他に彼の作品と特定されるものなく,作者自身も謎の人物と言うことになる.

写真:
「天秤の聖母」の親方


 絵自体は魅力的だ.私はマルコ・ドッジョーノかボルトラッフィオの作品だと思った(後述の書『レオナルデスキ』には,チェーザレ・ダ・セストの章で紹介され,以前は作者がチェーザレと考えられていたとある).

 しかし,美術館HPデータベースの解説に拠れば,レオナルドの作品としてルイ14世が入手し,その後,作者はマルコ・ドッジョーノ,サライ,ベルナルディーノ・ルイーニ.チェーザレ・ダ・セストなどへの比定が行われたようだ.

 なるほど,ルイーニと言われれば,そんな気もするが,確証はないのだから,不明の実力者の作品と思いたい.この絵は好きだ.ルイーニも好きだが,個性に違いがあるように思える.


ベルナルディーノ・ルイーニ
 レオナルデスキの中に必ず数えられるが,ミラノ・スカラ座前の広場に聳え立つレオナルドの像の周囲の4人の弟子の中にルイーニはいない.

 たぶん,世代的に若いのと,影響を受けていながら,レオナルドとは一線を画して,あくまでもルイーニ独自の路線を貫いたからではないかと思う.

 レオナルドは職人に徹し切れなかった天才だとすれば,ルイーニは天才ではなかったかもしれないが,職人の道を極めた最後のルネサンス人と言えるのではないだろうか.工房を率いて,ミラノのサン・マウリツィオ聖堂の堂内装飾を成し遂げるという偉業は多分,レオナルドにはできなかったし,する気も起きなかっただろう.

写真:
ベルナルディーノ・ルイーニ
「聖母子と天使たち」


 ルイーニの絵では,やわらかい表情の女性が美しい.その意味では,上の「聖母子と天使たち」は一見他のレオナルデスキの誰かの作品かと思ってしまう.幼児イエスが眠っているのは,受難を予示しているものと考えられているようだ.教皇アレクサンドル7世からルイ14世に贈られ,太陽王のコレクションにあったそうだ.

 天使が持っている布は経帷子を意味していると言われると,通常のルイーニの絵を見たときの幸福な気持ちが雲散してしまう.

写真:
ベルナルディーノ・ルイーニ
「聖家族」


 「聖家族」は,いかにもルイーニらしい作品で美しい.この絵に関しては美術館HPの解説も何も語っていない.子供なのに堂々としたイエス,控えめだがハンサムなヨセフは,ルイーニの技量によって映え,聖母の美しさを際立たせている.

 私は傑作だと思うが,こういう綺麗な絵はつまらないと思う人がいるのも理解できる.

写真:
ベルナルディーノ・ルイーニ
剥離フレスコ画
「祝福を与えるキリスト」


 ルイーニのフレスコ画にどのような評価が下されているのか,良く知らないが,サン・マウリツィオの堂内のフレスコ画,ブレラ絵画館に展示されている,もとはサンタ・マリーア・デッラ・パーチェ教会にあった一連の「マリアとヨセフ」を主題とするフレスコ画に魅せられた私としては,ルーヴルで彼の3点の剥離フレスコ画(イエスの誕生と牧人へのお告げ/三王礼拝/祝福を与えるキリスト)が見られたのは,望外の喜びだった.



 ブレラ絵画館の図録は数点持っているが,それぞれ特徴があり,有益である.

 最初にミラノに行ったときに買ったブレラ絵画館を含む案内書は,2度目にミラノに行くときの予習のために,北本の寓居に持ってきていたが,2007年のイタリア滞在の大事な思い出である多くの他の案内書は,大切に思っていただけに,実家の自室に保存していて,今回の津波で亡失した.

 2度目のミラノ行で買い集めた本は,いつか実家に送ろうと思いつつ,手元において参考にしていたのと,なかなか送る時間が無かったので,結局,やはり手元に残った.

 フィレンツェ,ボローニャ,ヴェネツィア,ルッカ,サン・ジョヴァンニ・ヴァルダルノ,レッチェ,オートラント,ピサ,アッシジ,ヴェローナ関係の本やパンフレットなどの資料がほとんど失われたのに,ミラノのものは一部を除いてかなりのものが残った.ミラノとは縁が深いかも知れない.

 最近,イタリア・アマゾンで購入した,

 Paola Strada, ed., La Pinacoteca di Brera, Milano: Skira Editore, 2010

は写真が鮮明で,すばらしい.同じ出版社のスフルツェスコ絵画館の案内書も網羅的で有益だ.さすがにブレラだと網羅的とはいかないが,写真掲載作品の選択に不満がなく,なおかつサンタ・マリーア・デッラ・パーチェ教会にあったフレスコ画の全体写真が載っているのが嬉しい.さすがに1部屋を1ページの写真にしたものなので,満足とは行かないが,ともかく他では写真が見られず,残念に思っていたので,神殿で跪いて神に誓う若夫婦,本当の意味はよくわからないが,野原を手をつないで歩いているように見えるハンサムで若いヨハネとマリアの絵が一応確認できるのが嬉しい.

 ルイーニの絵はともかく綺麗だ.他に取り柄があるのかと問われると答えに窮するが,ルイーニの絵はこれからも見られる限り見て行きたい.


マルコ・ドッジョーノ
 マルコ・ドッジョーノは,レオナルデスキの1人として常に気になる存在ではあるが,これが彼の傑作という作品にあまり出会ったことがない.ルーヴルでは下の写真の「授乳の聖母」が見られた.

写真:
マルコ・ドッジョーノ
「授乳の聖母」


 ブレラ絵画館の「3人の大天使」は,2人の大天使が見守る中,剣をかざして空中浮遊するミカエルが悪魔を地獄に突き落としていて,ドラマティックなようで,動きが静止してしまったようにも見える不思議な絵だが,はっきりしているのは,天使たちの顔が鼻筋が通っていてレオナルドの描く人物を思わせることだ.

 数少ない解説(上記の図録,ウェブ・ギャラリー・オヴ・アート)では,レオナルドの明白な影響への指摘があるが,構図も含めてそうなのだろうか.レオナルドの「最後の晩餐」の複数のコピーを描いて,それが現存する(ロンドン,王立美術学院など)ということなので,技法的にも精神的にも「弟子」と考えて間違いないだろう.

 レオナルドの強い影響を受けていながら,上手下手をさておいて,それでも絵が個性的に見えるところがおもしろい.北イタリアの画家たちの時折見られるように思われる「変な顔」の伝統も流れ込んでいるのではないだろうか.これからも気になる画家で有り続けるだろう.

 ブレラ絵画館には,彼の「聖母マリア被昇天」もあることを,日本の古本屋で広島の古書店から買った,

 Maria Teresa Binaghi Olivari, tr., Ayami Moriizumi『ブレーラ絵画館』Firenze, Bonechi, 1995

と言う日本語版の案内書(この本は,収蔵の経緯と出自を簡潔に紹介していて,配列にも工夫があり,持っていて参照する価値がある)の写真で確認することができる.それなりのダイナミズムを感じさせる絵だが,名作ぞろいのブレラで,この絵に注目するとしたら,聖母が「変な顔」をしている点だろうか.下から見上げている聖人たちと,背景の岩山がよく描けているだけに,「変な顔」に魅力が欠けているのが残念だ.


アンドレア・ソラーリオ
 ドッジョーノに比べると,ソラーリオの作品は,今まで見ることできた作品から考えると,常に穏やかで,奇矯さや破綻がない点,ある意味で「つまらない」と言われる可能性が高いように思われる.

 しかし,私はこの画家の絵が好きだ.特にルーヴルの作品は,クッションの緑と,聖母の赤の衣,青のマントの配色がうまく行っており,色白の聖母と嬰児イエスの肌と,濃淡のある栗色の髪,がよく風景の中に溶け込んでいる.地味だが,すぐれた作品だと,少なくとも私は思う.

写真:
アンドレア・ソラーリオ
「緑のクッションの聖母子」



ジャンピエトリーノ
 レオナルデスキの画家たちがおもしろいと思うのは,一見レオナルドの絵を下手にしたような作品を描いていながら,それぞれが,やはり間違いなく非常に個性的である点だ.

 下の「クレオパトラの死」は,裸体画でもあり,自決場面だから,スフォルツェスコ絵画館で見た美しい「マグダラのマリア」と全く違う作品のはずなのに,私たちがジャンピエトリーノと認識する同じ芸術家の作品としか思えない.

写真:
ジャンピエトリーノ
「クレオパトラの死」


 この作品自体が魅力的かと言われると,考え込むが,彼の他作品と比較しながら,反芻すると興味が湧いてくる.

 上述のパヴィアの特別展にはエルミタージュからジャンピエトリーノの作品が3点(三位一体の印を持つキリスト,聖母子悔悟するマグダラのマリア)と,彼への帰属が称えられたことがある作品が1点(福音史家ヨハネ)来ているようだ.裸体のマグダラのマリアが美しいし,上のクレオパトラよりも表情がやわらかで,やはりエルミタージュのコレクションは是非見たい.

 英語版ウィキペディアには,ジャンピエトリーノの作品と所蔵先のリストがある.ボルゲーゼ美術館の「授乳の聖母子」は見た可能性があるのだが,覚えていない.素人目にはボルトラッフィオなどと区別のつきにくい「濃い顔」の聖母だが,図録の写真で見る限り端整で破綻のない絵だ.カポディモンテ美術館に2作品あると書いてあるが,比較的詳細な同美術館図録には掲載されていない.

 Touring Club Italianoから出ている美術館・博物館案内シリーズの中に,ボルゲーゼ,カポディモンテの案内書があり,写真は小さいが鮮明で,解説も簡潔でわかりやすいが,ミラノの司教区博物館の図録もあり,ここにジャンピエトリーノの「十字架を担うキリスト」が紹介されている.これは,おそらく見たはずだ.

 アンブロジアーナ絵画館に4点あるが,これも同館で購入した案内書が,一昨年の予習のために埼玉の茅屋に持って来ていて手元に残ったので,写真と解説で確認できる.「聖母子」,「聖ロッコのいる幼児イエスの礼拝」,「キリストへの嘲笑」,「福音史家ヨハネ」で,若い女性のような美しいヨハネが描かれた最後の作品がまずまずだ.

 ブレラ絵画館には4点あるとされるが,ブレラのHPでも,残念ながら1点(「聖母子」で,エルミタージュの作品とよく似ているが細部は異なる)しか確認できなかった.スキラ版,ボネキ版の案内書には彼の作品は収録されておらず,絵画館で購入したスカーラ版の索引を見ても,3箇所に名前は出てくるが,作品の写真はない.

 この画家はすぐれた芸術家なのかどうかまだわからない.バガッティ=ヴァルセッキ博物館で「玉座の聖母子と聖人たち」,「救世主キリスト」を見て,一応の満足を得ているし,スフォルツェスコ絵画館の「マグダラのマリア」,まだ実物は見ていないエルミタージュの「悔悟するマグダラのマリア」を見る限り,それなりの実力者だと思うのだが,他に「これは」と思うような作品に出会えていない.

 ルーヴルの「クレオパトラの死」は十分魅力的だが,やはり彼の複数のマグダラのマリアと比べながら,という前提がついてしまう.

 レオナルデスキの個別の画家に関する本をウニリブロやイタリア・アマゾンで数冊注文したが,ルイーニの本以外は品切れ,絶版等で入手できなかった.その中で,

 I Leonardeschi: L' Eredita di Leonardo in Lombardia, Milano: Skira Editore, 1998(アクセント記号省略)

が入手できたことは望外の幸運だった.この本でもルーヴルの「クレオパトラの死」は取り上げられている.その同じページにスフォルツェスコの「マグダラのマリア」が小さな白黒写真と,ブレラ絵画館所蔵の「祈りのマグダラマリア」のカラー写真が掲載されている.

イゾラ・ベッラのボッロメーオ・コレクションの「ディドー」,「ソフォニスバ」などの古典主題の女性裸体画が美しい.ミラノの大司教,枢機卿,聖人を輩出した一族がこれらの絵を集めていたことに興味がある.


 他にも,メトロポリタン美術館にある「狩の女神ディアナ」が美しい(写真は白黒なので雰囲気だけ)し,巧拙はともかく2点の「サロメ」(個人蔵とロンドン,ナショナル・ギャラリー)が取り上げられていることからも,女性を描いて実力を発揮する画家と考えられていたのかも知れない.

 男性に関してもさすがにキリストを描いた絵はよく取り上げられているが,類型化されていて,今一つの印象をうける.しかし,1176年の神聖ローマ皇帝と北イタリア都市連合(ロンバルディア同盟)の戦い(レニャーノの戦い)で有名な,ロンバルディア州の西端レニャーノサン・マーニョ聖堂にあるとされる多翼祭壇画の一部の「福音史家ヨハネ」と「聖ヨセフ」が美しい.


巨匠の傍にいた弟子
 レオナルデスキの中で,同時代にも,歴史的にも,画家として成功したのはベルナルディーノ・ルイーニであろう.

 今回,ルーヴルで作品は見られなかったが,チェーザレ・ダ・セストの実力はあなどりがたい.マルコ・ドッジョーノと,ボルトラッフィオ,ジャンピエトリーノの作品は,今までにいくつか見ることができて,中には立派なものもあった.

 レオナルドの伝記を読むと必ず出てくる,無頼な少年サライ(サライーノ)も画家として作品を残しており,良家の出身で遺産相続人になるほど巨匠に愛されたフランチェスコ・メルツィもいる.

 サライの作品とされる絵は,ミラノのアンブロジアーナ絵画館に師匠の作品のコピー「洗礼者ヨハネ」があり,これは見ているはずだ.ルーヴルにある原作を知らなければ,そこそこの作品に見えたかも知れない.

 メルツィの作品は,写真で見る限り,エルミタージュの「フローラ(花の女神)」,ボルゲーゼの「フローラ」,ベルリン国立博物館の「ポモナとウェルトゥムヌス」(果実・果樹の女神と移り行く歳月と季節の神)など美しい絵を堅実な技量で描いた画家との印象がある.

 ルイーニのような成功を収めることもできたかもしれないが,良家の子弟で,生活のための画業ではなかったからなのか,師匠の死(1519年)後も50年近く,合計80年にも及ぼうとする人生を生きた人としては,あまりにも現存する作品が少ないように思う.

 ウフィッツィ美術館所蔵とあるが,私は見た記憶がない作品として「聖母子と聖アンナ」があり,これは誰が見てもルーヴル所蔵の巨匠の作品のコピーである.それなりの水準の作品のように思われるが,原作があるのを知っているので,安っぽくも見える.やはり,上記の作品が描ける実力と独創性があったのだから,もっと多くの,「メルツィの作品」を遺してほしかった.


「レダと白鳥」
 レオナルドの「レダと白鳥」の模写はウフィッツィにもボルゲーゼにもあるが,それほどすぐれた作品とは思えず,作者も特定されていない.

 巨匠の原作は残っていない.よく似た絵で,見たことはないが,ソールズベリーのウィルトン・ハウスに,同じ絵柄の作品があり,作者はチェーザレ・ダ・セストに比定されている.そう言われれば,他の2作に比べて,よく描けているような気がする.

 ジャンピエトリーノ作とされる「レダと白鳥」(カッセル国立博物館)もある.

 『レオナルデスキ』にチェーザレ作とされる「レダと白鳥」は載っていないが,ジャンピエトリーノの作品は,ミラノのブリツィオ・スフォルツァ・コレクションの「ニンフのエゲリア」と並べて,写真が掲載されており,なるほど後者がジャンピエトリーノの作品なら,前者もそうであろうと思わせる説得力がある.ただ,作者の個性が反映されているとは言え,モデルとなる,巨匠の部分的な素描が存在することを考えると,やはり後者に独創性が感じられるような気がする.

 「レダと白鳥」にはラファエロ作とされる素描(ウィンザー王室コレクション)もある.また,作者の比定には諸説あるようだが,レオナルドの影響を受けた若きポントルモの作とされる「レダと白鳥」がウフィッツィ美術館のトリブーナというコーナーにある.アカデミア美術館にポントルモがミケランジェロの下絵に基づいて描いたとされる「ヴィーナスとキューピッド」があるが,この構図はミケランジェロの素描「レダと白鳥」(大英博物館)に似ているように思われる.

 「レダと白鳥」が,なぜ人気のある題材だったのかわからない.エロティックな画題であると同時に,偉い子供たち(王妃となる女児2人と,双子座となって天に輝くことになる男児2人)が生まれるめでたい絵柄だからだろうか.生まれた子どもたちの運命を考えると,それほどめでたいとも思えないので,主として前者の理由からだろう.


「洗礼者ヨハネ」
 レオナルドとエロティシズムと言うと,伝記的事実の有無は別として,同性愛のイメージが強い.生涯独身で,若い頃には同性愛の疑いで司法処分を受けるかも知れない危機に陥り,ルーヴルの「洗礼者ヨハネ」のモデルだったともされる美少年のサライをそばに置き,メルツィに遺産を遺した.

 彼の絵を見ても,ミケランジェロの筋肉質な男女とは違う,独特の妖しい雰囲気を持った「洗礼者ヨハネ」などの男性像に,あるいは同性愛の気配を感じるのも無理はないように思われる.

 下の写真の「荒野の洗礼者ヨハネ」もしくは「バッカス」(ディオニュソス)とされる絵は,巨匠の作品と言うには笑顔に若干,弛緩して品性に欠ける印象もあるが,そうは言っても,見事な絵に思われ,写真で見て,是非実物を観たいと思っていた.

 ロンバルディア州ヴァレーゼのサクロモンテ博物館に素描が所蔵されているとのことなので,何らかの意味で,レオナルドに源泉があることは間違いないだろう.

 構図的に洗礼者ヨハネの姿(右手の指差し)をしていながら,杖が十字架ではなく,ディオニュソスの杖であるテュルソスになっていて,さらに腰に巻かれているののが毛衣ではなく,豹の毛皮になっていて,洗礼者ヨハネの原案からバッカス(ディオニュソス)になったものと思われる.

 バルジェッロ国立博物館に初めて行き,ミケランジェロのダヴィデもしくはアポロとされる彫像を見たときのことを思い出す.足元にあるのが,ゴリアテの首なら間違いなくダヴィデだが,未完作品のように見え,何とも判断がつかなかった.結局,何らかのアトリビュートがないと,描かれ,彫られている人物や神を特定することが難しいことがわかる.

 十字架ではなく,テュルソスを持っている以上,もはやヨハネとは言えない.この絵は,筋骨たくましいが,それでいながら,女性的な美しさも感じさせ,広い肩と見事な筋肉美によって,男性の枠組みを持ってはいるけれども,両性具有をどこかに感じさせる,レオナルド的なエロティシズムを感じさせる絵だと思う.

 長年,レオナルドを研究した人たちが,巨匠の作品ではなく工房作品と言っている以上,その通りなのであろうが,であればなおさら,レオナルド工房の水準の高さを思わずにはいられない.ウェブ・ギャラリー・オヴ・アートにはメルツィ作との断定があるが,果たしてどうだろうか.

 モナリザよりもこの絵が好きだと言ったら,多分,失笑を買うかもしれないが,少なくとも,この作品の方が私にはわかりやすい.それに,向かって左側の風景がどうして諸家によって称賛の対象にならないのか,誰かに説明してほしいような気がする.

 「モナリザ」(ラ・ジョコンダ)に象徴される巨匠はまだまだ遠いところにいるが,レオナルデスキの作品は,私にとっては,今後も追いかけていきたと思わせる魅力を持っている.その意味でも,源泉となったレオナルドの偉大さには,常に鑽仰の念を持つ続けるだろうと思われる.

 今回ルーヴルで諸家が真作と認める「女性の肖像」と,これは私も傑作だと理解できる「聖母子と聖アンナ」を見ることができなかった.それらを見に,また遠くない将来にルーヴルを訪れるつもりだ.





「荒野のヨハネ」(バッカス)
レオナルド・ダ・ヴィンチ工房