フィレンツェだより
2007年5月30日


 




サン・フランチェスコ教会
フィエーゾレ



§フィエーゾレ

午後,フィレンツェ中央駅(サンタ・マリーア・ノヴェッラ駅)前のバス・ターミナルから7番のバスに乗り,フィエーゾレの丘に向かった.


 同じバスに近くのサン・マルコ広場から乗るという選択肢もあったが,駅前まで行って正解だった.かなり混んでいたので始発から乗らなければ座れないところだった.

 だらだら坂をバスが登る途中,フィレンツェからフィエーゾレにコムーネが変わるのがゴミ箱の色でわかる.林間に点在するお屋敷群を抜け,ミーノ広場のバス停に到着した.古代のローマ植民市時代のフォルム(中央広場)のあったところだ.

 ドゥオーモを横目に,サン・フランチェスコ通りの坂道を登ると展望台があり,そこを更に登った所にサン・フランチェスコ教会(トップの写真)がある.

 この日は,途中のサンタレッサンドロ(聖アレクサンドロス)聖堂でモストラ(展覧会)をやっていたので入ってみた.ジョルジョ・デ・キリコの作品を中心とした現代イタリア画家の作品を相当数集めた展覧会だった.

 キリコおなじみの形而上学的な風景を使ったポスターをフィレンツェの街中でもよく見かけたが,彼の具象的な絵もたくさんあった.馬を描いた絵が多いのが印象に残った.他の画家としてはリッローニとカシェッラの風景画が気に入った.

 おもしろい作品がたくさんあり,盗作疑惑で日本で話題になったアルベルト・スーギの絵も3枚あった.それぞれ制作年代は離れていたが,いずれの作品も力作で,これを模倣した作品が日本で高い評価を受けていたのもむべなるかなと思われた.好きな作風かと言われると考え込んでしまうが,その圧倒的な存在感はキリコに引けをとらないものがあるように思われた.

 入場料は1人5ユーロと高めだったが,良いものを見たと思う.


サン・フランチェスコ教会
 サンタレッサンドロ聖堂を出て,サン・フランチェスコ教会に向かった.静かな佇まいの素晴らしい教会だ.

 ファサードの脇の小さな壁龕にフランチェスコの浮き彫りがあり印象に残った.鳥と話をし,キリストを思うあまりキリスト磔刑の聖痕(スティグマ)がついた姿は,私たちにもわかるフランチェスコの印だ.

写真:
ファサードの装飾
サン・フランチェスコ


 教会の内部には素晴らしい芸術作品が幾つかあった.ラファエッリーノ・デル・ガルボ(15-16世紀)の「受胎告知」,ピエロ・ディ・コジモ(15-16世紀)の「無原罪の御宿り」,ビッチ・ディ・ロレンツォの「聖母子と聖人たち」,無名の15世紀フィレンツェの画家による「三王礼拝」などである.最後の作品には聖パウロ,洗礼者ヨハネと並んで,フランチェスコが描かれている.フランチェスコ教会ならではの絵柄であろう.

 中庭に出ると付属の美術館があり,そこにはエトルリアや中国のもの,エジプトのミイラなどがあるそうだが今日は開いていなかった.外壁に「偉大な科学者」アインシュタインの息子が作った彫刻があった.


考古学地区
 鳥の声を聞きながら,森の中の山道を下り,登ってきた坂道に戻って,そのまま坂を下った.ドゥオーモはまだ閉まっている時間帯だったので,先に考古学博物館へ向かった.

写真:
考古学博物館の正面で


 博物館正面入口にはラテン語で,ムーセーウム・ファエスラーヌム(フィエーゾレ博物館)と書いてある.ファエスラはフィエーゾレのラテン語名で,キケロの『カティリーナ弾劾演説』では2か所で言及されている.そのうち1か所で使われている形容詞形も古典期からの由緒正しいラテン語である.教会の墓碑がラテン語で書かれている場合,被埋葬者がフィエーゾレの関係者だと,この形容詞が使われているようだ.

 キケロは,カティリーナの陰謀に加担した人物の一人を説明するのに「ルーキウス・スッラがファエスラに移住させた植民者の一人」(岩波文庫の訳.ここでは複数形のファエスラエが使われている)と言っているので,ローマ人のフィエーゾレへの植民は,少なくとも,独裁者ルキウス・コルネリス・スッラの時代である紀元前1世紀の前半まで遡り,ローマ都市としても,カエサルが植民団を送り込んだというフィレンツェより古い歴史を持つことになる.

 ローマ植民市の時代に作られた円形劇場では,現在もオペラなどの催しが行なわれる.3000人を収容できるそうだ.この日も舞台の設営が行われていた.

写真:
ローマ時代の円形劇場


 ローマ人たちが植民する以前,フィエーゾレにはエトルリア人が町を作っていた.考古学博物館でも展示品の多くはエトルリア人たちの遺品だ.

 円形劇場の周辺を歩いていくと,ローマ時代の大浴場の遺跡がある.そこからさらに,オリーヴやイチジクが生い茂り,芥子やシロツメクサの咲く野の道を逍遥すると,神殿跡にたどり着く.

写真:
エトルリアとローマの
神殿跡が混在する遺跡


 ここにはエトルリア時代のものと,ローマ時代のものが混在して残っているようだ.祭壇や円柱の跡が所々に見える.


バルディーニ美術館
 考古学遺跡地区を出て,バルディーニ美術館に行った.コレクションを寄贈した人にちなんで名づけられた美術館らしいが,素晴らしい作品がたくさんあった.

 タッデーオ・ガッディ,ベルナルド・ダッディ,ナルド・ディ・チョーネ,ヤーコポ・ディ・チョーネ,アーニョロ・ガッディなど14世紀に活躍したフィレンツェではおなじみの作家のゴシック風の作品群の中に,印象に残る15世紀末の小さなテンペラ画があった.「荒野の中の聖ヒエロニュモス,マグダラのマリア,洗礼者ヨハネ」で,作者は先日サン・フレディアーノ教会に大きな絵があった,ルネサンスの画家セッラーイオであった.彼の作品では「愛」,「羞恥」,「時と永遠」のそれぞれの「勝利」を描いた3枚の寓意画もあった.

 内容が充実した素晴らしい美術館の1階にはロッビア一族の彩釉テラコッタの作品群があって,それぞれ立派なものだった.イタリア語版しかなかったが,この美術館の全作品を収めたカタログを買ったので,楽しみながら勉強してみることにする.


ドゥオーモ(サン・ローモロ大聖堂)
 ロッビア一族の一人,ジョヴァンニ・デッラ・ロッビアの工房で作られた「聖ロムルス」の大きな彩釉テラコッタの像があるのがドゥオーモ(サン・ローモロ大聖堂)である.13世紀に作られたという鐘楼は人目をひく.

写真:
サン・ローモロ大聖堂


 中では結婚式の準備だろうか,打ち合わせと飾りつけの最中だった.中央祭壇にあるビッチ・ディ・ロレンツォ作のトリプティック「玉座の聖母子と聖人たち」が美しい.「聖人たち」は司教アレクサンドロス(アレッサンドロ),使徒ペテロ,聖ロムルス(ローモロ),聖ドナートゥスで,教会の名にもなっている聖ロムルス(サン・ローモロ)はフィエーゾレの守護聖人とのことだ.

 今日は行かなかったが,その他にも司教館の聖ヤコブ礼拝堂(ビッチ・ディ・ロレンツォの「聖母の戴冠」があるそうだ)がある.また,ミーノ広場からフィレンツェ方面にかなり下ったところにある聖ドメニコ教会にはフラ・アンジェリコのフレスコ画があるとのことだが,少し遠いのであきらめた.その近くで聖ロムルスが殉教したという伝説のある場所にあるバディア・フィエゾラーナはロマネスク様式のファサードが有名なようだが,ここも行かなかった.

 帰路の最初に止まったバス停が聖ドメニコ修道院の手前だったので,あわてて写真を撮った.後にフィレンツェ司教となった聖アントニーノもフラ・アンジェリコもここからフィレンツェに出て,前者はサン・マルコ修道院の初代院長となり,後者は「受胎告知」はじめ多くの作品を残した.

 フィエーゾレまで1.2ユーロのバス代が往復なので×4で4.8ユーロ,美術館,博物館,ローマ劇場などの遺跡の共通入場券は『地球の歩き方』では7ユーロとあったが,13ユーロ×2で26ユーロ,キリコ展が5ユーロ×2で10ユーロ,考古学博物館で買ったフィエーゾレの英語ガイドブックが4ユーロ,考古学遺跡地区のイタリア語ガイドブックが7.5ユーロ,バルディーニ美術館のカタログが10ユーロで,計62.3ユーロが今日のフィエーゾレ遠足の費用だった.中央市場で買ったお菓子をお昼代わりに食べ,飲まなかったが小さなペットボトルの水を持参した.これは費用には含めない.



 フィエーゾレの丘をフィレンツェから見ると建物が多くて今ひとつだが,フィエーゾレから見た眺めは絶景である.

 サン・フランチェスコ教会のあるサン・フランチェスコの丘は,エトルリア・ローマ時代にはアクロポリスだったそうである.サン・ジミニャーノもそうだったが,防衛上の理由もあるのだろうか,丘の上に町が築かれることがイタリアには多いようだ.





フィエーゾレの展望台から
フィレンツェを望む