日本語学通信 第11号 (2005.3.20)
(学部学生向け 研究室情報誌)
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目次

マ行の濁声点
2004年度の卒業論文


マ行の濁声点

 われわれはガ・ザ・ダ・バ行の言語音を仮名文字にあらわすとき、それぞれ「か」・「さ」・「た」・「は」行の仮名の右肩に二つの点(双点)を付けて、もとの仮名とは別の字体として扱っていますが、本来濁点は記号の一種で、句読点などと同類のものでした。書かれた文章を区切ったり、意味を正確に伝えたり理解したりするために、あとから読み手、ときには書き手が付け加えた記号であったのです。ですから、古い文献に句読点がなかったり、少なかったりするばかりか、濁点までも不完全にしか付けられていない、あるいは全くないものがあることにも納得がいくでしょう。

 この記号としての濁点の起源を調べると、漢字の声調を注記する際に用いられた「声点(ショウテン)」にさかのぼります。周知のように漢字は中国から伝わったもので、その漢字の声調(いまの中国語でいう1声、2声などという声調)については、古く漢字の四隅に点を加えることによって注記されました。そしてその漢字音が濁音である場合は、双点がその声調をあらわす位置に付けられることもあったのです。このようなものをとくに「濁声点」といいます。この声点を漢字だけでなく、仮名にも付けて、和語のアクセントを注記することが平安時代以降行われていました。

 ところで私の卒業論文は「国語におけるマ行音バ行音交替現象について」というもので、ケムリ・ケブリ、サムイ・サブイなどというマ行子音mとバ行子音bとが交替する例を古代から現代まで文献資料に求め、これを整理してその傾向をみようとしたものでした。そのとき問題になったのが、観智院本『類聚名義抄』(天理図書館蔵)にあるマ行の濁声点でした。今日やや堅い表現で「詳しい」という意味のことをツマビラカと言うことがあります。この語は古くツバヒラカとも言われたようで図書寮(宮内庁書陵部)本『類聚名義抄』には左上の写真のような声点が差された例があります。しかし、のちの観智院本には、下の写真のように「マ」に濁声点の認められる例がいくつかあらわれます。

 声点はその差された文字との位置関係で、左下が平声(低平調)、左上が上声(高平調)ということが知られています。ですから、図書寮本の声点は《平平濁平上平》すなわちLLLHL(低低低高低)という日本語のアクセントを注記したものです。観智院本の例も末尾の声点が欠落しているとはいえ、同じアクセントをあらわそうとしたものと推定されますが、第二字「マ」に差された声点は濁声点です。マ行に清濁の別など考えられませんから、当時私はこの処理に苦しみました。そのとき考えたことが『国文学研究』第66集(1978.10)に掲載された拙稿に載っています。そのときは、maでもbaでもないmbaのような中間的な音をあらわそうとしたのだろうと推定しました。

 しかし、これはまったく浅はかな考えでした。後年、『国文学研究』第102集(1990.10)の秋永一枝「差声と伝授―古今集声点本を例として―」にある次の一節を読んだとき、この問題があまりに簡単に解決されてしまうことに愕然としました。

 声点注記のない写本に、別系統の写本の声を移す場合など、誤写の多くなるのは当然で、『高松宮家貞応本』がそのいい例である。この写本は『毘沙門堂本古今集註』とほぼ同様であり、濁音は双点で差されている。ところが「むはたま(の)」の「は」には上声単点が差される。一方毘沙門堂本は「ムマタマ(ノ)」で〈上上上平〉である。思うに前者は「ムマタマノ」とある声点本の声を「むはたまの」に移したものであろう。移声者に充分な知識があればこのようなことは起らない。
 A文献に「ムマタマ〈上上上平〉」とある声点を、本文が「むはたま」とあるB文献に「移声」したとき、知識のないものがしたために、本文の違いには無頓着に「むはたま〈上上上平〉」と指してしまった。その結果、濁声点が付けられてよいB文献の「は」にもただ単点が付けられるだけで終わった、ということです。

 ツバヒラカとツマビラカについては事情はちょうど逆で、もとツバヒラカにあった声点をツマビラカに移したとき、不注意で「バ」の双点をそのまま「マ」に差してしまったというだけのことだったのです。

 私は秋永先生に「なぜあのとき教えてくださいませんでしたか」と詰め寄りました。すると先生はにっこりされて「わたくしの学問があのときから進んだのだと思ってください」と仰います。これには何と言って見ようもありませんでした。

 かくてマ行とバ行の中間的な音などという幻は消えてなくなりました。しかし、そのときまで十年余の間、私はその幻を見てきたようです。

※参考:拙稿「秋永先生の学問」(『わせだ国文ニュース』70,1999.5)/同「日本語史の可能性−音韻史・アクセント史を中心に−」(『早稲田日本語研究』11,2003.3)

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2004年度の卒業論文

 2004年度に審査にかかわった修士論文と卒業論文は合計8本。修士論文はいずれも教育学研究科のものです。一つは「福井市とその周辺の無アクセント地域におけるピッチパタン」という音声データを考察したもの、もう一つは「糸魚川市根知谷における語形の変遷とその要因―小動物名を例にした糸魚川言語調査の再検討―」という新潟県西部地域(日本の言語地理学では有名なところ)で実施した言語調査の考察、いずれも興味深い内容でした。卒業論文には、「三重県の北部地域における方言調査の報告」「小椋佳の歌詞に見るテーマ別語彙的特徴」「女性雑誌のメッセージを読む」「広告コピーのレトリック」「近代以降の日本人の名前の変遷」「日本の愛唱歌」がありました。

 このうち女性雑誌の表現を扱った論文はなかなか面白く、形容動詞に成りきっていない名詞を無理に形容動詞化したり(たとえば「港な女」)、あるいはそれに接尾語「め」を付けて程度表現に新しい領域を開こうとしていること(たとえば「LOVEめ」)などが報告されていて、《若者ことば》の淵源を見る思いがしました。また小椋佳の恋の歌を、過去の恋を歌ったものと現在の恋を歌ったものとに分けて、それぞれの語彙的特徴を比較した論文も読み応えがありました。
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上野和昭(Ueno Kazuaki) E-mail: uenok(at)waseda.jp