Taishi Watanabe Laboratory    
"MURA-YASHI" Project むらやしプロジェクト



仮説として以下を共有し、必要に応じて今後も修正を加えていく。  

言葉の定義
 ◇むらやしプロジェクト
   世界の村野史(在野の歴史)から学び創造し、「人類の豊かさ」を獲得する共同体を設計する
 ◇むらやし共同体
   まれびと(芦澤研・渡邊研)+むらやし民(各現地民+全国の賛同者)
 ◇むらやし
   場所軸(メタ、土地)×時間軸(未来、過去)から導かれる4つの時空間のデザイン



We share the following as hypotheses and will continue to modify them as needed.  

Definition of words
 ◇MURA-YASHI Project
   Learning and creating from the world's Mura-yashi (history in the indigenous field), and designing a community that achieves "human abundance."
 ◇MURA-YASHI Community
   Marebito (visitor from afar ; Ashizawa Lab and Watanabe Lab) + MURA-YASHI people (each local people + supporters from all over Japan)
 ◇MURA-YASHI
   Design of four time-spaces derived from place axis (meta, land) × time axis (future, past)





むらやしプロジェクト Field #001 
沖縄県国頭村与那区
渡邊大志








「村野史」とは、教科書に載っているような通史ではなく、村の人々の小さな記憶の集合である。
与那の地でむらやしプロジェクトを始動するのは、「めぐりあわせ」と「つながり」を感じたからだ。素敵なめぐりあわせで与那に宿泊することとなり、ここでは地元の方々が共有する強く温かいつながりを体感し、当初予定していた地域ではなく、与那でスタートすることとした。
この集落には、「開かれた心」と「まとまった空間」がある。私たち内地からのまれびとを温かく迎え入れてくれた地元の方々、共同体の寛大さ、そして昔からほとんど変わらず残る集落のあり方が、私たちをこの地に惹きつけた。与那川と、集落の中央に位置する儀式(行事)のための共同井戸(カー)、そしてそれを囲うように配置された5つの井戸(カー)という「水のインフラ」、また、真東を向く御嶽と集落の北側に位置し、西を向く村墓、という「方角」による集落構造が見てとれる。与那は、生活の中に信仰が入り込み、信仰と生業が一致している珍しい集落であり、むらやしプロジェクトを始めるにあたって最適の地である。今後継続して調査を行い、いずれは与那の「特産品」を作る手伝いをさせていただきたいと考えている。

Published on May 18, 2022





 「むらやしプロジェクト」は滋賀県立大学の芦澤竜一研究室との共同プロジェクトです。



記事掲載のお知らせ
29th Jenury, 2024 @長野 下諏訪市民新聞

 むらやしプロジェクトが、下諏訪市民新聞にて紹介されました。



Published on Jenury 29, 2024



記事掲載のお知らせ
29th Jenury, 2024 @長野 信濃毎日新聞

 むらやしプロジェクトが、信濃毎日新聞にて紹介されました。



Published on Jenury 29, 2024



むらやし日誌 #37
16th Jenury- 17th Jenury, 2024 @長野 下諏訪町 萩倉
2024年1月17日 増井健一






2日目。

朝6時から山の神大祭と呼ばれる神事に参加させていただいた。山の神の祠に集落の方々が集い、皆で祈りを捧げた後に今年の恵方に向かって矢を打つ。 恵方の方向には小さな的があり、的に当たれば一年を通じて山の神の御加護を受けることができるそうだ。

矢を打つ時には、「山の神様三世の御恩」と唱える。三世とは、過去・現在・未来のことを指し、古くから集落を守ってくれた山の神へ感謝を述べると共に、これからも御加護をという祈祷の意も込められている。 氷点下10度という気温の中、多くの住民が参加し皆で神事を執り行う姿は東京で暮らしていると見ることのできない風景で、とても感銘を受けた。

その後は直会という会があり、いわば神事の後の懇親会のようなものだが、その場をお借りして我々の提案をプレゼンさせていただいた。地元の方々が楽しそうに議論する姿は見ていて嬉しかった。 今後とも萩倉の方々と共に、むらやしプロジェクトの活動を通じて素晴らしいものを作り上げていきたい。

Published on Jenury 29, 2024



むらやし日誌 #36
16th Jenury- 17th Jenury, 2024 @長野 下諏訪町 萩倉
2024年1月16日 セレナ






1月17日に開催する『山の神大祭』に参加するため、萩倉で二日間世話になる。

お祭りに参加する他に、今後むらやしプロジェクトの萩倉での活動を地域住民と共有するのも、今回の訪問の目的である。 そこで、今回は萩倉の魅力を引き出すことを目的とした提案をいくつか考え、それらを絵として表現し、絵巻を用意した。

早朝発の電車に乗り、昼過ぎに下諏訪駅に到着したのち、早速役場の方々と挨拶を交わし、絵巻をお見せして、喜んでいただけたようだった。その上、提案を実行する際、地域の人々を巻き込むことが継続に繋がる鍵と助言をいただいた。 『継続』はまさに与那で立ち向かっている問題で、我々が今後取り込むべき課題である。

役場を後にし、萩倉公会所に訪れた。翌日の山の神大祭で使われる弓矢の作り方を教えてくださるとのことだ。弓矢に使われる材料は全て地域で採れるもので、改めて萩倉は自然と隣接しており、その恩恵を受けていると実感した。 貴重な体験をさせていただたのち、前回作成した萩倉集落全体模型の修繕と提案の反映作業に移る。このように、今後も新しい提案ができたたびに、集落模型を更新していく予定である。

Published on Jenury 29, 2024





記事掲載のお知らせ
21th October, 2023 @長野 長野日報

 むらやしプロジェクトが、長野日報にて紹介されました。



Published on October 26, 2023



記事掲載のお知らせ
22th October, 2023 @長野 信濃毎日新聞

 むらやしプロジェクトが、信濃毎日新聞にて紹介されました。



Published on October 25, 2023



むらやし日誌 #35
18th October- 19th August, 2023 @長野 下諏訪町 萩倉
2023年10月19日 松尾大朗






 我々が作成した模型を元に集落内の各拠点を確認し、改めて萩倉の全体像を確認し共有した。 萩倉の住民の方にも見て、楽しんでいただけたようだった。 そこで、前回お話を聞かせていただいた時から、重要な存在である「山の神」が存在する場所を模型上で確認し、実際に訪問させていただいた。

 今回は、前大総代の丸野様、前区長の小河原様、地区ボラ会長の降旗様にご案内していただいた。 萩倉の山の少し奥に行ったところに、「山の神」の拝所が存在していた。 「山の神」とは山を守る神のことであり、林業や農業など山に関する仕事では中心の存在だったようである。 話によると、いつごろからかは不明であるが、「山の神」の場所はずっと前から決まっていたようである。 「山の神」を取り巻くかつての立地関係も興味深いものがあった。 「山の神」の周辺にはトウヒの木が生えているが、その南北には百姓のための畑が存在し、さらに北側には住宅地域(所沢)が存在していたようである。 つまり、「山の神」という聖域はかつての萩倉住民の生活や生業に通ずる生活動線上に位置していることになる。 「山の神」という存在が諏訪信仰の前から存在していたかはわからないが、萩倉の生活や生業をずっと昔から今まで支えてきた重要な信仰であり、信仰と生活が密接にかかわりあっていたことは間違いないようだ。 「山の神」が萩倉には欠かせない「むらやし」であることを再確認することができた。

 「山の神」のほかにも、修験道の石碑群や製糸業の女工さんのお湯(温泉)など前回訪問させていただいたときには 、詳しくお聞きできなかったものを見させていただいたり、お話を聞かせていただいた。 今回様々なお話を聞かせていただいて、むらやしプロジェクトとして萩倉でやらせていただくプロジェクトの案も幅広く出てきた。 「むらやし」を収集することで、現在の萩倉に過去の「むらやし」をレイヤーとして重ねる仕掛けをすることで、 子供たちや訪問者が集落全体で「むらやし」を学ぶ空間を創造できるのではないだろうか。また、具体的には女工さんのお湯である、温泉「夢の湯」を創造的に復活させる案なども話にあがった。

 萩倉でやらせていただくプロジェクトと与那でやらせていただくプロジェクトの差別化は、 お互いの集落を相対化し、むらやしプロジェクトで位置付けるためには必要な工程である。 むらやしネットワークおよび、むらやしファンドの設立実現に向け、むらやしプロジェクト全体を進めていく必要がある。



Published on October 26, 2023



むらやし日誌 #34
18th October- 19th August, 2023 @長野 下諏訪町 萩倉
2023年10月18日 Lau Serena






 下諏訪町を再度訪れ、二日間お世話になる。

 下諏訪町木遣保存会の顧問である小松様に、御柱祭の歴史や流れについて詳しくレクチャーしてもらった。 御柱祭は、御柱の見立てから始まり、諏訪大社の春宮と秋宮にそれぞれ4本を建てることで終わるものである。 これには数年を要するとのことだった。また、木遣りの披露もあり、その深い歌声に感動した。

 レクチャーの後、小松様が示してくれたルートで下諏訪町を散策した。 春宮に参拝し、そこに建てられている御柱を拝見した。 高くて太い御柱を建てる際にクレーンを用いると思っていたが、実は古来からの特殊な装置を使用しているのである。 この装置の詳細は、御柱館「よいさ」で確認できた。

 夜、地域の住民との懇親会が開かれ、温かい歓迎を受けた。 多くの方から、それぞれの事業や町の歴史についての貴重な話を伺った。 下諏訪町のコミュニティ再構築に取り組む方々の思いも強く、御柱祭だけでなく、住民たちの町に対する情熱や誇りを再確認した。





Published on October 26, 2023



むらやし日誌 #33
23th August- 31th August, 2023 @沖縄 国頭村 与那
2023年8月30日 松尾大朗






 最終日も雨が降る気配はなく強い日差しがさしていた。 ユアギマーの制作においては、屋根全面にマーニを葺き、スウェル・溜池部分には運動場にある赤土を混ぜたセメントで塗っていった。 今回の施工でもって、ユアギマーはひとまず、まとまった形にまで仕上げることができた。 敷地の環境上ハマヒルガオは、うまく成長し屋根を覆ってくれるかどうかはわからないが、次回与那へ来た時には根付いていることを願うばかりである。

 夜には、沖縄の旧盆行事、最終日のウークイへ参加させていただいた。 ウークイは家族で先祖をお見送りする儀式である。 荘厳な雰囲気の中儀式は進められ、最後には与那川を渡る橋の前でお祈りをした。 去年、与那へ訪問した際には経験することができなかった貴重な体験をさせていただいた。

 前回の「与那こども祭り」では子ども達を中心にユアギマーを使って遊んでもらうことができたが、 今回の活動を通して普段から住民の方に利用してもらったり、手入れしてもらうまでには至っていない、 つまりユアギマーが与那に浸透しているわけではないという現実を痛感した。 与那でのむらやしプロジェクトは次回からユアギマーを一旦離れて、共同売店を主軸とした事業展開へとシフトしていく予定である。

 与那区長大城さんとも引き続き、次のフェーズでむらやしプロジェクトとして参画できること、すべきことを共に考えていかなければならない。 与那の住民の方の今日・明日の生活に直結するものをむらやし的なアプローチで提示することができた時に、 ユアギマーは与那にとって必要なものであると体感していただけるのではないだろうか。 今回完成したユアギマーをある種一つの指針として、これからの活動をユアギマーへ接続していく理論が必要である。



Published on September 3, 2023



むらやし日誌 #32
23th August- 31th August, 2023 @沖縄 国頭村 与那
2023年8月29日 増井健一






 本日は、ビオトープの施工をすべく、2班に分かれての活動だった。午前中は材料買い出し班と打ち合わせ・集落調査班に分かれ、午後は皆で施工を 行った。ビオトープ内の草を処理し、綺麗に整えた後にモルタルを打設するという流れで施工を行った。

 夜は旧盆の祭である「七月モーイ」に参加させていただいた。この祭りは盆に先祖を迎え入れるための踊りを舞い、皆で盛り上がるといったものである。 踊りの演目は何種類もあり、2時間ほど踊りつづける。踊るのは主に集落の女性で、円を描きながら踊る。円の中心には歌い手の女性たちが座り、太鼓を 叩きながら歌を歌う。共同売店の前で一通りの演目を踊った後、よんな〜館へ移動し、もう2周踊る。最後の回は男女問わずに踊れるものだった。

 今年の七月モーイはコロナ渦明けで四年ぶりに開催されたという。一時は祭り自体の取りやめも議題に上がったそうだが、区長である大城さんの働きかけ もあり、しっかりと存続され、開催に至ったのだそうだ。祭の最後には大城さんが集落の皆に向かって涙ながら感謝を伝える場面もあり、参加させて いただいたこちらとしても、住民一丸となって執り行う祭の尊さや、与那ならではの信仰や儀式と生活の深いつながりを実感した。

 今回は参加することが叶わなかったが、九月の初頭にはウシデークという先祖をお送りする祭が執り行われるという。七月モーイは迎え入れるため、 明るい曲調で華やかに舞うのに対し、ウシデークでは静かな曲調で、踊りもゆっくりとした振り付けになるそうだ。今後も与那へいく機会があれば、 是非とも様々な祭に参加させていただきたいと思っている。



Published on September 3, 2023



むらやし日誌 #31
23th August- 31th August, 2023 @沖縄 国頭村 与那
2023年8月28日 李昴






 与那に来てから6日目となるこの日は、集落の調査から始まった。 与那集落の信仰の要であるカーと、与那にのこる古民家に訪れた。 カーから湧き出て与那の隅々まで張り巡らされた水路は、与那が水の集落であるということを実感を持って伝えていた。 その後は、共同売店の実測を行う班と、引き続きユアギマーの施工を行う班とに別れて作業を行なった。 共同売店の実測では、コミュニティと信仰の結びつきから、アナガーを含めた共同売店の配置を実測した。

 与那のカーは基本的に集落の辺に点在する形で存在しているが、殊更信仰の中心であるとされるアナガーは、集落の中心、共同売店に隣接している。 アナガー以外のカーの水は、外周部に沿った水路や、暗渠化された水路を通って与那川に流れ込んでいく。 集落の人の動線と水の動線が絡まりながら川に注ぐ様子は、日常生活が水の信仰と結びついていることを示している、

 午後、到着した教員に指摘されたユアギマーの修正点を学生間で共有した。 今回グリーンカーテンとして利用しようと考えていたハマヒルガオは、うまく定着せず、植えた分が潮れてしまったため、結実し、子どもたちが自然の恵みを直接あやかれるような植物を植えることとなった。



Published on September 3, 2023



むらやし日誌 #30
23th August- 31th August, 2023 @沖縄 国頭村 与那
2023年8月27日 松尾大朗






 与那へ訪問して5日目である。 午前はユアギマーの施工を行い、魚網の屋根の制作、ハマヒルガオ誘導用の網を張る作業を完了させた。 ようやく、ユアギマーがハマヒルガオなどの生きた緑に覆われる姿を想像することができるところまで制作することができた。

 午後は8/29(火)に開催される「7月モーイ」の会場準備を手伝わせていただいた。 先日の踊りの練習会とは打って変わって男性のみで準備していく。 多くの住民の方による慣れた手つきで会場設営が進められ、着々と4年ぶりに開催される「7月モーイ」への期待が感じられた。

 準備作業終了後はみんなで集まり、打ち上げを行った。 このような準備作業もコミュニティの維持に必要な行事なのだ。 与那で採れた猪肉や山菜の天ぷらなど与那の食事を振る舞っていただいた。 食事中に与那区長大城さんと今後の方針など様々な話をさせていただいた。 その中でも、やはり共同売店の新たな形での復活は話題の中心であった。 以前のままのように集落内で完結する共同売店運営は可能性がないため、与那の特産品をブランディングし、 他の集落の共同売店とネットワークを形成するような外に開かれた新たな形の共同売店を目指しているとのことだった。 与那の猪肉や山菜が新たな形での共同売店の再起の一要因となるのではないかという具体的な話までしていただいた。 一方で共同売店の慣習上、外に開くことを嫌う住民の方もいらっしゃるようだ。 むらやし的なアプローチから、いかに与那の従来の共同売店としての姿と新しく開かれた姿の両立ができるのか、考えていく必要がある。



Published on September 3, 2023



むらやし日誌 #29
23th August- 31th August, 2023 @沖縄 国頭村 与那
2023年8月26日 李昴






 与那へ訪問して3日目である。この日も朝から夕方までユアギマーの施工を進めた。 午前はユアギマーの屋根を漁網を使って張っていく作業を引き続き行った。 また、屋根を張る際基礎となるコンクリートブロックを、昨日に続いて与那の方にユンボを操作していただき、地中に設置した。 同時に、ユアギマーの屋根を伝わせるための植物であるハマヒルガオ集めを行なった。 日が暮れはじめた頃には、ユアギマーの完成しつつある姿になり、あとは細部のしつけと植栽の追加のみという状態となった。

 その後の教員を交えたミーティングでは、今後与那においてむらやしがどのように活動を展開していくのかについて、具体的に提案すべき事業と、そのときユアギマーがどのように位置付けられるのかについて、認識の共有を行なった。 与那が現実に置かれている状況から、実証的なむらやしの活動が必要とされていることを再確認した。

 また、夕食では与那の方に誘っていただいた「はいけい会」に参加した。 日暮とともに、集落から徐々に人が集まってきて賑やかな食卓を囲んでいる様子は、東京はおろか、日本でも与那でしか見れない光景だったと思う。 各参加者が持ち寄った食べ物を食べながら、与那という地域に本当に貢献するためにはどうすれば良いのだろうと考えていた。 共同売店が閉店した今、「はいけい会」が与那のコミュニティにおいて果たしている役割は大きい。



Published on September 3, 2023



むらやし日誌 #28
23th August- 31th August, 2023 @沖縄 国頭村 与那
2023年8月25日 松尾大朗






 与那へ訪問して3日目である。朝から夕方までユアギマーの施工を進めた。 前半は屋根制作班とハマヒルガオ採集班に分かれて、各々作業を行った。 また、毎回お世話になっている住民の方の協力の下、森林組合からいただいた新たな木材2本の建て込みを行った。 今回追加した柱はシンメイ鍋上の屋根を支える柱となると同時に、将来カーの水を引くための水道橋の構造体の一部となることを見越したものである。 瓦版にて描いた第七のカーとしての姿に、小さいものの一歩前進することができたように思う。

 ユアギマーの作業の後には8/29(火)にて与那で4年ぶりに開催される「7月モーイ」の踊りの練習に参加させていただいた。 与那の「7月モーイ」は全国的にも珍しい、女性のみが踊ることを許されているモーイである。 練習会の参加率は非常に高く、まだ会ったことのない住民の方々とも一緒の時間を過ごすことができた。 与那では、信仰的な行事が依然としてコミュニティの中心となっていることを改めて体感することができた。

 また、以前からお世話になっている沖縄タイムスの記者の方にもインタビューをすることができ、 与那だけではなくヤンバルの北部・東部の集落のお話も伺えた。各々集落の沿革だけではなく、共同売店の現状も教えていただいた。 共同売店は奥集落で生まれた沖縄独自の集落施設であり、近年では集落内に閉じた共同売店は衰退しつつあるのが現状である。 与那でもコミュニティの核である共同売店は今年から一旦休止してしまっている。 信仰的な行事の存続と同様に共同売店の新たな形での維持が集落のコスモロジーを途絶えさせないための重大な課題であることを痛感した。



Published on September 3, 2023



むらやし日誌 #27
23th August- 31th August, 2023 @沖縄 国頭村 与那
2023年8月24日 増井健一






 沖縄県は国頭村与那へ8日間お世話になる。 今回はユアギマーの施工で主に屋根を張る作業だ。 プロジェクトメンバーが最後に与那を訪れたのは今年のGWなので、約3ヶ月ぶりに手をいれることになる。 まず最初は雑草などの掃除から始まった。 やはり3ヶ月もの時間を開けると雑草が生い茂っており、草刈機と草むしりを同時に行い、ようやく綺麗になった。

 現場を綺麗にした後は、今回の施工のメインである屋根のスタディを行った。屋根はクレモナロープと漁網を用いて施工する。 ガイドロープを張り、屋根勾配を確認した後、実際にロープと網をどう接合するかのスタディを行った。長方形の漁網に対し、三角形の屋根形状を しているため、どうしても不足分が出てしまう。網を二重にしたり継ぎ合わせたりして、試行錯誤を行った。

 そして試作品を作り実際に架けてみるとこれが上手くいかない。皆で改善点や処置方法を議論し、再びスタディを行い、ようやく施工方法が確定した。 初日は、セルフビルドの難しさと、施工方法を編み出す楽しさを味わうことができ、これからの7日間への期待に胸を膨らませる。

 夜は与那の方々が歓迎会としてバーベキューをご馳走して下さった。ハイケイという、卵を産めなくなった鶏を使用した焼き鳥なのだが、歯応えの強い肉 と、溢れる旨みが特徴的でとても美味だった。若鳥はあまり使わず、年老いた鶏を食すのだそうだ。本土との食文化の違いや、生き物や自然を大切に しながら共存していく姿勢を感じることができた。



Published on September 3, 2023



むらやし日誌 #26
28th July- 30th July, 2023 @長野 下諏訪町 萩倉
2023年7月30日 松尾大朗






 今日は長野合宿における最終日である。本日は下諏訪町萩倉へ訪問させて頂いた。 下諏訪町役場の藤森様の案内の下、前萩倉区長である小河原様とむらやしプロジェクトについて、打合せさせて頂いた。 事前にこちらからお送りした事業趣旨説明書をしっかりと目を通して頂き、萩倉の基本的な情報を教えていただいた他、 今後の我々とのスケジュールまで検討してくださった。

 小河原様との打合せが終わり、引き続き萩倉地区内を案内していただいた。 萩倉地区は「御柱祭」で有名な地区である。「御柱祭」とは、諏訪大社の諸祭儀の中で6年に一度寅年と申年の4月・5月に行われる大祭であり、 その「御柱」が通過する動線が萩倉の集落の構造を形成していることを体感した。 動線周辺に住宅が配置されており、住宅エリアの北部には山の神がいると言われる山が鎮座しており、 南部には広大な畑と自然が広がっており、ブルーベリーなどを栽培していた。

 集落の散策の道中には住民の方とも交流することができた。 軽トラックを運転していた方とすれ違った際には、採取した黒曜石を分けていただき、黒曜石にまつわる地理学の知識を教えていただいた。 また、萩倉地区の大総代であられる丸野様にも貴重なお話をしてただいた。 御柱祭における御柱の通過地点としての萩倉という地区を、おもてなしの精神で精力的に地区住民一丸となって地域作りをされていた。

 萩倉には豊富な資源と、温かく開かれた人の存在があった。 案内してくださった前区長小河原様をはじめとして、丸野様や住民の方々との交流を通じて、 常に萩倉という地区を盛り上げようとしている情熱を感じた。 様々な聞き取り調査を通じて、萩倉の特徴は『住民同士の一丸となる強固な結束力』にあるようだ。 御柱祭だけでなく、慣習的な地区のイベント、また防災訓練に至るまで、ほとんどの住民の方々は参加しているということだった。 萩倉にはそのような、我々が追究している共同体をつなぎ留める「むらやし」が確かに存在しているようである。 今後は萩倉の「むらやし」を調査しながら、萩倉の方々と共にプロジェクト活動を是非ともご一緒させて頂きたいと感じた。



Published on August 1, 2023



むらやし日誌 #25
28th July- 30th July, 2023 @長野 下栗の里・上蔵・萩倉
2023年7月29日 李昴






天龍村から中央構造線を北上していく。まずは下栗の里に立ち寄り視察した。

下栗の里は、曲がりくねった山道を抜けた先にあった。葛折になった里の道をくだった先に、霜月祭りの儀式が行われる拾五社大明神がある。 下栗地区の観光案内所の方のご厚意で、神楽殿と本殿が一体化した社内に入らせていただいた。 扉を開けると、湯立神楽の中心のかまどと、梁から縄で吊るされた正方形の聖域が、静謐な空間に浮かび上がっていて、あまりの存在感に言葉を失った。 下栗の里でも特別古いとされる大野地区に立ち寄ったのち、同じ霜月祭りが行われる正一位稲荷神社を訪れた。 内部には、拾五社大明神と同様の形式の聖域があった。

神楽殿と本殿が一つの建築のなかにまとまった形式や、圧倒的な存在感をもつ湯立神楽の聖域に触発され、まつり伝承館天伯を訪問した。 湯立神楽の映像を見ながら、一度実際の様子をこの目で見なければならないと確信する。

夕方には、大鹿村の上蔵を視察した。 上蔵とかいて「わぞ」と読むこの集落は、バナキュラーでありながら、石垣の積み方一つとってもデザインされた、美しい空間を持っていた。 山に囲まれたインテリアのように集落が感じられる、不思議な空間体験をさせていただいた。

翌日の萩倉訪問のため、下諏訪地方へと向かう道中、この日見た集落で殆ど住民の方にインタビューすることができなかったことについて考えていた。 見ただけではむらやしは分からない。次に訪れるときは、この集落に実際に生を営む方々に改めてむらやしを聞きたい。



Published on August 1, 2023



むらやし日誌 #24
28th July- 30th July, 2023 @長野 天龍村 向方
2023年7月29日 増井健一






むらやし合宿2日目。私と滋賀県立大学芦澤研究室の学生1人は昨日に引き続き向方に滞在した。 午前、集落内を散策し、向方の芸能部の方々にお話をさせていただいた。向方における集落形成の変遷や、自然との共生の仕方、神社と寺が混在する この地における信仰の在り方など、様々なお話を聞かせて頂いた。中でも印象的だったのは、都心部からの出戻りの方々によって、向方で昔から 紡がれてきたコミュニティの在り方が変化してきているという点である。人の心は環境によって大きく変化するということを改めて実感した。

午後からは村松さんからお誘い頂いた「かけ踊り」の練習に参加させて頂いた。 かけ踊りとは、向方で行われる盆の踊りであり、一度は途絶えたものを、向方芸能部の方々が復活させたものである。 自らが幽霊を演じ、太鼓を鳴らしながら笛の音で舞うというものである。 古くから続く舞であり、笛の音は繊細で独特のリズムを奏でる。舞手は笛の音に合わせながら、「よーい、よーい」「そーりゃ」と掛け声をかけて舞う。 現在行われているかけ踊りのリズムは、向方芸能部の方が幼い頃聞いていた記憶を頼りに再編したものであり、信仰を残そうとする強い意志と、 柔軟な共生の在り方が見受けられた。

今回は、地域おこし協力隊の方々も練習に参加しており、中では向方への移住を考えている方もいるそうだ。 過疎化、高齢化が進むこの地で、我々が「むらやしプロジェクト」を行う意義を感じたのに対し、実際どの様に運営していくのかといった 具体的なプロセスを考える必要がある。



Published on August 1, 2023



むらやし合宿 #23~#26
28th July- 30th July, 2023 @長野




【1日目-7月28日-】



【2日目-7月29日-】



【3日目-7月30日-】





『むらやしプロジェクト』における「第2の村」を見つけるべく、長野県八ヶ岳周辺の集落を巡った。
以上は、本合宿の旅のしおりである。



Published on August 1, 2023



むらやし日誌 #22
2nd May- 8th May, 2023 @沖縄 国頭村 与那
2023年5月8日 松尾大朗






今回の活動の最終日である。大城さんに朝から空港まで送っていただくので、それまでにハマヒルガオを採取し、既存の魚網屋根に絡ませておいた。 次は8月末に訪問し、屋根と水路・ビオトープの本施工を行う。 それまでにハマヒルガオがどれほど成長し、日除けとすて機能するのか、実験をしておきたかったのである。

今回の活動も本当に多くの与那の方々に支えていただいた。 「おかえり」と温かく迎えてくださった日から、あっという間に一週間が過ぎた。

あまり使われなかったという「ユアギマー」が、水を有することで活気に満ちたコミュニティの生活風景を作り出せた点や、与那以外の方々にも我々の活動や「ユアギマー」を認知してもらえた点など、これからの活動をより充実させるための布石を多少なりとも打つことができたのではないだろうか。

同時に、共同売店の閉店や住民のイベントへの参加率の問題など、「むらやしプロジェクト」における当事者意識の形成という大きな課題に直面した。 以上の成果を残りの「むらやしプロジェクト」メンバーに共有し、早速作戦を立てなければならない。



Published on May 15, 2023



むらやし日誌 #21
2nd May- 8th May, 2023 @沖縄 国頭村 与那
2023年5月7日 松尾大朗






今日は与那川護岸にあるウガミガー・ウサチガーとアナガーの排水管の径や高さ位置、また、護岸とユアギマーの高さ関係の実測を行った。

いずれも「ユアギマー」とカーを直接結ぶ水路橋の構想を具体的に計画するために必要な資料である。 今回の『与那こどもまつり』では、やむを得ず水道から水を引っ張ってきたわけだが、やはり集落内を巡るカーからの水を「ユアギマー」に持ってきてこそ、第7のカーとして、コスモロジーが宿る真の「ユアギマー」になり得るのだ。 そのためには、「ユアギマー」に一番近いウガミガー・ウサチガーとアナガーの排水経路から、生活排水を除いた水を与那川を横断して引っ張る構造物(『よなのこ』第三号,p1参照)が必要である。

あいにく悪天候に見舞われたが、目標の実測を終えることができた。 よんな~館に戻ると住民の方から、いい知らせがあった。 なんと早速、本日の沖縄タイムスで5/4(木)・5/5(金)に実施された『与那こどもまつり』が記事として取り上げられていたのである。 内容としては『与那こどもまつり』全体に関することだったが、「ユアギマー」で遊ぶ子どもたちの風景を大きな見出しの写真として採用していただいた。 取材していただいた記者の方の迅速な対応あってこそ、このようにリアルタイムに近い形で与那の方々や多くの方がに共有することができた。感謝申し上げたい。



Published on May 15, 2023



むらやし日誌 #20
2nd May- 8th May, 2023 @沖縄 国頭村 与那
2023年5月6日 松尾大朗






午前中は、「ユアギマー」で2日間精一杯遊んでくれた与那の子どもと一緒に与那の植生調査を行った。 目的は次回、本格的に製作する「ユアギマー」の屋根部分に用いる塩害に強いツタ系植物の採取場所の確保である。 塩害に強いとされるハマヒルガオが与那川沿いに大量に自生していることが確認できた。 調べてみるとかなり太いツタを有しており、魚編みの屋根に十分に絡まり、日よけとして機能しそうである。

また午後は、大城さんご夫妻と一緒に、こいのぼりで有名な奥集落を訪問した。 与那と同じく、奥集落にも集落を横断する形で川が流れており、その川と集落はいわゆる護岸ではなく、緩やかな緑の芝生状のスロープでつながっていた。 子どもも大人も自然と川に集まり、楽しそうに遊んでいた。 うまく川と人の距離が近くなるような工夫がなされていた。

我々の「むらやしプロジェクト」を広く認知してもらい社会性を獲得していかなければならない、 与那の方々自身が村を主体的に盛り上げるために当事者意識を形成していかなければならない、 そういった課題を解決するために、「ユアギマー」の計画を運動場、与那川、集落全体、そして広大なヤンバルの森までも含む広域な計画にしていく必要があるだろう。 奥集落の姿は「ユアギマー」の広域計画において非常に参考になった。



Published on May 15, 2023



むらやし日誌 #19
2nd May- 8th May, 2023 @沖縄 国頭村 与那
2023年5月5日 松尾大朗






今日は『与那こどもまつり』2日目、最終日である。 早朝から「ユアギマー」の補修を行う。 子どもたちが想像よりもはるかに「ユアギマー」で遊んでくれていたため、けがをしそうなポイントを徹底して丈夫なものにしていった。

今日も「ユアギマー」はかなり盛り上がっていた。 他の場所から来てくれた子どもたちは勿論、昨日遊んでくれた与那の子どもたちも来てくれて、一緒に一生懸命水や泥で遊んでいた。

また、今日はまつりのプログラムとしてフラダンスやチアリーディングが「ユアギマー」を背景としたステージで催された。 実は当初、ステージは違う場所に設置予定だったのだが、運営スタッフの方々が急遽変更してくださり、ステージとしての「ユアギマー」が実現した。 他にも、こども達だけでなく大人たちも昼食を「ユアギマー」で食べてくれたり、突然雨が降った時に「ユアギマー」で雨宿りしたりする姿も見られた。 そこには我々が想像していた、遊び場の枠を超えた生活インフラとしての「ユアギマー」の姿の片鱗があった。 与那の方々、子どもたち、集落外から来た人々、我々まれびと、そういった凝縮されたコミュニティの生活風景が「ユアギマー」を中心に展開されていた。

けが人が出ることなく無事に『与那こどもまつり』は幕を閉じた。 大城さんは、『今回のこどもまつりで一番うれしかったことは、なによりも与那の子どもたちが一番真剣に遊んでいたことだった。与那を「子どもを育てたい村」にしていきたい。』と語ってくださった。 同時に与那の住民の方からは、『集落の一部の人の中でまつりを運営するのではなく、与那の住民みんなが納得して参加し、与那全体で盛り上げていく雰囲気にしていきたい。』との声も頂いた。

我々の「むらやしプロジェクト」も与那の方々全員に受けいれてもらい、より多くの人を巻き込んで住民主体の活動にしていかなければならない。 そのような課題がはっきりと感じられた。 今までうまく機能していなかった「ユアギマー」も今回のまつりを通して、少しでも多くの方に価値のあるものだと感じていただけたのではないだろうか。 与那の方々自身が能動的に与那を盛り上げていく、「ユアギマー」をそのような当事者意識を形成するものにこれからはしていかなければならない。



Published on May 15, 2023



むらやし日誌 #18
2nd May- 8th May, 2023 @沖縄 国頭村 与那
2023年5月4日 松尾大朗






今日は『与那こどもまつり』本番である。 早朝から防水シートをより固定するためにシート脇にさらに土や石、芝生を重ねていった。 我々の中で子どもが水路部分を走り回りシートがずり落ちて、けがをしてしまうことが懸念されたが、 製作に協力してくださった与那の方々からの協力の下、こどもまつり開始までに安全な水路を準備することができた。

今回は水を水道からホースで引っ張り、屋根部分からシンメイ鍋に注ぐ。 まつりが開催され、与那のこども達をはじめ、沖縄南部や名護方面からきた子どもたちがユアギマーに集まってきた。 大勢の子どもたちに見守られながら、いよいよ水を流してみる。 降り注がれた水はシンメイ鍋にきれいな音を奏でながらたまっていき、水路にあふれだした。 子どもたちの歓声に包まれながら、しっかりと水が水路をつたい、ビオトープに流れ着いた。

我々が想定した以上に、子どもたちはユアギマーで様々な遊びをして見せてくれた。 シンメイ鍋で水をたくさんためて一気に流す遊び、葉っぱなどを流してみる遊び、水路に座ったり寝転がったりして流れる水を全身で感じる遊び、 そしてビオトープでの泥遊びなど非常に多様だった。 こどもたちにとって水で何かを流すのではなく、水を流すということ自体が最大の遊びになっていることに気が付いた。 そして、自分が流した水が水路やビオトープなど他の場所にいる子どもたちにアクティビティを与えるという一連の流れ・つながりを全員で楽しんでいるように思えた。 そのようなある種のシステムが祭りのはじまりから終わりまで絶えることなく続いていた。 今日初めて出会った子どもたちが「ユアギマー」による水の流れを通して、コミュニケーションを行い、自然と仲良くなって一緒に遊んでいる光景が印象的だった。

瓦版「よなのこ」第3号を来場者に配布しながら「ユアギマー」の展望、また、「むらやしプロジェクト」について多くの方にお話することができた。 与那以外から来られたご家族にも更新される遊び場「ユアギマー」の様子を定期的に見にきたいと言っていただき、沖縄タイムスの記者の方は今回のみならず、今後も我々の与那での活動を取材したいと言ってくださった。 我々の活動は与那の方々のみならず、広く社会に認知されることを通して社会性を獲得してく必要がある。 今日は「むらやしプロジェクト」にとってその第一歩となる非常に重要な1日であった。



Published on May 15, 2023



むらやし日誌 #17
2nd May- 8th May, 2023 @沖縄 国頭村 与那
2023年5月3日 松尾大朗






早朝から、引き続き水路の掘削作業を進めた。 昼前には水路掘削の作業を終えることができた。 昼からは防水シートの切り張りと設置、ビオトープの拡大掘削を行った。 今回の製作目標は、『与那こどもまつり』までに掘削した水路に防水シートをかぶせて固定し、水がシンメイ鍋から水路を経由しビオトープのプールにきちんと注がれる仕組みをとりあえず作りきることである。

学生2人では到底終わらないと思えた作業だったが、前回の「ユアギマー」製作でも大変お世話になった与那の方々に協力して頂き、屋根の葺き替え、防水シートの設置、ビオトープの掘削をなんとか一通り終えることができた。 「ユアギマー」は我々まれびとだけでは決して創り上げることはできない。 積極的に協力してくださる与那の方々の力があってこそできるものであり、やはり一緒になって創り上げる過程にこそ最大の価値があると改めて感じた。

夜には、いよいよ明日から開催される『与那こどもまつり』の主要スタッフで打ち合わせを行った。 今回の『与那こどもまつり』は与那では初の試みであり、与那だけではなく周辺集落や沖縄の子どもたち・家族がヤンバルの自然を感じながら遊ぶまつりである。 「ユアギマー」では子どもたちが水を流し、ビオトープで出来上がる泥でどろんこ遊びをして楽しんでもらう。 最近は、けがの危険性や衛生的な面から自然の中で精一杯遊ぶ子どもたちが少なくなってきてる。 是非「ユアギマー」を通して子どもたちにヤンバルの自然で遊ぶことの楽しさを知ってもらいたい。



Published on May 15, 2023



むらやし日誌 #16
2nd May- 8th May, 2023 @沖縄 国頭村 与那
2023年5月2日 松尾大朗






今回で「むらやしプロジェクト」として与那へ訪問するのは3回目である。 5/4(木)・5/5(金)に与那で開催される『与那こどもまつり』の準備、および前回に引き続き、遊び場「ユアギマー」の水路部分の製作や与那の植生調査などを行う。

久しぶりに訪れた与那だったが、なんと共同売店が今年の4月から経営困難のため閉店しているとのことだった。 共同売店は食料や生活品を販売するのみでなく、与那の住民が楽しく会話したり、仕事終わりに飲んだりする場所で、与那のコミュニティのまさに中心だった。 やはり閉店を受けてか、共同売店前で和気あいあいとしたコミュニティの風景は見られなくなっていた。 とても残念なニュースだったが与那区長大城さんは、共同売店の経営方針をしっかりと与那の住民に受け入れてもらい、与那全体で維持していくための休憩期間だとおっしゃっていた。 共同売店は与那のコスモロジーの1つである。 そのコスモロジーを絶やさないために、共同売店の本質的な再生は「むらやしプロジェクト」として取り組むべき重大な課題である。

さて前回の製作から、約7か月ぶりに「ユアギマー」を訪れた。 マーニの葉で編んだ屋根は潮風に打たれひどく朽ちていたが、「ユアギマー」の柱や魚編みで製作した屋根は激しい雨風にも耐え、以前と変わらず堂々たる姿だった。 中央に設置したシンメイ鍋には、雨水がたまりオタマジャクシが根付いていた。 「ユアギマー」が与那の自然・生態系の一部として機能していることに感動した。

運動場内にある倉庫の壁面をペンキで塗装した後に、早速「ユアギマー」の水路掘削作業を進めた。 水路部分には芝生がかなり根付いていたが、それらをはがし、さらに300㎜程度の深さで掘っていき、全体の9割程度を掘り進めることができた。

今日は日本の集落におけるコスモロジーの消失の危機を肌で感じた1日だった。 「ユアギマー」は第7のカーとして製作している。 つまり、我々が製作している「ユアギマー」も与那の方々全員に受け入れられるようなコスモロジーになっていかなければならない。 そのような責任感を強く感じた初日であった。



Published on May 15, 2023



むらやし日誌 #15
26th August - 5th September, 2022 @沖縄 国頭村 与那
2022年9月5日 強風(台風接近) 内藤楽






最終日は台風が少し離れたこともあり、幸いにして雨は降らなかったが、それでも強風の中での作業となった。 前日に皆で編んだマーニの屋根を取り付けて、芝を周囲に配置し、今回の遊び場づくりは「ひと段落」ということとした。

「完成」としなかったのは、今後も計画を広げてつくり続けてゆくという決意表明であり、我々の活動として、つくり続けること、関わり続けることにこそ、価値を見出したからである。 ともあれ、子供たちのための遊具は、子供たちがいない間に、静かに誕生した。そして我々は子供たちが遊ぶ光景を見る前に帰京した。 子供たちの遊ぶ姿を一目見たい心はあったが、これで、よかったのだろう。子供たちが一緒に手伝って作った遊具は、気づけば完成し、作り手たちは風のように去る。 また風が吹けばやってきて、そして何かを残して去っていくのである。 残るものは土地に根付いた遊び場と、そこで走り回る主役の子供たちである。次回また訪れた際に、子供たちが遊ぶ光景が見れることを願うばかりである。

誕生した遊具は「ユアギマー」と命名し、神女(かみんちゅ)の儀間さんに祈祷していただいた。 「ユアギマー」とは、与那の発祥と言われるユアギムイ(寄り上げ森)と場所を表すマーを合わせて作った造語である。 ユアギムイが見える位置に「ユアギマー」があるのはとてもよいと神女からも褒めていただいた。 神女の方に直々に祈祷いただき、自分たちのつくった遊具が正式に与那のものとなり、風景に溶け込んでゆくように感じられた。

また、今回の活動に興味を持って下さった国頭村教育委員会教育長の宮城さんからご意見もいただいた。 「とても興味深い活動だから、どんどん進めてほしい。 ゆくゆくは、子供たちと大人がつながる場所、与那の子供たちと他地区の子供たちがつながる場所になっていければ良い」とのことであった。

頂いた話を踏まえて振り返ってみると、我々が今回行った活動は、ただ子供の遊具を作った、と捉えるのでは十分ではないだろう。 与那の大人と子供、過去から現在へ時をつなぎ、未来を考えてゆく場所の足がかりを作ったと捉えた方が適切ではないだろうか。 少なくとも我々はそういった大きな心意気と覚悟を持って、今後も与那に関わってゆくことが、温かく迎えてくれる与那の人々に対するできる限りの誠意であり、使命であると感じる。



Published on September 14, 2022



むらやし日誌 #14
26th August - 5th September, 2022 @沖縄 国頭村 与那
2022年9月4日 松尾大朗






今日は元々、遊具の完成式と安全祈願を与那の方々・子供たちと催す予定だった。 しかしながら、台風11号の影響により外での作業が一日中できなくなったため、遊具にかける屋根の作成をよんな~館で行った。

材料は与那の山で採れるマーニという植物の葉である。マーニは長さ2mほどの大きな葉できれいな緑色をしており、葉も中央の茎部分もかなり丈夫なつくりをしている。 こときさんに教えていただいた編み方を応用させ、葉を横に連結させるようにして屋根を編んでいった。 編んだ葉をいただいた魚網に括り付け、さらにその上にマーニの葉を乗せていった。

明日はいよいよ作成した屋根を柱に固定し、遊具完成の予定である。 与那に吹く海風や今日のような台風に耐えられるように設置しなければならない。 時間がたちマーニの鮮やかな緑が抜けた屋根のかかる遊具の姿も楽しみである。



Published on September 13, 2022



むらやし日誌 #13
26th August - 5th September, 2022 @沖縄 国頭村 与那
2022年9月3日 加藤彩那






9日目となるこの日は、台風が近づいており、午前は雨の中現場での丸太の建て込み作業とよんな〜館内でのマーニ編み作業に分かれ、午後は室内にて全員で屋根のスタディを行なった。

マーニ(クロツグ)は私の身長よりも大きく、私はこれほど大きな葉をそれまで見たことがなかった。 芯は非常に硬く、強さもある素材である。このような立派な植物が、山に入ればすぐに採れるとは驚きである。 与那区長大城さんの奥さん、こときさんの作品を参考にしながら編み進め、マーニの葉を何枚かつなげ、大きな一枚の屋根に編み上げる方法を考案した。

手で葉の質感を感じ、重さを実感しながら編み、葉を結んでつなげていく作業は、想像以上に時間のかかるものであった。 規格化された工業製品ではない、自然物であるからこそ、編むという同じ動作の繰り返しでありながらも、1枚1枚大きさや厚さの異なる葉と向き合いながら、少しずつ編み方を工夫し、丁寧に編み込むことが必要であった。

ロープを張った上に漁網を取り付け、さらにその上にマーニを取り付ける。屋根の下に入ってみると、編まれたマーニの葉の隙間から落ちてくる光が綺麗であった。 マーニの葉やいただいた漁網、ロープといった、与那にある素材を用い、与那の技術を用いて、与那でしかできない屋根を作ることができたように思われる。

夜には、名護市古賀知区の豊年祭を見学させていただいた。 前回与那に来た時から豊年祭の話は聞いていたが、伝統的な棒術や踊りを初めて見、想像をはるかに超える迫力や繊細さに魅了された。 残念ながら、与那の豊年祭は新型コロナウイルス感染症の影響で中止となってしまっていたが、2年後開催される際には、是非また訪れたいと強く思った。

屋根のスタディはまだまだ続くが、明日以降、実際に屋根を掛けるのが楽しみである。



Published on September 13, 2022



むらやし日誌 #12
26th August - 5th September, 2022 @沖縄 国頭村 与那
2022年9月2日 山崎立智






八日目、遊具作りはとうとう大詰めを迎え六日目、七日目に引き続き部材の埋め込みから中央部分の土盛、されに遊具に掛ける屋根のスタディを行った。

午後には、大城さんに集落を案内して頂き集落の成り立ちや、現状などにお話を頂いた他、我々の目標の一つである集落の水路の調査を行うことが出来た。

台風の接近もあり、天候が不安定な中ついに八日目にて全ての材を立て込むことができた。また、沖縄の強い日差しから守るために遊具に組み込む屋根の素材として、よんなー館の正面にも飾られているクロツグ(現地ではマーニ)の葉を用いた編み込みを用いるというアイデアを検討した。 マーニの葉を河原から採取し、実際に編んでみると思っていた以上に頑丈である他屋根をしたから見上げた様子がとても魅力的であった。当初の計画でも屋根に用いる素材は決定できておらず、現地で探す運びとなっていたが思いがけず良い素材に巡り合うことが出来た。

また、集落の調査では与那という集落が非常な努力によって生み出されたものであることや古くから続く水の流れを中心とした生活について学ぶことが出来た。

先日の神女(かみんちゅ)の方のお話に続き、集落の歴史や水を中心とした生活について学ぶことが出来たことで我々が今作っている遊具が集落にとって遊具以上のものになっていけるのではないかとより強く感じることができた。



Published on September 13, 2022



むらやし日誌 #11
26th August - 5th September, 2022 @沖縄 国頭村 与那
2022年9月1日 松尾大朗






今日は本プロジェクト6日目となる折り返し地点にある。 昨日から本格的に木材の建込み作業が始まったが、現場での判断に遅れが生じたり、オペレーターへの伝言がうまく伝わらなかったりと現場の難しさを身をもって体験した。

昨日は早朝から現場へ赴き、不定形な材の配置図とそれぞれの材の加工工程表を作成し、今日の作業へ向けて準備を行った。 今日は壊れた護岸沿いの柵復旧と螺旋軸線上の木材建込み完成が目標である。

午前は現国頭村議員の山川さんにお越しいただき、ご自身の建築経験を踏まえながら具体的な琉球建築のレクチャーを行っていただいた。 さらに、レクチャーの後に与那にある古民家を案内していただいた。

琉球の木造建築を語る上ではチャーギや蔡温松(琉球松)、琉球竹といった沖縄の特殊な環境下で生まれる歴史ある木材をうまく利用することが一つの軸となっていたことを体験した。 今回は具体的な古民家実測等はできなかったが、次回また与那を訪れる際には是非、実測させていただきたく思う。

午後からは再び、現場での建込み作業と材の加工作業に分かれて作業を行った。 私は建込み作業として次の材の確定・ワイヤーかけを行い、両現場の中継役を担った。 柵の建込みを終え、螺旋軸線上の材を残すところ5本で今日の建込み作業は終了した。 目標は達成することができないものの、各自が昨日の反省を生かし意識的に動けていたように感じた。 最後に、主要材にかける屋根の高さ位置の現場スタディを行い、今日の作業は終了した。 やっと遊具の全体像が見え始め、全体の明日以降の現場作業へのモチベーションがさらに高まったことを肌で感じた。



Published on September 13, 2022



むらやし日誌 #10
26th August - 5th September, 2022 @沖縄 国頭村 与那
2022年8月31日 晴れときどき雨(台風接近) 内藤楽






六日目は前日に引き続き、主に部材の埋め込みを行った。午後には神女(かみんちゅ)の方に与那の拝所や聖所を案内いただき、お話を伺った。

必要な材の多くが切り出しを終え、広場に遊具の部材が並べられた。実際に部材を並べて見てわかったことは、廃材は他の規格材に比べて、整形されていない状態であるため、いかにそれぞれの部材の個性を生かして配置できるかを考える必要があるということであった。 現場でしか分からないことも多くあるため、並べられた廃材の位置とその概形を記した見取り図を作成し、臨機応変に並べ方を決定していくこととした。

作業としては困難であったが、そういった規格に収まりきらなかった材とはつまり、人間の既存の文明では御しきれなかった材たちである。 これは、自然と人工を対比的に捉えた際に、最も自然側にある木材であり、自然を使った子供たちの遊び場を構成する部材としては、理想的なものであるように感じた。

遊び場づくりに手伝いに来てくれた子供たちとその親御さんからは、あなたが遊ぶ遊具なのだからあなたも頑張って手伝いなさい、という会話が聞こえてきた。 都会の公園のように完成された状態で提供されるようなものではなく、自然に対して少しだけ手を加えることで自分たちの遊び場としてゆく。 皆で協力して地域の廃材からつくるからこそ、この遊具は与那にあるべき子供たちの遊び場として、根付いていけるのではないかと思った。



Published on September 13, 2022



むらやし日誌 #09
26th August - 5th September, 2022 @沖縄 国頭村 与那
2022年8月30日 加藤彩那






5日目となるこの日は、昨日に引き続き朝から丸太のサンダー掛け、防腐塗装を行い、夕方には遊具の中心的存在となる大木を立てた。

このアカギの大木は、当初想定していた配置通りではなく、現場で急遽計画が変更されて配置された。 丸太の太さや長さは予め計測しており、それらに基づいて計画を行なっていたが、紙面上の計画では丸太の色や方向性、質感、存在感、全てを捉えることはできない。

現場で、周囲の環境との調和に敏感になること、そして、1本1本の丸太の個性を見、その相性を見ることが非常に重要であると学んだ。 その場その場で丸太、そして自然と対話をしながら最適解を見極める、瞬時の判断力が必要であることを身をもって感じた。

また、私たちだけの力では1本も丸太を立てることができなかったであろう。 与那の人々が技術や経験、重機をもって協力してくださり、私たち学生だけでなく、先生、与那の人々、皆で丸太を支え、土を掘り、石を詰め、ようやく立てることができた。

夜には、よんな〜館でBBQを開催してくださった。与那の子たちやPTAのお母さんお父さん、遊具作りに協力してくださった方々、また、初めてお会いする方々も集まり、年齢の垣根を超えて、たくさんの方々とお話しすることができた。 与那の新鮮な食材味わい、漁で使う縄の結び方を教わったり、子どもたちと遊んだりしながら、皆の与那への愛を強く感じた。

今日までを通して、これほどの多くの人々が遊具作りに関わり、協力してくれているのだと、そして、皆でこの遊具を作っているのだと実感した。 「遊具」というモノ、場だけでなく、人と人とのつながりをも作っているのではないか、と感じた1日であった。
丸太が立ち始め、遊具の概形が見え始めた。完成形が楽しみである。



Published on September 13, 2022



むらやし日誌 #08
26th August - 5th September, 2022 @沖縄 国頭村 与那
2022年8月29日 山崎立智






引き続き快晴に恵まれた我々は朝のミーティングを行った後、国頭村森林組合見学へと向かい、かつての林業や、現在行われている林業の様子や沖縄で用いられている木材についてお話を伺った。
その後、森林組合にてお譲り頂いた廃材の搬出を行い、現場にて丸太を埋める部分の掘削、頂いた廃材の樹皮の処理、及び防腐塗装を進めた。
森林組合では、沖縄で育つ樹木の種類やその用途についてお話を伺うことが出来た。こうしたお話を踏まえて改めて頂いた樹木を見ると樹種も大きさも豊富であり一本一本の木に個性があるように感じられた。
こうした不定形材と呼ばれる材料一本一本を伸びやかに生かしながら遊具を作ること。そうした規格材を用いないことによって生まれる作り手と素材の柔軟な対話、そうした営みをこの自然豊かな与那の地で行えるということそのものに対して特別な感慨のようなものを持たざるを得なかった。




Published on September 13, 2022



むらやし日誌 #07
26th August - 5th September, 2022 @沖縄 国頭村 与那
2022年8月28日 松尾大朗






2日目から敷地に重機を導入した具体的な施工作業が始まった。

初めに、ティンダティと言われる地鎮祭のような儀式を行い、一同遊具工事の安全を祈願した。 それから墨出しを行った部分の掘削作業と掘立柱の根石となる石を与那川に採集しに行く2班に分かれて作業を行った。 私は午前は掘削作業に参加し、地元の方がユンボで掘削してくださる中、補佐活動に徹した。

午後からは与那川に行き、石採集を地元の方々と共同で行った。 親子で参加してくださる方もおり、与那の子供たちと交流しながら、また、与那の自然に触れながら作業を行うことができた。 与那の方々の快い協力もあり、掘削作業も石採集も無事に終えることができた。

夜は協力してくださった地元の方々とご飯を食べるウタイノーシが催された。 そこでも与那の子供たちと話すことができ、私たちが作り上げようとしている遊具のより具体的な風景をイメージすることができた。 作り上げる遊具が、この子たちが与那に誇りを持てるような与那の風景の一部となれるように尽力させていただきたいと強く感じた一日だった。



Published on September 13, 2022



むらやし日誌 #06
26th August - 5th September, 2022 @沖縄 国頭村 与那
2022年8月27日 快晴 内藤楽






26日に与那に到着した我々は、区長の大城さんや住民の方々に再訪の挨拶をさせていただき、27日に子供の遊び場制作の作業開始となった。 与那に現地入りする以前から、大城区長が非常に綿密に整えてくださった準備のおかげで、27日から一切の滞りなく作業を開始することができた。

初日は主に、敷地への墨出しと森林組合から譲り受ける廃材の選定、辺土名高校のビオトープ見学を行った。 墨出しは津波さんにご助力いただいたことで、速やかに完了することができ、幸先の良い滑り出しとなった。 元区長であり、漁師かつ猟師でもある津波さんには現場作業から夜の御馳走の差し入れまで、多岐にわたって面倒を見ていただいた。 地元の方と協力して地元に根付く遊具をつくる、ということを改めて肌で感じる初日であった。

作業を終えた夕方には、共同売店前の広場のノロ殿内の前で行われていた地元の方々の宴会に参加させていただいた。 前回の4月に我々が与那を訪れた際にお会いした面々とも再開することができたが、我々のことを覚えている方も覚えていない方も同様に、非常にオープンに親切にもてなしてくださり、与那という温かき集落に戻ってきたと実感した。

今日の宴会は、前回もお世話になった元区長で森林組合会長の宮城さんが主催しているもので、共同売店の売り上げを支えるために月二回開催していると伺った。集落を支える方々が皆、自分ごととして集落のあり方を考え行動に移している様を体感し、与那という集落は共同体のあり方を学ぶ上で参考にすべき具体例の宝庫であるように感じた。 大城区長からは、集落の人々から集落の未来を悲観し諦めるような声が出た際には、キッパリとNOと言い切り、前向きに考えてもらうようにしているという話を伺った。 集落の未来を背負う子どもたちに、文化溢れる与那の魅力に少しでも気づいてもらい、少しでも誇りを感じてもらいたいと熱く語ってくださった。そういった区長が掲げる目標の下に、集落が総出となって尽力している様子がとても印象深かった。

住民が率直に集落の未来について考え、行動に移す。都市では忘れさられつつある共同体のあるべき姿がここにあるのだろう。 しかし実際には、集落を愛し集落を憂う心が、子どもたちにまでは受け継ぎ切れていないという現状もある。 どうにかそういった問題の改善を目指し、一つのきっかけとして模索している活動が今回の子供の遊び場製作である。我々が外からやってきた人々として来訪した意義と目的を改めて共有できた初日であった。



Published on September 14, 2022



むらやし日誌 #05
26-30th April, 2022 @沖縄 国頭村 与那・大宜味村 喜如嘉
2022年4月30日 内藤楽






 4泊5日に渡る沖縄の村落での生活を終えた。生活と言えるほど長い期間ではなく、ごくごく限られた短い期間であったが、都市化された生活しか知らずに生きてきた私に、集住して暮らす人間の在り方の再考を迫るには十分な体験があった。

 突然外からやってきた我々に大変良くしてくださった区長や協力者、村民の方々のおかげで、とても充実した5日間であった。

 私たちは農業をし、地元の海の幸山の幸の数々を食し、拝所である湧水(カー)に拝み、村墓にて村の先祖に思いを馳せた。

 本来、外からの来訪者にはそう簡単に許される行為ではないのだが、この村の方々は快く受け入れて下さった。 そしてわずかながらの体験ではあったが、この村で生きて暮らすには自ずと信仰が伴う、ということを感じた。 信仰を継続すると、それが即ち水を守り作物を守り、生活を助けるのである。敬う気持ちが、湧水を生かし、生活を助く。信仰と生活が手を取り合い密に連携する。村が循環して維持されるシステムが透けて見えたようであった。

 話を伺っていると村の人々は皆口々に、儲かる話や人手が増える話があるのは嬉しいが、それによって仲間とのつながりが壊れるようなことが少しでもあれば、そんなものは必要ないと話してくれた。 彼らにとって重要なのは目先のつながりをつくる話ではなく、今あるつながりが断ち切れないように継続しようとする話なのだろう。 村の将来を担うのは何処かからやってきた人々ではなく、村に生まれ村から出ていかなかった人々なのだから、当然の反応である。 つながりが断ち切れないように、切断要因を可能な限り排除し、つながりを継続しようとする動きこそ、村の未来のためには重要視されるべきなのだ。 増やすのではなく、繋ぎ止める。大切なのは獲得ではなく、流出の阻止なのであろう。 そのためには伝統行事というものが、伝統行事の継続の為に行われてきたのではなく、己の村の存続のために存在し続けてきたことを再認識し、単なる受け継ぐべき文化ではなく、生活を助け文明維持を補助するシステムであると捉えるべきかもしれない。

 与那という地域は、歩いてるだけでこのような考えが浮かんでくるほど、信仰と生活(文化と文明)がほぼ同一体として存在する村であった。

 まだ推測の域を出ない話ではあるが、この共同体が私たち外からの来訪者(まれびと)に快く門戸を開いて下さった理由は、当然彼らの人の良さにあることに加え、それが結果としては村の維持につながるからではないだろうか。 この村の信仰と生活が結びつき合っているのと同様に、まれびとに親切にするという精神は村の維持という現実的な問題に寄与しているのではなかろうか。 なぜならそれは村を外から見る視点こそ、己の村の本当の価値を明らかにしうるものであり、自分の村への誇りを醸成する要素であるからである。人を場所に繋ぎ止めるのは誇りであると私は思う。 都市化によって都市からは一方的に過疎地の烙印を押され己の誇りを心から信じられなくなる人々がいる。 特に、都市化が進んでから生まれた子供たちである。彼らに彼ら自身が誇るべき土地の一員であることを教える為には、村の外から村に意見するまれびとの存在ーすなはち都市側の人間も必要不可欠なのではなないだろうか。

 村とは、誇りによって、つながりを維持し発展していくものなのだろう。

 今回の我々の幾許かの調査内容の発表と、勝手ながらに見出した価値について、区長はじめ住民の方にお伝えすると、改めて自分の村への誇りを再認識することができたと、感謝の言葉を頂けた。 やはり、誇りが村のつながりを維持し、維持されたつながりによって活性化した村の活動が、再び誇りを生むという循環なのだろう。 都市化によって、各地の村落において失われつつある誇りを、確かな調査から取り戻すことこそ、我々がまれびととして貢献できる方向なのではないだろうか。

 与那という、信仰と生活の関係が非常に純粋な形で受け継がれ続けてきた村と、巡り会えたことは、偶然の産物ではあるが、極めて幸運なことであった。 与那という村を基点に、都市に対しての村の再興を考えてみたいと思う次第である。



Published on May 2, 2022



むらやし日誌 #04
26-30th April, 2022 @沖縄 国頭村 与那・大宜味村 喜如嘉
2022年4月29日 松尾大朗






 今日は5日間の大宜味村・国頭村でのむらやしプロジェクトのちょうど中日にあたる3日目である。 1日目は大宜味村の雰囲気を肌で感じ、2日目は具体的な山での活動を介して大地を感じた。

 3日目では、朝食前に我々の関心事を探るべく国頭村の与那を2時間ほど散策した。 与那は海・山・川に囲まれた豊かな地理空間を有しており、その上には生活の実技性と信仰の観念性が融和した豊かな空間が広がっていた。 散策の過程において、集落の構造を明らかにする独自の『集落構造マップ』が作成できないかという話があり、各々水路や屋号、聖域などの関係性を意識した構造要素の発掘活動に取り組んだ。

 昼からは昨日に引き続き、長澤氏らの指導の元、山での活動に汗を流した。長澤氏の果樹園を計画すべく山の整地をお手伝いさせていただいた。 幸いなことに長澤氏と2人きりで昼食をいただくことりなり、今回のむらやしプロジェクトに関して意見交換をさせていただくという貴重な機会を得た。 私なりの本プロジェクトの意義に対して長澤氏の事業の根幹にあたる本心を語っていただき、本プロジェクトを客観的に捉えることができたように思えた。

 一方、今日は沖縄県最北端に位置する辺戸岬と与論島にて沖縄の本土復帰を求めた海上集会が復帰50周年を記念して催された。 かがり火が焚かれたとのことだが、沖縄の生活に根付いた独自性のある信仰と共同体、それらを取り巻く一種の外圧のようなものの間にある特殊性を感じ、 今回のプロジェクトにおける我々があくまでも生きた現地の方々に対して内地の人(ナイチャー)であることを強く意識させられた夜となった。

 今日は私にとってむらやしプロジェクトに参加する上で、自分たちの関心を深める一方で、自分自身を俯瞰的に見つめることができた一日だった。


Published on April 30, 2022



むらやし日誌 #03
26-30th April, 2022 @沖縄 国頭村 与那・大宜味村 喜如嘉 
2022年4月28日 Yoo Juhyun






Following yesterday, we visited the Toto Forest run by Mr. Nagasawa in person to assist in the foundation work such as maintaining the agricultural environment and opening roads. We were able to directly check Okinawa's various vegetation and natural environment while working together in the forest of Yanbaru, where we could see the west coast of Okinawa at a glance.

In the morning, the work of maintaining the site with the orchard plan was carried out, and in the afternoon, road maintenance was mainly carried out. In the meantime, at lunch, we were able to hear various stories about Okinawa's customs and living environment from Mr. Ikeda, who is in charge of the overall management and cultivation of Nagasawa's Toto Forest.

As the second day of the five-day schedule, it was introduced to help Nagasawa in earnest, so there were few opportunities to collect information through various exchanges with people living in Okinawa, but through the nature that we could touch and feel with our hands, we could get various inspiration from the c. In nature unlike while staying in Tokyo. These activities are more important because communication with local people is limited to the experience of not being shared without today's work being preceded.

In addition, after dinner, we were able to acquire various information about Yona Village through a presentation by Mr. Oshiro who is governer of Yona-ku.

History of Yona-ku(district) and Community Revitalization Project of Yona Mundakuma

■ Outline of Yona-ku
Origin - 300 or 600 years ago (with almost no written documents)
The population - 189 (now about 160)
number of households - 90
The lay of the land - Almost no plains , depending on the mountains. And a large river.

■ Events
· The Shichigatsu Mo-i and the ushide-ku
 in the season of " Obon "
 only women singing, and dance beating uchiwa-daiko
 It's based on singing, drums, and dances.
 Problem: The song is being faded away. (there are about 20 songs)
     So they are trying hard to create a situation where you can remember.
·Unjyami
 Praying for one's health for a year so that one doesn't have to worry about food
 The image of a wild boar being stabbed with an arrow
 At the end of the festival, the children carried wild boars to the beach.
·Hounensai
 once every two years
 Dance about 20 songs and practice for about a month.
 Before World War II, only men could participate.
·Abusibare
 Clean the levees and finish planting
 → Gather on the beach and having fun (Okinawa Sumo)

■ Yonamundakuma Association

   Yona is clever in thinking for things.
 The objective of Revitalization of Yona Village is to create a bright village for young people to want to live in.
 2007 Walking Navigation
  Ask the elderly about the area → Gather about 20 spots to leave as a form
 2008 Council Formation
 2009-2014 Expansion of council activities
 ·Participate in Nago events, specialties, etc.
 ·A Christmas party for seniors
 ·Children's English conversation class
 ·Calligraphy
 2015-2018 Expansion of council activities
 ·Yonna Hall
 ·Find a solution while interacting with Miyagi's village  · Folklore show, mini concert

 It is ideal to operate a village facility such as acomodations for tourists and education programs by own village. And the goal of these project is to make young people feel proud of their own village as a World Natural Heritage Site.  


Published on April 28, 2022



むらやし日誌 #02
26-30th April, 2022 @沖縄 国頭村 与那・大宜味村 喜如嘉 
2022年4月27日 加藤彩那






沖縄県大宜味村、国頭村にて、むらやしプロジェクトがスタートした。

これまで、滋賀県立大学芦澤研究室の学生と、大宜味村 喜如嘉の野史を収集し、村独自の共同体を崩さない新たな共同体を創造すること、また現地での体験に基づく「むらやし」の骨格を見つけるべく、議論を重ねてきた。

2022年4月26日、沖縄で芦澤研究室の5人と落ち合い、現地に事務所を持つ長澤通氏の案内で、約15000坪の畑やバナナ畑等を見学した。 長澤氏が最近手にしたその畑は、まだ手付かずの部分も多く、そこで生まれる農業のあり方や、共同体のあり方に、様々な可能性を感じる場所であった。 実際に月桃の葉をちぎって匂いを嗅いだり、バナナの木を切り倒し、バナナをもいでそのまま食べたり、長澤氏にはここでしかできない経験を提供していただいた。

国頭村与那の宿、よんな〜館では、長澤氏のお話を伺い、その後与那区長や与那の地元の方々と共に夕食をいただいた。 無農薬農園を支え、農家と消費者のつながりを作り、新たな農業改革によって人間本来の豊かさを取り戻そうとしている長澤氏は、「現場を知らないと分からないことがある」、と強くおっしゃっていた。 資料を読んだり、頭で考えているだけでは知り得ない、リアルを知るきっかけとして、その土地の生業を体験する重要性を感じた。 地元の方々からは、民族史として語られている資料研究による民族の姿だけでなく、リアルなくらしや、そこでの思い等、貴重な「村野史」をお話ししていただいた。

この場所では、小さな宴会から村全体の行事まで様々な集まりがある。スケールの異なる共同体が数々存在し、利益よりも、その共同体の繋がりが崩されないことが第一に考えられていた。 現在自分達の住んでいる場所では存在しない人々のつながり、共同体に対する思いに強い感銘を受けた。

今日1日でも、現地で実際に土を踏み、畑の匂いを嗅ぎ、手で触れ、海の色の変化を見、風に触れ、湿度を肌で感じ、沖縄の空気を体感することができた。 長澤氏が大切にしている「体験」をすることで、大宜味、国頭を離れた後も、これらの村のことを自分ごととしてとらえ、考えることのできる基盤を築く契機となった。

大宜味村、そして国頭村与那を体感し、地元の方々の「村野史」を聞き、これまで漠然としていた、「むらやし」プロジェクトの骨格の片鱗が見え始めた初日となった。  


Published on April 27, 2022



むらやし日誌 #01
12-13th February, 2022 @琵琶湖 沖島
2022年2月23日 内藤楽






 2月12日13日、滋賀県立大学の芦澤竜一研究室との共同プロジェクト「むらやしプロジェクト」の第一回対面会合を兼ねた合宿を琵琶湖の沖島にて行った。 オンラインミーティングから対面に移行し、現地に集まって行う合宿はプロジェクトの本格的な始動を感じさせるとともに、研究室に籠るばかりでなく、現場に赴く良い機会となった。

 堀切港から通船に乗って沖島に上陸し、さっそく島内を芦澤研にご案内いただいた。島民の方から我々に向けられた熱い視線は、見慣れた芦澤研一行への歓迎と見知らぬ訪問者への警戒が入り混じったものだったのだろうか。 他者に対して無関心で冷め切った都市においては滅多に感じない類の視線であった。自分たちがたった今、「島」という共同体に足を踏み入れたのだと改めて肌で感じ、緊張が走った瞬間であった。 同時に島から認められるため、多大なる労力を費やしたであろう芦澤研究室に大きな敬意を抱いた。フィールドワークとはそういうものなのかもしれない。

 芦澤研に島内や流木HAT等のプロジェクトをご案内頂き、その後「むらやしプロジェクト」についてそれぞれ持ち寄ったアイデアやリサーチを交え、本プロジェクトについての議論を深めた。

 夕食後もお互いの研究室やプロジェクトについて夜更けまで語り合い、親交を深め知見を広げる一夜となった。 島の漁師さんが、この島で漁師になるなら今が好機だという話をしてくださった。年配の漁師の方が引退されるらしく、その船や道具を安く譲ってくれるのだそうだ。島では漁師などの職業まで循環しているらしい。 現地の方からの非常に勉強になる話を聞かせていただき、実りある会であった。翌朝、「むらやし」について改めて議論した後、沖島を改めて少し散策し、島を後にした。

 堀切港に戻ると、琵琶湖周辺の芦澤さんが手掛けた建築(琵琶湖のエコトーンホテルや糠塚町の道場)をご本人案内のもと見学させていただいた。 我々が思案している様々なリサーチやプロジェクトの先には、やはりリアルな建築があるのだと実感した。どれも刺激的で、建築の道を選んだ初心を思い出したような気がした。

 最後に一同で話し合い、本プロジェクトを「むらやし」と名付けることを決定した。次は沖縄の大宜味村での合宿にて再会することを約束し、解散した。



 沖島について、帰京後に研究室にて振り返ると、あの島は「ごみのコスモロジー」があるという話になった。 ゴミは捨てて避けるべきものではなく、身近に保管して利用するもの、という共通認識がそこにはあるようだった。島内から出たものも、島外から流れ着いたものも、等しく資源として扱われ、都市では目を背ける対象が、他人事でなく目を向けるべき事柄となっている。 島民の方々には共同体の一員としての意識、世界の構成要因である自覚が根付いているようだった。都市に暮らす私にとっては久々に目に見えて生きた共同体と出会った気がした。

 島内を散策している際に目にした千円畑(島民同士が千円程で売買を繰り返したために継ぎ接ぎ状の形になった畑)も、この島を象徴する風景であった。 拡張の論理ではなく、限られた範囲内における分割、更新の論理で出来あがった風景であった。 島に生きるということは、内に目を向けるということであり、すなわち外に目を向けるということなのだろう。 そこには島の中での収支があり、島で生み出したものは島の中で、島の外からやってきたものも島の中で処理される。 外には出さない、島という村社会を感じた。ここでは各人が島の一員であることを自覚し、それ故に共同体の中で助け合う人情が依然として強く残っている。 そういった循環を目標ではなく、当然の事象として捉えている。 中でいかに資源を巡らせるかという段階ではなく、外部と出入りするものに目を向けている。 都市の人間が謳うような吹けば飛んでゆきそうなサスティナブルとは異なり、生活が即すサスティナブルがそこにあるのだと感じた。 現場を見る大切さを忘れてはならないと感じた。学ぶべきものが絶えない島であった。  


Published on April 12, 2022















早稲田大学創造理工学部建築学科 Waseda University School of Creative Science and Engineering Architecture

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